「別離」(2011イラン)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) テヘランに暮らす夫婦ナデルとシミンが裁判所で離婚を申請する。しかし離婚は簡単には認められず、妻シミンは家を出てしばらく別居することになった。一方、夫ナデルはアルツハイマー病の父の介護のため、ラジエーという女性を家政婦として雇うことにした。ある日、ナデルが帰宅すると父がベッドに縛り付けられ放置されていた。激高した彼はラジエーを手荒く追い出してしまうのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 一組の夫婦のすれ違いから始まる悲劇をミステリアスに綴った社会派サスペンス。
製作・監督・脚本は
「彼女が消えた浜辺」(2009イラン)、
「セールスマン」(2016イラン仏)のアスガー・ファルハディ。ミステリアスな作劇と濃密な会話劇でグイグイと観る者を引き込んでいくあたりは、これまでの作品同様、見事である。イラン社会における人々の宗教観、慣例なども色濃く投影されており、大いに見応えのある傑作である。
物語はよくある夫婦のすれ違いから始まる。そこからアルツハイマーを患う父親の介護問題。更には、彼の介護をする家政婦ラジエーの貧困問題が描かれ、更には身重のラジエーを襲う悲劇的事件へとドラマが展開されていく。序盤こそホームドラマ風の淡々とした始まり方だが、一気に緊迫したサスペンスへと持ちこんでいく構成は実に素晴らしい。
中盤からは、ラジエーの身に起こった悲劇的事件を巡って、ナデルとラジエーの対立を描くドラマになっていく。果たして事件はどうやって起こったのか?誰が嘘をついているのか?真実はどこにあるのか?そうした謎が緊張感みなぎるダイアローグで紐解かれていく。
また、本作には回想シーンが一切なく、セリフのやり取りだけで物語が進行するのも特徴的だ。つまり、事件の顛末を最後まで見せない作りになっているのだ。
例えば、ラジエーがナデルに突き飛ばされた後にどうなったのか?アルツハイマーの父親が家を抜け出した後にどうなったのか?そのあたりの情報は一切描かれていない。
そのため、ラジエーやナデルの証言が真実なのかどうかが、こちらとしては判断しかねることになる。観ている我々は、ある意味で法廷の傍聴人よろしく、彼らの対立を眺めるしかないわけである。このミステリアスな作劇が実に巧妙で、最後まで緊張感が持続する。
よくドラマはツイストが命であると言われる。その定義からすれば本作は正にツイストの連続で、終始画面から目が離せなかった。
ただ、ここで描かれるナデルとラジエーの対立は見てて決して気持ちの良いものではないことは確かである。それは人間の愚かさ、強欲さ、些末さを赤裸々に語っているからである。そういう意味では、観る人を選ぶ映画であろう。誰が観ても楽しめる作品ではないと思う。
そんな中、唯一の救いと言えるのはナデルの子供テルメーの存在である。大人たちの醜い争いとのギャップもあろう。実に純真無垢で尊いものに映った。
ラストは、テルメーとナデル達、両親の対比で締めくくられるが、これも印象深かった。テルメーは復縁を望んでいるが、その思いとは裏腹に、ナデルとシミンは視線を決して合わせず、今後の行く末を密かに暗示して終わる。このラストカットが実に切なく印象に残った。
尚、劇中からはイスラム社会特有の戒律が、そこかしこに確認できる。
例えば、ラジエーが介護の世話で着替えを手伝って良いのかどうか迷うシーンが出てくる。日本では考えられないことであるが、イスラム社会では、女性が異性の裸に触れることは、たとえ仕事上のことでも許されないのだ。
こうしたイスラム社会における不文律が劇中に巧みに組み込まれているのも本作は大きな特徴となっている。
