「午後8時の訪問者」(2016ベルギー仏)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) ジェニーは小さな診療所に勤めている有能な若き女医。ある晩、診療所の呼び鈴が鳴るが、診察時間外ということでドアを開けなかった。翌日、警察が来て、近くで身元不明の少女の遺体が見つかったことを知らされる。その少女は昨晩の彼女だった。罪悪感からジェニーは少女の写真を手に身元を突き止めようと聞き込みを始める。
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(レビュー) 身元不明の少女の死の真相を追いかける女医をドキュメンタリックに描いた社会派サスペンス作品。
監督、脚本はベルギーの名匠ダルデンヌ兄弟。持ち前のドキュメンタリズムな作風と、社会問題を照射した意欲的なテーマは今回も健在である。目をそらすことを許さない緊迫感に溢れた演出も素晴らしく、終始興味深く観れた。
実際、ジェニーの必死の捜索から見えてくる移民問題の大きさは相当根深いものだということはよく分かる。
例えば、ジェニーが訪ねた人々の反応は皆同じだ。移民少女の死という面倒な問題には関わりたくないという「空気」が社会全体に蔓延している。
そして、診療所のドアを人間の心の扉のメタファーとして捉えるならば、ここで描かれている問題はどこの国にでも当てはまる普遍的なテーマに思えてくる。
本作を観て
「扉をたたく人」(2007米)という映画を思い出した。作品のテイストこそ違え、どちらも移民に対する差別をシリアスに捉えた極めて問題意識の高い作品だと言える。
それにしても、ジェニーの勇気ある捜査には首が垂れる。亡くなった少女の関係者と思しき謎の男たちから脅迫を受けるのだが、普通の人であれば恐怖を感じて捜査を諦めるだろう。しかし、彼女の中では救えなかった少女に対する贖罪の意識が相当強かったのだろう。恐怖を感じながらも、聞き込みを続けるのだ。
もし自分だったらどうだろう?と考えてしまう。おそらく彼女のような真似はできないように思う。
ダルデンヌ兄弟の前作
「サンドラの週末」(2014ベルギー仏伊)のサンドラもかなり意志の強いヒロインだったが、それとの共通性ら伺える。
どうやらここ最近のダルデンヌ兄弟は強い女性をテーマにしているようである。
ただ、テーマやメッセージは力強く発せられており、その点においては過去作品群と比べてもまったく見劣りしないのだが、ストーリーに関してはやや一本調子なので物足りない。ジェニーの周辺、特に彼女のプライベートにまつわる描写がほとんどないためキャラクターとしての魅力が今一つ出てこないという印象を持った。ジェニーの内面を深堀するよりも、今回は敢えてハードボイルド風に仕上げたかったのかもしれない。
「殺し屋たちの挽歌」(1984英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ギャングの一員だったウィリーは裁判で銀行強盗の仲間を裏切る証言をした。それから10年後、組織はスペインの田舎町でひっそりと暮らすウィリーの元にベテラン殺し屋ブラドックと若い助手マイロンを送り込む。
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(レビュー) ギャングの報復をきっかけに巡り合った4人の男女が、スペインの田舎町からボスが待つパリまでを一緒に旅するクライム・ムービー。
まるで香港ノワールのような邦題が付けられているが、内容は一風変わったサスペンス風味のロード・ムービーである。タイトルと内容が余り合ってないような気がした。
監督はイギリス映画界の名匠S・フリアーズ。本作は彼の長編第2作である。
彼は次作「マイ・ビューティフル・ランドレッド」(1985英)で世界的に注目されたが、その前にこうした犯罪映画を撮っていたとは知らなかった。元々器用でどんなジャンルでも一定水準以上のものを撮る作家なので、こうしたギャング映画を撮ることもさもありなんという気もするが、彼のフィルモグラフィーの中ではちょっと異色である。
ただ、脚本は別の人間が務めており、こちらの出来が余り芳しくない。今一つ精彩に欠く内容である。
二人の殺し屋とその標的、途中で拾った女という関係は一見すると面白くなりそうなのだが、実際に見てみるとダラダラとした話で今一つ引き込まれない。サスペンスも薄みで盛り上がりに欠け、旅の顛末も実にあっけないもので物足りなかった。そもそもラストでウィリーが急に情けなくなるのが釈然としなかった。
