驚異の映像体験はぜひIMAXで。
「インターステラー」(2014米)
ジャンルSF・ジャンルアクション・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 近未来の地球。人類は食糧不足で絶滅の危機に瀕していた。元宇宙飛行士のクーパーは、宇宙に対する憧れと希望を封印し、現在は農場を経営している。ある日、彼の娘マーフが自分の部屋で異常現象が起こると言い出す。ひとりでに本棚から本が飛び出したり、砂嵐が部屋に入ってきて奇妙な暗号を残したり‥。クーパーはその暗号を辿って、解体されたはずのNASAの基地に辿り着く。そこでは人類の居住が可能な惑星を求めて宇宙のかなたに調査隊を送り込むミッションが計画されていた。クーパーはその飛行士に抜擢される。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 人類の危機を救うために宇宙に旅立った父と彼の帰りを待つ娘の愛を壮大なスケールで描いたSF作品。
「ダークナイト」(2008米)や
「インセプション」(2010米)のC・ノーラン監督が満を持して放つ超大作と言うだけあって、宇宙の描写やクーパーが降り立った惑星の描写等、映像的な見所が尽きない作品である。まるで自分もクーパーと一緒にこの過酷なミッションに参加しているような、そんな臨場感が味わえた。広大な宇宙の迫力、ワームホールへのダイブ。どれをとっても、期待を裏切らない出来映えで、これだけのイマジネーションの体験はここ最近の作品ではなかった。映像だけでも一見の価値がある作品だと思う。
但し、ストーリーは色々と突っ込みを入れたくなる代物で、硬派なSF映画を期待すると裏切られてしまう。
第一に、NASAが誰にも知られずに地下で秘密裏に計画を実行するなんて出来るだろうか?予算はどうしているのか?スタッフはきちんと集まるのだろうか?という疑問を持った。しかも、月面着陸のねつ造を一言で片づけてしまういうあたり、かなり強引である。また、いくらクーパーが元宇宙飛行士だからと言ってアッサリと宇宙に飛んで行ってしまうのも説得力が無い。せめて、宇宙に出るまでの訓練等をダイジェストでいいから入れて欲しかった。回転する宇宙ステーションにドッキングする芸当も、もはや曲芸の域である。リアリズムは微塵も感じられない。
このように、作品の世界観に関してはお世辞にも良く出来てるとは言い難い。
ただ、父娘の情愛を描いた人間ドラマとして見た場合は、結構よく出来ている方だと思う。時空を超えた愛という所には素直に共感できたし、こうあって欲しいという所にドラマは巧みに運ばれていくのでカタルシスも十分ある。実にツボを心得たドラマ作りが成されている。
また、本作にはもう一つ大きな人間ドラマがあって、そこにも感動できた。今回のミッションにはクーパー以外に3人のスタッフが同行する。その中の一人、女性エンジニアのブランドとクーパーのロマンスの顛末にはしみじみとさせられた。ブランドの心中に迫る描写に甘さは残るものの、こちらも時空を超えた愛というテーマが語られ感動的である。
他に、今回のミッションにはTARSというロボットが同行する。初見時にはデザインが先鋭的で荒涼とした近未来の世界観には今一つそぐわない印象を持ったが、後半の活躍やクーパーとのやり取りが実に面白く、段々頼もしい存在に思えてきた。血の通わないロボットに人間臭さを絡めた発想も良い。
一方、どうしてもアクションシーンに不評が集まるノーランの演出だが、実は個人的にはそれほど下手な監督だとは思っていない。それよりも、彼はカットバックの演出が余り上手くない作家のように思う。「インセプション」の時にも思ったのだが、多層世界の戦闘を切り返しで見せる時の繋ぎが無頓着で、見る側に感情の振幅を過度に要求してくる傾向がある。二つのシーンを同時に盛り上げて、相乗効果的なドラマチックさを狙っているのだろうが、逆に下手をうっている。
今回で言えば、クライマックスのクーパーとマーフのカットバックである。クーパーが苦闘している所に、忘れた頃にマーフのフラッシュバックが被さり、緊張の糸が切れてしまう。
キャストは夫々に好演していると思った。最近、主演作品が次々とヒットを飛ばしているM・マコノヒーを筆頭に、ノーラン作品常連のM・ケイン等、堅実な演技を見せている。ただ、ブランドを演じたA・ハサウェイにはもう少し見せ場が欲しかった。先述のように、物語が彼女の心中に迫り切れていないため、今回は割を食ってしまった感がある。それと、意外な人物が中盤から登場してくる。映画を見るまで知らなかったのでこれには驚かされた。
音楽はハンス・ジマー。作品によっては抑制を効かせたスコアを作り上げる時もあるが、今回はいつもの悪い癖が出てしまったという感じである。全編に渡って流れる大仰なスコアが今回もヘビー・ローテーションされ自分の肌には合わなかった。曲自体は決して悪くないのに勿体ない。使いどころを見極めて欲しい。
K・ギドクの過激な表現がほとばしった怪作!