「アカシアの通る道」(2011アルゼンチンスペイン)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 長距離トラックの運転手ルベンは、無愛想で寡黙な男。上司に頼まれて、パラグアイからアルゼンチンのブエノスアイレスまで、赤ちゃんを連れたシングルマザーのハシンタをトラックに乗せてやることになる。当初は煩わしさを感じるルベンだったが、旅を続けるうちに徐々にハシンタと赤ん坊に心を開いていくようになる。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 孤独なトラック運転手とシングルマザーの交流を描いた心温まるロードムービー。
大きな事件は特に起こらず、セリフも極端に少なく、BGMにいたっては全然かからない。非常に淡々とした作りで、ほとんどトラックの車内シーンだけで構成された地味な映画だが、繊細な演出が奏功し最後まで面白く観ることができた。
ルベンは寡黙で不愛想な中年男で、日本人で例えるなら高倉健だろうか。一見すると怖そうに見えるが、本当は気の優しい男だ。
例えば、たばこの煙で赤ん坊が泣きだすと、ルベンは気を使って窓からタバコを捨てる。時々、赤ん坊に投げかける優しい眼差しにも彼の人の良さが感じられた。
物語は終始淡々と進むが、中盤でちょっとだけ謎めいたシーンが出てきて、そこが印象に残った。
それは、ルベンがプレゼントを妹宅に届けるシーンである。実は、この一連のシーンは、ハシシタの目線でしか描かれていない。したがって、ルベンは妹の家だと言っているが、本当にそうなのかどうかは疑わしい。
というのも、その手前のシーンでハシンタはルベンの息子と思われる写真を見つけているからだ。もしかしたら、妹ではなく別れた妻の家だったのではないだろうか?
ルベンがハシシタに幾ばくかの好意を抱いていたことは明らかだ。
例えば、後半のレストランのシーンで、ハシンタが他の男性客と楽しそうに会話をしているのを見てルベンは急に不機嫌になった。決して言葉には出さないが、おそらく嫉妬したのだろう。
このように考えると、おそらくルベンは既婚者であることをハシシタに知られたくなかったのではないかと想像できる。だから彼は前妻ではなく妹だと嘘をついたのではないだろうか。
本作はラストも良い。ハシンタが「いい旅だったわ」とルベンに告げて別れるが、これまでの旅は正にこの一言に尽きるように思う。果たして、その後二人は再会できたのだろうか…?そんな余韻を残しつつ、映画はしめやかに締めくくられている。
監督、脚本は本作が初の長編映画製作となる新人監督らしい。
繊細な演出、確かな人物観察眼には類まれない才能を感じた。ミニマルな分、演出に大崩れは見当たらず実に堅実である。
尚、本作でカンヌ国際映画祭のカメラドール(新人賞)を受賞しているが、それも納得の出来栄えである。
「スパイの妻<劇場版>」(2020日)
ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス・ジャンル戦争
(あらすじ) 1940年、神戸で貿易会社を営む夫・優作は妻・聡子と何不自由ない暮らしを送っていた。ある日、仕事で満州に渡った優作は、そこで衝撃的な国家機密を目にしてしまう。正義感に突き動かされた彼は、その事実を世界に公表しようと秘密裏に準備を進めていく。そんな中、聡子の幼なじみである憲兵隊の泰治は優作への疑いを強めていくようになる。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) スパイ容疑をかけられた夫に複雑な感情を抱いていく妻の姿をスリリングに描いたサスペンス映画。
2020年6月にNHKのBS8Kで放送されたTVドラマの劇場版である。
自分はTVドラマ版を見たことがなく今回が初見である。wikiによると、スクリーンサイズや色調を新たにしたということらしい。上映時間は変わりないので、おそらく構成自体はそのままなのだろう。
監督、共同脚本は
「クリーピー 偽りの殺人」(2016日)、
「岸辺の旅」(2015日)、
「リアル~完全なる首長竜の日~」(2013日)等の黒沢清。彼は本作でヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。
尚、脚本には
「ハッピアワー」(2015日)、
「親密さ」(2012日)、
「PASSION」(2008日)の濱口竜介が参加している。
