「残像」(2016ポーランド)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 第二次大戦後のポーランドではソ連の全体主義の暗い影が国中を覆い尽くそうとしていた。画家として創作活動に打ち込みながら大学で後進の指導に勤しむストゥシェミンスキは、ある日突然逮捕されてしまう。芸術を弾圧する当局からの嫌がらせを受けながら、彼はついに大学を追われてしまう。
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(レビュー) 時の政権によって葬り去られた実在の前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシュミンスキの不屈の精神をシリアスに綴った人間ドラマ。
監督、脚本はアンジェイ・ワイダ。本作は氏の遺作となる。
ワイダと言えば”抵抗三部作”に代表されるように、体制に抗う人々に焦点を当てたドラマを撮り続けてきたポーランドを代表する映画作家である。今作にもその作家的特質は十分に窺い知ることができる。
しかも、本作の主人公は実在した芸術家である。ワイダ自身も当然映画監督という”芸術家”であり、第二次世界大戦時には自信がレジスタンス活動に参加していたという経歴も持っている。そんな彼だから、本作のストゥシュミンスキにひとかたならぬ思いがあったことは疑いようのない事実であろう。ストゥシュミンスキと若い学生たちとの親交に、”映画人”ワイダの最後の遺言のようなものを感じられたのが興味深かった。
物語は序盤から異様な緊張感の中で始まる。ストゥシュミンスキの住むアパートに巨大なスターリンの垂れ幕がかけられ、それを彼が破いたことで彼は当局に逮捕されてしまう。部屋が垂れ幕の赤色で真っ赤に染まる映像演出が強烈で一気に画面に引き込まれた。
他にも本作には色彩の鮮やかさが印象に残るシーンがいくつか見つかる。青色と黄色を配した展示室、ストゥシュミンスキが住む部屋の黄色い家具たち、彼の娘が着る真っ赤なコート、そして亡き妻の墓前に飾る青い花等。冷え冷えしたトーンが覆う街並みの中にこうした鮮やかなカラーが配されると余計にスタイリッシュに感じられる。この色彩の鮮やかさは、ソ連が推し進めた社会主義的リアリズムとの対立を意味しているのだろう。
その後も、逮捕されたストゥシュミンスキの災難は続く。大学を追われ、芸術家委員会を除名され、別居中の妻は亡くなり、娘は部屋を奪われ、生活は次第に貧窮していく。そして、背に腹が変えられないと食品工場の宣伝ポスターを描く仕事にありつくのだ。かの芸術家も今や場末の日雇い人である。余りにも憐れである。
それでもストゥシュミンスキは最後まで体制に抗い続けた。この不屈の闘志は画家としてのプライド。そして芸術を死なせてはならないという魂からきているものである。ワイダ自身もそうした境遇にいた作家であることを考えれば、ストゥシュミンスキの生き様にワイダ自身の生き様が重なって見えるのは当然と言えば当然である。
映画は全体的にコンパクトにまとめられており、場面展開も軽快でストレスなく観ることができた。先述したような色彩演出も洒落ており、当時90歳だったというのが信じられないほど端麗な作品に仕上がっている。
演者もそれぞれに好演している。特に、ストゥシュミンスキを演じたポグスワフ・リンダの抑制を利かせた演技が絶品だった。フィルモグラフィーを見ると、彼はワイダの「鉄の男」(1981ポーランド)にも出演していたらしい。図らずも遺作の主演を演じることになってしまった所に運命を感じずにいられない。
「抵抗」(1956仏)
ジャンル戦争・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ドイツ占領下のリヨン。フランス人将校のフォンテーヌ中尉はモントリュック監獄の独房に収容された。中庭では毎日のように銃殺刑が行われる中、身の危険を感じた彼は早々に脱獄を計画するのだが…。
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(レビュー) ドイツの捕虜収容所から脱獄するフランス人将校たちの姿をスリリングに描いたサスペンス作品。
食事用のスプーンで穴を掘ったり、小包で届いた衣類とベッドの針金を使って脱出用のロープを作ったり等々。フォンティーヌは静かに、そして淡々と確実に脱出計画を実行していく。ドキュメンタリータッチで捉えたスタイルがヒリヒリとした緊張感を生み出し最後まで面白く観ることができた。