「メビウス」(2013韓国)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 郊外の一軒家に住む上流家庭で凄惨な事件が起きる。夫の不倫に逆上した母が正気を失い、思春期になる我が子の陰部を切り取ったのだ。母はそのまま失踪する。一方、息子は手当を受けてどうにか一命を取り留めた。しかし、切り取られた陰部は母に呑み込まれてしまって元に戻ることはなかった。その後、息子は学校にも行かなくなり引きこもるようになる。不憫に思った父は自分の罪を償うように自らの陰部を手術で切除した。やがて、息子は父の不倫相手の女の居場所を突きとめる。そして、彼女の元を度々訪ねるようになる。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 韓国の鬼才キム・ギドク監督が人間の性愛をシュール且つ残酷に描いた衝撃作。
いかにもギドクらしい題材で度肝を抜かされる。人間の性を過激に追求した所は圧巻としか言いようが無く、これは正にギドク以外には描けないドラマだと思った。
まず、何と言っても息子の陰部を切り落とす母親に戦慄を覚える。いくら夫に浮気をされたからと言って可愛い息子のアレを切るだろうか?息子にとってはとんだ災難である。多分、母親は夫へのあてつけとして息子のアレを虚勢したのだろう。正気ではない。
物語はこの凄惨な事件をきっかけにして、父親と息子の関係をメインにしながら展開されていく。
息子は何故自分がこんな目に遭わなければならないのか?という憤りから父親に反発する。学校に行かなくなり地元の不良青年達に混じって、父親の不倫相手の女に復讐を果たす。ところが、不倫女も黙ってはいない。息子を誘惑して、自分を捨てた父親に復讐し返すのだ。しかも、性器が無い息子に与える肉体的快楽は、これまた常軌を逸した”行為”であり、もうこれ以上はここでは書けないような倒錯的な変態行為である。ドロドロとした人間模様に過激な性描写が加わり、まさに酒池肉林の地獄絵図といった様相を呈していく。
ただ、今作はそうした過激な性描写は出てくるものの、本質的には息子と父親の情愛ドラマとなっている。彼らの交流を幾ばくかのペーソスで切り取っている個所もあり、そこは見ようによってはハートウォーミングなドラマのようにも見えるかもしれない。あるいは、登場人物がかなりエキセントリックな行動をするので、そこはブラック・コメディのような可笑しさが感じられるだろう。
いずれにせよ、これまでも特異なシチュエーションで様々な愛の形を描いてきた孤高の作家ギドクは、今回も誰も挑戦したことが無いような形で彼にしか描けない”過激な愛”を突き詰めている。共感を覚えるかどうかは別として、これには敬服してしまう。
演出は手持ちカメラによるドキュメンタリズムが貫かれている。これはギドクの一貫したスタイルと言っていいだろう。生々しい迫力が感じられた。
また、今回は全編セリフが無い。これもギドクらしい実験精神あふれる挑戦に思えた。彼は過去に「うつせみ」(2004韓国)でこの手法を取り入れているが、あれは主人公の男女だけにセリフが無く周囲のサブキャラクターは喋っていた。あるいは、「悪い男」(2001韓国)では、主人公の男は言葉を発せないという設定だった。こうした過去作を見ると、ギドクがいかに映像でドラマを紡ぐことに執心しているかがよく分かる。そこから考えると、今回のセリフ無い特異なスタイルは合点がいく。大変興味深い映画になっている。
但し、確かに面白い挑戦だとは思うが、個人的にこの実験が成功しているかどうかはかなり怪しいと思った。というのも、セリフを遮るような演出的な工夫が各所に試みられているが(ガラス窓越しで話す等)、さすがに全編セリフなしは少々無理がある。
例えばクライマックス。母親が息子の下半身を見て驚く表情には思わず笑いが漏れてしまった。本来ならここは衝撃のシーンとなるべきなのだが、そのリアクションが余りにも素っ頓狂で逆に可笑しく感じられてしまった。更に、ここでは息子自身も、そして父親も信じられないと言った表情を見せる。どうして彼らがそういうリアクションを取るのかは、中盤以降のストーリーのネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、このシーンにおける彼らの表情はセリフが無いことでかえってシュールさを極め、ドッキリカメラ的なコントのように見えてしまうのである。
映画の結末については賛否あるかもしれない。個人的には、タイトルの「メビウス」の意味がここでようやくわかった次第である。愛と復讐と懺悔がメビウスの輪のように延々と繰り返されていく‥という意味が読み取れた。ただ、人によってはまったく意味が分からないという感想を持つ人もいるかもしれない。そういう人には、同監督作の「春夏秋冬そして春」(2003独韓国)という映画を見ることをお勧めしたい。そこで描かれていた仏教的思想がこの映画にも通底しているように思う。
キャストでは、母親を演じた女優のインパクトが凄まじかった。しかも、彼女は夫の不倫相手も演じており、一人二役に挑戦している。メイクやヘアスタイルを変えているので、見ている最中は全く気付かなかった。誘惑する女と狂気に陥る女。妖艶さと怖さ。この二つを演じ分けた所が見事だった。
尚、何故彼女に二役を演じさせたのか。そこにも何か意味があったのかもしれない。しかし、残念ながら自分には分からなかった。
ということで、この映画は深掘りすればするほど強く印象に残る映画かもしれない。
ディズニーとマーベルが手を組んだSFヒーローアニメ。
「ベイマックス」(2014米)
ジャンルアニメ・ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) サンフランソウキョウに住む少年ヒロは幼い頃に両親を亡くし、現在は兄タダシと叔母と暮らしている。ヒロの目下の夢は自作のロボットで戦うロボットバトルで賞金稼ぎになることだった。ある日、ヒロはタダシが通う大学に連れて行かれる。彼はそこで尊敬するロボット工学博士キャラハン教授に出会う。これがきっかけでヒロは大学進学を決意した。そして、見事に入学試験に合格しキャラハンに見初められる。ところが、喜びも束の間、その晩タダシとキャラハンは火事に見舞われて帰らぬ人となってしまった。失意のヒロは、せっかく受かった大学にも行かず部屋に閉じこもってしまう。そんな彼の前に生前タダシが開発したケア・ロボット”ベイマックス”が現れる。ヒロの心はベイマックスとの交流で次第に癒されていく。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 兄を亡くした少年とロボットの友情をハイクオリティーな映像で綴ったディズニー製作のSFアニメ。
