生と死の狭間で旅をする老人の話。少しファンタジックな所が面白い。
カルチュア・パブリッシャーズ (2002-05-15)
売り上げランキング: 91,081
「化石 ディレクターズカット版」(1975日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 建設会社の社長・一鬼は社用を兼ねたヨーロッパ旅行に出かけ、そこでマルセラン夫人という美女に出会う。一目で恋に落ちるが、そんな彼に非情な運命が‥。医者から余命1年の癌を宣告されてしまう。気落ちした一鬼を岸夫婦が観光に連れ立った。そこに、あのマルセンラン夫人も同行することになるのだが‥。
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(レビュー) 余命わずかな初老の男が、一人の女性と出会うことで自己の死と向き合っていく人間ドラマ。
井上靖の同名小説を名匠・小林正樹が映像化した作品である。
尚、本作は元々はテレビシリーズとして放映された作品で、それを再編集して劇場用映画として公開された。自分はテレビ版を見てないので、映画版がどう編集されているのか分からないが、この内容でこの長尺はかなり水っぽいと感じた。劇場公開版は200分。これだけでも十分長いのに、今回鑑賞したディレクターズカット版は更にそれよりも17分長いらしい。公開後に最初に繋いだヴァージョンが見つかったらしいのだが、只でさえ長尺なのに更に長くしてしまってどうしようというのか‥?余計冗漫になるだけである。
今回のドラマは言ってしまえば、今わの際の悔恨ドラマである。仕事一筋だった男が、家族や友人、自分のこれまでの人生を振り返り、幸せを見つけられず、結果、死を決意するというドラマで、さして内容が濃密と言うわけではない。これなら同じ題材を扱ったI・ベルイマン監督の
「野いちご」(1957スウェーデン)の方が時間も短いし、ドラマも濃密である。
また、本作にはナレーションが度々流れるが、これも決して効果的とは思えなかった。加藤剛が担当しているのだが、一鬼の心情をすべからく語ってしまうので情緒もへったくれもない。余白のない小説を読まされてるみたいでまったく味気なく、これならかえって入れない方が良かったのではないかと思えてくる。
ただ、死に面した男の悔恨のドラマというよくあるドラマに、少し変わったギミックが施されているのは面白いと思った。
一鬼は欧州旅行でマルセラン夫人に出会い心奪われる。その後、彼女とそっくりの喪服を着た女性と出会う。これを岸恵子が一人二役でミステリアスに演じているのだが、マルセンラン夫人を「生」の象徴とすれば、喪服の女は「死」を象徴する者。つまり死神を表しており、この対比が一鬼の死生観を表出させていくようになる。ドラマ自体は非常に現実的な物であるが、そこにこうしたファンタジックな要素を入れた所が面白い。喪服の女が登場以降、一風変わった人間ドラマとして少しづつ面白く見れるようになった。
キャスト陣では先述した岸恵子に加え、一鬼を演じた佐分利信も印象に残った。疲弊しきった姿。会社の世話役である部下に対する厳格な態度。老練な演技にして実にリアルな役作りをこなしており、もはや貫録と言った感じである。ほぼ全編彼の独壇場の演技が拝めると言う意味では、彼の代表作の1本と言っていいのではないだろうか。氏のファンであれば必見といえよう。
また、本作は観光映画としての楽しみ方も出来る。映画は二部構成になっていて、前半はヨーロッパ編、後半は日本編となっている。特に、前半の舞台となる欧州の美しい街並み、大自然のロケーションは大きな見所である。丘の上から一望するブルゴーニュ平原の景観は筆舌に尽くしがたいほど勇壮さで、これだけでもヨーロッパロケの醍醐味が味わえた。
軽妙な官能ロマンス。
角川書店 (2012-10-26)
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「卍(まんじ)」(1964日)
ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 美術学校に通う人妻・園子は光子という女性と出会い、その美貌に心を奪われる。園子は彼女を自宅へ招き入れ、夫の留守中に関係を持った。それから2人は度々逢瀬を重ねるようになる。ところが、光子には綿貫という情夫がいた。園子は彼に”ある誓約書”を書かされるのだが‥。
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(レビュー) 小悪魔な魅力で周囲を虜にしていく光子。そんな彼女に心奪われながら翻弄される人妻・園子。二人の女の愛憎を耽美的なタッチで描いたメロドラマである。
原作は谷崎潤一郎の同名小説。それを増村保造が監督、新藤兼人が脚本した作品である。
いわゆる三角関係を描いたドラマであるが、増村の軽妙且つスタイリッシュな演出のおかげで、どこか屈託なく見れる作品に仕上がっている。深刻に描けば、さぞかしドロドロした愛憎ドラマになったであろうが、今作は割とライトに見れる。
特に、終盤における光子、園子、園子の夫の関係に着目すると、もはや喜劇としか思えないようなバカバカしくも愚かし人間の本性が垣間見えて面白い。
光子&園子というカップルの視座から一転。光子の”化けの皮”が剥がれることによって、園子&夫の視座に切り替わり、彼らは”覚醒”した光子の捕縛者と成り果てる。光子のしたたかさは、もはや完全にファム・ファタールの極みと言わんばかりで、彼女に手名付けられてしまう二人の滑稽さが笑いを誘う。三者の関係がひっくり返ってしまう終盤は意外性に満ちていて面白く見れた。
ラストも印象的だった。実に人を食った終わり方である。
但し、この終盤の展開は若干性急に写ったのも事実で、例えば光子と綿貫の関係が一体どんな風に終焉したのか?そのあたりをもう少し詳しく見せて欲しかった。園子たちの知らない所で破局してしまうのだが、どういった事情があって二人は別れてしまったのか?その理由が見てて気になってしまった。
キャストでは光子役を演じた若尾文子の艶っぽい演技が堂に入っていた。増村監督とのコンビ作は多く、若尾はまさに彼にとってのミューズだったわけであるが、本作ほど彼女の小悪魔的魅力を前面に出した作品というのもないだろう。彼女が喋る京都弁も柔和な感じで色っぽくて良かった。
また、綿貫を演じた川津祐介の軽妙な演技も良かった。彼がここまで軽薄な男を演じるというのも珍しかろう。
尚、光子役の若尾と園子役の岸田今日子のラブシーンは、実にセクシーに撮られているが、ヌード・シーンは、当然吹き替えである。無論吹き替えだと分からぬように上手く撮ってあるのだが、その事実を知ってしまうと少し残念な思いになってしまう。
三者三様。個性的な作風で魅せるオムニバス作品。
KADOKAWA / 角川書店 (2015-10-30)
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「女経」(1960日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 第1話「耳を噛みたがる女」‥銀座のキャバレーでホステスをしている紀美は、客から金を巻き上げて株に投資をしている”したたか者”である。ある晩、会社社長の跡取り息子・正巳からドライブに誘われる。
第2話「物を高く売りつける女」‥作家の三原は今の暮らしから逃げるようにして疾走した。その先で一人の女性と出会う。数日後、一軒の別荘の前で彼女と再会した。三原は売りに出しているというその家を、彼女ごと買い取ると申し出る。
第3話「恋を忘れていた女」‥元売れっ子芸妓だったお三津は、現在は京都で修学旅行専門の宿を切り盛りしていた。ある日、亡き夫の妹が結婚資金を貸して欲しいとやって来る。財産を横取りされると思ったお三津はそれを断ってしまう。
