恐怖のサバイバルゲームを息苦しいほどの演出で描いた傑作!
「ブラボー小隊/恐怖の脱出」(1981米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ルイジアナ州兵の小隊が訓練中に湿地帯に迷い込んでしまった。些細な出来事から小隊はケイジャンと呼ばれる先住民から攻撃を受ける。その結果、隊長が射殺され、彼らは慣れない土地を逃げ惑うことになる。その最中、小隊はケイジャンの漁師に遭遇し、彼を殺人容疑で連行することにするのだが‥。
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(レビュー) 州兵部隊の恐怖の体験をハードなアクションで綴ったサスペンス作品。
監督・共同脚本はW・ヒル。現在でも現役で活躍する名匠であるが、彼の脂が乗り切っていた頃のアクション演出を堪能できるという意味ではファン垂涎の傑作となっている。
物語はいたってシンプルである。森の中で訓練していた州兵小隊が、隊員のちょっとした悪戯から先住民であるケイジャンから復讐される‥というストーリーである。しかし、このシンプルなプロットの中には、入植者の驕り、自然界における人間の非力さ、争いの無情さといった深遠なテーマが隠されている。そこを噛みしめることが出来れば、中々の歯ごたえが感じられる作品となろう。
また、小隊は9名の兵士で構成されているのだが、その人間関係がスリリングに描けていて、シナリオも中々よく出来ていると思った。最初はやや人数が多すぎるという気がしたが、映画が進むうちに徐々に個性がはっきりと出てくるようになり、このあたり人物の描き分けが見事である。
例えば、コーチと呼ばれる男と彼を慕う若い青年、主演であるキース・キャラダイン演じる男とテキサスからやって来た新参者。こうしたキャラクターの相関を押さえた展開は、ストーリーを転がす上での大きな推進力となっている。夫々の衝突と協力がドラマを面白く見せている。
ただし、キース・キャラダインは周囲に比べるとキャラの押しがやや大人しく、序盤の展開はかなり”ぼんやり”とした印象である。実際には彼が主役なのだが、彼がストーリーの表舞台に頭角を表すのは映画中盤に差し掛かってからであり、それまでは一体誰の視座でストーリーを追いかけて良いのか分からず戸惑いを覚えた。できることなら最初から彼の主役としての立ち位置をしっかりと明確にした方が良かったのではないだろうか。
映画中盤からいよいよ小隊は窮地に追い込まれ、一人また一人とケイジャンの攻撃で倒れていく。このあたりはまるでホラー映画のような恐怖演出でかなり恐ろしかった。
例えば、木に吊るされた兎の死骸や、地面の並べられた鉄製の罠といった不気味な小道具の使い方。これらなどは追い詰められる隊員たちの恐怖を上手く盛り上げていた。
また、追いかけてくるケイジャンの姿をはっきりと見せない演出も非常にホラー的だ。相手の顔や表情が分からないことほど恐ろしいものはない。
こうして小隊は命からがら何とか森を抜け出すことに成功するのだが、しかし映画はそこで終わらない。もう1段階、恐怖が待ち受けているのだ。彼らが逃げ込んだ先は…というのも非常に恐ろしい。このどんでん返しもホラー映画の常套である。
そして迎えるラスト。観た人の中には、果たしてこれを素直にハッピーエンドと取っていいものかどうか戸惑うだろう。現に自分も煮え切らない印象を受けた。普通に考えれば助かってハッピーエンドのはずである。しかし、何故か不穏なトーンで撮られているのだ。どうしてこのような演出になったのだろうか?ここからは想像である。
おそらく生き残った兵士たちは、この後に本格的な戦場へ送られることになるだろう。そこでは本物の殺戮の世界が待ち受けている。今回のような、言ってしまえば”サバイバル・ゲーム”の延長線上で行われているような小さな”戦争”ではない。もっとたくさんの銃弾が飛び交い、たくさんの人間が犠牲になる大きな”戦争”だ。果たして、彼らはそこで生き延びることが出来るのだろうか?