尚、原案はマーベルコミックのアメコミ作品「ビッグ・ヒーロー・シックス」である。本作はディズニーとマーベルが初めてタッグを組んだ作品ということでも話題になっている。
ただ、原作は未読であるが、調べてみるとキャラクターや舞台設定が色々と改変されているらしい。原作はどちらかと言うと純然たるヒーロー物になっているようだが、今回のアニメ版はヒロとタダシの兄弟愛、ヒロとベイマックスの友情に重きを置いた作りになっていてヒューマン系な作品とも言える。無論アクションシーンはタップリと登場してくるが、マーベル作品というよりも、やはり”ディズニーらしさ”が尊重された作りになっている。また、子供やアメリカ人が親しみやすいようにキャラクターの造形もかなり変更されている。
物語の方は正直、先の展開が読めてしまうような安直な代物で、もう少し練りが欲しいと思った。ただ、子供にも理解しやすいように作られているので、これはこれで妥当な線だろう。
‥と、こんなことを書いておきながら、ディズニーのお家芸であるゴージャスな映像と演出力は相変わらず健在で、先の展開が分かっていても結局泣かされてしまったのだが‥。
「トイ・ストーリー3」(2010米)の時とまったく一緒である。大の大人がアニメを見て泣くなんて‥と言われるかもしれないが、こればかりは仕方がない。大体によって、監督も脚本家もどこが盛り上がり所で、ここでコレを出せば間違いなく観客は感動するというツボを心憎いほど的確に突いてくるのだ。演出の上手さとハイクオリティな映像のコンボは、やはり効果絶大である。
そんな中、今回目新しいと思ったのは世界観の設定だった。ヒロたちが住むサンフランソウキョウはアメリカのサンフランシスコと日本の東京を合わせたような架空都市となっている。サンフランシスコの名所と言えば当然、坂道である。そして、ここにカーチェイスは付き物である。当然作り手もそのあたりの事は承知していて、きちんと劇中には派手なカー・アクションが用意されている。これにはニヤリとさせられた。そして、ひとたび歩道に目をやれば、日本語で書かれた看板や桜の木が立ち並びオリエンタルムード満点である。この美術背景は、我々日本人にとっても親しみやすいのではないだろうか。尚、原作では舞台が未来の東京になっているそうである。
また、主人公の少年ヒロも黒髪&黄色という日系である。このあたりも親しみやすい。
このように、本作は日本の文化がかなり意識して取り入れられており、多分ディズニー映画の中においても非常にフレッシュな作品になっていると思う。これまでは日本文化を間違って解釈しているような洋画がたくさん作られたが、今回は未来の設定ではあるがきちんとそのあたりは考証されているので安心して見れた。
話は逸れるが、昨今ハリウッドではアジアを意識した映画作りが盛んに行われている。そして、その多くは中国市場を意識したものである。先頃公開された「パシフィック・リム」(2013米)ではクライマックスの舞台は香港だった。リブート版「ロボコップ」(2014米)ではロボコップが中国で開発されたことになっている。かつてアジアと言えば日本が最も大きなマーケットを持っていたが、今や完全に中国にその座を明け渡してしまっている。そんな中、ディズニーが日本を意識した作品を作ってくれたのだから。これは素直に喜ばしいことだと思う。
尚、今回は日本語吹き替え版での鑑賞だった。タダシの声が少し慣れてない感じを受けたのを除けば、ほぼ完璧なキャスティングだったと思う。本作にはヒロとベイマックス以外に4人の主要キャラが登場してきて、彼らを加えて「ビッグ・ヒーロー・シックス」として悪と戦っていくのだが、実に多種多様な人物構成になっている(これも戦隊ヒーローっぽくて日本人には親しみやすいかもしれない)。こちらも声優陣は夫々に個性を上手く掴んでいた。
蛇足だが、エンドクレジットの後におまけが付いているので見逃さないように。マーベル・ファンにはちょっとだけ嬉しいおまけである。
また、同時上映として今回も短編が付いている。今回はペーソス薄め且つトンチ不足な感じがしたが、とりあえず犬が可愛かったので良しとしたい。
失踪した妻に翻弄される夫の姿を独特のユーモアと恐怖で描いた鬼才D・フィンチャーの新作。
「ゴーン・ガール」(2014米)
(あらすじ) ミズーリー州の郊外。結婚5年目の記念日を迎えたニックは、いつもと違う朝を迎えた。彼が目を覚ますと妻エイミーの姿がなかったのである。部屋には荒らされた跡があり、只事ではないと思ったニックは警察に連絡する。その後、エイミーの両親がボランティアを引き連れて公開捜査が始まった。エイミーは「完璧なエイミー」という母の著書のモデルとして有名だったこともあり、これにマスコミが殺到する。そんな中、女性捜査官ボニーは事件現場から1通の封筒を見つける。その中には、ニック達が毎年結婚記念日に行っている宝探しゲームのヒントが書かれていた。そのヒントを手掛かりに、ボニーはニックがエイミーを殺害したのではないかと疑う。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 妻の失踪に翻弄される男の悲劇をサスペンスフルに描いた鬼才・D・フィンチャー監督の作品。同名ベストセラーの映画化である。
夫婦関係の脆さと怖さ。この物語のモチーフは正にコレだと思うが、それを超えて本作からは”コミュニケーションの難しさ”という普遍的なテーマが読み取れた。カップルが見ればこの夫婦関係にゾッとするだろうし、そうでない人が見ても普段の周囲との関係を見つめ直したくなるのではないだろうか。このドラマの背後には人間の悪意と嫉妬、エゴが禍々しく渦巻いている。