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(レビュー) 3人の監督が3人の女優を主演に据えて描いたオムニバス作品。夫々にヒロインの描き方が特徴的で、そこを見比べてみると面白い映画である。
第1話は、増村保造監督の作品。主演は若尾文子。息の合ったコンビ振りが今回も冴えわたった快作である。
特に、増村監督らしい軽妙洒脱な会話劇が面白い。キャバレーの楽屋での会話などは実に俗っぽいのだが、これがユーモラスで面白い。また、ホテルのユニットバスが当時はまだ珍しかったり、パチンコが遊興の王様だったというのも、興味深く見れた。
もちろん若尾文子の妙縁も素晴らしかった。増村作品のミューズとして今回も艶めかしくも可愛らしい魅力を振り撒いている。
また、今回のドラマは「嘘」を巡る皮肉めいた訓話として良く出来ていると思った。自分のためにつく「嘘」。相手のためにつく「嘘」。「嘘も方便」という言葉があるが、「嘘」にも色々ある。見終わった後にしみじみとさせられた。
第2話は、市川崑監督の作品。主演は山本富士子。
幻想的なオープニングが印象的なファム・ファタール映画である。したたかにして魅惑的なヒロインを演じた山本富士子の凛とした佇まいが作品に風格を与えている。彼女に翻弄される作家・三原役を演じた船越英二もいかにも”らしい”演技で敵役。
ストーリーも途中でどんでん返しが用意されていて楽しめた。ラストも洒落たオチで心憎い。短編にしてはよく捻られた展開で飽きさせない。
第3話は、吉村公三郎監督の作品。主演は京マチ子。
「恋を忘れていた女」というサブタイトルの通りのドラマで、特に捻りはないものの安定感のあるエピソードである。いわゆるメロドラマであるが、義妹の婚約と修学旅行の学生との絡ませ方も絶妙だった。
ただ、他の2作品に比べると若干、凡庸な作りなのが残念である。吉村公三郎は市川や増村に比べると作家性と言う点では、それほど尖った個性を見せない監督である。よく言えば安定感があるが、悪く言えば普通に見れてしまうエピソードである。
尚、1シーンだけ中村鴈治郎が登場する。京マチ子に言い寄るイヤらしい演技が絶品だった。同じコンビでは市川崑監督の
「鍵」(1959日)が思い出される。あの時もこのような助平爺役だったが、氏はこういう役をやらせると大変上手い。
長谷川一夫300本記念作品として作られた大映のオールスター時代劇。
角川書店 (2012-11-16)
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「雪之丞変化」(1963日)
ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) 上方歌舞伎の女形役者・中村雪之丞は、死んだ父の仇を討つために江戸に巡業でやって来た。ところが、敵である土部三斎の娘・浪路が雪之丞を一目見て惚れてしまう。 雪之丞は彼女を利用して三斎に近づこうとするのだが‥。
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(レビュー) 同名時代小説を、伊藤大輔と衣笠貞之助が脚色、和田夏十がシナリオ化し、市川崑がメガホンをとった作品。
1935年に一度映画されているが、その時に主演した長谷川一夫が、今回も中村雪之丞と闇太郎の二役を演じている。尚、1935年版は衣笠貞之助が監督、伊藤大輔が脚本を担当していた(未見)。
初っ端から申し訳ないが、長谷川一夫の年齢は製作当時すでに55歳だったそうである。周囲を魅了する”世紀の女形”という設定の割には、どうにも年を取り過ぎている。
今作は彼の映画出演300本を記念して製作された作品である。ずっと第一線で活躍していた功績は認めるが、実年齢とのギャップはどうしても埋められなかったという印象である。1935年版の方は未見だが、そちらの方が無理なく演じられていたのではないだろうか?
