「エレニの帰郷」(2008ギリシャ独ロシアカナダ)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 映画監督の“A”は、母エレニの愛の物語を映画にしようと苦闘していた----。1953年のソ連。かつて愛するスピロスと引き裂かれたエレニはギリシャ難民の町で暮らしていた。そこに彼女を追って遥々やって来たスピロスが現われ、2人はようやく再会する。ところが、スターリン死去の混乱の中で2人は逮捕され、再び離ればなれとなってしまう。シベリアに送られたエレニはそこでイスラエル難民ヤコブと出会い惹かれあっていくのだが…。
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(レビュー) 巨匠テオ・アンゲロプロス監督が”20世紀”を描く三部作の第2作。「エレニの旅」(2004ギリシャ仏独伊)の続編である。尚、第三作の撮影途中でアンゲロプロスは他界し、結局この三部作は完成しなかった。本作が彼の遺作となる。
物語は前作から続いているので、予め「エレニの旅」を鑑賞してから本作を観たほうが良いだろう。
前作で故郷を失ったエレニは大人へと成長し、今作では愛するスピロスと一時の幸福の暮らしに浸る。しかし、時はソ連激動の時代である。二人は再び離れ離れになってしまう。その時、エレニはヤコブというイスラエル難民と出会い淡い恋に落ちる。
一応物語の大筋はこういった感じなのだが、本作は構成が若干複雑で、エレニの過去のドラマはエレニの息子で映画監督Aが製作する劇中劇のスタイルで語られている。彼は母親エレニの物語を映像化中であり、その中でエレニのドラマが展開されていくのだ。
もちろん、現在のドラマの中でもエレニは登場してくる。エレニとスピロスは過去の受難の歴史を乗り越えて今では慎ましく暮らしている。そこにヤコブが現れる…というのが現代編のドラマとなっている。
注意して観てないと、これは現在のドラマなのか、それとも劇中劇の過去のドラマなのか分かりづらいので、そこは観る人によって混乱するかもしれない。
更に、現代編ではAと妻子のドラマも描かれているので、ますます物語は複雑化していく。
時世の往来と複数の人物が重層的に入り乱れる内容は、正直言ってやや不親切な作りに思えた。おそらく1回観ただけではすべてを理解するのは難しいのではないだろうか。
映像はアンゲロプロスらしいロングテイク&ロングショットが随所に見られ、氏の健在ぶりが確認できる。
例えば、Aがエレニと再会する国境のシーンは霧に包まれた幻想的な光景で印象的である。同監督作の「霧の中の風景」(1988ギリシャ仏)を連想させられた。他にも、病院の屋上でビラを配る女性の姿から歩道を行進する軍隊までを1カットで捉えたロングテイクも大胆で印象に残った。
ラストカットは、アンゲロプロスにしては珍しいスローモーションのロングテイクである。これも抒情的で面白い試みに思えた。
ただ、これまでの作品比べると、そこまで長回しは多くはない。また、意外にもクローズアップも結構多く、画面の壮大さという点では過去作に比べると物足りなさも覚えてしまう。
キャスト陣はW・デフォー、I・ジャコブ、M・ピコリ、B・ガンツといった国際色豊かな名優たちが揃っており見ごたえがあった。
尚、本編には20世紀を象徴するような事件が次々と登場してくる。スターリンの死、ベルリンの壁の崩壊、そしていよいよ1999年の大みそかという所まで描かれている。”20世紀”を描く本シリーズであるが、その20世紀はひとまずここで終着したということになる。果たして第3作ではどんな内容になるはずだったのだろうか?それは永遠の謎となってしまったが、返す返すも偉大な映画作家の死が惜しまれる。
「最後の脱出」(1970英)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) 環境汚染による自然破壊が極度に進み食料危機や疫病が蔓延した世界。建築家のジョンと妻アン、娘のメアリーは、非常事態が宣言されたロンドンから郊外の弟の牧場へ避難する計画を案じる。しかし、彼らの行く手には強奪や暴力の世界が待ち受けていて…。
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(レビュー) 滅亡の危機に瀕した世界で繰り広げられるサバイバル・ロード・ムービー。
