冷戦下に熱く燃えた男女のメロドラマ。
「COLD WARある歌、2つの心」(2018ポーランド英仏)
ジャンルロマンス・ジャンル音楽
(あらすじ) 1949年ポーランド、音楽舞踊団を結成したピアニストのヴィクトルは、オーディションに応募してきた歌手志望のズーラに興味を抱き恋に落ちる。しかし、舞踊団は当局の監視を受けるようになりヴィクトルは西側へ亡命した。ズーラはポーランドに残り歌手活動を続けるのだが…。
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(レビュー) 冷戦下のヨーロッパを舞台に激しい恋に落ちた男女の運命をシャープなモノクロ像で綴ったメロドラマ。
物語自体はそれほど新味がなく、90分足らずという短い尺のせいで、数十年に及ぶドラマが若干表層的に感じた。軽快なテンポで進むので飽きなく観れるが、ジックリと腰を据えて二人の絡みを見てみたかった気がする。
しかし、美しいモノクロ映像は実に素晴らしく、これを観るだけでも映画館で鑑賞する価値はあろう。
監督は前作
「イーダ」(2013ポーランド)が世界的に高く評価されたパヴェウ・パブリコフスキ。「イーダ」も本作同様、スタンダードサイズの美しいモノクロ映像で綴られた映画だったが、このスタイルがパブリコフスキ監督の一つの特徴となっている。
撮影監督も「イーダ」に引き続きウカシュ・ジャルが務めている。まるで昔のヨーロッパ映画を観ているかのような芳香さ、優美さを堪能することが出来た。
尚、今回はパブリコフスキ自身が原案と脚本を担当している。映画の最後に両親に捧ぐというテロップが表示されることから分かる通り、本作のモデルは彼の両親ということだ。したがって、本作はある種パブリコフスキ監督のルーツをたどる映画と言えなくもない。そう言う意味では私的な映画であり、思い入れも相当強いものと思われる。
そして、本作は東西冷戦下の元で引き裂かれたメロドラマであると同時に、当時のヨーロッパの社会の写し鏡になっている点も一つの見所となっている。
A・ワイダ、J・カヴァレロヴィッチ等、ポーランド映画界には様々な巨匠が誕生したが、彼らが追い求めたテーマは、共産主義下における国の歴史とそれに呑み込まれた人間の悲しみと勇気だった。本作の中にもその流れは脈々と受け継がれている。かつての”ポーランド派”を継承するような作品と言えよう。
キャストでは、ズーラを演じたヨアンナ・クリークが印象に残った。序盤の村娘という出で立ちから、後半の売れっ子歌手への成長、終盤の人生に疲弊しきった中年女性、様々な顔を見事に演じ分けている。また、彼女は舞踊団の歌手として欧州各地を巡ることになるのだが、その歌声も中々に素晴らしかった。
まさかのヒトラー復活で世界はどうなる!?
「帰ってきたたヒトラー」(2015独)
ジャンルコメディ・ジャンル社会派
(あらすじ) 死んだはずのアドルフ・ヒトラーが、なぜか2014年のベルリンにタイムスリップする。偶然彼をカメラに収めた元テレビ局のディレクター、ファビアンは、彼をネタに起死回生の番組作りを開始する。出来上がった映像は世間の人々を驚かせ、たちまちヒトラーはモノマネ芸人として人気者になっていく 。
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(レビュー) もし現代にヒトラーが蘇ったら…という奇想天外なアイディアを元にしたナンセンス・コメディ。2012年に発行された同名の風刺小説の映画化である。
非常に楽観的な作風で笑いながら観れる映画である。
例えば、公共の場にヒトラーが現れて人々の反応をカメラに収めるシーンがある。ほぼゲリラ撮影のように見えたが、みんな笑いながらヒトラーに握手を求めたり一緒に記念撮影をしている。もはやアイドル並みの人気者で、これがナチスを生んだドイツの現状か?と苦笑してしまった。
また、現代に蘇ったヒトラーはファビアンとドイツを旅しながら一緒に番組の撮影していくのだが、その道中で彼は似顔絵のバイトを始める。ヒトラーは政治家であると同時に画家でもあったことは有名な話だが、それを踏まえて観るとこのクダリなどはクスリとさせる。
あるいは、ヒトラーが現代のお菓子やインターネットに触れて驚くシーンも、ジェネレーション・ギャップの妙が効いていて可笑しかった。
