サブカルネタがぎっしり詰まった痛快娯楽作。
「レディ・プレイヤー1」(2018米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 2045年、荒廃した近未来で人々はVRワールド“オアシス”に夢中になっていた。ある日、オアシスの開発者ハリデーが亡くなり、彼の遺言が発表される。それは、彼が仕掛けた3つの謎を解きオアシスに隠されたイースターエッグを最初に見つけた者には、オアシスの全権と全財産を譲り与えるというものだった。17歳の少年ウェイドはこの争奪ゲームに参加し、その中で謎めいた美少女サマンサに出会う。一方で、オアシスを我が物にしようと企む巨大企業IOIもこの争奪戦に参加する。こうしてオアシスを舞台にした戦いは激しさを増していく。
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(レビュー) 2011年に刊行されたアーネスト・クラインの小説「ゲームウォーズ」を巨匠S・スピルバーグが監督したSFアクション大作。
原作発表時から一部のファンの間で話題になった作品であるが、映像化の実現については様々な難題が予想されていた。というのも、劇中にはウルトラマンやガンダム、エヴァンゲリオンといったキャラクターが多数登場するため、全ての版権を取るのは不可能だと思われたからである。
しかし、世界的な巨匠スピルバーグが監督として名乗り出たことによって、これらの版権の幾つかはクリアされた。原作の全てが実現できたわけではないが、こうして完成したのだから、間違いなくスピルバーグのおかげと言っても過言ではない。改めてスピルバーグという名前の偉大さに気付かされる。
尚、脚本には原作者であるアーネスト・クラインも参加している。原作の世界観を壊さず、それでいて映画オリジナルのアイディアも盛り込まれており、原作ファン、原作を知らないファンでも楽しめる内容となっている。
見所は何と言っても、あちこちに登場する様々なキャラクターたちである。余りにも画面の情報量が多いため見落としてしまうキャラがいるかもしれないが、それくらい映像としてのサービス精神が満点である。
一方、ドラマの方もシンプル、且つ少年の冒険談として実に王道にまとめられていて安心して楽しめることが出来る。確かに稚拙な内容とも言えるが、ディストピア物として中々よく出来ているのではないだろうか。
老いも若きも皆、VRに没頭する姿はどこか滑稽だが、一方でどこか怖さも感じてしまう。現代の格差社会の行きつく先が予言されているかのようである。
とはいえ、映画は全編”虚構(オアシス)”を中心とした冒険の連続で展開されるものの、ラストは”現実”に寄せて終わっている。これは本作の、そしてスピルバーグの良心だろう。人はいくら仮想空間に夢中になっても最終的には現実世界に目を向けて生きるべきだ…というメッセージが、人間本来の生き方を示している。現実と虚構を対立させたドラマ仕立ては、取り立てて斬新ではないが実にシックリとくるものがあった。
そして、劇中にかかる音楽も80年代のヒットナンバーが中心でどこか懐かしい。ノスタルジーと未来の奇妙な掛け合わせで思い出されるのは
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014米)だが、本作もそれと似た奇妙なテイストが味わえる。敢えて80年代に絞ったのは、現在アラフォーである原作者の趣味か、あるいは能天気で明朗な80年代をディストピアの世界観に逆説的に反映させたものか。いずれにせよ音楽もとても魅力的だった。
尚、個人的に最も面白かったシーンは、ウェイドたちが第2の鍵を見つけるべく”ある映画”の世界の中に入り込むシーンだった。まさかスピルバーグが”あの巨匠”の映画をここまでコピーしてしまうとは…。思えば、本作以前にスピルバーグとこの巨匠の間には”ある作品”を通して接点があった。そこを考えると今回のオマージュも合点がいく。ここは映画独自の改変らしい。
また、オアシスの創設者ハリデーにスピルバーグ自身を投影してみると、本作は中々味わいが増す。ハリデーがウェイドに語る最後の言葉は、そのままスピルバーが我々観客に訴える言葉のようにも聞こえてくる。自分はこのシーンでしみじみとしてしまった。
人気コミックの実写映画化。

「アイアムアヒーロー」(2015日)
ジャンルホラー・ジャンルアクション
(あらすじ) 漫画家アシスタントをしている鈴木英雄は、うだつの上がらない日々に閉塞感を感じていた。同棲中の恋人からも見放されいよいよ行き場を無くした彼は、ある日異常な光景を目の当たりにする。恋人も仕事場の同僚たちも突然凶暴化して殺し合いを始めたのだ。気が付くと街全体がパニックに陥っていた。英雄は避難中に出会った女子高生・比呂美と共に彼ら“ZQN(ゾキュン)”の襲撃を逃れるべく富士山中を目指すことになる。
