霊的現象を交えたところがユニーク。
「君はひとりじゃない」(2015ポーランド)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 妻を亡くした検察官のヤヌシュは娘オルガと喪に服しながら暮らしていた。ある日、オルガが摂食障害を患い倒れてしまう。ヤヌシュは彼女を精神病院へ入院させることにした。そこにはセラピストのアンナがいた。彼女もまた赤ん坊を無くした孤独な女性だった。ヤヌシュはアンナと次第に交友していくのだが…。
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(レビュー) 孤独な者同士が支えあいながら故人の死から立ち直っていく様をスピリチュアルな描写を交えながら描いた人間ドラマ。
霊媒師アンナの存在が印象的で、彼女がいることでこの映画は随分と特異なドラマになっている。いわゆる喪の仕事を描くドラマではあるのだが、少し毛色の異なったスリラー映画として観れるのだ。
例えば、ヤヌシュが妻の霊を感知するシーンが何度か登場してくる。部屋の電気が消えたり、音楽が突然なったり、ドアがひとりでに開いたり等、明らかにオカルト映画的な心霊現象である。
また、アンナは霊媒師なので、たびたび死者を目撃する。エレベータで遭遇する子供の幽霊や、自動車事故で亡くなった女の幽霊等。ぱっと見は生きてる人間と何ら変わらない姿をしているのだが、彼らを見た時にアンナのリアクションを見れば分かる。彼等は明らかに幽霊なのだ。
こうした少しオカルト映画的な演出が施されることによって、本作は不穏で異様なトーンで覆われることになる。
また、ヤヌシュは検察官という仕事柄、殺人現場を度々目撃する。例えば映画の冒頭、彼は首吊り死体が発見された現場を訪れる。他にも、トイレに遺棄された新生児の遺体や強盗殺人の被害者の死体等、直接的な映像表現は無いのだが凄惨な現場を訪れている。こうしたグロテスクなエピソードが描かれることで、映画は実に不気味で不穏なトーンに支配されている。
こうしたある種ホラー的な演出やエピソードは、単に意味もなく出てくるわけではない。これらは非常に重要な意味を持っている。つまり、ヤヌシュが未だに愛する人の死に囚われている…ということを暗に示しているのだろう。
ただ、全体的に不穏なトーンが続く作品であるが、最後は喪の仕事を描くドラマとしてキッチリとまとまっているので、後味は決して悪くはない。愛する人の死を受け入れて新たな人生を歩み出すという、言ってしまえばお決まりの締めくくり方になっている。
但し、このラストは、かなりあっけない終わり方に思えたのは少し物足りなかった。
これで本当にヤヌシュとオルガは”死”から解放されて父娘の絆を取り戻すことができたのだろうか?もしかしたら一時の平穏でしかなく、二人の険悪な関係は今後も続くのではないか?そんな不安が少しだけ残った。
果たして、作り手側の本意はどうなのか?ハッピーエンドとアンハッピーエンド、どちらにでも解釈できそうな気がする。
北欧伝承をベースに敷いた怪奇ロマンス。
「獣は月夜に夢を見る」(2014デンマーク仏)
ジャンルサスペンス・ジャンルホラー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 海岸沿いの小さな村。少女マリーは、車椅子の母と雑貨屋で働く父と三人で暮らしていた。近くの魚工場で働き始めると、同僚の青年ダニエルに淡い恋心を抱く。するとマリーの身体に不可解な変化が起こり始める。それは母の病気と関係しており…。
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(レビュー) 呪われた血筋に苦悩する少女の葛藤をシリアスに描いたサスペンス・ホラー。
大変地味な作りであるが、マリーの身に起こる変化と不安、ダニエルに対する恋心を丁寧を綴っており中々の緊迫感を持った作品となっている。
ただし、マリーはこの年になるまで母の秘密をまったく知らなかった。父が何かを隠しているのは明らかであり、周囲の村人たちも母のことを何かを知っているようだった。10数年生きてきて、果たしてこんなことがあるのだろうか?閉塞感に包まれた小さな村で、普通であれば母の噂の一つや二つが流れてもおかしくないだろうに…と思った。
全体的に北欧伝承を元にした御伽噺のような寓話なので、そのあたりを鑑みればある程度は割り切れるのだが、長年、車椅子の母の傍について世話をしてきたマリーの無知は物語のリアリティを若干崩しているような気がした。