若きフリアーズの演出は、このロードムービーをクールにまとめ上げているが、ストーリーの弱点を補うまでには至っていない。どう料理しても立て直しが叶わなかった…という印象である。
ただ、キャストは結構豪華なので見応えがあった。ウィリー役をテレンス・スタンプ、ベテラン殺し屋ブラドッグ役をジョン・ハートが演じており、夫々に渋い演技を披露している。また、マイロン役を若きティム・ロスが軽妙に演じている。本作が彼のデビュー作である。
「リード・マイ・リップス」(2001仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 土地開発会社で働く35歳の独身女性カルラ。難聴の彼女は常に孤独感を味わっていた。ある日、そんな彼女にポールという青年がアシスタントに就く。彼は刑務所を出所したばかりで保護観察中の身だった。二人は一緒に過ごすうちに次第に惹かれあっていく。
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(レビュー) 孤独な中年女性がヤクザな青年と一緒に犯罪に手を染めていくクライム・サスペンス作品。
しっかりとしたドラマ、リアリティのあるキャラクタリゼーション、スリリングな演出、キャストの好演等、映画らしい醍醐味がすべて揃った快作である。
監督、脚本はジャック・オーディアール。
「ディーパンの闘い」(2015仏)、
「君と歩く世界」(2012仏ベルギー)、
「預言者」(2009仏)、
「真夜中のピアニスト」(2005仏)等、数々の作品を撮ってきたベテラン監督である。主にサスペンス・タッチを得意とする作家で、本作はそんな氏の資質が良く出た初期時代の傑作となっている。
物語は序盤から軽快に展開されている。カルラの孤独感、難聴によるストレスといったキャラクターも手際よく紹介されている。対するポールも前科者ということで何かしら裏がありそうで魅力的に造形されている。
そんな憐れみを誘うカルラだが、実は腹黒い一面を持っていて、これがドラマの原動力となっている所が面白い。彼女は出世を目論んで同僚を失墜させるべく、ポールに盗みを依頼するのだ。孤独で憐れな中年女性の悪だくみである。ポールは渋々これを引き受けて二人は共犯関係になっていく。
話は当然これだけでは終わらない。ポールがかつてのヤクザ仲間に誘われて再び悪に手を染めることになるのだが、ここで今度はカルラに仕事を手伝えと要求する。更に共犯関係を深めていくカルラとポール。やがて二人は後戻りできない破滅の道を転がり落ちて行くことになる。
凡庸な映画であれば、ここで二人はすぐさま肉体関係に及んで愛に溺れてしまうところだろう。しかし、本作はそこも安易に流されない。彼らは必要以上にお互いのプライベートに立ち入らず、極めてクールな関係に終始し、それどころか相手を出し抜こうとさえするのだ。二人のこの微妙な距離感が非常にスリリングで面白い。
オーディアールの演出も冴えわたっている。カルラは難聴ということで読唇術が得意である。それを披露するクライマックスは緊迫感溢れるタッチで表現されていて見入ってしまった。まるでヒッチコックの「裏窓」(1954米)よろしく”覗き見”によるサスペンスがハラハラドキドキの展開を上手に創り出している。また、このクライマックスはタイトルの「リード・マイ・リップス」の意味を反芻させるという意味においても秀逸なシーンとなっている。
覗き見ということで言えば、カルラがクローゼットに隠れるシーンもスリリングで手に汗握るシーンだった。定番と言えば定番であるが、そつのないオーディアールの堅実な演出力が伺える。
本作で唯一不満に残ったのは、保護司のエピソードであろうか…。妻に逃げられて孤独な暮らしを送っている中年男なのだが、メインのドラマの舞台袖で時折、挿話される。これがどうにもドラマを停滞させてしまっていただけない。そこまで描く必要性があるとは思えなかった。しかも、ラストシーンでもこの保護司は登場してくる。ドラマの邪魔になっているだけで不要に思えた。
「ジャガーノート」(1974英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) “ジャガーノート”を名乗る男から豪華客船ブリタニック号に爆弾を仕掛けたという脅迫状が届く。早速、警察が犯人捜索を開始する一方、ファロン率いる爆弾処理班が嵐の海へと飛び立つ。
