高校生のアデルは初めての恋人ができるが、心の中では満たされぬ感情を抱いていた。そんな時、町で髪をブルーに染めたエマという女性とすれ違い惹かれる。ある夜、友人に連れて行かれたゲイバーで、そのエマと再会する。彼女は美術学校に通うレズビアンだった。2人はデートを重ねながら愛し合うようになっていく。
(レビュー) レズビアンの少女の心の葛藤を赤裸々な性描写を交えて描いたラブストーリー。尚、原作はフランスで発行されているコミックということである。
今作はアデルとエマの過激なベッドシーンが話題になっているが、なるほど、確かにここまで女性同士のセックスを大胆に描ききった作品は珍しいと思う。決して耽美主義に溺れることなく、情熱的な肌と肌の重なりあいが克明に記されている。特に、アデルとエマの最初のベッドシーンは、その生々しさ、美しさ、緊迫感に目が離せなかった。
では、なぜこれほどまで二人のベッドシーンをジックリと描いたのか‥ということなのだが、製作サイドは何もセンセーショナルな話題作りをするためだけにこれを撮ったわけではないと思う。全てはアデルとエマの愛に説得力を持たせるため。そのために執拗に描いたのだと思う。もしこれが美しいだけのベッドシーンだったら、二人の絆をここまで確固たるものとして観客に納得させることは出来なかっただろう。二人がいかに激しく情熱的な愛に溺れて行ったか‥。そこに説得力を持たせるためには、やはりこのくらい執拗にラブシーンを描く必要があったのだと思う。
ちなみに、本作を見てL・クラーク監督の
「KEN PARK ケンパーク」(2002米オランダ仏)を思い出した。あの中に登場する少年少女達の性交シーンも世界各国で話題になった。中には猛反発を食らい公開禁止になった国もあった。しかし、自分はこう考える。観客に何の衝撃も感動も与えられないセックスシーンに何の意味があろうか‥と。オブラートにくるんで出されても何の意味もない。それだったら描かない方がましである。
さて、こうした話題ばかりが先行する本作であるが、実はドラマの方も中々見応えがある。
監督・共同脚本はアブデラティフ・ケシシュという人である。初めて聞いた名前であるが、実は日本で紹介されていないだけで海外では相当の実力派として通っている監督である。端正な演出と印象派的な色彩センス、そしてイノセンスなダイアローグ等、非常にレベルが高い。カンヌを初め世界各国で高い評価を得ているのも頷ける。
例えば、アデルとエマ、二人の出自や性格は各所の食事シーンで説明されている。アデルの家ではパスタが名物料理で、彼女はそれを無造作に口に頬張りながら食べる。一方、エマの家ではカキがお客をもてなす御馳走で、その食べ方も非常に上品だ。これらの食事シーンは、アデル=下町の娘、エマ=ハイソサエティのお嬢様であること示唆している。
また、夫々の交友関係からも、二人の住む世界の違いが如実に読み取れる。アデルはごく普通の高校生で恋の話や学校の話、ハリウッド映画の話で盛り上がる。例えば、誕生パーティーのシーンなどは良い例であろう。身近な友人たちが集まって和気あいあいとした雰囲気を楽しんでいる。
それに対して、同じパーティーでも、美大生のエマが開く個展には芸術家の友人やパトロンが集まる。絵画や文学の話題が飛び交い、同席したアデルは話題について行けず一人取り残されてしまう。エマはアデルと違い哲学や芸術に造詣が深い知識人なのである。
このように性格も生活環境もまるで異なる二人であるが、人間とは不思議なもので、自分には無いものを求めたがる習性がある。アデルとエマは、正にそうやって愛し合っていくのだが、しかし幸せはそう長くは続かない。映画は中盤以降、二人の関係が破綻していく様を冷酷に捉えていく。
自分は、どちらかというとエマのような才能を持った人間ではないので、アデルの方に感情移入しながら見た。映画の作りもアデルの方を主人公としている。したがって、見ている最中、実に切なくさせられた。あれほど情熱的に愛し合ったエマが遠くの存在になってしまったという現実‥。それでも追い求めてしまう未練‥。アデルを見ていると実に不憫である。特に、涙ながらにエマに訴えるシーンの痛々しさといったらない。惨めで残酷で悲壮感漂うシーンである。
そして、最後にアデルがあの場所へ、あの姿で出かけたということの意味を考えると、この恋にはやはり終わりがない‥ということを痛感させられた。果たしてアデルの歩む先に何があるのか?様々な想像を喚起させる。
映像的な特徴を言えば、今作は俳優のクローズアップが異様に多い。そのせいで息苦しい緊張感、瑞々しさが通常の映画よりも強く感じられた。ドグマ95のようなドキュメンタリーっぽさを狙った演出とも言える。
その一方で、グラフィカルな映像も所々に登場してくる。特に、青色は本作のテーマ・カラーのような所があり、各所に印象的に使われている。例えば、真っ青な海に浮かぶアデルの姿は印象的だった。エマの青い髪の色も然り。情熱的な愛の物語に、敢えて冷めたブルーを持ってきたセンスは大胆である。
その一方で光の表現も中々上手い。例えば、公園のベンチのシーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。
今回ケシシュ監督の作品を初めて見たわけだが、こうした各所の映像を見る限り、かなりユニークな作家性を持った監督のように思った。日本未公開になっている過去の作品も見てみたくなった。
ベッドシーンに臆せず挑んだ主演二人の身体を張った演技も素晴らしかった。
エマを演じたレア・セドゥは造形からしてインパクトがある。彼女はすでにハリウッドでも一定の知名度を持った女優であるが、今回の役は非常にやり甲斐があったのではないだろうか。従来の可愛い、綺麗だけのイメージを前面に出しただけでは演じきれない役柄だったと思う。そこを見事にやり遂げている。
そして、アデルを演じたアデル・エグザルコブロスの熱演も見事である。少女から大人の女性への変遷を自然に演じ分けた所は特筆に値する。初見の女優であるが今後の活躍にも注目したい。
今作は上映時間が3時間近くもあり、かなりの長丁場である。若干長すぎる感じもしたが、しかし見終わった後には愛の素晴らしさと残酷さの二つを濃密に味わうことができた。この映画には、同性愛のドラマだけでなく、人はどういう人生を選択するのか?という人生観のドラマも織り込まれている。そこを汲み取ることが出来れば非常に有意義な3時間となろう。