麻薬犯罪組織と特殊部隊の壮絶な戦いを描いたアクションドラマ。

「エリート・スクワッド」(2007ブラジル)
ジャンルアクション・ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) リオにローマ法王がやってくることになり、軍警察の特殊部隊BOPEの隊長ナシメントは、法王訪問予定地トゥラーノの麻薬組織を一掃するよう命令される。妻が妊娠中だった彼はこの任務を最後に退任しようと考えていた。そして自分の後継者選びを始める。彼の眼鏡にかなったのは、厳しい選抜試験を乗り越えた新人警官のネトとマチアスだった。しかし、2人とも夫々に過酷な現実の壁にぶつかってしまう。
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(レビュー) 特殊部隊と麻薬組織の戦いを過激なアクションシーンを交えて描いたアクションドラマ。
鑑賞は前後してしまったが、本作は
「エリート・スクワッド 特殊部隊BOPE」(2010ブラジル)の前作に当たる作品である。先に続編を見ていたので今回はその前日談を確認する…という意味で鑑賞した。尚、キャストとスタッフは一緒なのですんなりと作品世界に入ることが出来た。基本的なテイストはまったく一緒である。生々しい緊張感で描かれるアクションシーン、ドラマチックな人間ドラマが今回も面白い。
主人公は今回もBOPEを率いるナシメントである。しかし、この前日談は彼以外に二人の若き警官が登場し、ドラマの視座はそこにも重点が置かれている。
1人目は黒人青年マチアス。彼は軍警察に籍を置きながら大学にも通うインテリである。学内では素性を内緒にしており、いたって平穏なキャンパスライフを満喫している。しかし、NPO活動をしているガールフレンドと恋に落ちたことでその日常は崩れて行く。実はNPO団体は麻薬密売の隠れ蓑になっていて、正義感の強いマチアスはそれを取り締まらなければならなくなるのだ。恋人の愛を失いたくはない。しかし、警官としての職務は放棄できない。映画後半はその葛藤に迫っていく。
もう一人は白人青年ネトである。彼は警察車両の修理部門に配属されるが、そこで日常的に行われる賄賂を目撃してしまう。彼もマチアス同様、大変正義感の強い青年でそれを止めようと立ち上がる。ところが、賄賂は組織ぐるみで行われており彼一人の力ではどうしようもできない。このあたりの警察内部の腐敗は次作でも描かれていたが、ネトのエピソードにはその原型を見ることが出来た。
一方、ナシメントのドラマもかなり充実していて、こちらも見応えがあった。妻の妊娠で彼は危険と隣り合わせな今の仕事を引退しようと考える。マチアスとネトという有望な新人警官も入ってきて、これで安心して身を引くことが出来る‥そう思った。だが、現実はそう甘くはなかった。麻薬組織との戦いは益々泥沼化し、結局彼は仕事を捨てることが出来ず、過酷な戦いに身を投じていくようになる。
以上、本作はこの3つのドラマが並行してい描かれる。普通に考えれば、複数のドラマが乱立することでストーリーが散漫になると思うだろう。しかし、3つのエピソードはスラム街の”闇”を赤裸々に照射する点で共通しており、作品のテーマ。つまり、腐敗した社会の<現実>をより一層克明に記すこととなった。社会派的なメッセージが十分伝わってきて、かなり骨のある作品となっている。見応えは十分である。
ラストは意外にあっけない終わり方になっている。しかし、この後に続編が製作されたことを考えると、なるほど‥とも思った。次作の冒頭は刑務所の暴動を鎮圧するシーンから始まるが、そこにそのまま繋がるような結末になっている。
また、このラストは余りにもあっけないが故に、どこか虚無的な印象を観る者に植え付ける。マチアスとネトという若者の運命が理想と現実のギャップに翻弄されながらズタズタにされてしまう残酷さ‥と言えばいいだろうか。麻薬組織に勝利したことによる達成感とは裏腹に奇妙な喪失感も感じられ、実に居たたまれない気持ちになった。
そして、このビターな結末にこそ、監督、脚本のジョゼ・パリージャが標榜する《正義の辛さ》が訴えかけられているような気がする。彼は非常に現実主義的な作家のように思う。正義を完遂することが如何に難しいことか。そのメッセージがこのラストから伺える。