このように実に能天気なコメディなのだが、ただ一つ。ヒトラーが自分にまとわりつく犬を呆気なく銃殺するシーンは、ちょっとドキリとする。このシーンは後の彼の運命を左右する伏線となっているのだが、ある意味でヒトラーの残酷な独裁者としての一面を覗かせる恐ろしい場面である。
映画は後半から、ヒトラーがテレビを利用してプロパガンダを先導していくようになる。一緒に番組作りをしてきたファビアンは、ヒトラーのカリスマ性に恐れを抱き、どうにかして彼の出演番組を中止しようとするのだが、時すでに遅し。ヒトラーはもはや誰の手にもおえないモンスターのようになっており、大衆の心を掌握してしまっている。
視聴者に向かって現代社会の閉塞感を訴えながら、大胆にも政治家の実名を出して批判したり、移民問題に対する警鐘を鳴らしたりしながら大衆を扇動していく。過去の歴史を繰り返そうとしていくのだ。
こうして歴史は作られるのか…ということをまざままざと見せつけられ、ちょっとゾッとするような怖さをおぼえた。
過去の過ちを知っているドイツ人がヒトラーの物まね芸人の言うことをそんなに簡単に受け入れるのか?という疑問を感じつつも、彼の言っていることが至極真っ当なことも含め、大衆操作の怖さが皮肉たっぷりに描かれており、中々毒の強いコメディになっている。
ラストのオチも良い。ある種バッドエンドのような苦々しさが残る所に歯ごたえが感じられた。
一方で、本作にはファビアンとADの女性とのロマンスが登場してくる。しかし、話の力点がヒトラー騒動に向いてしまうため、このドラマは後方へ追いやられてしまった感がある。せっかく良いロマンスなのに消化不良な感じになってしまったのは勿体なかった。
尚、劇中には映画のパロディが幾つかでてくるので、映画好きとしてもたまらない。
例えば、ファビアンの部屋には「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985米)のポスターが貼られていた。タイムスリップ物という点で言えば本作との共通性がありトンチが効いている。きっとファビアンはこの映画のファンなのだろう。そして、「バック・トゥ~」の主人公マイケル・J・フォックスと言えば赤いライフジャケットである。本作のファビアンもそれと同じライフジャケットを着てクライマックスで大活躍(?)を見せている。
また、劇中にロメロ版「ゾンビ」(1978米伊)のエンディングに使用された曲がちょっとだけ流れる。「GONK」というホラー映画には似つかわしくない非常に陽気な曲なので覚えている人もいるかと思う。この辺りの選曲も中々に心憎い。
知られざる戦争の影を照射した意欲作。
「ヒトラーの忘れもの」(2015デンマーク独)
ジャンル戦争
(あらすじ) 1945年5月、ナチス・ドイツの占領から解放されたデンマークで、海岸線に埋められた地雷の撤去作業が始まる。集められたのは捕虜となっていた幼いドイツ少年兵だった。彼らを監督することになったデンマーク軍のラスムスン軍曹は、あどけなさの残る少年であることに驚きつつも、ナチスへの憎悪から任務を冷酷に遂行していく。
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(レビュー) 幼い少年兵たちが危険な地雷撤去作業に準じる姿を緊迫感あふれるタッチで描いた戦争映画。
実話を元にした作品ということを知って驚いた。いくら憎き敵兵とはいえ、人命をこうも軽んじることが許されていいのものか…と憤りと悲しみを禁じ得ない。
ナチスと言うと「悪者」というイメージを持つ人が多いと思うが、中には本作のように命を無残に散らしていった可愛そうなドイツ兵もいた。その事実を知ることが出来ただけでも本作を観た価値があったように思う。
もっとも、事実をそのまま映画にしたからといって、その映画が本当に面白くなるという保証はない。やはりエンタテインメントとして成立させるためには、そこに色々と脚色を入れて観る側を楽しませる、考えさせるということをしなくてはならない。
果たしてそのあたりをどういうバランスで作っているのかは分からないが、少なくともエンタテインメントとして観た場合も、本作は中々よく出来ていると思った。
その肝要を成すのはラスムスン軍曹の存在である。
正直、犠牲となるドイツ少年兵たちのドラマはそれほど深くは描かれていない。それよりも本作はラスムスンを中心にドラマが構成されており、彼の葛藤に迫る作劇がなされている。
