ゴッホの死の真相を斬新な手法で綴ったアニメーション作品。
「ゴッホ 最期の手紙」(2017英ポーランド)
ジャンルアニメ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) オランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホが自殺してから1年後。青年アルマンは郵便配達人の父ジョゼフから1通の手紙を託される。それは父の友人であるゴッホから弟テオに宛てられた最期の手紙だった。たびたび問題を起こして村の厄介者だと思っていた画家のことを大切に思う父の気持ちを知り、アルマンはテオを捜しにパリへと向かうのだが‥。
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(レビュー) 不遇の画家フィンセント・ファン・ゴッホの死の真相を、一人の青年の目を通して描いたアニメーション作品。
アニメーションとは言っても本作は全編動く油絵で表現された異色の作品である。映画冒頭に出てくるが、本作のために集まった画家は100人を超えるという。更に、資料を調べてみると使用された油絵の枚数は6万枚以上だという。実際の俳優を使って実写で撮影した後に、それを元に画家たちが油絵を描いたということだ。想像を絶するような作業だが、一体どれほどの時間と労力がかかったのだろうか。これは紛れもない労作である。
ただ、実際にアニメーションとして純粋に観た場合、動きがガタガタであるし、場面によって淡泊な画面だったり、全体的にはかなり”雑”である。1秒間に12枚使用したというのだから動画枚数としてはかなりのクオリティだが、観ている最中の印象としては、やはり油絵で動く映像を作るというのは難題だったのかもしれない‥。そんな風に思ってしまった。
とはいえ、この企画に挑戦した意気込みは大いに評価したいし、おそらく今後こうした映画製作は難しいだろう。一見の価値は確実にある作品だと思う。
しかも、描かれた油絵はゴッホのタッチに似せており、登場人物も氏が残した絵のモデルにわざわざ似せている。このテーマを描くのにわざわざ油絵のアニメーションという手法を用いた理由は正にここである。実写ではこの味わいは絶対に出せないだろう。
物語は、ゴッホの死を青年アルマンが探っていくミステリーになっている。ゴッホに所縁のある人々を訪ねながら死の真相を究明していく過程は、丁度ゴッホという人物の数奇な人生を辿る作業に似てる。
自分は過去にK・ダグラスが主演した「炎の人ゴッホ」(1956米)を観たことがある。自らの片耳を切り落とした有名な逸話を題材にした今作は、ダグラスの熱演が素晴らしかったが、映画の中では彼がその後どうして自殺したのかという所までは深く描かれていなかった。したがって、自分はその後の話という感じで今回のドラマを実に興味深く観ることが出来た。「炎の人ゴッホ」を観た上で本作を観ると丁度良いかもしれない。
ストーリーは存外シンプルで誰が観ても楽しめるように作られている。ただ、鬼才の死を巡るミステリーとしては少々スケールが小さいし、ストーリーの視座となるアルマン自信のドラマも一応は用意されているがあくまでサブ的な扱いで食い足りない。
このあたりは、絵画のようなアニメーションという実験的映像、もっと言えばいわゆる3D型アトラクション映画に通じるような”映像の主張”を優先させた結果なのだと思う。基本的には目で見て楽しむアート作品という趣向が強い。
尚、元となった実写映像のキャストの中にはシアーシャ・ローナンの名前がクレジットされていた。
「つぐない」(2007英)でデビューした少女も今ではすっかり大人のレディに成長していて驚かされた。
バイオハザードのフルCGアニメ第3弾。

「バイオハザード:ヴェンデッタ」(2017日)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) 対バイオテロ組織BSAAのクリスは、武器商人グレン・アリアスのテロ計画を阻止せんと敵のアジトに潜入するが、あと一歩のところで取り逃してしまう。一方、元ラクーン市警の特殊部隊S.T.A.R.S.の一員だったレベッカは、現在は大学教授として新型ウィルスの研究をしていた。ウィルスの治療薬の開発に成功したその時、グレンが差し向けたアンデッドたちに命を狙われる。
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(レビュー) 人気ホラーゲームをフル3DCGで映像化したアニメーション作品。
これまでに
「バイオハザード デイジェネレーション」(2008日)と「バイオハザード ダムネーション」(2012日)の2作品が作られた。本作はそれらに続く第3弾となる。