そんなわけで、自分にとって今回の映画は設定の時点でまったく乗り切れず、終始身が入らなかった。
ドラマ自体は実に堅牢に構築されているし、メロドラマとしても、復讐劇としても十分に見応えがある。前半は雪之丞のバックボーンをミステリアスに綴ったサスペンス。後半は雪之丞と浪路の悲恋を描くロマンス。抑える所をきちんと抑えたストーリーは申し分ない。しかし、先述したとおりキャスト面で今一つ乗り切れなかった。
一方、市川崑監督の映像演出には、幾つか目を見張るものがあった。
舞台劇のようなセットと現実の背景を交錯させながら、実にシュールで幻想的な世界が構築されている。この独特の映像美は流石の一言である。
一方、音楽はジャジーっぽい曲で占められている。しかし、これが時代劇に今一つ合わないと思った。音楽を担当するのは芥川也寸志。彼はどうしても先鋭的なものを求めたがるようである。面白い試みだと思うが成功しているかどうかと言えば、甚だ疑問である。
本作は大映が製作しており、キャスト陣が豪華で見応えがある。市川雷蔵が長谷川演じる闇太郎と張り合う小物のコソ泥、昼太郎を演じている。また、大映の看板スターとして市川と共に活躍した勝新太郎が終盤でチョイ役で登場してくる。更に、重鎮・中村鴈治郎が三斎役を貫録の好演で盛り上げている。
女優陣では山本富士子、若尾文子が登場している。こちらは浪路役の若尾文子の方が見応えがあった。山本富士子は女泥棒・お初役を演じ雪之丞と因縁めいた関係になっていくが、セリフ回しが余り上手くない。やはり彼女にはもっと上品な役の方が似合っていると思った。
可愛らしいネズミの活躍を市川崑がシュールに描いたパペット・ムービー。
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ (2005-09-21)
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「トッポ・ジージョのボタン戦争」(1967日)
ジャンルファンタジー・ジャンルアクション・ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) トッポ・ジージョは町の片隅で一人で暮らしている孤独なネズミである。ある晩、中々寝付けず夜の街に散歩に出かけた。すると目の前に赤い風船が飛んできて、ジージョはそれに一目惚れしてしまう。二人は一緒に夜の街を散歩することにした。一方その頃、5人組の男たちが銀行強盗を目論んでいた。狙う金庫の中には、ある目的のために作られたボタンが保管されていた。
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(レビュー) イタリアの人形芸術師マリア・ペレゴが生み出したネズミのキャラクター“トッポ・ジージョ”を主役にしたパペット・ムービー。 監督・共同脚本は市川崑。脚本には永六輔などが参加している。
尚、トッポ・ジージョはイタリアのみならず日本でも人気があり1988年と2003年にテレビアニメ化されている(未見)。
何と言っても、トッポ・ジージョの操演が素晴らしい。キャラクターの産みの親であるマリア・ベレゴ自身がトッポ・ジージョを流麗に表現しており、人間との共演も自然に見せてしまうあたり。当代随一の人形師の”技量”である。本作はこれだけでも一見の価値があろう。
一方、ストーリーは若干シンプルすぎるきらいがあるが、アクションあり、ロマンスありとまずまずの出来となっている。ただ、ペーソスに満ちたラストは賛否が分かれる所かもしれない。もし、本作を子供向けに作っているとしたら、この寂しいエンディングは失敗のように思う。もっと明朗なエンディングの方が良かったのではないだろうか?