尚、本作を観てC・イーストウッド主演の「アルカトラズからの脱出」(1979米)を思い出した。あれもひたすら脱出計画を淡々と綴った作品だった。派手なシーンはないが、ラストの爽快感も含め実にスリリングな脱獄映画になっていて大好きな作品である。この「抵抗」も地味ながら中々の力作に仕上がっている。
監督、脚本はロベール・ブレッソン。プロの俳優を起用しないことで有名なブレッソンだが、ここでもそのスタイルは踏襲されている。能面のように表情を崩さないキャストたちの演技は、看守に脱獄計画を感付かれてはいけないという彼らの思いも相まってとてもリアルに感じられた。ポーカーフェイスを決め込んで淡々と実行していく演出はひたすらストイックである。いかにもブレッソンらしい。
映画は最初から最後までフォンティーヌのナレーションで進行し、脱獄計画をドキュメンタリックに展開させている。彼の心の内面も丁寧に語られるので、観ているこちらもそれに自然に感情移入することができる。
ブレッソンの作品の中では割と娯楽要素が高めな映画ではないだろうか。
それにしてもこの緊張感はただ事ではない。
例えば、周りのドイツ兵の顔は一切写さず、首から下だけしか見えない。そして、銃殺刑も機関銃の音だけで表現し、完全にフォンティーヌの”主観”を徹底的に追及されている。普通の監督ではここまで禁欲的な演出はできないであろう。
ラストはいい意味で期待を裏切ってくれた。案外ストレートな幕引きで終幕する。胸がすくようなラストは、これまた従来のブレッソン映画にはない娯楽色だろう。
「パリよ、永遠に」(2014仏独)
ジャンル戦争・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1944年8月25日、ナチス占領下のパリ。連合軍の進軍が迫る中、パリ防衛司令官コルティッツ将軍を中心にある作戦会議が開かれていた。それは、ヒトラーが命じた“パリ壊滅作戦”だった。やがて会議を終え、一人部屋に残ったコルティッツの元に中立国スウェーデンの総領事ノルドリンクがやってくる。彼はパリを守るために説得を始めるのだが…。
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(レビュー) 第二次世界大戦末期のパリ攻防戦をスリリングな会話劇で描いた戦争映画。
以前観た映画
「パリは燃えているか」(1966仏米)という作品があった。そこで描かれていたパリ焦土戦線が、今回の物語の背景となっている。連合軍の進行によりドイツ軍は降伏寸前まで追い込まれている状態にある。「パリは燃えているか」ではコルティッツは悪役という扱いであったが、今回は物語は主役の一人である。戦場を別の視点から見れるという意味では面白く観ることができた。
本作は、基本的にホテルの1室でのみ繰り広げられる会話劇になっている。後から知ったが、本作には元となった戯曲があるらしく、それを知るとなるほどと思った。
決して派手な戦闘が描かれるわけでなく地味な作りの映画だが、コルティッツとノルドリンクの会話が非常にスリリングに描かれており最後まで手に汗握る展開の連続で目が離せなかった。
すでに敗色濃厚な中、ヒトラーの命令に背けないコルティッツの葛藤。パリに特別な愛着を持つノルドリンクの作戦撤回を求めるネゴシエーションの妙技。二人の掛け合いがギリギリの瀬戸際で展開される。
監督、脚本は「ブリキの太鼓」(1979西独仏)で知られるフィルジャー・シュレンドルフ。
大変緻密で無駄のない作りが徹底されており、このあたりにはシュレンドルフの手腕が感じられる。途中でドイツ軍の作戦実行部隊の様子がカットバックされ、更に緊張感を盛り上げられているのも上手い演出だった。
尚、本作には原作者も脚本に参加しているので、そこも上手く功を奏しているように思う。スリリングな展開がストイックに徹底されており、上映時間も80分強とコンパクトにまとめられている。
それにしても、パリ奪還の裏側でこうした交渉が行われていたという事はまったく知らなかった。現在のパリがあるのは、ひょっとしたらノルドリンクのおかげかもしれない。歴史の教科書には載らない、知られざる舞台裏を垣間見た思いである。
「i-新聞記者ドキュメント-」(2019日)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 東京新聞社会部記者・望月衣塑子の活動を追ったドキュメンタリー。
