今年の米アカデミー賞は大混戦。司会者の不在やCM中に結果を発表する等。視聴率が低迷する中、今後のショーの在り方は問題山積みです。
作品賞を取った「グリーンブック」は今週末から日本公開ということで楽しみです。
というわけで個人的にも去年観た映画を総ざらい。
とは言いつつ、ここ数年本数が減っていて去年はとうとう25本。
仕事が忙しくて(特に毎年後半)中々観たくても観れないのが現実。
そんな中、個人的ベスト10を記したいと思います。
1.
万引き家族2.
デトロイト3.
RAW 少女のめざめ4.
シェイプ・オブ・ウォーター5.
スリー・ビルボード6.
search/サーチ7.
ボヘミアン・ラプソディ8.
カメラを止めるな!9.
リメンバー・ミー10.
デッドプール2作品賞:「万引き家族」
監督賞:是枝裕和(万引き家族)
脚本賞:是枝裕和(万引き家族)
男優賞:ウィル・ポールター(デトロイト)
女優賞:安藤サクラ(万引き家族)
1,2は文句なしの5つ星。5位以下は順不同という感じでどれが上位に来てもおかしくないです。今回は割とエンタメ趣向で選んでみました。
次点で
「ビューティフル・デイ」、
「ウィンド・リバー」を挙げておきます。
ジャンル俺アカデミー賞
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死を寓話的に描いた作品。
「第七の封印」(1956スウェーデン)
ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 十字軍から生還した騎士アントニウスは浜辺で死神に出会う。その後、アントニウスは従者のヨンスと共に故郷に戻る旅に出た。その途中で彼らは、幼い赤ん坊を抱えながら旅一座をしている夫婦と出会う。更に、ワケアリな少女、妻に逃げられた鍛冶職人といった人々と出会いながら旅は続いていく。
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(レビュー) 死神に取りつかれた騎士の旅を寓話的に描いた作品。
監督・脚本はI・ベルイマン。氏が生涯通して描いた「死」をテーマにした作品である。どちらかというとシリアスな作品が多いベルイマンだが、今回は時にユーモラスな演出を押し出した作りになっている。
そのユーモアを最も体現しているのが、旅一座の夫婦である。彼らの暮らしは貧しい。しかし、ペストの万延、魔女裁判、強盗、殺人といった殺伐とした世界で唯一光り輝く”希望”のように存在している。劇中には死神が登場して人々を惑わし、罪に走らせるが、彼ら夫婦だけは最後まで悪行に走ることがなかった。そこが救いである。自分は、彼らこそこの映画の真の主役なのではないか…という気がした。
映画の中盤、旅一座と間男、その間男に妻を奪われた鍛冶職人の複雑な不倫騒動が描かれる。これも艶笑風で中々面白かった。この辺りは、前作
「夏の世は三たび微笑む」(1955スウェーデン)に共通したテイストが伺える。
死神にまつわる一連の描写もブラックコメディとして観れば中々楽しめる。なぜアントニウスにしか見えないのかは謎だが、そこも含めて不思議な味わいをもたらしている。
ベルイマンと言うとヘビーでシリアスな作風というイメージだが、このように今回はユーモアが横溢しているので他の作品よりも取っつきやすく、おそらく誰が観ても楽しめる作品ではないだろうか。
個人的には、ラストのシルエットの演出が印象深かった。まるでハーメルンの笛吹きよろしく、死神に連れて行かれるアントニウスたちの姿に怖さと幾ばくかの安らぎが感じられた。結局「死」から逃れられなかったのか…と思う一方で、暗く苦しい現世から解き放たれたのだから彼らは救われたのだ…という感動も覚える。
実在したバンド、フォー・シーズンズの音楽伝記映画。
「ジャージー・ボーイズ」(2014米)
ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1951年、ニュージャージーの片隅でバンドマンをしているトミーは、美しいファルセットを響かせる少年フランキーをスカウトしてバンドを結成する。フランキーの歌声は地元マフィアのボス、ジップ・デカルロを魅了し、彼のサポートを得ることが約束された。更に才能豊かなソングライター、ボブを迎え入れて、バンドは精力的なライブ活動を行いながら徐々に名を上げていくようになる。
