母を亡くしたばかりの少年ピーターは、突然現れた宇宙船に誘拐されてしまう。時は流れ成人に成長したピーターは、自ら“スター・ロード”と名乗り宇宙を股にかけるトレジャー・ハンターになっていた。彼が今回狙う獲物は強大な力を秘 めたパワー・ストーン“オーブ”である。しかし、それは銀河征服を目論むサノスも狙っていた。こうしてピーターは銀河の命運をかけた戦いに巻き込まれていく。
(レビュー) マーベル・コミックが製作する同名原作を派手なVFXで映像化したSFアクション大作。
昨今のアメコミヒーロー物に食傷気味だった自分にとって、この映画は実に新鮮に映った。というのも、ここに登場してくる5人のヒーローたち、ガーディアンズは、同レーベルの「スパイダーマ」や「アイアンマン」といったお馴染みのヒーローたちと明らかに趣を異にするからである。彼らのように”花”があるわけでもなく、どちらかと言うと宇宙のお尋ね者、アンチヒーローで、何となく”やさぐれ感”さえ漂う。A級になれない永遠のB級ヒーロー。そんな愛しさを感じてしまうのだ。
例えば、主人公のピーターは、軽薄で女たらしでおっちょこちょいで、まるで近所の兄ちゃんのような親しみやすさがある。スパイダーマンが国民的ヒーローだとするなら、彼は地方の町おこしに駆けずり回るローカルヒーロー。そんなポンコツ感がある。このポンコツ感が良いのである。このポンコツが宇宙を股にかけて大活躍するから楽しいのだ。
しかも、本作には昨今の悩めるヒーローといったお決まりなシリアス路線はない。単純に笑って楽しめる作品となっている。
ストーリーも王道だがよく出来ていると思った。言わば、本作はヒーロー誕生の物語である。私利私欲しか頭にない俗物だったピーターたちが、最終的に正義に目覚めていく‥という展開は、特に捻りはないが中々アツく描けている。
また、性格も出自も全く異なる5人が一つにまとまっていく様も丁寧に描かれていた。衝突を繰り返す中で徐々に芽生えていく友情。それに涙させられた。
伏線の張り方や回収、サブキャラの立ち回り方もよく考えられている。個人的には、ピーターの育ての親ヨンドゥの存在が中々良かった。彼にとってピーターはいかなる存在だったのか?映画を見終わって色々と想像してみたくなった。
このように本作は単に笑えるだけではなく、アツくなって泣ける映画にもなっている。そこが、ただ派手にドンパチをして見終わった後には何も残らないような映画とは一線を画すところである。登場するヒーローたちはB級だが、実に懐深く作られている一級のエンタテインメント作品になっている。
もっとも、厳しく見てしまうと、突っ込み所は無くもない。
例えば、ピーターは母の形見であるカセットテープをずっと持っているが、磁気テープがそんなに何十年も持つか?とう突っ込みは当然出てこよう。また、クライマックスの戦いの場にどうして避難したはずの民間人があんなに残っていたのか?そこも気になってしまった。
ただ、本作はハードでシリアスな映画でないことはオープニング・タイトルを見れば一目瞭然である。ピーターがウォークマンで例のカセットテープを聴きながら見知らぬ惑星でお宝探しをする所から始まるのだが、この何とも珍妙な、そしておそらくSF映画史上稀にみるシュールなタイトルシーン。ここだけでこの映画のリアリティーラインがどこにあるのかがすぐに分かる。要するに、この映画はマンガ映画なのだ。アメコミを原作としているから当然ではあるのだが、それ以上にマンガ映画しているのである。
映像のファッションもそうで、惑星ザンダーの描景は完全にレトロSFチックな、もっと言えば「スタートレック」風なパステル調なトーンで統一されている。決してダークでリアルなトーンではなく、やはりマンガ的である。
キャラクターの造形にしてもそうである。先述したように主役のピーターはどこか垢抜けなさがある。途中で仲間になるアライグマの姿をした”ロケット”は見かけだけなら、ほとんどマスコット・キャラのようである。ヒーローの傍にいるなら納得できるが、それがヒーローの一員なんてまるで冗談みたいな話である。ロケットの相棒である木の宇宙人”グルート”は「オズの魔法使い」にでも出てきそうなキャラクターである。これもヒーローらしからぬ造形だ。