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(レビュー) 同名コミックの実写映画化作品。ZQNと呼ばれる感染者との戦いを激しいバイオレンス描写を交えて描いたアクション作品である。
原作は全部読んでいるわけではないが、かなり緻密な画面で描かれた劇画で、これは実写映画化向きだな…と思った。ただ、この手の作品は邦画で実写化するとどうしてもチープになりがちである。果たしてどこまで再現できているのか?そこをポイントに見てみた。
結論から言うと、中々どうしてZQNはかなり恐ろしくリアルに造形されていて迫力がある。クライマックスのアクション・シーンのゴア描写もかなり力が入っていて、予想以上の出来栄えだった。
特に、人々がZQN化していく序盤のパンデミック風景にはゾクゾクするような興奮が味わえた。英雄の恋人、彼の仕事仲間、更には住宅街から街の大通りへとパンデミックが拡大していく様が臨場感あふれるタッチで描かれている。観ているこちらも英雄の身になって、この異常と化した光景の恐怖と混乱を肌で感じ取れた。
その後、英雄と比呂実が出会い、一路富士山麓を目指すロードムービーになっていく。残念ながら個人的にはここで失速してしまった。そもそも富士山を目指す動機が説得力に欠けるし、基本的に二人だけの芝居になってしまうため、パニック映画的な醍醐味が失われてしまった。何とも漫然としたやり取りに終始し、途端に緊張の糸がプツリと切れてしまい残念である。
後半は富士山のショッピングモールを舞台にしたサバイバル劇となる。ロメロの「ゾンビ」(1978米)でお馴染みの”あの”シチュエーションである。
しかしながら、生き残った僅かな人々との共闘と対立というドラマは既視感が拭えず、個々のサブキャラも紋切り的で食い足りない。「ゾンビ」のようなモラトリアムな空気感に包まれるかというとそういうわけでもなく、結局このシチュエーションは何のために必要だったのか。英雄の覚醒を描くこのドラマで、本当に必要とされる舞台だったのかどうか?という疑問が湧いてしまった。「ゾンビ」のオマージュは結構だが、そこに至る理由に説得力を持たせてほしかった。
とはいえ、単純にアトラクションとして楽しむだけなら、クライマックスのアクションシーンはかなり楽しめる。何しろZQNの造形が頑張っているし、それまで鬱積していた英雄のフラストレーションが一気に解放されるのでカタルシスも十分である。
ラストは中途半端な所で終わってしまっているが、余韻を引くと言う意味ではこれも良い。英雄の中で”ヒーロー”の意味が変わることで、テーマに一通りの決着が付けられている。
キャストでは英雄を演じた大泉洋が中々に良かった。目だし帽を被ることで敢えて表情をはっきりと見せない造形が奏功している。それによって持ち前のコメディ色を上手く隠している。
伝説的マンガの実写映画化第2弾!

「HK/変態仮面 アブノーマル・クライシス」(2016日)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) 世間で次々とパンティが消えるという謎の事件が起こっていた。色丞狂介は愛子のパンティを被って変態仮面に変身して、事件の究明に乗り出す。そんな中、愛子に秘かな思いを寄せる真面目青年、真琴は、狂介に対する嫉妬の憎悪を募らせていく。
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(レビュー) パンティを被って戦うヒーロー、変態仮面の活躍を描いた伝説のコミックの実写映画化第2弾。
「HK/変態仮面」(2013日)と同じスタッフ、キャストで作られた続編である。
前作から数年の月日が経ち、主人公・狂介やヒロイン愛子は大学生という設定になっている。パンティー盗難事件をきっかけにした前回の宿敵・大金玉男との戦い。そして、新キャラ真琴の登場により、狂介と愛子との三角関係が語られている。
前作は非常にハイテンション&お下劣なバカ映画だったが、今回もその流れを継承している。
正直に言うと、前半は少々退屈してしまった。玉男が差し向ける刺客が登場するまでの序盤30分が冗漫である。今回新たに敵役となる真琴絡みのストーリーも平板で、且つ狂介と愛子の関係崩壊も回りくどい形で進行する。そもそも愛子が渡米する必然性はあったのだろうか…。単に「スパイダーマン」のパロディをやりたかっただけなのでは?
