「透明人間」(1933米)
ジャンルホラー・ジャンル古典
(あらすじ) ある猛吹雪の夜、村はずれの宿屋に奇妙な男ジャックがやってくる。サングラスと包帯で顔を隠した彼は部屋に籠って化学実験を始めた。気味が悪くなった主人に退去を命じられると、ジャックは逆上して包帯を外して透明の姿を露わにした。こうして村中をパニックに陥れたジャックは、警察に追われる身となるのだが…。
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(レビュー) H・G・ウェルズの原作「透明人間」を初めて映像化した作品である。
もはや説明不要の古典であり、これまでに何度も映画化されてきたので、知っている人も多いと思う。
一番最初の映画化という意味では記念碑的な作品であり、今もって愛されるモンスターの特質が完全に確立されたという意味でも重要な作品ではないかと思う。
監督はこれまたモンスター映画の古典「フランケンシュタイン」(1931米)をヒットさせたジェームズ・ホエールということで、演出は軽快且つ明快で、実に正攻法に徹しているので安定感がある。
70分という長さも見やすく、脚本も必要十分にして無駄のない作りである。
ただ、透明になる薬を飲むと性格が凶暴になるという設定は、やや安直すぎるという気がしなくもない。そこがドラマチックさを失している部分である。原作通りなのかどうか分からないが、どうせならジャックの葛藤の中でそれを説明すべきだった。
また、これは演出上の不満なのだが、透明人間を捕獲する警察の作戦はやや朴訥としすぎている。全員で取り囲んで見えない透明人間を追い詰めるという作戦は、絵面が間抜けなせいで余り緊張感が感じられなかった。
見所はやはり特撮シーンとなろう。こちらは今見ても十分に面白い。やってることは、今と何も変わらず、他人の帽子を取ったり、箒で叩いたりといった悪戯である。そこがコメディ的な味付けにもなっている。
こうした特撮シーンには撮影のアーサー・エジソンの功労も大きいのではないかと思う。彼は
「西部戦線異状なし」(1930米)や「カサブランカ」(1942米)といった名作も手掛けている名カメラマンである。
「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」(2014ニュージーランド)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) ニュージーランドの首都ウェリントンに4人のヴァンパイアがシェアハウスしながひっそりと暮らしていた。379歳のヴィアゴを中心に、彼らは夜になると外へ繰り出して遊び歩く愉快な日々を送っていた。ある日、長老ヴァンパイアのピーターが大学生のニックにうっかり噛みつきヴァンパイアに変えてしまう。こうしてシェアハウスに新たな仲間として加わった新米ヴァンパイアのニックだったが…。
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(レビュー) 現代に生きるヴァンパイアたちの日常をドキュメンタリー風に綴ったコメディ映画。
監督・脚本はニュージーランドのコメディ界で活躍するタイカ・ワイティティとジェマイン・クレメントが共同で務めている。タイカは今やハリウッドで目覚ましい活躍を見せており、先ごろは
「ジョジョ・ラビット」(2019独米)でアカデミー賞にノミネートされた。「ジョジョ・ラビット」も大変ユニークな作品だが、この「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」も変わった作りの作品である。現代に生きるヴァンパイアを記録する、いわゆるモキュメンタリー・スタイルの映画になっている。
登場するのは4人のヴァンパイアたちである。夫々に個性的だが、中でも中心となるのは、監督であるタイカ本人が演じるヴィアゴである。彼を中心にヴァンパイアたちの私生活がドキュメンタリー形式で綴られている。