物語は妻エイミーの捜索を描く前半、失踪の謎が解明される中盤、夫ニックの恐怖を描く後半に分けられると思う。
前半はサスペンス、後半はサイコ・スリラーなトーンに切り替わる所がミソで、改めて謎を伏せながらじっくりと見せていくフィンチャーの堅実な手腕には圧倒される。約2時間半の長丁場ながら最後まで気が緩むことなく一気に見れた。特に、中盤の失踪事件の解明にはゾクゾクするような興奮が味わえた。
また、原作は未読だが、元々のストーリーがよく出来ているのであろう。エイミーの身を案じるニックの主観視点と、事件の捜査を担当するボニー刑事の客観視点。映画はこの二つを巧みに交差させながら状況証拠を積み上げている。ボニーの事件に対する捜査を織り込んだところが肝で、それによって警察からも世間からも妻殺しの疑いをかけらるニックの切迫感にはかなりのリアリティが感じられた。前半の影の功労者は間違いなくボニー刑事だと思う。
そして中盤、意外な形でエイミーの所在が判明する。これには正直、驚かされた。ネタバレになるのでこれ以上は詳しく書けないが、とにかく事件の背景には衝撃の真相が隠されている。先述したように、ここでのフィンチャーの流麗なタッチと、事件のからくりが一気に解き明かされていくシークエンスには極上のカタルシスが感じられた。
‥と、ここまで間違いなく、サスペンス映画史上類まれなる傑作の誕生!と確信した。ただ、どうだろう‥。これ以降の展開には、今一つ面白さが感じられなかった。失踪事件のからくりが一旦解明されたことによって、推理劇の緊張感が失われてしまったからである。
無論、後半はまた新たな展開で、ニックの恐怖が描かれていくのだが、どちらかと言うと事件の裏側にどういった事情があったのか?という夫婦関係の内情がメインで、言わば前半に出された問題の答え合わせをしているみたいで、俺にとっては変に理屈っぽくて余り乗り切れなかった。
とはいえ、フィンチャーが描きたかったのは正にここなのだろう‥というのはよく理解できる。実際、この後半も飽きなく見れたし、夫婦関係の難しさ、人間のあさましさ、エゴの恐ろしさといったテーマは十分伝わってきた。そういう意味では、成功しているとも言えるのだが、しかしサスペンスとして見た場合、後半は前半ほどのドラマ的な求心力は感じられない。
キャストでは、エイミー役のロザムンド・パイクの演技が素晴らしかった。エイミーの母親はベストセラー作家で、彼女はその本の主人公のモデルとして広く世間に知られている。言わば、エイミーはちょっとしたアイドルである。しかも、家は資産家で裕福なエリートである。ところが、親が事業に失敗して破産してからは不幸続きで、彼女自身も職を失い、挙句の果てにニックも失職。彼の母親が末期の癌におかされていると言うので、渋々住み慣れたニューヨークから彼の実家があるミズーリー州の田舎町に引っ越すことを余儀なくされる。言わば、エイミーは上流階級から中級階級へ、「完璧なエイミー」から「可哀想なエイミー」へ一気に落ちぶれてしまったのである。実にドラマチックな人生である。それをロザムンド・パイクは外見と所作を変えながら見事に演じきっている。来年のオスカーには間違いなく候補に上がるだろう。
また、ボニー役の女優は初見だったが、こちらも中々面白い存在だった。事件を常に客観視する冷静さ、聡明さは「ファーゴ」(1996米)におけるF・マクードマンドが演じた女性警官を彷彿とさせる。
家族の在り方も多種多様。
「クリスマス・ストーリー」(2008仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) フランス北部の閑静な住宅街。そこに初老の夫婦ジュノンとアベルが仲睦まじく暮らしていた。ある日、ジュノンが白血病と診断される。治療するためには骨髄移植をするしかなかった。早速、家族の中に血液の適合者がいないか検査が始まった。そして、長女エリザベートの息子ポールが適合すると診断された。複雑な思いに駆られるエリザベート。クリスマスの日、エリザベート、彼女と因縁の関係にある二男アンリ、二人の子供に恵まれ幸せな家庭を築いている三男イヴァン等、家族一同がジュノンの家に集まる。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 母の病気をきっかけにした家族の愛憎物語。
母ジュノンの骨髄移植を巡る話が主たるドラマだが、本作にはこれ以外にも様々な問題が出てくる。設定だけ聞くと、いわゆる難病物にはお約束の感動系と思われがちだが、意外にヘビーな問題も登場してきて中々歯ごたえのある作品だった。見終わった後に家族の在り方について色々と考えさせられた。安易にハッピーエンドに持って行かなかった所も良い。
例えば、長女エリザベートと二男アンリの反目は、普通の映画であれば最後に解決されて終わるだろう。しかし、本作では最後まで未解決のまま終わってしまう。これだと確かにカタルシスはない。しかし、現実をきちんと見据えた所に作り手側の誠意が感じられる。現実とはそんなに甘いものじゃないんだよ‥という製作サイドの主張。それを臆せずきちんと提示した所を評価したい。
先述したように、物語はジュノンの病を中心にしながら展開されていく。そこで物語の中心を担うのは二男アンリである。彼は事業の失敗で実家の財産に多大な損失を与え、それが原因で長女エリザベートに絶縁されてしまった。言ってしまえば典型的な甲斐性無しなのだが、そんな彼が母の病気を見舞うために久しぶりに帰ってくる。エリザベートは当然面白くない。家族の輪にピリピリした緊張感が流れ、これが非常に面白く見れた。
やがて、彼はジュノンの骨髄移植の適合者であると診断される。家族の中に適合者はもう一人いて、それはエリザベートの息子ポールである。果たしてどちらがジュノンに骨髄移植をするのか?そこがこのドラマのクライマックスとなる。
これはエリザベートにとっては非常に悩ましい問題である。愛する我が子はなるべき犠牲にしたくない。けれども、犬猿の仲であるアンリにも恩を売りたくない。この葛藤が後半から浮かび上がってくる。
一方のアンリは今まで自分をつまはじきにしてきたエリザベートと和解しようという気はさらさらない。ただ、純粋に母ジュノンを助けたいと思いその身を捧げようとする。そして、それがまたエリザベートを怒らせる‥。このようにアンリは、常にドラマを掻き回す中心に存在し、周囲に波紋を与えるキャラクターとなっている。
