社会背景を知った上で観た方が理解しやすいと思う。
「判決、ふたつの希望」(2017レバノン仏)
ジャンル社会派、ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) レバノンの首都ベイルート。パレスチナ難民でイスラム教徒のヤーセルは現場監督として住宅の補修作業にあたっていた。そこにはキリスト教徒のトニーが住んでいて、ひょんなことからトラブルになってしまう。二人は対立を深めながら、ついに法廷の場で争うことになる。
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(レビュー) 宗派も人種も異なる者たちの争いを痛烈な風刺を交えながらシニカルに描いた社会派人間ドラマ。
レバノン共和国におけるパレスチナ難民とレバノン人の歴史は非常に因縁深い。彼らは過去に何度も内戦を繰り返し、多くの犠牲者を双方に出してきた。
以前観た映画で
「戦場でワルツを」(2008イスラエル)というアニメーションがあったが、そこでもレバノン軍によるパレスチナ難民の大量殺戮が描かれていた。レバノンではこのような不幸な惨劇が何度も繰り返されてきたのである。
こうした歴史的状況を踏まえた上で本作を観ると、ヤーセナルとトニーが何故そこまで対立を深めていったのかがよく分かる。二人とも根っこの部分で民族的な憎悪を抱いてるのである。
物語は、些細な両者の口論から始まる。やがて口喧嘩だった二人の軋轢は暴力事件にまで発展。更に、トニーの身重の妻や法廷に立つ弁護士、マスコミに報じられたことで政府を巻き込んで大騒動へと発展していく。二人の対立はもはや個人的な問題ではなく、国中を分断した大きなものへスケールアップしていく。ややカリカチュアがかった部分もあるが、それだけ両民族の遺恨は根深いということだろう。
考えてみれば、これは実に普遍的なことを言っていると思う。人種の違いや宗派の違いで引き起こされた紛争は今でも世界中で溢れている。この映画はこの現状に対する警鐘に相違ない。作り手側の狙いはその一点に集中されており、実に現代的なテーマを取り上げていると思った。
ラストが感動的である。今回の裁判が徐々に大きくなっていくことに戸惑いと恐怖を覚えた二人は、原点に返って彼らなりの一つの決断を下す。そこで彼らは相手を許すことを学び、争いの連鎖を断ち切るためには過去を振り返るのではなく未来に目を向けることが大切である…ということを知る。
往々にして争いがこじれてしまうと人間は引くに引けなくなってしまうものである。しかし、いつまでも憎しみあっては平行線のままで一向に終わりはない。難しいことであるが、かくありたいと自分でも思った。
その手前、ヤーセルの車が故障するシーンも味わい深かった。それまで口もきかなかったトニーがそれを修理してやる。この時から二人の関係は雪解けしたのかな…と思えた。
また、この映画は法廷劇が主たる場面となるが、これも面白く見ることが出来た。実は互いの弁護士には”ある秘密”があり、それが判明した時には苦笑させられた。こちらも実に因縁めいた関係である。
トニーと身重の妻の夫婦関係も、裁判の進行とともに変化していく。法廷よりもお腹の子を優先させる妻の思考は、男女の性差をよく表していると思った。
監督、共同脚本はレバノン出身のZ・ドゥエイリ。初見の監督であるが中々手練れた演出をしていると思った。緩急のつけ方も上手いし、何よりテンポが良くて大変見やすい。社会派的なテーマを真っ向から取り扱っている割に、エンタメとして上手く昇華できている。過去作は日本では未公開なので、この機会にぜひ劇場公開してもらいたい。
孤独な者同士の繋がりをしっとりと描いた人情ドラマ。
