岡本喜八の監督デビュー作。今見ても全然古さを感じない。
「結婚のすべて」(1958日)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 性格が全く正反対な姉妹、啓子と康子は東京郊外の一軒家に住んでいる。啓子は大学教授をしている夫と良好な夫婦仲だった。しかし、康子には、しおらしく貞淑な妻に収まる姉の生き方が理解できなかった。そんなある日、康子は大学生の浩と出会い恋に落ちる。しかし、浩はとんでもないプレイボーイで…。
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(レビュー) 女性にとっての結婚観、恋愛観を、二人の対照的な姉妹を通して描いたロマンチック・コメディ。
古い作品と思うなかれ。ここで描かれている啓子と康子の思考は、今観ても十分共感を得られるものだと思う。
姉・啓子は昔ながらの良妻賢母で夫を影から支える健気で古風な女性である。対する妹・康子はモデルをやりながら劇団で芝居をしている先進的な女性である。夫々に長所短所があり、お互いにそれを認め合っている。そんな二人が、自分に足りない物を見つけ、あるいは自分の良識を打ち破ることで新しい価値観を発見していく。
夫々が辿るクライマックスが印象的だ。
啓子は雑誌の記者とひょんなことから出会い付きまとわれるようになる。ある晩、酔った彼女はその記者とちょっとだけ良い雰囲気になる。恋愛に奔放な妹・康子の影響もあったのだろう。貞淑な妻が少しだけガードを緩めてしまう。しかし、最終的に彼女は夫を裏切れずそのまま家路に着くことになる。そして、再び夫に対する深い愛を感じ、改めて幸福を噛みしめるのだ。
一方の康子は、付き合っていた浩の奔放な浮気が発覚して、男に対する不信感を募らせるようになる。結婚するなら恋愛結婚と豪語していた彼女が、これを機に父の会社に勤める誠実な青年との交際を始める。自由恋愛主義者だった彼女が堅実な恋愛観に目覚めるわけである。
このように姉妹は、夫々の恋愛観、結婚観を改め、今まで自分の中にはなかった”自分”を発見していくようになる。これは、かつての自分を否定する、ある意味では、ほろ苦い結末と言える。しかし、逆に捉えれば、これは新しい価値観を発見する実に前向きな結末とも言える。
実際、映画を観終わって自分は胸がすくような気分になった。アンハッピーエンドではなくこれはハッピーエンドなんだ…という充足感を覚えた。
監督は岡本喜八。本作は彼の監督デビュー作である。
軽快な演出はすでに完成されており、観てて一瞬も飽きる暇がなかった。
ただ、この軽快さは脚本を務めた白坂依志夫の功績も大きいだろう。彼は同年製作の増村保造監督の
「巨人と玩具」(1958日)の脚本も担当しており、その時の軽快なセリフのやり取りは凄まじかった。
今回の映画も総じてセリフが早口である。啓子や彼女の夫等、一部おっとりとした喋り方をする者もいるが、それ以外はほとんど、まくしたてるように喋っている。このセリフの掛け合いが映画に軽快なリズムを生んでいる。
キャストも多彩且つ豪華な布陣である。
啓子役は新玉三千代、康子役は雪村いづみ。他に上原謙、三橋達也、仲代達矢。チョイ役で三船敏郎も登場してくる。更に、後に岡本組となる中丸忠雄やミッキー・カーチスも端役で顔を出している。
洒落たロマコメの古典。
「新婚道中記」(1936米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ・ジャンル古典
(あらすじ) ジェリーとルーシーは新婚真っ只中である。しかし、ジェリーが出張先で羽目を外してしまう。一方のルーシーも若い音楽教師と外泊していた。それを知ったジェリーは激怒する。こうして二人は裁判で離婚を結審する。ただし、手続きが完了するまで2カ月の猶予期間が設けられた。その間にルーシーはオクラホマ出身の牧場主から求婚され…。
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(レビュー) 新婚夫婦の離婚騒動を軽妙洒脱に描いたロマンチック・コメディ。
夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、この映画にはとてもチャーミングな犬が登場してくる。ジェリーとルーシーが飼っているミスター・スミスという飼い犬だ。離婚争議でルーシーに引き取られることになるのだが、ジェリーはスミスに面会する権利を与えられ時々ルーシーの元を訪れることになる。ミスター・スミスは離れ離れになった2人を取り持つ”きっかけ”となる重要なサブキャラであり、中々の名演を見せてくれる。調教がよく行き届ている。
物語自体は、いわゆる三角関係を軸にした夫婦のすれ違いを描く物語である。よくある話だが、所々の軽妙な会話が心地よいため終始楽しく観れた。
元の鞘に戻るハッピーエンドも想定内とはいえ収まりが良い。終盤のドアを挟んでの夫婦のやり取りに割って入る黒猫の演出が上手い。
先述した飼い犬のスミスやこの黒猫、そしてジェリーの帽子など、本作は小道具の使い方も抜群に上手い。古典的な作品であるが今観ても十分に通用するエンタメ性が感じられた。
一方、ルーシーの後半の奔走については、やや説得力に欠けるという気がした。もっと丁寧に描く必要があったのではないだろうか。
製作・監督はレオ・マッケリー。彼は「めぐり逢い」(1957米)やマルクス兄弟の「我輩はカモである」(1933米)などを撮り上げた名監督である。コメディやロマンスを得意とする作家で今回も安定した手腕を発揮している。
キャストではジェリーを演じたケーリー・グラントの妙演が流石だった。
嘘か真か?煙に巻かれるミステリアスな大人のロマンス。

「トスカーナの贋作」(2010仏伊)
ジャンルロマンス
(あらすじ) イタリアの南トスカーナの小さな村。美術品の贋作に関する本を書いたイギリス人作家ジェームズの講演が開催されていた。そこに地元でギャラリーを開いているシングルマザーの女が聞きにやって来る。二人は講演の終了後、ギャラリーで落ち合いドライブへと繰り出すのだが…。
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(レビュー) 旅先で出会った男女のアバンチュールを不思議なテイストで綴ったロマンス作品。
最初はこの二人のことを赤の他人だと思って見ていたのだが、途中から「あれ?」となった。というのも、二人が立ち寄るカフェのシーンで、彼らは店の主人に夫婦と間違われるのだ。ここから二人は旧知の仲のように思い出話を始める。もしかしたらこの二人は元夫婦だったのではないか?と思えてくるのだ。
その後、彼らは観光中の老夫婦に出会う。ここで二人は完全に自分たちが夫婦であるかのように、その老夫婦と会話を交わす。
更に、その後2人はレストランに立ち寄るのだが、ここではまるで夫婦喧嘩のような言い争いを始める。
最初は只の行きずりの男女かと思って見ていると、どんどん本物の夫婦のようになっていく所が何とも不思議な映画である。
監督・脚本はA・キアロスタミ。数々の児童映画で名を馳せ、故国イランの社会背景を問題提起しながら”戦う”創作姿勢を貫いてきた名匠である。そんな彼がこのような、ある種実験的な作品を撮っていたということは驚きである。少なくとも自分が観てきた過去の作品とは全く趣を異にする摩訶不思議な作品だった。
ただ、キアロスタミがこの映画で描きたかったことは何なのか?ということを考えた時に、一つの想像はできる。
この夫婦と思しき、あるいは夫婦”ごっこ”を演じている男女は、つまり夫婦という物の”贋作”なのではないだろうか。
本物と贋作の違いはどこにあるのか?そもそも二つを区別する意味はあるのだろうか?キアロスタミは、この曖昧なカップルを通して観ている我々に、こう問いかけたかったのではないだろうか。
ジェームズが書いた本のタイトルは「本物より美しき贋作」である。外見上、本物と瓜二つでほぼ見分けがつかない精巧な贋作を本物と区別する意味はどこにあるのか?この本のタイトルからは、そんな皮肉めいた主題が想像できる。本作のテーマも正にそこだろうと思う。
