男気溢れるベトナム帰還兵物。クライマックスは必見!

「ローリングサンダー」(1977米)
ジャンルアクション
(あらすじ) ベトナム戦争で8年にもおよぶ捕虜生活から解放され、同じ苦しみを味わったジョニーと共に故郷のテキサスに帰ってきた空軍将校チャールズ。地元の歓迎を受けるものの、長い空白期間は妻子との間に深い溝を作っていた。妻は他の男と同棲し、息子もどこかよそよそしい態度でチャールズに接した。そんなある日、強盗の襲撃で目の前で無残にも妻子を殺されてしまう。復讐の鬼と化したチャールズは仇を取るためメキシコへ向かうのだが‥。
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(レビュー) 家族を殺されたベトナム帰還兵の壮絶な復讐を過激なバイオレンス描写を交えて描いたハードなドラマ。
原案・脚本が「タクシードライバー」(1976米)のP・シュレイダーということもあり、どうしても比較してしまいたくなる。主人公がPTSDにかかったベトナム帰還兵という設定で、尚且つ暴力の世界に舞い戻ってしまうという顛末も共通している。そのため、まるで姉妹作のように観れた。
但し、「タクシードライバー」に比べると演出はセンシティブさに欠け、プロットもシンプルで食い足りない。逆に言うと、こちらの方が泥臭さが際立っており、よりP・シュレイダーの”味”がそのまま反映されているような気がした。
特に、クライマックスとなる銃撃戦は中々の迫力があり一見の価値ある。あの場にいた全員を皆殺していいの?という疑問は残るが、逆にチャールズの狂気の怒りはそこまで制御できなかった…という捉え方もできる。そこに戦争の”後遺症”とも言うべき病んだ”現実”が見えてくる。このあたりの徹底した演出は正にシュレイダーの真骨頂に思えた。
更に、チャールズの怒りの対象が何だったのか?というあたりを穿って考えてみると、それはベトナム戦争を起こしたアメリカという国そのものだったのではないか…と想像することもできる。このあたりを深読みしていくと、実に硬派で反骨精神に溢れた作品のように思えてくる。
映画は、中盤からチャールズと酒場のウェイトレスのロードムービーになっていく。個人的にはここが少し中だるみを起こして退屈してしまった。そもそもこのヒロインが旅に付いていく必要性があったのかどうか?結局その後に何事もなく退場してしまうので、余り存在意義を見出せない。登場させるのであればもう少し必然性を持たせてほしかった。
逆に前半と終盤の展開は中々良いと思った。
前半はチャールズのPTSDを丁寧に描写していてジックリと観れる。
終盤は、定石とはいえ、ジョニーとの絡みが切なく描写され男気溢れる展開で感動させられた。ジョニーと彼の家族の間に流れるそっけないやり取りが印象的で、そこから彼もまたチャールズと同じように故郷に戻っても以前のような暮らしには戻れなかった‥というのが分かり悲しくさせる。
尚、本作にはチャールズの妻の浮気相手でクリフという男が登場してくる。彼の職業は警官で、チャールズの復讐を止めようと追跡を開始するのだが、志半ばで命を落としてしまう。何とも中途半端な扱いである。先述したヒロインにしてもそうだが、せっかく魅力的なサブキャラを登場させているのに、いずれもぞんざいな扱いなのが惜しまれる。
「タクシードライバー」と「バッファロー’66」を足して2で割った感じ?