ラストの不穏なトーンは、そんな兵士たちの心の声を代弁しているような気がした。現に助かった兵士たちは皆、戦争はもうこりごりだ‥とでも言いたそうな表情をしていた。自分はそれを見て何だか彼らのことが不憫に思えてしまった。
この不穏なラストがあることで、この映画は数多あるアクション映画から頭一つ抜きんでた”印象深い”作品になっていると思う。
愛犬を殺された男の復讐をスタイリッシュに描いた痛快作。
「ジョン・ウィック」(2014米カナダ中国)
ジャンルアクション
(あらすじ) 愛する妻を病で亡くした元殺し屋ジョン・ウィックは、深い悲しみに暮れていた。そこに存命だった頃の妻から一匹の小犬デイジーが贈られてくる。ジョンはそれを心の支えに徐々に普段の日常を取り戻していく。そんなある日、彼はロシア人の若者から愛車を売ってほしいとしつこく絡まれる。それを断ると、ジョンは襲撃され車を奪われデイジーまで殺されてしまった。すべてを奪われたジョンは復讐に立ち上がる 。
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(レビュー) 愛する者を失った孤独な殺し屋の壮絶な復讐をスタイリッシュな映像で見せたアクション作品。
ストーリーはいたって単純。色々と突っ込み所も絶えないが、何と言っても本作はアクションが素晴らしい。ジョンは元殺し屋ということで超絶無敵。たった一人で何人もの相手を撃ち殺していく。しかも銃とカンフーを合わせた”ガンフー”なる荒業を駆使しながら躊躇なく殺しまくる。この新鮮なアクションに魅せられた。
惜しむらくはクライマックスの戦いだろうか。ここもぜひ得意のガンフーでやりあって欲しかったが、いきなり銃を捨てて素手で戦うという意外な(?)展開にちょっとガッカリ‥。
本作は殺し屋たちの裏社会が色々と垣間見えて、そこも中々面白かった。
例えば、ジョンが宿泊するホテルは実に奇妙な場所にそびえ立っている。殺し屋の寝床としては中々古風で洒落た味わいで、どこか異空間的雰囲気を醸しだす所が面白い。
また、殺しの痕跡を消してしまう俗称”掃除人”の存在も面白かった。ジョンが電話1本で呼び出せば瞬く間に殺害現場はきれいさっぱり元通りに戻る。
ジョンとは顔なじみの警官もユーモラスだった。彼はジョンの正体もとくと知っている。
こうした設定は普通に考えればリアリティに欠け突っ込みを入れたくなる所だが、逆に”戯画”に徹したことによりハードな復讐劇を屈託のないエンタメへと昇華させている。この割り切りは痛快ですらある。
キャストでは、何と言っても主人公ジョンを演じたK・リーヴスの存在感。これに尽きると思う。
彼は「スピード」(1994米)や「マトリックス」シリーズの爆発的な人気で一躍ハリウッドのスターへ登り詰めたが、それ以降苦しんでいる。主演作はいずれも思うような興収を上げられず、正直ここ最近は落ち目の俳優というレッテルを貼られていた。ご存知の方もいると思うが、路上で一人寂しくコーヒーを飲んでいる所をパパラッチされたり、余り映画スターらしくない一面もあり、今一つパッとしない印象である。逆に言うと、他のスターのようにお高くとまっていなくて良い…という意見もある。
そんな彼が今回は中々どうして。久しぶりに印象深いキャラを演じて見せている。決してマッチョタイプのスターではない彼が、今後も活躍していくのであれば、演技力云々と言うのを除けば、やはりこうした”当たり役”をいかに身に着けるかであろう。実際、映画はスマッシュヒットを飛ばし続編まで製作された。これはK・リーヴス完全復活である。
他に、ジョンの盟友を演じたW・デフォーも中々良かった。普段はアクの強い個性的な演技をするが、今回は意外にも情に熱い男を演じている。キャスティングの妙である。
冴えないオッサンが実は…系アクション映画。
「イコライザー」(2014米)
ジャンルアクション
(あらすじ) ロバート・マッコールはホームセンターで働く真面目な中年男。後輩の面倒をまめに見る慕われる先輩社員だった。退勤後の彼の日課は行きつけのカフェで亡き妻が残した小説を読むことだった。ある日、そこでロシアン・マフィアの娼婦テリーと出会う。彼女が暴行されたことを知ったマッコールは怒りに燃える。
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(レビュー) 表向きは飄々としたどこにでもいる中年男が一皮むけは殺人マシーンという、昨今お馴染みの”強いオヤジ”系アクション映画である。
実はマッコールは元CIAのエージェントだったという余りにもご都合主義な設定だが、テンポの良い話運びと切れの良いアクション演出で中々魅せる作品になっている。