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(レビュー) 同年に公開された「新聞記者」(2019日)のモデルとなった東京新聞社会部記者・望月衣塑子の取材活動を追いかけたドキュメンタリー。
監督は
「FAKE」(2016日)の森達也。前作「FAKE」と比べるといささか地味な印象はぬぐえないが、極めて問題意識の高い硬派な社会派作品となっている。
映画は全編に渡って望月氏の目を通して安倍政権に対する厳しい追及が描かれる。森友・加計問題や沖縄軍基地の赤土問題等、当時の政治面を賑わせた様々な問題が取り上げられているので興味深く観ることができた。
ただ、このドキュメンタリーの本質は『政治記者側の問題点』を明示したという点にあると思う。
ご存じの方もいるかもしれないが、大手メディアで構成される現在の記者クラブは政権にベッタリな組織になり果てている。記者会見では決まった質問をして決まった答えを引き出す。今回の望月氏のように、政権に批判的な質問をする記者なほとんどいない。この制度の閉塞性は今に始まったことではなく、連綿と続いているのだ。
映画は望月氏の取材活動の限界を通して、この記者クラブ制度の実態を赤裸々に描いて見せている。国民の知る権利はどこへ行ったのか?マスコミは政治を監視する役割を持たされているのではないか?改めて色々と考えさせる作品になっている。
ただ、個人的にはそれだけでは物足りなさを覚えるのも事実だった。政権とマスコミの蜜月はここで描かれるまでもなく、昔から映画の中では描かれてきたことであるし、そのこと自体に何の驚きも発見もない。
更に突っ込んで新聞社の内情にまでメスを入れないと、このテーマを語るには不十分という気がした。
むしろ、森監督自身がいかにして官房長官の記者会見に潜り込んでいくか?その悪戦苦闘をセルフレポートした方が、意欲的な作品になったのではないだろうか。本編の中で少しだけ描かれていたが、個人的にはそちらのほうに関心を持ってしまった。
尚、終盤にドキュメンタリーらしからぬ”ある映像演出”が登場してきて面食らった。言いたいことは分かるし、面白い趣向だとは思うが、本作の全体のトーンからすると若干違和感を覚えた。
「れいわ一揆」(2019日)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 山本太郎が2019年に立ち上げた政党れいわ新選組から出馬した東大教授・安富歩の選挙活動を追ったドキュメンタリー。
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(レビュー) 安富歩のことは本作の監督である原一男のyoutubeチャンネルに出演していたのを見ていたので知っていた。その時の安富氏は女性装をしており、原監督の質問に飄々と受け答えをしていた。いかにも原監督が好きそうな、物怖じしないアクの強い人物…という印象を持った。
彼はその時に確かに国政選挙に出馬するかもしれないと語っていた。自分はその場限りの単なる笑い話に過ぎないと思っていた。ところがである。それが現実のものになり、そして本当にこうして映画になった。正にひょうたんから駒である。
原監督はユーモアとペーソスを散りばめながら、ドキュメンタリーというジャンルにエンタテインメントを多分に持ち込むようなところがあり、自分はそこが毎回面白く観ている部分である。しかして、今回もその作家性は存分に発揮されていると思った。
主となる撮影対象は安富氏だが、彼以外にれいわ新選組の代表山本太郎氏や他の候補者たちも要所でフィーチャーされている。自分はれいわ新選組や山本太郎氏のことは知っていたが、安富氏以外の候補者については全く知らなかったので興味深く観ることができた。安富氏に負けず劣らず、みな個性的な人物たちである。
ただし、今回も前作
「ニッポン国VS泉南石綿村」(2017日)に続き、4時間を超える大作となっている。
残念ながら、今回はこれが非常に長く感じられた。まず、出てくる映像は基本的に街頭演説であり、絵面的に退屈してしまう。この構成であれば2時間程度が限界ではないだろうか。コンパクトにまとめても作品のテーマ自体は十分に伝わってくると思う。どういうわけか最近の原監督は大作志向に寄っている。
確かに安富氏の選挙活動は大変ユニークであることは間違いない。彼は馬が好きで、どこにでも馬を引き連れて演説をする。当然人々の注目を集めるので映像的には面白いものが出来上がるのだが、逆に言うとコレしかないのである。ホコ天での街頭演説はマイケル・ジャクソンの「スリラー」のダンスを用いて少し趣向を凝らしていたが、その他はほとんど同じ主張、同じ絵面の繰り返しである。やはりこれだけでは4時間という長時間を持たせるは難しい。