「あん」(2015日仏独)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 小さなどら焼き屋で雇われ店長をしている千太郎は、ある日求人広告を見てきた老女、徳江に出会う。彼女の粒あんが絶品だったことから雇ってみたところ、たちまち評判となり、店はみるみる繁盛していくのだが…。
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(レビュー) ドリアン助川の同名小説を河瀨直美が脚色・監督した人間ドラマ。
あんを作ることにかけては天下一品の老女と、どら焼き屋で働くワケあり中年男の交流を時にハートウォームに時にシビアな問題を絡めながら丁寧に描いた好編である。
それにしても河瀨作品にしては随分と人情味に溢れたドラマで驚かされた。これは原作がそうなのかもしれないが(未読)、これまでの彼女の作品に比べるとかなりマイルドに味付けされており大変見やすい作品になっている。大衆向け娯楽映画として誰が観ても楽しめるだろう。
ただ、ストーリーの第2幕に入って、徳江のハンセン病の問題が取り上げられるのだが、ここは個人的に少し気になってしまった。余りにも唐突過ぎる。
ハンセン病患者に向けられる差別は非常に重要な問題である。それを取り上げること自体、非常に意義深いものがあると思う。しかし、それが果たして今回のドラマにどれほど必要だったかは疑問が残る。もしこの問題を正面から描きたいのであれば、それを中心に描くべきであろう。何だか取ってつけたような気がしてならなかった。
あるいは、もしこの問題に言及するのであれば、構成上、徳江の視点も入れて進行する必要があったと思う。現状では千太郎の視点で紡がれるドラマになっており、これだけでは徳江が如何にこの差別に苦しんできたのか、どれだけ悲しい気持ちを抱えたまま生きてこなければならなかったのか。そこが上手く伝わってこない。
作り手はそこは想像して欲しいと言うかもしれない。しかし、それではこの問題に向き合っているとは言いがたい。
千太郎の過去の悔恨、現在置かれている状況に対する葛藤のドラマはよく出来ていると思った。どら焼き屋のオーナーの娘ワカナとの絡みも良い。彼女もまた千太郎と同じように自分の殻を破れない”籠の中の小鳥”である。二人が互いにシンパシーをおぼえる様は観ててグッとくるものがあった。また、そんな彼らが徳江という大きな母性に包み込まることで新しい世界へと”巣立つ”図式も感動的に受け止められた。
河瀨監督の演出は実に端正に整えられており、改めて彼女の演出力の確かさに感嘆させられる。
今回はユーモラスな場面も中々上手く捌けており、さりげないカットも物語に味わいを増すという意味では効果的であった。特に、度々映る月のカットなどは味わい深い。
また、ワカナは”ある罪”を犯してしまうのだが、単純にセリフで謝罪させなかったのも上手い演出だと思った。おそらく彼女の中では嫉妬に似た気持ちがあったと思うのだが、それをセリフで説明してしまっては三文芝居になってしまう。河瀨監督はこのあたりの心情を実にしたたかに表現している。
尚、あんの作り方を順序立てて丁寧に描写したシーンも作品を大事にしている証拠で好感が持てた。
キャストでは、千太郎役の永瀬正敏の落ち着いた好演が光っていた。
徳江を演じた樹木希林も相変わらず彼女にしかできない演技で上手い。但し、こと今回のような主役級になってくると少々アクが強すぎるきらいがある。
ワカナを演じたのは、樹木希林の孫娘である内田伽羅。
「奇跡」(2011日)以来の鑑賞だが、演技自体はその時と余り変わっておらず、正直余り上手いとは思えなかった。独特の外見をしているので今後の化け方に期待したい。
岩井ワールドが心地よい
