「スイス・アーミー・マン」(2016スウェーデン米)
ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 無人島で遭難した青年ハンクは孤独に耐えかねて死のうとした。そこに男の死体が流れ着いてくる。その死体からはガスが吹き出しており、またがってみるとまるでジェットスキーのように勢いよく海面を滑り出した。その後も死体は様々な働きでハンクのサバイバルを救っていく。2人の間に奇妙な友情が芽生えていくようになる。
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(レビュー) 孤独な青年と死体が無人島でサバイバルを繰り広げていく奇想天外なヒューマン・コメディ。
キワモノ的な匂いをプンプンさせるタイトルだが、意外にもしっかりとしたドラマが語られている。確かにシュールでブラックな一面はあるが、ラストにはしみじみとさせられた。また、終盤のどんでん返しも面白く観ることができた。ちょっとクセの強い作品なので万人受けはしないだろうが、個人的には中々の傑作のように思う。
何と言っても、ハンクとメニーの奇妙な友情関係が面白い。
ハンクは内向的な性格でコミュニケーション下手で、どこか純真さも漂わるナイーブな青年である。そんな彼に唯一の友達ができる。それがある時突然目の前に現れた男の死体メニーである。
このメニーはただの死体ではない。例えば、おならでジェットスキーになったり、口から飲み水を際限なく出したり、股間のアレがコンパス代わりになったり等々、ハンクのサバイバルを助ける万能機能を備えた死体なのである。その活躍ぶりはさしずめスイス製アーミーナイフといったところか。おそらくタイトルの「スイス・アーミー・マン」はそこから来ているのだろう。
普通に考えればこんなことあるはずがないと分かるのだが、映画の登場人物はハンクとメニーの二人だけで、必然的に視座がハンクに固定されている。そのため全てが、さも<現実>のように描写されている。観ている方としては、その<現実>がいつ<妄想>に転換するのか?その一点で興味深く観れる。この徹底した視座の固定が物語に1本の芯を与えている。
しかして、オチはなるほどと思えるものだった。
普通であればハンクは<妄想>を捨て<現実>に目を向けてハッピーエンドとなるところを、本作は敢えてそうしていない。これには一抹の哀愁を感じてしまった。
監督、脚本はダニエル・シャイナートとダニエル・クワンという二人組のコンビである。ミュージック・クリップを撮ってきた人たちらしく、本作が長編映画初監督らしい。元々がそうい仕事をしてきたということもあり、時折見せる映像演出には目を見張るものがあった。
特に、ハンクが憧れの女性サラとの恋慕を再現するシーンは白眉である。幻想的で非常に美しく撮られている。また、ハンクをメニーに演じさせ、ハンク自身は女装してサラの役を演じるという捻じれた倒錯的疑似恋愛が、独特のブロマンス風味を加味し、何ともシュールなシーンとなっている。
また、死体を玩具のように扱うという設定からしてそうなのだが、かなり毒を利かせたブラック・ユーモアも垣間見れる。好き嫌いは別れるかもしれないが、このグロテスクなセンスも中々面白かった。
キャストでは、ハンクを演じたポール・ダノ、メニーを演じたダニエル・ラドクリフ、夫々に好演している。ラドクリフは死体役なのでほとんど横たわっているだけなのだが、それでも「ハリー・ポッター」シリーズのイメージを壊すには十分のインパクトがある。
「俺たちフィギュアスケーター」(2007米)
ジャンルコメディ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) アメリカ男子フィギュア・スケート界の2大スター、チャズ・マイケル・マイケルズとジミー・マッケルロイ。二人は犬猿の仲で互いにライバル視していた。ある日、同点一位となった世界選手権の表彰台で大乱闘を繰り広げ、二人は金メダルを剥奪され永久追放となってしまう。それから3年半後、かつての栄光は過去のものとなり、惨めな日々を送るチャズとジミー。そんな2人に再びスポットライトを浴びるチャンスが訪れる。
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(レビュー) かつてライバルだったフィギュアスケーターがペアを組んで再び脚光を浴びていく痛快コメディ。
