「愛を弾く女」(1992仏)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 才能あふれるバイオリニスト、カミーユは楽器工房を経営するマクシムと恋仲にあった。ある時、マクシムから彼の親友である楽器製作者ステファンを紹介される。その熱い視線にカミーユは恋愛感情を確信するのだが…。
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(レビュー) バイオリニストと楽器製作者、楽器工房を経営するパトロン。3者の愛憎乱れる関係をスリリングな会話に乗せて描いた大人の恋愛映画。
非常にシンプルな作りで、主だった3人の男女の恋のかけひきが淡々と描かれるのみである。事件らしい事件はこれといって起こらないので退屈する人もいるかもしれない。しかし、内に秘めたる感情を押し殺して恋の駆け引きに暮れる彼らの姿は、いかにもフランス映画らしい芳醇な味わいをもたらす。
監督・共同脚本はクロード・ソーテ。「夕なぎ」(1972仏伊西独)や「ギャルソン!」(1983仏)等、味わいのある恋愛映画を撮らせたら実に上手い監督で、今回もその手腕は見事に発揮されていると思った。
本作では、カミーユとステファンの関係が付かず離れずの微妙な距離感で描かれている。決して情熱的な不倫ドラマに至らない所がかえって物語をスリリングなものにしてる。
二人の関係は、リハーサルにおけるバイオリンの調律から始まり、レコーディングスタジオ、雨の日のカフェへと、仕事から徐々にプライベート空間へ”はみ出して”いく構成が面白い。恋愛感情の変遷が実に丁寧に筆致されており見ごたえを感じた。
また、容易に肉体関係に踏み出すことができない所に”もどかしさ”も感じられ、非常に上品にまとめられている。カミーユはステファンに積極的にアプローチをかけるのだが、ステファンは一歩引いてしまうのだ。
実は、ステファンには”ある秘密”があり、そのために魅力的で才能あふれるカミーユになびかないのだ。その秘密とは意外な”第三者”の存在である。
後半からこの意外な”第三者”が登場して、この不倫関係は悲恋へと変わっていく。
キャストでは、何と言っても寡黙なステファンを演じたD・オートゥイユの抑制を利かせた演技が光っていた。終始うつむき加減な悩める中年男を渋く演じている。その心中を察すると切なくさせられた。
カミーユ役を演じたE・ベアールも素晴らしい演技を披露している。特に、バイオリンの演奏シーンが印象に残った。本人が演奏しているのだろうか?劣情に駆られない繊細な演技が徹底されている。
全米アカデミー賞が決定しました。
去年は新型コロナの影響で映画産業に大打撃の一年となってしまいました。
そんな状況下での選考ということで、本来あるべき姿とは程遠いものだったかもしれませんが、少なくとも選出された作品はいずれも素晴らしい映画だと思っています。
ここ最近は配信会社製作による作品が強まっており、それがこのコロナ渦によって更に大きなトレンドになってきた感がします。
自分も去年は余り映画館に行けず、劇場で観たのはたったの15本。例年の半分以下でした。
そんな中で俺デミー賞を選ぶというのもはばかられるのですが、良い映画は良いときちんと評価してあげたい…という思いもあります。
今回は敢えて順位を付けず、10本を選ぶだけにしてみました。
いずれ劣らぬ傑作だと思います。
ジョジョ・ラビットパラサイト 半地下の家族この世界の(さらにいくつもの)片隅に1917 命をかけた伝令レ・ミゼラブルミッドサマー劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンスパイの妻<劇場版>Mankマンク37セカンズ以上となります。
今年も依然としてコロナ渦が続いており急激な状況の改善は望むべくもなく、やはり劇場へ足を運ぶ機会も少なくなりそうです。それでも幾つか気になっている作品もありますし、感染対策をしっかりしてなるべくたくさん駆け付けたいですね。
ジャンル俺アカデミー賞
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「SOMEWHERE」(2010米伊)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 映画スターのジョニー・マルコは、高級車を乗り回しながらパーティーと酒と女に明け暮れる自堕落な暮らしを送っていた。ある日、彼の元に前妻と11歳の娘クレオが訪ねてくる。親子水入らずのひとときを過ごした後、ジョニーは元の自堕落な生活に戻っていった。そんなある日、再びクレオが一人でやってきて…。