パリージャ監督の演出は非常にテンポが良く要所で卓越した手腕を発揮している。氏らしいドキュメンタリータッチが上手くシーンに緊迫感を生み、終始画面に引き込まれた。
また、本作には幼い少年に対する拷問等、過激な暴力シーンが幾つか登場してくる。しかし、これもパリージャ監督の飽くなきリアリティの追及なのだろう。
過激と言えば、BOPEに志願する青年達の試験シーンもかなり強烈で、こう言っては何だが観てて笑ってしまうほどだった。初日からいきなり現役の隊員たちから暴行されて度胸を試されたり、手りゅう弾を持たされて授業を受けさせられたり、地面に落ちた腐った残飯を食わされたり等々。ほとんど人権無視の常軌を逸した訓練が延々と続く。
確かにBOPEの隊員は皆、優秀である。これほど厳しい試験を乗り越えたのだからそれは当然だろう。その説得力が感じられた。
しかし、翻って考えてみると、そんなエリート揃いのBOPEの中にも賄賂に手を染めるような人間が出てきてしまうのだから、人間とはほとほと性悪なる存在であると痛感させられる。
痛快なアクション映画とは一線を画す非常にシビアな作品である。
刑事と強盗犯の戦いを時にアツく、時にクールに描いたアクション巨編。

「ヒート」(1995米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 強盗のプロ、マッコーリーは、クリス、チェリト等と現金輸送車を襲撃し有価証券を強奪した。しかし、仲間の一人ウェングローが逆上して警備員を射殺して一人で逃走してしまった。事件後、現場に急行したロス市警のヴィンセント刑事は、少ない手掛かりからマッコリーの追跡を開始する。一方、マッコーリーたちはウェングローを捕まえようと奔走する。その先でマッコリーは本屋の女性店員イーディと出逢い一時の幸福を手に入れる。そして、彼は次なる強盗計画を打ち立てるのだが…。
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(レビュー) 孤独な強盗犯と刑事が壮絶な戦いを繰り広げるアクション巨編。
マッコリー役はR・デ・ニーロ、ヴィンセント役はA・パチーノ。この二人が共演するのは「ゴッドファーザーPARTⅡ」(1974米)以来ということになろうか‥。言わずと知れた名優同士であるが、今回のドラマはその二人が敵同士になってあいまみえる‥というドラマになっている。本作はこのキャスティングの魅力が大変大きいように思う。
2人の熾烈を極める戦いは、中盤の市街地での豪快な銃撃戦を経て、最終的には夜の飛行場を舞台にした戦いへと突入していく。正に男の意地とプライドをかけた攻防は、文字通り豪華スターのガチンコバトル。非常に見応えがあった。
特に、市街地での銃撃戦はアクション映画史に残る名シーンとして語り継がれており、今見ても十分の迫力がある。今のようなCGI全盛の時代であれば何のことはないように見えるかもしれないが、当時はそういった技術もないのですべてアナログで撮影された。これだけ大掛かりなロケ撮影は、戦争映画を除けば、おそらく今後も作られることはないだろう。それくらい見応えのある銃撃戦となっている。
加えて、このシーンはよく聞いていると銃の音も夫々に微妙に違う。音響にもかなりこだわりが感じられる。
製作、監督、脚本はマイケル・マン。彼はガンアクションに定評のある監督で、好事家の間ではかなりのマニアとして有名である。微に入り細に入り相当のこだわりが感じられる。本人もかなり熱を入れて演出したのではないだろうか。
尚、本作は氏が監督を務めたTVムービー「メイド・イン・L.A.」(1989米)がベースになっているということだ。自分は残念ながらこのTVムービーを見ていないのだが、監督自身、かなりこのストーリーに思い入れがあるのだろう。
言ってしまえば、刑事とヤクザの愛憎ドラマなのだが、確かにベタと言えばベタである。日本の東映実録物あたりにあってもおかしくない話だ。例えば、
「県警対組織暴力」(1975日)は正にそういった内容の映画だった。
しかし、シンプルゆえにテーマは力強く発せられており、二人が如何に相手を憎しみリスペクトしていたかということがよく分かるようになっている。