製作された年代を考えると、公害、食糧危機、エネルギー不足といった問題が俄かに取り沙汰されていた時代なのかもしれない。来るべき未来に対する警鐘が時代の先見を呈していることはSF作品ではよくあることだ。昨今の疫病の蔓延などを見てもそのことは痛感される。
本作には「草の死」という原作がある。1957年に刊行されている(未読)が、その頃からこうした終末物が書かれていたということは驚きである。いつの時代も”世紀末”というのは物語のファクターとして存在していたという事である。
さて、映画の出来はというと、正直微妙である。演出にムラがあり全体のバランスがうまく取れていない。また、低予算なせいで世界観に余り広がりが感じられないのも残念だった。全世界がパニックに陥っているという状況に余り現実味が感じられなかった。
基本的にはジョンたち一家のサバイバル劇をドキュメンタリータッチで描く作りなのだが、途中で意味不明に暴力やレイプのシーンがカットインされており、これも余り成功しているとは言い難い。おそらくメリハリをつける意味でこうした演出をとっているのだろうが、案の定そのシーンは後になって登場してくるし、前もって見せられているのでショック度が半減してしまっている。
こうした奇妙な演出のせいで珍品的な作品になっているのだが、ただ後の作品に影響を及ぼしているのではないかと思われる節もあり、観ようによっては興味深い部分もある。
例えば、後半でジョンたちはバイカー集団の襲撃にあうのだが、後の「ゾンビ」(1978米伊)や「マッドマックス」(1979豪)を彷彿とさせたりもする。
また、ジョンはアイパッチをしているのだが、これも「ゾンビ」の冒頭に出てきたテレビコメンテーターに重なって見えた。
あるいは、殺伐としたロードムービーということで言えば「28日後…」(2002英)との共通性も感じられた。途中でジョンたちは、あるカップルと合流して行動を共にするのだが、彼らとの緊迫した関係は面白く観ることができた。
後に終末物はどんどん作られていくが、それらに先んじた設定、描写を見出すことができる。そういう意味では本作はある意味で画期的な作品だったのかもしれない。
もう一つ、力こそ正義という弱肉強食主義を物語の中で徹頭徹尾、貫き通した点は野心的だと思う。何せ主人公のジョンでさえ生き残るためには平気で人を殺し、食料を奪うのだから、まったくもって容赦がない。
製作、監督はコーネル・ワイルド。元々は俳優だが、後年は監督業にも進出し、本作のようなハリウッドとは一線を画した映画作りを行っていた才人である。その映画作りの姿勢はここでも一貫している。娯楽性を排した冷徹なエンディングと過剰なバイオレンス描写は、明らかに既存のハリウッド映画とは相対するものであり、そこに彼の作家性が認められる。
「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」(2017米)
ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) 猿の群れを率いるシーザーは、冷酷非情な大佐の奇襲によって愛する妻子を殺されてしまう。わずかな仲間と共に復讐の旅へと出たシーザーは、その道中で口のきけない人間の少女と出会い、ノバと名付けて一緒に旅を続けることにするのだが…。
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(レビュー) SF映画の傑作「猿の惑星」シリーズのリブート版。全3部作の最終章。
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(2011米)、
「猿の惑星:新世紀(ライジング)」(2014米)に続く第3作である。
前作でシーザーの片腕だったコバの反乱により、人類との争いに再び火がついた”猿”対”人類”の戦い。今作はそれから2年後を舞台にしている。
しかして、今回のシーザーの戦いは更にハードコアなものとなっていて、もはや復讐の連鎖といったテーマを軽く超えて、本作をもってシーザーという一人の英雄の神話にまで到達したように思う。権力闘争における欲望の醜悪さ、親子の絆の数奇、民族を率いる指導者としての苦悩といった様々なドラマを見事に着地させることに成功し、観終わった後にはギリシャ悲劇を見終わったような感動を味わえた。