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(レビュー) 孤独なスターと一人娘の情愛をしみじみと描いた人間ドラマ。
正直、序盤は余りのめりこめなかった。セレブの日常を描くドラマなど余りにも遠い世界の出来事で感心を持てなかったからである。ところが、不思議なもので観て行くうちに徐々に物語に入り込んでいけるようになった。最終的にはジョニーの孤独感はきちんと伝わってきたし、彼と娘クレオの交流には癒されるものがあった。セレブの自堕落な生活を描く「孤独」のドラマから、普遍的な父娘の交流を描く「情愛」のドラマに見事に昇華されていたからであろう。
監督、脚本はソフィア・コッポラ。独特のユーモアと繊細な演出で人生の機微を軽やかに紡ぐ女流監督である。本作にもその資質は十分に見て取れる。
例えば、ユーモアという点で言えば、ジョニーが共演女優とスナップ写真を撮るシーン。背が低いジョニーが台に乗って身長差をごまかす姿にクスリとさせられた。あるいは、ジョニーが特殊メイクの型取りでずっと放置されるシーンも可笑しかった。
また、冒頭とエンディングを車というアイテムで結び付けた演出には舌を巻いてしまった。ジョニーの閉塞感を開放していく補助役として「車」というキーアイテムを用いている。演出のアイディアが素晴らしい。
一方で、ソフィア・コッポラ監督は今回は珍しくロングテイクに果敢に挑んでいる。これは意外であった。
例えば、彼が延々と車を周回させる冒頭のシーン、2度にわたって繰り返される双子のコールガールのポールダンスのシーン、ジョニーとクレオがプールサイドで日光浴にふけるシーン等。映像的には極めて単調で面白みが感じられないのだが、これらはジョニーの倦怠感に満ちた日常を表していることは明らかである。その演出意図を汲み取れば、中々野心的な演出に思えた。
唯一、映画を観終わって引っかかり覚えた点が一つある。それはクレオの母親の扱いである。
物語前半で、クレオをジョニーに押し付けたまま彼女はそれ以降、一切画面に出てこなかった。明らかに母の存在感の薄さが意図されており、そこに何の意味があったのか。それがよく分からなかった。
キャストでは、クレオ役を演じたエル・ファニングの透明感あふれる姿が印象に残った。彼女を捉えた数々のフォトジェニックな映像は、ソフィア・コッポラの名を一躍有名にした処女作「バージン・スーサイズ」(1999米)の映像を彷彿とさせる。
ジョニー役はスティーヴン・ドーフ。アクションやサスペンスといったジャンル映画での印象が強いが、ここでは悩める孤独な中年男をしっとりと演じている。新境地を開いたと言って良いだろう。
「バクラウ 地図から消された村」(2019ブラジル仏)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) ブラジルの小さな村バクラウ。村の長老カルメリータが亡くなり葬儀が執り行われようとしていた。そこに久々に孫娘のテレサが帰郷する。村人たちから歓待を受けるテレサ。そんな中、再選を目指す市長がやってきて村の生活環境改善を訴えるのだが…。
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(レビュー) ブラジルの小さな村を舞台にしたアクション・サスペンス作品。
ある日突然、インターネットの地図上から村の存在が消えたり、水を運ぶタンクローリーが銃撃されたり、空飛ぶ円盤が現れたり等々。次々と奇妙な事件が起こり謎めいた展開で引っ張る前半が良かった。これらの事件に一体何の意味があるのか?その関心だけでグイグイと引き込まれた。
しかしながら、全ての陰謀が判明する中盤以降はやや退屈してしまった。最後のオチにはなるほどと思わされたが、この”からくり”はやや期待外れである。随分とこじんまりとした内容で物足りなかった。
更に言えば、本作には核となる主人公はいない。一見すると冒頭に登場するテレサが主人公のように見えるが、彼女は後半はほとんど脇役と化してしまう。
村には様々な人間が住んでいて、DJやギタリスト、娼婦、医師といったキャラクターは夫々に個性的で面白かったのだが、彼らもサブキャラに過ぎない。
したがって、ドラマらしいドラマは成立するはずもなく、自分はこの物語を俯瞰視点で見るしかなかった。強いて挙げるとすればバクラウという”村自体”が主人公という言い方になろうか。ただ、ここまでドラマが薄みだと見終わった鑑賞感も大変空疎なものとなってしまう。