インタビュー映像や隠しカメラ風の映像でリアリティをもたらす演出が奏功し、実在するはずのないヴァンパイアに実態性を持たした作りはフィクションとノンフィクションの垣根を軽々と飛び越え、作品のテイストを独特なものにしている。
といっても、相手はヴァンパイアであるから当然、観てる方としてはすべてが作り物であることを承知の上で楽しめるわけで、言うなればPVO形式で撮られたホラー映画などと同じで、一風変わったスタイルのジャンル映画として楽しめる。
色々と面白いシーンがあったが、特にヴィアゴが間違って女性の大動脈を噛んでしまうシーンは傑作だった。スプラッタ映画よろしく血の海の中で困り果てる、その姿は笑いを誘う。
あるいは、ヴィアゴたちがインターネットで日の出の動画を見て驚くシーンも笑ってしまった。太陽の光はヴァンパイアの弱点であり、動画の映像ながら反射的に反応してしまう所が可笑しい。
他に、ヴィアゴ達が時代錯誤なファッションに身を包んで堂々とナンパしたり、犬猿の仲である狼男たちとの喧嘩も面白く観ることができた。
また、途中からスチューという童貞男が仲間に加わるのだが、彼の立ち位置も非常に面白かった。ヴィアゴ達は彼の純血を吸いたくて仕方がないのだが、スチューは余りにも心の優しい善人である。彼のことを”獲物”としてではなく、すっかり仲間のように受け入れてしまうのだ。
その一方で、同じく途中から仲間になるニックはトラブルメーカーで、色々と問題を起こしてはヴィアゴたちに迷惑をかける。こちらも物語をかき回すという意味では面白い存在だった。
アクション・シーンも上手く描写されていた。一部でCGも使われているが、基本的にはワイヤーアクションを中心としたトリック撮影である。そもそもがリアリティを追求したモキュメンタリーなので、派手なCGは逆に嘘くさくなってしまうだろう。逆にこのくらいチープだと本物らしく見えて良い。
ラストも良かった。死なないヴァンパイアといつかは死ぬ運命にある人間の恋慕が味わい深くドラマを締めくくっている。
「ザ・ヴァンパイア~残酷な牙を持つ少女~」(2014米)
ジャンルホラー・ジャンルロマンス
(あらすじ) イランのある町。青年アラシュは麻薬に溺れる父と二人で暮らしていた。ある日、せっかく手に入れた新車を、父がつくった借金のカタに麻薬の売人サイードに取り上げられてしまう。車を返してもらおうと彼の家へ向かったアラシュは、そこで無惨に殺されたサイードの死体を見つける。
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(レビュー) 閉塞感漂う架空の街を舞台に、真面目な青年とヴァンパイアの少女のロマンスを退廃的なムードに乗せて綴った異色のホラー作品。
前編モノクロ映像で残虐シーンも一切出てこないのでホラー映画として見た場合、完全に肩透かしを食らう作品だろう。どちらかというとボーイ・ミーツ・ガールの恋愛ドラマがメインである。
監督は本作で長編デビューの新人監督らしい。イラン系アメリカ人の女性ということで、本作の舞台は彼女の出自に起因しているものと思われる。しかして、この手のヴァンパイア映画では余り見かけない新鮮な空気が画面中を席巻している。
例えばヴァンパイアの少女はイランの民族衣装チャドルを常に身にまとっている。女性抑圧のシンボルとも言える、このファッションを貫いた所に、皮肉めいたメッセージが読みとれる。
また、少女は自らの呪われた運命に抗ってアラシュと恋に落ちる。つまり自由を獲得していくのだ。このプロットにも、やはりこの監督なりのテーマが込められているのだろう。
このように、表向きはジャンル映画の体裁を取っているが、深読みしていけば中々懐の深い作品になっていく。
演出は非常に淡々としている。個人的には、ジム・ジャームッシュのオフビートなユーモアに近い印象を受けた。
尚、彼も2013年に「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」(2013米英独)というヴァンパイア映画を撮っている。正直、ジャームッシュらしからぬ内容の映画で個人的にはこれは失敗作だったと思っている。