「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 派遣教員として働く平凡な女性七海は、SNSで知り合った男と結婚することになる。ところが、彼女は披露宴に呼べる友人・親族がほとんどいなかった。面子を保つために仕方なく “なんでも屋”の安室に代理出席の手配を依頼する。こうして式は無事に済み、晴れて新婚生活が始まる。しかし、早々に夫に浮気の疑惑が持ち上がり…。
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(レビュー) 数奇な人生を歩んできた孤独な女性と謎多き女性の奇妙な友情関係を美しい映像で綴った作品。
原作・監督・脚本は岩井俊二。氏らしいリリカルなタッチが横溢した作品で、ちょうど同氏の「花とアリス」(2004日)を想起させるような女性同士の友情ドラマとなっている。
刺さる人にはとてつもなく刺さるだろうが、この独特なトーンに乗れないと、とことん乗れない作品だろう。岩井俊二という作家性はそれくらい癖が強い。しかし、この唯一無二の感性は氏にしか作れないものであり、真似しようとしても中々真似できないものである。本作はそんな氏の魅力がタップリと詰まった逸品となっている。
主人公・七海は思ったことを素直に主張できない引っ込み思案な女性である。そんな彼女だからこそ、自分とは正反対な真白に惹かれていったのは当然という気がした。
本作は、彼女たちの友情とも恋愛ともつかない奇妙な関係を中心に描かれていく、ある種レズビアン的な映画だと思う。
二人の関係は先述した花とアリスの関係によく似ている。キャラクターの対称性や、生い立ちの違い。まるで「花とアリス」の発展形のような映画であり、自分は両作品を色々と比較しながら面白く観ることが出来た。
ストーリー自体はそれほど複雑ではなく、かなりシンプルである。
まず、前半は七海の結婚から離婚までの足跡をややブラックコメディ調に描いている。SNSや冠婚葬祭の代理出席、便利屋の存在、引きこもり児童への通信教育といった、いかにも現代的な問題を散りばめた所が面白い。
その後、七海はなんでも屋の安室の紹介で始めたバイトで真白と出会う。二人は性格も見た目のまったく異なるが不思議と気が合い楽しいひと時を過ごす。ところが、真白は全てにおいてミステリアスな女性で、ただ一つ”リップヴァンウィンクル”という名前だけを残して七海の前から去ってしまう。何とも古風なロマンスであるが、その後二人は奇跡の再会を果たす。
ここからが岩井俊二ワールド全開である。七海と真白の幸せの日々を瑞々しいタッチで切り取りながら、まるで世界は二人のためだけにあると言わんばかりのオーラで画面が輝き出す。陽光が降りそそぐ太陽の下でサイクリングをしたり、街角で楽しいショッピングをしたり、花嫁衣装を着てダンスをしたり等々。傍から見れば只のノロケにしか見えないこれらのシーンは、見事なまでの多幸感に満ちており、これぞ岩井ワールドの真骨頂という感じがした。
しかし、ドラマとしては、これだけで終わるはずもなく、その後に真白の秘密が判明し、急転直下のクライマックスへと突入していく。儚き多幸感への郷愁という、これまた岩井俊二作品ならではの、解放からの内省へという鮮やかな方向転換が実にドラマチックだ。
映像やテーマは過去の岩井作品とダブる部分もあるが、これこそ岩井俊二でしか撮れない女性同士の友情ドラマであり、その点では十分満足のいく作品だった。過去の傑作群と比べても引けを取らない完成度を誇っていると思う。
ただし、上映時間の長さについては余り感心しない。このテーマを描くのに3時間は冗長である。色々と面白い要素を盛り込んでいる点は評価できるが、個人的にはもっと切り詰めてすっきりとした小品にまとめて欲しかった。
また、安室はかなり裏のありそうなキャラに思えたのだが、結局ただの気の良い好青年というのも肩透かしを食らった気分で残念である。3時間あればその辺をもっと濃密に造形出来たのではないだろうか?