逆に言うと、サスペンス、アクションというエンタメに完全に傾倒した作りになっているため、割り切って観る分には満足できる作品である。
特に、村はずれに住む全裸の老人の銃撃戦が最もテンションが高まった。予想外の展開に唖然とさせられた。
惜しむらくは、その後に続くクライマックスの銃撃戦が以外にあっけなかったことだろうか…。確かに緊迫感は感じられたのだが、今一つ振り切りが甘い印象を持った。
余談だが、いかにも調子のいい市長のキャラに反トランプ的なメッセージが読み取れたのは面白かった。製作された時代から、そんな穿った見方もできる作品である。
「異端の鳥」(2019チェコウクライナスロヴァキア)
ジャンル戦争・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) ホロコーストを逃れた少年は両親と離れて叔母を頼って田舎へ疎開してきた。しかし、村中から虐められ、叔母が急死すると、身寄りを失った少年は旅に出る。そして、行く先々で共同体の異物として扱われ、壮絶な虐待を受けていくようになる。
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(レビュー) ユダヤ人迫害を受ける少年の旅路をモノクロ映像で綴った3時間弱の大作。
イェジー・コジンスキーの同名原作(未読)は発表当時、相当バッシングされたようだが、この映画もかなりセンセーショナルな内容で観る人によっては噴飯ものだろう。というのも、主人公の少年が受ける暴力の数々は余りにも凄惨だからである。映画祭の観客が途中で席を立ったという話も聞き及んでいる。確かにそこまでやる必要があるのか?という意見が出てくるのは当然かもしれない。しかし、ここまでやったからドラマに説得力が生まれたとも言える。個人的は後者の意見である。
実際、画面上に流れる戦争と暴力の映像は有無をも言わせぬ迫力に満ちており、終始圧倒されっぱなしだった。ここまでやったからこそテーマも真摯に受け取めることができた。
尚、コジンスキーはP・セラーズ主演の「チャンス」(1979米)の原作者でもある。あちらはコメディ色が入り混じった風刺劇で、本作のハードなテイストと全く異なることに驚かされる。
まず何と言っても、冒頭からしてショッキングである。動物愛護団体が見たらクレームを入れかねない内容で、自分もいきなり驚かされてしまった。その後も目を覆いたくなるような虐待、残酷描写は延々と続く。直接的な表現もあり、R15指定のレイティングも納得である。
中でも最も印象に残ったのは、本作のポスターにもなっているシーンである。土に埋められた少年が頭だけを地上に出して、そこにカラスの集団が襲い掛かるという、北野武監督の
「アウトレイジ 最終章」(2017日)を思わせるトラウマ必至の場面だった。
他にも、少年は天井に吊るされて折檻されたり、肥溜めに投げ入れられたり、レイプされたり等々。年端もいかぬ幼い子供に対する残酷な仕打ちの数々が繰り広げられていく。正直、観てる最中は辛いものがあった。
また、本作は動物に対する虐待も幾つか登場してくる。最も印象的だったのは、鳥を捕まえて売る男が小鳥に白いペンキを塗って空に放すシーンだった。その小鳥は群れに入ろうとするのだが、色が違うために周囲から攻撃されて死んでしまう。本作の原題「The Painted Bird」はこのシーンから来ているのだろう。当然これは主人公の少年のメタファーにもなっている。
劇中にはこのようなシビアなシーンが次々と出てくるので苦手な人は確実にいると思う。
ただ、その一方で少年が出会う人たちの中には善人もいて、そこだけはホッと一息付ける感じがした。ステファン・スカルスガルド演じるドイツ兵、ハーヴェイ・カイテル演じる司教、バリー・ペッパー演じるロシア軍の狙撃兵。彼らは少年を助ける、あるいは成長を促す存在として登場してくる。演者がいずれも著名なスターで役得感が忖度されている節もあるが、彼らによって物語にバイブレーションが生まれ、過酷な旅にどこか救いも感じられた。
最終的に少年は様々な地獄めぐりを経て世の中の理不尽さ、残酷さを身をもって知り、そしてそんな世界に自分はどう対峙していくべきかを決断していくことになる。
しかして、クライマックスで彼は”ある行為”に及ぶことで、この残酷な世界に対する復讐を果たすことになる。人の悪意を包み隠さずどこまでも曝け出した結果として、このクライマックスは当然の結末として受け止めることができた。ある意味で、戦争や争いはこうして生まれる、ということを思い知らされたような気にもなった。