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(レビュー) 実在のバンド、フォー・シーズンズの成功と混迷の道程を描いた音楽伝記映画。
ブロードウェイのミュージカルを元にしており、そちらはトニー賞を受賞するなど、かなり評価が高いミュージカル劇となっている(未見)。それを巨匠C・イーストウッドが撮った作品である。
自分はフォー・シーズンズのことについては全くの無知で、劇中で流れる「シェリー」を聴いたことがあるくらいである。また、終盤に流れる「君の瞳に恋してる」も楽曲自体は耳にしていたが、実はそれはカバー曲の方だったというのを後で知った次第である。元々は彼らが歌っていたということを全然知らなかった。
したがって、バンド結成や成功の過程、どうしてバンドが分裂してしまったのか。そうした経緯についてはまったくの予備知識がないため新鮮に観ることが出来た。
それにしても、これをアメリカンドリームと言わずして何と言おう。芸能界では才能ある者は星の数ほどいる。しかし、世に出るかどうかは結局は巡り合わせ、人と人の縁であることを思い知らされる。地元マフィアのボスとの出会いであったり、多額の借金を背負ってレコーディングに踏み切った逸話がいい例である。全ては縁とタイミングなのだ。
無論、実力がなければここまで成功することはなかっただろう。フランキーの美しいファルセットの歌声が必然だったことは疑いようのない事実である。本作を見ればそれはよく分かる。
この美声を再現したのはジョン・ロイド・ヤング。初見の俳優であるが、彼は舞台版でもフランキーを演じていたということである。これが実に見事な歌唱で聴き惚れてしまった。ドラマに十分の説得力をもたらしている。
イーストウッドの演出も円熟の極みを見せている。
冒頭の強盗シーンの軽快さとスリリングさとユーモア。フランキーの歌声が地元マフィアのボス、ジップに涙させるスマートな演出。ラジオ局のDJがスタジオをジャックして名曲「シェリー」を延々とヘビーローテーションしながら大衆に広まっていく様。そして、フランキーが盟友トミーに三行半を突き付ける熱度の高い演出。
齢80を超えて、この硬軟織り交ぜた自在な演出はアッパレと言うほかない。同年には
「アメリカン・スナイパー」(2014米)も公開されており、正に演出家としての円熟期に入ったと言っても過言ではない。
更に、今回は非常に目新しい演出も見られる。それはカメラに向かって俳優が語り掛けるという演出である。元の舞台劇がそうなのかもしれないが、この演出が展開の軽快さ、キャラクターの心情の明快さを上手くサポートしていると思った。こうした演出は賛否あるかもしれないが、少なくとも作品にユーモアを与えるという意味では奏功している。
また、イーストウッド自体がジャズを愛する人間ということもあり、演奏シーンにも手抜かり感は無い。
全編、そつなく作られた音楽映画で、フォー・シーズンズを知らない人、あるいは舞台版を知らない人でも十分楽しめる娯楽作になっていると思う。
もっとも、同じイーストウッドが手掛けた音楽映画「バード」(1988米)のような野心性があるわけではないので、同じ音楽物でも見応えという点ではやや落ちる。
ここ最近のイーストウッドの映画は肩の力を抜いた作品が多く、それはそれで楽しめるのだが、一時のような重厚さは鳴りを潜めている感じがする。
古典的名作4度目の映画化。違ったキャストで新鮮に観れる。
「アリー/スター誕生」(2018米)
ジャンルロマンス・ジャンル音楽
(あらすじ) 世界的なロックスター、ジャクソンはコンサート終了後に立ち寄った場末のバーで、ウェイトレスとして働きながら歌手を夢見るアリーと出会う。その類まれなる歌唱を気に入ったジャクソンは、彼女を自分のステージに立たせて歌わせる。これがきっかけでアリーは瞬く間にスターの階段を駆け上っていくのだが…。