尚、本作には5時間超えのドラマ版があるらしい。あるいはそちらで詳しいバックストーリーが描かれているのかもしれないが、残念ながら未見なので確かめることは出来ていない。
本作で最も印象に残ったシーンは、終盤の真白の出自にまつわるシーンである。詳細は伏せるが、ここで彼女の母親が登場してくる。このシーンは滑稽であると同時にとても悲しいシーンとなっている。どうやら岩井監督は大まじめに演出したらしいが、自分は苦笑が絶えなかった。監督の意図とは完全に違うかもしれないが、母親役のりりィの熱演も相まってこのシーンは何とも言えなない不思議な魅力にあふれている。
嫁ぎ先を追い出された七海が全然知らない土地で途方に暮れて泣き出すシーンも印象深かった。七海役の黒木華がここで一気に感情を爆発させ、観ているこちらまで切なくさせられた。
母の愛を感動的に綴った人情ドラマ。
「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 銭湯“幸の湯”を営む幸野家。父の一浩が一年前に蒸発し銭湯は休業状態にあった。母の双葉はパートをしながら中学生の娘・安澄を育てている。ある日、突然倒れた双葉はガンで余命2ヵ月と宣告される。彼女はショックを受けつつも気丈に振舞うのだが…。
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(レビュー) 癌で余命いくばくもない母と周囲の家族の愛を感動的に綴った作品。
幸野家は非常に複雑に入り組んだワケあり家族である。娘の安澄には”ある秘密”があるし、父の一浩は遊び人で他の女との間に鮎子という娘を作って家出している。そして双葉自身も過去に”ある秘密”を抱えて生きている。夫々が苦い過去を背負いながら生きており、物語はそれらに焦点の当てながら展開されている。
今作はいわゆるお涙ちょうだいな難病モノのドラマであるが、こうした複雑な人間模様があることで、古き良き日本映画を思わせるようなオーセンティックなホームドラマとしてとても良質に作られている。安易な感動ものと一蹴できない、一定の味わいと深みを持った作品となっている。
物語は全部で5つのパートに分けられると思う。
まず、一つ目は安澄の学校のイジメのエピソードである。ここでは双葉が安澄を叱咤激励することで母子の絆がテーマとして力強く発せられてる。
2つ目は、一浩と鮎子のエピソードである。一度は家を出ていった一浩だが、双葉の病気を知り残り僅かな人生を共に過ごそうと戻ってくる。その際、腹違いの娘・鮎子も家族の一員になる。幸野家の団欒はいっそう賑やかになり、それと同時に休業していた銭湯も再開し、まさに春の訪れと言わんばかりの活気を取り戻していく。
3つ目は、双葉と安澄、鮎子のロードムービーとなっている。ここで3人はヒッチハイカーの拓海という青年と出会う。実は、卓海は家出青年で双葉との間にささやかな親交が育まれることになる。
4つ目は双葉達の旅行の行きつく先で展開される意外な真実のドラマとなっている。ネタバレを避けるために詳しくは書かないが、ここは今作一番の泣き所だった。
そして、最後は双葉自身が過去と対峙するエピソードである。前のエピソードとはまったく正反対な形で、母子の関係が描かれており実にほろ苦い結末を迎える。
以上挙げた5つのエピソードには共通するテーマが隠されている。それは”母子愛の尊さ”である。このテーマは映画の最初から最後まで通底されており、これがしっかりと柱として立っているおかげで、本作は安易な難病モノの映画で終わらずに済んでいると思う。見応えのある良質な作品として成立している。
思えば、古き日本映画には必ず肝っ玉母さん的なキャラクターがいた。家庭内で様々な問題が起こっても最終的には母が何とか丸く収める。母は強しとはよく言ったものだが、そんな頼もしさが一連の母親像からは汲み取れる。
本作の双葉も然り。彼女は安澄にとっての母親であり、突然転がり込んできた鮎子にとっても義理の母親になっていく。そして、家出青年・拓海にもまるで実の母のように癒しを与えていく。更に、4つ目のエピソードでは、双葉はある種後見人的な役回りに自らを抑え込むが、”見守る”という行為自体はやはり母性から発せられた愛以外の何物でもないだろう。