本番はやはり宿敵・玉男が登場して以降だろう。キャストのムロツヨシの怪演は今回も健在で笑わせてもらった。狂介を演じる鈴木亮平の鍛え抜かれたボディもそうだが、やはり本作はキャストの魅力に尽きる。
更に、前作で変態仮面と激しい抗争を繰り広げた戸渡役・安田顕も別の役で再登場してくる。今回も嬉々として変態っぷりを披露し、これまた大いに笑わされた。
そして、今回新たに登場するのが「誰も知らない」(2004日)でカンヌ映画祭史上最年少で主演男優賞を受賞した柳楽優弥演じる真琴である。前半の生真面目な大学生という出で立ちから一変。後半では何かが吹っ切れたかのような活き活きとした怪演を見せている。かつての瑞々しい面影は微塵もない。しかし、それが良い。
アクションは前作よりも更にパワーアップしていて見応えを感じた。鈴木亮介の身体を張った格闘も堂に入っているし、撮り方も前作に比べて洗練されている。
ただ、ラストが呆気なかったのは残念だった。これもまた妙味と言えるかもしれないが、せっかく盛り上げておいてこれでは余りにもお粗末すぎる。
先述した「スパイダーマン」のオマージュも本家には遠く及ばない。このチープさが”らしい”と言えば”らしい”が、どうせバカをやるなら、単なる物真似ではなくオリジナルを超えるようなパワーが欲しかった。とはいえ、序盤の「スパイダーマン2」(2004米)のパロディには笑わせてもらったが…。
他に「ベスト・キッド」(1984米)のパロディなども登場して、映画好きには楽しめる内容となっている。
尚、本シリーズは全部で3部作が予定されているらしい。本作では謎が幾つか残されており、それが次作でどう回収されるのか?気になる所である。現状、一部のキャストが変更を余儀なくされているが、このテンションのまま最後まで突っ走って行って欲しい。
戦後の北方領土における混乱をドラマチックに描いた感動作。

「ジョバンニの島」(2014日)
ジャンルアニメ・ジャンル青春ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1945年、色丹島に防衛隊長を務める父と猟師の祖父と暮らす10歳と7歳の兄弟、純平と寛太は貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。終戦を迎えると島に大量のソ連兵が上陸して村は占領されてしまう。島民の財産は次々と没収され、村には兵士の家族も暮らすようになった。そんな中、兄弟は美しい少女ターニャと出会う。彼らは次第に交流を始めていくのだが…。
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(レビュー) 戦後の混乱に巻き込まれる家族の姿をユーモアと感動で綴ったアニメーション作品。
原作は、実際に当時の色丹島で暮らしていた人間の証言を元にして作られた小説である。但し、小説の方は映画よりもかなりシビアで過激な内容と言うことだ。今回のアニメ版は市井の眼差しに拠った児童文学的な作りになっている。
物語は朴訥とした雰囲気と戦争の悲惨さを訴える両側面で描かれる。
前半は子供たちのやり取りなど、割と気楽に観れる心温まるエピソードで固められている。しかし、後半からは故郷を失った純平たちの悲劇的流転をハードに描いている。
まずは前半、純平とターニャの淡いロマンスが良かった。殺伐とした時代に芽吹く小さな恋は、正に未来の希望の光以外の何物でもない。花畑の映像演出が少々クドイという感じはしたが、二人の純真な交流には心洗われてしまった。
また、学校で日本人とロシア人の子供たちが互いの歌を歌うのも良いシーンだった。何よりユーモアに溢れており、且つ平和への賛歌のごとき尊さが胸を打つ。
子供たちのこうした人種を超えた交流は、大人達が起こした醜い争いをことさら愚かしく思わせる。映画を観ながらつくづく平和の尊さを痛感させられた。
映画は後半から徐々に純平たちの人生に暗雲が立ち込めていく様子をシビアに描いていく。
まず、島の人々に隠れて米を配給していた父親が逮捕され収容所に拘留されてしまう。このシーンは、漆黒の闇夜に灯るソ連船の真っ赤なライトが実に不気味だった。純平たちの不安と恐怖を表しているかのようで秀逸である。
更には、祖父の悲しい顛末、島を離れることを余儀なくされた兄弟の旅も実に悲しいものがある。
こうした悲劇も含め、この映画は平和ボケで終わることなく、戦争の犠牲者たる民間人の姿を丁寧に描いている所が真摯で好感を持てる。
当時の北方領土における戦乱とそれに呑み込まれた人々の姿を知るという意味でも一見の価値がある作品と言えよう。
一方、映像は非常に特徴的で面白い作りになっている。大胆なパースが横溢し、それがユーモアやサスペンスを生んでいる。湯浅政明作品に近いと言えばいいだろうか…。
例えば前半、純平たちの教室にソ連兵が乗り込んでくるシーン。子供目線で描かれるソ連兵の異様な迫力と大きさは、歪な映像になることで彼らの恐怖を上手く演出していた。