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(レビュー) 豪華客船に仕掛けられた爆弾を巡って繰り広げられるパニック・サスペンス映画。
物語は大きく二つに分けられる。一つは警察が”ジャガーノート”を名乗る犯人を捜査していく地上パート。もう一つは、特殊部隊が爆弾解除に苦闘する船上パートである。
どちらも面白く観れるが、個人的には後者の方により面白みを感じた。
爆弾処理をここまで緊張感タップリに描いた映画もそうそうないだろう。最近では
「ハート・ロッカー」(2008米)や
「ヒトラーの忘れもの」(2015デンマーク独)といった作品があるが、それに引けを取らないくらいの手に汗握る緊張感が味わえる。クライマックスの青と赤どちらのコードを切るか?というお約束的な展開は、本作が元祖と言われている。
実際、このクライマックスには目が離せなかった。警察に逮捕された犯人が青を切れと白状するのだが、それを信用していいのかどうかでファロンは迷う。犯人が改心していればそれは本当だろう。しかし、もし最後の悪あがきだとしたらそれは嘘ということになる。天国と地獄の分かれ目。正に究極の選択である。
監督はR・レスター。SFからコメディ、ミュージカルなど幅広い映画を撮ってきた職人監督である。本作でもその作家性は十分に発揮され、安定した力量を見せている。
脚本も面白く作られていると思った。ジャガーノートの身顕しを最後まで引っ張る構成も良いし、何より各キャラクターが個性的に描き分けられているのが良い。
とりわけ、主人公ファロンのプロフェッショナルな仕事振りは頼もしく感じられた。イギリス人らしいシニカルなジョークを飛ばしたり、相棒想いな一面があったり、幅を持たせた人物像に仕立てられている。
他に、地上で犯人探しに奔走する実直な警察部長、多額の賠償金をどうするかで苦悩する船会社の重役等、事件関係者の心理を細かく描いている点にも感心させられた。
一方で、本作には船上を舞台にしたグランドホテル形式のドラマパートも用意されている。
こちらはアメリカに住む夫に会いに行く母子や、船長と恋仲にあるマダム、移民労働者の客室乗務員、陽気な給仕といった個性的な面々が揃っている。流石にすべてを描き切るには尺的に無理があったが、彼らのやり取りにはユーモアが感じられ、緊迫感が持続するドラマに一服の清涼剤的効果をもたらしている点は評価したい。
特に、爆弾が仕掛けられたことを知った乗客を少しでもリラックスさせようとする給仕が良い味を出していた。物影で弱音を漏らすのだが本心では彼も恐ろしかったのだろう…。
キャストでは、ファロンを演じたR・ハリスが印象に残った。他に、A・ホプキンス、イアン・ホルム、オマー・シャリフといった巧者が揃い映画全体を脇から引き締めている。
「アンビュランス」(1990米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 漫画家のジョシュアは、街で金髪の美女に一目惚れしてナンパをする。ところが、突然彼女は持病で倒れて救急車で運ばれて行ってしまった。気になった彼は近くの病院に問い合わせてみると、どこにも運ばれていないということが分かる。警察に相談してもまともに取り合ってもらえず、彼は自力で捜査を始めるのだが…。
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(レビュー) 正体不明の救急車による誘拐事件を描いたサスペンス作品。
監督・脚本がB級映画の職人作家ラリー・コーエンということで、如何にもお手軽、お気楽なエンターテインメント作品に仕上がっている。しかし、この人のアイディアは相変わらず秀逸で、ワンアイディアでここまで映画を作ってしまうのだから大した才能である。過去には電話ボックスに閉じ込められた男の悪戦苦闘を描いた「フォーン・ブース」(2002米)や、携帯電話を使って誘拐犯と対峙する「セルラー」(2004米)といった快作を手掛けている。いずれもB級的な作りだが、アイディアがずば抜けた良作である。
そんな彼が撮った本作は、殺人救急車というアイディアがインパクト大である。被害者はどこに運ばれるのか?そして何の目的で誘拐されるのか?主人公ジョシュアの捜査でそれが解明されていくのだが、非常に興味が惹きつけられた。
