美しく禍々し映像と意外な展開で魅せるレフンの怪作!
「ネオン・デーモン」(2016米仏デンマーク)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルホラー
(あらすじ) モデルを夢みて田舎からロサンジェルスへやって来た少女ジェシーは、すぐに有名事務所と契約して一流カメラマンに撮影される。順風満帆に思えたが、モデル業界で蠢く怪しげな連中に次第に取り込まれていくようになり…。
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(レビュー) 若者の栄光と挫折の物語であるが、そこを異様な雰囲気で描いた所が挑戦的である。ホラー映画のような異様な世界観で埋め尽くされ、もはやトリップムービーのごとき恍惚感が味わえる。
監督・原案・共同脚本はニコラス・W・レフン。
「ドライヴ」(2011米)で世界的に注目され、その次に撮った
「オンリー・ゴッド」(2013デンマーク仏)で世間の物議をかもしたデンマークの鬼才である。
彼の特徴は何と言っても映像に対するこだわりである。特に、美しく怪しい色彩には独特の世界観が感じられ、その特徴は本作でも十分に発揮されている。どこを切り取ってもスタイリッシュな映像が突き詰められており、改めて氏のセンスの凄さを実感してしまう。
まず、何と言っても冒頭のシーン。ジェシーの死に顔からカメラが引いていくキューブリック張りのシンメトリックな映像構築に息を飲んでしまった。作品世界に一気に引き込まれると同時に、この後に彼女が辿るドラマを美しさと残酷さが共存する悪夢的映像に乗せて象徴的に暗示して見せている。
更には、不気味なまでに真っ白な空間で行われるオーディションのシーン、幻想的なショーのシーン等。正にレフン監督にしか作れない映像センスがそこかしこに見られ圧倒されてしまう。
一方、物語は寓話色が入り混じった悪夢のようなドラマで、例えるならファション業界版
「ブラック・スワン」(2010米)といった感じである。途中までは予想通りの展開で少し退屈してしまったが、ラストのオチが面白い。ここまで来るともはや怖いを通り越して笑ってしまいたくなるのだが、それくらいぶっ飛んでいる。ダイレクトな表現に果敢に挑んでいる点でもカタルシスは十分。デーモンの正体にも、なるほどと思えた。ホラーとして観れば至極綺麗にまとまっている。
ただ、途中のエピソードやサブキャラについては幾つか不要と思うものがあった。
基本的に本作はジェシーの身の回りに起こる様々な不可解な出来事を拾い上げてくことでサスペンスを盛り上げていく構成になっている。このドラマ構成を考えると、下記に関しては余り上手くいっていない。
まず、ジェシーが不在の時に部屋に入ってきたヤマネコである。これが何を意味していたのか分からなかった。もしかしたら、”魔女”が仕掛けた”魔物”だったのかもしれないが、判然としないため見終わった後にモヤモヤとした消化不良感が残る。
もう一つは、モーテルの管理人の存在である。演じているのがK・リーヴスだったので何か重要な役所だと思ったのだが、実際にはいてもいなくても特に物語には関係がなかった。もしかしたらミスリードのためのキャスティングだったのかもしれないが、だとしても結構出番が多いので物語のキーマンのように見えてしまう。
キャストではジェシーを演じたエル・ファニングの変化に見応えを感じた。彼女はどちらかと言うと童顔で、劇中で言われるほど美人とは思わなかったのだが、終盤にかけてどんどん洗練されていくので驚かされる。女性はメイク一つでこうも変わるのか…ということを実感させられ、そのギャップに魔性を見てしまった。これはやはり監督の演出意図なのだろう。彼女の変貌は本作の大きな見所となっている。
何とも皮肉なタイトル。ハネケ節健在。