また、純平たちとターニャが初めてコミュニケーションを交わすNゲージのシーンは、アニメーションならではの色彩と動きによって躍動感あふれた素晴らしいシーンとなっている。ここもパースが強烈で、それゆえファンタジックでもあった。
ユーモアと言うことで言えば、純平の叔父・英夫の存在も大きかった。戦後の混乱を飄々と生き抜く商魂たくましい男で、何とも羨ましい御身分である。
但し、終盤いつものように純平たちの前に唐突に姿を現したのには興醒めしてしまった。ここは無かった方が良かったように思う。
尚、なぜタイトルが「ジョバンニの島」なのかというと、これには宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が関係している。宮沢自身かつて樺太を旅し、それが「銀河鉄道の夜」の構想の元になったということなので、あながち関係が無いわけではない。「銀河鉄道の夜」にまつわるシーンはファンタジックに描かれており、そこが作品の抒情性に一役買っている。
高畑勲氏が最後に関わった作品。偉大なアニメーション作家を追悼。

「レッドタートル ある島の物語」(2016日仏ベルギー)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 無人島にたった一人で漂着した男は、孤独を耐えながらサバイバルを始める。イカダをこしらえて脱出を試みるが何度作っても沖へ出た所で壊れてしまった。イカダを壊したのは赤色をしたウミガメだった。逆上した男はそのウミガメを殺してしまう。その後、そのウミガメは美しい女の姿になって彼の前に現れる。
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(レビュー) 美しい無人島を舞台にしたファタジーアニメ。
スタジオジブリがオランダのアニメーション作家マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィッドを招いて製作した作品で、これまでの宮崎作品や高畑作品とは異なる独特なタッチの作品となっている。いつものジブリアニメだと思って見ると期待を裏切られるかもしれない。しかし、個人的にはこれまでに観たことがにような作風、美しく壮大な映像が新鮮で最後まで面白く見ることが出来た。
マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィッドと言えば、アカデミー賞短編アニメーション賞に輝いた「岸辺のふたり」(2000英オランダ)という傑作が思い出される。わずか8分のシンプルな作品ながら、詩情あふれる映像と音楽がとても感動的な小品だった。今作はそんな彼の初の長編作となる。宮崎、高畑の名前を世界的なものとしたジブリの後ろ立てを受けたわけであるから、大した出世である。
映像のクオリティはこれまでのジブリ作品同様、実に美しくて素晴らしかった。特に、海底の神秘的な映像は特筆に値する。
そして、本作はロングショットの画額が異様に多い。主人公を含めた人物のアップはほとんどなく、ほぼ自然に埋もれた人間の姿が淡々と捉えられるのみである。見方によっては主人公に感情移入をさない作りとも言えるが、これが実にスクリーン映えするように設計されていて、いかにも”映画的”な映像作品になっていると思った。
今作は間違いなく映画館で観た方がいい作品だろう。残念ながら今回自分はテレビでの鑑賞だったが、できれば映画館で観ておきたかった…と悔やまれる。
「岸辺のふたり」もそうだったが、こうした画面設計はこの監督の得意とするところなのだと思う。人間の孤独感、生命の力強さを一層引き立てるべく、敢えてロングショットの連続で責めた所は実に大胆である。
一人ぼっちの過酷なサバイバルを繰り広げる前半。大きな天災によって生命の危機に晒される後半。全編、主人公の男の飽くなき生への渇望がひしひしと伝わってきて、画面から目が離せなかった。
また、本作は全編セリフがないのも大きな特徴である。これは作品の普遍性を狙ったものだろう。セリフに頼らない”語り”は、極めて原初的な映画表現法とも言える。
映画は後半から家族の物語になっていく。赤いウミガメの化身である女が男と結ばれて子供が生まれ、以降は3人のサバイバル劇となっていく。そして、その中で家族の絆、尊さが謳われていくようになる。これも実に普遍的で胸にしみじみと迫ってきた。
本作は、実に実験的な手法で描かれた作品である。確かに分かりやすい作品ではないし、子供が見ても楽しめるかというと疑問を禁じ得ないが、メッセージ自体は真摯で明快に発せられているように思った。
尚、抽象的な部分が幾つかあり、若干そこは解釈に迷った。
一つは、息子が見る夢のシーンである。静止した高波の上から息子が浜辺の両親に向って手を振るが、この夢は一体何を意味していたのだろうか?