黒沢清作品と言えば、ジャンルの垣根を超えた謎(?)演出を繰り出すことで、これまでに何度か足元をすくわれた思いをしてきたが、今回は意外にも最後までストレートなサスペンス映画になっている。語弊はあるかもしれないが、普通の監督が撮ったような、そんな手触り感で、黒沢清独特のクセがあまり感じられなかった。
これは勝手な想像だが、脚本に濱口竜介が加わっているからなのかもしれない。彼の名前がクレジットの一番上に表記されていたので余計にそう感じてしまうのだが、今回は基本的に彼を中心に脚本づくりをしたのではないだろうか。
物語は、優作と聡子の夫婦関係を中心にした国家機密の陰謀を巡る壮大なスケールのドラマとなっている。
まず、この夫婦の抜き差しならぬ関係が面白く観れた。
聡子は良妻賢母を絵にかいたような女性である。しかし、幼馴染で憲兵でもある泰治の忠告から、優作がスパイではないかと疑うようになる。そして、他の女と渡米してしまうのではないか…と嫉妬に駆られ、彼女は”ある行動”に出るのだ。この辺りの心情の推移が実に丁寧に描かれていて感心させられた。
そして、優作を裏切ったかと思ったら、実はそうではなかったという”仕掛け”も見事である。それは夫への愛を貫くための”仕掛け”であるが、ここまで冷酷になれるのか…と恐ろしさを覚えた。
一方で、そんな聡子に対する優作の対応も実に冷酷極まりない。彼の人柄については、会社の余興で撮った自主製作”フィルム”の中で雄弁に語られれている。どこまでも非情でクールだ。
そして、ある程度予想はできたが、この”フィルム”を使った終盤のサスペンスはすこぶる痛快であった。
このように、この夫婦は常に騙し合いをしている。そこが自分にはたまらなく魅力的で、次に彼らはどんな行動に出るのか?と目が離せなかった。
また、本作は戦時下のドラマであるが、この設定選定にも作り手側の思惑が何となく読み取れた。
権力による弾圧、挙国一致体制の恐怖は、どこか現代にも通じるメッセージとして受け止められる。それは他の映画作家、例えば故・大林宣彦や塚本晋也などが社会の風潮に危機感を覚えて映画作りをしてきたことと同調する部分である。
黒沢清は今までこうしたメッセージを表立ってしてこなかったように思うが、もしかしたら今作をきっかけに創作活動に変化が訪れるかもしれない。
最も印象的だったのは、終盤の聡子のセリフである。
「私は狂っていません。でもこの国ではそれが狂っているということなんです。」
実に痛烈な一言である。
残念だったのは、戦時下の背景描写に限界を感じてしまったことだろうか…。このあたりは、元々が予算の少ないTVドラマということで目を瞑るしかない。例えば、空襲を音のみで表現するという所には邦画の限界を感じてしまった。
キャスト陣では、聡子役の蒼井優が印象に残った。危機的状況に追い込まれる中、夫の愛を我が物にしたいという独占欲から、まるでハネムーンよろしく嬉々とし始める所にどこか狂気が滲み出ている。その姿は可笑しくもあり恐ろしくもあった。
「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」(2020日)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 鬼殺隊として蝶屋敷で厳しい訓練を重ねた炭治郎は、新たな指令を受けて、仲間の善逸、伊之助とともに無限列車に乗り込む。その列車ではすでに40人以上の行方不明者が出ており、送り込まれた剣士たちも全員消息を絶っていた。炭治郎たちは、鬼殺隊最高位の剣士“柱”のひとりである煉獄の指示を仰ぎながら列車に潜む鬼と対決していく。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 「週刊少年ジャンプ」で連載されていた「鬼滅の刃」の劇場用アニメーション。同名のテレビシリーズが2019年4月から9月まで放送されており、今回の劇場版はその続編である。
自分は原作は未読であるが、TVシリーズはひととおり見たうえでの鑑賞である。
あらかじめTVシリーズを見ているか原作を読んでないと、今回の内容を全部理解するのは難しいだろう。一見さんには少し厳しい作品ではないかと思う。