「ハッピーエンド」(2017仏独オーストリア)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 13歳の少女エヴは母が入院したことで離れて暮らす父トマに引き取られることになった。父は若い妻と再婚して医師として働きながら、両親兄弟と豪勢な暮らしを送っていた。建築業を経営していた家長のジョルジュは認知症を患い隠居していた。長女のアンヌは父の意志を受けて事業を取り仕切っていた。彼女の長男ピエールはその会社の重職に就いていた。ある日、建設現場で事故が起こってしまう。
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(レビュー) ある裕福な家族の秘密を冷徹な眼差しで描いたビターなホームドラマ。
いきなりスマホの映像から始まり驚かされるが、これが中々衝撃的な内容で画面にグイグイと引き込まれた。主人公エヴの”独り言”で始まるこの場面は後に様々な波紋をドラマに及ぼすことになる。以降はエヴを中心とした一家の内幕モノとなる。
これは典型的なブルジョア一家の凋落のドラマだと思った。不倫や自殺未遂、事業の暗転。表向きはすまし顔をしている彼らだが、その裏では醜怪で欺瞞に満ちた駆け引きをしている。それを知ったエヴは何を思うのか?そこが本作のクライマックスとなっている。
そして、実はエヴ自身にも裏の顔があり(それは冒頭から明かされているが)、血の繋がりは切っても切れないな…という暗澹たる思いにさせられた。
かように人間の嫌な面を次々と見せつけてくる映画なので、好き嫌いがはっきり分かれる作品だと思う。
ただ、それらは人間の奥底に眠る欲望を的確に突いており、それゆえ目が離せないというのも事実で、観る人によっては身につまされる部分があるかもしれない。
監督・脚本はM・ハネケ。いかにも氏らしい、セリフに頼らないミステリアスな語り口に惹きつけられた。
例えば、先述した冒頭のスマホ画面の中で行われる”事件”は、直接画面に写すことなく事の次第を明確に表している。
あるいは、パソコン上で繰り広げられる淫らなチャット画面が度々出てくるが、最初はこれが誰が書いている文章なのか分からない。後半の、あるシーンでそれが判明する。
また、車いすのジョルジュが街中で通行人相手に何かを喋っているシーンが出てくる。その内容は後のあるシーンで何となく想像すことができるようになっている。
一見するとこれは何のシーンなのか?と疑問に思える物も、全体を通して見れば全てが合点がいくように作られていて、改めてハネケの卓越した演出、巧みな構成術には唸らされてしまう。
ただ、ストーリーについては、若干日和見な印象を持った。家族の表の顔を一枚一枚剥いでいく丁寧なストーリーではあるが、決して驚くような展開が待ち受けているわけではない。冒頭の”事件”以上にショッキングな”事件”は起こらない。そのため映画としてのインパクトはやや欠けるという気がした。
これはハネケ映画の大きな特徴だと思うのだが、彼は人物や事件を客観視し必要以上にエモーショナルな演出をしない。そのため観客は物語の中に積極的に入り込んでいく必要がある。
今回の場合、いわゆる恵まれた家庭の話である。そこに感情をコミットするのは自分のような人間には困難だった。結果、彼らの心情にすり寄ることが出来ず、物足りなさを覚えてしまった。もう少し彼らが感情を曝け出してくれれば、よりエキサイティングで濃密なホームドラマになっていただろう。
ラストは秀逸である。毎回、ハネケ映画のラストシーンは意味深で、嫌な後味が残るのだが、変な言い方かもしれないが今回もその期待(?)には十分応えてくれた。
冒頭に呼応させた形で終幕す所がミソで、果たしてタイトルの「ハッピーエンド」とは何を意味しているのか?と一寸考えさせられてしまった。
表向きはハッピーエンドでも実際にはバッドエンドなのかもしれない…。ある人にとってはハッピーエンドでも、別の誰かにとってはバッドエンドなのかもしれない…。そして、この表と裏はこの一家の生き方そのものではないか…とタイトルの意味が反芻された。
尚、ジョルジュ役でジャン=ルイ・トランティニャンが登場してくる。彼の最後の”告白”から、同監督作
「愛、アムール」(2012仏独オーストリア)との関連性が見えてきて面白い。あの映画の後日談的な意味合いが読み取れた。
前半のゾンビ映画に騙されるな!