フィギュアスケートでコメディを撮るというのは、今までありそうでなかったアイディアではないだろうか。しかも、ただのコメディではない。落ちぶれたかつてのライバルが力を合わせて再び栄光を掴んでいくというドラマはアツい感動をもたらす。全体にわたってそつなく構成された好編になっている。
ただ、中盤でジミーの恋心が描かれるが、そこがドラマを停滞させてしまうのがいただけなかった。その間、メインであるチャズとジミーの関係は舞台袖に追いやられて、ドラマの求心力が弱くなってしまう。もっとアッサリと料理しても良かったのではないだろうか。
また、ラストはかなりぶっ飛んでいて、ここまでやってしまうとさすがに悪ノリしすぎ…という気がしなくもない。もう少し抑え目にしてくれたほうが気持ちよく観終われたように思う。
本作の見所は何と言ってもスケートシーン。これに尽きると思う。
チャズを演じるのはウィル・フェレル。もはや「俺たち」シリーズに欠かせぬ俳優であるが、あのでっぷりとした体形で軽快なスケーティングを披露するのだから笑えてしまう。
対するジミーを演じるのは
「ナポレオン・ダイナマイト(旧邦題:バス男)」(2004米)での演技が印象的だったジョン・ヘダーである。こちらも独特の風貌とナヨナヨした体形で華麗なスケーティングを披露している。
見た目も性格もまるで正反対な二人がペアを組んで滑る姿は正に”凸凹コンビ”という形容がピタリと当てはまる。バディ・ム―ビーとしてはこれ以上ない組み合わせではないだろうか。
また、二人の間で編み出される新技”アイアンロータス”なる演技には度肝を抜かされた。かつて凄惨な事故を起こしてコーチが封印したと言われる曰く付きの危険な技である。これは自主規制も止む無し(笑)。
ブラックな笑いと言えば、世界大会のマスコットキャラの扱いもヒドイものだった。おそらく商業主義に傾倒する昨今のアマチュアスポーツ界に対するアンチテーゼがしのばされているのだろう。そんな反体制な姿勢に製作サイドの気骨さも伺える。
「俺たちニュースキャスター」(2004米)
ジャンルコメディ
(あらすじ) 1970年代のサンフランシスコ。ロン・バーガンディは、視聴率ナンバー1を誇るニュース番組の看板ニュースキャスターである。ある日、キャスター志望の野心溢れる女性ヴェロニカが入社してくる。激しい対立を繰り返いしていく中、ロンはある発言がきっかけで降板させられてしまう。
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(レビュー) 名物ニュースキャスターが巻き起こす騒動をブラックな笑いで描いた痛快コメディ。
1970年代と言えば、まだ女性の社会進出がそこまで活発ではなかった時代である。当然、女性のニュースキャスターも珍しかった。女は家庭を守るものといった風潮が根強く残っていて、職場における女性の地位は男性よりも低く見られていた。
本作を観てロバート・レッドフォード、ミシェル・ファイファー共演の「アンカーウーマン」(1996米)という映画を思い出した。こちらも女性キャスターが成功を収めていくドラマであるが、ヒロインは1970年代に実在した人気女性キャスターをモデルにしたそうである。もしかしたら本作のヴェロニカもこの女性キャスターがモデルだったりするのかもしれない。
それにしても、一つ疑問に思うのは、何故この時代の物語を2004年に製作したのか、ということである。製作された当時はすでに女性の社会進出は当たり前のようになっていたし、決して時代にリンクするような物語でもない。本作の製作意図がよく分からなかった。
それはさておき、作品自体はコメディとして十分に楽しむことができた。
製作にジャド・アバトーの名前があることから分かる通り、いわゆるアバドー一家が集って製作された作品で、スタッフもキャストもお馴染みの面々が揃っている。夫々に勝手知ったる仲であり、息の合ったコンビネーションが作品の軽妙なノリから伺うことができる。下ネタやブラックな笑い等、少し癖のある笑いもアバトー作品らしい。
個性的なキャラも物語を面白く見せている。ロンは同局のキャスターと徒党を組んでいつも一緒に行動している。彼らのやり取りが軽妙でいちいち楽しい。
ただ、前半はドラマに動きが少なく少々退屈してしまった。見ようによっては内輪でワイワイ楽しんでるだけ…と捉えられなくもない。
