「非情の罠」(1955米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ボクサーのデイヴィーは、向かいのアパートに住むダンサーのグロリアに好意を寄せる。しかし、彼女は大物ギャングのラパロの情婦だった。デイヴィーは彼からグロリアを救い出そうとするのだが…。
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(レビュー) 巨匠S・キュ-ブリックの商業映画デビュー作。監督、脚本、撮影、編集、録音とほとんど一人でこなしている。
話自体はとりとめのないボクサーとダンサーの恋の逃避行なのだが、映像演出は各所で氏の才能の萌芽が見て取れる。
例えば、デイヴィーとグロリアのアパートは向かいあっており、窓越しにお互いの部屋が見えるようになっている。デイヴィーから捉えたグロリアの美しい姿は芸術的で、画面設計に対する凝り具合がいかにもキューブリックらしい。
他にも、ラパロの事務所に続く階段を捉えたシンメトリックな構図などもキューブリックが好みそうなショットである。
ボクシングシーンにおけるPOV撮影は非常にラディカルで、当時としては中々斬新だったのではないだろうか。パンチを撃ち合う所をローアングルで捉えたショットも大胆で迫力が感じられる。
バレエの回想シーンも幻想的な美しさで目を見張るものがあった。
このように映像に関しては色々と見ごたえのある作品である。
尚、クライマックスはマネキン倉庫での格闘シーンとなる。ここは少しシュールで、他ではちょっと味わえない奇妙な面白さが感じられた。
「由宇子の天秤」(2021日)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 女子高生自殺事件の真相を追うドキュメンタリー・ディレクターの由宇子は、局の方針とぶつかりながら真実を追求すべく真摯な取材を続けていた。そんなある日、父が経営する学習塾の生徒から衝撃的な事実を告げられる。
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(レビュー) テレビ局のドキュメンタリー作家が真実を追求していく中で、自らの信念に揺らぎを感じていくサスペンスドラマ。
物語は女子高生自殺事件のパートと、それを追いかけるドキュメンタリー作家由宇子の身の回りに起こる事件のパート。この二つが相関される形で構成されている。事件そのものに直接的な繋がりはないが、由宇子の葛藤を描く上で、この二つは深くリンクしている。
まず、女子高生自殺事件の方は、女子高生が教師と肉体関係を持ったことを苦に自殺したという事件である。渦中の教師もすでに自死しており、由宇子は夫々の遺族に取材を敢行していく。二人を死に追い詰めたのは一体誰なのか?学校なのか?マスコミなのか?由宇子は事件の真相を究明していく。
もう一つの事件は、由宇子のすぐ身近で起こる。彼女は父親が経営する学習塾を手伝っているのだが、その中の生徒の一人が妊娠したということが分かる。女子高生自殺事件を追いかける一方で、彼女はこちらの事件も追及していくことになる。
本作はサスペンスとしての面白みもあるので、その詳細については伏せるが、由宇子はその真相を知り大きなショックを受ける。そして、これによって彼女自身の真実を追求するという作家としてのアイデンティティは揺らいでいくようになる。
真実は時に誰かを不幸に陥れることがある、真実に目を瞑る方が世の中的には折り合いがつくという事を自認するのだ。
本作が白眉なのは、これら二つの事件を描くにあたり、由宇子に”外”からの視点と”内”からの視点という二つの視点を内在させたところにあるように思う。
一つ目の女子高生自殺事件は、由宇子は部外者であり”外”からの視点で取材しているわけだが、二つ目の生徒妊娠事件は彼女の身近で起こった事件ということで必然的に”内”からの視点で追及していくことになる。
誰でもそうだが、身内で起こった不祥事には甘くなるものである。本来であればジャーナリストである由宇子は忖度なしで二つ目の事件も厳しく追及していくべきであるが、やはり一人の人間である。これを隠蔽しようと奔走するのだ。
奇しくもこの二つの事件はよく似ている。夫々の”被害者”と”加害者”の関係性は、ほぼ一緒と言って良いだろう。女子高生自殺事件では容赦のない取材を敢行していた由宇子が、二つ目の事件では目を瞑ることで穏便に済ませようとするところに、由宇子のドキュメンタリー作家としての葛藤が透けて見える。