監督はA・フークア。主役のマッコールはデンゼル・ワシントン。この二人は
「トレーニング デイ」(2001米)以来の顔合わせとなる。
それまで正義感の強いイメージだったデンゼルを一気に飛躍させたのは、この「トレーニング デイ」だと思う。正にデンゼルの俳優としての転換点となった作品だ。それだけに今回の作品にも期待を寄せてしまう。
結果、今回もデンゼルの新たな魅力が引き出せていると思った。今まで以上にワイルドでクールなデンゼルが見れる。役の幅を更に広げたという感じを受けた。
物語は至極シンプルである。前半はマッコールの日常を紡ぎながら娼婦テリーとの出会い、不遇な彼女のために正義に目覚める所までを丁寧に描いている。全体的にそつなく作られていて好印象である。
そして、マッコールの過去をミステリアスに伏せた展開も良い。只の気の優しいオジサンでないことは観客にもすぐに分かることである。ではその本性を一体いつ表すのか‥ということであるが、そこが本作の一つの見所となっている。
映画が始まって40分頃、ロシアン・マフィアから暴行を受けて病院送りにされたテリーの仇をうつために彼は敵地に乗り込んでいく。そして、バッタバッタとマフィアを倒していくのだ。ここは圧巻だった。フークアの演出はスピード感とアイディアに溢れていて実に素晴らしい。特に、マッコールの目線でビジュアル化された”マッコール・ビジョン”のアイディアが面白かった。正に本作随一のハイ・テンションなシーンとなっている。
ただ、ドラマとしてはここが最高にボルテージが上がる所で、以降はロシアからやって来た刺客とマッコールの戦いが軸となって展開されていく。テリーは物語から退場してしまい、ここでストーリーの橋が外されてしまった感じを受けた。他にマッコールの同僚や汚職刑事のサブエピソードも語られるが、これらがいずれもロシアン・マフィアに繋がっていくというのも想定内で退屈してしまう。
また、マッコールが人知を超えた強さなため余りハラハラしないというのも問題だ。これでは対するロシアン・マフィアも叶わないだろう…と思えてしまう。
ラストも余りにも出来過ぎて白けてしまう。
カラっとした味付けはいかにもアメリカ映画という感じで良いが、自分的には前半までの期待が後半で萎んでしまった印象である。
キャストでは、テリーを演じたクロエ・G・モレッツが目を引いた。自分の中ではこれまでアイドル的なイメージが強かったが、今回は汚れ役に徹している。もっとも娼婦と言ってもセクシャルな描写があるわけではないので、説得力という点では甘い。ここを超えられないのがアイドル女優の限界か…。ただ、新境地に挑戦した意欲は評価したい。
結構ドキリとさせるパーティーシーンが秀逸!
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(2017スウェーデン独仏デンマーク)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) クリスティアンは有名美術館のキュレーターをしている。次の展覧会に向けて彼は人々の思いやりをテーマにした展示物“ザ・スクエア”を発表する。そんなある日、クリスティアンは道端で思わぬトラブルに巻き込まれて携帯と財布を盗まれてしまう。盗まれた物を取り戻すために彼はある行動に出るのだが…。
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(レビュー) 人間の思いやりと寛容の精神を痛烈に風刺したシニカル・コメディ。
コメディとは言っても爆笑する類のコメディではない。どちらかと言うとブラック・コメディに近いタイプの作品である。
監督・脚本はリューベン・オストルンド。前作「フレンチアルプスで起きたこと」(2014スウェーデンノルウェー仏デンマーク)で注目を浴びた気鋭の作家である。残念がら自分は前作を観てないのだが、本作のアーティスティックな感性には強く惹かれた。かなり独特で中々の才人という感じがした。尚、彼は今回編集も務めている。絶妙な間の取り方、音の使い方にも面白さを感じた。
劇中では格差社会、SNSの功罪、マスコミの商業主義といった現代社会の問題が取り上げられている。決して大上段に物申すというわけではなく、上手くストーリーの中に織り込んでいるのが良い。自然と作品が発するメッセージを受け取ることが出来た。
例えば、主人公クリスティアンは現代アートを分かったような顔で語るエセ文化人で、美術館経営の手腕もからっきしである。更に、離れて暮らす二人の娘に対して何一つ父親らしいことをしてやれないダメ男である。その彼が、あるトラブルをきっかけにアートの世界から見放され、あれよあれよという間に悪夢のような世界に迷い込んでしまうのだが、その過程が一々気が利いていて面白い。