小規模態勢で撮影する原監督の作品である。撮影期間の短さやスタッフ不足。そのあたりの事情が祟っているのではないだろうか。
映画序盤で原監督は他の候補者も含めて群像劇風に撮りたかったと語っていたが、それが成功しているかどうかは甚だ疑問である。
「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020日)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 衆議院議員・小川淳也の17年に渡る政治活動を追いかけたドキュメンタリー。
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(レビュー) 自分は小川淳也氏のことを全く知らずに観た。しかし、一政治家の苦悩を赤裸々に描いたという点において、本作を興味深く観ることができた。
面白いのは、この監督は17年前に小川氏を撮影したのは単なる偶然に過ぎなかったという点である。本編にも出てくるが、監督は小川氏の縁故者であり、当時は新人候補のドキュメンタリーを撮るという軽い気持ちで始まっている。それがまさか17年も取材することになろうとは、おそらく監督本人も、そして小川氏も予想していなかったことだろう。その証拠に映画の企画のタイトルも途中から変更されている。この「なぜ君は総理大臣になれないのか」というタイトルはとてもインパクトがあって良いと思う。
それにしても、本人や家族、監督自身も吐露しているように、小川氏が政治家に向いていないということは映画を観ているとよく分かる。政治家は時にウソをつき、時に他人を蹴落とすほどの権力欲がなければ大成しない職業だと思う。残念ながら、5回も当選しているにも関わらず小川氏は、17年前の新人議員の頃から余り成長していないように見えた。また、選挙直前になって所属する党を変えるのも自信のなさの表れ以外の何物でもないだろう。
映画は後半から、離党する際の彼の苦しい胸の内をフィーチャーしていく。選挙に勝ちたいという思いと、投票者や関係者を裏切りたくないという思い。その板挟みにあう小川氏の葛藤は興味深く観れた。
選挙戦の舞台裏を描いたドキュメンタリーとしては想田和弘監督の
「選挙」(2006日)という作品が先にあるが、候補者と周囲の支える人たちの苦労は「選挙」同様、本作からもよく伝わってきた。
印象的だったのは小川氏の二人の娘の言葉である。「政治家の妻にだけは絶対になりたくない」と吐露している。政治家とは何とも因果な商売である。
「SOSタイタニック/忘れえぬ夜」(1958英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1912年、豪華客船タイタニックがイギリスからニューヨークに向けて出港した。ところが、その航海中に巨大な氷山に接触し船体が破損してしまう。大量の海水が浸水し乗客たちは決死の脱出を試みるのだが…。
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(レビュー) 有名なタイタニック号の悲劇をドキュメンタリータッチで描いたパニック映画。
J・キャメロン監督の「タイタニック」(1997米)を先に観ていた自分からすると、本作に出てくるシーンの幾つかは「タイタニック」の元ネタだった…ということに驚かされる。
氷山との衝突のシーンに始まり、浸水する中で覚悟を決めて抱擁する老夫婦。3等客室に取り残され暴動を起こす人々、女性と子供を押しのけて救命ボートに乗り込む会社重役等々。いずれもキャメロンの「タイタニック」で見た覚えがある。まさかここまで似たようなシーンが多いとは思わなかった。
もちろん両作品とも事故当日の状況を詳細にリサーチしたうえで製作しているのだから、似てしまうのは仕方がないことだと思う。どちらも真摯に作っているのだろう。しかし、カット割りや画面構図まで同じ個所があるのは流石に苦笑するしかない。
ただ、キャメロンの「タイタニック」は貧富の差を乗り越えて結ばれる男女の儚いロマンスがテーマだったのに対して、本作はあくまで事故の悲劇性そのものを描こうとしているように思った。そのため本作には確たる主人公は存在せずドラマも散漫で、どちらかと言うとドキュメンタリーに近い作りになっている。後半からライトラー航海士の活躍が描かれ、ようやくドラマを語る支柱が定まったという感じがしたが、それでも観終わった感想は何だか味気ない。