世の中には嘘が真実になることもあれば、逆に真実が嘘になることもある。果たして真実と嘘をどこで見極めればいいのか?そんな曖昧な現代社会をこの映画は一組のカップルを通して我々に示しているのではないだろうか。
知的好奇心をくすぐる作品でとても面白かった。
尚、映像で面白いと思ったカットが2か所ある。
一つ目は、2人が有名な彫刻を見るために立ち寄った小さな広場のシーン。壁に無造作に放置された姿鏡と手前のバイクのサイドミラーに、女性が老夫婦と会話する姿を同時に映すカメラワークが出色である。画面の遊び方が面白い。
もう一つは、ラストカットである。二人はホテルの寝室に入り、ジェームズは帰りの飛行機に乗るか乗るまいかで悩む。この時、窓の外で教会の鐘の音が鳴り、映画はそのままフェードアウトして終わる。もしかしたらここから二人の本当の恋が始まるのかもしれない…と思わせる中々洒落たラストカットで印象に残った。
キャストでは、ジェームズ役のウィリアム・シメルが中々良かった。彼は本業はオペラ歌手で今回が映画初出演ということである。中々どうして演技はこなれていると思った。
一方、女主人公を演じたJ・ピノシュはベテランらしく流石に演技は上手いが、いかんせん力が入り過ぎており、ややもすると頭のイカレた下世話な女…という風に見えなくもない。好き嫌いがハッキリ分かれそうな演技である。もう少し肩の力を抜いて演じた方が良かったのではないかと思った。
同じ夢を通して近づていく男女の恋愛ドラマ。
「心と体と」(2017ハンガリー)
ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 孤独な中年男エンドレは、妻子と別れて食肉処理場で働いている。ある日、若い女性マーリアが代理業務員として派遣されてくる。彼女はコミュニケーションが苦手で職場になじめず、いつも一人で過ごしていた。そんなある日、工場で盗難事件が発生する。全従業員が精神分析医のカウンセリングを受けることになり、それがきっかけでエンドレはマーリアとの関係を少しだけ縮めていくのだが…。
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(レビュー) 毎晩同じ夢を見る男女の恋愛をミステリアスに綴ったロマンス映画。
リアリティ云々を言ってしまうと、こんなことあるはずがないと一蹴できようが、それはこの映画を本意ではないだろう。今作はあくまで寓話である。
監督・脚本はハンガリーの女流作家イルディコー・エニェディ。大変寡作な作家で、本作は約20年ぶりの長編作品ということである。
自分は、彼女の監督デビュー作である「私の20世紀」(1989ハンガリー西独)を観たことがある。離れ離れになった双子が数奇な運命で再会するという、何とも言えぬ不思議なテイストを持った作品だった。
その映画も今回の映画もドラマのアイディア自体は寓話的と言える。おそらくこれがイルディコー・エニェディという監督の作家性なのだろう。
確かに大人の恋愛ドラマとして観た場合、リアリティに欠く内容ではある。マーリアという女性は浮世離れしたキャラクターで、一体どうして彼女がこんな大人になったのかは全く説明されていない。そのため感情移入しにくいという面がある。
ただ、そんな孤立した彼女が夢想にのめり込んでいくのはよく理解できるし、毎晩エンドレと同じ夢を見ることで運命の出会いだと確信してしまうのも微笑ましく観ることが出来る。
また、どうかするとマンガ的で現実味のない幼稚な話になりかねないところを、イルディコー監督の演出がしっかり地に足の着いた作品として上手く見せている。二人の関係進展が徹底したリアリズムで筆致されていることで、そこまで夢見がちでご都合主義な映画にはなっていない。
加えて、食肉処理場という舞台も残酷且つ唯物的な空間で、映像的にはかなり生々しいショットが頻出してくる。これも映画に奇妙な現実感をもたらしている。