尚、今現在、本作の興行収入は240億円を超えており、これは日本映画歴代興収5位にまで登り詰めている。どこまで数字を伸ばすのか、今後の大きな関心事となることは間違いない。
さて、映画の内容については、先述したTVシリーズの直後の話ということで、TVを見ていた人ならそのまま入り込める内容となっている。製作陣も同じなので期待を大きく裏切ることもなく、クオリティの高いアクション映像、個性的なキャラの活躍が存分に楽しめる。これならファンも十分に満足できるのではないだろうか。
また、今作から炭治郎たちの戦いをバックアップする煉獄というキャラが登場してくる。彼が物語の後半部分を大いに盛り上げており、その存在感は劇中随一と言って良いだろう。そのバックボーンも含め大変魅力的なキャラクターだった。
一方で今回の敵・魘夢は、ややキャラクター的に弱いと感じてしまった。彼の出自については前段となるTVシリーズで描かれていたが、どうしても小物感が漂う。こちらにも煉獄のようなバックストーリーが配されていれば、もう少しキャラを活かしきれたような気がする。
とはいえ、夢を操る特殊能力を持った鬼という設定自体は魅力的である。そこに絡めて炭治郎の凄惨な過去を掘り下げたのも面白い試みに思えた。炭治郎が鬼と戦う意味と覚悟を、改めて観る側に提示したところに作劇の上手さを感じる。
一つ惜しいと思ったのは、炭治郎たちの夢の中に入り込む子供たちの扱いだろうか。何が彼らをそこまで突き動かすのか?その動機に説得力があまり感じられなかった。また、最終的に彼らはどうなってしまったのか?そのフォローを明確に描いて欲しかった。結局、その他大勢のモブに紛れてしまったのはいただけない。
音楽も効果的にハイクオリティな映像を盛り上げていて良かった。
そういう意味では、IMAXのような大きなスクリーンと大音響が鑑賞には最も適しているとも言える。
キャスト陣の熱演もそれぞれに素晴らしかったと思う。
特に、炭治郎を演じた花江夏樹の慟哭には突き動かされるものがあった。
尚、今回の映画は原作の途中までの物語である。ファンとしては続編が待たれる所であるが、ここまでの大ヒットを記録しているのであるから、いずれ正式に続編の製作発表がされるのではないかと思う。
「とうもろこしの島」(2014ジョージア独仏チェコカザフスタンハンガリー)
ジャンル青春ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) ジョージアと、ジョージアからの独立を目指すアブハジアが激しい軍事衝突を繰り返す中、両者の間にあるエングリ川には、春の雪解けとともにコーカサス山脈から運ばれた肥沃な土が中洲を作り上げる。アブハジア人の老人は孫娘を伴い、この中洲に小屋を建てて、とうもろこしの栽培を始めるのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ジョージア軍とアブハジア軍の紛争地帯の真ん中でとうもろこし栽培をする老人と孫娘の姿を淡々と描いたヒューマン・ドラマ。
紛争地帯のノーマンズ・ランドを舞台に、人と自然の繋がり、戦争の耐えない過酷な現実を突きつけた意欲作となっている。
ただ、ある程度、物語の舞台や設定を知った上で観ないと、分かりづらい作品かもしれない。
劇中では戦争している理由について何も語られていない。老人が中州でとうもろこし栽培する理由もよく分からない。この川には毎年春になると肥沃な土が集まるということだが、映画を観ていてもそんな説明は一切出てこない。このことを知らないと、わざわざ危険な場所で…となってしまうだろう。
映画の作りとして、こうした分かりづらさは致命的と言っていい。誰が観ても分かりやすいのが良いとは言わないが、せめて観客が想像できるようなヒントはどこかで入れて欲しいものである。
尚、シチュエーション的に前年に製作された
「みかんの丘」(2013エストニアジョージア)を連想してしまった。ただ、本作は作風がかなり独特で寓話性を帯びた作りになっている。シチュエーションは大いに相関するが、タイプはまったく異なる作品だと言える。