彼は最初はドイツ兵を憎んでいた。しかし、地雷撤去作業をするのがまだ幼い少年兵であること。彼らに直接の戦争の責任はないこと。そして、任務とはいえ彼らを地雷が埋まる死地へと送り出す自らの行為の残酷さに苦悩し始める。彼のこの苦悩と迷いがドラマを面白くしている。
その葛藤はやがて少年兵たちに対する同情の念に変わり、更には疑似親子、友情にまで発展していく。このあたりの彼の心理変遷は周到に描写されており、自然とラスムスンの心情に寄り添いながら映画を観ることが出来た。
とはいえ、このまま終わってしまっては、戦火に芽吹く美談として出来過ぎな感はぬぐえない。実話の映画化という重みを考えた場合、ただの甘ったるい美談で終わってはいけないことは製作サイドも考えたのだろう。終盤で少し展開を捻っている。
具体的には、ラスムスンの愛犬が地雷の犠牲になってしまう事件である。これをドラマの転換点に据えて骨太なドラマにしている。一度心に抱えた憎しみはそう容易く拭うことはできない…という厳しい現実を観る側に突きつけてくるのだ。
そして訪れるラスト。ここにいたってこの映画は改めて戦争の悲劇を乗り越えることの大切さを説く。
最後はエンタテインメントとして綺麗にまとめられており、実にしたたかにして、そつのない作りで感心させられた。
アクション的な見所としては、やはり少年兵が地雷を撤去するシーン、これに尽きると思う。
幼い少年が地雷を撤去するというと、
「亀も空を飛ぶ」(2004イラン)という映画が思い出されるが、これもいつ爆破するか分からないスリリングなシチュエーションでハラハラドキドキさせられた。
今回はその時に比べるとかなり直球な描写をしている。手足が吹き飛ばされ、体が粉々に四散して跡形もなくなってしまう少年兵たち。仲間を失いパニックに陥る現場は、言葉では言い尽くせぬ凄惨さである。
地雷が埋まっている砂浜は一見すると実に美しい。しかし、その美しさもどこか死の世界を匂わせる恐ろしい景色に感じられた。
戦争の理不尽さをいやとういうほど思い知らされる。
「ある戦争」(2015デンマーク)
ジャンル戦争
(あらすじ) 紛争が続くアフガニスタンで平和維持軍に参加しているデンマーク軍の部隊長クラウスは、民間人の居住地域を巡回していた。ある日、パトロール中にタリバンの奇襲に遭い、部下の一人が瀕死の重傷を負ってしまう。部隊は決死の反撃に出るのだが…。
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(レビュー) 紛争地帯における部隊長の苦悩と葛藤をシリアスに綴った戦争ドラマ。
若い兵士が地雷で犠牲になるというオープニングシーンからして並々ならぬ気概が感じられる。その後に描かれるタリバンの襲撃シーンも、戦場の混乱状態を臨場感たっぷりに描いていて見応えを感じた。
ただ、本作は只の戦争アクション映画ではない。戦争の理不尽さを悲痛に訴えた、かなり問題意識の高い作品となっている。
映画は後半から、クラウスが執った指揮を巡る法廷劇へと舞台を移す。彼にかけられた嫌疑は戦場ではよくありそうなだけにリアルなものに感じられた。
確かに彼の採った決断は”事件”を引き起こしてしまったかもしれない。致命的なミスと言えばそれまでである。しかし、それは部下を救うために止む無く執った決断であり、決して責められるべきものでもないような気がする。果たして彼をそんなに簡単に断罪していいものだろうか?というモヤモヤとした感情が沸き起こる。
その一方で今回の事件では間違いなく多くの犠牲者が出たことも事実で、彼らに対する補償はどうするのか?というジレンマも残る。
戦争とは理不尽なものだ、ということは重々知っているつもりだが、改めて今回の法廷劇を観るとそのことが思い知らされる。
監督、脚本は、M・ミケルセンの好演が素晴らしかった
「偽りなき者」(2012デンマーク)で脚本を務めたトビアス・リホルム。
「偽りなき者」はいわゆる冤罪をテーマにした骨太な作品だったが、今回の作品もズシリとした鑑賞感を残す問題作となっている。
混乱をきたす戦場シーンを臨場感たっぷりに切り取った演出、地雷を運ぶタリバン兵を狙撃するシーンのスリリングさ。監督としての手腕は中々のものを見せている。脚本家としてだけでなく監督としての才能もかなりある人のように思った。