非現実的な恋愛談と血肉が散乱するこの舞台は、<精神>と<物質>の対比というものを強烈に意識させる。この<精神>と<物質>の対比は映画のタイトルである「心と体と」(原題を順序を変えて直訳)にも表明されている。映画のテーマは正にここにあるのではないか…という気がした。
非常に実験性に富んだ作品ではあるが、テーマもかなり野心的で面白い。
ただし、物語として考えた場合、クライマックスが予想通りの展開なので、もう一捻りスリリングな演出が欲しいところである。これではまんま「アパートの鍵貸します」(1960米)である。「アパート~」は紛れもない名作であるが、それを真似ても所詮は二番煎じである。新鮮味が足りない。
その後のエンディングは良かった。一見するとハッピーエンドに見えるが、今後の二人の関係を考えると喜んでばかりいられない…という疑問符も残る。パンのクズが二人の今後を占うヒントで、安易なハッピーエンドに堕していない所に好感を持った。
本作でもう一つ残念に思ったことがある。それは工場の盗難事件が二人のロマンスのきっかけにはなっているが、その後まったくと言っていいほどメインのドラマに直接関係してこないことである。中途半端な扱いで期待外れだった。
カメラは素晴らしいと思った。特に、夢のシーンはいずれも白眉である。雪が降る山林で雄と雌の鹿が戯れる幻想的な描景の数々に汚れのない神秘的な美しさが感じられた。
キャストではマーリアを演じたアレクサンダー・ボルベーイの透明感あふれる美しさが印象に残った。この役にピタリとハマっていた。
身の毛もよだつ青春ホラーの新たなる傑作!
「RAW 少女のめざめ」(2017仏ベルギー)
ジャンルホラー・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) ベジタリアンの少女ジュスティーヌは、姉のアレックスが通う獣医科大学に進学する。初めての寮生活で不安になる彼女を待っていたのは上級生たちによる手荒い歓迎の儀式だった。そんなある日、ジュスティーヌは儀式の一環として、うさぎの生の腎臓を強制的に食べさせられてしまう。それ以来、彼女は急に肉を食べれるようになり…。
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(レビュー) 少女の身の毛もよだつ恐ろしい”秘密”を過激な残酷描写を交えて描いた青春ホラー。
かなり変わった映画で、いわゆるアメリカのティーンズ・ホラー・ムービーとは大分趣を異にする映画である。主人公ジュスティーヌに「キャリー」(1976米)のS・スペイセクを重ねて見ることもできるが、こちらは徐々に怪物化、つまり”覚醒”化していくのが恐ろしい。その”覚醒”とは、ずばりカニバリズムである。何ともジメっとしたホラー映画である。
ジュスティーヌの”覚醒”を促す存在として、この映画は姉のアレックスを登場させている。二人は一人の青年を巡って対立していくようになるのだが、まさに食うか食われるかの醜い争いにまで発展していく。この姉妹の対立が本ドラマのホラー要素の大きな幹となっている。
監督・脚本はこれが長編デビュー作となるジュリア・デュクルノー。
まず、ストーリーの方は緊密に構成されていて大変感心させられた。
映画は何の説明もなくショッキングなシーンから始まる。一体それが何なのかは中盤で判明する。それは、この姉妹の恐るべき血縁、習性というものを端的に表しており、なるほどと思える上手い構成になっている。
また、ジュスティーヌが自身の中に芽生えるカニバリズムに対する嫌悪感や恐怖も丁寧にトレースされており、その心理にも自然と寄り添いながら映画を観ることが出来た。
そして、アレックスのジュスティーヌに対するコンプレックスも明確に描かれており、2人が対立していく過程にも十分の説得力が感じられた。特に、アレックスの指が…というシーンは、少しブラックユーモアも入っているのだが、同時に彼女が流した涙の意味を考えると何だか彼女たちのことが可哀そうに思えてしまった。
一方で、獣医化大学のノリがまるで体育会系で、これには少し違和感を持ってしまった。日本とは違うのかもしれないが、フランスの大学はこういうのが当たり前なのだろうか?