尚、本作のセリフはインタースラーヴィクという人工言語が使用されているということである。あまり耳馴染みがないので一体どこの国を舞台にした物語なのだろう…と思ったのだが、それもそのはずである。製作サイドは、この物語を特定の場所に限定したくなくてそうしたのだという。
思えば、この映画は始まってから暫くは時代設定も場所もよく分からないまま進行する。何となくロシアのどこかの村という想像はできるが今一つ判然としない。そうこうしながら観ていくと、途中からドイツ軍が登場してようやくこのドラマは第二次世界大戦時の東欧の某国を舞台にしているのだな…ということが分かる。どこの国か特定させないという、この作りからして本作は寓意性が強い。
恣意的に寓話化を狙ったのには明らかに理由があろう。つまり、本作はホロコーストをテーマにした物語だが、それはあくまでドラマの素材に過ぎず、本当はもっと普遍的なことを描こうとしているからだ。自分は本作を観て、どの世界にも、いつの世にも起こりうる排斥、ヘイトを描いた物語に思えた。
今や多くの国が抱える移民問題然り。その実態を鑑みれば、製作サイドのその狙いは間違っていないように思う。これは現代にも通じる寓話である。
「シリアスマン」(2009米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1967年、ユダヤ人の大学教授ラリーは愛する妻子と幸福な暮らしを送っていた。目下の心配は、今の大学が終身雇用を受け入れてくれるかどうかだった。そんなある日、落第点をつけた学生の親から強引にワイロを押しつけられる。その後、妻から突然離婚を切り出される。散々な目にあってばかりのラリーは教会のラビに相談しに行くのだが…。
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(レビュー) 幸福な暮らしを送っていた男が次々と災難に見舞われていく様をブラックユーモアを交えて描いたヒューマン・コメディ。
監督、脚本がコーエン兄弟ということで、如何にも彼ららしい皮肉と毒気に富んだ作品となっている。凡庸なコメディとは一線を画す、ちょっとクセのある作品なので、コーエン作品が好きな人や通好みな人たちが喜びそうな映画である。
物語は軽快に進行していく。ただ、アバンタイトルで悪霊の逸話が登場してくるのだが、これが中々本編であるラリーのドラマに繋がってこないので戸惑いを覚えた。おそらくユダヤ教を皮肉る意味でこの挿話を持ってきたのだろうが、正直これがあっても無くても作品自体の印象はさほど変わらないように思った。
ラリーは実に生真面目な男である。講義もバカが付くほど真面目だし、落ちこぼれの親から賄賂を持ち掛けられても断固拒否する。真面目なのはいいが、結果的にそれが仇となり、かえって彼はこの親から逆恨みを買うようになる。
また、妻の心が離れてしまったのも、ラリーが何の面白みもない真面目一辺倒の男だからである。
彼の不幸はこれだけで終わらない。隣に住む女性が日光浴をしているのを偶然目撃したのをきっかけに、ラリーは彼女に誘惑され益々妻との関係はこじれてしまう。
他にも、交通事故にあったり、トラブルが絶えない兄のせいで迷惑をこうむったり等々。
真面目な男(シリアスマン)ラリーはどんどん不幸のドツボにハマってしまう。
ラリーのこの生真面目な性格形成は、おそらく彼の出自に関係していることは、映画を観ていると何となく想像がつく。彼は幼い頃から敬虔なユダヤ教徒で、そのストイックな思考によって自分自身の生き方を無意識に縛り付けてしまっているのである。
自分はユダヤ教徒でもないしユダヤ教についてそこまで詳しくはないが、おそらく当の信者が見たら、この物語はさぞかし皮肉的に映るのではないだろうか。そこには当然コーエン兄弟の意地の悪いユーモアも入っている。
こうして次々と不幸な目にあうラリーは、溜まりかねて3人のラビに相談しに行くことになる。しかし、いずれも明確な回答は得られず、再び災難の日々に明け暮れることになる。宗教などあてにならないということを皮肉的に語っているような気がした。
最も印象に残ったのは、歯医者のエピソードだった。これはラビがラリーに話して聞かせる例え話として紹介される。歯医者が患者の歯の裏を見たらそこにヘブライ語が書かれてあった…という珍妙なエピソードである。コーエン兄弟の初期作品「赤ちゃん泥棒」(1987米)のオープニングシーンを想起させるような軽快な語り口が素晴らしい。