他にも、この映画には幾つかの家族の関係が描かれている。
その一つは、三男イヴァンと妻の冷えきった夫婦関係である。結婚に関する過去の秘密が明らかになることで、それが徐々に浮き彫りになっていく。
もう一つ、アンリと新しい恋人フォニアの関係も描かれる。フォニアはユダヤ教徒である。アンリと一緒にやって来るのだが、キリスト教徒であるアンリの家族には中々なじめない。やがてアンリとの関係もギクシャクしていく。
更に、この他にエリザベートの息子ポールの葛藤も描かれる。彼は自閉症気味な少年で常に孤独を抱えている。そんな彼が、やがて同じ骨髄移植の適合者であるアンリと細やかな交友を育んでいくようになる。母と複雑な関係にあるアンリにしか心を開けないという所が何とも皮肉的で、これには素直にしみじみとさせられた。
このように本作は非常に広範な視座を持った群像ドラマとなっている。
自分はこの奇妙に絡み合った人間模様を見ながら、家族の在り方について色々と考えさせられてしまった。一見するとベタな家族愛のドラマのように思えるが、さにあらず。実に豊饒な鑑賞感を残してくれる深みのある作品である。
監督・共同脚本はA・デプレシャン。序盤のダイジェスト風なドラマ運びに性急さを覚えたが、それ以降はクリスマスを挟んだ数日間のドラマに限定されベテランらしい安定した語り口が貫かれている。説明的なセリフが無いため人によっては理解しずらい面があるかもしれないが、このミステリアスな語りこそデプレシャンの真骨頂であろう。後半に入ってくると、ある程度判明してくるので、それまでは我慢して見た方が良い。
また、演出で少し面白いものが見られた。オーバーラップやスチールショットを駆使することで少し風変わりさを狙っている個所がある。その演出意図が何なのか。見ていて今一つ理解できなかったが、試みとしては面白い。
音楽の使い方も独特だった。どう見てもシーンには余りマッチしないジャズを多用しているが、これも不思議な味わいがあった。賛否はあるかもしれないが、個人的には新鮮で面白いと思った。
キャストではアンリ役を演じたM・アマルリックの演技が印象に残った。彼はデプレシャンの作品ではよく登場してくるが、今回のアル中、落伍者、甘えん坊というキャラ設定は正にハマリ役である。彼らしさがよく出ている。
父アベルを演じた老俳優も中々に味わい深い演技を見せいていた。少し枯れしたような声で、それが”老い”の渋みを一層感慨深く見せていた。
ジージャーの活躍に尽きる映画!
「チョコレート・ファイター」(2008タイ)
ジャンルアクション
(あらすじ) 日本人ヤクザ・マサシとタイのヤクザ、ナンバー8の愛人ジンの間に、赤ん坊が生まれる。彼女ゼンは先天的な障害があったが、その代わりに人並み外れた高い身体能力を持っていた。数年後、成長したゼンは、その特徴を活かして隣近所の少年ムンと組んで大道芸を始めて荒稼ぎをしていた。そんなある日、ジンが白血病で倒れてしまう。2人は治療費を工面するために奔走するのだが‥。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ガチンコの激しい戦いで大いに話題を呼んだ「マッハ!」(2003タイ)のスタッフが、それに負けず劣らずのテンションで綴ったアクション・ムービー。
本作は、何と言ってもゼンを演じたジージャーの身体を張ったアクション。これに尽きる作品だと思う。あどけない顔立ち、小さな体からは想像もつかないほどの激しい格闘を披露し、これには圧倒される。ちなみに、彼女はこの撮影のために4年間基礎トレーニングを積み、撮影には2年間もかかったそうである。聞いただけでも気の遠くなる年月だが、その努力は画面から十二分に伝わってきた。
例えば、クライマックスの屋上のシーン。ここでは狭い所に入り込んだジージャーが腰をかがめながら敵と激しい格闘を演じている。小さな体を活かした彼女にしかできないアクション・シーンで、あの窮屈な場所であれだけの素早い動きが出来るとは大したものである。
また、ビルの縁を舞台にした最後のアクションも素晴らしかった。狭い足幅なので一歩間違えれば地面に真っ逆さまである。それをジージャーは、いとも簡単に(実際にはそうではないと思うが)やっている。
一部でワイヤーも使っているようだが、基本的にここに出てくる格闘シーンは、ほとんどが本物志向である。「マッハ!」の時にも思ったが、CGやトリックでは出せない”生”の迫力。それが今回も堪能できた。
一方、ストーリーはシンプル過ぎるきらいがあるが、アクションに特化した作りであることを考えればまずまずと言った所である。
まず、ゼンが自閉症という設定なので、一体どうやって格闘術を習得するのだろうか?と疑問に思った。ところが、彼女には研ぎ澄まされた五感と驚異的な身体能力が備わっており、見たものを全てを習得できるという特殊技能がある。かつてなら師匠の下で厳しいトレーニングを積んで‥というのが定番だったが、この映画はそんな面倒臭いことはしない。ビデオやテレビゲームを見ただけで習得してしまうのだ。これが映像世代か‥という驚きと共に、いかにも現代的な設定で面白い。
ただ、欲を言えば、彼女が好きなチョコレートの使い方、阿部寛が演じる日本人ヤクザ・マサシの立ち回り方は、もっと工夫して欲しかった。チョコレートは映画のタイトルにもなっている。見る方としては、どうしてもそこに意味を求めてしまいたくなる。
また、ゼンが見る悪夢をアニメーションで表現しているが、これは奇をてらいすぎて違和感を持ってしまった。
尚、本作にはナンバー8の用心棒として、ジャージ姿&眼鏡の格闘家が登場してくる。これがゼンと対を成すかのような出で立ち、自閉症気味という設定で中々面白かった。とはいえ、本作にはゼンと対等に渡りあえるような、言わば”宿敵”が登場してこない。唯一あるとすれば、このメガネ君なのだが、意外にもアッサリ負けてしまったので肩透かしを食らった。ゼンを危機に追い込むような絶対的な”宿敵”。それが無かったのは残念である。唯一この映画で欠けている物があるとすればそこで、そうすればクライマックスは更に盛り上がっただろう。