「ビューティフル・デイ」(2017英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 元軍人のジョーは行方不明者の捜索依頼を受けながら年老いた母と2人暮らしをしている。ある日、警察沙汰にしたくない州上院議員から、10代の娘ニーナを売春組織から取り戻してほしいと依頼される。さっそくハンマー片手にニーナが囚われている娼館に乗り込み無事に救出するが…。
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(レビュー) 孤独な中年男が少女売春犯罪に巻き込まれていくクライム・サスペンス作品。
本作を観て真っ先に思い出したのが「タクシードライバー」(1976米)だった。
退役軍人の主人公がPTSDに病んでいること。彼が売春宿から少女を救出するという筋立て。事件の背景に政治家が関係していること。これらは全て「タクシードライバー」に共通する点である。
しかも「タクシードライバー」ほどではないが、バイオレンスシーンもかなり生々しい。映像の質感もどことなく70年代風で、舞台がニューヨークという所も共通している。
本作は同名の原作(未読)がある。そちらがどうなっているのか分からないが、少なくとも本作はかなり「タクシードライバー」を意識して作られているような気がした。
監督・脚本は女流作家のリン・ラムジー。彼女は監督デビュー作である「ボクと空と麦畑」(1999英)から大きな特徴を持った作家だった。フラッシュバックや妄想、心象を巧みに駆使しながらセリフに頼らない映像先行の演出指針がはかられている。
大変寡作な作家で、監督第2作の「モーヴァン」(2002英)は3年後に完成。未見ではあるが、第3作の「少年は残酷な弓を射る」(2011英)は9年という歳月を経て完成させている。そして今回の4作目は6年振りの新作となる。
これだけ間隔が空いてしまうのには色々と理由があると思う。監督が全ての作品の脚本を自身で書いていること。クセの強い作家性のため製作資金に苦慮していること。独自の製作体制を貫く彼女の場合、作品作りは困難をきたすものなのかもしれない。
それでもオリジナリティな作風を極めんとする、その姿勢には首が垂れる。
演出は先述したように独特の幻想性を交えながら実に堅実に整えられている。
一番印象に残ったのはバイオレンス・シーンの演出だった。直接的に描くのではなく、敢えて婉曲的に描いている。
例えば、数台の監視モニター越しに捉えたり、暴力そのものをカットして事後の現場しか写さないことで事の次第を全て分からせたり…。「タクシードライバー」のスコセッシと違う点はここだ。本作には女性監督ならではの”デリカシー”が感じられる。
ちなみに、音の演出も非常に面白く、先述の監視モニターで捉えた暴力シーンはカメラが切り替わるごとに現場に流れる音楽が微妙にずれている。この異化効果がシーンの生々しさ、居心地の悪さに繋がっていて面白かった。
セリフを極力排した分、本作は音楽がかなり主張していると思った。
音楽を担当したのはレディオ・ヘッドの活動でも知られるジョニー・グリーンウッド。重低音&インダストリアルな不穏な音が映画全体に沈痛な面持ちとスリリングさをもたらしている。映像と音のコンビネーションは本作の大きな醍醐味ように思う。
劇中歌の使い方も面白い。中盤でジョニーの家の台所でかかるシャーリーンの「愛はかげろうのように」は何とも不思議な味わいを残す。凄惨な場面に美しく悲しいメロディを対位的に流すという手法はよく使われるが、このシーンもその理屈で観ることが出来る。
そして、後で歌詞を調べて分かったのだが、この歌はニーナのことを歌っているのだ。実に計算された選曲である。
一方、ストーリーで多少に引っかかる部分があり、そこは観てて少し気になってしまった。
まず、第一に人が死に過ぎである。これだけ死体が無造作に転がれば、大きな事件になってしかるべきであるが、そうはならない。はっきり言うとリアリティに欠けるストーリーだと思った。本作はカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しているが、それが今一つ納得できなかった。
もっとも、これまでのリン・ラムジー作品にも言えることであるが、彼女は基本的に物語を寓話として捉えているような所がある。「モーヴァン」などはその最たるものだったが、本作もPTSDの中年殺し屋が、ある種悪夢に振り回される物語とも捉えられる。つまり”お伽噺”として捉えれば、このリアリティラインの甘さは合点がいく。
キャストではジョーを演じたJ・フェニックスの好演が素晴らしかった。孤独な中年男の苦悩を静かに体現している。彼もカンヌ国際映画祭で主演男優賞に輝いたが、こちらは納得の好演である。
エンタメの極意ここにあり!
