世界的大ヒットを驀進中の人気シリーズ最新作。
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」(2015米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 帝国軍の残党から誕生した悪の組織ファースト・オーダーと戦うレジスタンスのレイア将軍は、最後のジェダイであり、消えた兄ルークの行方を探していた。レジスタンスのパイロット・ポーは惑星ジャクーでルークの居場所が記された地図を受け取るが、ストームトルーパー隊の襲撃を受け、彼の忠実なドロイドBB-8にデータを託した。一方、ストームトルーパー隊のフィンは戦いに疑問を持ちファースト・オーダーを脱走して惑星ジャクーに降り立つ。彼はそこでBB-8とレイと運命的な出会いを果たす。
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(レビュー) 多くの映画ファンを魅了してやまないSF映画の金字塔「スター・ウォーズ」シリーズ。本作は全9作と言われているうちの第7章に当たる作品である。第3章である前作「スター・ウォーズ/シスの復讐」(2005米)以来10年ぶりの新作となる。
御多分に漏れず自分も本シリーズのファンである。映画の革新とまで言われた1作目「スター・ウォーズ」(1977米)から約40年。あの時の感動と興奮を味わった身としては 、今回の新シリーズには大きな期待を寄せるのは当然である。
尚、プリクエルと言われる前シリーズ(エピソードⅠ~Ⅲ)には落胆させられた口である。あのような結果にならないことを祈るばかりだったが、今回はシリーズの生みの親であるJ・ルーカスの手を離れて「スター・トレック」を見事にリ・イマジネーションしたJ・J・エブラムスがメガホンを取るということが予め分かっていたのでさほど心配はしていなかった。
かくして、見終わった感想としては、実に全うな正編になっていると思った。
ストーリーが旧シリーズから直結しており、画面、キャラクターの至る所に旧シリーズのオマージュが詰め込まれていて実にファンの心理を弁えている。旧シリーズを見ている人であれば、思わずニヤリとする場面がいくつもあるだろう。
一方で、今作から登場する新キャラも非常に魅力的で、ご新規さんにもとてもキャッチ―な映画になっていると思った。主役となるのは謎多き少女レイ、元ストームトルーパーのフィン。この二人である。夫々に個性的で、ストーリーを牽引するだけの魅力を十分に備えていると思った。
特に、レイの年相応の愛らしさ、運命の悪戯でフォースの力に目覚めていく不安と葛藤、凛とした佇まいが絶品だった。これは演じたデイジー・リドリーの造形によるところも大きいのだが、新しいスター・ウォーズの”顔”として申し分ない”お披露目”となっている。今後の成長が楽しみである。
フィンのユーモアを強調したキャラ立ても良かった。元々の「スター・ウォーズ」にはこうしたユーモアがたくさん盛り込まれていた。それを思い出させるキャラクターである。
一方、残念だったのは、ファースト・オーダーを率いる暗黒のフォースの使い手カイロ・レンである。いわゆるダースベイダーを模倣した造形で中々イイのだが、後半に行くにつれて小物感がハンパなく、正直クライマックス以降は完全にかませ犬のようになってしまった。はっきり言って、これほど魅力に乏しい敵役もなかろう。もしかしたら今後の展開次第では、そこも敢えて狙ってやっているのかもしれないが、少なくとも後半の彼のヘタレっぷりは残念極まりない。
ストーリーに関しては、この際色々と突っ込みを入れたくなる部分もあるのだが、何せここから2作製作されることが分かっているので、今ここでそこを批判してもしょうがないような気がする。伏線張りの可能性もあるし、本作単体で評価するのは難しい。
映像は実に素晴らしかった。プリクエルでは全編CGだらけで味気がなかったが、今回は極力ロケを敢行し、様々なメカも実物大のオブジェで撮影されている。CGは必要最小限に抑えられており好感が持てた。
また、「スター・ウォーズ」と言えば酒場のシーンである。第1作のカンティーナの酒場を彷彿とさせるシーンが本作にも登場してくる。このあたりも旧シリーズのファンにとっては嬉しい所である。尚、バックバンドがレゲエ調になっているのはご愛嬌(笑)。
とにもかくにも、シリーズ再始動した本作。再来年には第8部の公開が予定されている。今から楽しみである。
3人の男女が愛に翻弄される姿をシリアスに綴った群像ドラマ。
「恋人たち」(2015日)
ジャンルロマンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) アツシは3年前に最愛の妻を通り魔に殺された。深い喪失感を抱え、犯人への憎しみを抱えながら鬱屈した生活を送っている。平凡な主婦・瞳子はパートの仕事をしながら、愛のない夫と、ソリの合わない姑と3人暮らしを送っている。ある日、仕事先で出会った中年男に心惹かれていく。同性愛者のエリート弁護士・四ノ宮は、裁判の恨みをかって思わぬ怪我に見舞われてしまう。学生時代からの親友が見舞いに来てくれた。実は、四ノ宮は彼のことをずっと思い続けていた。
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(レビュー) 愛に翻弄される3人の男女をシリアスに綴った群像ロマンス。
監督・脚本は橋口亮輔。本作は
「ぐるりのこと。」(2008日)以来となる7年ぶりの長編作品である。寡作な作家ながら確かな演出力と鋭い人間観察眼が高く評価され、多くのファンから新作を待ち望まれている映画監督の一人である。
しかして、7年という長いブランクの後に作られた本作は、待ちに待ってた期待を大きく上回る出来となっていた。