あるいは、少女の無表情な振る舞いには、非人間性、それこそイラン社会における女性の喪失感を託しているのかもしれないが、何となくブレッソンの映画に通じるような冷え冷えとしたクールさも嗅ぎ取れた。
いずれにせよ、処女作にして随分と大胆な作風を前面に出していて中々個性的な作家だと思った。
物語はミニマルにまとめられている。削ぎすまされたセリフ、必要最低限に絞られたシーン、夫々がドラマの中で巧みに絡み合っており一切の無駄がない。
中でも、やはりアラシュと少女のやり取りは、いずれも秀逸である。
二人の出会いが仮装パーティーというのも愛らしいし、その後にピアスをプレゼントするシーンも微笑ましく見ることができた。アラシュが少女の耳に穴をあけるのは、明らかに姦通のメタファーだろう。あんなに簡単に安全ピンで穴をあけられるのか?といった疑問も湧くが、このどこか少女漫画チックな演出が心地よい。
ここまでくると、もはやヴァンパイア映画であることを忘れて、正統派な青春恋愛映画を見ているかのようである。
ラストの締めくくり方も良い。やや力業という感じがしなくもないが、人間とヴァンパイア。種族の違いという大きな障害を二人はどのように克服するのか?その答えを出さず、観る側に想像させるエンディングが味わいを増す。自分は、この二人の今後の行方にかすかな希望を感じた。
「ニア・ダーク 月夜の出来事」(1987米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) 西部の田舎町。ある夜、ケイレブは魅力的な女性をナンパする。ところが、彼女メイは現代に生きる吸血鬼だった。彼女に噛まれたケイレブも吸血鬼になってしまい、彼は吸血鬼集団に拉致されてしまう。
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(レビュー) 現代に生きる吸血鬼たちの逃避行を乾いたタッチで描いたサスペンス・ホラー。
「トワイライト」シリーズやJ・カーペンターの「ヴァンパイア・最後の聖戦」(1998米)等、この手の作品は色々と作られているが、本作はそれらに先駆けて作られた”現代ヴァンパイア”物である。
昔からあるヴァンパイアの設定。例えば太陽の光に弱いとか、人間の血を吸うことで生きながらえるといった設定はここでも踏襲されている。そういう意味では、オーソドックスなヴァンパイア物と言って良いだろう。
そして、吸血鬼メイと人間ケイレブが恋に落ちるというドラマも、古典的で安心して見れるラブロマンスである。
更に、ここが面白いと思うのだが、本作は西部の田舎町が舞台ということで、どこか西部劇的なタッチが入っている。
例えば、中盤でメイたちが襲撃するバーのシーンは、西部劇でよく目にするシチュエーションである。あるいは、警官隊に取り囲まれてアジトがハチの巣にされるシーンは、「明日に向かって撃て!」(1969米)のようなアメリカン・ニューシネマ的な匂いも感じられる。
このように設定は至ってオーソドックスなヴァンパイア物なのだが、全体的な雰囲気が西部劇っぽい作りになっている所が面白い。
ストーリーは、吸血鬼集団に拉致されたケイレブの葛藤に迫るドラマと、彼とメイのロマンス。この両軸を中心に構成されている。その一方で、ケイレブを救出しようとする彼の父親と妹の追跡劇も描かれている。こちらはやはり西部劇ではよく目にするドラマである。
ただ、正直な所、やや中弛みするといった感じである。どうにも一本調子なので退屈してしまう。また、人間の血を輸血することで吸血鬼が人間に戻るという設定も説明不足なせいで今一つ釈然としなかった。
監督、共同脚本はハードな作品を撮ることで知られるキャスリン・ビグロー。彼女は前作「ラブレス」(1983米)で長編監督デビューを果たしているが、その時には共同監督だった。実質的には本作が彼女の単独の監督デビュー作となっている。