「バーフバリ 王の凱旋<完全版>」(2017インド)
ジャンルアクション・ジャンル音楽
(あらすじ) 遥か昔のインド、マヒシュマティ王国。次の王位を期待される国の英雄バーフバリは、平民の暮らしを視察するために忠臣カッタッパと共に身分を隠して旅に出た。その途中でクンタナ王国の国王の妹デーヴァセーナと出会い恋に落ちる。その頃マヒシュマティでは王位継承争いに敗れたバラーラデーヴァがバーフバリ失墜の機会を虎視眈々と狙っていた。
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(レビュー) 太古のインドを舞台にしたアクション大作。
本作は2部作の後編である。自分は前編の「バーフバリ 伝説誕生」(2015インド)を未見である、しかし、映画冒頭でこれまでの簡単なあらすじが出てくるので、見ていなくても十分楽しむことが出来た。ただ、一応見ておくと、そこかしこに伏線の回収があるので、より深く楽しみたければ前編を見た方が良いと思う。
また、今回はインターナショナル版よりも26分長い167分版である。残念ながらこれもインターナショナル版を観ていないのでどこがどう追加されているのか分からなかった。
さて、初公開時からジワジワと話題になっていた本作であるが、実際に観てみるとこれがもう満漢全席のサービスっぷりで、正にインド映画らしいエンタメてんこ盛りの痛快作だった。
何よりバーフバリの荒唐無稽なアクションシーン。これに興奮させられる。普通ではありえないジャンプや怪力、そして素早い格闘は、もはや神話における超人のごとき活躍で、これが惜しみなく繰り広げられている。
物語自体も、遥か昔の王室を舞台にした、言わば”お家騒動”で、ギリシャ神話のごとき愛憎渦巻く大河ドラマとなっている。実にコッテリ系だ。後半、一気に時が流れるという強引な展開はあるが、全体的に場面転換がスピーディーなのでそのあたりもあまり不自然さは感じない。
このように本作は派手なアクション、派手なドラマでえ観る側をグイグイと引き付ける非常にパワフルな活劇映画となっている。
もちろんインド映画らしく軽快な歌とダンスもある。アクションやドラマを重視しているので、それほど多いわけではないが見応えタップリだった。
個人的に一番のお気に入りは、クライマックスの大スペクタクルシーン。城の高い壁を超えるためにバーフバリが考案した秘策である。これは想像の斜め上を行く発想で、今までに見たことがない。
また、バーフバリとデーヴァセーナの華麗な弓の競演(?)もケレンミタップリで美しかった。
このシーンに限らず、本作はとにかく全編様式美の塊のような映画である。
改めてインド映画の底力を見た思いがした。
摩訶不思議な感覚に心奪われるアニメーション作品。
「犬ヶ島」(2017米)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンルコメディ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 2038年の日本。ドッグ病が蔓延したメガ崎市では、小林市長がすべての犬を“犬ヶ島”に追放することを宣言した。犬ヶ島に隔離された犬たちは空腹を抱えながら辛い日々を送るようになる。そんなある日、一人の少年が小型飛行機で島に降り立った。彼は3年前に両親を事故で亡くし、親戚の小林市長に引き取られたアタリという少年だった。アタリは護衛犬のスポッツを救出するためにこの島にやって来たのだが…。
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(レビュー) 人間に隔離された犬たちと孤独な少年の冒険を独特の感性で描いたストップモーション・アニメ。
製作・監督・原案・脚本は
「グランド・ブタペスト・ホテル」(2013英独)のW・アンダーソン。
幾何学的な画面構図やカリマチュアされたキャラクター、オフビートなユーモア等、氏の作家性が存分に発揮された作品となっている。他では見られない独特の感性に魅了される。
また、本作は未来の日本が舞台となっている。このあたりも同じ日本人としては大変興味深く観れた。考証をまったく無視した、ある種見世物に徹した造形の数々は、純然たるSFとは違って、もはやファンタジーのように楽しめる。
とはいえ、「小林市長」=「強大な権力」が市民の批判の声を封じこめるという図式には、現代のアメリカ、あるいは日本社会に対する警鐘も読み取れる。リアルに描けばひたすらダークになるだろうが、そこをカリカチュアされたアニメーションの世界観で表現した所が本作の妙味で、それによって作品の口当たりは随分とマイルドになっている。
鋭い社会批判を忍ばせつつも、クスクスと笑いながら観れる娯楽作品として、中々よく出来ていると思った。
実際に”映像作品”として観れば、これほど楽しめる作品もそうそうないだろう。