そんな中、最も印象に残ったのは、民間人がクラウスの元に救いを求めにやって来るシーンだった。民間人はタリバン兵から保護して欲しいと申し出るのだが、クラウスはそれを追い返してしまう。クラウスの言葉を通訳の女性が伝えるのだが、その時の彼女の後ろ姿が実にいい味を出していた。無下に断るには忍びないという彼女の胸中が透けて見えてくるようである。この辺りの微細な演出は、中々堂に入っていた。
一方、脚本に関しては少々技に溺れたという印象を持った。
具体的には、戦場シーンと国に置いてきたクラウスの家族の日常シーンを交錯させるシナリオ構成である。日常シーンが戦場シーンの緊迫感を途切らせてしまうのがいただけなかった。実に勿体ない構成である。
おそらくだが、クラウスの家族を度々映すことで、戦争の犠牲となる現地の民間人の死を残酷に見せようとする目論見でこうしているのだろう。いわゆる対位効果を狙ってのことなのだと思う。
実際、映画のラストカットはクラウスの息子の足のアップで終わっている。これは映画中盤で出てきたタリバン兵に殺害された現地の子供の足のアップとの対位を狙っていることがありありと見て取れる。ラストカットを見た瞬間、自分はそれが思い出されやるせない思いにさせられた。
しかし、この構成の意図は分かるのだが、さすがにこう度々日常シーンが挿入されると、ストーリーが弛緩してしまうのも事実である。できれば必要最小限に抑えてくれた方が、よりドラマに入り込めるような気がした。
自身の出自を否定してまで少年が訴えかけたかったこととは?余りにも悲惨で尊いメッセージが胸を打つ。
「存在のない子供たち」(2018レバノン仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) ベイルートのスラム街。大家族の中で学校にも行かず家族のために必死に労働する少年ゼインは、ある日、年端もいかぬ妹が大家と結婚させられてしまうのを止めようとする。しかし、その反対もむなしく妹は泣きながら連れて行かれてしまった。絶望したゼインは家を飛び出て一人で生きいくことを決意するのだが…。
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(レビュー) 幼い少年ゼインが自分を産んだ罪で両親を裁判で訴える。この衝撃的な幕開けから一気に映画の世界に引き込まれた。
以降は、どうしてゼインがそんな裁判を起こしたのか?どんな人生を歩んできたのか?その謎解きを起点にして興味深く観ることが出来た。
しかして、ゼインの人生を追う回想ドラマは実に過酷にして悲惨で、見ててひたすら辛かった。ベイルートのスラム街に住む子供たちの生活はここまで酷いのか…と。
そして、レバノンと言えば、
「レバノン」(2009イスラエル仏英)や
「戦場でワルツを」(2008イスラエル仏独米)でも描かれていたが、かつてイスラエル軍の侵攻によって被災した過去を持っている。その社会的影響は今でも人々の暮らしに重くのしかかっており、その面影が垣間見える所も含めて、観てて非常にしんどかった。
ただ、確かに観ててしんどいのだが、映画的にはゼインの極貧、孤独な日常をここまで徹底して描いたことはドラマに説得力をもたらす上では奏功していると思った。ゼインの大人と社会に対する深い憤りと悲しみは観ているこちら側にダイレクトに伝わってきて、思わず彼のことを応援したくなってしまった。
聞くところによると、本作のメインキャストの多くはその境遇に近い一般市民の中からキャスティングされたそうである。主人公のゼイン少年を筆頭に、彼の両親。そしてドラマのキーパーソンとなる不法就労の女性ラヒル、彼女の赤ん坊ヨナスも、全てがいわゆるプロの俳優ではないというから驚きである。
実生活がそのまま滲み出てくる演技ほどリアルなものはない。そう言う意味では、本作はそれを地でいっているわけで、彼らの真に迫った演技が物語のリアリティを生んでいることは間違いない。
特に、ヨナスの演技はもはや演技というレベルではない。まだ1歳の赤ん坊であるから演技指導など到底できるはずもなく、もはやリアルそのものである。
ゼインを演じた少年も素晴らしかった。彼の場合は、その造形からして魅力的である。心を閉ざした荒んだ目。決して笑わない真一文字閉ざされた唇。全てがこの役にリアリティを吹き込んでいる。そして、ラストで見せた表情。これが絶品だった。