市川崑の演出は実験的手法を用いながら、この寓話を見事に料理していると思った。
夜の描写が延々と続くため全体的にノワールタッチに拠っている。強盗団のシルエット表現や真っ黒な背景にぷかぷか浮かぶ赤い風船等、どこかアーティスティックな感性で切り取られ、さすがは映像派作家・市川崑と唸らされた。
色遣いも大変気を使っていて感心させられた。例えば、強盗団の靴下の色を夫々、個性的に分けているのは見事だった。中々洒落ている。
市川崑は元々はアニメーター出身の映画監督である。こうした数々の映像センスは、その頃に培われた物なのかもしれない。
また、シュールでナンセンスなユーモアも彼の作家としての大きな資質で、その作家性は今回も色濃く出ている。そもそもネズミが大活躍するという時点で本作は極めてナンセンスなファンタジーなわけだが、それを見事なまでに市川崑独自のシュールな語り口でまとめ上げられている。
但し、クライマックスのアクション・シーンに関しては、その意気込みが空回りしてしまった印象を持った。このあたりはパペット使いの限界が関係しているかもしれないが、もう少し上手く撮って欲しかった。少々”お遊び”が過ぎるように思った。
真実を追求する記者たちの物語。非常に硬派な作品。
「スポットライト 世紀のスクープ」(2015米)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ボストン・グローブ新聞社に新任編集局長バロンが赴任してくる。彼は、過去に地元で起こった神父による子どもへの性的虐待事件に注目すると、これをスポットライト(特集記事)にする方針を打ち立てた。早速、ロビーを中心とした取材チームが調査を始める。彼らは事件の背後に隠された巨大な疑惑に迫っていく。
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(レビュー) 実話を元にした社会派作品。今年の米アカデミー賞で作品賞と脚本賞に輝いた話題作である。
主人公となるのはボストン・グローブ紙の記者たちである。デスクのロビーを筆頭とした3人の記者たちの奮闘が描かれている。夫々に個性的なキャラ立ちをしており、特にリーダーとなるロビーの粘り強い取材姿勢、がむしゃらに事件背景を追いかける熱血記者マイクが印象に残った。
ただ、本作は基本的には群像劇風な作りなため、ドラマの視座は複数存在する。この作り方は好き嫌いが出てくるかもしれない。正直、序盤は見てて余り乗り切れなかった。誰の視座でストーリーを追いかけて良いのかよく分からなかったからである。
ただ、彼らが事件の背後に隠された真相を追求していく過程は緊密に作られており、ドキュメンタリー・タッチな演出も相まって非常に引き込まれた。特に、被害者に対する取材あたりから、ドラマはグンと面白くなってくる。事件の当事者が出てくると、やはりストーリーも白熱してくる。事件を追いかける記者達の執念。真実を白日の下に晒して巨悪の根源を断とうという熱意がビンビンと伝わってきた。淡々とした作りではあるが、端正に積み上げた取材過程が後半から効いてくる。
ラストにもカタルシスを覚えた。記者たちの信念と責任感、闘争心。これには熱いものが込み上げてきた。
そして、ロビーの胸中を察すると、ジャーナリストとは実に難儀な商売であると痛感させられる。ラスト手前の彼の”告白”が皮肉的に反芻された。
監督、共同脚本は
「扉をたたく人」(2007米)のトム・マッカーシー。「扉をたたく人」もそうだったが、今作も社会派的なメッセージを強く押し出した作品となっている。キリスト教会の腐敗した体制に鋭く切り込んだのだから、おそらくアメリカでは相当センセーショナルに受け止められただろう。監督の、これを伝えたいという姿勢が映画全体から感じ取れた。これは一人の映画作家としてでなく、一人のアメリカ国民として、あるいは本作に登場するジャーナリストたちの代弁者としてのメッセージだろう。
演出は今回も非常にミニマムにまとめられている。良く言えば丁寧、悪く言えば地味ということになろうか…。ただ、先述したように、地味ゆえに、誰か一人の視点に絞った方がこの物語はより濃密になっただろうと思う。主人公が”個人”ではなく”チーム”になってしまったのがドラマを弱くしてしまっている。
とはいえ、オスカーを受賞した脚本は非常に緊密に構成されており、場面転換が早く、一瞬も気が抜けないほど次々と記者たちの取材が続くので、終始画面から目が離せなかった。
キャスト陣の演技も素晴らしかった。4人の記者たちは見事に個性的に造形されており、私生活も僅かだが登場してくる。仕事とは違った顔を見せるあたりに人間味が表れていて良かった。特に、マイクを演じたマーク・ラファロの熱演が目を引いた。
尚、こうしたカトリック教会内部における児童虐待については、以前見た
「ダウト~あるカトリック学校で~」(2008米)等でも語られていたので、さもありなんという印象である。ずっと昔からこういうことが行われていたのだろう。ただ、今回はそれを組織が隠ぺいしたという事実が衝撃的であり、そこを告発したことは大変意義深いと思う。