まず、何と言ってもキャストが新鮮で素晴らしい。メインとなるアツシ、瞳子を演じるのは、橋口が開いたワークショップからオーディションで選出された新人俳優たちである。2人は橋口の前作「ゼンタイ」(2013日)というオムニバス作品にも出演していたということである(自分は未見)。四ノ宮を演じた俳優も劇団での演技経験はあるそうだが、経歴を見ればほぼ新人に近い。そんな”何の色にも染まっていない”彼らの熱演が、夫々のキャラクターに活き活きとした息吹を与えている。彼らの心中にすんなりと入ることが出来た。
一方で、橋口監督の演出も非常に堅実である。特に奇をてらうことをせず、端正にまとめ上げていると思った。基本的にはキャストの表情を正面から捉えながら感情の深部まで掘り下げようという、極めてリアル志向の強い演出を貫いている。時に息苦しいほどの臨場感を、人生のほろ苦さを、ときめきを鋭く描出している。唯一、極端なクローズアップ演出があったが、そこ以外はドキュメンタリータッチに沿った演出が施されている。
ストーリーも流麗に展開されていて感心させられた。今回は3人の男女の群像劇となっている。3つのエピソードは周縁で交錯することはあるが、基本的には夫々独立して展開される。普通であれば散漫になってもおかしくないが、今回は夫々のエピソードが「愛」というテーマで一つに結び付けられているので、全体的に”まとまり”感がある。
アツシは愛する者を奪われた喪の物語。瞳子は新しい愛を夢想する物語。四ノ宮は消えかけた愛を繋ぎとめようとする物語。彼らが追い求める物はいずれも「愛」だ。孤独の淵に佇む彼らが愛に翻弄される姿は正に人生の真実を捉えている。人は孤独である、それゆえ人を愛する。そのことを橋口監督は何の駆け引きも無しに真正面から捉えており、今作にかける氏の思いがビンビンと伝わってきた。
尚、橋口監督自身、自らゲイであることを公言している。そのことを併せ考えれば、四ノ宮のエピソードに個人的な思い入れが相当強く入っていることは想像に難くない。ここには同性愛に対する差別問題が登場し、氏の世間に対するシニシズムが見て取れる。
クライマックスはアツシ、瞳子、四ノ宮、三者の”告白”で大いに盛り上げられている。アツシは亡き妻の遺影に向って、瞳子は憧れの”王子様”に向って、四ノ宮は切れた携帯電話に向かって、夫々に愛する者に向って思いのたけを吐露する。その言葉は自分自身のこれまでの人生と向き合う行為であり、これからの人生宣言とも捉えられる。一つの決断を下して新しい人生を歩もうとする”決意”みたいなものが感じられた。これまでのドラマを集約するかのような彼らの心の叫びは、胸に迫るものがあった。
かくして三者三様、ラストはかすかな希望を灯して終わるのだが、エンディングでは自然と涙腺が緩んでしまった。主題歌も良い。
シリアスなドラマであることに違いはないが、随所にユーモアが配されているので、娯楽作としてもよく出来ていると思った。劇中で度々登場する『美女水』や、それで一儲けしようとする詐欺師の顛末、アツシの周辺人物の和気あいあいとした雰囲気は見ていて微笑ましかった。アツシを元気づけようとする女子社員のシーンも笑える。こうしたユーモアがあることで、これらの陰鬱なドラマは随分と救われている気がした。
また、アツシの困窮する生活事情に見られるように、本作は現代の格差社会を如実に反映しているように思った。先述した四ノ宮のエピソードにしてもそうだが、本作は非常に同時代的な作品と言っていいと思う。だからこそ、アツシ、瞳子、四ノ宮のことを身近の人間として感じられるのだろう。
本作で敢えて苦言を述べるとすれば、四ノ宮のラストであろうか。彼の涙は少々唐突に思えた。あの涙は未練の涙だったのか?はたまた過去との決別から来る涙だったのか?解釈に悩む所である。
それと、ラストに持って行くまでの作劇に少々甘さを覚えた。アツシは落ちる所まで落ち、地獄を見、過去を振り返るのではなく未来に向かって歩くことを決心した。しかし、彼をそのように変えた直接の”きっかけ”が見えてこない。あるとすれば彼と同じ会社の先輩との関係からそれを発見することができるが、しかし作劇的にはそれをクライマックスとの関わり合いで見せてはいない。世の中には落ちる所まで落ちてそのまま破滅してしまう人間もいる。このあたりは紙一重なわけだが、そういう観点からするとアツシの結末には少し安易さも覚えてしまう。もっとも、このロマンティズムに自分はまんまと涙させられてしまったわけだが‥。
独裁者の贖罪の旅を独特の眼差しで綴ったロードムービー。
「独裁者と小さな孫」(2014ジョージア仏独英)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ある架空の国で独裁政権が崩壊する。大統領は家族を国外へ避難させるが、幼い孫だけは駄々をこねて大統領のもとに残った。大統領は孫を抱えながら素性を隠して過酷な逃避行の旅に出る。
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(レビュー) 独裁者と孫の逃亡をスリリング且つユーモラスに綴ったロード・ムービー。
監督・共同脚本はM・マフマルバフ。政治的な問題で未だに亡命生活を送っているイラン出身の映画作家である。彼は若い頃に実際に独裁政権打倒の政治運動に参加していたことがある。今回の映画は、そのあたりの経験が如実に反映されているという。そういう意味では、彼の個人的な思い入れも相当強く入っているのだろう。
ただ、一方で昨今の中東情勢における混乱に対する氏の考えも映画の端々から伺える。単に個人的郷愁からだけ生まれた作品ではなく、現代社会を広く捉えた作品と言うことも出来る。
独裁者が倒されることで更に秩序が乱れ、結果として国の治安が崩壊するというのを繰り返しているのが現在の中東情勢である。何とも憂うべき問題だが、それを解決することは容易ではない。報復すればまた次の報復に繋がり、これが延々と繰り返されることになるからである。
