銀河系支配を目論む帝国軍は、究極兵器デス・スターの完成までもう少しという所まで来ていた。デス・スター建造の協力を強要される科学者ゲイレンは、帝国軍の野望を打ち砕くべく”あるメッセージ”を生き別れの娘ジンに託す。その頃、ジンは育ての親である反帝国分子のソウ・ゲレラの元を離れて各地を放浪していた。ある日、彼女は反乱軍の将校キャシアン・アンドーと出会う。彼から、父ゲイレンがデス・スターの設計に関わっている可能性があること知らされ‥。
(レビュー) 壮大なスケールで描くスペース・オペラ「スター・ウォーズ」シリーズのスピン・オフ作品。
一昨年公開され、ファンから熱狂的に受け入れられた約10年ぶりの新作、エピソード7
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」(2015米)は正編として実に真っ当に作られた作品だった。新たなヒロイン、レイの旅立ちが、過去のスター・ウォーズの世界観と歴史を踏まえながらドラマチックに描かれていた。これによってシリーズ全体の方向性がある程度見えてきたように思う。「フォースの覚醒」は新しい「スター・ウォーズ」を占う試金石として、立派にその役目を果たしたと思う。
製作元であるディズニーは、その撮影にあたって同時に「スター・ウォーズ」アンソロジー・シリーズと言われるスピンオフを複数本企画した。本作はその中の第1弾にあたる作品である。尚、この後には第2弾として若きハン・ソロを描く映画も企画されているらしい。
そんなスピンオフ第1弾「ローグ・ワン」だが、今回はエピソード4に直結する前日談となっている。語られることのなかった”小さな歴史”の裏側を紐解くドラマは、ファンには堪らない物がある。
ルークたち反乱軍は「4」でデス・スターを破壊するわけだが、その際に使用されるのが敵の弱点を記した設計図である。今回のスピンオフは、その設計図をジンを中心としたローグ・ワンと呼ばれるチームが帝国軍から奪取する‥という物語になっている。
シリーズのファンであれば”なるほど”と思いながら観れるが、今作は全く新しいキャラクターたちの話なので、初見の人でも普通に楽しめる作品になっていると思う。本作から入って「4」を観る…というのもありだろう。ただ、先にエピソード「4」を観ていれば、今回の話はより楽しめると思う。
但し、ラストは実に非情な顛末を迎えるので、このあたりは賛否あろう。「4」を観ていれば納得のエンディングだが、しかし夢と希望と感動を与える、あのディズニーがこのバッドエンドを押し通したというのは実に意外でもあった。
監督は
「GODZILLA ゴジラ」(2014米)のギャレス・エドワーズ。まだ演出経験の浅い若手ながらブロックバスター映画を次々と任されている俊英である。ゴテゴテなCGI映像で構築された、いわゆるプリクエルと呼ばれるエピソード「1」~「3」とは違ったアナクロニズムな撮影手法を取っており、このあたりは前作「フォースの覚醒」を踏襲していて好感が持てる。
但し、件のラストに関してはディズニー側と意見が食い違い、途中から再撮影を命じられたそうである。映画の予告編を観ると分かるが、本編では使用されていないフッテージがかなり見つかる。それを観る限り、おそらくだがギャレスが当初考えていたラストは今回のようなバッドエンドではなかった可能性が高い。この件に関しては色々なサイトで検証、または公式にインタビューが出ているので各自調べてもらいたいと思うが、いずれにせよ今回のラストは、それまでの「スター・ウォーズ」では絶対に考えられないような終わり方となっている。
ただ、スピンオフにはスピンオフにしか描けないというものもある。本作はあくまで番外編であり、正編では決してできない試みをしているという点では大いに評価したい。ギャレスが考えた案とディズニー側が要請した案。夫々に思う所はあるが、スピンオフという位置づけを考えれば、今回の死屍累々と化していくバッドエンドは個人的には正解だったように思う。