全編通してセリフはほとんどなく、ひたすら老人と孫娘が働く姿が描かれるのみである。まるで新藤兼人監督の
「裸の島」(1960日)を想起させるストイックさで、ドキュメンタリーを観ているような感覚を覚えた。老人と孫娘の暮らしぶりをじっと見守っていたくなるような、そんな愛おしさに溢れている。
後半に入ると、彼らの生活の中に負傷兵がやってきて少しだけドラマが動き出す。退屈で変わり映えのない日常に変化が訪れ、それは少女の心にも変化をもたらす。思春期らしい淡い恋心が芽生えるのだ。
もっとも、その変化も実に些細なものである。先述した「みかんの丘」も負傷兵を巡るドラマだったが、あそこまでテーマに深く食い込んでくるわけではない。
クライマックスには何とも言えない苦々しさを覚えた。自然に抗えない人間の非力さ。その中で争いをやめられない人間の愚かさが実直に語られている。
全体のトーンは寓話的でありながら、テーマは非常に厳粛である。
ただ、観ようによってはそこが一貫していないという向きはあるかもしれない。作りをリアルに寄せるのか寓話に寄せるのか。その方向性が若干定まっていないような気がしたのは残念である。
「みかんの丘」(2013エストニアジョージア)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 紛争が続くジョージアのアブハジア自治共和国。ほとんどのエストニア人がこの地を離れる中、みかん栽培をするイヴォとマルゴスはこの土地に残って収穫に精を出していた。ある日、イヴォが負傷した両軍の兵士を発見する。自宅で彼らを看護するのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 紛争が激化する農村地帯を舞台にした感動のヒューマン・ドラマ。
まずジョージアとアブハジアの紛争についてあらかじめ知った上で鑑賞しないと、今一つこの話は入り込めないかもしれない。自分も詳しく知らなかったので、後日改めてネットで調べてみた。
元々、両国の対立は1989年の暴動から始まっている。1992年にグルジア(ジョージア)からアブハジアが独立宣言をし、グルジア政府と激しい戦いが繰り広げられた。現在、アブハジアの主権はロシアを含め数か国に認められているが、国際的には未だ独立国家としては承認されていないそうである。
この映画は、その紛争時に起きた事件を描いている。
両軍の兵士を匿ったミカン農園のイヴォを主役としたヒューマニズム溢れるドラマは非常にとっつきやすい。したがって、上記のような背景を知らなくとも十分の楽しめる作品になっていると思うが、知っていると知っていないとでは感動の度合いが違ってくるだろう。あらかじめ理解したうえで観ることをオススメする。
本作は何と言っても、主人公イヴォのキャラクターが魅力あふれる人間で惹きつけられた。確かに余りにも人が良すぎるという気がしなくもないが、彼の平和的思想と慈愛に満ちた精神は実に尊いものである。
彼の人柄が、睨み合いを続ける両軍の兵士アハメドとニカの関係融和に一役買ったことは間違いない。イヴォの存在は本ドラマの大きな”柱”となっている。
尚、本作を観て、「ククーシュカ ラップランドの妖精」(2002ロシア)という作品を思い出した。あれも敵対する二人の兵士が、一人の女性の家で共同生活を送るうちに、次第に打ち解けあっていく物語だった。本作とシチュエーションがよく似ている。
あるいは、ボスニア紛争を描いた「ノーマンズ・ランド」(2001仏伊ベルギー英スロヴェニア)も、この系譜に入る作品と言えるだろう。ボスニアとセルビアの中間地帯(ノーマンズランド)の塹壕に取り残された敵対する兵士の葛藤をシニカルなユーモアを交えて描いた傑作だった。
このように本作のプロット自体は、決して斬新というほどではない。
ただ、イヴォというキャラを通してどこまでも実直に反戦を貫いた所には、作り手側の揺るぎない姿勢が感じられ、こちらも真摯に受け止められる。
また、ラストも安易に楽観思考に陥ることなく、戦争の無為を観る者に強く訴えかけてくる、極めて現実主義な締めくくり方になっていて好感が持てた。