キャメロン版の「タイタニック」と違う点はもう一つある。それは遭難したタイタニックを外から見るという客観的視点を用意したことである。タイタニックの事故現場から15キロ先で航行中だったカリフォルニアン号。それとタイタニックからの救難信号を受けて救助に向かったカルパチア号。この2隻からの視点が作中には登場してくる。夫々の事故に対する対処の相違は印象に残った。
パニック・シーンは古い映画ということもあり、今の時代の映画に比べると迫力には欠けてしまう。ただ時代を考えればよく出来ている方だと思う。少なくともこれより後に作られたB級映画よりも特撮の出来は全然良い。
「クー嶺街少年殺人事件」(1991台湾)
ジャンルサスペンス・ジャンル青春ドラマ・ジャンルロマンス
(あらすじ) 1960年の台湾。夜間学校に通う小四は、家族とともに大陸から渡って来た外省人。不良少年同士の抗争に明け暮れ「小公園」というグループに入っていた。ある日、学校の保健室で小明という少女と出会い恋に落ちる。ところが、彼女は抗争を逃れて逃亡中だったボスの恋人だった。
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(レビュー) 1961年に台北で実際に起こった少年殺人事件をもとにした青春叙事詩。
まず、当時の台湾を状況を知っておかないと、小四の置かれている状況を理解するのはちょっと難しいだろう。
1949年、中国大陸での国共内戦に敗れた国民党政府は台湾に渡り、それに伴って約200万人もの人々が台湾へと移住した。小四の父は国民党員であり、言わば台湾人からすればよそ者なのである。だから、父は警察に尋問を受けたり、小四もクラスでは周囲から浮いていた。
そんな鬱屈した環境の中で、小四は暴力の世界に埋もれていく。また、彼の兄も賭けビリヤードにのめり込んでいくようになる。そんなバラバラな家族をよそに小四は、小明という少女と出会い荒んだ心に潤いを蘇らせていくようになる。
この映画は彼らの交友が瑞々しく描かれており印象に残る。そして彼らの淡い恋心はやがて訪れる殺人事件によって破壊されてしまうだろう…ということが予想され、観ている最中は何とも言えぬ切なさを覚えた。
上映時間は236分。かなり長大なストーリーだが、ドラマ自体は極めてシンプルなボーイ・ミーツ・ガール物である。ただ、その中に先述したような台湾の社会情勢、歴史的背景が織り込まれているので、鑑賞感はかなり重厚である。
ただし、この物語に4時間弱はさすがに冗漫と感じてしまうのも確かである。また、登場人物の整理が今一つしきれておらず、なんだか雑然とした印象を持った。
例えば、小明に恋する同じクラスの小虎や、小四の兄のドラマはメインのストーリーにさほど関与してこないので、あっても無くても良いエピソードのように思った。群像劇風にするのであれば、もっとじっくりと腰を据えて描いても良かったように思う。
監督、脚本は台湾ニューシネマの旗手エドワード・ヤン。
淡々とした演出が持ち味の作家で、独特の雰囲気、色彩感覚を持った名匠である。台湾を舞台にしていながら、どこかヨーロッパ映画を観ているような感覚を覚えるところが面白い。
例えば、小明のファム・ファタール振りは非常にクールである。小四との出会いの場面で見せた純朴そうな面持ちから、後半は一転。彼と面と向かって自らの男性遍歴を堂々と語る大胆さで本性を現し、実にしたたかな魔性の女振りを発揮している。
全体の映像の色彩感覚もやはりクールである。
暗闇のシーンにおける絶妙なノワール・タッチ、停電の室内を蝋燭や懐中電灯というアイテムによって恐怖と不安を創り出した演出は見事である。後半、雨のなかの抗争シーンもロウキーな映像で上質な肌触りを感じさせる。
その一方で、昼間のシーンでは透明感あふれる映像も散見され、青春ドラマらしい瑞々しさも感じられた。例えば、室内に差し込む外光などは絶妙である。
演出は基本的にロングテイクが多用されており、場面によっては息詰まるような緊張感、生々しさを創出している。
また、シリアスなドラマながら、ユーモアも随所に忍ばせているのも特徴的で、映画全体を見やすいものとしている。例えば、小四の親友で「小公園」の人気歌手、小猫王はいい味を出していた。プレスリーに憧れるひょうきん者である。
そして、何よりタイトルにもある「殺人事件」がいつ起こるのか?それがドラマの大きな求心力となっている。小四のクラスに小馬という転校生がやってくるのだが、彼は軍の司令官の息子で日本刀や銃といった武器を自宅に隠し持っている。小四と仲良くなっていくのだが、これが「殺人事件」のきっかけになるのではないか…と想像していくと、この映画は非常にスリリングに観れる。