ラストもかなり唐突に終わるので、それがかえって強い印象を残す。敢えて観客に想像させる意図からこうした中途半端な終わり方になっているのだろう。果たして”あの嵐”はどこへ向かおうとしているのか?何とも不穏な終わり方である。
「人生スイッチ」(2014アルゼンチンスペイン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 人生の数奇な運命をシニカルに描いた6本のオムニバス作品。
第1話「おかえし」――仕事で飛行機に乗ったファッションモデルが意外な事実を知る話。第2話「おもてなし」――レストランでウェイトレスをしている女性が客として現れた男に復讐をする話。第3話「エンスト」――荒野のハイウェイを舞台にした壮絶な復讐劇。第4話「ヒーローになるために」──駐車切符を切られ続けた男が自暴自棄になる話。第5話「愚息」──人身事故を起こした愚息のために奔走する父親の話。第6話「Happy Wedding」──結婚式の披露宴で起こる大惨事を描いた話。
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(レビュー) どれも毒や皮肉の利いた小話になっていて最後まで面白く観ることができた。
第1話は、アバンタイトルのショートムービーのような作りでラストでアッと驚かされた。
第2話も最後のどんでん返しに驚かされた。
第3話が一番面白かった。アクションも多目で、最後はどこまで行くのか分からず実にスリリングだった。
第4話は、ご都合主義すぎる気もしたが、日ごろ鬱憤を晴らしたい人にとっては身に染みる話ではないだろうか。
第5話も衝撃的なラストが効いている。
第6話は他の作品に比べると今一つにパンチに欠ける内容で、途中ダレてしまった。もっとコンパクトにしたほうが良かったのではないだろうか。
こういうオムニバス物は作品総体としての鑑賞感はどうしても薄みになってしまうのだが、本作はテーマが統一されているので余り散漫な印象もないし、ガツンと来るオチが多いので十分楽しく鑑賞することができた。
また、各話タイプが違う話であるが、同じ監督が全ての演出を務めているのでテイストは統一感がある。どちらかと言うと、ブラックなテイストが強めで辛辣なオチが多い。この辺りは観る人の好みが分かれそうだが、個人的には面白いと感じた。
尚、タイトルの「人生スイッチ」とは言いえて妙で、なるほどと思った。運命の悪戯、偶然の出会い、あそこでああしていれば…という後悔。すべての物語から人生の数奇が見えてくる。そして、人間の愚かさ、復讐の虚しさといった教訓も読みとれた。ただのお気楽に観れるコメディとは一線を画した骨太さがある。
そう言えば、日本でも「バカヤロー!私、怒ってます」(1988日)という映画があった。森田芳光監督による全4話からなるオムバス映画で、その後に続編も製作され人気シリーズとなった。こういうのは観客に「あるある」と思わせるのが肝である。
本作はどちらかと言うと突拍子もないエピソードが多いが、不思議と「あるある」と思える内容で、「バカヤロー!私、怒ってます」に通じるようなテイストが感じられた。
「母よ、」(2015伊仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 映画監督のマルゲリータは恋人と別れたばかりで、反抗期の娘ともすれ違い気味だった。そこに新作映画の主演俳優バリーがアメリカからやってくる。互いに我の強い2人は現場で衝突してばかりで撮影は思うように進まなかった。更に、入院中の母の病状悪化の連絡が入り、医者から余命わずかと宣告され…。
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(レビュー) 病気の母を抱える映画監督の葛藤をユーモアを交えて描いたヒューマンドラマ。
監督、共同脚本はイタリアの名匠ナンニ・モレッティ。前作
「ローマ法王の休日」(2011伊)の撮影中に、実際に本作のマルゲリータのように病気の母を抱えていたそうである。本作はその経験から生まれたということで、ある意味で私的な映画と言うことができるかもしれない。
ただ、本作はモレッティ自身は出演していない。彼は時々自分の映画に役者として出ることがあるので、どうせなら本人が監督役を演じればよかったのではないかと思うのだが、さすがにそこまで前面に出るのは気がとがめたのか。あるいは、私的な映画ゆえ、客観的な視点から演出に集中しようとしたのか。