もっとも、ストーリー自体は今見ても全然通用すると思うが、ビジュアル面がどうにも古臭さを感じてしまう。ファッションや音楽が80年代を引きずっていて、そこにはやはり時代を感じてしまう。
また、ジョシュアの漫画家という設定が今一つ活かしきれていないのも残念だった。見せ場となるクラマックスのアクションシーンが野暮ったいのも難である。このあたりはラリー・コーエンの監督としての限界が感じられる。やはり彼は監督よりも脚本家としての仕事の方が向いているような気がした。
キャストではジョシュアを演じたエリック・ロバーツのトッポイ感じが、良くも悪くも作品全体を決定づけている。当時は二枚目俳優としてブイブイと言わせていた頃であり、その軽薄な感じが作品の緩さに反映されている。おそらくキャストが変わればまた違った作風になったのではないかと思う。
周囲のサブキャラはそれぞれに個性的で面白かった。中でも警部補役を演じたジェームズ・アール・ジョーンズがピカ一の存在感である。「スター・ウォーズ」シリーズのダース・ベイダーの声でもお馴染みだが、顔出しでの出演も中々に良い。
ちなみに、ジョシュアが働くスタジオのシーンでマーベルの創始者スタン・リーが登場してくる。今でこそマーベル・コミックと言えば世界を席巻する大スタジオだが、当時はこのようなB級映画にも積極的に参画していた頃である。これまた時代だろう。
「プレミアム・ラッシュ」(2012米)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) マンハッタンでバイク・メッセンジャーとして活躍するワイリーは、一通の封筒の配達を依頼されたことから、マフィアや悪徳刑事、自転車に乗った警官に追われることになる。実はその封筒には1枚のチケットが入っていた。
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(レビュー) バイク・メッセンジャーがひょんなことから犯罪に巻き込まれていくアクション・クライム・ムービー。
疾走感あふれる映像演出と、時世を巧みに往来させたタイトな脚本で、最後まで一気に観ることができた。
しかし、最後は如何にも良い話的に締めくくられているが、違法移民や麻薬密売の問題をそっちのけで良いのだろうか…という疑問も持った。ハッピーエンドとして片付けられているが、少々安易に映った。
監督、共同脚本はデヴィッド・コープ。D・フィンチャー監督の
「パニック・ルーム」(2002米)やサム・ライミ監督の「スパイダーマン」(2002米)等で脚本を手掛けてきたベテラン・シナリオライターである。監督業もしているが脚本の仕事の方が多く、その経歴を見る随分と当たり外れが多い。それでも現在まで途絶えることなく仕事が続いているのだからハリウッドでは認められているのだろう。
今回の脚本は、先述したように少し強引な所や釈然としない所があり、あまり褒められた出来ではない。
ただ、華麗なバイク・アクションを見せることに集中したタイトな構成はよく出来ているし、ワイリーや悪徳刑事を含めたキャラクター造形は明快で、要所のコメディ要素も決して悪くはない。
一方、演出もキレがあって中々に魅せる。自動車の間をすり抜けるスリリングな映像にはハラハラさせられたし、ワイリーのアクロバティックな走行には大変興奮させられた。中にはCGを駆使している映像もあるが、そうだと分かっていてもやはりハラハラさせられる。
映像演出で最も印象に残ったのは、ワイリーが最短で安全なコースを一瞬のうちに脳内でシミュレーションするカットである。D・ワシントン主演の
「イコライザー」(2014米)でも似たような映像演出があったが、これはスタイリッシュで中々格好いい。
キャストでは、悪徳刑事を演じたマイケル・シャノンが印象に残った。元々この手の悪役はお手の物であるが、今回は要所でコミカルさを出しており、どこか憎めないキャラクターとなっている。
ワイリーを演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットも体を張った熱演を披露している。エンドロールでNGシーンが流れるが、体のあちこちにあざを作って奮闘する姿が撮影の苦労を物語っている。