2人の決着を描くラストも実にケレンに満ちていて痺れさせられた。まるで古きアメリカン・ニュー・シネマの再現と言わんばかりな男泣き必至なシーンとなっている。組織、社会からはみ出したアウトサイダーの生き様が神々しくも哀愁タップリに描かれている。
マンの演出は銃撃戦に対するこだわりはもちろんのこと、前半の強盗シーンにおける張りつめた緊張感の創出、暗視カメラの使い方等が非常に上手かった。
考えてみれば、この映画はマッコリーとヴィンセントの距離の描き方が実に巧みに計算されている。この暗視カメラや、波止場のシーンにおける望遠鏡。こうしたアイテムを使いながら二人の実距離を徐々に詰めていき、後半の深夜のダイナーで一気に直接対峙というお膳立てを用意している。
ここで二人は、刑事と強盗犯という敵同士でありながら、初めて互いの人間性を知り、互いの本音を知り、ある種社会、組織からはみ出したアウトサイダーとしての”共感”を芽生えさせていく。それはかすかな友情と言っても良いかもしれない。あるいはライバルと言ってもいいかもしれない。いずれにせよ、それまで互いにモニター越し、レンズ越しにしか見ていなかった男たちが、初めて直に顔を合わせて距離を縮めていくのだ。
こうした二人の距離感が、物理的な意味でも、感情的な意味でも、この映画はよく考えられている。脚本の構成がしっかりしている。
ただ、本作は約3時間というかなりの長丁場である。果たして刑事と犯罪者の愛憎というテーマを描くのに、これだけの長尺が必要か?と言われると、確かに微妙な気もする。本来であれば、シナリオをもっとスリムにして2時間程度に収めることも出来ただろう。さすがに3時間は長すぎるという気がした。
ここまで長くなってしまった原因は、ひとえにサブストーリーを詰め込み過ぎたせいである。
具体的には、マッコリーの舎弟であるクリス夫妻のドラマ。これが本筋とは余り関係がない所で繰り広げられている。2人の夫婦愛自体はかなり浪花節的で個人的には面白く観れたのだが、作品をトータルで見た場合、もっと軽い扱いでも良かっただろう。
もう一人の強盗仲間チェリトのドラマも描かれているが、こちらはサラリとしか描かれていない。描くとすれば、おそらくこのくらいが丁度良かったのかもしれない。クリス夫妻のドラマは全体のストーリーを散漫にしてしまっている印象を持った。
それとは逆に、マッコリーとイーディのロマンスについては少々物足りなく感じた。ここはもっと深く掘り下げて描いても良かっかもしれない。
それと、演出的な観点から一つだけ。例の市街地での銃撃戦で、マッコリーたちは誰も乗っていないパトカーに発砲しているように見えた。威嚇のための発砲だったのだろうか?しかし、窮地に追い込まれているあの状況ではそんな余裕はなかったはずである。だとしたら、パニックになって手当たり次第に撃っていたのかもしれない。この辺りはもっとハッキリとした演出をしてほしかった。観ててどうしても引っかかってしまった。
非常に厳しい映画だがグイグイと引き込まれる。

「摩天楼を夢みて」(1992米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) その夜、ニューヨークの不動産会社ミッチ&マーレ社では、ノルマを達成できなかったセールスマンたちがやけ酒を飲んでいた。そこに本社から経営者がやって来る。成績不振の者は首にする、と最終通告を告げられ焦る一同。ベテラン社員レビーンは、なりふり構わず顧客巡りを始める。モスとジョージは、ある一計を案じた。絶妙なセールストークでトップの成績を収める若手のローマは、大きな契約をまとめる寸前までこぎつける。
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(レビュー) 窮地に追い詰められたセールスマンたちの奔走を緊密な構成で描いた辛辣な人間ドラマ。
不動産業界に限ったことではないが、セールス産業で大事なことは、いかにして質の良い顧客データを手に入れるか‥ということにかかっているような気がする。実際、本作でもそのことが繰り返し述べられており、だからこそ皆が金庫の中に入った優良顧客の情報を手に入れようと狙っている。しかし、それを手にすることが出来るのは過酷な競争を勝ち抜いた者だけである。富むものは富み、負け犬は一生負け犬のまま。正に弱肉強食の世界がそこには広がっている。