演出はドライながら、時折見せるドラマチックなスローモーションが中々の情感を演出しており、デビュー作にしてさすがの手練れを感じさせる。特にクライマックスの哀愁を帯びたスローモーション演出が素晴らしかった。
先述のバーのシーンも、やはり彼女ならでは剛直さで描写されており、ヒリヒリした緊張感が味わえた。後の
「デトロイト」(2017米)に継承されているような気がした。
ちなみに、ビグロー監督の元夫はJ・キャメロンであることは有名である。おそらく当時、二人の交際は始まっていたのではないだろうか?というのも、前年に公開されたキャメロンの「エイリアン2」(1986米)にビショップ役で出ていたランス・ヘリクセンと、バスケス役で出ていたジャネット・ゴールドスタインが、本作に出演しているからである。本作でも二人は中々良い味を出している。
「死霊館」(2014米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 5人の娘を持つ家族がロードアイランド州の人里離れた一軒家に引っ越してくる。古めかしいがとても広いその館は一家にとって夢のマイホームだった。ところが、ある時から家の中で奇怪な現象が起こりはじめる。夫婦は心霊学者として著名なウォーレン夫妻に助けを求めるのだが…。
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(レビュー) 実在する著名な超常現象研究家エド&ロレーヌ・ウォーレン夫妻が1971年に体験した衝撃の事件を基に描いたオカルト・ホラー。
どこまでが実際にあったことなのか分からないが、ここに登場するアナベルの人形はオカルトマニアの間では有名な都市伝説だそうである。その話は映画の冒頭に出てくるが、確かにぞっとするような内容で、もしこれが事実ならかなり怖いと思った。
物語は、そんな前振りがあってから、今回恐怖の体験をする一家の姿から始まる。実に和気あいあいとした平和な風景が描かれるが、ある時から奇妙な怪現象に見舞われるようになる。
その怪現象とは、子供が寝ていると暗闇から誰かがじっとこちらを見ているとか、母親が子供たちと隠れんぼをすると誰もいないはずの箪笥がひとりでに開いてそこから手が出てきたりとか等々。日常の中に起こる不条理で奇怪な現象は、かなり怖い。
こうして一家は心霊学者として有名なウォーレン夫妻に相談し、映画後半は夫妻を中心とした悪魔払いの話になる。
映画前半はやや展開が水っぽいが、後半から展開がスピーディーになり、ウォーレン夫妻と悪霊の戦いがアクションとサスペンスで上手く盛り上げられている。
また、数多あるホラー映画のオマージュも見られ面白く観れる。
スピルバーグが製作した「ポルターガイスト」(1982米)や、オカルト映画の金字塔「エクソシスト」(1972米)、低予算ながら大ヒットを記録したモキュメンタリー「パラノーマル・アクティビティ」(2007米)、更にはJホラー的タッチなど、いたるところで恐怖を盛り上げる演出が施されている。
監督はジェームズ・ワン。アクションやホラー、サスペンス等、主にジャンル映画で高い演出力を発揮してきた作家だけに、今回も作品としての完成度は高い。
唯一これは要らないと思ったのは、箪笥の上の悪霊のシーンで、ここは全体の構成から言っても時期尚早。悪霊の姿を見せるのはもっと後半に取っておくべきだったのではないかと思えた。
個人的には同じワン監督のホラー作品
「インシディアス」(2010米)に比べたら、こちらの方が実際の事件のリアリティを追及している分、真摯に観ることができた。
キャストの熱演も画面に迫力をもたらしてよかったと思う。特に、母親役演じたリリ・テイラーの演技が素晴らしい。また、ウォーレン夫妻を演じたP・ウィルソンとヴェラ・ファーミガも好演している。
尚、本作は全米でスマッシュ・ヒットを飛ばし、以後続編が作り続けられている。
「怪怪怪怪物!」(2017台湾)