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(レビュー) 世界的なロック歌手と才能あふれる女性シンガーが恋に落ちる音楽映画。
すでに何度も映画化されている名作なので知っている人も多いと思うが、かく言う自分も1作目は未見だが、それ以外は全て見ている。特に2作目のJ・ガーランド版はダイナミックな彼女のパフォーマンスに痺れた口である。
今回のリメイクは、世界的に有名なシンガー、レディー・ガガとハリウッドで活躍する人気俳優B・クーパーを擁して作られた作品である。
物語に関しては、ほぼこれまでと変わらないため、改めて何か新しい物を発見することは出来なかった。ただ、今回はジャクソンと兄の確執を少しだけフィーチャーしており、彼のキャラクターに深みを与えている点が新味である。終盤に彼が採る行動にドラマチックさを与えるという意味でこうしているのだろう。これは奏功している。
もっとも、その伏線張り(過去)はもっと周到にすべきだったと思うが…。
また、そのあたりの事情はきちんとアリーとの間で共有すべきだったように思う。もちろん彼女も情報としては知っていただろうが、必要以上に兄弟の仲に入って行かないため、メインの恋愛ドラマとの相関が余り上手くいってるようには思えなかった。
ガガ、クーパーの演技は共に素晴らしかった。特に、B・クーパーが大健闘している。吹き替えなしで歌も演奏もこなしている。今回の役作りのためにかなり特訓したのだろう。その努力の跡がうかがえた。
一方のガガも、歌唱力はお墨付きということで素晴らしいパフォーマンスを見せている。今まではあのケバケバしいメイクのイメージしかなかったのだが、今回はほとんどノーメイクで初演技を披露している。普段とのギャップから非常に新鮮に観れた。
尚、劇中で大きい鼻がコンプレックスだと言っていたが、これは第3作を意識してのことだろう。主演のB・ストライサンドも鼻が大きかった。確かにこうしてみると二人とも顔の造形が少し似ているかもしれない。
尚、B・クーパーは本作で監督、脚本も兼任している。初演出となるが、上手く抑揚を付けながら軽快に演出していると思った。基本的に本作は主演二人の芝居がメインになるのだが、そのやり取りに肉薄するカメラワークが秀逸だった。
ただ、逆にステージシーンではそれが仇となりダイナミズムが損なわれてしまった感がする。この辺りは功罪あろう。
おそらくだが、B・クーパーは”二人だけの世界”を強調したかったのだろう。リアリティを追求するのではなく寓話色を意識した作りが2,3作目とは少し毛色が違う。
オリジナル版とはかなり内容が違うので賛否分かれそう。
「サスペリア」(2018伊米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1977年、東西に分断されたドイツのベルリン。世界的舞踊団“マルコス・ダンス・カンパニー”のオーディションを受けるためにアメリカからやって来たスージーは、カリスマ振付師マダム・ブランの目に留まり、晴れて入団を許される。折しも舞踊団では主力ダンサーのパトリシアが謎の失踪を遂げる事件が起きていた。彼女のカウンセリングに当たっていた心理療法士のクレンペラー博士がその行方を追って独自の調査を進める。そんな中、スージーは次回の公演の大役に抜擢されるのだが…。
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(レビュー) ジャーロ映画界の巨匠D・アルジェントが監督した傑作「サスペリア」(1977伊)を大胆にアレンジしてリメイクしたホラー映画。
まず最初に行っておくと本作は元のオリジナル版から、かなりかけ離れた内容である。基本的な設定は確かにオリジナルの「サスペリア」から拝借しているが、そこで描かれるテーマは完全に前とは異なる。オリジナル版は単純に猟奇的快楽に特化した、いわゆる見世物映画で、ストーリーもシンプルだった。
それに対して今回のリメイクは、東西冷戦下のドイツの不安定な世相、果てはナチス政権下の暗黒の歴史が色濃く投影されている。それによってストーリーに込められた意味合いやテーマが随分と様変わりすることとなった。
謎めいた作りの映画なので解釈はそれぞれ違うだろうが、自分は以下のように本作のテーマを読み取った。