個人的に最も笑ったのは、ロンたちと他局のキャスターたちが決闘するシーンだった。バイオレンス描写が必要以上にブラックで笑ってしまった。
また、落ちぶれたロンのやさぐれ加減も哀愁に満ちていて微笑ましく見れた。
クライマックスは少々こじんまりとしているが、ドラマを収集するという意味では必要にして十分の盛り上がりだったように思う。ラストも清々しくまとめられていて後味は爽やかである。
キャストでは、何と言ってもロンを演じたウィル・フェレルのツボを押さえた妙演が素晴らしかった。他に、ポル・ラッド、スティーヴ・カレルといったアバトー一家が脇を固めていて、こちらも堅実である。
ゲストキャストもかなり豪華である。セス・ローゲン、ダニー・トレホ、ティム・ロビンス、ベン・スティラー、ジャック・ブラック等、チョイ役であるがそれぞれに見せ場を作っている。
「Mr.タスク」(2014米カナダ)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 人気ポッドキャストを運営するウォレスは、取材のためにカナダを訪れるが空振りに終わってしまう。落胆していたところに面白そうなネタが見つかり、さっそく彼は元船乗りだという老人のもとへ取材に出向いた。しかし、ハワード・ハウと名乗るその老人には秘密があり…。
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(レビュー) インターネット界のカリスマが体験する恐怖をブラックな笑いで描いたサスペンス・スリラー。
何とも冗談みたいな内容で、果たしてこれは怖がるべきなのか、それとも笑うべきなのか迷う所である。観る人によっては、実におぞましいホラー映画にもなりうるし、逆にナンセンス・ギャグのように感じる人もいるだろう。ある意味で問題作かもしれない。
まず何と言っても、人間をセイウチに改造するという内容からしてぶっ飛んでいる。ある種見世物小屋的な奇怪極まる人体実験は、最近話題になった
「ムカデ人間」(2009オランダ英)を連想させる。「ムカデ人間」も相当奇抜な映画だったが、あれに通じるキワモノさを本作からも感じ取れた。
ただ、「ムカデ人間」は徹頭徹尾、見世物に終始したある種モンド映画的な作りだったが、本作はそこまで露悪趣味ではない。享楽的な今どきの若者が痛いしっぺ返しを食らうといった教訓も読み取れる。なんだかんだ言ってドラマ的にはよくまとまっていると思った。
監督・脚本はアメリカのインディペンデント映画界で活動し続ける異才ケヴィン・スミス。その独特の世界観は好き嫌いがはっきりと分かれるところであろう。
基本的にはナンセンスでブラックなコメディを得意とする作家であるが、中には「レッド・ステイト」(2011米)のようなシリアスな映画も撮ることがある。個人的には、この作家のセンスは割と好きな方である。
本作はどちらかというとオチも含め、その「レッド・ステイト」に近いシリアスさを併せ持ったコメディとなっている。傍から見れば冗談みたいな喜劇だが、ウォレスの身になって考えてみると実に残酷極まりない悲劇である。
人の不幸をネタにして人気者になったウォレスの不幸を可哀そうと見るか、ざまあみろと見るか。それは観る人それぞれの感じ方次第であろう。笑いと悲しみのこの微妙なラインこそ、ケヴィン・スミスの真骨頂という気がした。
一番笑ったのは、映画序盤のウォレスとハワードのやり取りだった。ハワードの真偽不明な自慢話や、明らかに何かを隠している彼の胡散臭さなどが、単なる会話劇以上のスリリングさを生み出していて面白く観れた。
また、車椅子のハワードが、終盤で”真実の姿”を見せたのにも爆笑してしまった。
尚、本作にはノンクレジットで、ある大物俳優が登場してくる。メイクをしているために全然分からなかったが、まさかこんなゲテモノ映画に出演していたとは…。本作には彼の実娘も出演しているので、めでたく父娘競演と相成った。
「宇宙大征服」(1968米)
ジャンルSF・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 米ソは有人月旅行プロジェクトで激しい競争を繰り広げていた。ソ連の科学者の有人ロケット打ち上げ成功のニュースが報道されると、米政府も早期に計画の発動をNASAに要請した。但し、乗員は軍人以外の人選ということだった。軍は当初の予定だった軍人のチズではなく民間人のリーをプロジェクトの乗員に抜擢する。