「ブレーキ・ダウン」(1997米)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) ジェフとエイミー夫妻は新車でカリフォルニアへ向かっていた。ところが、砂漠の真ん中で車が突然故障して立ち往生してしまう。そこに親切なトラック運転手がやってくる。エイミーは近くのダイナーまで送ってもらい修理屋を呼ぶことにした。ところが、修理屋はいつまでたっても来なかった。ジェフは車の故障が単に配線が抜けていただけだと分かり、慌ててエイミーが待つダイナーへ向かうのだが…。
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(レビュー) 失踪した妻の行方を追いかける夫の捜索をミステリアスに綴ったクライムサスペンス。
ジェフは妻を追いかけてダイナーを訪ねるが、誰に聞いても妻の姿を見てないと言う。警察にも相談するが一向に取り合ってくれず、彼は宛てもなく妻を捜索し始める。妻はどこに連れていかれたのか?トラック運転手は何者だったのか?謎が謎を呼ぶ展開で中々面白く観れた。
終盤は一転、カースタントで魅せるアクションシーンで盛り上げられていて、こちらも大いに見応えがあった。
本作はいわゆるお金がかかった大作というわけではないのだが、ストーリーテリングの妙とスリリングな演出で、最後まで楽しめる”快作”となっている。
原案・共同脚本・監督はジョナサン・モストウ。
後に「ターミネーター3」(2003米)を撮ることになる監督である。「ターミネーター3」は最後のオチを含め色々と言われているが、女性型ターミネータという発想や中盤のド迫力のカーアクション等、個人的には中々面白く観れた作品だった。そのモストウが演出をしているのだから、本作もアクション的な見せ場は申し分ない。
中盤の銀行のシーンも、ジェフの目線に集中した演出が貫徹され上手くスリリングさを創出していると思った。これなどを見るとモストウは”静”の場面作りも中々に上手い。
一方、ミステリー仕立てで引っ張るストーリーも中々に魅せる。失踪のからくりが分かってしまえば、どうと言うことはないのだが、それでもこの手の都市伝説的な謎は日常と隣り合わせの恐怖で目が離せない。
やや残念だったのは犯人側のキャラクター造形に不十分さを覚えた点だろうか。複数人いるため十分に手が回らなかったという印象である。
キャストではジェフ役のカート・ラッセルの焦燥感、切迫感を醸した演技が素晴らしかった。いわゆる肉体派ヒーローを演じることもあるが、こうした等身大の男をやらせても中々に上手い。
また、トラックドライバー役のJ・T・ウォルシュの表裏のギャップを活かした演技も印象に残った。
「メトロ42」(2012ロシア)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 通勤時間帯中のロシアの地下鉄に大量の川の水が流れ込む。現場を通過中だったメトロ42号の車両が洪水に巻きこまれ大パニックに陥ってしまう。乗客の中には医師のアンドレイと娘、そして妻イリーナの浮気相手であるヴラド、様々な人々がいた。彼らは協力して必死の脱出を試みるのだが…。
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(レビュー) 地下鉄の大洪水に巻き込まれた人々の必死の脱出劇を緊張感みなぎるタッチで描いたパニック映画。
物語のほとんどが地下鉄の中で展開され、しかも大量の水が使用されているので、撮影はかなり大変だったのではないだろうか。一部でCGは使用されているが、ほぼリアルな撮影が敢行されており、かなりの労作のように思う。
ロシアの地下鉄事情はよく分からないが、本作を観る限りかなり老朽化が進んでいるらしい。逃げ場のない地下で実際にこんなことが起きたら…と考えると非常に恐ろしくなってくる。日本では定期的に修繕されていればいいのだが…。
映画は序盤から軽快に進んでいく。主要人物の紹介は手際よく処理され、早々と事故が起こる瞬間をスリリングに描き中々の迫力が感じられた。
脱出劇を描く中盤からは、アンドレイと妻イリーナ、浮気相手であるヴラドの三角関係を軸にしながら、若いカップル、気弱なセールスマン、アル中の女性といった人々の脱出劇が描かれる。夫々の人間模様がドラマを面白く見せている。
ただ、脚本はかなり緩く作られており、せっかくのラストの感動もなんだかしらけてしまった。
第一に、夫に愛想をつかして他の男の元へ走ったイリーナの行動が疑問だらけである。娘を残していくのは母親の責任を果たしているとはいえず、それがラストのハッピーエンドを台無しにしてしまっている。