この映画は、独裁者を弾劾しておしまいとするだけでなく、いかにしてこの負の連鎖を断ち切ること出来るか?そこを問うている。
例えば、独裁者がどんどん憐れな老人になっていくの対して、彼から酷い仕打ちを受けた民衆を血に飢えた復讐者のように描くクライマックス。民衆の一人がこう叫ぶ。「果たしてここで独裁者を処刑して何になる?それで何かが変わるのか?」
正に彼のこの言葉が本作のメッセージを表していよう。
確かに愛する者を奪われ虐げられてきた人々の憤りはよく分かる。劇中には目を背けたくなるような残酷なシーンが度々登場してくる。女性が兵士たちに無残にレイプされたり、子供を殺された親が兵士を詰ったり、それによって兵士が自害したり等々。
しかし、だからと言って、戦争の張本人である独裁者に復讐をしても何も始まらないのである。本当に大切なのは、彼のような独裁者をこれ以上増やさないこと。そして、二度と同じ過ちを繰り返さないこと。それが大事なのである。そして、そのためにはどうすればいいのか?この映画はそれを問うている。
マフマルバフが世界に投げかけたこのメッセージは非常に大きいように思う。観た人それぞれがきっと自問してしまうだろう。答えはそう容易に見つからない。しかし、考えることを止めてしまったら終わりである。一人一人がこの問いかけを胸に、一体どうすれば無益な戦争を止めることが出来るのか‥ということを考えなければならない。
劇中で唯一の救いとなるのは、独裁者と一緒に旅をする幼い孫の存在である。孫は幸せだった頃を思い出して度々ダンスをするのだが、それに合わせて独裁者はギターを奏でる。この絵図らは実に牧歌的で、過酷な逃亡生活に暫しの安らぎを与えてくれる。このように皆が平穏な気持ちでいることができれば、きっと世界も平和になるだろう‥。そんなふうに思えた。
おそらくこのダンスシーンは一つの”希望”の象徴として、マフマルバフ監督が最も重要視したシーンではないだろうか。特にラストのダンスが印象に残った。
映画は基本的にシリアスなトーンが横溢するが、こうしたユーモアが各所に散りばめられているので決して息苦しい映画とはなっていない。”かかし”のクダリにもクスリとさせられたし、検問を突破するシーンのやり取りもハラハラさせられると同時にどこかユーモラスに見れた。元々、マフマルバフはこうしたユーモラスな演出を得意とする作家なので、このあたりは実に堂に入っている。
また、独裁者に過度に感情移入させない作りもマフマルバフ監督らしいと思った。見る側に彼の逃亡を客観視させることで、件のクライマックスの弾劾の”意味”を観客夫々の問題として考えて欲しい‥と狙ったのだろう。普通であれば独裁者の独白を入れながら物語を進行させてもいいはずである。しかし、敢えて本作はそうしていない。
ただ、逆に言うと、この客観的な語り口がドラマを物足りなくしてしまっているのも確かである。特に、中盤がダレるのが気になった。独裁者のプライベートを描く娼婦との再会は、少々クド過ぎる上に、彼個人ドラマとしてはいささかパンチに欠ける。予め独裁者の内面に寄せた作りになっていればもっと興味深く見ることが出来ただろうが、どうもそのあたりのドラマ性が弱い。
また、どこかの架空の国という設定も、若干ドラマを空疎にしてしまっている感じがした。実名を挙げて描けなかったのか?あるいは、より普遍的な物語にしたかったのか?それは分からないが、今回の映画は決してリアリティのあるドラマとは言い難い。あくまで寓話として捉えるべきであろう。
戦車道にかける少女たちの戦いを描いた熱作!
「ガールズ&パンツァー 劇場版」(2015日)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション
(あらすじ) 華道や茶道と同じように、乙女のたしなみとして戦車を使った武道“戦車道”がある世界。西住みほ率いる大洗女子学園チームは、学校の存続を懸けた全国大会でみごと優勝を果たした。しかし、喜びも束の間、再び学校閉鎖が決定してしまう。落胆し散り散りになる生徒達。新しい高校に転入することになったみほはその手続きのために一旦故郷に帰省するのだが‥。
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(レビュー) 2012年に放映されたテレビアニメ「ガールズ&パンツァー」(通称ガルパン)。本作はテレビシリーズのその後を描いた完全新作劇場版である。
”戦車道”という破天荒な設定ありきの世界観なため、まずはそれを受け止めた上で鑑賞することが条件となる。そこに突っ込みを入れてしまってはこの作品はそこで終わってしまう。実弾を浴びてなぜ平気なのか?町を破壊しまくって何故平気なのか?そこに一々突っ込んでしまっていては先へ進めない。ここは設定を丸ごと呑み込んだうえで作品を楽しむべきである。まずは本編に入る前にこれまでのストーリーを振り返る解説が流れるので、一見さんはそこから入ってみて欲しい。
もっとも、こうした設定の特異さはあるものの、ここで描かれるみほたちの戦車道にかける思い、チーム内の友情といったドラマは極めて普遍的だと思う。彼女たちの戦いには多くの人が共感できるのではないだろうか。
自分はテレビシリーズは一通り観た上での鑑賞だった。尚、テレビシリーズの後にOVAが1本製作されており、そちらも観た上での鑑賞である。
はっきり言うと、話の方はテレビ版の焼き直しである。閉校を免れた大洗学園に再び閉校の危機が迫り、それを免れるためにみほたちは戦うことになる。非常にストレートな内容である。
脚本を務めた吉田玲子はテレビ版のシリーズ構成も担当しており、かの「けいおん!」のシリーズ構成作家でもある。いわゆる、女子たちのゆる~い日常を描いた”日常系”アニメの先駆けを作った張本人で、そのあたりのテイストは今回の「ガルパン」にも共通している。みほと周囲のやり取りは実に和気あいあいとしたものである。また、「けいおん!」もそうだったが、女子高生×バンドというミスマッチで視聴者の目を引きつつ、最終的には割とベタな青春談でまとめ上げるというのも同じである。今回はバンドではなく戦車。そして、最終的にはスポーツ・マンガのような爽やかさで大団円を迎える。