ドリームワークスが製作した、かの「シュレック」(2001米)がそうだったように、コミカルさを含んだ、これらマンガ的な造形は、やはりこの映画のリアリティーラインを根底から決定づけているように思う。
尚、レトロということで言えば、本作は要所に70年代のヒット・ナンバーが流れる。これらは全てピーターの母が遺したカセットテープに入ってる曲である。おそらく彼女が青春時代に聴いていた曲なのだろう。それを息子に託した意味がラストで分かり思わずホロリときてしまうのだが、ある程度の年代の人にとっては懐かしく聴ける曲ばかりである。また、そうでない人でも、最近CMなどで使われている曲も多いので親しみやすいのではないだろうか。
こうした70年代のポップソングをSF映画に掛け合わせたセンスには脱帽である。まず、何と言ってもこのギャップが新鮮である。そして、先ほど言ったように、ピーターたちはどこかB級感が漂うヒーローである。だとすると、やはりここは重厚なオーケストレーションではなくポップソングがよく似合う。
個性的なキャラクターが抱えるバックストーリーもドラマを濃密にしていると思った。しかも、個々が抱える苦悩がクライマックスにおける彼らのパワーの源になっている所が見事で、これがあるからこそ本作は見た後に何も覚えてないような只のアクション映画ではなく、深く心に刻まれる娯楽映画となっている。つまり、苦悩を克服しようという彼らの思いに自然と共感できてしまうのだ。唯一、グルートだけはセリフがたった一言しかないということもあり、その心中を読み取ることは出来なかったが、それ以外のキャラに関しては夫々に心に深い傷を負っていることがよく分かった。
そして、この映画の見事な所は、そうしたシリアスなフェイズを、アクション・シーンの中で出したり、ユーモアに乗せて語らせたりしていることである。極力シリアスにしない作りは娯楽映画を作る上では鉄則である。それが本作ではちゃんと出来ている。
逆に今作で難を挙げるとすれば、これ単体ではドラマが完結しない‥ということであろうか。ガーディアンズの苦悩全てが解消されるわけではなく、ピーターの出生の秘密、ガモーラの因縁、暗躍する黒幕の存在、色々と問題を残したまま終わっている。このあたりは続編に引き継がれると思うが、若干そこは消化不良だった。むろん映画自体はハッピーエンドの大団円を迎えるので大きな不満をおぼえることないが、人によっては気になるかもしれない。
それと、エンドクレジットの後におまけが付いているが、これは余り上手いエピローグには思えなかった。マーベルは現在アベンジャーズ計画を進行中で、複数のシリーズでキャラクターのコラボレーションをしている。どうやら今回のおまけはその関係らしい。
キャストも中々面白い布陣だと思った。いわゆる顔出しの主要キャストには、余り有名でない俳優を起用している。そして、それとは逆に声優やチョイ役に有名俳優や重鎮を置いている。普通は逆ではないかと言う気もするが、そこは敢えてやっているのだろう。声優の中にはジョシュ・ブローリンやロブ・ゾンビもいるということだ。
尚、マーベル・コミックのスタン・リーは今回もきっちり出演している。見ればどこに出ていたかすぐに分かるだろう。相変わらずやんちゃな爺さんである。
今作の監督・共同脚本は若き異才J・ガン。彼は、前作
「スーパー!」(2010米)で勘違いヒーローの悲哀を絶妙の笑いとペーソスで描いていた。彼の映画界での出発はB級ホラー、お下劣映画専門のトロマということで、「ヒーロー!」もかなりブラックな要素が入った作品だった。しかし、今回はビッグ・バジェットの映画、しかもウォルトディズニーが配給していることもあり、それほど好き放題は出来なかったようである。唯一、義足のジョークだけはブラックだったが、それ以外は概ね健全な笑いでまとめられている。
しかし、考えてみれば低予算の”似非ヒーロー”映画を作っていた人が、いきなりビッグ・バジェットの”正編ヒーロー”映画を任されたわけだから、これは大した出世である。彼は写真を見るとよく分かるが、いわゆるオタク系の、いかにもボンクラな風貌をしている。その見た目、そしてこのサクセスを考えると、どうしても「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを手掛けたP・ジャクソンを連想してしまう。このシンデレラ・ボーイは、今後どのような作品を撮っていくのか。今後も非常に楽しみである。