ただ、今回は前2作からスタッフが大幅に変わっており、その意味でも新たに仕切り直しといった感じの作品になっている。
注目すべきは、エグゼブティブプロデューサに清水崇が参加していることであろう。清水崇と言えば「呪怨」シリーズの監督であり、ハリウッドでもリメイクをヒットさせた俊英である。その彼が参加しているということは、ホラーテイストが強調された作りになっているのだろう‥と期待した。
しかしながら、ホラーっぽいのはアバンタイトルのシーンのみで、あとは前2作同様。アクション主体な作りになっている。少し肩透かしを食らった感じがした。
とはいえ、アクション自体は大変小気味よく、映像演出もスピーディーで見てて飽きなかった。クリスやレオンといったシリーズではお馴染みの面々の華麗な”タテ”は、これぞアニメならではのケレンミ、実写では到底不可能なカタルシスを味あわせてくれる。ガンフーを取り入れた所も面白い。
但し、流石にレオンのバイクアクションはどうかと思ったが‥(苦笑)。
監督は辻本貴則。これまでの作品は未見であるが、フィルモグラフィーを調べた限りアクションを得意とする監督のようだ。おそらく今回もそこには相当力を入れているのだろう。アニメは今回が初演出だが、実写でもこれくらいのセンスを発揮できれば日本のアクション映画もかなり変わるのではないだろうか?そのためには、アクションを演じれる俳優が必携であるが‥。
また、映像表現も前2作に比べて格段にレベルアップしている。CGはより精巧緻密になっていて見応えがあった。但し、光の加減の問題なのか、レオンの髪の色が場面によって違っていたのはちょっと突っ込みを入れたくなる部分であった。
一方、ストーリーはいたってシンプルで難しいことを考えずに追いかけることができた。欲を言えば、展開にもう少し捻りが欲しいか‥。どうしてもアクション主体なシナリオなため余り手の込んだ話には出来ないでしまっている。全体の尺が90分強なので、この辺りは致し方なしか‥。
話題の感動アニメ劇場版。

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2013日)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) じんたん、めんま、あなる、ゆきあつ、つるこ、ぽっぽは“超平和バスターズ”を名乗り、秘密基地でいつも一緒に遊ぶ仲良し6人組だった。ある日、めんまが事故で亡くなり、残された5人はそれぞれに後悔や未練を抱えたままバラバラになってしまう。それから5年後、引きこもり状態の高校1年生じんたんの前に、姿だけが成長しためんまの幽霊が現われる。
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(レビュー) 2011年にテレビシリーズとして放送された同名アニメの劇場版。テレビから1年後を舞台にした後日談となっている。
一見さんには少々厳しい内容なので、あらかじめテレビ版を見た上で鑑賞した方がいいと思う。
一応、夫々の視点で過去の回想は描かれるが、それだけでは情報として不十分である。例えば、何故ゆきあつがめんまの格好をしているのかは、本作を見ただけではよく分からないだろう。これは彼がめんまの事故死に大きく関係していたからであり、そのあたりの詳細はテレビシリーズを見ていないと理解できないと思う。
また、本作にはめんまの事故死を描写するシーンは一切出てこない。ここはテレビシリーズでも敢えてぼかした表現に留められており、視聴者が想像するように作られていた。しかし、この映画版ではそれすらもカットされているので、かなり不親切な内容となっている。
物語は1年前のダイジェスト(回想)と現在のドラマの交互で構成されている。
この「あの花」はテレビ放映時から、感動できるという評判でかなり話題となり自分もリアルタイムで観ていた。その後も人気は衰えず、こうして劇場版が製作され、その2年後には実写化もされた。テレビ放映時は毎週続きが気になり夢中になって見た記憶がある。
しかしながら、今回改めてこうしてダイジェストで見せられる、どうにも泣かせるシーンの連続で白けてしまう。前半は10分に1回は誰かが泣いている状態で、さすがにこれでは涙の押し売りである。逆に全然泣けない。
加えて内心をすべからく声に出して発してしまうので、情緒が全く感じられなかった。そんな恥ずかしいセリフを声に出して言うか?という思いが沸き起こってしまい、全て嘘っぽく聞こえてしまうのである。
テレビではもっとじっくりと時間をかけて引き出されるセリフなのでリアリティが感じらた。しかし、ダイジェストだと同じセリフでも全く感動できないのである。