未来とは言っても、どこかノスタルジックな味わいを漂わせた風景。富士山と東京タワー、神社と工場が一つの画面に同居するシュールな図像。相撲や歌舞伎といった日本古来の伝統文化に対するリスペクトを感じさせつつも、コミカルさを大胆に加味した演出。メガ崎市の描景は、もはや”カオス”と称する以外に言葉がみつからない。
一方、煌びやかなメガ崎市に比べて、犬ヶ島の寂寥感漂う風景もまた刺激的である。見わたすかぎりゴミだらけの乾いた大地、すっかり錆びれてしまった廃工場、かつての賑わいが見る影もないほどにボロボロになってしまったリゾート施設。メガ崎市と犬ヶ島の対照的な風景は、まるで現代の格差社会を暗喩しているかのようである。
アニメーションとしてみた場合も中々味わい深い。スタジオライカが製作した
「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」(2017米)のようなCGと見紛うハイクオリティなアニメではなく、いかにも手作り感あふれるぎこちない動きのアニメーションには温かみが感じられた。
このように映像に関しては文句なしに楽しめる一級のエンターテインメント作品となっている。
ただ、一方のストーリーはというと、こちらは若干乗れなかった。キャラクター造形や映像がぶっ飛んでいる割に、小さくまとまり過ぎて予定調和の域を出ていない。
物語は、犬ヶ島を舞台にしたアタリの冒険談と、メガ崎市を舞台にした反政府の戦いという二本で進行する。これがそもそも余り噛み合っていない。
他にも細かい所で色々と気になる所があった。スポッツと間違えたあの白骨死体の犬は一体何だったのか?あるいは、終盤になって突然判明する”ある秘密”のご都合主義。これには閉口させられてしまった。幾らなんでも少しは伏線を張っておくべきであろう。乱暴すぎる。
かように映像の面白さに比べると、お話自体はお世辞にもよく出来ていると言い難い。せっかく奇抜な舞台設定が用意されているのに、これでは残念でならない。
元々W・アンダーソンの作品というのは、余り物語性を持たないものが多い。前作の「グランド~」は例外で、それ以外はほとんどドラマが薄みで、何かテーマを大上段に訴えるようなこともしない。このあたりが彼の作品の唯一の弱点だと思うのだが、それが今作でも露呈してしまったという感じだ。
”俺ちゃん”ヒーロー映画第2弾。今回も大胆にして野心的。サービス精神タップリで楽しめる。
「デッドプール2」(2018米)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) デッドプールことウェイドは、愛するヴァネッサを取り戻して平穏な日々を送っていた。しかしある晩、悪党一味の報復によって彼女を失ってしまう。自暴自棄になったウェイドは、ミュータントの孤児院で虐待にあっていた少年ラッセルを助けようと過激な行動に出て逮捕されてしまう。一方その頃、機械と生物の融合体である超人ケーブルが未来からやってくる。彼の狙いはラッセルの命だった。ウェイドはラッセルを守るためにケーブルと戦うことになる。
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(レビュー) マーベルのヒーロー映画
「デッドプール」(2016米)の続編。
前作に比べると流石にインパクトという点では欠けるが、相変わらずの軽妙なノリと大量に飛び出してくる下ネタ、前作以上に派手になったバイオレンスシーン等、十二分に楽しめた。尚、前作の直後からストーリーが始まっているので、できれば前作を観た上で鑑賞した方が良いだろう。
監督はティム・ミラーからデヴィッド・リーチに変わっている。監督が代わってどうなるのかと心配したが、基本的には前の流れをそのまま踏襲している。元々デヴィッド・リーチは、「ジョン・ウィック」シリーズの製作を務めたり、S・セロン主演の「アトミック・ブロンド」(2017米)の監督もしていた人なので、この手のアクション演出は得意とするところなのだろう。スピード感、ケレンミタップリな見せ方が堂に入っていて、演出自体は実に堅実なものを見せている。
物語の方も中々良く出来てる。
今回キーとなるのはミュータントの少年ラッセルである。彼は孤児院で虐待を受けていた可哀そうな少年で、復讐心に駆られて能力を暴走させてしまう。基本的な物語は、ウェイドがそんなラッセルに振り回される…という筋立てになっている。
そして、本作にはもう一人のキーマンが登場する。それは未来からラッセルの命を狙いにやって来た超人ケーブルである。彼もウェイドと同様、愛する家族を失った悲しい過去を持っており、その復讐に執念を燃やしている。
このように今回は復讐と罰、罪と赦しといったハードなドラマが入り組んでおり、ドラマの芯自体は中々の歯ごたえが感じられ何気にアツい展開を見せている。デッドプールと言うとおバカな映画と思う向きもあるかもしれないが、中々侮れない。
また、今回はあからさまに”ファミリー映画”であることをのっけから強調しており、これも騙されたと思って見ていると実にその通りで観終わった後には膝を打ってしまった。
前作にも言えることだが、本シリーズは脚本がよく出来ている。脚本は前作と同じ布陣で、更に今回は主演のライアン・レイノルズが加わっている。