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(レビュー) 有人月旅行計画にまつわる関係者の友情と衝突を描いたSF映画。
製作された当時は米ソ冷戦真っただ中で、夫々にロケットの打ち上げが盛んにおこなわれていた時期である。本作の原作はその頃に書かれたSF小説で(未読)、実にタイムリーなネタだったのではないだろうか。それをTVシリーズ「コンバット」で活きの良い演出を見せていたR・アルトマンが監督している。本作は彼の長編映画デビュー作である。
アルトマンと言えば、「M★A★S★H」(1970米)や「ザ・プレイヤー」(1992米)等、反体制的でシニカルな作風のイメージが強いが、そんな彼がまさかSF映画を撮っていたとは意外である。しかし、実際に観てみると氏らしい特徴は確かに色々と垣間見れる。
まず、リーは米政府の要請でロケットの乗員となるが、それによって妻との関係は壊れ、親友であり本来搭乗する予定だったチズとの友情も壊れてしまう。SF映画というジャンル映画でありながら、そこで繰り広げられる人間ドラマは実にビターで重々しい。
そして、リーの運命を考えると、彼は米ソ競争のプロパガンダに利用された被害者…という捉え方もできる。これは「M★A★S★H」における若き出征兵と重ねて見ることもできる。体制に利用され、体制に抗う主人公の姿は、いかにもアルトマンらしいキャラクターだ。
もっとも、アルトマン自身は本作に対してあまりいい思い出はないらしく、自分の作品ではないとまで言い切っている。編集権はプロデューサーに奪われ、ラストシーンも本来、彼が考えていた物から差し替えられてしまったそうである。
確かにラストは不自然に思えた。普通であればその手前で終わったほうが、ドラマとしての歯切れは良いし、テーマも明確に打ち出されたように思う。しかし、プロデューサーはそれを良しとしなかったのだろう。最終的に米ソ宇宙戦争のプロパガンダ映画という側面を強く打ち出した終わり方となっている。
尚、アポロ11号が月面着陸に成功したのは1969年のことであるから、本作が製作された翌年ということになる。ここで描かれていることはフィクションであるが、未来を予見していたという見方もできる。
映像的な見所は、NASAが全面協力したロケットの打ち上げシーンになろうか。かなりのリアリティが感じられた。
ただ、NASAから提供された記録映像以外の部分。つまり特撮シーン全般については流石に古さを感じてしまう。
例えば、懐中電灯がロケット内で浮くシーンは明らかに釣っているのが丸わかりで、同時代に製作された「2001年宇宙の旅」(1968米英)でペンが浮くシーンと比べると雲泥の差がある。「2001年宇宙の旅」と比べるのは酷というものだが、それだけ「2001年~」は当時としては画期的な映像だったということである。
「ミミック」(1997米)
ジャンルホラー・ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) 未知の伝染病がNYで発生する中、昆虫学者スーザンは感染源であるゴキブリを全滅させるべくアリとカマキリの遺伝子を合成した新種の昆虫《ユダの血統》を生み出す。事態は収拾されたが、それから3年後、NYでは奇怪な猟奇殺人が続発する。その頃、スーザンは《ユダの血統》の特徴を受け継いだ突然変異の昆虫を発見する。
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(レビュー) 遺伝子操作によって生み出されたモンスターの恐怖をダークな映像で描いたアクション・ホラー。
原案・監督・脚本はギレルモ・デル・トロ。脚本家としてノンクレジットでS・ソダーバーグが参加しているらしい。いったいどういう経緯で彼が参加したのか分からないが、クセのある作家同士の面白い組み合わせだと思った。
ただ、作品自体はどこからどう切ってもギレルモ印である。ソダーバーグのカラーは余り感じられない。
まず、本作は地下鉄や夜の街のシーンが多く、このダークな色調にギレルモ監督らしいテイストを感じた。
また、猟奇殺人事件のカギを握る靴磨きの老人と孫が登場してくるが、これも前作