監督、脚本、製作、編集は春本雄二郎。初見の監督だが、演出はドライで生々しい。まるでドキュメンタリーを観ているかのような緊張感が持続し、最後まで興味深く観ることができた。
また、由宇子を演じた瀧内公美の好演も目が離せなかった。
彼女の取材姿勢は常に妥協を許さない。例えば冒頭のシーンからもそれはよく分かる。自殺した女子高生の父親の吐露を執拗にカメラに収めようという姿は、マスコミの嫌らしさを表しているが、同時にそれは真実を捉えたいという彼女の信念の強さも表している。更には、テレビ局のプロデューサにも平然と食って掛かる姿には、一人のジャーナリストとしての、ある種の頼もしさが感じられた。彼女の強靭なメンタリティがこのストーリーをグイグイと牽引していることは間違いない。
シナリオ上のサプライズも色々と用意されており全体的にはよく出来ている作品だと思うが、少し気になったシーンもあったので付記しておきたい。
一つ目は途中から登場するドクターの造形である。車中での由宇子とのやり取りは少しキャラクターを作りすぎなような気がした。全体的にミニマルな演出が横溢しているのでやや浮いてしまっている印象を持った。
もう一つはラストシーンである。妊娠した塾生の父親の行動がエキセントリックすぎる上に、その後の彼の行方がよく分からず気になってしまった。映画全体の締めとしては若干おさまりが悪い。
尚、製作には
「この世界の片隅に」(2016日)や
「マイマイ新子と千年の魔法」(2009日)で知られる片淵須直が名を連ねている。中々興味深い繋がりである。
「DUNE/デューン 砂の惑星」(2021米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 遥か遠い未来。砂の惑星アラキスは宇宙で最も価値がある香料の産地だったが、巨大生物サンドワームに支配された危険な惑星でもあった。アトレイデス家は宇宙帝国皇帝によってアラキスの統治を命じられるが、当主のレト公爵はこの任務に裏があることを感じていた。公爵の息子ポールと母ジェシカと共に一家は壮絶な陰謀に巻き込まれていく。
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(レビュー) 遥か未来の宇宙を舞台にしたSF叙事詩を最新のVFX技術で映像化したアクション巨編。
映像化不可能と言われたフランク・ハーバートの同名SF小説の映像化であるが、これを最初に映画化したのは、今から40年近く前のことである。カルト的な人気を誇っていた映像作家D・リンチによって「デューン/砂の惑星」(1984米)として製作された。原作が大長編ということもあり、映画の出来はダイジェスト風でファンの間では余り評判は良くなかったと記憶している。それでも砂漠に生息する砂虫”サンドワーム”の特撮シーンや、非常な運命に翻弄される主人公ポールを巡るドラマは中々見応えがあり、今となっては根強いファンも多い作品となっている。
今回は原作小説の途中までを映画化したパート1であり、そういう意味ではリンチ版のような表層をなぞるような作りにはなっていない。じっくりと腰を据えた作劇で重厚感のある作品に仕上がっており、リンチ版で落胆したファンの期待には応えてくれているだろう。
まず何と言っても特筆すべきは、こだわりぬかれた映像の数々である。
本作の監督を務めたD・ヴィルヌーヴは長年、本作の映画化の企画を温めていたということで、その熱量は一つ一つの画面から伝わってきた。氏は過去にも
「ブレードランナー2049」(2017米)や
「メッセージ」(2016米)といったSF映画を撮ってきた実績があり、相当SFジャンルに対する造詣が深いと見える。
特に、ポールたちがアラキスに到着するシーンは、空間的な広がりと重厚感溢れる画面作りが徹底されており鳥肌物だった。実際の砂漠で撮影されたというリアリティも画面に荘厳さをもたらしている。
一方、物語そのものは、いよいよこれからという所で終わってしまい、何とも煮え切らない形で終幕する。
ポールの波乱に満ちたドラマはここからが本番であり、彼がいかにして宇宙の支配者である皇帝に戦いを挑んでいくか…というのは今後の展開となる。
そもそも今回はパート1と銘打ってるので、これは致し方がない所だろう。考えようによってはここで終わらせるのは丁度区切りが良いという見方もできる。