このように一言で母子愛といっても、様々な形の母子愛があり、それをこの映画は一つ一つのエピソードの中で丁寧に描いて見せている。多種多様に彩りの豊かな母子愛の形には驚かされるばかりだ。母の愛の懐の深さに感服してしまうほかない。
しかも、この映画は母の愛を単純に美しく尊いものとしていない。5つ目のエピソードでは、むしろ儚く薄情なものとして描いている。切っても切れない母子の関係を永遠なものとせず、こういうケースもあるという厳しい現実を見る側に突きつけている。
良い面だけを取り繕うかのように見せる感動系映画がたくさんある中、こうしたイヤな一面をきちんと織り込んできた所が本作の妙味だと思う。非常に正直に描いている映画…という印象で好感が持てる。
尚、銭湯という設定もよく考えられたシチュエーションだと思った。周囲を包み込むべく母性の象徴として、この銭湯という場所は格好の素材のように思う。
本作で一点だけ残念な個所があるとすれば、それはダメおやじこと一浩の奮起が描かれる終盤であろうか…。ここはトゥーマッチな演出で萎えてしまった。個人的にはもっとスマートにまとめて欲しかった。
また、興信所の父娘のキャラに関しては、不用意に出過ぎという気がしなくもない。特に、終盤はいない方が良かった。
キャストでは、双葉役の宮沢りえ、安澄役の杉咲花が素晴らしかった。特に、杉咲花の口をぎゅっと結んだ表情が印象に残った。どんな逆境にも挫けない芯の強さがその表情からはっきりと感じ取られた。
横領事件をきっかけに転落していく主婦の”反乱”は観てて実に痛快である。
「紙の月」(2014日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1994年、エリート会社員の夫と2人暮らしの主婦、梨花は、銀行の契約社員として外回りの仕事をしていた。ある日、ひょんなことから顧客の孫で大学生の光太と付き合うようになる。夫婦生活にどこか満たされぬ梨花は、この不倫にのめり込んでいくようになる。そして苦学生の彼を金銭援助するために、客から預かった金に手を付けてしまう。
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(レビュー) 平凡なOLの横領事件をシニカルに綴ったヒューマンサスペンス。
本作は主婦の反乱、働く女性の反乱について描いた映画だと思う。
主人公・梨花は退屈な私生活、変わり映えのない仕事から抜け出すべく、客の金に手を付ける。それは貧困学生・光太に対する同情から始まる犯罪だが、しかしその一方で、今の自分を変えたいという女性としてのエゴがそうさせたとも言えるだろう。現に光太に対する同情心は後に愛情へと変わっている。これは不倫を楽しむ主婦の心理に近い。もう一つの生き方が自分にもあるのではないか?という”憧れ”がそこにある。
従って、梨花の行為は犯罪行為であるにも関わらず、こうした彼女のバックボーンを考えると痛快ですらある。不謹慎かもしれないが、彼女のことを何だか見守るようにしてこの映画を観終えた。
こうした梨花の心理を丁寧に紡いだ本作は、女性ドラマとしても実によく出来た作品だと思う。表向きはクライム・サスペンスだが、一人の女性の自律というテーマがそこ浮かび上がってくるからだ。
割とコメディライクなテイストもあるが、基本的には実直な人間ドラマとして見応えを感じた。
そして、本作には梨花と同様、型に収まって生きる同僚、より子というキャラクターが登場してくる。仕事一筋に生きてきた彼女もまた、自分の殻を破れない不憫な女性で、梨花とはどこか共通する物を持っている。但し、彼女は梨花のように道を踏み外さない。徹頭徹尾、真面目一辺倒な女性である。
より子は梨花の横領を怪しみ彼女を窮地に追い込む、ある意味”敵対者”として存在する。しかして、その最終決戦。二人が対峙するクライマックスはドラマチックに盛り上げられていて見応えを感じた。
より子の梨花に対する異様なまでの執着(例えば序盤のランチのシーンからして)は、近親憎悪だったのかもしれない。そんなふうにも思えてくる。この時の梨花の「一緒に来る?」という”誘い”の言葉が衝撃的だった。より子にとっては実に残酷に聞こえただろう。何故なら彼女は決して梨花と同じ道を進めないからだ。これは完全に梨花の”勝利宣言”である。
尚、個人的にはその後に描かれるエピローグは蛇足に思った。梨花の飛翔をファンタジーに締めくくるとしても、ここまで現実離れしてしまうと白けてしまう。ロマンあふれるエンディングかもしれないが、ここは観客の想像に任せても良かったのではないだろうか。