映画は前半は淡々とした展開で進む。母の病気の秘密を解き明かすミステリーを基調にした作りは手堅い。
物語は中盤以降から本格的に動き出す。マリーのダニエルに対する恋心は成就するのか?母と同じように村人から迫害される彼女の運命や如何に?といったところが見所となる。
監督はこれが長編初演出となる新人ということである。90分足らずのランニングタイムにまとめ上げた手腕は中々のものである。基本的にはセリフに頼らず映像で語る作家という感じがした。
元々は美術スタッフの出身らしく、ラース・V・トリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000デンマーク)にも参加していたという経歴を持っている。それだけに画作りに関しては独特の才能を持っており、特に映画の舞台となる閑散とした港町の風景などは一種異様な雰囲気を醸し出していて印象に残った。
ただ、前半はドラマに余り動きがないので、若干起伏に乏しいのは残念だった。
キャストでは、デンマークの至宝マッツ・ミケルセンの兄ラース・ミケルセンが良い味を出していた。
一筋縄ではいかない異色作。こういった怪作も最近は珍しい。
「ボーダー 二つの世界」(2018スウェーデンデンマーク)
ジャンルサスペンス・ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス
(あらすじ) スウェーデンの税関で働くティーナには、人間の感情を嗅ぎ分ける特殊な才能があり、入国審査でその技能を生かして働いていた。ある日、彼女は自分と同じような容貌の旅行者ヴォーレと出会う。本能的な何かを感じ、彼に自宅の離れを宿泊先として提供するのだが…。
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(レビュー) 一風変わった容姿と特殊能力を持った孤独な女性が、運命の人との出会いを通して自らの出自を探り当てていくファンタジー・サスペンス。
少しホラーテイストが入った作品であるが、原作・脚本が
「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008スウェーデ)と同じ人だということで納得いった。北欧伝承の要素を持ち込みつつ、現実と非現実の境界に立つ者の葛藤を描いている点が共通している。異形の愛、人にあって人ならざる者の孤独を通して<常識>という価値観に揺さぶりをかけてくる作劇が今回も通底されている。
本作の主人公ティーナは、見るからに一種異様な風貌をした女性である。本人は染色体の異常のせいだと言っているが、まず何と言ってもこのビジュアルが強烈な印象を残す。しかも、彼女は他人の羞恥心や罪悪感といった感情を嗅ぎ取れる特殊能力を持っている。この特異な設定からして、この映画は他にはないユニークさがある。
そんな彼女の前に同じような風貌をした男ヴォーレが現れる。彼には、ある秘密があり、そこからティーナの出自も解き明かされていくようになる。
このように特異なビジュアル、エキセントリックな設定等のせいで、かなり風変わりな映画のように見えるかもしれない。しかし、根底にはティーナが自らの生きるべき道を探し当てていくドラマがしっかりと固定されているので、いわゆる自分探しの映画として大変見やすく作られている。一度作品世界に入り込んでしまえば、誰もが共感できる普遍的なドラマとなっている。
タイトルの「ボーダー 二つの世界」は、現実と非現実、男と女、自然と文明、善と悪、内面と外面、様々な意味が込められているような気がする。周囲から浮いた不確かな存在であるティーナは、自分は他者とは違うことを自覚している。そして、自分の住むべき世界はこの現実なのか?それともここではない別の世界なのか?と常に葛藤している。観る方としても彼女の心情にすり寄りながら、自然と物語を追いかけていくことができた。
脚本は「ぼくのエリ~」同様、今回も原作者自らが共同で手掛けている。原作者が入っているせいかテーマは明確に発せられており、シナリオ自体はよく練られていると思った。
監督はこれが長編2作目となるスウェーデン在住のイラン移民ということである。そのバックボーンを知ると、ティーナの疎外される者の孤独と葛藤には、監督自身の自己投影が少なからず入っているのかもしれない…と思えてくる。
昨今、移民問題は映画や文学、様々な分野で描かれているタイムリーなテーマである。本作を寓話として捉えるならば、そのあたりの深読みもできよう。