魔女の巣窟となるバレエ団は強権を振るう権力の象徴。つまり第二次世界大戦中のナチスを象徴しているように思った。
それに対して今回のヒロイン、スージー。彼女を見初めたマダム・ブラン。映画冒頭でバレエ団から逃亡したパトリシア。彼女のカウンセリングをするクレンペラー博士。彼らはバレエ団に抗する、言わば反権力グループということになる。つまり、これはナチス政権下におけるレジスタンス、当時のドイツ赤軍と重ねてみることが出来る。現に劇中ではドイツ赤軍のハイジャック事件が度々報道されている。
このように捉えると、今回の”魔女の劇団”対”ヒロインたち”の戦いには政治闘争的な意味が汲み取れる。オリジナル版には無い本作ならではのアレンジは正にここである。いわゆるホラーという枠にとどまらない面白さが存在する。
監督はルカ・グァダニーノ。彼はアルジェント版「サスペリア」のファンで今回のリメイクには並々ならぬ野心を持って挑んだという。その野心とは正に上記のようなことではないだろうか。彼はおそらくノンポリだったオリジナル版に政治色を絡ませることで、別のテーマを浮かび上がらせことを狙ったのだと思う。
現に、本作の脚本家のインタビュー記事によれば、当時のドイツの政情を背景に盛り込もうと提案したのはグァダニーノの方だったらしい。このアイディアは監督オリジナルの物だったということが分かる。
また、今回狂言回し的な役割を持たされているクレンペラーのバックストーリーからも、政治的なメッセージはダイレクトに読み取れる。そこにはハッキリと過去のユダヤ人迫害の歴史が投影されている。
そして、考えてみれば”魔女”という存在そのものも中世の頃から差別の対象になった”人々”だったわけである。魔女と言うと邪悪な魔物のようなイメージを持たれるが、実は権力側が権威を示すために利用した”スケープゴート”だった。今回の魔女の劇団がそのような過去の悲劇の産物である…ということを考えれば、彼らもまた悲劇の主人公だったのではないか?と思えてくるようになる。
このような解釈をしていくと、この映画は実に深く楽しめる映画になる。かなり内容を詰め込んだせいで2時間半という長尺になってしまったが、その長さに相応しい見応えが感じられた。
また、本作は一応ホラー映画ではあるので、残酷描写もそれなりに充実している。バレエ団員の一人オルガが身体中の骨を砕きながら踊り狂う場面は衝撃的だった。また、クライマックスの壮絶な殺戮シーンはかなりメロウな演出が施されており、そこにも魅了された。
前衛舞踏のシーンは、これが素晴らしいものなのかどうなのかは正直よく分からなかった。舞踏シーンは概ねカメラワークで上手く見せているが、純粋に肉体的なダイナミズム、カタルシスは感じられなかった。ただ、陰鬱で禍々しい雰囲気には惹きつけられた。当時の時代背景を反映しようという監督の狙いがあったのだろう。
キャストでは、T・スウィントンが一人で三役を演じる大活躍を見せている。2人までは分かったが残りの一人は特殊メイクをしているので分からなかった。ただ、そこまでして彼女が演じ分ける意味がこのドラマに必要だったかどうかは疑問が残る。
また、オリジナル版でスージーを演じたジェシカ・ハーパーが、ある役で再登場してくる。オリジナル版のファンとして嬉しかった。
尚、エンドクレジットの後におまけがついているので、これから観る人は席を立たないように。結構重要なシーンである。
テーマとタイトル、ストーリー構成が見事。演出も隙なし。
「運命は踊る」(2017イスラエル独仏スイス)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) ある日、ミハエルとダフナ夫妻のもとに、出征した息子ヨナタンの訃報が届く。ダフナはショックを受けて気絶し、気丈なミハエルも軍人の対応にいら立ちを募らせる。ところが、その後に戦死は同姓同名の別人だったことが分かる。ミハエルはすぐにヨナタンを呼び戻すよう軍に要求するのだが…。
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(レビュー) 出征した息子の訃報に翻弄される家族の姿を独特のユーモアを交えて描いた人間ドラマ。
