不治の病に冒された人気作家ルイが、死期が迫っていることを家族に伝えるために12年ぶりに帰郷する。母マルティーヌは息子の大好きな料理を作って歓迎した。幼い頃に別れた妹シュザンヌは兄との再会に胸躍らせた。その一方で兄アントワーヌはルイに刺々しい態度で接した。その妻カトリーヌは初対面のルイに気を遣いつつも戸惑いを隠せなかった。ルイは話を中々切り出すことが出来ず時間は刻々と過ぎていく‥。
(レビュー) フランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの原作戯曲を俊英グザヴィエ・ドランが監督・脚色したビターな人間ドラマ。
自分はこの原作者のことを全く知らなかったのだが、1970年代にフランスで活躍したらしく、不幸なことに若くして亡くなった作家ということである。本作の主人公ルイは不治の病にかかったゲイの劇作家という設定である。おそらくだが、これは原作者本人が自分をモデルにして書いているのだろう。
これまでドランは主にオリジナル脚本で映画を撮ってきたが、今回は
「トム・アット・ザ・ファーム」(2013カナダ仏)に続く原作物である。
これは想像だが、彼自身、ラガルスと自分を重ねているような所があるのかもしれない。というのも、2人とも若くして芸術の世界にドップリと浸かってきた俊英である。そして、共に同性愛者だった。二人の間にはこうした共通点が見出せる。そこから考えると、ドランはこの原作者に多少なりともシンパシーを感じているのではないだろうか。
これまでのドラン作品のテーマは概ね二つのタイプに分けることができると思う。一つは
「わたしはロランス」(2012カナダ仏)のようなゲイのカップルをテーマにした物語。もう一つは
「Mommy/マミー」(2014仏)や
「マイ・マザー」(2009カナダ)のような家族をテーマにした物語である。今回の映画は後者に分類される作品のように思う。そういう意味では、これまでドランが描いてきたテーマとの一貫性が認められる。
物語は、長年離れて暮らしてきた家族の苦しみと衝突を描いた、いわゆる血縁のドラマとなっている。
普通であれば、死期が迫ったルイを家族の皆が気遣い、残された人生を共に支えていこう‥という美談になってもおかしくない物語である。しかし、徹底したリアリスト、ドランはそうした安易なロマンティズムに堕さない。家族の虚無的な関係を画面に赤裸々に描写しながら、人々が持つ<家族>というものに対する<憧憬>を破壊していく。
確かに現実問題として、12年もの長い間、疎遠にしていた息子が、ある日突然実家に戻ってきたら家族はどう接していいか分からないだろう。どうしたって、ぎこちない空気が流れてしまうものである。
母マルティーヌは愛する息子ルイに再会の喜びを見せる。しかし、自然に接しようと取り繕っているが、どこかで無理をしているようにも見える。
妹シュザンヌは勝手に家を出て行ったルイに少なからず複雑な感情を持っていて、それがつい本音になって口をついて出てしまう。それによって、何となく気まずい雰囲気を作り出してしまう。
兄アントワーヌは、世間的な名声を得たルイに嫉妬と敵対心を抱き、ついカッとなって喧嘩腰になってしまう。
唯一、義姉カトリーヌだけはルイとは今回が初対面である。彼女は他の家族のような過去の”わだかまり”が一切ないので、新しい家族としてルイのことを気遣う。しかし、その気遣いは、家族だからではなく赤の他人だからこそできる気遣いという感じがした。
しかも、この家族は同じ一つ屋根の下で暮らしながら、すぐに口論を始めてしまうような所があり、シュザンヌは口うるさい母マルティーヌのことを面倒に思っているし、アントワーヌは妻カトリーヌのことを常に見下して抑圧している。ルイの前で彼らは神経を尖らせて互いに互いを傷つけあうのである。
本音で何でも話せるのが家族だ‥と言う人もいる。しかし、それは違うと思う。いくら近しい存在とはいえ最低限の気遣いは必要だろう。この家族を見ていると、親しいから喧嘩をしているという風には見えない。むしろ、相手を攻撃して鬱積を晴らしているだけなように見える。
そんな中、当のルイは今回の帰郷の目的。つまり自分に死期が迫っていることを中々切り出せない。同じ家族なのだから相手を信頼して話せばいいのにそれが出来ないのである。家族を顧みずに生きてきたという負い目があるのかもしれない。自分が死ぬという段になって、今更皆に余計な迷惑をかけたくない‥という気持ちもあるのだろう。
果たしてルイは家族に本当のことを話せるのかどうか?そこが本作の見所となる。
ラストは見てて非常に辛かった。人間の相互理解の限界について痛感させられた。
ドランは、家族間のディス・コミュニケーションを描きながら、結局どこまで行っても人間は孤独な生き物であること、親愛とは幻であることを残酷に言い放っている。やや幻想的な締めくくり方にしてしまったのは、物語の結末として切れの悪さを感じるものの、彼の言いたいことはよく理解できた。
ただ、劇中では、唯一カトリーヌだけは、はっきりとルイの秘密を知っていたように見える。ここは救いであった。
ルイが過去に使っていた自分のベッドに懐かしき恋人との思い出を甦らせるシーン。そこで彼女はルイに「いつなの?」と尋ねていた。このセリフはデザートを食べにいつ来るの?という意味と、死期はいつなの?というダブルミーニングになっている。結局、ルイはこの問いに応えなかったが、彼自身はどこまで彼女の、この心配を知っていたのだろうか?血の繋がった家族ではなく義理の家族である彼女だけがルイの苦悩を知り得た‥という所が実に皮肉的である。
また、これは完全に個人的想像だが、もしかしたらアントワーヌも気付いていた可能性がある。それはルイと一緒に煙草を買いに町へ車を走らせるシーン。ルイが空港のカフェで時間を潰したという話をした時に、アントワーヌは物凄い剣幕で怒った。「そんな話はどうでも良い!」とルイを突き放した。もしかしたら、彼はルイの秘密を知っていて、それを自分に話してくれなかったことに腹を立てたのではないだろうか。そんなどうでもいい世間話よりもっと大切な話があるだろう、それを家族の前でちゃんと話せ‥と。そう考えないと、あの怒り方はちょっと普通では考えられない。
彼がルイの秘密を知っていたかもしれないと思わせるシーンがもう一つある。それは、その後に続く食卓のシーンである。いよいよ家族の前でカミングアウトしようとするルイは言葉を詰まらせて一旦間を置く。その時、アントワーヌの顔はかすかに厳しい表情を見せていた。ルイのじれったさに腹を立てるのを堪えているというか、苛立っているというか‥、とにかくルイの秘密を知っているから、あそこまで険しい表情になったのではないだろうか。
ドランの演出はこうした繊細な表情一つとっても実に丁寧で、会話劇主体の作品にも関わらずセリフではなく映像に雄弁にドラマを語らせている。
更に、今回特徴的だと思ったのは、俳優のクローズアップが異様に多いことである。まるでベルイマンの映画のような圧迫感、緊張感で目が離せなかった。言葉にならない心の内の<言葉>を俳優たちの表情で最初から最後まで見せ切った所が見事である。
また、音楽の使い方や間の取り方もドラマチックで、この辺りにも抜群のセンスが感じられた。
会話劇主体の映画なので、キャスト陣の演技も見応えがあった。
特に、カトリーヌを演じたM・コティヤールの繊細な演技は絶品だった。また、アントワーヌを演じたV・カッセルのキレた演技も堂に入っている。ルイ役のG・ウリエル、シュザンヌ役のレア・セドゥ、今を時めく若手陣も堅実な演技を見せている。