アッと言わせるラストに痺れるしかない。
「ダーティー・メリー/クレイジー・ラリー」(1974米)
ジャンルアクション
(あらすじ) 元レーサーのラリーは相棒のディークと共に、スーパーの支配人宅に忍び込んで家族を人質に取り身代金を要求した。そして、まんまと15万ドルをせしめて二人は車で逃走する。ところが、車中には昨晩ラリーと一夜を共にしたメリーが乗っていた。3人は警察の追跡を交わしながら車を走らせていく。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 「バニシング・ポイント」(1971米)というアメリカン・ニュー・シネマの傑作がある。本作にはそれとの共通点が幾つか見られる。
例えばラスト。いかにもアメリカン・ニュー・シネマらしい締め括り方になっているが、これは明らかに「バニシング・ポイント」を意識したものだろう。他にも、主人公が元レーサーという点も共通しているし、オープニングがエンディングに直結するという構成も一緒だ(きちんと伏線が張られている)。
このように「バニシング・ポイント」という傑作を見た後に本作を見てしまうと、どうしても二番煎じという感じになってしまうのが苦しい所である。
ただ、そういった共通点はある物の、カーアクションの迫力、アウトロー然としたキャラクター造形等、中々の見応えが感じられる作品である。それに、今作は男女3人の逃避行を描いたドラマである。この設定は「バニシング・ポイント」には無い面白さで、そこにこの作品ならでのチャームポイントがあるように思った。
ストーリーはいたってシンプルに作られている。誘拐の身代金を奪った逃走犯が警察の追跡をかわしながら逃走する‥という話を延々と綴るだけである。確かにシンプルし過ぎるきらいはあるが、活劇に徹した所は潔い。
また、警察側には、ラリーたちの逮捕に執念を燃やす捜査官がいて、これをヴィク・モローが強烈な個性を発揮しながら快演している。こちらも主要3人のキャラクターに負けず劣らず尖ったキャラで中々の存在感を発揮している。彼の存在も物語に良いアクセントを付けていると思った。
そして、映画はカーアクションの合間に、ラリー、ディーク、メリー、3人の関係をスリリングに描いている。スピード狂の元レーサー、ラリー。冷静なメカニック担当のディーク。狡猾な紅一点メリーと言った具合に、3人は夫々に個性的に造形されている。この関係はスピード感あふれるアクションシーンの傍らで、様々に形を変えながら男女の愛憎を吐き出していく。これが本作のもう一つの見所である。
特に、座席の座り方が彼らの関係変化を如実に表していて秀逸だった。
初めは3人並んで前の座席に座っている。しかし、途中からラリーとメリーの関係が近づくと、ディークは身を引くように後部座席へ移る。その後ラリー達は些細なことで喧嘩をして険悪な関係になってしまう。すると、今度はメリーもディークと一緒に後部座席に座ってしまうのだ。そして、ラストで二人は寄りを戻し、メリーは再び前の座席に移る。このように、3人の座る位置に注意して見ていくと、3人の関係がよく分かる仕組みになっている。これはよく考えられていると思った。
今作にはもう1つ卓越した演出が発見できる。それは中盤、喧嘩をしたラリーとメリーが仲直りするシーンである。ここでラリーはかけていたサングラスを外してメリーに謝罪する。そのつぶらな瞳(笑)がメリーの心を動かし彼女はラリーを許す気になる。サングラスという小道具の使い方。ずっとかけていたサングラスを初めてここで外すという小粋に演出。それによって二人の心理的な駆け引きを演出した所には、思わず「技あり!」と言いたくなってしまった。
ラリー役はP・フォンダ、メリー役はS・ジョージ。夫々に敵役だと思った。しかし、個人的にはディークを演じたA・ロアークの演技が一番気に入った。三人の中では一番地味な存在であるが、幾ばくかの哀愁を漂わせた所が好印象である。
アクション・シーンの見所はやはりクライマックスのヘリとのカーチェイスシーンとなろう。かなり危険な撮影をしている。実は、車ばかりがフィーチャーされる本作であるが、このヘリがかなり凄い飛行をしていて、今見てもこれには驚かされた。
特に、中盤に保安官がヘリを呼び出して乗り込むシーンがある。場所の設定としては別に広大な草原でもいいのだが、この映画では敢えて電柱に囲まれた道路にヘリは降り立つ。よくよく見るとヘリは電線の下をくぐって着陸している。これは凄い芸当である。
他にも、クライマックスの地面すれすれの飛行も神がかっていた。車とヘリの追跡というプレミアム感も相まって、数多あるカー・チェイス・シーンの中でもトップクラスの出来栄えとなっている。
尚、この映画は「バニシング・ポイント」の影響下にあるのではないかと先述したが、逆に今作を元にして作られた作品も発見される。それはM・ギブソンの出世作「マッドマックス」(1979豪)である。あそこに登場するインターセプターは、まさに今作に登場した若い警官が乗る改造車からアイディアを拝借したものだろう。また、ラリーとメリーが警察の無線を通して挑発するシーンが出てくるが、これも「マッドマックス」の冒頭に登場したカップル”ナイトライダー”の原型のように思う。
韓国特有の泥臭いアクション・サスペンス作品。
「哀しき獣」(2010韓国)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 中国北部にある朝鮮族自治州・延辺。そこに韓国からやってきたタクシー運転手グナムが住んでいた。彼は借金返済のために故国に妻を残して出稼ぎに来ていた。しかし、賭け麻雀で借金は膨らみ、ヤクザの仕事を手伝うまでに落ちぶれてしまう。グナムはボスのミョンから殺しの依頼を受けて韓国に密航する。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 殺し屋になった平凡な男が辿る運命を、過激なバイオレンスシーンを交えて描いたアクション作品。
監督・脚本は
「チェイサー」(2008韓国)で一躍注目を浴びたナ・ホンジン。キレのあるアクション演出、ねちっこい陰鬱なドラマは今回も健在で、氏の資質は十分出た作品になっていると思う。また、前作で連続殺人犯を演じていたハ・ジョンウが、今回は主役のグナムを演じていてこちらの熱演も見応えがあった。