みかんを入れる木箱作る仕事をしているイヴォが、最後に作るのが棺桶だったという所に戦争に対する強いアイロニーが感じられる。
有名な俳優やスタッフが関わっているわけではないので、どうしても埋もれてしまいがちな作品だが、普遍的なテーマを描いている良作なので、多くの人に観てもらいたい傑作である。
「おっぱいとお月さま」(1994仏スペイン)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 9歳の少年テテは弟が生まれて大好きな母親のおっぱいを奪われてしまい、いじけていた。ある日、海辺の見世物小屋でショーをするためにやってきた踊り子エストレリータに一目惚れする。しかし、彼女にはバイク乗りの夫がいた。しかも、町の青年ミゲルも彼女に恋してしまい…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) おっぱいに憧れる少年の無垢なる愛をシュールなテイストを交えて綴ったロマンチック・コメディ。
たわいものない思春期少年のひと夏のドラマだが、忘れがたい愛すべき小品である。ただ、エロティックなシーンがあるので、どちらかと言うと大人が観て郷愁に浸るタイプの作品かもしれない。
面白いと思ったのは、所々にフェリーニ映画のオマージュが感じられることである。
例えば、海辺の見世物小屋というシチュエーションは、フェリーニ的祝祭感が感じられるし、放漫な女体への憧憬というのもやはりフェリーニ的アイコンと言って良いだろう。「フェリーニのアマルコルド」(1974伊仏)を連想した。
冒頭のダイナミックなカーニバル・シーンやテテが夢想する幻想シーン等、映像的な見どころも尽きない。
例えば、おっぱいから噴き出すミルクを口で受け止めるシーン、テテの弟が豚に変身するシーン、宇宙服を着て月面着陸するシーン等、ファンタジックでシュールな映像センスが要所で奇妙な可笑しさを醸している。
その一方、下ネタも多々ある。
例えば、エストレリータが足舐めフェチだったり、彼女の夫がおなら芸のプロだったりするあたりには、この監督の性癖と笑いの感性が見て取れる。好き嫌いが分かれるかもしれない。
物語は実にシンプルに構成されている。乳離れできないテテが淡い恋心を通して一皮むけていくという、実にオーソドックスな成長ドラマとなっている。個性的な映像に比べると、驚くほどクラシカルで拍子抜けするほどなのだが、しかしこのシンプルさは決して退屈することなく観ているこちら側に素直に響いてくる。
いつの世も男はおっぱいが好きで、冒険と夢想を好む生き物なのだ。それが実によく分かる映画である。
キャストではエストレリータを演じたマチルダ・メイが美しい裸体を披露し印象に残った。彼女はT・フーパー監督のSFホラー「スペース・バンパイア」(1985米)でも全裸の美人エイリアンを演じていた。本作でも自慢のバストを披露している。
「草原の実験」(2014ロシア)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 広大な草原の真っただ中に1件の小屋が立っている。そこには父と娘が二人で住んでいた。父は毎朝、働きに出かけ、娘は夕方まで父の帰りを待っていた。慎ましやかな暮らしであったが確かな幸せがあった。そんな少女に、この土地に住む少年や、ふらっとやって来た異国の青年が惹かれていく。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 広大な草原を舞台に一人の少女の暮らしぶりを淡々と紡いだ青春ロマンス作品。
何と言ってもユニークなのは、本作にはまったくセリフも音楽もないということである。
だからと言って消して退屈するわけではなく、少女を巡る三角関係のロマンス、父親の仕事を巡るサスペンス、更にはユーモラスな演出も時折挿入され、最後まで飽きなく観ることができた。
父親の仕事が最後まで謎に包まれたままであるが、これもセリフを排した演出が奏功しているように思った。
実は、父親の仕事がラストの伏線になっていたということが、映画を観終わった後でようやく分かる。この仕掛けも良い。