厳しい言い方かもしれないが、会社の側からしてみればこれは当然の話だろう。大切な顧客を任せられるのは、やはりローマのような優秀な社員だけである。反対に盛りの過ぎたレビーンのようなロートルは益々窓際へと追いやられてしまう。それが現実である。
見てて実に居たたまれない映画であるが、力のある会話主体の脚本。そして、夫々の人物を演じた個性派俳優たちの好演が功を奏し、極上のエンタテインメント作品に仕上がっている。
キャストは、J・レモン、A・パチーノ、E・ハリス、A・アーキン、K・スペイシー等、名優揃いである。本作は何と言っても、彼らの演技合戦が大きな見所となる。
中でも、退職寸前のベテラン社員レビーンを演じたJ・レモンの悲哀を帯びた演技は絶品だった。
彼はかつてトップ・セールスマンとして華々しい成績を上げたが、今ではすっかり落ちぶれて只の憐れな中年男に成り下がっている。特に、クライマックスでローマに自分の大手柄を自慢げに話して聞かせるシーンは、本作で一番の熱演だろう。その後に彼は残酷な運命に打ちひしがれるのだが、この時の絶望の表情も素晴らしい。人生の転落をここまでドラマチックに体現して見せた所に、彼の名優たる所以が再確認できる。
優秀な若手社員ローマを演じたA・パチーノも中々の好演を見せている。契約を取るためには顧客を騙すことを屁とも思わない”やり手”で、最初は少し嫌味な男に映る。しかし、後半で思わぬ形で足元を掬われ、彼もまた窮地に追い込まれてしまう。その時の表情を見ると、やはり彼も凡人だったのか‥と思えてくる。そこが人間臭くて良かった。
また、基本的に彼は誰に対しても尊大に振舞うが、レビーンだけは先輩として一目置いてるようで、そのあたりを含めた周囲との複雑な関係も見事に演じていたと思う。
モスを演じたE・ハリスの腹黒さ、ジョージを演じたA・アーキンの小心さも板についていて良かった。
そして、彼らの上司を演じたK・スペイシーの冷徹な演技も実にハマっていた。彼は
「モンスター上司」(2011米)でも嫌味な上役を演じていたが、その時の原型を本作に見ることが出来る。
原作はD・マメットが書いたピューリッツァ賞受賞の同名戯曲である。それを本人が脚本にしている。マメットと言えば数々の傑作を手掛けてきた名ライターで、代表作にS・ルメット監督&P・ニューマン主演の「評決」(1982米)や、ブライアン・デ・パルマが監督した暗黒映画「アンタッチャブル」(1987米)、政治の世界をスキャンダラスに描いた「ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ」(1997米)等がある。今回は戯曲ということで、ほぼシチュエーションが限定された会話劇なので派手さはないが、かなり密度の濃いドラマになっている。競争社会の非情さを時に荒々しく、時に繊細に、見事に”口撃”のエンタテインメント作品に仕上げている。
また、映画後半は金庫に眠る顧客リストが何者かに盗まれることでサスペンス寄りに展開されるようになっていく。その犯人探しもある程度察しはつくが、中々面白く観ることが出来た。
監督はJ・フォーリー。初見の監督だが演出は軽快で見てて心地よい。本作は夕刻から朝方にかけてのドラマである。そのため必然的に夜のシーンが大半を占めるのだが、フィルム・ノワール張りの渋いトーンで一貫した所が作品全体のムードをしっかりと支えていると思った。
ちなみに、K・スペイシー繋がりで言えば、彼が主演して話題を呼んだ海外ドラマ「ハウス・オブ・カード」(2013米)の演出も彼が担当している。
音楽監督はジェームズ・ニュートン・ハワード。彼は映画音楽のみならず、エルトン・ジョンとのコラボなど幅広い舞台で活動をしている。映画音楽家としてもこれまでに何度もオスカーにノミネートされている実力派で、今回は渋い映像にマッチしたジャズ寄りなスコアを提供している。これも作品全体の雰囲気作りに大きく寄与していて良かった。
世界中でヒットした傑作青春映画20年ぶりの続編。