ただ、前作「チェイサー」との比較から言うと、全体のクオリティ面ではやや劣る。前作ほどの衝撃は受けなかったし、アクションにしろドラマにしろ雑な印象を受けた。
まず、撮影がほとんど手持ちカメラで撮影されていて、画面が常に揺れている。動きのあるアクション・シーンはもちろん、いわゆる日常のシーンまでカメラがぶれまくるので大変見辛かった。おそらく観客に緊張感、臨場感を味あわせようとするドキュメタリータッチを狙っているのだろうが、全体にこの撮影方法が貫かれると映画のトーンに抑揚が無くなり、かえって作為性ばかりが目立ち不自然に写ってしまう。やはりメリハリがあってこその緊張感、臨場感であろう。今回はそこがなっていなかった。
尚、この手持ちカメラが最もシックリときたのは、グナムが殺しの標的を監視する一連シーンだった。ここはグナムの緊迫感に重なるように画面が不安定に揺れていて効果的だった。
ドラマについては、中盤まではかなり良く出来ていると思った。
序盤に狂犬病のエピソードが出てくる。これは正しくグナムの転落を象徴的に表したエピソードだと思う。つまり、最初は平凡だった男が、まるで狂犬病にかかったかのように凶暴な男へと変貌していく。その過程がこの狂犬病のエピソードに込められている。グナムは最初から悪人と言うわけではなく我々と同じ平凡な男である。そこに見る方としても素直に感情移入出来た。
そして、映画は中盤で思わぬトラブルが起こり、グナムは警察とマフィアの両方から追われるようになる。両者を交えた三つ巴の戦いが繰り広げられ、ストーリーはスケールアップしながら上手く盛り上げられていると思った。
ただし、いかんせん人物関係がかなり複雑で、このあたりは注意して見ていないと混乱するかもしれない。もう少しじっくりと時間をかけて説明していたら、もっと分かりやすい映画になっていたと思う。こちらの理解力を超える情報量が中盤以降、矢継ぎ早に出てくるので少々難儀した。
また、細かい点を言えば幾つかシナリオ上の綻びも見つかる。
まず、テウォンが、今回の暗殺計画がミョンの仕業だと知ったのはどの時点だろうか?それが不明である。また、ミョンがグナムを殺そうとテウォンと結託するが、このあたりの経緯にも説得力が乏しい。説明が表層的なのが原因である。ここは映像としてきちんと見せた方が良かったのではないだろうか。
尚、映画を見終わって、ストーリーとは別の所で面白い発見が出来たので付記したい。
本作に登場する男たち、主役のグナム、マフィアのボス・テウォン、そして殺しの標的にされるキム。彼らはいずれも女房に浮気をされている。そして、それが原因で彼らの運命は狂わされてしまっている。男たちのハードな戦いを描いておきながら、その裏側では女性はしたたかに生きており、そこがこの映画の一種独特な”虚しさ”に繋がっているような気がした。男たちの側からしてみれば、これは実に皮肉的なドラマと言える。
また、中国における朝鮮族に対する蔑視も興味深い発見だった。グナムに対する差別的な言動は見ていて実に気の毒だった。邦題の「哀しき獣」は、つまるところ路地裏で惨めに生きる朝鮮族・グナムのことを指しているのだろう。そのタイトルの意味が映画を見終わって改めて噛みしめられる。
表向きはアクションとサスペンスを売りにした娯楽映画だが、社会派的な骨太さを併せ持った所に本作の奥深さがある。
戦うおやじ=L・ニーソン。ここに誕生!
「96時間」(2008仏)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 元CIA工作員のブライアンは離婚して今は孤独な暮らしを送っている。しかし、今でも妻に引き取られた娘キムのことを人一倍愛していた。そのキムが旅行中に誘拐されてしまう。ブライアンは娘を取り戻すために、彼女が向ったパリへと急行する。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 元工作員が誘拐された娘を追って闇の組織と戦っていくハードなアクション作品。
製作・共同脚本はL・ベッソン。言わずと知れた名匠で、これまでにもアメリカとヨーロッパを股にかけながら数々の話題作を撮り上げてきた。ただ、最近はプロデュース業にも積極的に進出しており、今作も彼が設立した製作会社ヨーロッパ・コープの元で作られた作品である。この会社は活きの良い若手監督を起用しながら様々なアクション作品を輩出している。
そんなベッソン印の本作。結論から言うと、アクション映画としては中々よく出来ていると思った。ブライアンを取り巻く環境、キムの父に対する感情、事件のからくりといったものは極力簡略化されており、そこにやや食い足りなさを覚えたが、アクションを活かした作りが徹底されている所は潔い。上映時間も90分程度と見やすく、お手軽感があるのも嬉しい。
また、監督ピエール・モレルのアクション演出も、今時のスピード感に溢れた演出で良かった。元々彼はカメラマン出身で、劇映画のデビュー作は「トランスポーター」(2002仏)の撮影監督である。「トランスポーター」はJ・ステイサムがプロの運び屋を演じたアクション映画で、迫力のあるカーチェイス・シーンが大きな見所だった。その時の経験があるからだろう。今回のクライマックスのカー・アクションも手に汗握るシーンとなっている。
ただ、スタイリッシュさを狙う余り、不用意な映像処理も散見される。キムが誘拐されたホテルでブライアンが見る幻視には少々戸惑いを覚えた。おそらく犯行現場から事件の状況を再現しているつもりなのだろうが、見ようによってはまるでブライアンに超能力でも備わっているかのように見えてしまった。ここは演出をもう少し抑え目にして欲しかった。
ブライアンを演じるのはL・ニーソン。これまでは文芸作品やヒューマン系のドラマで活躍してきたイメージがあるが、中々どうして、アクションもそつなくこなしている。
本作はアメリカや本国フランスでスマッシュ・ヒットを飛ばしシリーズ化された。そういう意味では、M・デイモンにとっての「ジェイソン・ボーン」シリーズのように、この「96時間」シリーズはニーソンにアクション・スターとして道を切り開いたシリーズとなった。これを見たら”戦うオヤジ”というイメージでしか彼を見れなくなってしまうかもしれない。