尚、個人的に最も感動したのは、ティーナとヴォーレの別れのシーンだった。このドラマは実は二人のロマンス映画でもある。ティーナは果たしてどんな思いでヴォーレとの別れを決断したのだろうか?その胸中を察すると、実に不憫に思えてならなかった。
更に、ラストのどんでん返しの”ある仕掛け”にも驚かされた。”ソレ”を目にした彼女はどう思ったのだろうか?これも実に不憫に思えてならなかった。
今作で唯一の難を言えば、児童虐待事件の捜査過程がやや単調に見えてしまったことであろうか…。児童ポルノや児童虐待等、いわゆる子孫や子供の意味するところは、実は作品を語る上では大きなカギとなっていく。それだけに事件を追いかけるティーナの心中には、もう少しじっくりとフォーカスしても良かったような気がした。
尚、ティーナとヴォーレの風貌は特殊メイクで造形されているということである。このメイクも中々良くできていて作品に十分の説得力を与えていた。
北欧独特の雰囲気が作品の味わいを創り出している。
「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008スウェーデン)
ジャンルホラー・ジャンルロマンス
(あらすじ) ストックホルム郊外の小さな町に住む12歳の少年オスカーは、学校で虐めにあいながら鬱屈した日々を送っていた。そんなある晩、彼はひとりの謎めいた少女と出会う。彼女はオスカーの家の隣に父親と引越してきた少女エリだった。その頃、町ではおぞましい殺人事件が連続して起きていた。
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(レビュー) 孤独な少年と謎めいた少女の異形の愛を衝撃の展開で描いたロマンスホラー。
無垢と残酷さを兼ね備えた子供たちの佇まいに、ただひたすら魅了される逸品である。ホラーというジャンルながら抒情性を醸した締めくくり方も強い印象を残し、いわゆるゲテモノ映画とは一線を画す格調高さも垣間見せる特異な作品となっている。
ただ、殺人事件のからくりは、ある程度予想できてしまうので、サスペンスとしては物足りなさを覚えた。シンプルなドラマなのでサプライズで引きつける作品ではない。じっくりとドラマを味わいたいという人向けの作品だと思う。
また、部分的に演出が淡泊な個所があり、そこもホラーとして観た場合は滑稽に感じてしまった。
例えば、最初の殺害シーンは白昼堂々と実行される。映像的には全く緊張感がない上に、そこを通りすがりの飼い犬に見つかってしまうので、まるでコメディのように映ってしまった。
学生を縛り付けて殺害しようとする後半のシーンも然り。計画性も何もない犯行で、なんだか間抜けに見えてしまった。
しかし、こうした物足りなさを補って余りあるオスカーとエリの交流。二人が選択する悲しき運命にはしみじみとした味わいが感じられた。これがしっかりと描けていることで、今作は極上のエンタテインメント作品へと昇華されている。
二人が周囲から隠れて静かに関係を築き上げていく様は、見守りたくなるような愛おしさに溢れている。
特に、壁を挟んでモールス信号で会話するシーンのいじらしさは白眉である。オスカーの閉塞感とエリが背負う呪われた運命。二人の心の叫びをモールス信号というアイテムで語らせたアイディアが絶妙である。
キャストも魅力的だった。オスカーは中性的なルックの、いわゆる美少年で、そこがいじめの原因になっていたであろうことは容易に想像がつく。そして、その美しい表情に隠された残酷性もギャップ萌えという点では魅力的である。毎晩ナイフで苛めっ子を刺す妄想に逃避する姿が非常に印象的だった。
一方のエリもミステリアスでエキゾチックなビジュアルで◎。彼女はオスカーと同じ年齢だと告白するが、醸し出す雰囲気や周囲とのやり取りから少しだけ大人びているように見えた。おそらくここは確実に計算されたキャスティングなのだろう。オスカーのちょっと背伸びをしたい恋心の対象としてはこれ以上ないキャスティングだった。
尚、終盤で、エリの裸をオスカーが一瞬だけ覗き見するシーンが登場してくる。その際、股間にボカシがかかっているのだが、公開当時これが大きな物議を醸したらしい。というのも、ボカシの奥にはエリの重要な”秘密”が映っていたからである。それが分からないと、このストーリーの意味も全然異なって解釈されてしまいかねない。
倫理的な配慮をしたのだろうが、映画の芸術性ということを考えた場合、この判断が正しいのかどうかは意見が分かれるところである。
こういうことは今後も問題になってくるかもしれないが、少しでも映画を純粋に楽しめるよう、改善してほしいと願う次第である。
カオスなアングラ見世物小屋と化していく後半のテンションは異常!