演出は総じてスタイリッシュに傾倒している。静かなトーンと激しいトーンのメリハリも上手くつけられており、新人とは思えぬ力量に感心させられた。決して予算が潤沢とはいえない中で、色々と工夫を凝らして撮影されていたと思う。
また、残酷なシーンも臆せずダイレクトに写して見せるので、そこには監督の気概も感じられた。普通であれば躊躇するような場面も容赦なく描写している。そもそもカニバリズムを”性徴”と共鳴させるという発想からして、常人では考え付かないアイディアである、スカトロジーな描写も出てくるし、嘔吐シーンにはマルキ・ド・サド的SM趣味も伺え、この新人監督は相当のマニアックな趣味をしているな…と思った。
しかし、だからと言って今作が単なる露悪趣味な変態映画というわけではない。ペンキを全身に浴びたラブシーンなどにはアーティスティックな感性も伺え、この監督にはハイブリッドな作家性を持っていると思う。
更に、ユーモアのセンスもそこかしこに見られる。例えば、新入生は儀式として上級生から全身に動物の血を浴びせられるのだが、その後彼らは着替えることなく、そのままの姿で授業を受ける。まるで何事もなかったように全員が血まみれの白衣で授業を受けるのだ。この人を食った演出は何とも言えぬ可笑しさを生んでいる。
このように今回の作品を観たかぎり、ジュリア・デュクルノーは中々一筋縄ではいかない、大変クセを持った監督であることが分かる。今後の活躍にはぜひとも注目したいと思った。
キャスト陣では主演のギャランス・マリリエの身体を張った熱演が素晴らしかった。本作が長編デビューということである。余りにもインパクトのある役なので、今後の活動にどう作用していくか、心配でもあり楽しみでもある。
フジテレビの映画参画はここから始まった。
「御用金」(1969日)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 鯖江藩領内の漁村で、すべての村民が忽然と姿を消すという事件が起こった。人々はこれを“神隠し”と呼んで恐れた。それから三年後、江戸にいた脇坂孫兵衛は鯖江藩士たちに襲われる。実は、三年前の”神隠し”を起こしたのは財政難にあえいだ鯖江藩士で、彼らは難破した船から御用金を横領するために村民たちの口を封じたのである。当時の藩士・孫兵衛はそれを目撃しており、今になって彼の命も狙われることになったのである。孫兵衛は鯖江藩の家老で義兄の六郷帯刀の元を訪ねるのだが‥。
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(レビュー) 藩士の蛮行を阻止出来なかった浪人の後悔と戦いをドラマチックな展開で描いたアクション時代劇。
当時フジテレビの社員だった五社英雄が監督、共同脚本を務めた作品で、フジテレビが初めて映画に進出した記念碑的作品である。
孫兵衛役は仲代達矢、帯刀役は丹波哲郎、謎の刺客・藤巻は北大路欣也。錚々たる面子が揃った本格的なスター時代劇で、テレビで磨き上げた五社監督の活き活きとした演出もケレンミタップリで大変面白い時代劇となっている。
特に、孫兵衛が妻に向かって自分の胸の内を吐露するシーンは必見。
彼はかつて藩士だった頃に、村人たちを見殺しにしてしまったことを深く後悔している。そんな蛮行が再び行われようとしているのを知って敢然と立ち上がる。その覚悟がこの場面で切々と語られている。
「自分はあの時に死んだ。だから自分は生きるために鯖江へ戻る。」
仲代達矢の説得力のある風体、語りが実に素晴らしく、その演技に引き込まれた。
また、藤巻を演じた北大路欣也の役所も中々に良い。金の匂いを嗅ぎつける素浪人であり、孫兵衛にとっては味方にも敵にもなる曲者である。この変わり身の早さが、このキャラを際立たせている。しかも、その素性は後半に入って明かされるのだが、ここでの孫兵衛との共闘も実に格好良かった。