「T2 トレインスポッティング」(2017英)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) スコットランドのエディンバラに、仲間を裏切って大金を持ち逃げしたマーク・レントンが20年ぶりに帰郷する。母は既に他界しており、実家には年老いた父が一人で住んでいた。一方、悪友のジャンキー、スパッドは妻子に愛想を尽かされ自殺しようとしていた。シック・ボーイことサイモンは、パブを経営する裏で恋人ベロニカを使って売春やゆすりに手を染めていた。そして、血の気の多い男ベグビーは殺人を犯して服役中だった。レントンは彼らに会って過去の清算をしようとするのだが…。
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(レビュー) 単館系ブームに乗って公開され、瞬く間に若者たちを中心に話題を呼んで大ヒットを記録した青春映画「トレインスポッティング」(1996英)の続編。20年ぶりに同じ監督、キャストが集まって作られた作品である。
自分も例に漏れず「トレインスポッティング」、通称「トレスポ」にハマった口である。あの当時はミニシアター・ブーム真っ只中で、特に渋谷の単館系は軒並み活況を得ていた。劇中で使用されたUKポップもヒットチャートを駆け上り、「トレスポ」は正に時代の潮流に乗った映画だったように思う。これ以降、イギリス映画は日本でかなり注目されるようになり、「ブラス!」(1996英)、「フル・モンティ」(1997英)、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998英)と立て続けに公開され、夫々にロングランになり興行的な成功を収めた。これらはすべて「トレスポ」の成功があったからだろう。
そんな一時代を築いた傑作青春映画が、時代を超えて同じキャストによって作られた。かつて「トレスポ」に心酔したファンであれば観ないわけにはいかない。鑑賞前からかなりハードルを上げて観た。
結論から言うと、さすがにあの当時の勢い、刺激性、インパクトは感じられなかったものの、続編として見れば至極まっとうに作られており、かつて熱狂したファンに向けたサービスも旺盛でエンタテインメントとして十分面白く観ることができた。
お馴染みの面々がヤクを決めたり、強盗に入ったり、喧嘩をしたり、昔と何も変わっていないのが凄い。正直、20年という歳月を経て何か新しい”変化”を見せて欲しいという思いもあったのだが、これも「トレスポ」らしいと言えば”らしい”。かつて観たファンにはノスタルジーに浸りながら楽しく観ることができた。
もっとも、今回の新作に全然”変化”がないのかと言うと、そういうわけではない。今回は、シックボーイの恋人として、ベロニカという新しいヒロインが登場してくる。彼女はレントンたちに比べると一回りくらい若い娘で、オッサンたちの輪に入って新しい風を吹き込んでいる。そして、レントンたちとの世代間ギャップを至る場面で演出し、彼らの”時代に取り残された感”を徹底的に皮肉って見せている。
つまり、彼女を登場させたことによって、本作はレントンたちの”変化”ではなく、周囲の環境や社会の”変化”を表現した所が一つの妙味となっているのだ。
例えば、クレジットカードは署名の時代じゃない。メールやSNSが人間関係を空疎にした。こうした中年の愚痴がいたる所で吐露されている。それは永遠に変わらないボンクラたちの悲哀の連呼かもしれないが、しかし時代の”変化”に抗うその生き様は、かつて第1作を見たアラフォー&アラフィフ世代の胸に強く響き、彼らを永遠に変わらぬ”アウトサイダー”のように見せている。ここが今回の続編の肝で、かつて夢を追いかけていた”あの頃”に我々を戻してくれるのだ。とても”優しい”映画だと思う。
監督はD・ボイル。脚本はジョン・ホッジ。前作と同じ布陣なので作品のテイストはほぼ一緒である。
軽快でキャッチーな映像演出は相変わらず絶好調で単純に見てて心地よかった。このあたりはD・ボイルの手腕である。
また、20年前の映像を巧みに挿入する小技もうまく効いていて、かつてのファンなら思わずニンマリすることだろう。現在と過去が見事にオーバーラップするセルフ・オマージュが頻出し、これも”変化しない”レントンたちを愛おしく見せている。