また、後半の津波の意味とは何だったのか?もしかしたら先だっての東日本大震災が何か関係しているのかもしれないが、そのあたりの含みも合わせて津波の意味を考えてみたくなる。
ファンタジックな死者の国の景観は必見!
「リメンバー・ミー」(2017米)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 少年ミゲルはミュージシャンを夢見ていた。しかし、家族は代々靴職人で過去の先祖の行いが原因で音楽を全面的に禁止されていた。人々が先祖の魂を迎える“死者の日”、ミゲルは家族の反対を押し切って音楽コンテストに出場しようとする。そこで彼は憧れのスター、エルネスト・デラクルスの墓に飾られていたギターを手にしたことから死者の国に迷い込んでしまう。
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(レビュー) ミュージシャンを夢みる少年が死者の国を舞台に様々な冒険を繰り広げるピクサー製作のファンタジー・アニメ。
家族の理解を得られないまま夢を追い求めるミゲルの葛藤は、立志のドラマとしては取り立てて珍しいわけではないが、後半の展開がサスペンスフルに盛り上げられていて中々楽しめる。
ラストも泣かせる。実は、本作は途中までは少年が夢を追い求めるドラマとして組み立てられているが、後半から家族の絆の再生を描くドラマに変わっていく。特に、”ある秘密”が明かされて以降の流れが素晴らしく、終盤に至っては図らずも目頭が熱くなってしまった。正直、想像通りの結末ではあるのだが、演出の上手さもあろう。分かっていても泣かされてしまう。
原案・監督はリー・アンクリッチ。思えば、彼が監督・脚本を務めた
「トイ・ストーリー3」(2010米)も、同様に”分かっていて”も”泣かされる”映画だった。全てはクオリティの高い映像、ここぞとばかりに盛り上げる演出の妙である。
彼はこれまでにも名だたる傑作を監督してきている。「モンスターズ・インク」(2001米)、「ファインディング・ニモ」(2003米)、そして「トイストーリー3」。この経歴を見れば、まさにピクサーにおける”要”になっていると言っても過言ではない。今後の活躍に期待大である。
映像もピクサーだけあって見事である。特に、緻密に表現された”死者の国”の風景が素晴らしかった。死者の国と言うと、暗く陰鬱なイメージを持ってしまうが、それとは逆に余りにもきらびやかで圧倒されてしまう。
また、死者の国の住人達は皆、骸骨の姿をしていて、そのコミカルな動きも終始楽しかった。
それにしても、先日観た
「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」(2016米)もそうだが、先祖を敬う思想は万国共通であることが実感される。「KUBO」は古い日本が舞台だったが、製作したのはアメリカのLAIKAである。
そして、本作の物語の舞台はメキシコである。
向こうには死者を敬う記念日があって、それが今回の”死者の日”である。”死者の日”は日本の”お盆”とよく似ている。あの世に旅立った故人の魂がその日だけ帰ってくると言われ、人々はその土地に伝わる儀式を執り行ってその魂を迎え入れる。死生の境界を跨いだこの行事は、我々日本人にとって、とても親近感が持てるのものである。自分などは、きらびやかな世界観に驚きを感じつつも、どこか安堵感を覚えてしまった。特に、現世と死者の国を結ぶマリーゴールドで埋め尽くされた大きな橋が印象に残った。実に神秘的で美しい。
もっとも日本と違って、メキシコでは町中が盛大にお祭り騒ぎになるらしいが…。同じ祝祭と言っても、日本の盆踊りに比べて陽気なのは流石はラテンの国なのかもしれない。
本作でちょっと勿体ないと思ったことは、家族全員がミゲルの夢を封じ込めようとする理由である。如何に家族の絆が固いメキシコの国民性とはいえ、過去の因縁を絶対的な家訓のように何世代も引きずるだろうか?はっきり言うと、ここに説得力を持てないと、以降のドラマに入り込むのは難しいように思う。せめて家族の中にミゲルの夢を応援しようという人間が一人でもいれば、ここの説得力はまた違ってきたように思う。
また、あれだけ厳しく音楽を禁じていた家族が終盤で簡単にそれを許してしまうのも解せない。余りにもあっけなく強引である。
尚、同時上映は
「アナと雪の女王」(2013米)の続編「アナと雪の女王/家族の思い出」(2017米)である。こちらは短編というには若干長い22分という上映時間である。お馴染みのキャラクターが楽しいミュージカルを繰り広げるクリスマス作品で、ファンなら安心して楽しめるだろう。