一方、現在パートのドラマも、まるで取ってつけたような後日談で味気なかった。じんたん達は過去を振り返るのみで未来を見つめようとしない。過去に捉われて悔恨するようなドラマは決して珍しくはなく、自分もたくさん観てきた。しかし、その多くはラストで何かを得て終わる。登場人物たちは何か”変化”をして終わる。それがドラマというものだと思う。
しかし、本作にはそれが無い。過去を振り返るだけで主人公たちが”変化”するわけでもなく中途半端なまま終わってしまっている。
テレビ版は非常に面白く観れたが、この劇場版ではその域から一歩抜き出るどころか逆に後退してしまっているような気がした。結局一番感動したのはテレビシリーズのクライマックスシーンと同じであり、何か新しい発見をすることは出来なかった。
これなら完全新作で新しいドラマを見せてくれた方が楽しめたのではないか‥と少し残念な気持ちになった。
驚異のアニメ―ションに目をみはるばかり。
「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」(2017米)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 病気がちな母と2人でひっそりと暮らしている少年クボは、三味線の音色で折り紙を自在に操る不思議な力で大道芸を披露していた。そんなある日、何者かに命を狙われ、間一髪のところを母の犠牲によって救われる。一人になってしまったクボだったが、そんな彼の前に厳しいけれど世話好きなサルと陽気な弓の名手のクワガタが現われ仲間となる。クボは自らの出自と一族を巡る秘密を探る過酷な旅へと出る。
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(レビュー) 「コララインとボタンの魔女」(2009米)を製作したスタジオライカが放つ驚異のストップモーション・アニメ。
古い日本を舞台に、数奇な運命に翻弄される少年の道程をアクションと感動で綴った冒険活劇である。
まず何と言っても、画面のクオイティの高さが尋常ではない。観ている最中唖然としっぱなしだった。キャラクターや美術に至るまで、まるでCGと見まごうほどのなめらかな動きで感心させられた。「コラライン~」のアニメーションはまだ人形っぽさが残っていたが、今回はそれをはるかに超えるクオリティである。これだけのアニメーションを作り上げたスタッフの努力と気概にまずは拍手を送りたい。
一方、ストーリーはというと、こちらはシンプルで誰でも入り込みやすい内容になっている。
旅のお供となるサルとクワガタの掛け合いも良い味を出しているし、アクション・シーンもケレンミがあって痛快である。
欲を言えば、黒幕である月のミカドの存在をもう少しフォローするのと、母の妹たちの存在意義をドラマの中でもっと絡めて欲しかった。「コラライン~」の所でも書いたが、ライカの作品はストーリー上、色々と突っ込み所がある。敢えて説明をしないで想像の余地を残しているようにも思えるのだが、この2点については重要な点なので詳細に語って欲しかった。
それと細かいことを言えば、黒幕の造形が若干中国寄りになっているのも気になった。
ただ、こうした不満は残るが、全体としては中々よく出来たドラマだと思う。何と言っても、サルとクワガタの見顕しにきちんと感動できたことが大きい。予想通りではあるが、映像の力によってそれが何倍にも感動的な物に見えてくる。
また、自分は今回の作品からクボの成長というドラマ以外に、もう一つのテーマを読み取ることができた。それは”物語る”ことへの執着である。
クボは母から自分の出自の話を聞いて、それを大道芸で披露している。しかし、母は記憶障害で肝心のラストが分からない。したがって、クボはいつまでたっても結末を語ることができない。今回のクボの冒険も出自を探る旅で、それは母が語る物語のラストを探ることを意味している。
つまり、この映画の物語は”物語”のラストを追い求めることがテーマとなっているのである。
昨今の終わりの見えないシリーズ化作品、特にアメコミ大作等が人気を博している。興行的に成功している以上、製作側は次々と続編を作ってお客の興味を引き続けなければならない。最近自分は、この傾向は如何なものだろうか‥と思うことがある。お客は物語を見に映画館へ行く。それは最後がどうなるかを楽しみに見に行くものだと思う。しかし、ラストで当面の敵を倒して一件落着。エンドロールの後に次回作の伏線が登場して終わる。これでいいのだろうか?自分などは、いつまでたっても終わりのない物語を見せられているみたいで釈然としない気持ちになってしまう。
本作にはそんな昨今の映画産業に対するアンチテーゼが込められているのではないだろうか?自分はクボの”物語る”ことへの執着にそれを感じ取った。
物語は終わりがあるから面白いのであって、終わりのない物語はつまらないものである。
ホドロフスキーのセンスが炸裂した自叙伝第2章!