監督・共同脚本はナディーン・ラバキー。初見の監督さんだが、演出はミニマムに徹しており、決して派手さはない。しかし、地味ではあるかもしれないが、日常のスケッチ描写には確かな手腕が感じられた。その手腕は監督処女作「キャラメル」(2007レバノン仏)で既に実証されており、カンヌ国際映画祭でもすでに注目されている(未見)。
本作もそうだが、地元レバノンに密着した映画作りを行っているのが特徴で、レバノンの実社会をテーマに描くということが、この監督の作家としての使命感なのかもしれない。その思いは本作からも十分にうかがえた。
そして、単に悲惨な現状を訴えただけでは映画としてはどこか息詰まってしまうものである。この監督はそのあたりのこともよく知っていて、主人公に感情移入させるべく周到なドラマ構成を張り巡らせており、それがラストの一点で見事に昇華されている。かすかな希望と救いが実感され、その輝きにほっと安堵の涙を流してしまった。この構成は見事である。
スピリチュアルの境地を体感。
「海獣の子供」(2019日)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 自分の気持ちをうまく言葉に出来ない中学2年生の琉花は、部活でトラブルを起こして参加できなくなってしまう。ある日、別居中の父が働く水族館へ行った彼女は、そこで大水槽の中を優雅に泳ぐ不思議な少年・海と出会う。父から海と彼の兄・空はジュゴンに育てられた少年で研究対象としてここにやって来たと教えられる。琉花は兄弟と交流を育みながら海中で不思議な体験をしていく。
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(レビュー) 少女のひと夏の体験を壮大なスケールで描いたファンタジーアニメ。同名のコミックを「鉄コン筋クリート」((2006日)や「MIND GAME マインド・ゲーム」(2004日)で知られるSTUDIO4℃が製作し作品である。
原作未読ということもあるのだが、残念がら内容を全て理解するまでに至らなかった。物語は当初想像していたものよりも遥かに壮大なスケールに発展していき付いていけなかった…というのが正直な感想である。
例えるなら「2001年宇宙の旅」(1968米)やT・マリック監督の
「ツリー・オブ・ライフ」(2011米)のような観念的で神秘主義的な世界観と言えばいいだろうか…。何の説明もないまま圧倒的イマジネーションの氾濫が終盤を席巻する。
勝手に解釈すれば、おそらくは生命の起源ということを訴えかけたかったのだろう。
ただ、そうだとしても、いかんせん物語のキーとなる隕石の謎や、海と空の出自、途中から登場する老婆のバックストーリーなど、様々な物が投げっぱなしなので観終わった後にモヤモヤした気持ちが残ってしまう。そのへんは観客が想像してくれ、ということなのだろうが、果たしてエンタメ作品としてそれでいいのかどうか…。
ただ、これは現代のお伽噺なんだ、と割り切ってしまえば、それなりに楽しめるのかもしれない。一々理屈を気にするのではなく、ナンセンスで超然とした物語を、まるで子供向けの絵本でも読んでいるかのような”寓話”として捉えてしまえば、観終わった後には何だか心が洗われる。
このように受け取る側の捉え方次第で評価が大きく分かれそうな作品である。
一方、映像は微細に渡って高いクオリティが維持されていて感心させられた。
特に、クライマックスのカオスな映像の連鎖は強烈である。観念的な物語に負けないくらい抽象的なイメージが画面に浩々と広がり、もはや言葉など何の意味も持たなくなってしまうほど美しく尊い。この圧倒的な映像の迫力は映画館のスクリーンでこそ味わえる体験だろう。テレビのサイズでは勿体ない。
また、手書きにこだわったキャラクター造形には終始惹きつけられた。昨今の3DCG隆盛の時代にこのアナログ感は大変意欲的だと思う。もちろん海中の表現などは手書きでは不可能なのでCGで表現されているのだが、こちらもCGとアナログの融合が見事だった。
キャスト陣は一部で違和感を覚える物もあったが概ね良かったと思う。
後で知ったが、琉花役は芦田愛菜で驚いた。子役から培ってきた芸歴は伊達ではない。声だけの演技も中々どうして、実に上手かったように思う。