この手の娯楽映画でここまで主人公が苦悩し続ける作品は珍しいのではないだろうか。延々と観客は鬱積を抱えることになり、決してハッピーになれる映画ではないが、そこに敢えて挑んだという意味においては本シリーズは大変冒険的な作品と言える。
もっとも、これは前2作についても言えることなのだが、確かに所々に脚本の穴はある。悩めるシーザーが大佐にアッサリと捕まってしまうあたりは都合が良すぎるし、人間側に寝返ったレッドの心変わりも葛藤描写が不足しているせいで説得力が薄い。人間同士の戦いをあそこまで大規模なものにする必要性があったのかどうか?曲がりなりにもアクション大作映画という対面性から大掛かりな戦闘にしたのだろうが、そもそも人類が絶滅寸前であることを考えれば不自然である。残念ながら、こうした疑問点は色々と残ってしまった。
しかし、ラストのエモーショナルさや人間の少女ノバに託された未来に対する希望、更にはエイプはエイプを殺さないという掟を逆手に取った戦いの顛末については実によく考えられていると思った。
各作品に登場する人間サイドの主役は全て変わっているのも特徴的で、そのたびにシーザーが置かれる状況も変わることになる。普通であれば3つの作品がバラバラになってもおかしくないところを、きちんと1本のストーリーとしてまとめ上げた点は称賛に値する。
このシリーズはオリジナルである「猿の惑星」シリーズの前日弾という位置づけになっていることを考えると、幕引きの仕方も見事のように思う。オリジナル版の第1作にそのまま繋がるかと言えばそういうわけではないが、安直にそこに持って行った所で陳腐になるだけである。シーザーの成長と葛藤に焦点を当てた一大叙事詩だという観点からすれば、むしろこのエンディングは正解だったように思う。
CGのクオリティについてはこれまで通り見事である。
シーザーを演じたA・サーキスの演技も素晴らしい。モーションキャプチャーの演技は演者の表情や所作が画面にそのまま映し出されるわけではないので評価されずらい面があるが、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラム役の頃から活躍しているベテラン俳優である。その熟練した演技はもはやレジェンドと言って差し支えないところまで来ているように思う。
「デイブレイカー」(2009豪米)
ジャンルホラー・ジャンルSF
(あらすじ) 2019年、謎のウイルスの蔓延によって世界は95%もの人間がヴァンパイアとなっていた。ヴァンパイアは人間の血液を食料としてたが、今や人類減少による食糧問題は深刻化していた。巨大製薬企業マークス社で代用血液の研究開発に従事するエドワードは、ある夜ヴァンパイアに追われる人間たちと遭遇し、とっさに彼らを助けてしまう。
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(レビュー) ヴァンパイアに支配された世界を舞台にしたSFホラー作品。
古来からある吸血鬼をこうしたSF仕立てで描いた点が本作の妙味だろう。
人間がウィルスによってヴァンパイアになるというのは、いかにもゾンビ映画のような設定であるが、はっきり言うとこの映画。ヴァンパイアをゾンビに置き換えても成り立つ作品かもしれない。
そもそもゾンビ映画の古典
「恐怖城」(1932米)に見られるように、その原型は吸血鬼映画にあった。この歴史を踏まえれば、今回のヴァンパイアの立ち位置がゾンビのそれと似ているのは当然という気もする。
監督、脚本は「アンデッド」(2003豪)で注目されたスピリエッグ兄弟。「アンデッド」はゾンビとエイリアンとマカロニ・ウェスタンのごった煮B級ムービーで、その破天荒なアイディアに驚かされたものである。そんな彼らがハリウッドに渡って製作されたのが、この「デイブレイカー」である。
今作はブルーでクールな映像トーンが印象的で、終末感漂う世界観が中々魅力的である。
但し、そこで繰り広げられるバイオレンスシーンはかなりハードで、このあたりには前作で見せた彼らの資質が継承されている。特にクライマックスの大殺戮シーンのゴア描写はゾンビ映画真っ青の出来栄えである。
物語はシンプルながら上手く構成されていると思った。エドワードの葛藤は良く伝わってくるし、ラストも気持ちよく締めくくられている。
欲を言えば、マークス社の暗躍にもう少し捻りが欲しかった気がするか…。また、世界中のパンデミックという割に物語のスケール感が小さいのも気になった。この辺りは予算の少なさが関係しているのかもしれない。