そういうわけで、今作は前作を観てから鑑賞した方が断然楽しめると思う。予備知識がないと分からないシーンもあるので、ぜひ前作から観て欲しい。
本シリーズのもう一つの重要な要素は音楽である。これも今回は力が入っている。
ただ、前作は同時代的なヒットソングが名を連ねていたが、今回はそれとはかなり傾向が違う。現代のミュージシャンの曲も流れるには流れるが、それはほんの一部で、基本的には前作でヒットしたアンダーワールドの「ボーン・スリッピー」やイギー・ポップの「ラスト・フォー・ライフ」のリミックス、更にはもう少し古いクラッシュやクィーンなどが流れる。これらは、時代に取り残されたレントンたちの姿に重なるように敢えて選曲しているのだろう。よく考えられている。
キャストも夫々に好演している。さすがに20年も経てば顔の皺が目立つし、頭髪は後退し、白髪も多くなっている。ただ、レントン役のY・マクレガーだけは他の俳優陣に比べると少し若々しく映った。
更に20年後、彼らはどんなふうに年を取っているのだろうか?今回の作品を観るとそんな思いにさせられる。20年後とまでは言わないから、いずれまた同じメンバーが揃って続編を作って欲しいものである。
イタリア発のダークヒーロー映画。日本のロボットアニメを題材にしている所が面白い。
「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」(2015伊)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) テロが多発するローマ。チンピラのエンツォは、警察に追われた先で放射能を浴びて超人的なパワーを手に入れる。その力を使って早速、強盗をするエンツォ。その光景を捉えた監視カメラの映像が世に出て、彼は一躍時の人となる。そんなある日、麻薬密売の仕事をしている最中に唯一の友であるセルジョを亡くしてしまう。エンツォは天涯孤独になった彼の娘アレッシアを預かることになってしまうのだが‥。
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(レビュー) 1970年代に日本で放送されたSFロボットアニメ「鋼鉄ジーグ」にインスパイアされて作られたダーク・ヒーロー映画。
自分は知らなかったのだが、イタリアでは過去に「鋼鉄ジーグ」が放映され、その時には子供たちの間で大人気だったということである。現在ではそれを見て育った大人達がたくさんいて、今もってカルト的な人気を博しているそうである。
日本のアニメが海外で熱狂的に支持されていることは広く知られているが、実際にこういう形で映画が作られたということは異例ではないだろうか?確かに原作をそのまま実写映像化したパターンはこれまでにもあった。しかし、本作は原作を元にした、言わば二次創作的な映画である。
昨今、日本ではマンガやアニメを原作にした邦画がたくさん作られている。しかし、こうした二次創作的な映画は中々お目にかからない。過去に
「電人ザボーガー」(2010日)という作品があったが、あれなどはオリジナルにアフター・スートリーを追加することで、上手く原作オマージュな二次創作映画として完成されていた。
しかし、基本的にこういう形で映画を製作することは、現代の日本では企画的に難しいだろう。何故なら原作のイメージから逸脱するとしてファンから反発を買う可能性があるからである。それを恐れてどうしても作り手側は原作に忠実に作ることを一番に考えてしまう。
本作は遠く離れたイタリアという国で作られた映画である。だからこうした二次創作的な作品を作ることが出来たのだと思う。ある意味では非常に挑戦的な作品と言える。まずはこの目の付け所が大変秀逸だと思った。
物語は、いわゆるダーク・ヒーロー物として実に常套に作られていると思った。悪人だった主人公が愛に触れることで正義のヒーローに目覚めていく‥というストーリーである。
ただ、本作はエンツォの心を変える、きっかけがとてもユニークでそこが面白い。