「エンドレス・ポエトリー」(2016仏チリ日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 故郷を捨て首都サンティアゴに移住したホドロフスキー一家。青年アレハンドロは、抑圧的な父に反発して家を飛び出し、芸術家姉妹の家に転がり込むことになった。そこで自由な生き方を謳歌する若きアーティストたちと交流を重ね、自らも詩人として生きていく覚悟を固めていく。そんなある日、ステラという女性と出会い恋に落ちる。
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(レビュー) 鬼才A・ホドロフスキーの自伝的映画
「リアリティのダンス」(2013チリ仏)の続編。
少年期を描いた前作から数年後を舞台に、詩人として自立していくアレハンドロの姿が周囲の人間たちとの交流を踏まえて描かれた青春映画である。
前作を観てから本作を観た方がいいと思う。そうでないと父との確執が今一つ実感として伝わってこないからである。最終的にその父から独立するというドラマになっているので、そこはポイントとして予め掴んでおいた方がいいだろう。そうでないと感動は余り得られないかもしれない。
さて、前作から3年。再度自伝的要素の強い続編を完成させたことは驚きである。前作は長いブランクを経て約24年ぶりの新作だったわけで、その空白期間を思えば今回の3年ぶりの新作は奇跡に近い快挙(?)である。製作費の問題など色々と困難はあろう。しかし、ここにきてまるで水を得た魚のように新作を立て続けに発表していることは嬉しい限りである。
かくして完成した自伝映画の第2章だが、今回は青年期を対象にした、いわゆる恋と友情、自律といった青春談となっている。前作は後半から父の革命の戦いというドラマをフィーチャーした結果、ややドラマとしての力点が拡散してしまったが、今作はそういうことはない。アレハンドロの視点が最初から最後まで固定されており、非常にすっきりとしたドラマになっている。
やや通俗的すぎるきらいもあるが、そこはそれ。ホドロフスキーらしい奇抜な演出、奇妙奇天烈なキャラクターたちの共演が氏らしいシュールでマジックリアリズムな世界観を作り上げている。誰にも真似できない独特のセンスに今回も酔いしれた。
ホドロフスキー本人も前作同様、画面の中に度々登場してくる。物語のナビゲーターだったり、青年アレハンドロを指南する後見人だったり、その役回りは様々である。
来日時には気さくにファンと交流したり、映画のみならず様々なエンタメ活動をこなす才人だけに、画面に出ればそれだけで突き抜けた存在感を発揮するが、そのあたりも含めて自分は氏のことをとても”お茶目なおじさん”だと思っている。世紀のカルト作「エル・トポ」(1969メキシコ)を撮った伝説的映画監督を評して言うのもあれだが、巨匠らしくない所に好感を持てる。
したがって、画面に登場すると何だか愛おしくに思えてしまうのである。
ただ、そんな彼も1箇所だけ。ラストの父との別れのシーンだけは、非常に辛く真剣な表情で登場してくる。ここはとても感動的だった。
ホドロフスキーは、この場面で青年時代の自分自身に向かって、父に別れの抱擁を促す。それは、父を憎んできた過去の自分に対する悔恨から、あるいは今は亡き父に対する愛から出た言葉なのかもしれない。自分は、この別れの抱擁に込められた意味を考えてとても悲しくなってしまった。
人は年を取って初めて過ちに気付くものである。大抵は取り返しのつかないことに諦め、そして悔やむものである。あの時に優しくしていれば。あの時にちゃんと向き合っていれば‥。現実ではやり直しは出来ない。しかし、映画の中ではそれが出来るのだ。
ひょっとしたらホドロフスキーはこの映画で父との絆を再生したかったのではないだろうか…。このラストを見てそんな風に思った。そう考えると、前作で自分が読み取った「父性愛」というテーマもここで一層鮮明に反芻される。
尚、今回は撮影監督をC・ドイルが務めている。ドイルと言えば独特の映像感性で幻惑的、スタイリッシュな映像世界を構築するカメラマンである。過去にも様々な有名監督たちとコンビを組んで、その手腕を発揮してきた。しかし、本作に関して言えば、いつものドイルらしさよりも、ホドロフスキーの強烈な個性が勝っているという感じがした。