「トゥモロー・ウォー」(2021米)
ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) 元軍人のダンは愛する妻子と幸せな暮らしを送っていた。ある日、テレビでサッカー観戦をしていると、突然30年後の未来からやって来たという軍隊が現れ試合が中断してしまう。未来の地球はエイリアンに侵略され、残り少なくなった人類は必死の抵抗をしているという。ダンを含めた現代人たちは、その戦いに否応なく巻き込まれていくことになる。
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(レビュー) エイリアンに侵略された未来の地球を救う戦いを描いたSFアクション作品。
SF侵略物であるが、そこにタイムワープの要素を盛り込んだところが新鮮である。
ただ、物語は突っ込みどころ満載なので余り深く考えないで見るのが吉であろう。展開が早いせいで未来の世界観やタイムワープの装置などの説明がほとんどなされていない。更に、未来の戦場に送り込む兵士が足りないからと言って安易に徴兵制度を取り入れるのもどうかと思う。銃を撃ったことがないド素人が何万人送り込まれてもただの無駄死にしかならない。いくら後がない戦いとはいえ余りにも悲壮的すぎる。
見所は何と言ってもエイリアンとの戦いを描いたアクション・シーンだ。エイリアンのデザインが中々キモい作りで良い。また、
「世界侵略:ロサンゼルス決戦」(2011米)や
「バトルシップ」(2012米)のような見掛け倒しだけで終わるのではなく、今回のエイリアンはかなり強い。これなら地球が制圧されても仕方がないと思わせるだけの説得力がある。
アクションシーンばかりに目が行くが、ダンと家族の絆のドラマも中々に魅せる。少し
「インターステラー」(2014米)を連想させるが、そこはそれ。中々ドラマチックに盛り上げられていて感動的である。
また、ダンと父親の確執も物語のキーポイントで上手く機能していた。ただ、終盤がかなり乱暴な展開になってしまっているので、父親側の葛藤をもう少し掘り下げてあげる必要があったと思う。そうすれば、もっと自然に観れたかもしれない。
ダンを演じるのはクリス・プラット。アクション大作ではお馴染みの人気スターだが、その魅力は何と言っても独特のファニーさにあろう。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014米)は、その魅力を最大限に活かした好例であるが、本作でもそれは要所で確認できる。基本的にはハードなドラマであるが、どこかホッと一息つけるのは彼のキャスティングのおかげであろう。彼は本作で製作総指揮も兼ねている。
本作は新型コロナの影響で劇場公開が見送られ配信のみとなってしまった。興行的には大きな痛手になったかもしれない。しかし、ユーザーの評判は上々なようで続編の企画も進んでいるということなので、次回があれば今度こそ大きなスクリーンで観てみたいものである。
「フリー・ガイ」(2020米)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー・ジャンルコメディ
(あらすじ) ”フリー・シティ”というオンラインゲームのモブキャラ、ガイは、ある日ミステリアスなモロトフ・ガールと出会い恋に落ちる。彼女は、ある目論見をもってこのゲームに参加しているプレイヤー、ミリーのアバターだった。そんなことを知らずに猛アタックするガイだったが…。
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(レビュー) オンラインゲームの世界のモブキャラがヒーローになって悪党と戦っていく痛快アクション・アドベンチャー。
仮想世界をモティーフにした映画は「マトリックス」(1999米)以降、一つの流れを完全に作ったように思う。最近では
「レディ・プレイヤー1」(2018米)といった作品も製作されたし、ハリウッドで実写化の企画も進行中の日本のラノベ「ソード・アート・オンライン」といった作品もある。この「フリー・ガイ」はまさにそうした流れの中で製作された作品と言って良いだろう。
本作の白眉は、「ゲームの世界」=「単なるお伽噺」という所で終わっていないことである。得てしてこの手の作品の場合、仮想世界のドラマはあくまで仮想世界の話であって、その世界の中で完結してしまう場合が多い。しかし、本作は仮想世界に我々が生きる”現実”が投影されている。