アートの世界をどこか達観した眼差しで描いている。結局アートも人間が価値を決める以上、時代や事件、時の巡り合わせでいくらでも変わるものであり決して永遠不滅の物ではない。果たしてアートに価値を求めることにどれだけの意味があるのか?そんなメッセージが感じられた。
また、本作には度々ホームレスが登場してくるが、彼らに対する通行人の無関心も、非情な言い方かもしれないがこれが”現実”というほかない。格差社会は日本よりもスウェーデンの方が深刻なのかもしれない。もし自分がその場にいたらどうするだろう?と考えさせられた。
後半のクリスティアンに対するマスコミの攻撃。ネットの炎上なども正に現代社会の象徴と言えよう。実にイヤらしい描き方をしている。
このように本作には様々な現代社会の風刺が込められており、それが時にドキリとさせたり、時に居心地の悪さを味あわせたり、時に何とも言えないやり場のない怒りを起こさせたりする。見終わった後にはひどくビターな鑑賞感が残る。
また、本作は主人公のクリスティアンを単なる俗物として描かなかった点も上手いと思った。
彼はホームレスを憐れみ、困った人を助ける優しさを持っている。しかし、それはバカが付くほどの優しさではない。サンドウィッチを要求するホームレスに対してクリスティアンは玉ねぎ入りのサンドウィッチを投げつける。ホームレスは玉ねぎ抜きを要求したにも関わらずだ。
この辺りがキャラクターのリアリティを生んでいる。これがどこまでもお人好しな人間だったら共感を得られなかっただろう。
一方、彼の周囲に集うサブキャラに関してはややカリカチュアが強めに造形されている。彼らがこの映画をコメディへ持っていく役割を持たされているような気がして少し気になったが、映画全体のバランスを考えればシリアスなクリスティアンとの間で絶妙なバランスが取れていると思った。
本作で不満に思ったことは、少し無駄なシーンが多かったことである。正直、今一つ意味が読み解けないシーンもあり、ストーリー的にも大して意味がないと思うような箇所がいくつもあった。
特に、クリスティアンとインタビュアーの情事はもっとコンパクトにまとめられるような気がした。本作は全体で2時間半の作品であるが、この辺りを削れれば2時間程度にはまとめられそうである。
ストーカーの恐怖を描いたスプラッター怪作。
「DOOR」(1988日)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 靖子は夫と小学生の息子と幸せな暮らしを送っている平凡な主婦である。ある日、セールスマンから電話がかかってくる。そっけなくそれを切った後、なんとその男が家までやって来た。とっさの訪問に気が動転した靖子はドアを急に閉め、それが原因で男は手をケガしてしまう。以来、靖子は彼に付きまとわれるようになり…。
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(レビュー) 孤独なセールスマンにつけ狙われる主婦の恐怖をスプラッタ描写を交えて描いたスリラー作品。
かつてディレクターズ・カンパニーという独立系映画制作会社があった。長谷川和彦を中心とした若い作家たちが集まって作られたこのインディペンデント・ムーブは一時代を築いた。ここから黒沢清、大森一樹、石井聰互といった名だたる監督たちが世に出た。
本作はそのディレクターズ・カンパニーの下で製作された異色のホラー映画である。
監督・共同脚本は高橋伴明。
ピンク映画で実績を積んだ後、かの若松孝二が主催する若松プロに参加し、今でも独自の映画製作を貫き通している気骨の映画人である。このブログでは以前に
「光の雨」(2001日)と
「火火(ひび)」(2005日)を紹介したことがある。彼の作品傾向は多岐にわたり、いわゆる社会派的な問題作を撮ることもあれば、Vシネ・フィールドではエンタメに特化した娯楽作品も撮っている。
今回は明らかに後者のタイプの作品である。ジャンル・ムービーの範疇に入れて良いだろう。
ただ、作品が示す先見性はかなりのもので、当時はまだそれほど世間的に話題になっていなかったストーカーの存在を世に知らしめたという意味においては社会派的な作品とも言える。バブル期真っ盛りにおける会社人間の心の闇を投影しており、そこに病んだ社会的病巣を見ることが出来る。演出やストーリーは”見世物”的に特化したジャンル・ムービーだが、ストーカー男の欲望には色々と考えさせられるものがあった。