ただ、パート2は今のところはまだ白紙の状態ということだ。ここまで引っ張っておいてそれはないだろうと思うのだが、監督のヴィルヌーヴ自身も続編を熱望しているそうなので、そう遠くないうちに何らかの告知が出るのではないかと期待している。
そんなわけで、正に宙ぶらりんの状態で放り出されてしまった感じで、正直、物語自体の歯切れは悪い。重厚感と神秘性に溢れた映像美は一級品であるが、単体のドラマとしてみると何とも微妙である。
キャスト陣はみな素晴らしいと思った。
特にポールを演じたティモシー・シャラメの造形が素晴らしい。洗練された佇まいは王族の末裔としての説得力も十分である。また、自らの運命に翻弄されながら苦悩する姿も丁寧に演じていて好印象である。
「ハードコアの夜」(1979米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 家具工場を営むジェイクは、妻と別れて娘クリステンと暮らしていた。ある日、カリフォルニアに出かけたクリステンがそのまま行方知れずになってしまう。娘を探すために私立探偵を雇ったが、彼が持ってきたのは娘が出演しているポルノ映画だった。怒りに燃えたジェイクは、風俗街に潜入して娘の足取りを追うのだが…。
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(レビュー) 家出した娘を捜索する父の執念を乾いたタッチで描いたサスペンスドラマ。
話自体はよくあるネタで特に捻りはないのだが、ジェイクのキャラクターが際立っているので最後まで面白く観ることができた。
ジェイクは世間一般で言う所の仕事一筋の頑固親父である。そのせいで妻に逃げられ、娘とも疎遠になっている。そして今回その娘にも逃げられてしまい、ついに彼自身が娘を探し出そうとポルノ業界に潜り込んでいく。
普段はスーツをビシッと決めて仕事に専念する頑固親父が、まったく知る機会もなかった性風俗の世界に足を踏み入れて行くのだから、このキャラクターギャップは実に面白く観れる。
ジェイクを演じるのはジョージ・C・スコット。「パットン大戦車軍団」(1970米)のパットン将軍、「ハスラー」(1969米)の冷酷な賭博師、
「センチュリアン」(1972米)のベテラン警官等、どちらかと言うと泰然自若としたキャラクターを演じることが多い彼が、ここではラフな出で立ちで右も左も分からないポルノ業界を練り歩いていく。これまでのイメージを覆すようなキャラクター造形になっていて面白い。
監督、脚本はポール・シュレイダー。M・スコセッシの傑作「タクシードライバー」(1976米)の脚本家として頭角を現してきた作家であるが、その後は自分でも監督業に進出し「キャット・ピープル」(1982米)や
「魂のゆくえ」(2017米)といった話題作をコンスタントに撮りあげているベテラン作家である。今回は設定的にどうしても「タクシードライバー」を連想してしまうが、おそらく本人の中でもそうした意識はあったのだろう。
その証拠に、夜の風俗街をドキュメンタリックに捉えた映像は「タクシードライバー」のそれとそっくりである。そもそも撮影監督からして、同じマイケル・チャップマンということなので、どうしたって映像は似てきてしまうのは仕方がないが、それにしてもこの両作品はドラマも映像もよく似ている。
シュレイダーの脚本は、父娘の愛憎劇だけに絞って言えば紋切的でやや食い足りなさを覚えるが、その物足りなさを補って余りあるジェイクの人間的な魅力。更に、彼と共に捜査に関わっていく私立探偵や娼婦といったサブキャラの絡ませ方の上手さが光る。とりわけ、ジェイクと娼婦のやり取りは中々味わい深く描けていて、これはある種疑似父娘的な見方もでき、こうした所にシュレイダーのライターとしての上手さを感じる。
「ブルー・リベンジ」(2013米仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ドワイトは古ぼけた青いセダンで寝起きするホームレスである。ある日、警察に呼び出されて、両親を殺した犯人が司法取引により釈放されたと告げられる。彼は復讐を果たすために出所した犯人の元へ向かうのだが…。
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(レビュー) 両親を殺された男が復讐を果たそうとしながら非情な運命に陥っていくサスペンス・ドラマ。
いわゆるアクション主体のリベンジ物ではなく、陰鬱としたハードでダークなドラマである。観終わった後には復讐の虚しさがズシリと響いてくるような作品だ。