例えば、ここで描かれているモブキャラたちは、平凡に生きる我々自身の姿といって良いだろう。我々は決してヒーローになれなし、目の前の暮らしを毎日繰り返していくだけの存在である。ガイたちモブキャラもまさにそうである。全員がゲームのキャラクターを演じることに何の違和感も持たずに変わらない日常を送っている。そんな彼らを見ていると何だか他人事のように思えなくなってしまう。
そうなってくると本作のテーマも自然とこちらの胸に響いてくる。
モブキャラだってヒーローになれるということ。平凡に生きる我々にもそれぞれに生きる価値があるということ。退屈な日常から抜け出すための勇気と希望を持つこと。そうした前向きなメッセージが観ているこちら側に自然と伝わってくる。
本作は”ゲームの中の世界”を描いておりながら、人生の在り方を説いて見せている。ここが他の仮想世界を題材にした作品と大きく異なる所だと思う。
脚本家の名前を調べてみると、先述した「レディ・プレイヤー1」の脚本に参加していたザック・ペンが名前がクレジットされていた。彼はシュワルツェネッガー主演の「ラスト・アクション・ヒーロー」(1993米)の原案も担当しており、こうした虚構と現実を舞台にしたドラマを得意としているのかもしれない。今回もその作家性がよく出ていた。
ただ、厳しい目で見てしまうと、物語は想定の範囲に収まっており、キャラクター造形も画一的すぎるきらいがある。明快にして軽妙な物語は万人受けするだろうが、もう少しキャラクター的な深みも欲しかった。特に、ガイが自分のことをモブキャラだと知った時の衝撃をも少しじっくり描いて欲しかった。
ガイの活躍を描く”ゲーム内の世界”ばかりに目が行くが、その一方で本編では”フリー・シティ”を開発した青年キーズと女性ミリーの関係を描く”現実世界”のドラマも並行して描かれる。こちらも中々面白く観れた。ゲームと現実。二つの世界を往来するミリーの恋心が語られ、その行方はラストで爽快感溢れる結末を迎える。
映像的な見所は何と言っても”フリー・シティ”の世界観である。ゲームのプレイヤーは皆サングラスをかけて参加するのだが、そのサングラスを通して見える世界が面白い。オンラインゲームをやったことがある人なら分かると思うが、このワクワク感はたまらないものがある。
監督は「ナイトミュージアム1&2」や
「リアル・スティール」(2012米)等を撮ったショーン・レヴィ。軽快な演出を得意とするエンタテインメント作家として実績のある監督である。今回も安定した手腕を見せている。
「スパイダーマン:ホーム・カミング」(2017米)
ジャンルアクション・ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ニューヨークに暮らす15歳の高校生ピーター・パーカーは、憧れのトニー・スタークに見込まれ、彼が開発した特製スーツに身を包み、スパイダーマンとして街のパトロールに精を出していた。その頃、スタークに仕事を奪われ復讐に燃える男エイドリアンは、地球外の物質から強力な武器を作り出し、ニューヨークを危機に陥れようとしていた。
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(レビュー) MARVELコミックの人気ヒーロー「スパイダーマン」の映像化。
これまでにT・マグワイアが演じたサム・ライミ版、A・ガーフィールドが演じた「アメイジング・スパイーダマン」と、何度も映画化されてきたシリーズであるが、今回はこれまでとは趣向を変えた作りになっている所が面白い。何とピーターはすでに最初からスパイダーマンとして活躍しているのだ。
本作は
「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016米)の次に製作されたMCU作品である。今回のスパイダーマンはすでにそこで登場しており、物語的な時系列では本作はその直後という設定となっている。したがって、「シビル・ウォー~」を観ていれば、今回はそのままドラマに入り込んでいける作りになっている。できれば、「シビル・ウォー~」を鑑賞してから本作を観たほうが良いだろう。
さて、これまでのシリーズと違うということで言えば、もう一つ。本作は学園青春ドラマ的な要素が大きなチャームポイントとなっている。ピーターの周囲に集まるクラスメイトとの友情、恋愛なども展開され、ヒーローとしての活躍以外にピーターの素の表情を垣間見れるのが面白い。