しかし、本作は戦闘シーンが全体の7~8割を占めているので、脚本として見せる部分はかなり少ない。一応、みほと姉の関係、今回の対戦相手との関係などが立てられてはいるが、いかんせんアクションシーンに重心が置かれており、それらを膨らませるまでには至っていない。したがって、画面上では派手なドンパチが繰り広げられていても、ドラマチックさが不足気味という感じがした。
逆に言うと、変にドラマ性を重視せずアクションに特化した作りは潔いとも言える。
実際、後半の戦闘シーンは質・量ともにかなりハイレベルである。分かる人には分かる小ネタもふんだんに盛り込まれており、実に細かく作画されていて感心させられた。戦闘シーンのアイディアも秀逸なものが多く、これだけの質と量を見せられると頭を垂れるしかない。
ただ、画面の情報量が多いため一部で混乱させられる場面もあった。テレビシリーズの熱烈なファンにとってはさほど苦にならないかもしれないが、自分も大分前に見たきりなのでかなり忘れている部分が多い。大勢のキャラクターと戦車が登場してくるので、整理が追い付かない場面が幾つかあった。
また、今回の劇場版には新キャラも登場してくるが、どう見てもシナリオ上、そちらまで手が回らなかったというのがありありと見て取れる。益々情報量がかさんでしまった上に、新キャラの魅力も伝えられないまま終わってしまい、映画そのものとしての作りはかなり歪になってしまっている。多くのファンを持つ作品なので、全てのキャラクターを惜しみなく出そうという意図は理解できるのだが、このあたりは賛否あろう。
尚、今回は立川のCINEMA・TWOでの鑑賞だった。この劇場には重低音のサブウーファーが設置されており、今回のようなアクション映画を見るにはうってつけの映画館のように思う。本作は戦車の走行音や発砲音、音響に関してかなりのこだわりを持って作られた作品である。今回はその迫力を肌で感じることが出来た。
かの「食人族」を現代に甦えらせた作品。
「グリーン・インフェルノ」(2013米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 女子大生のジャスティンは、環境活動家グループのリーダー、アレハンドロに好意を抱き、彼らが南米ペルーで行う抗議活動に参加する。その活動は全世界にアピールされ、彼らの目的は見事に達成された。しかし、その帰途で彼らを乗せたセスナ機がジャングルの真っ只中に墜落してしまう。そこはヤハ族の集落だった。ジャスティンたちは恐怖の体験をしていく。
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(レビュー) 大学生のグループが食人族の餌食になっていくホラー映画。
ヤハ族の蛮行に批判が集まり、本国アメリカでは公開が延期されたという曰くつきの作品である。日本でも公開を待ちわびていたファンが多かったと思う。
実際に見てみると、目くじら立てて怒るほどではないように思った。第一フィクションにまでケチをつけてどうしようというのだろう?あくまで映画の中の世界である。しかも、ヤハ族を演じた原住民は、決して嫌々撮影に参加したわけではなく、結構楽しんで演技していたというではないか。実に困ったものである。
さて、日本では80年代に「食人族」(1981伊)という映画が公開され大ヒットを記録した。いわゆるモンド映画ブームの終焉に作られた作品であり、センセーショナルなキャッチコピーとCMで大きな話題となった。
本作はその再来である。劇中に登場する数々のゴア描写は苦手な人にはきついだろう。逆に、この手のホラー映画を見慣れている人にとっては、案外生温く映るかもしれない。
ストーリーは一本調子でシンプルであるが、中々良くまとまっていると思った。登場人物たちの裏切り、衝突、結束といったパワーゲームが盛り込まれているので最後まで飽きなく見れた。
ジャスティンは国連弁護士を父に持つお嬢様で、そのキャラクターがドラマの起点となる。言わば、我々観客の目線だ。彼女はアレハンドロに憧れて今回の活動に参加する。そのグループには様々な人間がいて、ジャスティンに淡い恋心を抱く黒人青年や、狡猾な罠でジャスティンを貶めるアレハンドロの恋人、レズビアンのカップル、お調子者のマリファナ野郎といった一癖も二癖もある連中が揃っている。このあたりの群像劇が面白い。
また、文明による自然破壊がいかに愚かしいことか‥というメッセージも上手くストーリーの中に盛り込まれていると思った。皮肉的なオチが効いている。
ただ、ヤハ族に捕われた彼らが脱出を試みるサスペンスで幾つか突っ込みたくなるような場面があったのも事実で、この辺りはもっと丁寧に作って欲しかった。
監督・共同製作・共同脚本は
「ホステル」(2001米)などで一部のホラー・ファンから熱狂的な支持を受けるイーライ・ロス。露悪的な残酷描写は今回も健在で、かの「食人族」にオマージュを捧げるべく本作を撮ったというのは合点がいく。彼が追求するのは、いわゆる見世物映画なのだろう。それは「ホステル」の時から一貫していると思った。
キャストは、ロス監督の妻がジャスティン役を熱演している。他のキャストも極限下における混乱ぶりを見事に体現していて見事だった。
尚、クレジットが始まって早々に退席してしまった人がいたが、この手のホラーは最後に必ずサプライズを用意しているものである。クレジットが始まったからと言ってすぐに席を立たない方が賢明である。
現代に生きる吸血鬼の話‥なのだが。
ポニーキャニオン (2013-03-20)
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「ヴァンパイア」(2011日)