それにしても、このラストはいい意味で予想を裏切られた。終始、ほのぼのとしたテイストで進行していたので、まさかこうなるとは思ってもみなく、正直度肝を抜かされてしまった。とても衝撃的な結末である。
監督、脚本はアレクサンドル・コット。初見の監督だが、一切のセリフを排して映像だけで語ろうとした大胆な試みは見事に成功していると思った。大草原を切り取った各所の映像美。少年少女たちの心の機微を端正に捉えており、かなりの実力が感じられる。
キャストでは、少女を演じたエレーナ・アンの愛らしい容姿が魅力的だった。無垢で純真な眼差しが印象に残る。その一方で、二人の少年を往来しながら時折見せる小悪魔的な表情も絶品である。
本作で唯一違和感を持ったのは、後半のスピリチュアルな演出であろうか…。少女を巡って二人の少年が決闘をするのだが、闘い終わった後の映像が幻想世界に傾倒しすぎていて困惑させられた。
「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 看護師の美香は、鬱屈した感情を抱えながら毎日を過ごしていた。建設現場で日雇いとして働く慎二は、気の良い同僚に囲まれながら漫然と生きていた。ある晩、二人は渋谷の雑踏で出会う。その後も、二人は偶然の再会を重ねながら次第に惹かれあっていくようになる。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 都会の片隅に生きる若い男女の恋愛をユーモアを交えて描いた青春ロマンス作品。
同名原作の詩集を
「舟を編む」(2013日)の石井裕也が監督・脚本した作品である。
「川の底からこんにちは」(2009日)、
「ばけもの模様」(2007日)、
「ガール・スパークス」(2007日)、
「反逆次郎の恋」(2006日)、
「剥き出しにっぽん」(2005日)とインディーズ時代から青春ロマンスを撮ってきた氏だけに、今回も安定した力量が感じられる。原作は未読であるが、詩集をこうしたドラマに作り上げた所に、並々ならぬ才能を感じた。
しかも、今作は彼が今まで撮ってきた作品から様々な良い所を寄せ集めて作られたような集大成的な映画になっている。
例えば、ヒロイン美香の終始イラついた仏頂面は、これまでの作品に登場したヒロインに共通する特徴である。また、過去のトラウマから抜け出せず恋愛に臆病になっている所も、過去のヒロイン像に重ねてみることができる。
一方の慎二も童貞っぽさを匂わした幼児的なキャラクターで、やはり石井作品ではお馴染みの男性主人公と言って良いだろう。そして、どこまでも不器用で優しく純情である点も微笑ましい。口数が多くて意味もないことをベラベラとしゃべるという設定が面白かった。
セリフにも石井裕也らしいものが見つかる。
美香が発する「愛って言葉は血の匂いがする」というセリフが印象に残った。もしかしたら原作にある言葉なのかもしれないが、これも過去作を観ていれば納得してしまうセリフである。石井作品の中では「愛」は時に残酷で人生を破滅に導くことがある。特に「反逆次郎の恋」などはそれがダイレクトに表出した傑作だと思うが、改めて石井裕也の恋愛観がよく分かるセリフである。
物語は終始軽快で最後まで飽きずに見ることができた。慎二と同僚たちのやり取りも面白く、各サブキャラの個性も上手く引き出されていた。
ただ、今回の主人公とヒロインは、自ら「変」と言うだけあってかなりクセが強い。人生に対してどこか冷めた見方をしていて極めてモラトリアム的である。現代の若者たちを象徴していると言われれば確かにそうなのかもしれないが、彼らに共感を覚えるかどうかは難しい所だろう。
そのため、渋谷の街で再会を繰り返すことで距離を縮めていくという、ロマコメ的王道の展開も、屈折した主人公たちのせいで余り楽観的に楽しむことはできない。
また、慎二の同僚の外国人労働者、隣人の独居老人等、所々に社会派的なサブテーマを織り込んでいるのも全体の鑑賞感に骨太さをもたらしている。
一方、ストーリーで少し雑と感じたのは、美香と慎二の過去のしがらみが、後半に入って突如浮上してくる点である。それぞれ過去の交際相手、学生時代の同級生が登場してくるが、前もってプレマイズされていないため唐突に映ってしまった。