例えば、詩人が集うバーの無機質的な空間などはかなりシュールでホドロフスキーのセンスのように思う。また、本作で最も奇妙でゴージャスな終盤の祝祭シーン。赤の死神と黒の骸骨が入り乱れる群舞も、映像のコントラストは華やかで実に祝祭感に溢れた名シーンとなっている。これもいかにもホドロフスキーらしい映像センスだろう。
さて、映画は青年アレハンドロの出立という形で終わっている。もちろんホドロフスキーは続きを構想中だろうが、果たして次はいつになるのか?年も年なのでもうあまり無理は出来ないだろうが、ぜひ存命の内にこの大河ドラマを完成させてほしいものである。
総合格闘技界を舞台にしたハードな人間ドラマ。

「ウォーリアー」(2011米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) アルコール依存症だった父のせいでバラバラになってしまったコンロン家。二男トミーは14年ぶりに父バディの元を訪ねる。一方、高校教師になった長男ブレンダンは、妻子と幸せな家庭を築いていた。病気の娘の治療費のために、かつて格闘家でもあった彼はファイトマネー目当てにアマチュアのリングに上がる。しかし、このことが学校にバレてしまい停職処分になってしまう。その頃、トミーも大学時代に培った格闘家としての腕を試すべく総合格闘技のジムへ入門した。彼はそこで世界ランカーの選手をノックアウトして周囲を驚かす。
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(レビュー) 総合格闘技にかける兄弟の壮絶な戦いをエネルギッシュに描いた作品。
ボクシング映画はよく目にするが、総合格闘技を描いた作品というのは余り無いのではないだろうか?昨今のMMAブームもあってか、今作はそこを舞台にした異色のスポーツ映画となっている。
とはいえ、あくまで総合格闘技はドラマを成す一つのピースに過ぎず、本文は長年対立していた兄弟の愛憎ドラマである。
本作最大の見所であろう後半部のファイトシーンは、専門家が観れば色々と突っ込みたくなる部分があるかもしれない。ただ、そうした欠陥があるとしても、ドラマ自体はとても丁寧描かれていて、自分は好感を持った。
コンロン家はアル中の父バディのせいでバラバラになってしまう。長男ブレンダンは母に引き取られ、二男トミーは父に引き取られる。正に運命のいたずらによって幼い兄弟の人生は別離してしまう。映画の語りは夫々にあり、彼らが辿ってきた過去、因縁が徐々に明るみになっていく‥という構成になっている。
二人は共にレスリングの選手だったこと。バディはトミーの方に才能を見出し熱心にコーチしていたこと。トミーが戦争に出兵したこと。家族を崩壊させたバディを兄弟とも憎んでいたこと等々。家族のバックストーリーが、兄弟の長年に渡る確執を浮き彫りにし、父の贖罪の意に悲哀の色を滲ませていく。
少し根気よく見てやらないとしんどいかも知れないが、中々ミステリアスに描かれていて個人的にはかなり引き込まれた。
やがて、憎しみ合っていた兄弟はMMAのトーナメントで顔を合わせることになる。容易に想像がつく展開ではあるが、それまでの2人の半生が丁寧に描写されているおかげで感情移入も十分。果たしてどちらが勝つのか?トミーの荒んだ心は救われるのか?バディは息子たちに許されるのか?ブレンダンの娘の運命やいかに?といった様々な問題が決着を見せる。このクライマックスの戦いは、流血まみれの派手な格闘となっており見てて興奮させられた。と同時に、なぜ兄弟でここまで争わなければならないのか‥という悲劇性に泣かされてしまった。
また、個人的には決戦前夜となる夜の海辺のシーンも印象に残った。ここで兄弟は初めて言葉を交わし夫々の胸中を告白するのだが、この時のトミーの苦しみ、悲しみは見てて胸が痛んでしまった。
監督・原案・共同脚本はギャヴィン・オコナー。初見の監督であるが演出手腕は中々の物である。キャストの熱演のおかげもあると思うが、クライマックスとなるファイトシーンは大変熱気に帯びた映像に仕上がっている。
ただし、このクライマックス・シーンで1点だけ蛇足かな‥と思う箇所があった。トミーはイラク戦争で戦友の命を救った英雄として周囲から称賛を浴び、彼を応援しようとたくさんの兵士が会場に駆けつける。盛り上げたいのは分かるが、これは無粋である。そもそも、彼の名誉の救出劇がニュースになったのは試合の前日である。あれだけ大勢のチケットをどうやって入手したのだろうか?かなり奇異に映った。
もう一つだけこの映画で不満がある。それはブレンダンの元生徒たちによる応援である。ライブビューイングという形でお祭り騒ぎのように盛り上がるのは結構だが、誰がどうやってあれだけの規模の会場を用意したのだろうか?そこもかなり気になってしまった。