本作は復讐そのものがメインテーマではないことは明らかで、その証拠にドワイトの復讐は案外、簡単に終わってしまう。しかし、物語はここからが本題で、復讐を果たしたドワイトに迫る危機、苦悩がじっくりと語られていくようになる。
単純に復讐して終わりとなっていない所に歯ごたえを感じた。いわゆる復讐の連鎖、虚しさといったテーマが語られることになるのだが、目を離せないリアリティが感じられた。
両親が殺害された過去には裏話があり、これもミステリとして上手く物語の後半を盛り上げていた。
途中で登場するドワイトの旧友が彼の復讐劇を手助けするのだが、こうしたサブキャラの使い方もドラマを展開させる上では中々効果的だった。
全体的に脚本は中々良く出来ており、テーマも真摯に受け止めることができた。
本作で唯一残念だったのはドワイトの姉の扱いである。前半こそキーマンとして良い存在感を示していたが、中盤以降は完全にカヤの外に置かれてしまったという印象である。物語をドラマチックにする上では欠かせぬキャラクターだと思っていたので、その存在意義が薄まってしまったのが実に勿体なく感じられた。
監督、脚本は本作が長編2作目のジェレミー・ソルニエ。
セリフを極力削ぎ落し映像で見せるタイプの作家のように思った。静と動のバランス感覚も中々手練れていて、それによって映画全体に上手く緩急が付けられている。全体的にはコーエン兄弟的なスタイルを想起させた。特に、本作は彼らの
「ノーカントリ」(2007米)に少し雰囲気が似ているような気がする。
一方で、ユーモア感覚も抜群で、例えばドワイトが乗るボロボロの青いセダンを巡る一連のやり取りにはクスリとさせられた。
ドワイトはこの青いセダンに寝泊まりしているのだが、復讐を果たした後にそれを一度手放す。しかし、逆に復讐された相手の家族の報復にあい、ドワイトは再びそのセダンと運命の再会を果たしそれに乗って更なる復讐の旅へと出るのだ。そして、ラストでこの青いセダンは意外な人物に引き渡されて映画は終幕する。
こうした一連の思慮に富んだユーモアを、この監督は明らかに計算して行っている。そこにこの監督のセンスの良さを感じた。
尚、映画の原題は「Blue Ruin」。直訳すると「青い廃墟」ということになる。
「マンディ 地獄のロード・ウォリアー」(2017ベルギー)
ジャンルホラー・ジャンルアクション
(あらすじ) 人里離れた静かな土地で愛する女性マンディと穏やかな日々を送っていたレッド。ある日、謎のカルト集団に襲われ、マンディはレッドの目の前で惨殺されてしまう。怒り狂ったレッドは壮絶な復讐を開始する。
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(レビュー) 愛する恋人を殺された男の壮絶な復讐劇を過激なバイオレンスシーンて綴ったアクション作品。
121分という尺のわりにドラマが存外シンプルで食い足りないが、全体を貫く異様な雰囲気に惹きつけられた。
監督・原案・共同脚本は、映画監督ジョルジ・P・コスマトスを父に持つパノス・コスマトス。父はS・スタローン主演の「コブラ」(1986米)や「ランボー/怒りの脱出」(1985米)といった作品を手掛けたことでも知らる職人監督である。一時はハリウッドのヒットメイカーに登り詰めた実績を持つ監督だけに、その息子はどんな作品を撮るのだろう?と興味深く観たが、蓋を開けてみればビックリ。父親を超えるようなハードコアでマッチョなアクション映画になっている。
映画前半は割とゆったりとしたトーンが続き、ドラマも沈殿気味で余り動きがない。正直、観てる最中ずっと手持無沙汰で退屈してしまった。もう少し脚本を吟味してほしい。
ドラマが本格的に動き出すのは中盤からである。愛するマンディを殺されたレッドが復讐のために立ち上がり、ここから一気にクライマックスまで突っ走っていく。
アクションシーンの連続で畳みかける展開はすこぶる痛快で、レッド役のニコラス・ケイジもエンジン全開でノリノリで演じているのが観てて気持ちがいい。チェーンソーを使った1対1のタイマン勝負には興奮させられたし、謎のバイク集団の登場も「マッドマックス」のようでワクワクさせられた。
本作は低予算のB級映画然とした作りで、そのあたりもマニア心をくすぐる。ある種中二病的といってもいいのだが、このチープさは嫌いではない。
ただ、ラストは今一つ中途半端で締まりが悪い。どうせ中二病全開で行くのであればとことんスカッとする結末で終わらせても良かったのではないだろうか?