ジャンルロマンス・ジャンルサスペンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 高校教師サイモンはアルツハイマーの母親と暮らしている孤独な青年である。実は彼は吸血鬼だった。彼は自殺サイトで自殺志願者を見つけては、一緒に自殺するふりをして相手の血液を抜き取ってそれを飲んでいた。ある日、サイトのオフ会で集まったメンバーの一人に自分の正体がばれてしまう。彼も吸血鬼には興味津々で、2人は夜の街に繰り出して女性を殺害してしまう。
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(レビュー) 現代に生きる吸血鬼の孤独と苦悩をリリカルに綴ったファンタジー・ロマンス。
製作・監督・脚本・撮影・編集・音楽は岩井俊二。全編カナダでロケが行われた英語劇である。彼は以前、ニューヨークを舞台にしたオムニバス作品
「ニューヨーク、アイラブユー」(2008米仏)の1編も監督しており、日本に留まらず広い視野を持って海外でも意欲的に活動している数少ない国際的な監督の内の一人である。その映像製作にかける意気込みは高く評価したい。
しかしながら、その意欲は認められるものの、今回の作品に関してはとても成功しているように思えなかった。これまでの作品に比べて決してクオリティが低いというわけではない。しかし、ストーリーが退屈してしまう。
岩井特有の映像の透明感はカナダという独特の風土によって影を潜めているが、リリカルさ、浮遊感は健在で”らしさ”を見せいている。また、残酷な映像と優美なピアノの調べを掛け合わせたセンスも、岩井俊二らしい独特の美醜感を匂わせていて良い。現地の俳優を起用したのも上手く成功しているように思った。
だが、いかんせん今回はストーリーがリアリティに乏しく、冗漫な展開が序盤から続くため今一つのめり込むまでに至らない。
例えば、自分の指紋や事件の証拠品をみすみす置き去りにするサイモンの愚行は、映画を見ていて一々気になる所であった。一体、警察は何をやっているのだろうか?
また、冒頭の15分にも及ぶ車中の会話は、確かに最初はミステリアスで引き込まれたが、10分も過ぎる頃には流石に苦痛になり、早く次に進んでほしいと思うようになってしまった。ストーリーを水っぽくしているだけである。
また、あのタクシーの運転手はその後どうなったのだろうか?当然、彼の口から一連の事件に関する情報が世間に広まっておかしくないはずである。
あるいは、サイモンの抑えきれぬ欲望を口で語らせてしまった演出も安易である。
クライマックスのカットバックも時間経過的な観点からすると不自然に思えた。
こうした数々の不満が映画全体の印象を悪くしてしまっている。
本作で唯一面白いと思ったのは風船の使い方だった。このアイディはユーモアに溢れていて秀逸だと思った。
また、ヒロインが登場して以降の展開はドラマ性がグンと増していくので徐々に入り込むことが出来る。しかし、このヒロインが登場するのが中盤以降というのが残念である。もっと序盤に出していれば‥と思うと、返す返すも前半の水増しな展開が惜しまれる。
尚、キャストの中ではただ一人、日本人俳優として蒼井優が参加している。出番こそそれほど多くはないが、後半のキーマンの一人となっていく。
「花とアリス」の前日談。
ポニーキャニオン (2015-08-12)
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「花とアリス殺人事件」(2015日)
ジャンルアニメ・ジャンル青春ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 中学生の有栖川徹子(通称アリス)が両親の離婚を機に新しい中学校に転校する。彼女はそこである噂を耳にする。それは、自分が座っている席だったユダが4人のユダに殺された‥というなんとも謎めいた事件だった。アリスの家の隣には引きこもりの同級生ハナがいた。彼女が事件についてよく知っていると聞いたアリスは、早速ハナの家を訪ねるのだが…。
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(レビュー) 2004年に製作された岩井俊二監督の青春ロマンス映画「花とアリス」(2004日)の前日談として描かれたロトスコープによるアニメーション作品。
岩井監督にとってはこれが初の長編アニメ作品となる。ちなみに、本作の直前に短編アニメのオムニバス作品も製作している。そちらもロトスコープが採用されていた。今にして思えば、あれが本作の試金石だったのだろう。まずは短編に挑戦してそれから本格的な長編を作る‥という考えが本人の中にあったのかもしれない。
いずれにせよ、岩井俊二監督がアニメを作るというのは少々意外だったが、作家として常に新しい分野に挑戦するという姿勢は良いことだと思う。彼は日本を離れて海外で活動したり、WEBで自作のオリジナル作品を公開したり、常に何か新しい試みをし続けている。こうした姿勢は他の映像作家たちにもぜひ見習ってほしい。
作品の全体的なトーンは、これまでの岩井俊二のカラー、そのままに反映されていると思った。実写であろうがアニメであろうが、この辺りは変わりはない。いわゆる透明感に溢れた映像、フォトジェニックな映像感性が実写では再現不可能なアニメならではの表現によって、更に推し進められている印象を持った。
また、本作はロトスコープ作品である。ロトスコープとは実写で撮影した上から絵をトレースして描くことで、アニメの動きがよりリアルに再現されるという特徴がある。そして、その一方で本作のキャラクターは元となる実写映像に捕われることなく実に表情豊かで、一部ではマンガチックで過度な表現すら出てくる。
本来であれば別の映像表現媒体である実写とアニメが、この「花とアリス殺人事件」では奇妙な形で融合し、それが作品全体の面白さに繋がっていると思った。