この脚本家チームは、デッドプールという稀代のアンチヒーローをいかに魅力的に見せることが出来るか、ということをよく理解しているのだろう。様々な物を失ったウェイドは他のスーパーヒーローに比べれば劣等生である。X-MENの”見習い”と称されるほどに完全に下位互換的な扱いで、自身もそれを知ってか時々自虐的なネタに走ることがある。
しかし、そんな彼だからこそ人に”優しく”なれるし、愛を欲し、愛する者のためには”強く”なれる。この基本路線が本シリーズはガッチリと固められている。故に終始、楽しく観れるし、ストーリーにも説得力が感じられる。
おまけに、ドラマ自体はかなりウェットな方向で盛り上げられており、結果的に観終わった後には単に痛快だったという鑑賞感以上のカタルシスが得られる。
今回はケーブルの最後の選択に痺れてしまった。正に今作が”ファミリー映画”であることを証明するかのような勇気ある行動だった。
尚、今回も映画ネタがふんだんに登場してくる。
そもそも開幕一番からして、いかにデッドプールが本家「X-MEN」に対してコンプレックスと不満を感じているんかがよく分かる。皮肉の効いたギャグが痛烈だ。
他にも、未来からやって来たケーブルは完全に「ターミネーター」オマージュであるし、オープニングには「007」シリーズや「フラッシュダンス」(1983米)のパロディも登場してくる。
また、ウェイドと天国のヴァネッサの交信はバックに流れるa-haの名曲「Take On Me」からも分かるように、そのPVのパロディとなっている。前作同様、この二人のラブシーンには思わずホロリとさせられてしまった。
本作で難を挙げるとすれば、唯一の日本人キャスト忽那汐里の扱いだろうか…。せっかくの新キャラだがあまりにもぞんざいな扱いで、これではいてもいなくても同じである。もう少し見せ場が欲しかった。
孤独死の不安を淡々と綴った佳作。

「おみおくりの作法」(2013英伊)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ロンドンの民生委員ジョン・メイは孤独死した人の身辺整理をする仕事をしている。ある日、彼のアパートの真向かいでビリーという老人が孤独死した。近所に住んでいながら彼について何も知らなかったことに心を痛めたジョンは、彼の近親者を探し始める。そんな矢先、上司からリストラの一環として解雇を言い渡されてしまう。
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(レビュー) 孤独死を見送る中年男の最後の仕事をユーモアを交えながら描いたヒューマンドラマ。
人間関係が希薄になった現代社会を映し出した意欲作と言える。孤独死に向き合いながら、人間は死に際していかに現世に思いを残せるか?そこを問うている。
ラストを見ると「死」をやや美化しすぎ‥と言う気がしなくもないが、「死」に取りつかれた孤独な民生委員の 「生」にすがる喜びが哀しくも切なく表現されていて、観終わった後に色々と考えさせられた。
ただ、ラスト手前のドラマチックな展開については、やや違和感を覚えてしまった。本作は淡々とした演出が続く映画なので、少し強引過ぎると感じた。
自分の最後の仕事をしみじみと噛みしめる。そしてやっと見つけた「生」への期待を予感させて終わり‥でも良かったのではないだろうか。特に、大きな事件などいらない。この映画の場合はその方が良いと思った。
製作・監督・脚本はウベルト・パゾリーニ。ヒット作「フル・モンティ」(1997英)などの作品を手掛けた敏腕プロデューサである。本作は彼の初の監督作品となる。
基本的には淡々とした演出で、日常の些細な出来事や人間の心理の機微を丁寧に紡いでみせるタイプの作家のように思った。「フル・モンティ」のようなカリカチュアは皆無で、おそらく彼の本来の作家性はこちら寄りなのだろう。丁寧に作っていると思った。
時折見せるユーモアも中々に良い。例えば、真面目一辺倒に見えたジョンが、若くて生意気な上司の車に立ち小便をするシーンにはクスリとしてしまった。
また、家族のいないジョンには密かな趣味がある。自分が見送った故人の写真を自分のアルバムに貼るという趣味で、それを眺めて物思いにふける姿にはしみじみとしたペーソスが感じられた。家族というものに対する憧憬が何となく読み取れる。
映像も巧みに計算されており唸らされた。特に、画面の色調を微妙に変える小技は見事である。ジョンの孤独性を示唆するように画面は、ほぼ沈んだ色調に抑えられている。それが後半に入ってくると、ビリーの娘と出会うことで彼の人生に光明が差し込む。以降は、画面の明るさが増していくようになる。よく計算されていると思った。
キャストではジョンを演じたエディ・マーサンの好演。これに尽きると思う。セリフではなく表情だけで複雑な心理を表現した演技は実に見事だった。彼はこれまでは脇役専門として活動してきたが、本作で一気に彼の名が注目されることになった。こういう苦労人が日の目を見るのは何だか嬉しい。