石井監督の演出は初期時代のブラックさやシュールさは”なり”を潜め、随分と観やすくまとめられている。これは「舟を編む」あたりから感じているのだが、本人の中でもいわゆる商業映画的な観やすさを意識しているのかもしれない。
とはいえ、スマホ歩きをする人々の図などはやはりシュールであるし、途中で出てくるアニメーションにはブラックなユーモアが感じられる。また、再三、慎二たちの前に現れるストリートミュージシャンも、現実と非現実の中間に存在するような不思議なキャラで際立っている。このように石井裕也独特の感性は至る所で確認できる。
尚、このミュージシャンは、終盤の”ある展開”の伏線になっており、これにはなるほどと思った。
「霧の旗」(1965日)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 柳田桐子は、熊本の老婆殺しで逮捕された兄の正夫を救うため、高名な大塚弁護士の事務所を訪ねた。しかし、大塚に冷たく断られてしまう。そのまま正夫は無罪を訴えながら死刑になってしまった。その後、事件のことが気になった大塚は、裁判に関する書類を調べてみた。すると犯行の状況から犯人は左利きなのではないかと思い改まり…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 冤罪で死刑になった兄の復讐に燃える女の執念を冷徹に描いたサスペンス作品。
松本清張原作を山田洋次が監督、橋本忍が脚色した映画である。
「寅さん」シリーズなどで有名な山田洋次のサスペンスということで、珍しさもあって観たが、意外にも最後まで緊張感が持続し面白く観ることができた。こういう作品を撮ることもできるんだ、ということが分かり驚きである。
特に、中盤の桐子の尾行のシークエンスは映像だけで引っ張る”映画的”ケレンミに満ちており目が離せなかった。
また前半、桐子が車の喧騒の中を歩くシーンにおける音の演出は少しアヴァンギャルドさも匂わせ新鮮だった。周囲の車の走行音を一切排して、桐子が歩く靴音だけを浮き上がらせる演出に彼女の精神状態が想像できる。
一方、物語も中々面白く追いかけていくことができた。
桐子の復讐の「意味」を考えると、何ともやりきれない思いにさせられる。そもそも桐子の依頼を冷たく拒んだ大塚は決して悪人というわけではない。彼は高名な弁護士で、他にも多数の案件を抱えておりそれを引き受けることができなかった。桐子は大塚を恨むが、はっきり言うとこれは逆恨み以外の何物でもない。少し大塚のことが気の毒に思えてしまった。
逆に、兄が冤罪で死刑になってしまった桐子の悔しい気持ちもよく分かる。もし大塚が弁護をしてくれていたら、あるいは兄は無罪になっていたかもしれない。タラレバの話に過ぎないが、その可能性は高かっただろう。
しかし、だからと言って大塚を恨むのは少しお門違いのような気がする。それに、この復讐劇には第三者の女性を巻き込んでおり、ますます桐子の行動が自己満足的に映ってしまい、途中からサイコパスのように見えてしまった。
如何に人間はエゴイスティックな生き物かがよく分かる物語である。何ともやるせない気持ちにさせられた。
一部で、観ててやや強引な個所があったの残念である。
一つは、犯人が左利きだったのではないかということが後になって分かるのだが、普通であれば取り調べの段階でそのくらいのことはすぐに分かるのではないか、ということである。素人から見てもこれは完全に捜査上の落ち度に思えた。
二つ目は、終盤で桐子がハニートラップよろしく大塚を酒に酔わせて罠にはめるシーンである。いくら彼女が魅力的とはいえ自分に恨みを持っている女である。普通は警戒するだろう…と思ってしまうのだが。
キャストでは何と言っても桐子を演じた倍賞千恵子の冷徹さと無邪気さを両立させた演技が絶品だった。どうしても「寅さん」シリーズのさくらのイメージが強いが、彼女はこうしたシリアスな演技もできる女優である。思い出されるのが、
「みな殺しの霊歌」(1968日)という作品である。あの時の演技も今回に通じるような非情さがあった。