彼の改心を促すのは、友人の娘で「鋼鉄ジーグ」のファンというアレッシアという少女である。彼女は母の死のショックから妄想の世界に生きるようになり、「鋼鉄ジーグ」のDVDを肌身離す持ち歩く憐れな少女である。彼女にとって唯一の楽しみは「鋼鉄ジーグ」を見ること。そんな彼女がギャングに命を狙われ、そこをエンツォに助けられる。そこから彼女はエンツォに「鋼鉄ジーグ」のヒーロー、シバヒロシを重ねて見て慕っていくようになる。やがて、エンツォは純粋な彼女の愛を知ることで次第に正義の心に目覚めていく。
物語は、エンツォとアレッシアの関係を描くストーリーの他に、エンツォの敵役となるマフィアの首領ジンガロのドラマも並行して語られる。
彼は過去にテレビショーに出演したことがあるナルシストで、いわゆる青臭い中二病気質を引きずって生きるボンクラである。子分達から完全にバカにされており、エンツォの悪行が写ったネットの動画を見て、自分はもっと大きな悪事を働いて有名になってやるぞ!と粋がる。ある意味では、彼もアレッシア同様、現実と幻想の境界を見失った憐れな青年なのかもしれない。そんな彼が最後にエンツォと激しいバトルを繰り広げる。彼のエピソードを追いすぎるあまりドラマが分散してしまった感はあるが、そこはそれ。中々面白い悪役だと思った。
見所となるアクションシーンはそれほど派手ではないものの、マーベルやDCのようなアメコミ映画にはない、良い意味での手作り感があって中々楽しめた。クライマックスのタイムリミット演出も上手くサスペンスを盛り上げている。
尚、個人的に一番グッと来たシーンは、エンツォが自動車事故から少女を救い出すシーンだった。そこからの”名乗り”は、まさに正義のヒーローここにあり!と思わず叫びたくなるような場面となっている。実に格好良かった。
物語的には色々と突っ込み所があるし、拾いきれていない伏線、説明不足などがあり、通して見ると決して完成度が高いと言うわけではない。しかし、こういうヒーローを自分たちは待っていたんだ、という作り手側の意気込みは十分に伝わってきたし、昨今のアメコミ全盛の風潮にちょっとした変化球を投げ込んできた意義は大きいように思う。中々の好編である。
尚、劇中に登場する映画のタイトルが日本語でクレジットされていたのには驚いた。どうやら向こうのポスターにも日本語が表記されているらしく、このあたりの日本に対するリスペクトには好感が持てる。監督は「鋼鉄ジーグ」のファンを自称しているらしい。やはり好きならここまでしてくれないと。
傷ついた心はそう簡単に癒せない。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(2016米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ボストン郊外でアパートの便利屋をしながら孤独に生きるリーの元に兄の訃報が入る。兄がいる港町マンチェスター・バイ・ザ・シーへ向ったリーは、そこで変わり果てた兄の姿と面会し深く悲しんだ。そして弁護士から遺言を預かる。そこには彼の長男で高校生のパトリックの後見人になって欲しいと書かれていた。戸惑いを隠せないリーは、仕方なくパトリックにボストンで一緒に暮らそうと提案する。しかし、友だちも恋人もいるからここを離れることはできないと拒まれた。一方、リーにもこの町で暮らしたくない事情があり‥。
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(レビュー) 家族の死をきっかけにして結ばれていく孤独な者同士の絆の物語。
いわゆる”喪の仕事”を描くドラマである。
家族を失った者が深い絆で結ばれていくことで徐々に死の悲しみから解放されていくという物語は、これまでに何度も観てきた題材である。しかし、本作が他の作品と違うのはラストの描き方である。
決して希望に溢れた終わり方をするわけではない。むしろ死の悲しみを払拭できず、彼らは救われないまま終わってしまうのだ。ハッピーエンドに持って行かなかったことは、映画=エンタテインメントとして捉えた場合邪道であろうが、どこまでも現実を直視させた作り手側のこの姿勢は大いに評価したい。
加えて、映画を観終わって暗澹たる気持ちになるかと言うとそういうわけでもない。一筋の光明が確認でき、決して嫌な鑑賞感にならない所が素晴らしい。