但し、ロトスコープを採用したアニメーションと言えば、先にテレビ放送された「惡の華」(2013日)という作品がある。アニメーションの技術としては「惡の華」の方が先鋭的であるし、また動きのリアルさや画面のクオリティという点でも今回の映像は見劣りしてしまう。聞けばこの「花とアリス殺人事件」は作画スタッフを公募していたらしく、いわゆる作画監修もプロの制作スタジオが行うのではなく、個々のスタッフにそれぞれ絵を描かせていたのだろう。シーンによって絵のタッチが異なる箇所があるのはそのためだと思う。全体的に作画に安定感がないのは残念だった。
物語の方は、序盤はミステリアスに進行して中々面白く追いかけることが出来た。しかし、中盤から少し中だるみしてしまう。アリスがユダの父親を尾行するエピソードが、事件その物に余り関係してこないのが原因である。これはサスペンスとして大きなマイナス点である。
後半からユダの父の存在など、どうでもよくなってきて、徐々に花とアリスの友情ドラマになっていく。結局ユダの殺人事件には、過去の因縁が絡んでいた‥というオチで、何だか肩透かしを食らった気分になってしまった。
正直、サスペンスとして見た場合、物語自体は余り面白くない。
ただ、おそらく岩井監督の中では、殺人事件そのものはドラマの取っ掛かりに過ぎず、本当に描きたかったのは後半から始まる花とアリスの友情ドラマ、それ自体だったのだろう。
実際、後半の二人の深夜のデート(?)などは非常に面白く見れて、こうやって「花とアリス」のドラマに繋がっていくのか‥と思うと、何だか感慨深く見ることが出来た。
キャストは「花とアリス」に出演していた、アリス役の蒼井優と花役の鈴木杏がそのまま声を当てている。どちらも好演していると思った。他のキャストもそのまま引き継がれている。
尚、途中でダレてしまったというユダの父親の尾行シーンは、黒澤明監督の名作
「生きる」(1952日)のオマージュだと思う。喫茶店で誕生日会をバックに会話をしたり、公園でブランコに乗ったり、「生きる」に出てきた一場面を彷彿とさせる。そうやって考えてみると、あの初老の男性の老い先は短いのかもしれない。
少女の成長をファンタジックに綴ったジブリアニメ。
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 (2015-03-18)
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「思い出のマーニー」(2014日)
ジャンルアニメ・ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 北海道の札幌に暮らす中学1年生の杏奈。辛い生い立ちから心を閉ざし、孤独な日々を送っていたある日、持病の喘息が悪化し、転地療養のために海辺の村でひと夏を過ごすことになった。そこで杏奈は入江に建つ誰も住んでいない古い屋敷を見つける。安奈は何故かそれに惹かれた。そして、その屋敷は杏奈の夢にも現われるようになり、そこには金髪の少女の姿があった。ある晩、その屋敷へ行くと夢で見た金髪の少女が現われる。安奈はその少女マーニーと友情を育んでいくのだが…。
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(レビュー) 心を閉ざした少女の成長をファンタジックに描いたジブリ製作のアニメーション。
監督は
「借りぐらしのアリエッティ」(2010日)で長編デビューを飾った米林宏昌 。
彼はこれまでのジブリ・アニメの作画陣を支えてきた功労者である。そういう意味では、宮崎駿の後継者的な位置づけとして期待されている若手監督の一人と言われている。
実際、映像を見るとこれまでの宮崎作品と比べて何ら遜色ないレベルである。小さなドラマなので決して派手なシーンはないが、日常描写における細かな動きが丁寧に作られている。
例えば、安奈が近所の女の子の悪口を言ったせいで、彼女の母親が怒鳴り込んでくるシーンがある。ここで彼女は帰り際に足を突っ掛けてよろける。何の変哲もない動きだが、観客らしてみれば「ざまぁみろ‥」と少し思ってしまいたくなる。
今作はこうした細かな目くばせが随所に効いており感心させられた。
尚、宮崎駿と高畑勲が事実上引退宣言をしており、現状これが最後のジブリ製作の長編アニメとなっている。今後作られるかどうか分からないが、ブランド自体はまだ存在しているので、いずれは誰かが引き継いで復活させてほしいものである。何しろ世界に通用する日本アニメの数少ないブランドなのであるから、この灯は絶やさないでほしい。
ストーリーも前作「借りぐらしのアリエッティ」よりも、上手くまとまっていると思った。両作品とも原作があり、自分はどちらも未読であるが、少なくとも今回はドラマとして整然とまとまっている。中途半端だった前作よりもテーマが全体に浸透しているため入り込みやすい。また、マーニーの正体を追いかけるミステリーも上手く構成されていた。ラストも予定調和的ではあるが得心した。
もう一つ、美術の素晴らしさも必見である。相変わらず素晴らしい映像世界を堪能させてくれるジブリ作品であるが、今回も世界観の構築に手抜かりがない。
例えば、マーニーが住む屋敷の幻想的な景観は鳥肌物で、この美術設定だけでも本ドラマは成功していると言っても過言ではない。この屋敷は安奈が住む家の近くの入り江にあり、夜になると潮が満ちて外界との往来が出来なくなってしまう。昼と夜の世界を分け隔てる特殊な空間になっていて、ある意味でアンナという少女の成長、つまり子供(こっちの世界)から大人(あっちの世界)への成長を象徴するような舞台装置になっている。
個人的にはR・ポランスキー監督の
「袋小路」(1965英)という映画を思い出した。あれも物語の舞台となるのは、夜になると潮が満ちて陸の孤島となる古城だった。そこに住む孤独な夫婦と強盗殺人犯の関係を、息詰まるタッチと適度なブラック・ユーモアで描いた傑作である。