「クロノス」(1992メキシコ)における老人と少女の関係を想起させる。ギレルモ作品に登場する子供は常に一つの特徴がある。それは親がいないという孤児性である。
「デビルズ・バックボーン」(2001スペイン)もそうだった。子供の孤独感がドラマを紡ぐひとつのきっかけになっている。
物語は緊張感が途切れることなく流麗に展開されていて面白く追いかけることができた。
前半は、連続猟奇殺人事件とスーザンの独自の調査がサスペンスタッチで展開されている。事件の犯人がユダの血統の変種と睨んだ彼女は、自らが招いた混乱の責任感から、その怪物を追跡していく。
後半からは地下鉄を舞台にしたアクションに転じていく。スーザンの夫や地下鉄警察の職員といった個性的なサブキャラを巻き込んで賑々しく(?)展開されている。
ただ、これはやや持て余し気味な感じを受けてしまった。もう少しスリムな展開の方がスーザンの葛藤の掘り下げることができたのではないだろうか。
また、後半の地下鉄のシーンでは、明らかに「エイリアン2」(1986米)を意識しているような映像が出てくる。ユダの血統の巣の映像はマザーエイリアンの巣に酷似ていた。更に、スーザンが靴磨きの少年を救出するという展開自体が「エイリアン2」のそれと一緒で、さすがにこれには苦笑してしまった。
尚、ユダの血統というネーミングや物語の重要なシチュエーションを教会に設定しているあたりから、ある種教示的なメッセージも見て取れる。ギレルモ監督は往々にしてこうした教示性を作中に仕込むことがあるが、本作にもそれを確認することができた。そういう意味でも、本作はどこからどう切ってもギレルモ印な作品である。
「ディスタービア」(2007米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 父親を交通事故で亡くした高校生のケールは、自暴自棄になり学校で教師を殴ってしまう。裁判所から3ヶ月間の自宅軟禁処分を言い渡され、半径30メートルを越えて行動すると警察に通報される監視システムを足首に取り付けられた。暇を持て余したケールは近所の覗き見を始めた。そんなある日、彼は血まみれのゴミ袋を引きずる人影を目撃する。
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(レビュー) A・ヒッチコックの「裏窓」(1954米)を想起させる設定だが、結論から言うと、あそこまでの卓越したユーモアと演出的魅力は感じられなかった。
「裏窓」は何と言っても物語の舞台装置が秀逸だった。アパートという限定された箱庭的世界は映像的にとても魅力的だった。定点観測カメラによる覗き見の禁忌と興奮を明快なショットとして表現しえたのは、やはりヒッチコックの才能だろう。
それにひきかえ、本作にはそこまでのアイディアと映像的な魅力は感じられない。設定は似ているが、それを超えるような演出的な魅力には欠ける作品である。
ただ、さすがに現代の映画だけあって、スリリングさという点では「裏窓」よりも本作の方が迫力が感じられた。殺人事件の目撃、その1点に集中させた作劇のおかげかもしれない。
物語前半はケールとガールフレンド、アシュリーの出会いと恋心を中心とした、言わばボーイ・ミーツ・ガール物となっている。父親の死という冒頭の重荷はどこに行ってしまったのだろう?と気にはなったが、シリアス度を敢えて抑えて、気楽に観れるティーンズムービー的なノリに仕上げられている。そして、二人の間には覗き見する、覗かれるという関係が築かれており、それがいつどこで恋心に発展するか?そこに注目しながら観た。
中盤からいよいよ殺人事件の捜査が始まる。これが存外シンプルでどんでん返しもないまま終わってしまったのが物足りなかった。ただ、スピーディーな演出のおかげでスリリングさは十分感じられる出来となっている。
また、半径30メートルに行動規制されていたケールが、そのラインを越えていく姿には、主人公ならではのヒロイックさも感じられた。このあたりは設定の勝利だろう。
欲を言えば、ケールの親友ロニーの使い方にもう少し面白みがあると良かったか…。ケールを助けるのかピンチを拡大させるのか。物語上の役割があまりハッキリとしない。
キャストでは、ケール役を演じたS・ラプールが適役だった。また、犯人役を演じたD・モースの抑制を利かせた不気味な演技も絶品だった。
