ごく普通の女子中学生・鹿目まどかは、ある夜、傷つきながら戦う少女と不思議な生物の夢を見る。翌朝、まどかのクラスに、夢で見た少女と瓜二つの容姿をした暁美ほむらが転校してくる。偶然の一致に戸惑うまどかに、ほむらは意味深な言葉を投げかけた‥。放課後、まどかは親友の美樹さやかと共に、夢の中で見た生物・キュゥべえと、それを殺そうとするほむらに出くわす。まどかとさやかは傷付いたキュゥべえを助けるが、直後に摩訶不思議な空間へ迷い込んでしまう。そこに魔法少女・巴マミが現れて二人は救われる。
(レビュー) 2011年にTV放映されたアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版。斬新なストーリーと可愛らしいキャラで人気を博したTVシリーズ全12話を、前後編に分けて作った総集編。今作はその前編である。
自分はTVシリーズを見た上での鑑賞である。初見時の衝撃は今でもはっきりと覚えている。絵柄は今風の萌え絵で一見するとポップでカラフルである。しかし、外見のイメージに反してストーリーはダークでハードで、子供向けのアニメと言うよりも完全に大人の鑑賞を想定した作られたアニメだと思った。正直、映像とストーリーのギャップに翻弄される人も多いだろう。ただ、自分はこのギャップこそが、この作品の最大の魅力のように思う。ライトな絵とハードなドラマ。そこに今作の面白さを感じる。
物語はTV版の総集編という形で構成されている。第1話から丁寧になぞられているので、おそらく初見の人にも内容は理解できるだろう。その点で言えば、1本の独立した作品としても評価できる。
そして、一度TV版を見ている自分にとっては、今回の映画版は改めて色々と気付く点が多かった。
例えば、まどかとほむらのやり取り一つとってみても、後の展開を知っていると「なるほど、そういう意味だったのか」ということが分かり胸が熱くなってしまう。一度TVで見ているにも関わらず、こうした”含み”を持たせたセリフが至る所に散りばめられているので、見ていても決して退屈しない。おそらくTVシリーズの出発時点からシナリオは相当練られていたのだろう。
脚本は虚淵玄。元々ゲーム畑から出た才人で、彼の名前は以前から知っていた。しかし、ゲームをやらない自分にとってはせいぜい名前だけの人物で、実際に彼が関わった作品を見ることになったのは大分後になってからである。今回、この作品を見て改めて思ったのだが、彼は全体の構成をトータルで捉えることに長けている作家のように思った。
そもそもRPGにしろADVにしろ、ゲームのシナリオというのは最初にエンディングありきで作られる物のように思う。結末に向ってプレイヤーがどのように選択し、どのように戦っていくのか?そのルート作りを練り上げることで、全体のシナリオが完成される。例えば、ある場面で手に入れた武器が後の戦いに役立つ‥といった具合に、伏線と回収の繰り返しでストーリーは展開されていく。
そこでいくと、今回の物語もいかにもゲーム的である。つまり、まどかが魔法少女になる‥という結末に向って、彼女自身がどのように自らの未来を選択していくのか?そこを肉付けていくことでストーリーが展開されている。無論、そこには”ある展開”で見る者の予想を裏切るような”捻り”が施されているのだが、そうした”捻り”も含め、今作のシナリオは相当計算され尽くされた物だと感じた。
さて、メインのドラマは、まどかが魔法少女として覚醒するまでのドラマであるが、それは後編の方で主に語られることで、この前編ではその道程。つまり、まどかが「魔法少女とは何なのか?」という根本的な実態を知っていく所を中心にして描かれている。
この”魔法少女”の定義は本作では非常に重要な問題である。
日本のアニメーションには連綿と続く”魔法少女物”というジャンルがある。明るく希望に満ちた作風で視聴者の憧れになるような、そんな夢のあるドラマが作られてきた。しかし、今回はそれを逆手にとったような設定となっている。凶悪な魔物との危険な戦いに身を投じながら、その中で命を落すようなこともある。人々の賞賛も無い。誰も応援してくれない。辛く孤独な戦いが延々と続くという、まるで地獄のような運命を魔法少女は課せられるのだ。それまでの明るく希望に満ちたヒロインの姿はない。”不幸に満ちた存在”=”魔法少女”なのである。これは、ある意味でメタ的な、それまでの”魔法少女物”のアンチテーゼとも捉えられる。そこがこのドラマの斬新な所だと思う。
こうして、まどかは魔法少女の実態を目の当たりにして葛藤する。自分は魔法少女になってこの過酷な運命を背負えるのかどうか?とことん迷い尽くす。今回の前編はそこを中心にしたドラマとなっている。
その一方で、今作ではもう一つのドラマが用意されている。まどかの親友さやかのドラマである。彼女もまどかと一緒に魔法少女になるかどうかで葛藤するのだが、それは今作の後半を使ってじっくりと描かれている。しかして、その顛末は実に忍びなく、やるせない思いにさせられた。そして、このエピソードがあるからこそ、まどかの葛藤は更に深く掘り下げられることとなっている。このあたりの構成も実に上手く計算されている。
尚、さやかのエピソードには、もう一人の魔法少女・杏子も登場してくるのだが、こちらの運命も実に忍びない。さやかも杏子も根っこの部分では、”ある共通する物”を持っていながら、二人は対立していくようになる。これも通俗的な魔法少女物であるならば、確実に仲間になって一緒に戦う‥という風になっていただろう。しかし、今作はそうはならない。
映像に関してはTVからブラッシュアップされているということで、アクションシーンの迫力、スピード感が増しているような気がした。ただ、一部で雑な部分もあった。そこはTVと映画での見栄えの違いということになろうか‥。
また、魔女との戦闘は、得体の知れないシュールな生き物が画面を埋め尽くす摩訶不思議な空間で行われる。このあたりの画面設計を担当しているのは、「劇団イヌカレー」というユニットである。この独特の映像感性は、チェコのアニメ、例えばJ・シュヴァンクマイエルあたりの影響が強く感じられた。
ちなみに、自分は”魔法少女”とは、つまるところ皆の”アイドル”だと思っている。アイドルと魔法という組み合わせは実に相性がいい。現に、この二つを掛け合わせたアニメは、昔から延々と作り続けられている。
その観点からすると、この「魔法少女まどか☆マギカ」はアイドル奮闘物のドラマとして見ることも可能である。まどかとさやかがアイドル志望の少女で、マミとほむらが先輩アイドル、キュウべえは事務所のスカウトマン。ほむらは「向こうの世界とこっちの世界」とまどかに言うが、これは「芸能界」と「世間」という言葉に置き換えることも出来る。また、マミは「魔法少女は恋も出来ないし遊んだりも出来ない」と言っている。これもアイドルの鏡であれば鉄則事項だろう。
そんなわけで、自分にとって、この「魔法少女まどか☆マギカ」はバック・ステージ物の傑作
「スタア誕生」(1954米)よろしく、一人の平凡な少女がアイドルになっていくまでの傷だらけの物語‥という風に見れてしまうのである。