更に、ヴラドの口ぶりでは、イリーナの浮気相手は自分じゃなくて誰でも良かったようなことを言っている。そんなことを知らされた娘はどう思うのだろうか?イリーナと感動の再会を果たしても素直に喜べるはずはないだろう。ラストで涙を流してハグをしているが、本当にそれでよかったのか?とすら思える。
全体的にイリーナのキャラクター造形に不満が残った。
また、細かなことを言うと、若いカップルが喘息の吸入器を発見して抱擁するシーンが2回出てくるが、これも完全にシーンのダブりでストーリーを水っぽくしているだけであまり意味がない。
キャスト陣の熱演は良かったと思う。この手のパニック映画は演じる方も体力勝負のようなところがあり大変だと思う。どんどん疲弊していく中で、決して希望の灯を絶やさず前を向いて歩く彼らの姿には素直に感動を覚えた。
「ブロンソン」(2008英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 郵便局を襲ったマイケル・ピーターソンは、懲役7年の刑を言い渡され刑務所に収監された。出所後、リングネーム“チャールズ・ブロンソン”名義でアンダーグラウンドのボクサーとして小遣い稼ぎを始める。しかし、宝石強盗をしたため再び逮捕されてしまう。マイケルは刑務所内でも暴力や問題行動を次々と起こしていき…。
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(レビュー) 実在する犯罪者の半生を過激なバイオレンスシーンとスタイリッシュな映像で描いた実録映画。
現実に世の中には相手にしたくないというようなタイプの人がいるが、マイケルのような人がいたら決して関わりたくないものである。それくらい劇中で描かれるマイケル像はヤバイ。おそらく映画としてかなり誇張している面は多分にあると想像する。ここまで暴力とセックスに過激に傾倒した演出が頻出すると、逆にフィクションのように思えてしまうくらいだった。
まず、映画の冒頭。マイケルが劇場の支配人よろしく着飾って登場して自慢げに自分の半生を語りだす。このシーンにおける色彩設計が過剰にカラフルである。恣意的にリアリティを排した映像設計が、これから始まるマイケルの半生をどこか作り物のように見せている。
また、バイオレンスシーンにおける映像編集はアクション映画的ケレンに満ちており、それが行き過ぎて逆にコメディチックに映る場面さえある。これも意図してフィクショナルにしているのだろう。
監督、共同脚本はニコラス・ウィンディング・レフン。後に
「ドライヴ」(2011米)を撮り世界的に注目を浴びるが、すでに本作からも独特の映像美学、過剰なバイオレンス演出が確認できる。
また、スピーディーな語り口も快調で、最初のテンションのまま最後まで一気に突っ走っていったところは見事である。
もっとも、ドラマ自体にそれほど新味はない。何かを成し遂げた偉人でもなければ、世紀の大罪を犯した極悪人でもなく、言ってしまえば普通の犯罪人なので、それほど大層なエピソードがあるはずはない。物語的にはただひたすらマイケルが暴力の世界に身を落とすだけで、その合間に母親や恋人の関係が挿入され、ちょっとだけドラマの起伏が工夫されているだけである。もしかしたらレフンの中でも、マイケルの内面を描くというより、暴力その物が持つ滑稽さ、愚かさ、無為さを描きたかっただけなのかもしれない。
尚、一部で本作のことを”21世紀の「時計じかけのオレンジ」”と評している人もいるらしいが、内容についてはそこまでの衝撃性はない。確かにスタイリッシュな映像演出、過激なバイオレンス演出に関しては、キューブリックを意識しているかなという印象を持ったが、さすがに両作品を並べるのはちょっと違うような気がした。
キャストではマイケルを演じたトム・ハーディーがインパクト大である。鍛え上げた肉体でこの役をビジュアル面から見事に造形している。更に、ただ凶暴なだけではなく、どこか頭のネジの緩んだコミカルさを加味しながらキャラクターに幅を持たせたところは見事である。全裸で刑務所内で大暴れするシーンは正に体を張った怪演と言って良いだろう。