現に、本作の視座は終始、靖子にあり、彼女を付け回すストーカー側の心理については一切の説明がない。何を考えてるのか分からない不気味さは、ホラー映画になぞらえれば完全にヒロインを追いかける”モンスター”その物である。…が、その暴走振りはどこか物悲しくもある。
また、本作には主婦の”反乱”というテーマも読み取れた。
靖子は育児に追われながら、夫にも構ってもらえず日々、悶々としたストレスを抱えていきている。その反動が出たのだろう。このセールスマンを恐怖し嫌悪しつつも、自由になりたいという欲求から彼のことを受け入れてしまう。この心理はセリフなどでは明確にされていないが、画面からそこはかとなく感じ取れ、そこに彼女の、更に言えば専業主婦の”反乱”が見て取れる。
特に、セールスマンが歌うシャボン玉の歌を電話口で聞く靖子の表情が、何かを言いたげで印象深かった。自分は、この時靖子にかすかに母性が芽生えたのではないか…と想像した。
演出は、所々に目を見張るホラータッチが見られる。
例えば、靖子がセールスマンに追い回される様子を部屋の天井から俯瞰で捉えた1シーン1カットは白眉だった。何とも言えないカタルシスが感じられた。あるいは、息子の身を案じて靖子が幼稚園に駆けつけるシーンも、カットバックの妙技が光っていた。
ただ、S・キューブリックの「シャイニング」(1980英)のパロディであろう演出は、あからさますぎて失笑してしまった。公園のストーキングシーンも二人の距離が近すぎて突っ込みを入れたくなるものだった。所々に詰めの甘さが感じられる。
それと、子役の演出が無頓着すぎる。演技も余り上手いとは思えなかった。
尚、クライマックスには特殊メイクを駆使したスプラッターシーンが登場してくる。担当したのは数々のSF・特撮作品で活躍する原口智生。今回も良い仕事をしている。
それと助監督に平山秀幸が名が記されていた。彼も後に独り立ちし名監督になっていく。
キャストでは、靖子を演じた高橋惠子の熱演が目を引いた。監督の高橋伴明とは彼が監督した「TATOO<刺青>あり」(1982日)をきっかけに結婚しているが、夫婦らしい息の合ったコンビ振りが作品に一段の熱気を与えている。
またセールスマンを演じた堤大二郎もイヤらしい演技をしていて◎。かつてはアイドル歌手として華々しい人気を誇っていたが、本作ではそのイメージを覆すような怪演を見せている。
和製エクソシストと言われた異色の難病ドラマ。
「震える舌」(1980日)
ジャンルホラー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 平和な暮らしを送る三好家に、ある日突然不幸な出来事が起こる。泥遊びをしていた幼い一人娘・昌子が破傷風にかかり生死の淵に立たされてしまったのだ。懸命に看護する両親の思いもむなしく、入院先で昌子は日に日に弱っていく。
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(レビュー) 破傷風にかかった少女の闘病生活を緊張感みなぎるタッチで描いた異色の難病ドラマ。
尚、破傷風は実際にある病気で、劇中でも紹介されているが、子供がかかると非常に高い確率で死に至るということである。日本では余り見なくなったが、途上国では今でも感染例があるという。
本作には原作があり(未読)、作者の娘さんが実際に破傷風にかかったことを元にして書かれた小説だそうである。
映画公開時からかなり話題になったこともあり、本作は今もってカルト映画扱いされている怪作である。普通この手の難病モノであればちょっと泣ける話的な映画を想像してしまうが、本作はまるでホラー映画のようなテイストで全編が覆われており一種独特な”映像”作品となっている。
この独特のテイストを作り上げたのは、共同製作・監督を務めた名匠・野村芳太郎である。野村芳太郎自身、元々はこういうタッチの作家ではない。シリアスな人間ドラマからコメディ、社会派ドラマとかなりフィールドワークの広い活動をしている監督であるが、しかし本作のような禍々しい作風は珍しい。これもまた氏のカラーなのだろう。
例えば、破傷風にかかると光や大きな音といった”刺激”は厳禁である。それが原因で”ひきつけ”を起こしてしまうからだ。そのため昌子は暗幕で締められた真っ暗な部屋で安静状態に置かれている。ところが、多くの患者が一緒に過ごしている病院でまったく音を立てないとうのは流石に無理である。何かの拍子で大きな音がすると、途端に昌子は奇声を上げて体をエビぞりにして痙攣を起こしてしまうのだ。口を血まみれにして悶えるその姿は、その辺のホラー映画顔負けの恐ろしさがある。