「アス」(2019米)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) 幼い頃に遊園地のミラーハウスで自分とそっくりな少女に遭遇したアデレードは、その時のトラウマを抱えながら、今は夫と2人の子どもたちと幸せな家庭を築いていた。夏休みに家族と共に避暑地を訪れたアデレードは、そこで恐るべきものを目撃する。それは自分たちとそっくりな4人家族の姿だった。彼らは突如アデレードたちに襲いかかってくる。
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(レビュー) 自分たちとまったく同じ容姿をした家族に襲われる不条理サスペンス。
クライマックスですべてのネタが明かされるが、なんだか今一つ釈然としなかった。色々と考えてしまうと突っ込みを入れたくなる作品で、余り深く考えないで観たほうがいいのかもしれない。あくまでこれは寓話として捉えるべき…そんな風に思った。
監督、脚本は
「ゲット・アウト」(2017米)でセンセーショナルな長編デビューを飾ったジョーダン・ピール。
どこかシュールなユーモアが感じられのは、この監督の作品の特徴である。しっかりとした怖さもありながら、時にコメディのような笑いも漂わせ、不思議なテイストの作品になっている。
不穏なラストも後を引く感じで良い。
今回の物語のベースには、おそらくドッペルゲンガー現象があるように思う。そういう意味では、前作「ゲット・アウト」よりもホラー色が強い作品となっている。
ただ、本作は単なるジャンル映画として一括りにできない奥深さも持っていて、そこには「ゲット・アウト」同様、J・ピールの作家としての懐の深さを感じた。
神域を恐れぬ科学技術の進歩に対する警鐘。更には、現代の格差社会に対する痛烈な皮肉が、物語の重要なキーワードとして作中に配置されている。メッセージ性を含んだ社会派エンタメ作品として、実に巧妙にできていると思った。
キャストでは、アデレードを演じたルピタ・ニョンゴの熱演が印象的だった。元オスカー女優だけあって演技の実力自体は折り紙付きである。しかも、今回は愛する家族を守って戦う強い母親像をも体現しており、アクションシーンにも果敢にチャレンジしている。正に八面六臂の活躍を見せている。
「ゲット・アウト」(2017米)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 黒人青年のカメラマン、クリスは、白人の恋人ローズの実家に招待される。家族全員がクリスを温かく迎え入れ和やかなひと時を過ごすが、黒人のメイドと庭師の姿に妙な胸騒ぎを覚えた。翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティが開かれるのだが…。
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(レビュー) 白人一家に招待された黒人青年が体験する恐怖をミステリアスに綴ったサスペンス作品。
一見すると人種差別をモティーフにした映画に思えるが、そこに一捻り加えた所が今作のミソである。ネタバレしてしまうと面白くないので書かないが、そうきたか!と唸らされた。単純に人種差別の怖さを描いて終わりというわけではなく、そこから更に差別する側である白人の心理にまで深く言及されており見ごたえを感じた。
監督、脚本は新鋭J・ピール。彼は元々テレビのコメディ番組から出てきた才人である。
よく喜劇と悲劇は表裏一体と言われるが、人種差別の悲劇をある種ブラックコメディのように落とし込んだところに彼のコメディアンとしての才気が感じられた。本作は実に意地の悪いコメディでもある。
物語は序盤から不穏な空気で始まる。冒頭でクリスは車で鹿をひき殺して警官に尋問される。この警官のクリスに対する態度は明らかに差別的で、これから始まる彼の運命を暗示しているかのように思えた。
その後、ローズの家族に温かく迎え入れられたクリスは、キッチンに立つ黒人メイドと庭で働く黒人男性を目撃して何となく不安な胸騒ぎを覚える。
更には、ローズの母親から奇妙な催眠術をかけられ、彼は恐ろしい悪夢を体験することになる。
ここまでのサスペンスの積み重ね方は実に絶妙で、観ている方としては、不安に駆られていくクリスにシンクロしながら彼の運命を見守ることとなる。
そして訪れるクライマックス。これも見事だった。怒涛のように伏線が回収され圧倒されるばかりである。
