人気シリーズ最終章の第2話。
「ガールズ&パンツァー 最終章 第2話」(2019日)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 河嶋桃の大学AO入試を助けるため、桃を隊長に据えて冬の大会“無限軌道杯”に挑むことになった大洗女子チーム。1回戦の相手BC自由学園に苦戦を強いられるが…。
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(レビュー) 2012年にテレビ放映され
劇場版まで作られた人気アニメシリーズ「ガールズ&パンツァー」の最終章。全6話で描かれるうちの第2話である。ちなみに第1話は未見。
冒頭で前話のあらすじが簡単に紹介されるので、一応観ていなくても楽しむことは出来た。ただ、先のテレビシリーズや劇場版を観ていないと、一見さんには厳しい内容である。あくまでファン向けに作られた作品である。
全6話のうちの1本で約50分程度の中編なので、正直、評価のしずらい作品である。起承転結がないストーリー構成なので話自体は微妙である。
ただ、劇場版の作画クオリティをここでも維持しているのが中々に凄い。第1話の公開が2年前の2017年なのでその間にジックリと作り込んだのだろう。その成果が画面から伝わってきた。
特に、戦車同士の戦闘シーンは3DCGと2Dを混合させるという本シリーズの醍醐味を今回も十分堪能させてもらった。まさに劇場版クオリティである。
ストーリーは、第1話からの続きでBC学園との戦いから始まる。大洗女子学園は苦戦を強いられるが、主人公・西住みほの機転を利かせた作戦により見事に1回戦を突破する。その後、彼女らの日常シーンが色々と挟まり、後半から2回戦の戦いが描かれる。ラストは次回に続くような形で締めくくられており、ファンであれば次が気になるところであろう。
2回戦の相手となるのが、劇場版でも印象的な活躍を見せていた知波単学園である。彼女たちの成長著しい(?)戦いぶりが見れるのが本作の大きなトピックである。
第3話の公開予定がまだ発表されていないが、おそらくまた1年後くらいになるのだろう。いわゆる”ガルパンおじさん”たちは首を長くして待つしかない。
意外にもストレートな青春ロマンス。
「きみと、波にのれたなら」(2019日)
ジャンルアニメ・ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) サーフィンが大好きな大学生のひな子は、消防士の港と運命的に出会い、たちまち恋に落ちる。ところがある日、港が海の事故で命を落としてしまう。全ての気力を失い絶望するひな子だったが、ふと2人の思い出の歌を口ずさんだ時、港が水の中に現われ…。
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(レビュー) 不慮の事故で恋人を失った少女の奇跡の体験をファンタジックに描いたロマンスアニメ。
監督は
「夜は短し歩けよ乙女」(2017日)、
「夜明け告げるルーのうた」(2017日)等の湯浅政明。デフォルメされた映像センスで独特の世界観を作り出す鬼才だが、今回は意外にもストレートな恋愛ドラマとなっている。
これは脚本の吉田玲子の力が大きく寄与しているのかもしれない。
彼女はアニメ界では知る人ぞ知る重鎮で、これまでに関わった作品は「けいおん!」シリーズ、「ガールズ&パンツァー」シリーズ、映画版
「若おかみは小学生!」(2018日)等、枚挙にいとまがない。ちなみに、湯浅作品では共同ではあるが「夜明け告げるルーのうた」でも脚本を手掛けていた。夫々にタイプや取り扱うテーマは違うが、いわゆる青春ドラマを得意とする作家のように思う。その彼女のカラーが今回はダイレクトに反映されたのではないかと想像する。
その証拠に今回の物語は随分と瑞々しく、誰もが感情移入しやすいドラマとなっている。
これまでの湯浅作品に付き物の風変わりなキャラクターは出てこず、彼らが起こす奇行や珍騒動といった物もない。
そして、キャラクターデザインも、いわゆる少女漫画風なタッチに造形されており、ストーリー共々実に親しみやすい。
過去の湯浅作品を観ていると、こうした作りは少々物足りなさも感じるが、逆にこれはこれで王道の青春ロマンスというふうに捉えれば中々よく出来た作品のように思う。
キャラクターも必要最小限に抑えられていて大変見やすかった。ひな子と港というメインのカップル以外に、港の後輩と妹が重要な役目を持って登場してくる。彼らの立ち回りもドラマに良いスパイスをもたらしていた。
ラストは中々味のある締め括り方になっている。ハッピーorアンハッピーという具合に安易に答えを出さなかった所に好感を持った。幾ばくかの未来の希望を予感させた終わり方になっている。