テイストもこれまでとは違い、彼のヒーローとしての重圧や苦悩といった葛藤は、この時点ではまだほとんど無い。大変明朗な作りになっているので誰が観ても楽しめるエンタメ色の強い作品になっている。
これを良しと取るか、物足りないと取るかは人それぞれだろうが、ただ少なくとも既存のシリーズとの差別化という意味では成功していると言えよう。
アクション・シーンも十分に楽しめた。
あらすじで書いたように、ピーターはスタークに見初められた新米ヒーローである。街のパトロールだけをしているので、まだまだ半人前扱いである。前半は派手な活躍場面はないが、コミカルさを前面に出した小さな”世直し”を中心に面白く観ることができた。
クライマックスでは一転、アイアンマンも登場して大掛かりなアクションシーンになっていく。ここから一気にドラマは熱が入ってくる。前半と後半でメリハリを利かせ、より一層このクライマックスシーンを熱く引き立たせている。
このように本作はドラマとアクションシーンが上手く噛み合っており、リブート版としてはこれ以上ないくらい成功しているのではないかと感じた。
キャストでは、ピーター役のトム・ホランドに新鮮な魅力を感じた。これまでのスパイダーマン像を壊さず、それでいて軽妙でやんちゃな新たなヒーロー像を作り上げている。
また、今回のヴィラン、エイドリアン=バルチャーはマイケル・キートンが演じている。過去のヴィランに比べて取り立てて目立ったインパクトはないものの、彼はかつてバットマンを演じていたことがあり、その経歴を知っていると中々感慨深いものがある。
「ワンダーウーマン」(2017米)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 女性だけが暮らすアマゾン族の島に生まれ育ったプリセンスのダイアナは、最強の戦士になるべく、日々過酷な訓練に打ち込んでいた。そんなある日、外界から隔絶されているその島に、アメリカ人パイロット、スティーブが乗る飛行機が不時着する。初めて見る男の姿に興味津々のダイアナだったが、スティーブから外の世界では大きな戦争が起こっていると聞かされ…。
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(レビュー) DCコミック原作「ワンダーウーマン」の実写映画化作品。
監督は衝撃の実録犯罪映画「モンスター」(2003米)を撮った女流作家パティ・ジェンキンス。前作とガラリと変わり娯楽テイストを全開に、そこかしこに女性ならではの繊細さや胸キュンシーンを盛り込んだ快作となっている。
例えば、アマゾン島を出たダイアナがスティーブに連れられてロンドンの町を巡るシーン。ダイアナが洋服店で新しい服を選ぶシーンなどは、キャラクターに対する愛着感、親近感を自然と湧き起こさせてくれる。
全体的に戦時下ということもあり決して晴れやかな景観ではないのだが、ダイアナとスティーヴが街の中を並んで歩くだけで何となくデート中のカップルみたいに見えて微笑ましく感じられた。
このシーンを含め、本作にはダイアナのカルチャーギャップ・ネタが色々と登場してくる。何せ外界から隔絶された世界で成長した世間知らずなお姫様であるダイアナにとって、人間界は見るもの聞くもの全てが新鮮である。そして、そんな彼女を見た周囲の人間のリアクションも可笑しかった。
ただ、物語は終盤に行くにつれて徐々にハードになっていく。元々がそういう出自のジェンキンス監督なので、終盤のハードな演出は乗りに乗ってやっているという感じがした。
例えば、ダイアナとスティーヴの別れのシーンにおける無音演出などは実に切なくさせる。ここは感動的だった。
もっとも、その後に同じシーンを回想で反復させたのはいただけなかったが…。これではせっかくの味わいが台無しである。
アクションシーンはCGを駆使しながら中々上手く作られていたと思った。特に、ダイアナがドイツ軍に占領された村人を救おうと最前線に立ちはだかる姿の勇ましさといったらない。襲い掛かる銃弾を次々とはじき返しながら敵陣に向かっていく姿は、彼女の正義感と勇気、心の強さを見事に表してる。
しかし、クライマックスの敵ボスとの戦いはやや工夫が足りないと感じた。そもそも今回の敵ボスにあまり強さを感じないのが残念である。これではあまり盛り上がらない。
