2049年の荒廃したロサンゼルス。LA市警の捜査官“ブレードランナー”の”K”は、労働力として製造された旧型人造人間“レプリカント”の反乱の取り締まりをしていた最中、レプリカントに関する重要な秘密を知ってしまう。その頃、レプリカントを製造するウォレス社でもその秘密を探ろうとしていた。ウォレスは部下のラヴにKの行動の監視を命じる。Kは捜査を進める中で次第に自らの記憶の謎と向き合っていくようになる。
(レビュー) R・スコットが監督したSF映画史に残る傑作「ブレードランナー」(1982米)35年ぶりの続編。
時代設定を30年後のロスに置き換えて、レプリカントと人間の戦い、レプリカントの”ある謎”を巡るハードなサスペンス作品になっている。
監督は今年日本公開された
「メッセージ」(2016米)でも高い評価を得たD・ヴィルヌーヴ。ヴィルヌーヴはああ見えてかなりのSF映画ファンらしく今回の続編には並々ならぬ意欲を持って臨んでいる。
そして、製作総指揮は前作の監督R・スコットが、原案・共同脚本は前作の脚本家ハンプトン・ファンチャーが務めている。前作の柱たるスタッフが継続しているので、作品の世界観やトーンは自然に継承されており、テーマも更に深く追及されているので、前作を観た人にも安心して楽しめる作品となっていると思う。実に正統派な続編と言えよう。
とはいえ、確かに上映時間2時間43分は長いと感じた。全体的にスロウテンポな映画で、演出も決してメリハリがあるというわけではない。むしろゆったりとした演出が続くので、観た人の中には退屈と感じる人がいるかもしれない。
しかし、撮影監督ロジャー・ディーキンズが作り出す映像美に痺れ、Kの葛藤を煮詰めるヴィルヌーヴの演出に酔いしれれば決して”無駄”な”長さ”とは感じないだろう。編集で各シーンを1割削ることも可能だったかもしれない。しかし、そうしたら果たして全体の鑑賞感はどうなっていただろう?おそらくここまでズシリとした重みは感じられまい。
物語は、Kの視座で進むレプリカントと自身の秘密を探るサスペンス劇となっている。今回特徴的だと思ったのはAIのホログラム、ジョイを登場させたことだと思う。昨今何かと話題のAIだがそれをこの続編はドラマを展開させるうえでのキーパーソンとして登場させている。
ジョイは孤独なKを慰める実態なき存在、いわゆる二次元の恋人である。”人間もどき”と揶揄される新型レプリカントKと心を通わせる過程は、中々感傷に浸れる作りとなっており、共に”人ならざる”者同士、愛を確かめあう所に切なさが湧いてくる。
このロマンスは、途中で登場する娼婦用レプリカントを交えた3人のセックスシーンによって昇華されるのだが、ここは映画史におけるラブシーンの、ある種の”発明”のように思えた。技術的には何と言うことはないCGIによる合成だと思うが、何と幻惑的で斬新なことだろう。この演出を考えたヴィルヌーヴはやはり天才である。
そして、クライマックスでのジョイの別れのセリフも泣かせる。普通の監督であれば情感たっぷりに盛り上げるだろうが、ヴィルヌーヴは敢えて淡泊にスルーしてしまう。このあたりが常人の監督と違うところである。ヘンに下世話にならずに済んでいる。
前作はデッカードとレプリカントであるレイチェルのロマンスを軸にした物語だった。それに対して今回はKとジョイの、言い換えればレプリカントとAIのロマンスドラマである。デッカードが人間かレプリカントかという問題は置いておくとして、もはや”人ならざる”者達の愛をここまで哀愁タップリに描てしまった本作は、前作から更に一歩進んだ所で勝負している、と言えるような気がする。前作のロマンスを換骨奪胎しただけでも、今作はかなり野心的な作品と言える。
尚、この娼婦型レプリカントは、その造形から明らかに前作に登場したレプリカント”プリス”を想起させる。何でもこの役を演じた女優さんはプリスの格好をしてオーディションに挑んだとか‥。なるほど納得である。
本作にはこうした前作のオマージュが所々に見つかる。ファンであればそこを見つけるのも面白かろう。
何と言っても、前作の主演であるH・フォードがデッカード役として再登場し、物語後半の大きなキーとなっていくのが嬉しい。また、前作でデッカードの相棒だったガフもチョイ役で登場してくる。更には、今回の敵役ウォレスの造形には、レプリカントの生みの親タイレルが辿る顛末に呼応するかのように”盲目”という設定が付け加えられている。
今回の続編は、単体だけでもそれなりに楽しめると思うが、前作を観ているとより一層楽しめるような仕掛けが各所に施されている。そういうこともあり、できることなら前作を観た上で鑑賞した方が良いだろう。
そして、「ブレードランナー」と言えば、ロマンス以外にテーマがもう一つある。それは、アンドロイドであるレプリカントが如何に命の尊さを知っていくか‥という、言わば生命尊厳というテーマである。
前作はレプリカントの反乱分子のリーダー、ロイがデッカードの目の前で、そのことを証明して見せたわけだが、本作もラストで同様のことが訴えかけられている。このラストにおけるKの”ある行動”。ジョイとの愛を知ったからこそ導き出せた”ある行動”に、自分は思わず落涙してしまった。余りにも悲しすぎて切なすぎる終幕である。前作に引けを取らないエンディングと言えよう。
H・ジマーとB・ウォルフィッシュの音楽も予想外に良かった。前作の音楽を担当したヴァンゲリスへのオマージュが感じられる。当初は、最近ヴィルヌーヴとコンビを組んでいたヨハン・ヨハンソンの名前もクレジットされていたが、途中で彼は降板してしまった。その情報を聞いていたので少し心配したが、それは無用なようだった。
このように、本作はあの「ブレードランナー」の続編として、実に見事な完成度を誇った傑作になっていると思う。エポック・メイキングだった前作ほどのインパクトはないものの、テーマの深遠さと、主人公への感情移入の仕方においては前作を超えているといっても過言ではない。監督のD・ヴィルヌーヴには、ここまでの感動を味わせてくれたことに素直に拍手を送りたい。
ただ、ここからは少し不満も述べたいと思う。完成度が高いだけに余計に目につく不満である。
まず、クライマックスシーンに不満を覚えた。雨が降りしきるビルの屋上を舞台にした前作のクライマックスシーンは実にスリリングで今見ても十分に迫力があった。今作のクライマックスにはそれに匹敵するような刺激が感じられなかった。水は生命の源泉と言うが、このシチュエーションの裏に隠されたポイントはそこだろうか?今一つ盛り上がらなかったのが残念である。
また、今回の最大の敵であるウォレスの動向が最後まで分からずじまいなのもいただけなかった。どうやらR・スコットは復活した「エイリアン」同様、この「ブレードランナー」もシリーズ化しようと画策しているらしいので、敢えて謎を残した‥という風にも考えられる。しかし、彼の動向が終盤なおざりになってしまったのは、やはり見てて少し釈然としなかった。