今作のマーニーも孤独に黄昏る少女である。人間は元来、孤独である‥という真理を提示する舞台として実に印象的である。
このぬるま湯にいつまでも浸かっていたい…。
キングレコード (2014-06-25)
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「もらとりあむタマ子」(2013日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 東京の大学を卒業したものの就職もせず、父・善次が一人で暮らす甲府の実家へ戻ってきたタマ子。家業のスポーツ用品店を手伝うでもなく、ただ漫然と暇を持て余していたある日。雑誌のオーディションに目が留まる。タマ子は密かにそれに応募するのだが‥。
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(レビュー) モラトリアムな少女の日常を綴った青春映画。
「苦役列車」(2012日)の山下敦弘監督と前田敦子が再びタッグを組んで製作した80分弱の小品である。
不景気による就職難の昨今、このモラトリアムな青春劇は非常に同時代的な物として映った。その一方で、父娘の関係変遷のドラマにはしみじみとした味わいがあり、一定の普遍性も感じられた。小品と言えど中々侮れない作品である。
ちなみに、終盤でタマ子が父に向って言う「合格」には声を出して笑ってしまった。ある意味で、このセリフは凄い”オチ”とも言える。何を持って「合格」なのかは、ぜひ映画を見て確かめてもらいたい。
今作はセリフが極端に少なく、父娘の会話も余り無い。なのに2人の愛情が素直にこちら側に伝わってくるのは、少ないセリフの中にも互いを思いやる気持ちがさりげなく投影されているからであろう。また、リアルなセリフの数々が絶妙で、そういう意味では脚本がかなり秀逸だと思った。
唯一、後半のアクセサリー教室の場面で珍しくタマ子が喋りまくるシーンがある。ここだけはセリフが非常に多い。それだけに印象に残るのだが、同時にここからタマ子の父親観が伺えて面白い。当人とは面と向かって言えないことを赤の他人に対しては言える‥というのはよくあることで、タマ子の父に対する愛情がよく伝わってきた。
本作にはタマ子と父の関係の他にもう一つの人間関係が登場してくる。それはタマ子と近所に住む中学生男子との関係である。男子は完全にタマ子の舎弟扱いで、色々とパシリをやらされる。しかし、何だかんだと言って彼女のために尽力するのだから、彼も相当人が良い。ガールフレンドにタマ子を指して「友達いないんだ」と言うシーンには、同情心とはまた違った、そこはかとない優しさが感じられた。この関係も微笑ましく見ることが出来た。
このようにタマ子は周囲から温かく包み込まれながら、ひたすら自堕落な生活を送っている。確かにこれはタイトルが示すように”モラトリアム”な暮らしと言えよう。そして、そんな自堕落な生活を見た観客の多くは、彼女に憧れを抱いてしまうのではないだろうか…。
忙しい日々から解放されたい。責任や重圧から逃れたい。あくせく働く現代人にとって、働きもせずダラダラとマンガを読んだりテレビを見たりしながら過ごすタマ子のような暮らしは正に天国のようである。
そう考えると、ここで描かれる彼女のライフスタイルは、現代の仕事人間に対するアンチテーゼとも捉えられる。そう意味では、本作にはある種の風刺も見て取れる。
脚本は向井康介。彼は山下作品の常連ライターであり、2人は過去に「ばかのハコ船」(2003日)というインディペンデント映画を撮っている。この映画は今作のタマ子同様、ニートな主人公が明日の見えない閉塞的な暮らしの中でもがき苦しむというドラマだった。そういう意味では、本作との共通点が色々と見つかる。
また、同じコンビで製作された
「松ヶ根乱射事件」(2006日)という作品がある。これも主人公の双子の兄弟のうち、片方がニートの引きこもりという設定だった。
このように山下&向井コンビは、これまで度々ダメ人間を主人公にした作品を撮っている。おそらくだが、二人の中でこのモチーフはずっと頭の中にあり、今回はそれをアイドル女優・前田敦子で撮ってみよう‥という計画があったのではないかと思う。また、これまでの主人公は男だったが、今回は女性を主人公に据えてみようという戦略もあったのかもしれない。
そして、その期待に応えた前田敦子の存在を語らずして本作は語れない。彼女のナチュラルな演技はオフビートな山下節との相性も良く、それは冒頭の食事シーンからしてよく分かる。この時の女子らしからぬ雑然とした食べっぷりから、前田は完全にタマ子というキャラを確立させてしまっている。しかも、一番最初のセリフが、テレビのニュース番組を見て吐く「ダメだ、日本」というセリフである。画面を見ながら「ダメなのはお前だ」と思わず突っ込みを入れてしまったが、その後に父親が全く同じセリフを言ったので笑ってしまった。
更には、理髪店で思うような髪型にならなかった時に見せる微妙な表情。これも絶品だった。失敗したなぁ~という心の声が聞こえてきそうである。
あるいは、地元の旧友が駅のホームで泣いているのを偶然見かけるシーン。ここでの前田の抑制された演技も素晴らしかった。おそらく山下監督の演出も効いているのだと思うが、何とも言えぬ寂寥感がこみ上げきた。それは離れていく旧友に対する寂寥ではなく、自分も今のぬるま湯のような暮らしから離れる時がくるのだろうか‥という不安から来る寂寥である。ここも非常に良いシーンだった。
尚、本作は前田敦子とアクセサリーの先生役の富田靖子を除いては、それほど有名な俳優は出てこない。したがって、キャストに対する先入観がないまま物語を追いかけることが出来た。本作は決してメジャー大作ではないが、こういうタイプの映画というのも最近では珍しいのではないだろうか?