また、これは脚本上の失敗だと思うのだが、今回の戦いにはスティーブを含め4人の仲間が加わる。いずれもスーパーヒーローではなく普通の人間なのだが、彼らをストーリーに上手く活用できていないのも残念だった。特に、臆病な狙撃手チャーリーの扱いは中途半端である。彼にもそれ相応の活躍場面を用意してあげないと一体何のために登場させたのか分からなくなってしまう。実に勿体なく感じた。
キャストでは、ダイアナを演じたガル・ガドットの魅力が抜群だった。美しく逞しいヒロインを凛々しく体現し、原作のイメージを壊さず見事に演じきっている。また、スティーブに対するほのかな想いも上手く表現しており、ビジュアルのみならず演技自体のクオリティもかなり高い。
「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Play」(2020米)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ジョーカーと別れたことがゴッサム中に知れ渡り、たちまちあらゆる悪党どもから命を狙われる立場となったハーレイ・クイン。そんな彼女が、ひょんなことから謎のダイヤを盗んだ少女カサンドラを守るために立ち上がる。
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(レビュー) DCコミックの「バーズ・オブ・プレイ」の人気キャラクター、ハーレイ・クインの活躍を描いたアクション作品。
DCコミックの悪役キャラ総出演で描いた「スーサイド・スクワッド」(2016米)は興行的には成功したが、批評的には賛否が分かれた。その「賛」の意見の多くはジョーカーの恋人ハーレイ・クインの強烈なキャラクターにあったことは誰もが認める所であろう。本作はそのハーレイ・クインを主役に据えて作られた作品である。
ハーレイ役は「スーサイド・スクワッド」から引き続きマーゴット・ロビーが演じている。「スーサイド・スクワッド」同様、本作も彼女の魅力は健在である。
ポップでカラフルでコミカルで、時に男顔負けのバイオレントなアクションを繰り出す彼女の演技が全編にわたって堪能でき、ファンなら間違いなく楽しめる1本だろう。
そして、今作には彼女以外にも”強い女性キャラ”が複数人登場してくる。上司からパワハラを受ける女刑事、場末のバーで歌いながらヤクザに囲われている売れないシンガー、マフィアに家族を殺された過去を持つ女殺し屋。彼女たちもそれぞれに個性的で、ハーレイの活躍を盛り上げている。
このように本作は女性の活躍が非常に目立つ作品である。強い女性像をいまさら描いても…と思うかもしれないが、セクハラや性暴力の被害が絶えない現在。昨今の”MeToo”運動を含め、今改めてこうした強い女性像が求められていることも事実であろう。今の時流をかなり意識して作られた映画のように感じた。
物語は非常にテンポよく進む。全体的にこじんまりとした感は否めないが、大作志向のこれまでのDC映画に比べれば上映時間も短いし、敢えてB級志向に寄せたいという作り手側の意識が感じられた。ダークで重苦しいC・ノーラン版「バットマン」とは明らかに異なるトーンで、差別化という意味では面白い挑戦である。
個人的には、ハーレイとダイヤを盗んだスリ少女カサンドラの関係性が面白く観れた。本作で唯一ドラマ性が認められるのはこの部分で、二人の姿は年の離れた姉妹のようで実に微笑ましく観れた。
ただ、現在と過去をカットバックで展開させる前半の構成は、それほど大きな効果をもたらしているようには思えなかった。いたずらに感情移入を削ぐような作りになってしまったという気がしなくもない。
また、全編ハーレイのモノローグを入れることで彼女を狂言回しの立場にしてしまったのも、観る側を白けさせるだけのように思う。彼女が何でもかんでも情報を知ってしまっていることに違和感を覚えた。
映像は軽妙且つスタイリッシュで見事である。物語の舞台はゴッサムシティということだが、これまでの「バットマン」のダークな世界観とはガラリと変わって大変身近なものに感じられた。
「ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党、集結」(2021米)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) 南米のとある国家でクーデターが起こる。新たに誕生した軍事政権はアメリカに反旗を翻し恐るべきスターフィッシュ計画を発動した。この情報をキャッチしたアメリカ政府は、ジョーカーの元恋人ハーレイ・クインやスーパーマンを半殺しにした最強スナイパーのブラッドスポートはじめ、いずれ劣らぬ極悪囚人たちを集め、10年の減刑と引き換えに極秘ミッションを課す。