キャストではトミー役を演じたT・ハーディーの憂いを帯びた演技が素晴らしかった。彼は本作のために肉体改造を施し、この役に望んだと言う。その成果は見事に発揮されている。
ブレンダン役を演じたジョエル・エドガートンも好演。彼は
「キンキーブーツ」(2005米英)で見た時とは打って変わって、対するT・ハーディーに負けず劣らずなタフな身体を作り上げている。
そして、二人の父親役バディを演じたN・ノルティも渋い演技を見せている。アルコールで身を滅ぼした中年の孤独を淡々と切なく演じている。特に、長年絶っていた酒に手を出してトミーの前で泣き崩れる演技は絶品だった。この時バディとトミーの間に少しだけ父子の絆が戻った‥。そんな風に思えた。
トム・ハーディーの芝居に惹きつけられる。

「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」(2013英米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) コンクリート会社で現場監督の仕事をしているロックは車でハイウェイを走らせていた。彼が向かっているのは遠く離れたロンドンの病院。そこで不倫相手の女性が出産しようとしていたのである。実は、彼には翌朝に重大な仕事があった。そして、この夜は愛する家族との団らんの約束もあった。しかし全てを捨てて彼は必死に車を走らせていく。
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(レビュー) 順風満帆だった男が全てを捨てて新しい人生を掴み取っていく様を斬新な構成で綴った作品。
いわゆる1シチュエーション型のスリラーだが、ランタイム90分弱と短く、軽快なテンポで進むので最後まで面白く観ることが出来た。
また、ロックを演じたT・ハーディーの好演も大いに見応えがある。本作は彼の一人芝居の映画となっている。家族や同僚からひっきりなしにかかってくる電話の対応、過去の自分を回顧しながら自問する芝居は、まさに独壇場といった感じである。その熱演に惹きつけられた。
物語は、ほぼリアルタイムで進行する一夜のドラマとなっている。ロックは過去に仕事先で一度だけ関係を持った恋人がいて、その彼女が赤ん坊を出産することになる。知らせを聞いたロックは病院へ急行することになる。しかし、翌朝には大事な仕事が控えている。また、その夜は家族との団欒を約束していた。ロックはそれらを全て断って不倫相手の出産に立ち合おうとハイウェイを突っ走る。
どうしてロックは彼女に対してそこまでするのか?それは映画を観ていくうちに段々と分かってくる。本作はこのあたりの物語構成も中々よく出来ている。
実は、ロックは過去に父に捨てられたトラウマを抱えている。その時に受けた心の傷が今でも彼の心を蝕んでいるのだ。そして、自分は父と同じような人間になりたくない、生まれてくる子供のために良き父親になろうという使命感が、彼を突き動かしているのである。
しかし、それでは仕事仲間や愛する家族はどうなるのか?ということになる。ここが本ドラマのミソである。あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず。そうした葛藤がロックの胸中に渦巻き90分弱のドラマを見事に牽引しているのだ。
本作はロックの行動に一定の理を持たせながらも、果たしてそれが正しい選択なのかどうか?という問いかけを常に観客に投げかけている。この映画の面白い所は正にここで、観ている我々もロックの心境に寄り添いながら、彼の葛藤を身近なものとして考えられるのである。
ギリギリの状況に置かれた人間の心理ほど面白いものはない。本作はその面白さをコンパクト且つ切れ味鋭く詰め込んだ意欲作になっている。
監督、脚本はスティーヴン・ナイト。元々脚本家として活躍していた人物らしく、監督としてはこれが長編2本目ということである。車中のシーンが延々と続く映画を、画面のメリハリを上手くつけながら飽きなく見せた所に非凡なセンスを感じる。
ただし、一点だけ不満に思った個所があった。ロックは急いで運転している割に、結構な台数の後続車に追い抜かれていた。このあたりはどう解釈したらいいのか?それが彼の迷いを意味しているとも捉えられるが、そうであるならばもう少しそのあたりの心理を表面化しても良かったように思う。切迫した状況を失する絵面で残念だった。