今回は父親役の俳優が良い意味で期待を超える演技を見せていた。あとで調べて分かったが、彼はこれまでにも山下作品には度々出演していたようである。失礼ながらこれまでの印象は全くなかった。それが今回は前田敦子との共演という事で準主役である。とつとつとした話し方に、いかにも不器用な性格が表れていて良い味を出していた。
アウトロー然としたブロンソンの演技が作品に説得力をもたらしている。
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「ストリートファイター」(1973米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 1930年代のニューオリンズ。流れ者チェイニーは、うらびれた倉庫で行われている闇の賭け喧嘩試合(ストリートファイト)の存在を知る。彼はマネージャーのスピードに自らを売り込み、ストリートファイト界で次々と対戦相手を倒して有名になって行く。やがて、2人はナンバー1ファイターのジムとマネージャーのギャンディルに勝負を申し込む。死闘の末、ジムを倒した2人は大金を手にし勝利の美酒に酔いしれた。ところが、スピードは根っからの博打狂で、その稼ぎを全部賭けですってしまう。
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(レビュー) 賭け喧嘩の世界でのし上がっていく男たちの友情を熱く活写したバイオレンス作品。
監督・共同脚本はアクション映画界の名匠W・ヒル。主演は「う~ん…マンダム」でお馴染みのC・ブロンソン。男臭いキャラクターを売りにした二人がタッグを組んだのが、この「ストリートファイター」という作品である。別に格闘ゲームの映画ではない。
物語は実にストレートにまとめられている。予想通りの展開を見せ、少々食い足りない部分もあるが、男の”意気”をここまでケレンミタップリに見せられると、正直参りましたと言うほかない。凝縮されたドラマは説得力十分で、何よりブロンソンのフェロモンムンムンな喧嘩ファイトが作品の根底をしっかり支えている。
賭け喧嘩は、薄汚れた倉庫、あるいは貨物船の甲板等、人気のないうらびれた場所で行われる。1930年代という時代背景が上手く効いていて、現代ならすぐに見つかって警察に捕まってしまうだろう。そういう意味では、まずこの時代設定が中々上手いと思った。
そこで行われる賭け喧嘩は正にルール無用、名だたる荒くれ者たちが拳で殴り合う非情の世界である。
正直、ブロンソンは他のファイターたちと比べると体力的にも年齢的にも見劣りしてしまう。どう見ても勝ち目がなさそうなのだが、そんな彼が巨漢を次々となぎ倒していくあたりがいかにも映画的で、その様子は正に”痛快”の一言である。
また、寡黙で冷静、女よりも金が大事というストイックさが凛々しく、正に男の生き様ここにあり!的な頼もしさが感じられた。
逆に悪く言えば、昔気質な男根主義の象徴とも言えるかもしれない。しかし、ブロンソンが演じれば、それすらも嫌味に写らない。自分はヒーローに憧れる少年のような目線で彼の活躍を見ることが出来た。
チェイニーの相棒兼マネージャーとなるのがJ・コバーン演じるスピードである。こちらは女と金にだらしない日和見な男で、一言で言ってしまえば典型的なチンピラである。これをコバーンは実に飄々と演じている。ブロンソンとの対比も面白く、こちらも好演していると思った。
物語はこの二人の友情を軸に据えながら展開されていく。ちなみに、途中から彼らの他に医師免許を持ったカウンセラーが登場してきて、二人のコンビに加わるようになる。こちらも中々良いキャラをしていた。
やがて、彼らは業界を牛耳る宿敵ギャンディルの恨みを買い、窮地に追い込まれてしまう。映画の後半は、この窮地をどうやって切り抜けていくのか‥?そこを中心に描かれていくようになる。
しかして、クライマックスは実にアツい展開が待ち受けていて感動的だった。正に男の友情とはかくありなん!というような、ある種「走れメロス」的なカタルシスによって堂々と締めくくられている。
また、このクライマックスに登場する”敵役”も中々の造形をしていて、ヒールらしからぬ清々しさに好感が持てた。正々堂々とした立ち振る舞いが心憎い。
このクライマックスの手前、チェイニーが恋人の元を訪れるシーンも味わい深かった。実は、恋人とは言っても、彼女は本当に彼の恋人だったかどうかは分からない。流れ者のチェイニーにとっては、単なる遊びだったかもしれない。映画は二人の関係を敢えて伏せており、それがかえってこのシーンを味わい深いものとしている。セリフではっきりと語らない絶妙な二人のやり取りから、色々な事を想像してしまいたくなった。
ラストも実に洒落た終わり方になっている。実は、この映画にはチェイニーの素性は、全くと言っていいほど出てこない。彼がどこから来てどこへ行くのか?家族はいるのか?過去にどんな仕事をしていたのか?そういった全ての情報が不明なのである。このキャラクターの不鮮明さが、ラストの味わい深さに繋がっているように思う。
つまり、さすらう男のダンディズムとでも言おうか…。謎は永遠に謎のまま…というロマンチックな神秘性が加味されることで、チェイニーというキャラクターが妙に愛おしく感じられてしまうのだ。この余韻がたまらない。
W・ヒルの演出は割とアッサリとしている時もあるのだが、今回はジックリと腰を据えて演出しているように思った。喧嘩シーンはもちろんお手の物で、このあたりの捌き方もよく弁えている。
但し、あれだけ激しく殴り合っているのに顔にアザが一つもできないというのは、いただけなかった。もちろん本作は、ブロンソンという俳優を前面に出したスター映画的な側面を持つ作品ではある。しかし、リアリティを追求するのであれば特殊メイクなどを駆使して、このあたりは上手く作り込んで欲しかった。これではせっかくの迫力のアクション・シーンも台無しである。