五社監督の演出は、かなりアヴァンギャルドな面があるが、基本的にはオーソドックスにまとめられている。冒頭の浅丘ルリ子の視線で描くシーンは、照明や画額、音響等に独自のアーティスティックなセンスが感じられた。クライマックスの孫兵衛と帯刀の対決シーンにおける一種異様な雰囲気作りも素晴らしい。太鼓のBGMが迫力を増している。
更に、時折見せる寒々しい海の風景、雪原といったロケシーンも映画をダイナミックに見せている。テレビでは決して味わえない映画ならではの深みを与えていた。
一方、編集の粗さや、意味のないズームアップ、シナリオ的にかなり強引な個所もあり、そこはマイナスである。
例えば、序盤の昼の祭りのシーンから突然夜のシーンに切り替わる所は乱雑な編集だ。また、雪穴に落とされた孫兵衛があっけなくそこから脱出するのもちょっと強引すぎる展開と感じた。
吉川英治原作の「宮本武蔵」シリーズの番外編。
「真剣勝負」(1971日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 宮本武蔵は山の奥深くに佇む一軒家を訪ねる。そこには鎖鎌の使い手として有名な宍戸梅軒が住んでいた。武蔵はその技をぜひ見てみたいと思ったのだ。二人は先の関ヶ原の戦いに出陣した仲だったこともありすっかり意気投合し酒を酌み交わす。ところが、梅軒は武蔵の名を聞いた途端に彼の命を狙い始める。実は武蔵は義兄の敵だったのだ。こうして二人は剣を交えることになるのだが‥。
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(レビュー) 吉川英冶の原作を映像化した全5部作「宮本武蔵」(1961~1965日)は中々見応えのあるシリーズだった。本作はその後に製作された、言わば番外編である。監督、主演は「宮本武蔵」シリーズと同じ内田吐夢と中村錦之助が務めている。
尚、内田監督にとっては本作が遺作となった。氏は本作の撮影中に倒れて入院し、退院後に残りを撮影したということである。
そのせいか、映画の締めは余りよろしくない。これはこれでインパクトがあるとも言えるが、何とも中途半端な終わり方になっていて残念だった。思うに監督の体調が芳しくないため撮影も万全の体勢で行えなかったのではないだろうか?
物語も大河ドラマだった「宮本武蔵」シリーズに比べると、随分とこじんまりとしている。何せ1シチュエーション型のアクション・サスペンスで上映時間も75分しかない。
ちなみに、前シリーズからの流れとはいえ、過剰なまでの劇画タッチも気になってしまった。例えば、総毛立つ所などには、若干笑いがこぼれてしまった。
とはいえ、内田監督らしい剛直な演出もまま見られ、老いても映画製作にかけるその情熱には一寸の衰えも見られない。武蔵が梅軒と対決するたった一夜の物語を尋常ではない緊迫感で筆致している。静かに始まるオープニングからハイテンションに盛り上がるクライマックスまで、演出の抑揚のつけ方にベテラン監督の手練が感じられた。
加えて、今回は赤ん坊の扱いが、ドラマに一層の深みを持たせている。武蔵と梅軒とその妻、3人の立場が、この赤ん坊を軸に様々に変化する所が面白く観れる。
赤ん坊という存在を使って、「剣は道」と主張する武蔵と「剣は技」と主張する梅軒の思考の違いを描いて見せた所が実に上手い。更には、母性と父性の差異もこの赤ん坊を巡って明確に表明されている。
武蔵が赤ん坊を人質に取るという行動も面白い。武蔵を完全無欠なヒーローとして描くのではなく、敢えて勝つためには手段を選ばない卑怯者として描いた所が実にリアルだ。
キャスト陣では、武蔵を演じた中村錦之助はもはやハマリ役と言うほかない。対する梅軒を演じた三國連太郎の熱演も見応えがあった。怪演の部類に入るとも言えるが、「静」を貫く錦之助の演技とのコントラストがよく効いていた。