ジャンルホラー・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) クラスのいじめられっ子シューウェイは、ある日、問題を起こしたいじめっ子3人と共に独居老人の手伝いをするボランティア活動を命じられる。そんな中、夜中に老人の家で大小2匹のモンスターに遭遇し、シューウェイたちは小さい方のモンスターを捕獲した。いじめっ子たちはそのモンスターを監禁し虐待を始めるのだが…。
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(レビュー) いじめられっ子の高校生が食人怪物を捕獲したことで恐るべき顛末を迎えていく青春ホラー。
学校のいじめ問題をモチーフにしていることは明らかで、そこに怪物という存在を放り込んでホラー映画に仕立てたところに本作の妙味である。
いじめられっ子シューウェイは、いじめっ子のクラスメイトと一緒になって怪物を虐待していくが、それは人間の心の弱さを物語っている。普通のホラーであれば、怪物を倒してカタルシスを得るのだが、この映画は違う。怪物自体が貧弱ということもあるが、観てて同情するくらい、人間に拷問され続けるのだ。
確かにシューウェイは食人怪物に同情し、自らの血液までも食料として供給した。しかし、直接手を貸さずとも他のいじめっ子の拷問を黙って見ていたことは紛れもない事実である。彼はその気になれば、捕らわれた怪物を逃がすなり、拷問を止めに入るなりすることはできただろう。しかし、彼にその勇気はなかった。傍で怪物がひどい目に合うのを黙って見ていたのである。
こういうのはいじめ問題の”あるある”で、虐められっ子だったのが、ある日から逆に虐めっ子に仲間入りすることで、一緒に虐めに荷担するという、いわば長い者には巻かれよの精神が働いている。強い者には誰も逆らえないということである。
映画は終始、怪物に対する非道な拷問が続くため、観てて決して気持ちがいいものではない。不快に感じる人も多いと思う。自分もさっさともう一人の怪物が助けに来て、いじめっ子たちが復讐されないか…と待ち望みながら観ていた。
しかして、その通りになっていくのだが、そこで問題となるのが主人公シューウェイの顛末である。いじめっ子たちと一緒になって怪物を拷問していた彼も、怪物の餌食になるのかどうか…。
クライマックスの彼の葛藤は中々見応えがあった。そして、怪物騒動が終わった後にシューウェイが採った行動にも色々考えさせられた。
このラストには、虐め問題の根深さが改めて示されているように思う。シューウェイの行動は何とも過激であるが、この過激さに奇妙なカタルシスも覚えたのも事実である。それは間違った行動なのだが、しかし問題を解決できないのであればこうするほかない…という彼の心理にも納得させられてしまう。
ただ、序盤に少しだけ出ていた、もう一人の虐められっ子の少女を、シューウェイは助けている。そこにかすかな安堵も覚えた。
これがあるとないとでは鑑賞感は全然違ったものとなっていただろう。そういう意味では、全編胸糞悪くなる映画にならなくて良かったと思う。
もう一つ、本作で上手く作っていると思ったのは、いじめっ子のリーダーのキャラクター造形である。いじめる側の心理というものをきちんと描くことで、彼にもドラマを用意している。それは後半の職員室での担任教師(この教師も罪深い)とのやり取りの中から見えてくる。俗悪極まりないキャラであることは確かだが、生い立ちを考えるとそうなるべくしてなった…ということがよく分かる。だからと言って虐めが良いというわけではないのだが、彼の側に立ってみれば一定の情も禁じ得ない。
「死霊のはらわた」(2015米)
ジャンルホラー
(あらすじ) ミアは兄デビッドと友達3人に連れられ山奥の小屋へとやって来た。実はミアは薬物依存症で、今回の旅はそれを治療することが目的だった。しかし、ミアはすぐに禁断症状に苦しみ森の中に一人で入って行ってしまう。そんな中、仲間の一人が地下室で発見した『死者の書』の封印を解いてしまう。ミアは邪悪な死霊に憑依され4人を襲い始める。