非常にシリアスな映画であるが、事態に一喜一憂する人物たちの動向は傍から見ればコメディのようにも映り、かなり”意地の悪い”映画である。そもそも人の生き死にをネタにしていること自体、かなりブラックである。
監督・脚本は
「レバノン」(2009イスラエル仏英)で衝撃的なデビューを果たしたサミュエル・マオズ。
「レバノン」は、紛争地帯に足を踏み入れた若い兵士たちの混乱を、戦車という限定された空間から目撃していく野心作だった。かなり実験的なスタイルの映画で、その独自性に感嘆させられたものである。そんなマオズ監督がまたしても今回、紛争地帯にまつわる”悲劇”を描いている。但し、今回は”家族”という視点を通してアプローチした所が妙味である。
物語は3幕構成になっている。
第1幕はヨナタンの訃報に翻弄される家族の姿を描いた室内劇である。
続く第2幕は、その訃報は誤りで実はヨナタンは生きていた、という所から始まる。時間が逆行し、彼が置かれていた現状を最前線の地から描いている。
そして、第3幕は再び家族の視点に戻り、彼らが迎える悲劇的末路をシビアに描いている。
ストーリーは実に端正に組み立てられており、最後まで集中して観ることが出来た。ただし、第3幕は少し意外な始まり方になっていて戸惑いを覚えた。映画のラストに衝撃的なオチを持ってくるために、敢えてこうしているのだろう。やや作り過ぎな気がしなくもないが、それによって映画の”切れ”は出ている。これはこれで正解という気がした。
それにしても、何という皮肉的なドラマであろう。これが戦争だと言えば確かにそうなのだが、何ともやりきれない思いにさせられた。
原題は「FOXTROT」。初めて知ったのだが、これは社交ダンスの一種だそうである。劇中でこのダンスのステップが度々登場してくるので、それを見ると分かるが、このステップは4つの”歩”で元にいた位置に戻るという非常に簡単なダンスである。これが何を意味しているかというと、察しの良い人ならすぐに気付くだろう。元にいた”位置”に戻る。つまり、最初に決まった”運命”に戻るということを暗喩している。したがって「FOXTROT」という原題は実にシックリときた。
尚、個人的には、第2幕のFOXTROTが印象に残った。若い兵士が絶妙なステップで踊り、ここが内戦の地であることを忘れてしまうほどユーモラスで楽しげである。
しかし、映画を観終わって改めて分かるのだが、そんな楽しそうなダンスにも、繰り返しの日常から抜け出せない兵士たちの苦悩が体現されていた…ということが分かり絶望させられる。
マオス監督の演出は前作とはうって変わって落ち着いたトーンで整えられている。前作は戦場の臨場感を観客に体験させようという意図の元、アクションに傾倒していたが、今回は全く逆である。戦場を”外”から見たドラマであることを鑑み、どこか客観視したような眼差しで描くことを徹底している。
また、今回は随所にグラフィカルな映像センスが見られたのも特徴的だった。特に、1幕目と2幕目はビジュアル的に非常に面白い画面が続く。
例えば、シーンを真上から捉えた俯瞰ショットが何回か登場してくるが、これなどは明らかに神の視点を意識させた画面構図だろう。まるで運命に翻弄される人間たちを達観しているかのようである。
あるいは、ミハエルが住むマンションの内装は実にお洒落でハイセンスである。これがスタイリッシュな画面作りに大きく寄与している。
また、ちょっと風変わりな所では、第2幕と第3幕を繋ぐブリッジでヨナタンの絵日記がアニメーションとして表現されている。第2幕と第3幕の間には大きな時間的な飛躍があり、それを橋渡しするという意味でこうした特殊な演出を起用しているのだろう。これも中々面白い試みに思えた。
一方、前作でも特徴的だったオフビートな演出は今回も健在である。特に、第2幕のヨナタンたちの無為な任務を描く一連のシーンにそれが伺える。何とも覇気がない安穏とした兵役生活をとぼけた味わいで筆致している。
このようにマオス監督の演出は、微に入り細に入りよく計算されており、まるでベテラン監督並みの手腕を感じさせる。前作よりも格段に進歩していることは間違いなく、今後も大いに期待したい。