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(レビュー) DCコミックのヴィランを総結集させた極悪集団”スーサイド・スクワッド”の活躍を描いたアクション大作。
2016年に「スーサイド・スクワッド」(2016米)というタイトルで一度映画化されたが、興行的には成功したものの批評的には賛否あり結局シリーズ化されることなくたった1本で終わってしまった。今回はその仕切り直しという事で、ディズニー・マーベルスタジオを解雇されたばかりのジェームズ・ガン監督を招いて製作されたリブート版である。
ジェームズ・ガンと言えば
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014米)と
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」(2017米)で一躍ハリウッドのヒットメーカーとなった気鋭の作家である。残念ながら過去の発言によりディズニー・マーベルスタジオとの契約を解除され、一時は映画を撮れなかった。そこを救ったのがライバルであるDCである。結果、こうして新作を撮れたことは非常に嬉しく思っている。
尚、彼は本作の後に古巣マーベルに戻り「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(以下「GOTG」)の第3弾を撮影する予定となっている。
さて、前回の「スーサイド・スクワッド」(以下「スースク」)は一応観たことはあるのだが、残念ながら個人的には今一つだった。キャラクターは揃っているのだが、ハーレイ・クインを除く他のメンバーが余り印象に残らなかった。
監督のD・エアーは
「エンド・オブ・ウォッチ」(2012米)という傑作を輩出した才能ある映画監督だと思う。しかし、「スースク」のような群像劇を描くのは、どうやら余り得意ではないようである。
今回の仕切り直しスーサイド・スクワッド(以下「新スースク」)は、そのあたりの欠点が見事に補修されている。何せ「GOTG」で魅力的な荒くれ者たちの群像劇を見事に創り上げた経験を持っている。やはりガン監督は複数人がチームを組んで何かを成し遂げる、という作劇を得意としているのだろう。
本作では全部で14人の超人が登場してくる。一見すると多すぎると思うが、ご心配なく。冒頭の戦闘シーンで大半が死んでしまう。この人を食った幕開けからして、いかにもガン監督らしいユーモアだと思ったが、以後は少数精鋭のメンバーを軸にしたドラマに落ち着いていく。
特に、夫々のバックストーリーを軽快且つユーモラスに紹介して見せたあたりは中々に上手い。物語を停滞させることなく自然な流れの中で消化している。ここが前「スースク」と決定的に違う所である。
物語自体はいたってシンプルな言わば”砦攻略物”となっている。2時間強の長さをかけて内容はコレだけと言うのはやや寂しい印象も受けるが、そこはそれ。アクションに重点を置いた作りは娯楽映画としての潔さを感じる。
「特攻大作戦」(1967米)や
「ナバロンの要塞」(1961米)といった戦争映画との共通性も感じられた。
様々な個性的なキャラが登場してくるが、個人的に一番気に入ったのはネズミ使いの”ラットキャッチャー2”だった。彼女は父と別れた悲しい過去を持っているが、これがクライマックスで感動的にインサートされている。これには思わず胸が熱くなってしまった。ちなみに、彼女とブラッドスポートのバックストーリーを絶妙にリンクさせたあたりも実に上手い。こうした浪花節的な作劇は「GOTG」でも見られたが、正にJ・ガン監督の面目躍如といったところだろう。
アクションシーンで最も印象に残ったのは、ハーレイ・クインの脱走シーンである。ユーモラスでブラックでガーリーな映像演出に監督のセンスを感じる。
ただ、全体的にバイオレンスシーンは過激で、中には幾分ゴア描写も入ってるので観る人によって好き嫌いが分かれるかもしれない。本作はR15指定作品である。
尚、エンド・クレジットの後にオマケがついているので最後まで席を立たずに見届けよう。