ただ、全体的な構成を見てみると、前半のひな子と港のイチャラブぶりが少し長く感じられた。ここで描かれる二人の思い出の場所や品が全部後の伏線になっていることは映画を観ていくとよく分かるのだが、余りにもキラキラしていて観ているこちらがこっぱずかしくなってしまう。劇中でも語られていたが正に絵に描いたようなバカップルである。このイチャラブ振りが余りにも甘すぎて、今一つ馴染めなかった。
作画に関しては、まずまずの出来である。但し、最大の見所であろうクライマックスには今一つ乗り切れなかった。
元々、湯浅作品は線画が少なく、どちらかというとアニメーションならではのデフォルメ感、躍動感で魅せるような所がある。毎回クライマックスシーンではぶっ飛んだ作画で、観ているこちらを圧倒してくる。
しかし、今回のクライマックスには、いつものダイナミックさが余り感じられなかった。
確かに素晴らしい作画でゴリゴリ押しまくっているのだが、予定調和な展開がカタルシスを失わせてしまっているのかもしれない。いつもであれば理屈抜きの突き抜けた勢いが感じられるのだが、今回はそこまでの力強さが感じられなかった。
キャストでは、港役の声が残念だった。本作でメインテーマを歌っているGENERATIONS from EXILE TRIBEのメンバーということだが、もっと演技が出来る人に演じて欲しかった。確かに声質は良いと思う。しかし、抑揚のない演技が興を削ぐ。
ひな子役の方もプロの声優ではなくAKB48の元メンバーということである。しかし、こちらは中々上手かったように思う。
ゴジラ、ギドラ、ラドン、モスラが迫力のバトルを繰り広げるアクション巨編!
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(2019米)
ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) ゴジラと巨大生物ムートーの戦いから5年後。息子を失ったマークは妻エマと娘マディソンと別居していた。エマは特務機関モナークで怪獣とコミュニケーションがとれる装置の開発に当たっていた。そんなある日、エマとマディソンは装置と共に環境テロリストのジョナ一味によってさらわれてしまう。モナークの芹沢博士たちはマークに協力を仰ぎ、ジョナたちの行方を追うのだが …。
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(レビュー) 「GODZILLA ゴジラ」(2014米)から5年後を描く続編。尚、来年には
「キングコング:髑髏島の巨神」(2017米)で登場したコングと直接あいまみえる新作の公開が予定されている。
さて、今回はゴジラに加え東宝怪獣シリーズでお馴染みのキングギドラ、ラドン、モスラも登場するとあってかなり期待して観た。しかして、彼らのバトルは大変満足した。さすがにハリウッドである。CGIを駆使しながらド迫力の映像を作り上げている。
監督はマイケル・ドハディ。彼は今回、共同で原案、脚本も務めている。元々脚本家出身と言うこともあり、こうしたアクション大作でもドラマをきちんと作ることにこだわりを持っているのだろう。
今回はマークとその一家の軋轢を軸にストーリーが展開されている。前作から引き続き登場するモナークの芹沢博士同様、彼らも先の戦闘で深い傷を抱えながら怪獣たちの騒動に否応なく巻き込まれていく。バラバラになる一家の運命や如何に?というのがドラマ的な見所だ。
確かにやりたいことは分かる。ただ怪獣を出して暴れさせればいいと言うわけじゃない。そこには人間ドラマを入れなければお客は観てくれない。そういう意味から、今回このようなドラマを用意したのだろう。
しかしながら、個々の行動に今一つ説得力がないのは問題だと思った。彼らに共感を覚えられる人は果たしてどれだけいるだろうか…。
マークたちはモナークやテロリスト一味に懐柔されて、世界を左右するような”重大”な選択を迫られるようになる。派手な怪獣プロレスの袖で彼らの説得力のない喧々諤々が披露されるわけである。本当にこんな一家に世界の命運を任せて大丈夫なのだろうか?という疑念が観ている最中ずっと払拭できなかった。
個人的には、彼らのドラマよりも芹沢博士の後半の立ち回りに見所を感じた。彼がどれほどゴジラに対して愛憎の念を持っているのかは、前作を通してよく理解できるし、それこそ説得力が感じられる。彼こそが本ドラマのキーマンであり、裏の主人公と言えるのではないだろうか。
アクションシーンは前作同様、今回も素晴らしかった。かつての東宝特撮のオマージュも所々に見られるし、個々の怪獣のデザインもオリジナルに寄せているのでリスペクトが感じられた。
また、馴染の伊福部昭や小関裕而の劇伴が再現されていたのもファンとしては嬉しかった。
更に、本編には平成「ガメラ」シリーズや「大魔神」シリーズのパロディと思しき場面も見つかった。こういうのを見ると監督のマイケル・ドハディは相当の怪獣フリークではないか、という感じがした。次回作は未定だが、仮にシリーズが存続するのであれば、彼にもう1本ゴジラを任せてもいいのではないかという気がした。
カルト的人気を誇るヒーロー映画。
「バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー」(1984米)
ジャンルコメディ・ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) アメリカ人と日本人のハーフで天才的脳神経外科医にしてロック・グループ“香港騎士団”のヴォーカリスト、バカルーは、実験中に偶然次元の壁を越えることに成功した。その頃、刑務所に服役中だった極悪人リザルドが脱獄する。実は彼は異次元からやって来たエイリアン一味のリーダーだった。リザルドたちは次元を超える装置を狙ってバカルーたちを襲うのだが…、
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(レビュー) スーパーヒーロー、バカルーと仲間たちの活躍を描くSFアクションコメディ。
かなり緩いテイストの映画で内容は突っ込みどころ満載。お世辞にもストーリーがよく出来るとは言い難い。
そもそもバカルーの設定からしてぶっ飛んでいる。バカルーと大統領のやり取りもコントのようであるし、エイリアンも余り強くない。こういうのは乗れないと、とことん乗れないものである。
ただ、こんな作りからか一部ではカルト的人気を誇っている。テイストとしてはアレックス・コックスの「レポマン」(1984米)を連想させるが、そちらもカルト映画として一部で熱狂的な支持を得ている。
監督は脚本家出身でこれが初監督作の新人らしい。どうやらもう1本だけ監督をしているようだが、キャリアとしてはこの2本どまりのようである。
一方、脚本家としては結構売れていて、SF映画の傑作「SF/ボディ・スナッチャー」(1978米)、R・レッドフォード主演の「ブルベイカー」(1980米)、J・カーペンターの異色作「ゴーストハンターズ」(1986米)等、様々なジャンルの脚本を書き上げている。おそらく脚本家としては結構優秀なのだろう。
しかしながら、残念なことに本作では監督は務めているが肝心の脚本は書いていない。別の人間が書いていて、この脚本がかなりデタラメで余り面白くない。
前半は異星人の目的が中々判明しないためドラマの方向性が定まらない。途中からバカルーの仲間として新たなキャラが登場するが、こちらも特段必要性が感じられなかった。また、要所でご都合主義が目立つ。
キャスト陣は今観ると大変豪華である。
バカルーを演じるのはピーター・ウェラー。後に「ロボコップ」(1987米)で大躍進を遂げる二枚目俳優である。
リザルドを演じるのはジョン・リスゴー。言わずと知れた名バイプレイヤーでアクの強い怪演を披露している。
他に、J・ゴ-ルドブラム、エレン・バーキン、クリストファー・ドイル、ヴィンセント・スキャベリ等、80年代を牽引したバイプレイヤーたちがこぞって顔をそろえている。彼らはいずれもこの映画を足掛かりにして出世していった。
ある意味で、後の名優たちが一堂に観れるお買い得な1本と言うことが出来よう。
尚、最後は次に続くような終わり方になっているが、残念ながらシリーズ化はされなかった。
ついにシリーズ完結!
「シャークネード ラスト・チェーンソー」(2018米)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ・ジャンルSF
(あらすじ) シャークネードから世界を救った英雄フィンは、全ての元凶を絶つべく太古の地球へと旅立った。ところが、息子のギルが竜巻に巻き込まれて別次元に飛ばされてしまう。フィンはギルを取り戻すべく仲間と共に時空の旅を始めるのだが…。
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(レビュー) サメ映画の人気シリーズ第6弾にして最終章。
今回もお馴染みの面々がサメを相手にバカバカしい戦いを繰り広げている。シリーズを追うごとにスケールが大きくなってきた本作だが、今回はとうとう時代を超えて太古の恐竜時代、中世時代、アメリカ独立戦争時代、70年代でサメと戦っていく。
基本的にストーリーはあってなきがごとしで、ひたすら一本調子で余り面白くはない。しかし、このシリーズはそこが問題ではない。一々突っ込みを入れたくなるような小ネタが楽しければそれでいいのだ。その点で言えば今回も期待を裏切らない内容になっている。
ただし、明らかにブラックジョークはかなり減った気がする。下品なギャグも大人しくなっているし、かつてのB級感、エクストリーム感が失われてしまったのは残念だった。確かに画面の派手さはパワーアップしているが、全体的にはやや毒っ気が足りない。
また、ここまでシリーズが続くと流石にネタ切れ感も漂う。息子のギルを竜巻から救う展開は前作と同じだし、キャラが簡単に生き返るのも苦し紛れな展開でいただけない。
とはいえ、今回は一つだけ新しい趣向が施されており、そこは意外にも感動してしまった。