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(レビュー) 1981年に製作されスプラッター映画ブームを牽引したホラー映画「死霊のはらわた」(1981米)のリメイク。
オリジナル版の監督サム・ライミと主演ブルース・キャンベルが製作を務め、監督、脚本は新人のフェデ・アルバレスが務めている。なんでもサム・ライミがyoutubeでアルバレスの投稿動画を見て今作の監督に抜擢したらしい。正にリアルなアメリカン・ドリームである。
さて、結論から言うと、オリジナル版の印象が強烈なこともあり、どうしてもそれを超えられない…といった印象だった。
もう一つのホラー映画の金字塔「悪魔のいけにえ」(1974米)が何度もリメイクやリブートを繰り返していることからも分かる通り、後続はやはりオリジナルを超えられない宿命を持っているのかもしれない。
物語はオリジナル版にかなり忠実に作られている。サム・ライミが製作に加わっているのであるから当然という気もするが、物語の展開やシーン作り等、かなりオマージュが捧げられている。
ただ、本作は終盤から、かなりオリジナルから逸脱した展開を見せるようになり、そこは新鮮に観ることが出来た。
一番の違いは、オリジナル版で最後まで生き残ったブルース・キャンベル演じる主人公が、ここではミアというヒロインに代わっている点である。死霊に取りつかれた彼女が、その死霊と戦いを見せるという所に新味を感じた。
また、クライマックスシーンをはじめ、全体的にゴア描写はオリジナル版よりも過激さを増している。どうやら製作陣はCGになるべく頼らずアナログにこだわった撮影に挑戦したらしく、それがオリジナル版の良い意味でのチープさ、下品さの再現に繋がっている。
特に、クライマックスの血の雨のシーンには驚かされた。この大仕掛けは意表を突くアイディアで素晴らしい。
また、釘打ち機の使い方も痛々しく、これはオリジナル版になかったアイディアで良かった。
尚、エンドロールの後にちょっとしたおまけが付いている。製作サイドのお遊びにクスリとさせられた。
「ウォーム・ボディーズ」(2013米)
ジャンルホラー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 街にゾンビがあふれた世界。生き残った人間は砦を築いて身を潜める日々を送っていた。しかし、ゾンビの中にはまだ人間的な感情を持ったゾンビたちもいた。そんなゾンビの一人Rは、物資調達に来ていた人間たちを発見する。彼はその中の少女ジュリーに一目惚れしてしまうのだが…。
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(レビュー) ゾンビと人間の少女の恋をアクションとユーモアを交えて描いたホラー・ロマンス。
原作は全米で人気のYA小説ということである(未読)。ゾンビ映画だからと言ってグロい描写がそれほど出てくるわけでもないので、ホラーが苦手な人でも安心して観ることができると思う。
ゾンビ物も色々とあるが、粗製乱造。もはや作られ過ぎて差別化が難しくなってきている昨今、こういう切り口で見せてくれたところに、まだまだアイディア次第では面白い作品も作れるものだなぁと感心した。
もっとも、ゾンビと人間のコミュニケーションという命題は、すでにゾンビ映画の神様ジョージ・A・ロメロが「死霊のえじき」(1985米)の中で実践している。本作はその延長線上で作られた物語で、ゾンビと人間の間で恋愛は可能なのか?という所に焦点を当てて作られている。
ここに登場するゾンビはまだ半分人間の意識が残っているゾンビである。主人公Rは、片言の言葉を話し、完全にゾンビにはなりきっていない。すでにこの設定からしてゾンビと言えるのか?という古参ゾンビファンはいると思うが、しかしこの設定があるからこそ、このドラマは成立するに至っている。
