大手建設会社に勤めるエリート社員・良太は妻・みどりと幼い息子・慶多と幸せな暮らしを送っている。目下の悩みは慶多のお受験だった。そんなある日、慶太を出産した病院から連絡が入る。なんと慶多と他の赤ん坊を取り違えた可能性があるというのだ。早速、病院へ出向いて相手の両親、雄大とゆかりと面会した。その後、DNA鑑定が行われ夫々の子供を取り違えていたことが確実となった。良太たちは互いの子供をどうするかで相談し、とりあえず一緒に休暇を過ごすことになるのだが‥。
(レビュー) 子供の取り違えによって数奇な運命に巻き込まれてしまう家族の姿を、静かなタッチで描いた人間ドラマ。
監督・脚本・編集の是枝裕和は元々はドキュメンタリー畑出身の監督で、過去に「誰も知らない」(2004日)で実際に起きた事件をモチーフにネグレクトの問題を取り上げたことがある。社会的な問題を題材にしたのは今作も同じで、赤ん坊の取り違え、医療機関のミスが一つのモチーフになっている。ただし、今回はそこを論って問題認識の映画としているわけではない。実際に、病院の責任問題は一応出てくるものの、主たるテーマはこの問題をきっかけとした親子の絆、家族間のごたごたである。
尚、今作はあのS・スピルバーグが審査委員長を務めたカンヌ映画祭で、見事に審査員賞を受賞した。家族という普遍的な題材を捉えた所が評価されたのだろう。映画としての作りも端正で受賞も納得という感じである。
ただ、「そして父になる」というタイトルから分かる通り、結末に関してはそのものズバリで特に捻りは無い。正直、良太の葛藤にも若干の浅薄さを覚えたし、何か特別な発見や価値観が得られる映画ではない。当たり前のことを当たり前に言っているだけで、メッセージだけを捉えてしまえば極めて凡庸な映画と評することも可能である。
しかし、それでも自分はこの作品に見応えを感じた。子育ての難しさ、血縁の因縁、夫婦関係、ひいていは格差社会、男女の性差といった幅広い問題にまで言及されているからだ。極めて多彩で豊饒な人間ドラマとして料理されている。特に、夫婦のドラマ、父子のドラマという2点が面白く見れた。
まずは夫婦のドラマだが、これは良太とみどりの関係の中に見ることが出来る。
みどりは、この問題をきっかけに良太に徐々に不審を募らせていく。その過程は、相手方の夫婦との交流の中で丁寧に描写されている。相手の雄大とゆかりは、いわゆる町の小さな電気屋を切り盛りする、ごく平均的な夫婦である。高級マンションに住むみどり達とはまるで違う、いわゆる市井の人々だ。そして、みどり自身も、結婚する前は田舎育ちのごく普通のOLだった。彼女は彼らと交流することで少しずつ、結婚後の自分は無理をしていたのではないか‥ということに気付いていく。そして、夫・良太に対して敢えて自分を卑下してこんなことを言うのだ。
母親である自分が本当の子供を見分けられなかったことを責めてるんでしょ?
これは彼女自身の自戒でもあるし、仕事だけに打ち込んできた夫・良太に対する、あてつけのようにも聞こえた。
彼女はエリート・ビジネスマンの良太のおかげで、確かに経済的には豊かな暮らしを送ることが出来ている。しかし、夫婦一緒になって育児をしている雄大とゆかりを見て、精神的には満たされない自分に気付いてしまったのだと思う。みどりと良太の夫婦関係の悪化は、今回の問題をきっかけに表面化し、子育ての難しさ、夫婦のあり方という問題んまで発展していく。そこが興味深い。
そして、面白く見れた二点目は、良太と彼の父親のドラマである。このエピソードは、言わば”血のつながりは濃い‥”ということを言い表したエピソードだと思う。
良太は幼いころから厳格な父に馴染めず、今でも険悪な関係にある。ある日、彼は父の病気の報を受けて実家に帰る。そこで父は競走馬の血統になぞらえて、血筋の重要性を説く。つまり、他人の子供よりも本当に血の繋がった子供の方が大切だと言って、良太に相手の子供・琉晴を引き取れと諭すのだ。この時、良太は我が身を振り返る。父との確執、自分が父に馴染めなかった理由、そして確実に父の血を自分が受け継いでいる現実を‥。そして、厳格だった父と現在の自分をダブらせ、俺は子供に愛情を示すことができていただろうか‥と自省する。良太のこの自省は大変重要だと思う。これによって、彼は良き父親になろうと決心するからだ。
これを受けて彼は最後にどういう選択を採るのか?ここは大いに注目すべき点だと思う。慶太と琉晴、どちらを選択するかは血筋を取るかどうかという選択、つまり良太自身の生き方の変化でもあるからだ。先述したように、その過程に若干の浅薄さを覚えたが、この選択自体には素直に共感できた。見事なカタルシスを与えてくれる。
キャストでは良太を演じた福山雅治の人気が注目を浴びがちだが、みどり役の尾野真千子の堅実な演技力を評価したい。硬軟自在の幅広い演技が出来る実力派だけあって、今回も見事であった。
雄大を演じたリリー・フランキーは先日紹介した
「凶悪」(2013日)とはまるで違う、子煩悩な父親役を演じている。肩の力を抜いた演技が好印象である。
また、是枝監督と言えば子役の使い方である。「誰も知らない」における柳楽優弥以下、子供たちの自然体な演技は素晴らしかったが、本作の子供たちの演技も見事であった。
是枝監督の演出は繊細さと大胆さを巧みに使い分けながら、全編通して生真面目なほどの端正さで貫かれている。やはり、なんと言っても臨場感を優先させた演出が持ち味だと思うが、ラストの安堵のシークエンスなど、今回は柔らかい映像の主張が随所に見られる。初期時代は割と暗いトーンが多かったが、ここ最近は物語のシリアスさに関係なく、良い意味でのコマーシャリズムな演出が出始めている。その分、観る方としても大変取っつきやすくなってきた。
また、今回は脚本も大いに評価したい。胸を突くセリフが各所に登場してきて、自分などは何度ハッとさせられたことか‥。夫婦関係、血縁、男女の性差といった様々な問題が、一つ一つのセリフの中に自然に落し込まれていて感心させられた。これまでも何度か家族のドラマを撮ってきた氏だが、ここまで流暢にセリフを語る作品は無かったように思う。それは彼のドキュメンタリータッチな資質でもあったのだが、今回は様々な局面で登場人物たちが自分の心情を語り、観客に問題を問いかけてくる。それらを噛みしめながら見れば、今作は更に深みが増してくるだろう。