それは時代を彷徨うフィンが両親と出会うシーンである。両親はまだ結婚する前なのでフィンを見ても誰だか分からない。しかし、フィンの方は当然二人を知っている。この再会は何気にウェット感が漂い、これまでのバカバカしさ一辺倒だった本作にあっては異色のシーンとなっている。
シリーズを通して語られるテーマ、フィンと家族の絆の再生は、このシーンに集約されていると言っても過言ではないように思う。不覚にもしみじみとしてしまった。
黒人と白人二人で一人の潜入捜査劇。
「ブラック・クランズマン」(2018米)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 1970年代前半のアメリカ。コロラドスプリングス警察署に初の黒人警官ロン・ストールワースが誕生する。早速、彼はブラックパンサーの集会に潜入し、そこで美しい活動家パトリスに接触する。その後、彼は白人至上主義の秘密結社KKKのメンバー募集の新聞広告を見つけて電話をかけ、支部代表と会う約束を取り付けた。しかし、黒人である彼が会うわけにはいかず、同僚の白人刑事フリップがその任務を負うことになる。こうして黒人のロンと白人のフリップがコンビを組んで前代未聞の潜入捜査が開始されることになる。
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(レビュー) KKKに潜入捜査をする黒人警官と白人警官の活躍を描いたサスペンス映画。
本作の登場人物ロン・ストールワースの原作を元にした実話の映画化である。
こんな事実があったのかと驚かされた。事実は小説よりも奇なりと言うが、まさに書こうとしてもこんなドラマはそうそう書けるものではない。この突拍子もないアイディアに脱帽である。
ちなみに、以前
「アンダーカバー・ブラザー」(2002米)という映画を観たことがある。本作と似たような潜入捜査物だったが、あちらは完全にカリカチュアされたコメディだった。本作にも幾つか笑い所はあるが、基本的には人種差別の歴史と現状を痛烈に皮肉った社会派的な作品になっている。受け取り方次第では鑑賞感は割と重めである。
監督、共同脚本はS・リー。いかにも彼らしい”怒り”に満ち溢れた告発映画になっている。
例えば、序盤のブラックパンサーの集会における演説は、黒人たちの”怒り”をかなりダイレクトに表現したものとして強烈に印象に残る。個人的にはもっと短くカットできたと思うが、リー監督はこの演説のシーンが重要と判断したのだろう。
あるいは、最後のドキュメンタリー映像も、ドラマ的には必ずしも必要というわけではない。しかし、人種差別は現在も続いているということを観客に厳然と突きつけるという意味から挿入したのだろう。現にトランプ大統領誕生後、このことは顕著になっている。
過去に「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989米)、「マルコムX」(1992米)等で、人権差別の問題を声高らかに告発してきたS・リーである。こうした強烈なアジテーションは予想できる所であるが、今回はそれを上手くまぶして作り上げていると思った。
と同時に、白人と黒人が協力して排外主義者を打倒する所に一片の”希望”も感じられ、そこにリー監督の切望が確認できる。
そして、この問題をサスペンスを基調としたエンタテインメントにくるめて料理しており、そこに彼の映画作家としての円熟味も認識させられる。シビア一辺倒ではなく、誰でも普通に観て楽しめる作品に上手く仕上げている。
例えば、KKKにいつ身分がばれるかというハラハラドキドキの展開。この手の作品の醍醐味であるが、ツボを得たシチュエーション作りが中々心憎い。フリップが現場にいる時にロンの所へ電話がかかってくるというカットバックなどは、意外性に満ちた演出で驚かされた。
確かにロンとフリップの声を聞けば別人であることがすぐに分かるじゃないか…という疑問もわくが、案外電話の声を判別するのは難しいものである。オレオレ詐欺ではないが、簡単に騙されてしまうKKKの幹部の間抜けさときたら失笑物で、そこがコメディの一役を担っている。何とも可笑しかった。
クライマックスの盛り上げ方も堂に入っている。爆破活動とロンとパトリスのロマンス。この二つのドラマがボルテージを高め合いながら止揚していく構成が見事である。
また、2人は今回の捜査を通して、それまで余り意識してなかった出自に真正面から向き合うことを余儀なくされていく。このアイデンティティ追及のドラマが本作に一定の深みをもたらしている。これも素晴らしかった。
尚、劇中には様々な映画が引用されており、映画ファンならクスリとさせられるだろう。
冒頭の「風と共に去りぬ」(1939米)を筆頭に、ブラックスプロイテーション映画の金字塔「黒いジャガー」(1971米)、
「スーパーフライ」(1972米)、パム・グリア主演の「コフィ」(1973米)、そしてKKKの存在を世界に知らしめた「國民の創生」(1915米)。ストーリーに上手くはめ込まれていた。