尚、来年1月には第3弾にして最終章の公開が予定されている。
実在したFBI長官の半生を綴った社会派人間ドラマ。
「J・エドガー」(2011米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1919年、司法省に勤務していたフーバーは、長官の家が左翼過激派に爆破されたことをきっかけに赤狩りに執念を燃やすようになる。その後、彼は新設された司法省捜査局の長官代行に任命された。そこで彼は秘書のヘレンに出会いプロポーズする。しかし、仕事に生きる彼女はそれを断った。フーバーの心は酷く傷ついたが、彼女の熱意に共鳴し自分も仕事に邁進することにした。そんなある日、クライドという若き青年が捜査局の面接にやって来る。フーバーは彼を気に入り自分の右腕として登用していくのだが‥。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) FBI初代長官ジョン・エドガー・フーバーの半生を綴った社会派人間ドラマ。
フーバーはFBI創設の立役者で、約50年という長きにわたり長官を務めた人物である。劇中でも語られている通り、彼の功績は色々とある。まず、何と言っても科学捜査の手法を初めて取り入れたことは大きい。彼はこれによって政治テロやマフィアの撲滅に多大な効果を上げた。そして、彼は街を浄化するヒーローのようになっていった。
映画は、そんなフーバーが強大な指導力を発揮していく過去と、権力のしがらみによって職務の座から失墜していく現在を交互に描いている。現在パートの方は速記者に自分の半生を告白しながら展開され、過去パートの方はその告白に沿って描かれる回想ドラマとなっている。
本作のメインとなるのは過去パートの方である。フーバーという人物の内面がじっくりと掘り下げられていて、実に興味深く見ることが出来た。
彼は元々エリートの出身で、司法省でも順調に出世コースを歩んだ。その仕事振りは常に完璧で妥協がない。その手腕が買われてFBIの初代長官に就任した。
その一方で、プライベートでは母と二人暮らしで、親友や恋人を持たず生涯独身を貫いた。要するに人付き合いが下手だったのである。ただ、そうは言っても、仕事ではパートナーと呼べるような仲間がいて、それが今作にも登場する秘書のヘレンと部下のクライドである。フーバーは彼らだけには仕事の相談をしたり悩みを打ち明けたりしながら、他とは一線を越えた関係を築いた。しかし、それもあくまで仕事上だけの関係である。実際には本当の自分を曝け出すことが出来なかった。
このようにフーバーは表向きはFBIのヒーローとして人々から多大な称賛を得たが、その裏では孤独なアウトローだったのである。この光と影にフーバーの生き様が見えてくる。月並みな言い方かもしれないが、人生の数奇が感じられた。
監督はC・イーストウッド。現在と過去を巧みに繋いで見せながら無理なくドラマに統一感をもたらした手腕は見事である。中でも、競馬場のシーンは、落ちぶれた現在と栄華を極めた過去。この二つを呼応させることで人生の数奇を皮肉的に見せていて中々ドラマチックだった。イーストウッドの演出は近年高く評価されているが、今回も安定していた。
また、映像の完成度もかなり高い。今回はノワール・タッチが目立ち、どちらかと言うとクラシカルな映像作りが施されている。当然これはドラマの時代背景を意識したイーストウッドのこだわりなのだろう。
そして、これには撮影監督トム・スターンの仕事ぶりが奏功している。彼はここ最近、イーストウッドとずっとコンビを組んでいる。作品の傾向によって映像のトーンはまちまちだが、今回のような画作りは彼の感性に合っているのかもしれない。これまで見てきた作品よりも映像のトーンが一回り主張されていると感じた。
古きアメリカを再現したプロダクション・デザインも素晴らしい出来栄えで感心させられた。同監督作
「チェンジリング」(2008米)に通じるような完璧さで、作品の世界観にリアリティをもたらしている。
キャストではフーバーを演じたL・ディカプリオの熱演が印象に残った。晩年の老けメイクに一瞬違和感を持ったが、見進めていくとそれも徐々に慣れてくる。声質、所作などを微妙に変えながら時代の変遷を見事に表現している。ただし、メイクを施したせいか、晩年の表情が今一つ乏しかったのは残念である。
ところで、イーストウッドは何故、このフーバーの半生を映画にしようとしただろうか?映画を見ながら色々面白く想像できたので書いてみたい。
FBIと言えば、ある種アメリカにおける警察権力の大きな象徴だと思う。そこで長官を務めたフーバーもまた、アメリカ特有のマッチョイムズの象徴だと言える。そして、アメリカは今や”世界の警察”を自負する大国となった。国際紛争への介入など、その独善的なやり方は各国から批判を浴びている。FBI長官として剛腕を振るったフーバーも然り。そのやり方には賛否があった。アメリカという国とFBI長官フーバー。自分には途中からこの二つがダブって見えてしまった。
かつて「許されざる者」(1992米)でアメリカのマッチョイムズに鋭く切り込んだイーストウッドである。当然今回の作品にも、現在のアメリカを皮肉的に投影しているのではないかと想像する。
これはフーバーという権力の象徴を通してイーストウッドが作った、もう一つのアンチ・アメリカの映画なのではないか‥。そんな風に思えた。
尚、今作を見て「リンドバーグ事件」の裏側を知れたのも面白かった。映画を見終わって興味が湧いたので色々と調べてみたが、事件の真相については今だに謎とされているそうである。
また、この事件によって成立された「リンドバーグ法」も、改めて調べてみると中々興味深い。これはFBIの捜査権力を拡大させる法律で、その成立にはフーバーの推進が働いていたと言われている。本来、警察権力は法律の元に執行されるべき物だと思うのだが、これではまったく逆である。今では考えられないことであるが、自分たちに都合のいいように勝手に法律を変えてしまった所に当時のFBIの強大さが伺える。これは実に怖いことだと思った。