実際、激しい戦の中で次々と倒れていくローグ・ワンのメンバーの姿には感動させられてしまった。
特に、ドロイドのK-2SOの顛末に泣かされた。
「インターステラー」(2014米)に登場するロボットTARSの時もそうだったが、機械に忠義のハートという組み合わせに自分はどうも弱い…。
そして、本作にはスピンオフならではの試みとして、もう一つの大きな挑戦が見られる。それは「スター・ウォーズ」シリーズに付き物の”ジェダイ”を登場させなかったことである。今回のストーリーは、フォースを持たざる者、つまり”普通の人々”のドラマとなっている。
これも正編から外れた番外編ならではの大胆な作劇だろう。彼ら”普通の人々”の戦いには、観てるこちらも自然と共感を覚える。また、逆に”フォース”の偉大さ、罪深さみたいなものも実感させられる。
”フォース”も”ジェダイ”も出さなかったことで、このスピンオフのことを「スター・ウォーズ」らしくない‥と言う人もいる。確かにその意見も分かる。しかし、敢えてそこに直接触れなかったことで、本作は正編とは一線を画す独自の作品になりえた‥とも言える。
ある意味で、これは戦争映画として観ることもできる。特に、クライマックスの戦場シーンなどは、難攻不落な敵要塞に乗り込むプロフェッショナル達の戦いを描いた
「ナバロンの要塞」(1961米)のような純然たる戦争活劇映画となっている。敵の裏を書いた陽動作戦、スリリングさを盛り上げるタイムリミット演出などはまったく一緒である。
脚本を務めたのはクリス・ワイツとトニー・ギルロイ。
クリスは孤独な独身男と拗ねた少年の交友を軽妙に描いた「アバウト・アボーイ」(2002米)という佳作を書いている。トニー・ギルロイはM・デイモンが強靭なスパイを演じた「ボーン」シリーズを輩出したライターある。夫々に毛色の異なる作家だが、今回はどちらかと言うとアクションやサスペンスを得意とするトニー・ギルロイの上手さが出ていると思った。
実は、先述した再撮影はギルロイを中心にして行われたと言われている。彼自身、「ボーン」3部作の続編である「ボーン・レガシー」(2012米)などでメガホンも務めているので、その腕をディズニー側に買われたのだろう。どこからどこまでが彼のリライトなのか分からないが、しかしトータルで観ても作品のトーン自体は変わらないので、かなり丁寧に書き直していると思われる。一説によると撮り直しは全体の3割とも4割とも言われているが、そうとは分からないほどよくまとまっていた。
本作で難を言えば、ローグ・ワンの面々の交流をもう少し深く描いて欲しかったことか‥。命を賭した戦場に赴く戦友感を出すには、あと一歩足りない。個々の関係性がやや浅薄に写ってしまったのは残念だった。
キャストでは、ジンを演じたF・ジョーンズを筆頭に小粒揃いである。しかし、このキャスティングが今回は奏功していると思う。というのも、今回の登場人物たちは”普通の人々”である。超有名な俳優が演じていたらカリスマ性が出てしまい、それはそれでリアリティに欠けてしまうだろう。今回はあくまで”ローグ・ワン”というチーム全体が主役であることを考えるなら、この布陣は最適と言えよう。
とは言うものの、メンバーの一人。盲目の僧侶チアトールを演じたドニー・イェンの活躍は群を抜いて目立っていた。彼は言わずと知れた香港映画界のアクション・スターである。目が見えないながらも次々と敵をなぎ倒していく姿は圧巻だった。
また、彼の相棒となるベイズ役のチアン・ウェンも印象に残った。C・イーモウ監督の出世作「紅いコーリャン」(1987中国)の主演や、自身が監督・主演を兼ねた問題作「鬼が来た!」(2000中国)で知られる中国映画界の名優である。その彼が本作でまさかのハリウッド・デビューである。これには感慨深いものがあった。
また、エピソード4で登場した懐かしいキャラクターが登場してくるのも見逃せない。すでにその俳優は他界しているが、CGIを駆使して甦らせたらしい。今の技術は本当にすごい。