「オー!ラッキーマン」(1973英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 野心旺盛な青年ミックはコーヒー豆の販売員としてイギリス北部へ赴任する。仕事は順調で女性にもモテて、彼の将来は明るいものだった。ところがある日、軍の秘密施設の近くで道に迷ったところを逮捕されスパイ容疑をかけられてしまう。拷問の途中で火災が発生し命からがら逃げ延びるのだが…。
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(レビュー) 純真で野心溢れる青年の奇想天外な冒険の日々をスラップスティックに、時に風刺と皮肉を交えて描いたヒューマン・コメディ。
タイトルはラッキーマンであるが、実際に映画を見てみると主人公のミックはむしろアンラッキーの連続に見舞われる。確かに一時は好機に恵まれるのだが、その喜びも束の間。次の瞬間には不幸のどん底に落ちてしまうのだ。
例えば、道すがらで知り合った女性と仲良くなると、彼女の父親が経営する巨大企業の秘書にしれっと就任してしまう。なんてラッキーな男だ…と思うが、しかしそれは父親が張り巡らした罠で、ミックはあらぬ疑いをかけられて逮捕されてしまう。こうした彼の人生の浮き沈みの連続を全編にわたって描いたのが、この「オー!ラッキーマン」という映画である。
監督はリンゼイ・アンダーソン。脚本はデヴィッド・シャーウィン。主演はマルコム・マクダウェル。彼らは若者たちの暴走を幻想的なタッチを交えて描いた青春映画「if もしも…」(1968英)、未見であるが英国の病院を舞台にした「ブリアタニア・ホスピタル」(1982英)でもトリオを組んでいる。この3本はマクダウェル演じる役の名前が全てミックであり、ミック三部作とも言われている。互いのこと勝手知ったるという感じで、夫々に乗り乗って演出、執筆、演じているのが画面から伝わって来た。
ただ、人生の数奇というテーマ自体はよく分かるのだが、物語自体は若干まとまりに欠く内容である。
例えば、何かの伏線かと思われていたものが、結局何の意味も持たなかったなんてことは当たり前で、終始物語の方向性は定まらない。唯一、大富豪を父に持つパトリシアだけは、作中に三度登場するが、彼女以外はほぼ、その場限りの登場人物であり、ミックの前を通り過ぎるだけである。これではドラマとしてはまとまりようがない。
上映時間が3時間近くあるが、全体を貫ようなく主たるエピソードがないまま延々とショートコントの寄せ集めみたいなものを見せられるのは、正直かなりしんどいものがある。
逆に、壮大なコント集と割り切って観る分には十分楽しめる作品ではないかと思う。
最も印象に残ったのは、ラストのオーディションのシーンだった。ここでミックは監督(何とリンゼイ・アンダーソン本人)に笑顔を作れと命令される。映画を観れば分かると思うが、この要求はミックにしてみたら非情極まりないものである。
ミックが軍の秘密施設から逃走するシーンも印象に残った。普通のセールスマンが戦場の中に迷い込んだかのようなシュールな絵面が傑作であった。
その後にミックが訪れる教会のシーンも中々に良い。ここでボロボロだった彼のスーツが真新しくなっているのは、明らかに神の軌跡を意味しているのだろう。そして、尼僧の母乳を飲んで活力を取り戻すシーンは、マリアの慈愛を意味しているのであろう。杖をついて田園の中を歩くミックの姿がキリストその物に思えた。余りにも超然としているがゆえに突出したシーンとなっている。
もう一つ、映像的にショッキングだったのは、ミックが連れていかれた研究所のシーンである。そこで彼が目にした”ある人体実験”はホラー的インパクトがある。
このようにリンゼイ監督の演出は実に奔放である。他にも、無声映画のような演出や、シーンの合間にロックバンドの演奏を挿入して狂言回しを奏でせさせたり等、独自のアート的感性と遊び心をふんだんに盛り込んだ、さながら壮大な実験作のような作りになっている。
また、同じ役者が何役も演じているというのも摩訶不思議で、これは意図したものなのか、それとも製作の都合でそうせざるを得なかったのか分からないが、映画をいっそうシュールにしている。
尚、マクダウェルが主演していることや彼が刑務所で更生するという後半の展開、更には彼が社会の理不尽に痛めつけられていく終盤の姿から、どうしてもS・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(1971英米)を連想してしまった。おそらく製作サイドは相当意識していたのではないかと思われる。