映画の中でずっと笑わなかったリーは最後にかすかな笑みを見せるし、ラストのパトリックとのやり取りには二人の関係が今後良い方向へ発展していくのではないか‥と期待させられる。
偶然にも先日観た
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」(2017米)も父子(疑似父子)のドラマだったが、この「マンチェスター・バイ・ザ・シー」も疑似父子のドラマである。そして、どちらにも父と子のキャッチボールのシーンが登場してくる。野球映画の傑作「フィールド・オブ・ドリームス」(1989米)でも感動的に描かれていたが、やはりキャッチボールは父子の絆を映像的に見せる手段として一つの王道なのかもしれない。
しかして、映画の最後の方で、リーとパトリックがぎこちなくキャッチボールをするシーンが出てくる。「そんなボール捨てておけ」と言うリーに対してパトリックが拾って投げ返す姿がとても印象的だった。このシーンを見ると、もしかしたらパトリックは近いうちにリーに会いに行くのではないか、家族としてでなく”友人”として付き合うようになっていくのではないか‥。そんな希望が感じられた。
映画は終始、重苦しいトーンに包まれていて、見ている最中は居たたまれない気持ちにさせられる。ただ、全てが暗く沈んだシーンばかりかと言うとそうでもなく、時折オフビートなユーモアが登場してくる所は面白いと思った。
パトリックは父を失った直後はショックを受けるが、暫くするといつもと変わらぬ生活に戻っていく。ガールフレンドに二股をかけたり、ロックバンドの練習に熱を入れたり、結構気ままに楽しんでいるように見えた。おそらくだが、彼なりに悲しみを紛らそうとして敢えて普段と変わらない生活を送っているのだろう。そんなパトリックと悲しみに暮れるリーとの対比が微妙なユーモアを生んでいる。
例えば、パトリックはガールフレンドとエッチをしたいのだが、彼女の母親がしょっちゅう部屋にやってきて邪魔されるので、リーに母親と世間話でもして引き留めて欲しいと頼む。しかし、リーには”ある過去”のトラウマがあり、それが原因で他者とコミュニケーションをとることが出来なくなってしまっている。結局、母親がやってきてパトリックはエッチが出来ない。
抑制された演出で描かれているので大笑いとはいかないが、思わずクスクスと笑ってしまうようなユーモアに溢れたシーンである。
また、リーの”ある過去”を中盤まで伏せて展開させたのも上手い構成に思えた。リーの過去に一体何があったのか?どうして周囲の人々が彼のことを知っているのか?そうした謎がミステリーとしての機能を果たし、ストーリーへの求心力を高めている。
やがて映画の中盤辺りでそれはリー自身の過去のフラッシュバックで解明されるのだが、これは衝撃的だった。こんな不幸を味わえば誰だって心を閉ざしてしまうだろう。彼の苦しみが伝わってきて心が痛んだ。
監督・脚本はケネス・ロナーガン。抑制された演出、リーの過去を中盤まで伏せたストーリー展開が見事である。大変寡作な作家でこれが長編3作目ということで、自分は今回が初見だった。
演出は基本的に静謐なタッチでまとめられている。また、唐突に入るカットバック演出も、一見すると分かりづらいという意見もあろう。しかし、全体の抑えたトーンを崩さなかったことを考えれば良い判断に思えた。非常に頭の良い監督のように思う。出来ることなら創作ペースをもっと上げて欲しいものである。
ただし1点だけ。音楽の使い方については物申したい。全編抑制された演出が貫かれている割に、大仰なクラシック音楽がかかるのに違和感を持った。誰もが一度は聴いたことがあるだろう「アルビノーニのアダージョ」をバックにリーの過去が回想されるのだが、ここは普通に劇伴で良かったのではないだろうか?どうにもドラマチックさを狙いすぎて受け付けがたい。
キャストでは、何と言ってもリーを演じたケイシー・アフレックの抑えた演技が絶品だった。大切なものを失った喪失感を必要最小限の演技で表現した所が見事である。彼は俳優で監督のベン・アフレックの弟である。兄に比べると今一つ地味だが、本作の演技で見事にアカデミー賞の主演男優賞に輝いた。過去に色々と問題を起こして映画界から干されていた時期があり、今回の受賞は感慨深いものがあろう。今後の奮起を期待したい。