「カメラを止めるな!」(2018米)
ジャンルコメディ・ジャンルホラー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) とある映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。それは37分ワンカットで撮影するテレビ局製作の番組だった。撮影は順調に行くかに思えたが、スタッフは様々なトラブルに巻き込まれ…。
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(レビュー) ゾンビ映画の撮影隊に起こる悲喜こもごもを笑いとペーソスで綴ったヒューマン・コメディ。
取っ掛かりはゾンビ映画であるが、途中からまったく別の映画になっていく所が面白い。
最初はメイキングを見せられているのか?リハーサルを見せられているのか?と思ったが、そうではなかった。中盤で意外な展開に入り、そこから撮影隊の人間模様のドラマが浮上してくる。この構成が見事で、いい意味で裏切られた。
そして、中盤から前半のゾンビ映画に関する謎が解き明かされていくようになる。前半の謎と思われた伏線が次々と回収され、更にことごとく笑いに繋がっているのが上手い。この笑いがあることで、この映画は終始楽しく観れる作品になっている。
本作は、映画監督や俳優の養成学校ENBUゼミナールが製作したインディペンデント作品である。
監督・脚本・編集をこなす上田慎一郎は、これまでは余り知られていない新人監督で、キャスト陣もほぼ無名で占められている。ENBUゼミナールでは、昨今世界的に注目を集めている濱口竜介監督の
「親密さ」(2012日)も製作されており、普通の商業ベースでは中々乗らない野心的で実験的な映画を多く輩出している。
今回の「カメラを止めるな!」も当初は都内でたった2館のみの上映だった。それが口コミで評判を呼び、あれよあれよと言う間に拡大公開され、今や全国に一大旋風を巻き起こしている。こういうヒッをする作品は中々珍しいと思う。最近では
「この世界の片隅に」(2016日)、
「桐島、部活やめるってよ」(2012日)くらいであろうか。どちらもSNSの評判がヒットに繋がっている。言ってしまえばマイナーな映画であるこれらが、SNSというツールによって世間に注目されるのはいかにも現代的で面白いと思う。
いずれにせよ今後もENBUゼミナール製作の映画は要注目という感じがした。
映画の内容については、これ以上ネタバレしてしまうと面白さが半減してしまうと思うので詳しくは書かない。
ただ、スラップスティックな笑い、映画賛歌的な熱いドラマ、ハートフルな家族のドラマと、サービス精神がタップリ詰まった一級のエンタテインメント作品になっていることは確かである。これだけ大勢の観客の満足度が高いというのが何よりの証拠だろう。
個人的には、三谷幸喜が自らの舞台を映画化した「ラヂオの時間」(1997日)を思い出した。あれに似たドタバタ喜劇感が本作にもある。この「カメラを止めるな!」は元々は舞台劇を原案としており(原案者と製作サイドに著作権上の問題が起こっている)、そうした意味でも両作品の成り立ちには通じるものがあると思う。
重厚な社会派人間ドラマの名作を映画化。
「破戒」(1962日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 被差別部落出身の小学校教師の瀬川は、父の訃報で数年ぶりに帰郷した。亡き父の命に従い身分を隠して生きていた彼は深い悲しみに暮れる。その後、彼は同じ部落民出身の運動家・猪子に出会う。彼の信奉者だった瀬川は感激するが、その一方で部落民であることを隠す自らの人生に迷いを感じていくようになる。
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(レビュー) 部落民の青年の葛藤にシリアスに迫った社会派人間ドラマ。
原作は明治の名著として知られる島崎藤村の同名小説である。確か学校の授業でも取り上げられたような気がするが、今となっては内容をすっかり忘れてしまった。本作はその名著を巨匠市川崑が映像化した作品である。
タイトルは「破壊」ではなく「破戒」である。これは父の「戒め」を瀬川が「破る」…という本ドラマのテーマを表している。その葛藤は丁寧に描かれており、素直に彼の苦悩にすり寄ることが出来た。
そもそも人間は大なり小なり何らかの「戒め」の中で生きているような気がする。人によってはそれを”しがらみ”と言うかもしれない。そして、それを「破る」ことによって、人は新しい自分に生まれ変わるものだと思う。
今回は被差別部落を題材にした物語である。しかし、自分はこれを特殊なケースとして観ることが出来なかった。
というのも、瀬川が父の「戒め」によって封印されていた自らの出自をカミングアウトする…という問題は、一青年の自律を意味しており、実にフラットに観ることができたからである。おそらく誰が観ても彼の身上に共感できるのではないだろうか。
瀬川を演じるのは大映の二枚目スター、市川雷蔵。市川崑監督とのコンビは
「炎上」(1958日)、「ぼんち」(1960日)に続いて3度目となる。このW市川コンビは上手くハマっていて、 雷蔵が演技派として覚醒した「炎上」はもちろんのこと、「ぼんち」の飄々とした若旦那振りも中々板に付いていた。今回の雷蔵は「炎上」に続き内省的で、ひたすら沈痛な面持ちを貫き通し、瀬川の苦悩をシビアに体現している。演技のアプローチ自体は「炎上」の方が先んじており、どうしてもインパクトという点で見劣りしてしまう。しかし、その熱演には今回も見応えを感じた。
ただ、これはストーリー展開のせいもあろう。終盤にかけて瀬川の運命が悲劇度を増していき、それによって演技の方もやや力が入り過ぎた感じを受けた。このあたりはやや押しつけがましい。中盤までの演技が絶品だっただけに、この過剰な力演は惜しまれる。
加えて、芥川也寸志のスコアもバタ臭く、場面によっては大仰に感じてしまうことがある。これももう少し抑制してくれた方が良かった。
終盤の子役の使い方や、親友・土屋の変わり身の早さなど、ストーリーや演出で少々雑な部分もある。果たして原作をどこまで消化できているのだろうか?