「CLIMAX クライマックス」(2018仏ベルギー)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 新たな公演に向けてリハーサルを終えたダンサーたちが、雪が降り積もる山奥の廃ビルでパーティを開いた。振る舞われたサングリアにLSDが入っていたことから、ダンサーたちは次々とトリップしてしまい…。
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(レビュー) フランス映画界の鬼才ギャスパー・ノエ監督が贈るドラッグ・ムービー。
極彩色の映像と肉体美が織りなす激しいダンスシーン、狂気の行動に転じていく若者たちの姿をショッキングに綴った衝撃作である。
元々ノエはこうした暴力とセックスをテーマにした映画を作り続けている監督であるが、今回はそれがストレートに提示されており、極めて見世物映画的なカタルシスに満ち溢れたエンターテインメント作品になっている。ドラマ性を求めると完全に肩透かしを食らうだろう。
一応セルヴァという女性が主観を担う形になっているが、序盤はダンサーたちのインタビューに終始し、そこから中盤までは彼らのたわいもない世間話が続くだけである。その間、これといった主人公は特定することはできない。かなりエキセントリックな内容にも関わらず、観る側は彼らに感情移入することはできず、常に傍観者へと追いやられる格好となる。
と同時に、監督自身が「アルコールがいかに恐ろしいかを啓蒙するための映画なのです」と語っているように、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していく後半のパーティーシーンは呆気に取られることしきりで、自分が”傍観者”であることに安堵してしまった。
キャストは、セルヴァ役の女優を除き、すべて本物のダンサーということである。彼らのパフォーマンスは本作の魅力に一役買っている。圧倒的なのは序盤の1カット1シーンで撮られたダンスシーンである。見事にコントロールされたカメラの中で浩々と思い思いのパフォーマンスを披露しており見事だった。
また、後半の阿鼻叫喚の地獄絵図も1カット1シーンで撮られている。およそ30分以上は続く地獄のような惨状がリアルタイムに切り取られ、異様な緊迫感で息が詰まりそうになった。
カメラも見事である。メンバーが躍るダンスホールから、廊下、各々の寝室を自由自在に移動しながらそれぞれの悲劇をドライに捉えている。そこで繰り広げられるのは、失禁や嘔吐、自傷行為、暴行、堕胎、セックス等、やりたい放題である。まさに”地獄めぐり”と呼ぶにふさわしい追体験が味わえた。
また、画面が360度回転するのは当たり前で、終盤は完全に反転したままの状態が続く。流石に字幕まで逆さまになるのには苦笑してしまったが、これも監督の悪戯心溢れる演出だろうか?平衡感覚を失うトリッキーなカメラ演出は大胆だった。
このように、自分が観た過去のノエ作品と比べても、今回はスタイルが先鋭化された印象を強く持った。普通はどんなクリエイターでも年を取るとともに表現方法が丸くなるものだが、彼は違う。未だ進化し続けている監督だということが本作を見て改めて分かった。
いわゆる通俗的な映画に異議を唱えるべくノエの演出もすこぶる怪調である。序盤にスタッフロールが流れ、中盤でタイトルクレジットが出るという斬新さ。これまでにもスタッフロールを逆回転させたり、メッセージのタイポグラフィーを突然挿入することはあったが、今回も独特の演出は崩していない。
ただ、一見してエキセントリックの極みとも言えるような異常な映画であるが、よくよく考えてみると実は編集はかなり緻密に構成されているのではないか…とも思った。