全体的に物語が巧妙に組み立てられており、J・ピールのストーリーテリングの上手さには脱帽するほかない。長編映画初挑戦でここまで作れてしまうのは大したものである。
ただ、確かに面白い映画であることに間違いないが、幾つか観てて無理がありすぎる…と感じる部分も無くはない。正直、突っ込みをいれたくなる個所はいくつかあった。
例えば、カメラのフラッシュが”ある仕掛け”を作るのに役立つのだが、少し強引かなという感じがしなくもない。
また、クライマックスでローズ家の秘密の”行為”が露呈するわけだが、少し科学的根拠に乏しいような気がした。ここはすべてのミステリーの肝要を成す部分だけに、もう少し詳しい説明(観客が理解できるかどうかともかく)をして欲しかったように思う。説得力という点で疑問を覚えた。
キャストではクリスを演じたダニエル・カルーヤが印象に残った。焦燥感溢れる演技が真に迫っていた。
また、黒人メイドを演じた女優の顔芸も印象に残った。クリスに何かを訴えるようにして流した彼女の涙の意味を考えると、そこに差別を受けてきた黒人たちの”悲しみ”を見ずにいられない。
尚、本作を観てS・ポワチエが主演した傑作「招かれざる客」(1967米)という作品を思い出した。主人公の黒人青年が白人の恋人の家に招待されるというドラマで、シチュエーション的には今作とまったく一緒である。両作品を並べてみると面白いと思う。
「ドント・ブリーズ」(2016米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ロッキーと恋人のマニー、友人のアレックスは方々で空き巣を繰り返していた。ロッキーは、自堕落な親を見限り幼い妹を連れて家を出て行こうと考えていた。そのためにはまとまった金が必要だった。ある日、マニーから強盗話を持ちかけられる。ターゲットは孤独な盲目の老人で、娘を事故で失った賠償金を自宅の地下室に隠しているらしい。3人は彼の家に強盗に入るのだが…。
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(レビュー) 3人の強盗犯と盲目の退役軍人の戦いをスリリングに描いたハードなサスペンス作品。
これも実に設定がユニークな作品である。盲目の無力な老人が、実はとんでもなく強い元軍人だった…という意外な設定が面白い。老人は目が見えないが、その代わりに気配で何でも分かってしまうのだ。こうして3人の若者たちは逆に窮地に追い込まれてしまう。立場がまったく逆転しまうのだ。
ここまで来るともはや老人の方が悪人に見えてしまいブラックユーモアを感じてしまう。対する若者たちが気の毒に見えるくらいだった。
本作が巧妙なのはここである。若者たち、とくにロッキーの不幸な家庭環境、幼い妹想いな一面というバックストーリーを序盤でプレマイズすることで、観ている我々は本来悪役であるはずの彼らに幾ばくかの同情心が自然と湧いてしまうのである。悪人と善人の立場を見事に転覆させたプロットが秀逸である。
監督はフェル・アルデバス。あのサム・ライミ監督の傑作「死霊のはらわた」(1981米)の
リメイクで監督デビューした新進気鋭である。オリジナル版とは微妙に異なる展開を見せたリメイク版だったが、サム・ライミ自身が製作していたということもあり、アナログ志向なマッチョなホラー映画で中々面白かった。
今回も、そのサム・ライミが製作を買って出ている。
アルデバス監督の演出は今回も非常にエッジが効いており、時折見せるブラック・ユーモアもサム・ライミ譲りという感じで中々のセンスを感じさせる。
特に、終盤の畳みかけるような演出には参りましたというほかない。ロッキーたちの暗闇に対する恐怖を暗視カメラ的映像で盛り上げた演出は、もはやホラーのような怖さがある。また、ほとんどセリフがないまま映像だけでサスペンスを盛り上げたところも見事であった。
カメラワークにもユニークなものが見つかる。D・フィンチャー監督の
「パニック・ルーム」(2002米)を彷彿とさせるような流麗なカメラワークが見事だった。
ちなみに、O・ヘプバーン主演の「暗くなるまで待って」(1967米)という映画があった。あれは、盲人であるヒロインが強盗犯から狙われる恐怖を描いたサスペンス映画だった。ヘプバーンの熱演、卓越した演出で中々の傑作だったように思う。本作はそれを逆手に取ったような作品だと言える。