尚、日本では最初に公開されたのは188分版だそうである。その後に236分版がリバイバル上映された。いずれも未見であるが、短縮版は小明のバックストーリーがかなり削られているらしい。物語のテンポは良くなるかもしれないが、これがないとドラマの魅力も半減してしまうような気がするのだが、どうだろう…。
「プロミシング・ヤング・ウーマン」(2020米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 元医大生のキャシーは、かつての輝かしい未来を捨て去り、現在は小さなカフェで働いていた。しかし、それは表の顔で、夜になると彼女は化粧をしてバーへ繰り出し、泥酔したフリをして言い寄ってきた男たちに容赦ない鉄槌を下すという行動に出ていた。ある日、カフェで大学時代の同級生で小児科医になったライアンと偶然再会する。
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(レビュー) 昼はカフェの店員。夜は魔性の女。二つの顔を持つ女性が過去の”ある事件”の復讐を成し遂げていくサスペンス作品。
過去にJ・フォスターが主演した「告発の行方」(1988米)という映画があった。J・フォスター演じる女性が泥酔して複数の男からレイプされるというシーンが大変ショッキングだったが、本作を観てそれを思い出した。
最近ではセクシャルハラスメントの被害を被った女性たちを中心に「Mee To」運動が巻き起こった。そして、それを真正面から描いた「スキャンダル」(2019米)という映画も作られて評判を呼んだ。
こうした性暴力は世界各国で問題となっていて、本作はそうした流れの中で製作された作品であることは間違いない。非常に現代的なテーマを扱った作品と言って良いだろう。
とはいえ、今や女性が強い時代と言う人々もいる。これまでは被害を被った女性は泣き寝入りするだけだったが、最近では声をあげて戦うヒロイックさも今の時代の流れである。本作の主人公キャリーは、まさにそれを体現する女性である。必殺仕事人よろしく、下心見え見えで言い寄ってきた男たちに容赦のない鉄槌を下していく。何とも頼もしい女性である。
そして、そんな彼女の一人自警団から徐々に見えてくる過去の”ある事件”。これが物語の中で上手くミステリとして効いている。
また、キャシーとライアンのやり取りは隠滅としたドラマに清涼剤のような効果をもたらしていて、特に中盤のパリス・ヒルトンをBGMとしたダイジェスト風のデートシーンが良い。そして、この幸福なひと時までもが終盤の伏線だった…という所に脚本の巧みさを感じた。
しかして、最後は全て丸く収まってハッピーエンドになるのかと思いきや、本作はその予想も難なく裏切る。観る人によって賛否が分かれるかもしれないが、個人的にはこの幕引きには唸らされた。
本作の唯一の難は、前半のキャリーの制裁の描き方であろうか。割とコメディライクに味付けされているので、それほど気にはならないのだが、しかしよくよく考えてみると過去の事件に何の関係もないナンパ男に対して制裁を下すのはお門違いであろう。言わば、キャリーの”病んだ”独りよがりな行動であり、復讐の理にはかなっていない。だからこその”この顛末”なのだろうが、この時のキャリーの葛藤が浅薄に映ってしまった。もう少しと深く掘り下げられていれば、違和感なく観れただろう。
また、終盤の展開は結末ありきのご都合主義に見えてしまった。カタルシスはあるのだが、余りにも上手く行き過ぎている感じがした。もっと泥臭くしても良かったのではないだろうか。
製作、監督、脚本はこれが長編デビュー作となるエメラルド・フェネル。初見の監督であるが、どうやらこれまでは女優として活躍してきた女性らしい。残念ながら自分は1本も観たことがないので彼女の魅力は語れないが、少なくとも本作を観てディレクター、ライターとしての能力はかなり高いものを持っていると感じた。
演出は軽快で、映像づくり、特にファッションやプロダクション・デザインに関しては結構工夫が凝らされている。
キャストでは何と言ってもキャリーを演じたキャリー・マリガンの好演が印象に残った。ファニーな表(昼)の顔とセクシーな裏(夜)の顔。このギャップがキャラクターの魅力を引き立たせており、これは元来ベビーフェイスな彼女だからこそ可能となったキャラクターであろう。