本作に登場するダンサーは総勢22名もいる。最初は誰が誰か判別しかねるのだが、映画が進むにつれて個々の会話、やり取りの中から、それぞれのキャラクターが際立ってくるようになる。最終的には誰が誰とどういう関係にあり、どういう顛末を迎えたのかがきちんと理解できるように構成されている。これは周到に組み上げられた編集の賜物だろう。
尚、本作は実話を元にしているそうだが、どこまで真実に即しているのかは甚だ怪しい所がある。全員ラリっている状態でこの一夜の出来事を把握できている者がどれだけいたのかは定かではない。そういう意味では、真実は誰にも分からないわけで多分にフィクションが混じっているのではないかと考えられる。
感動のヒューマンドラマ。
「アリスのままで」(2014米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 大学教授をしてるアリスは、愛する家族と充実した日々を送っていた。ある日、講演中に突然言葉に詰まってしまう。その後も物忘れが頻繁に起こるようになり、彼女は医師の診断を仰いだ。その結果、若年性アルツハイマー病と宣告される。家族にも動揺が広がる中、病気は徐々に進行し、ついには大学も辞めざるを得なくなり…。
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(レビュー) 若年性アルツハイマー病にかかった中年女性とそれを支える家族の愛をシリアスに綴ったヒューマンドラマ。
簡単な言葉が出てこなかったり、道に迷ったり、同じ事を何度も繰り返したり等々。こうしたアルツハイマーの症状は、普通はお年寄りに起こるものだが、稀に若い人にも起こることがある。以前観た渡辺謙主演の「明日の記憶」(2005日)でも描かれていた。かなり話題になったので、これで若年性アルツハイマーを知った人も多いだろう。実は本作はこの「明日の記憶」とよく似たドラマである。
病気に苦しむアリスの恐怖と不安、それを支える周囲の家族の愛憎。衝突を繰り返しながらも、強い絆で結ばれていく家族の姿は実に感動的である。
特に、ラストシーンの一言。これにはホロリとさせられた。きっとこの物語はこの一言を描くために作られたのではないだろうか。素晴らしいエンディングだった。
アルツハイマーは病状を遅らせることは出来ても決して治すことは出来ない病気である。そういう意味では一種の難病物とも言えるが、本作はそれをことさら”お涙頂戴モノ”にしておらず好感が持てる。
演出も軽快で大変見やすく整えられている。題材が題材だけにこういう作品は観てて重苦しくなりがちだが、要所に家族の温かな眼差しを織り込みながらアリスの塞ぎがちな心を外へ向けさせる作りになっている。おそらくそれはアリスという強いヒロインの成せる技なのだと思うが、ひたすら苦しい、悲しいという作りにはなっていない。
むしろコメディとも思えるような場面もあり、例えばアリスがなくした携帯電話を夫が台所で見つけるシーンがある。夫は「1か月ぶりに見つかった」と言う。1カ月も見つからなかった携帯電話が、まさか台所で見つかるなんて…とクスリとしてしまった。
その一方で、やはりシリアスな演出も要所を締めている。例えば、アリスが万が一のことを考えて、自殺する方法をメモするシーンがある。このメモは後々に繋がる伏線となっているのだが、これにはやるせない思いにさせられた。実に残酷で痛々しく、そしてスリリングだった。
そして、本作の見どころは何と言っても、アリスを演じたジュリアン・ムーアの好演。これに尽きるだろう。特に、後半の演技が絶品だった。セリフのあやふやな言い回しや、どこか上の空のような表情で受け答えする演技が絶妙である。アカデミー賞主演女優賞をはじめ、各国で絶賛されたのも納得の演技である。