また、ゾンビには2種類あって、Rのように半分人間の心が残っている者と、完全にゾンビになってしまった”ガイコツ”と呼ばれる種類に分けられる。これも新しい設定ではないかと思う。Rはガイコツからジュリーを守って戦っていく。初めはRを気味悪がるジュリーも、そうこうしていくうちに徐々に愛情が芽生えていくのだ。
監督は
「50/50 フィフティ・フィフティ」(2011米)のジョナサン・レヴィン。
軽快な演出は今回も素晴らしく、スタイリッシュな映像も要所を締めている。全体的にそつなく作っている感じがした。
ただ、物語的には中盤からややダレるのがいただけない。Rとジュリーが人間の砦に戻って以降の展開が、回りくどい上にご都合主義である。原作がティーンエイジャー向けに作られたものであるし、致し方なしと言った所だろうか…。大人向けな歯ごたえを感じられなかったのが残念である。
キャストでは、何と言ってもRを演じたニコラス・ホルトの繊細な演技が絶品だった。子役から活動しているので芸歴の長さは他の若手俳優よりも頭一つ抜きんでている感がある。今後も幅広い活躍を期待したい。
「哭声/コクソン」(1994韓国)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) のどかな田舎の村で一家の惨殺事件が発生する。犯人は家族の中の一人で体が奇妙な湿疹に覆われていた。その後に再び一家の惨殺事件が発生し、犯人は同じ症状におかされていた。時を同じくして、森の中で不気味な日本人の姿が発見された。徐々に村人たちの間で彼に対する噂が広まり始める。事件を捜査するジョングはこの日本人が事件に関係しているのではないかと睨む。
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(レビュー) 連続猟奇殺人事件を追う警官がおぞましい体験をしていくオカルト映画。
何とも掴みどころのない作品である。最初は「セブン」(1995米)のようなサイコ・サスペンス風味で開幕するのだが、途中から祈祷師が出てきて「エクソシスト」(1973米)のようなオカルト映画に転じ、しまいには死者が復活して人間を襲うゾンビ映画のようなアクション映画になっていく。
また、閉塞的な村社会特有の、よそ者に対する弾圧が描かれ、その対象が日本人であることを鑑みると、日本と韓国の複雑な関係を汲み取ることができる。戦争の根深い因縁は未だに両国の間で決して拭うことのできない大きな問題となっている。村人の日本人に対する畏怖と敵対心はそのことを暗喩しているのだろう。そういう意味では社会派的な狙いも感じられる。
監督、脚本は
「チェイサー」(2008韓国)、「哀しき獣」(2010韓国)のナ・ホンジン。ダークでバイオレントな作風を得意とする監督であり、その資質は今回も存分に出ている。
ただ、今回は上映時間が2時間半を超える大作である。これだけ長いと流石に途中でダレてしまう。
例えば、祈祷のシーンはリアリズムを重視したのだろう。かなりねちっこく描写されている。祈祷師は悪霊に取りつかれたジョングの幼い娘を祓うのだが、この娘役の熱演が凄まじいこともあって迫力が感じられた。もはや「エクソシスト」のリンダ・ブレアを超えていると言っても過言ではないだろう。
しかし、逆にその熱量が過剰に映ってしまうのも事実である。韓国映画に特有のコッテリ感と言えばいいだろうか…。苦しいときは苦しい、悲しいときは悲しいというエモーショナルさが、観ているこちら側に”圧”となってぶつかってくる。しかも、先述したようにやたらと粘着的に演出されているので、その熱量がかえって空回りしているように見えてしまった。
他にもこの映画では幾つか不要と思えるシーンがある。ジョングと村人たちが乗った車が事故を起こすシーン、一連のゾンビとの対決シーンは、ストーリー上、特段必要に思えない。
こうしたところを編集すれば2時間程度には抑えることができたと思う。そうすればもっと観やすい映画になっていただろう。
また、本作には意味不明なシーンが出てくる。これにも戸惑いを覚えた。