それとラブシーンに関しては、演出、音楽共に受け付けがたいものがあった。カメラの不用意なズームの多用がシーンを安っぽくしてしまっている。
キャストでは、ヒロインを演じた宮沢りえの説得力ある造形が素晴らしかった。地味で冴えない主婦兼OLという役所を自然に好演している。素が美人ということもあり、やりようによってはこの”地味さ”はわざとらしく映りかねないのだが、そこを彼女はメイクを抑えて現実感を持たせている。見事と言えよう。
二度目の決断の重さ…。
「女は二度決断する」(2017独)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ドイツのハンブルク。ドイツ人のカティヤは学生時代に出会ったトルコ系移民のヌーリと結婚し、かわいい息子と幸せな日々を送っていた。そんなある日、ヌーリが経営する事務所の前で爆発が起こり、夫と息子が命を落としてしまう。警察はヌーリが移民だったことから外国人同士の抗争を疑うが、カティヤは移民を狙ったネオナチによるテロだと訴える。
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(レビュー) 爆破テロで愛する家族を失った主婦が決死の覚悟で犯人捜しをする社会派サスペンス作品。
ニュースなどで知っている人もいると思うが、ドイツやフランス、イギリス等のヨーロッパ諸国には周辺の国から様々な人種が移り住んでいる。特に、この映画で描かれているドイツではトルコ移民が多く、両者の間では様々なトラブルが起こっている。本作は実際にあった事件を元にして作られた映画である。そう言う意味では大変意義深い映画であり、本作を観て今一度、我々は移民問題について考えてみるべきなのかもしれない。
監督、脚本、共同製作はトルコ系ドイツ人であるファティ・アキン。
以前このブログで紹介した
「そして、私たちは愛に帰る」(2007独トルコ)も彼の監督作品である。そこでも今回の映画同様、ドイツとトルコの微妙な関係が描かれていた。両作品を見比べてみると、より一層この問題について深く考えることが出来ると思う。
物語はカティヤの目線で綴るハードな復讐劇となっている。愛する家族を失った悲しみ、犯人に対する憎しみが緊張感みなぎる展開で綴られている。
映画は全部で3部仕立ての構成になっている。
第1部は爆破事件の発生とカティヤの喪の仕事を描く「家族」の物語である。
第2部は事件の真相を巡る法廷闘争を描く「正義」のドラマ。
第3部は裁判後のカティヤの復讐劇を息詰まるタッチで描いた「海」というエピソードになっている。
「正義」のパートにやや疑問符が残るが、それ以外はとてもよく出来た映画だと思った。特に、「海」の章におけるカティヤの失意と葛藤に見応えを感じた。ラストに至るツイストもスリリングで目が離せなかった。
ただ、先述したように裁判パートについては、かなり”ずさん”な描写で突っ込みを入れたくなった。そもそも検察人は何もせずただ席に座っているだけで、これで裁判と言えるだろうか?しかも、被告人はアリバイをねつ造する偽の証人をでっちあげるのだが、この程度の嘘なら被告人のパスポートや入出国の記録を調べればすぐに分かると思うのだが…。もしかしたら偽造パスポートを使っていたのかもしれないが、それにしても警察は一体何をやっているのか?と突っ込みを入れたくなった。
このパートは、被告人の父親とカティヤの絡みも描かれるのだが、そこはとても良かった。ペーソスが感じられてしみじみときた。それだけに法廷描写が”ずさん”だったのは勿体なく感じた。
キャストでは、カティヤを演じたダイアン・クルーガーの繊細にして大胆な熱演が素晴らしかった。わき腹にサムライのタトゥーをしていたが、これはどんなことがあっても戦うという不屈の精神を物語っているのだろう。実に格好良い。
それにしても、ラストのカティヤの二度目の”決断”の意味について考えると、今のヨーロッパが抱える移民問題がいかに根深いかがよく分かる。この問題はそう簡単には解決を見出せないだろう。結局、一人一人が考え方を改めて行かなければならない問題なのだと思う。間違いなく賛否が分かれるエンディングである。…が、それゆえ後に引くエンディングでもある。