特に、土屋のキャラクターは魅力的だっただけに、安易に料理してしまったことは残念である。彼は根本的に差別主義者である。しかし、親友の瀬川を色々と気にかけている。彼はどこまで瀬川の出自を知り得ていたのか?知った時にどう衝撃を受け、どう思ったのか?そのあたりをもう少し知りたかった。
このように終盤の作りに難があると思ったが、作品自体が掲げるテーマ自体は普遍的且つ崇高で、今観ても十分に心に響いてくるものがある。
部落問題という言葉は今の人たちにはピンと来ないかもしれないが、現在ではそれをヘイト問題に置き換えて考えてみてもいいだろう。本作を観ることによって差別意識の根深さに改めて気付かされるはずである。
洒落たロマコメ。

「あなたと私の合言葉 さようなら、今日は」(1959日)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 東京でOLをしている和子には親が決めた関西在住の婚約者がいた。しかし、独り身の父の世話に忙しくてそれどころではなかった。ある日、京都から親友の梅子が上京してくる。和子は、婚約者に会って断りの返事をしてほしいと彼女に頼む。快く引き受けた梅子は早速、婚約相手の元へ出向きその旨を伝える。ところが、梅子自身が彼に惚れてしまい‥。
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(レビュー) 監督市川崑、脚本九里子亭によるロマンチックコメディ。
この父娘の設定、観る人が観れば明らかに小津安二郎作品のオマージュであることが分かると思う。嫁にやりたくない父と、父のことが心配な娘。ほとんど小津映画における笠智衆と原節子である。
とはいえ、そこは市川崑である。この確信犯的とも言うべき小津パロディを、彼らしい”色”に見事に染め上げている。
市川監督独特のユーモラスな映像感性、九里子亭による軽妙な会話劇が、シットリとした小津映画とは正反対の快活明朗なエンタメ作品にしている。
白眉は和子を演じた若尾文子の圧倒的存在感である。
今回はメガネをかけたキャリアウーマンという造形で、メガネ萌えの諸氏には堪らない物があるのではないだろうか。外では働く女性を軽やかに演じ、家庭の中では父を思いやる健気な娘を切々と体現している。持ち前のコケティッシュな魅力を前面に出しながら、物語のヒロインとして圧倒的な存在感を見せつけている。
梅子を演じた京マチ子の流麗な喋りも、いかにもこの人らしくて良かった。いつものサバサバとしたキャラクターが映画をさっぱりとした味付けにしている。
一方、男優陣は和子の婚約者に菅原謙二、和子に惚れる夜間大学生を川口浩が演じている。こちらも夫々に中々の妙演を見せている。
特に、振られた彼らが愚痴をこぼしながら酒を飲み交わすシーンが傑作だった。恋焦がれる相手が誰かも知らずに(これが実に皮肉的なのだが)、互いの傷心を酒で慰め合う。
このように全体的にコミカルなタッチが横溢しており、他の市川崑作品。とりわけ初期時代のラジカルなコメディ要素も入っているので楽しく観ることができた。
しかし、1箇所だけハッとさせるような演出があったので記しておきたい。
それは和子が婚約者に自分の気持ちを伝えるシーンである。ここで和子のメガネが割れるのだが、普通に考えたらそんなに簡単に割れるはずがない。多少違和感を持ったが、しかしこの時の和子の心情を考えれば、メガネが割れるというこの演出は計算されたものであることがよく分かる。割れたメガネは、つまり彼女のハートを暗喩しているわけだ。ここは妙にドライな演出で印象に残った。
ラストも上手くまとめられていると思った。確かに和子の気性を考えれば、こういう人生の選択もありだろう。果たして彼女はこれからどういう恋愛をしていくのか?あれこれ想像させるような幕引きが味わい深い。