具体的には、白い着物を着た女ムミョンの正体が最後までよく分からなかった。敢えてぼかして観客に考えさせようとしてるのだが、いくら考えても劇中ではそのヒントは自分には見つからなかった。
このように幾つか不満が残る作品である。
ただ、ホンジン監督の高い演出力を感じさせるシーンも所々にあり、そこについては感心させられた。
例えば、クライマックスのジョングとムミョンの対峙は緊張感に満ちたスリリングなシーンで、改めてホンジン監督の演出力に唸らされる。ここもかなりねちっこく描写されているのだが、ジョングの葛藤が見えてくるので決して冗長に感じない。先述の祈祷シーンとの決定的な違いはここである。こちらには葛藤が見えてくる。あちらには葛藤も何もない。ただの見世物でしかないから退屈してしまうのである。
ただ、このシーンには聖書の一節が登場してくるのだが、その意味を分かっていないと真の面白さは汲み取れないだろう。鶏が3回鳴くまで家に戻るなとムミョンは言うが、これはペトロがキリストを裏切った時に出てくる一節である。
キャストでは、謎の日本人を演じた國村準の怪演が強烈だった。ふんどし姿で森の中で鹿の肉を食うシーンのインパクトたるや…。絵面的には笑ってしまうのだが、リアルに遭遇したらさぞかし恐ろしかろう。
「スガラムルディの魔女」(2015スペイン)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 失業と結婚生活の破綻でヤケを起こした男ホセは、仲間たちを率いて白昼堂々、息子を連れて宝石強盗を決行する。しかし逃走の途中で道に迷い、スガラムルディという不気味な村に入ってしまう。そこは世にも恐ろしい人喰い魔女伝説が残る場所だった。
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(レビュー) 強盗団が魔女の村に迷い込んで恐怖の一夜を味わうホラーコメディ。
冒頭の強盗シーンから一気に画面に引き込まれた。強盗団は、人々でにぎわう町の広場で皆コスプレをして犯行の機会を虎視眈々と狙っている。ホセはキリスト、相棒のアントニオは兵隊の玩具、他にスポンジボブやディズニーの某ネズミさん、透明人間等々。こうした奇天烈な格好で人ごみに紛れて強盗に押し入るというのだから何とも大胆である。しかも、ホセの幼い息子が連絡係というのも意外性があって面白かった。
強盗シーン、逃走用のタクシーの強奪、警察との追跡劇と、序盤はハイテンションに展開されていく。タクシー運転手が巻き込まれる形で仲間に加わるのも面白い。
ただ、ここまで一気にノンストップで展開されていた物語は、魔女の村に舞台を移してからややダレてしまう。ホセたちは警察の追跡を巻いて怪しげなホテルに宿泊することになる。そこには当然魔女がいて…という、言わばお化け屋敷型の凡庸なホラー映画になってしまう。冒頭のワクワク感が減り、ありきたりな展開に終始し、やや退屈してしまった。
中盤以降は、村全体を仕切る3人の魔女に捕まり、ホセたちは必至の脱出を試みるようになる。そこにはホセと魔女の間にちょっとしたロマンスも芽生えるのだが、これも余り上手くいっているとは言い難い。せっかくホセの元妻を登場させているのだから、ここはもっと大胆に愛憎渦巻く三角関係のドラマにすることもできただろうに、どうも中途半端である。
ただ、クライマックスの魔女の儀式は、かなりのスケール感で撮られており、ここから再び映画は盛り返していく。個人的には、窮地に立たされた強盗仲間が突然ゲイをカミングアウトするシーンが笑えた。告白された相手のリアクションが実に可笑しかった。
ラストの人を食ったオチも痛快で、何なら続編も可能な締めくくり方となっている。
総合的には中盤ダレるものの、ホラーコメディとしてはまずまずの出来である。
監督、脚本は鬼才アレックス・デ・ラ・イグレシアス。氏にしては随分とウェルメイドな作りのホラーコメディになっている。一部でゴア描写もあるが、これまでのアクの強い作品を観てきた者としてはやや大人しめに感じた。敢えて商業的な路線を意識したのかな?という感じがしなくもない。