淡々と紡ぐドキュメント・タッチも映画に異様な雰囲気をもたらしている。キャラクターへの感情移入を拒むような作りで、観客は昌子と両親の行く末をただ見守ることだけしかできず、もどかしくも重苦しい雰囲気で映画全体が包まれている。
普通であればこうした難病モノのドラマであれば、どこかで両親の無償の愛とか、医師の献身的な治療といった美談めいた場面を入れるだろうが、本作にはそういったメロウさは微塵もない。
むしろ、両親は自分も破傷風に感染したのではないか?と自分の身を案ずるし、看護の疲労から互いを責めあい、寝ている娘の前で醜い夫婦喧嘩まで始めてしまう。
担当医師にいたっては、両親に何の説明もせずに黙々と治療を施していくだけで、その姿勢は見方によっては事務的で冷酷にすら映る。
ここまで冷徹に難病物を描いた作品もそうそうないだろう。一連のホラー映画的な映像演出も含め、ある意味では見世物映画という見方も出来てしまう。しかし、逆に言えばこれほど挑戦的な映画もそうそうないだろう。
また、本作はキャスト陣の熱演も見逃せない。
まず何と言っても昌子を演じた子役が凄まじい。その真に迫った演技は、悪魔にとりつかれた「エクソシスト」(1973米)のリンダ・ブレアを凌駕するほどである。残念ながら彼女は本作1本のみで女優としてのキャリアを終えてしまっている。
父親役の渡瀬恒彦、母親役十朱幸代も夫々に素晴らしい熱演を見せている。ただし、疲弊したメイクがやたらと濃いのはご愛嬌といったところか…。
いつどこで襲われるか分からないナンセンスさが恐ろしい。
「イットフォローズ」(2014米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 19歳のジェイは、新しい恋人ヒューとデートしそのまま初体験をする。その直後、ヒューに薬を嗅がされ気絶してしまう。手足を拘束された状態で意識を取り戻したジェイは、ヒューから驚きの事実を打ち明けられる。自分とセックスしたことで彼女は”ある呪い”に感染したというのだ。その呪いとは…。
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(レビュー) セックスしたことで他人には見えないモノが見えてしまう恐怖のスリラー。
ホラー映画には一つのお約束がある。それはカップルがよろしくやっていると必ず殺人鬼に襲われるという”お約束”である。この映画は正にそのセオリーを換骨奪胎した新たなホラー映画と言うことができよう。
では、何が新しいのかと言うと、それは”敵”である。普通はジェイソンやブギーマンのような実態を持った殺人鬼が相手となろう。しかし、本作の”敵”は違う。実態が無いのだ。他人には見えない”幽霊らしきもの”なのである。しかも、その”幽霊らしきもの”は複数いて、自分以外には見えない。
実際の所、映画を観てもこの”幽霊らしきもの”の正体が何なのかはよく分からなかった。ある時は全裸の女性だったり、ある時は老婆だったり、ある時は大男だったり、何の共通点もない。
しかし、このよく分からない所が逆にリアルで恐ろしい。何しろ”彼ら”の目的が不明な上に、その対処法もまったく分からないからである。
正直、”彼ら”の動きはゾンビのように遅い。だから走って逃げればその場は何とか助かる。そう言う意味では、安心できるのだが、しかし”彼ら”は突然どこからともなく現れるし、一見して普通の人間と何ら変わらないのでかなり恐ろしい。特に、大男が暗闇から出てきた時には怖かった。
また、この映画は単なるジャンル・ムービーではない所も面白い。
いわゆる友情、恋愛ドラマを絡めてきちんとストーリーが構成されている。主人公を間に挟んだ三角関係、姉妹間の嫉妬、非モテとモテ男の対立等、この年頃の少年少女らしい葛藤をピックアップしながら見事に1本の青春ドラマとして完成させている。
ラストの締めくくり方も良い。ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか判然としない所に、この年頃の不安や迷いが象徴されていると思った。
本作の難は演出が一部チープな所だろうか…。海辺で幽霊に襲われるシーンがあるが、これは少々間の抜けた演出で笑ってしまった。低予算映画なのでCGが今一つなのは仕方がないにしても、撮り方次第ではもっと恐怖を演出できただろうに…と残念である。
監督・脚本は本作が長編2作目の新人監督である。経歴を調べてみると、前作は若者たちの日常を追った青春群像劇のようである。今回はたまたまホラーというジャンルで撮ったが、おそらくこの監督の資質はそちらなのだろう。
ちなみに、次回作はA・ガーフィールド主演のサスペンス映画で
「アンダー・ザ・シルバーレイク」(2018米)というタイトルで今秋から日本公開である。