いずれにせよ、このマルゲリータは映画監督としては余り才能がないように見えてしまった。現場をまともに仕切ることができないし、アメリカからやってきた有名俳優バリーとすぐに喧嘩になってしまうし、映画監督ならもっと人の使い方をうまくやらないとダメだろう。そのため、映画を観てて少しモヤモヤとした気分になってしまった。
また、全体の物語も決してうまく構成されておらず、やや散漫である。そのため観てて興味があまり持てなかった。
本作のメインはマルゲリータが母を看取るというドラマである。その傍らで撮影現場の苦労が同時並行で描かれている。公私にわたってマルゲリータの日々を描写する格好となっていて、これではメインである母親との関係に迫るドラマに集中できない。
モレッティ自身が過去の経験から本作を撮ったことは分かる。映画監督だって一人の人間であるから、プライベートで問題を抱えれば創作に様々な影響を及ぼし上手くいかないことだってある。そうした作家としての苦悩を描きたかったのだろう。
しかし、個人的には撮影現場のゴタゴタなどどうでもよく、メインのドラマの方をしっかり見せて欲しかった、というのが正直な感想である。
ただ、マルゲリータと母の過去のわだかまり、死の床に伏してようやくそのわだかまりから解放されるというクダリは、予想の範疇ではあるが中々感動的に描けていると思った。このあたりのツボを押さえ方は、さすがにベテラン監督の上手さである。
「幸せなひとりぼっち」(2015スウェーデン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 最愛の妻ソーニャを病で亡くし、長年勤めていた仕事も突然のクビを宣告された初老の男オーヴェ。すっかり絶望して首を吊って自殺しようとした矢先、向いにアラブ系移民一家が引っ越してくる。自殺を邪魔されたオーヴェだったが、陽気な主婦パルヴァネは、そんなことを気にせず積極的に彼に頼ってくる。困惑しながらもオーヴェは彼らとの交流を始めていくのだが…。
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(レビュー) 孤独な頑固おやじと移民一家の交流をハートフルに綴った人間ドラマ。
原作は同名のベストセラー(未読)ということである。
老い先短い男の孤独を絶妙なユーモアを交えながら上手く描いていると思った。彼を取り巻く周囲の人間模様もとても魅力的に描かれており、中々の佳偏となっている。
オーヴェのような年配の方には、興味深く観れるのではないだろうか。きっと身につまされる部分もあると思う。
孤独なオーヴェは自殺未遂を何度も繰り返すが、それを悉く移民一家に邪魔されるという序盤の展開にはブラックユーモアを感じた。深刻に描くのではなく、敢えてコメディタッチで捌いてるあたりが見事である。
端的に言うと、オーヴェは偏屈じいさんである。はっきり言って、現実にこんな爺さんが近所に居たら大変困ったものである。しかし、そこもこの映画は、周囲の温かい眼差しを通して割と楽観的に描いている。結果、映画を観ていても余り嫌な感じを受けない。
むしろ、時と場合によっては、面倒見のいい人として描いている。
例えばパルヴァネが自動車の運転を習いたいと言えば教えてやるし、彼女の夫パトリックが怪我をすれば病院まで運んでやるし、パルヴァネの子供たちには絵本まで読んでやる。
こうした世話焼きな一面も持っており、なんだかんだ言って、オーヴェは愛すべきキャラとして造形されている。
最も笑ったのは、先述したパトリックを病院へ運ぶシーンだった。オーヴェは車の中でガス自殺しようとしていたのだが、そこにパトリックが怪我したという知らせが入る。仕方なく彼はその車でパトリックを病院まで運ぶことにする。自殺から一転。人助けをするという展開が可笑しかった。
映画は、こうしたオーヴェの日常をスケッチしていく傍らで、自殺しようとする時に見る走馬灯や夢の中で彼の過去も回想されていく。そこから次第に妻ソーニャとの出会いや父親との思い出が明らかにされていく。
こうした回想もオーヴェの人物像に奥行きをもたらすという意味では奏功している。構成が上手く考えられていると思った。
ただ、全体的にそつなく作られていると思うが、ラストのまとめ方は蛇足に思えた。
オーヴェはルネという男と長年対立を深めている。終盤でその顛末が描かれ、ある種ハッピーエンド的なケリがつけられる。ここでエンディングにすればいいと思うのだが、本作はその後にエピローグを付け足してしまっている。これが映画の余韻を全く奪ってしまっている。個人的には不要に思った。