もう一つ本作で特筆すべきは映像作りである。独特の照明効果と毒々しい色彩感覚が画面を染め上げ、後半にいたっては、ほとんど悪夢を見ているかのようなトリップ感に襲われた。例えるなら、D・リンチ的悪夢的世界観と言えばいいだろうか。地獄の底なし沼に引きずられて抜け出せなくなったような恐怖が味わえた。画面作りに対するこだわりは相当なものである。
尚、最も印象に残ったのは、レッドが復讐を決意するトイレのシーンである。ニコラス・ケイジがブリーフ姿で延々と怒り狂うのだが、余りにもテンションが高くて途中で笑ってしまうほどだった。また、ラストで見せた笑顔もインパクト大で忘れがたい。
「ザ・バニシング -消失-」(1988オランダ仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) レックスは恋人サスキアとドライブをしていた。楽しいひと時を過ごすが、ドライブインで突然サスキアが姿を消してしまう。それから3年後。レックスはいまだにサスキアを忘れられず独自に捜索を続けていた。そんな彼の前に自分が犯人だと名乗る男が現れ…。
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(レビュー) 普通であれば失踪した恋人が見つかってハッピーエンドとなるだろうが、本作はどこまで行っても非情な現実を突きつけてくる。
映画を観ていれば、おそらくサスキアはもうこの世にいないという事は何となく予想がつくだろう。それでも作中のレックスは彼女を捜し続ける。その姿はひたすら悲痛であるが、同時にその思いを察すると同情せずにいられない。したがって、観ているこちらは当然彼に共感しながら物語を追いかけて行くこととなる。
そして、この映画が特異な所は、そんなレックスの描写と”対”を成すような形で犯人サイドの物語も紡いでいく点である。
犯人は学校教師をしながら優しい妻と二人の娘と幸せな家庭を築いているごく普通の中年男である。表向きはとても犯罪を犯しそうにないのだが、そのギャップが実に恐ろしい。しかも、非常に冷静で用心深い。
物語後半はレックスとこの犯人が相まみえるという展開に入っていくのだが、ここから一気に物語が読めなくなる。犯人の目論見は何なのか?レックスの復讐はどうなるのか?最後の最後まで分からず面白く観ることができた。
しかして、何とも言えない不気味な形で映画は終わる。余りにも異様な形で終わるので、観終わってからも暫く脳裏から離れなかった。そして、この映画は一体何について描いた映画だったのだろう?と考えてしまった。
本作で最も印象の残ったのはこのラストである。
もう一つ印象的だったのは、犯人が幼少時代の思い出を振り返るーンだった。幼かった彼は2階の窓から飛び降りて腕を骨折したと回想する。飛び降りたら怪我をするかもしれないがその想像を反証するためには飛び降りるしかなかった…と当時の心理を振り返っている。恐ろしい思考だが、何となくその思考は分からないでもない。
人間は誰でもやってはいけない事をやってみたくなるという心理を持っているものである。例えば、物を盗みたい、誰かを殺したい、殴りたい等々。ただ、普通であれば想像だけに留めるのだが、この犯人はそれを実行に移してしまう所が常人と違う。だから、この犯人には理解しがたい恐怖を感じてしまうのだろう。本作は、とにかくこの犯人像が強烈である。
尚、クライマックスシーンを観てD・フィンチャー監督作「セブン」(1995米)を連想した。ブラッド・ピット演じる主人公が犯人が用意した小箱を開けるシーンは息を呑んで観たものだが、今回のクライマックスにも同様のドキドキ感があった。果たして自分だったらどういう選択をするだろう?と考えてしまった。
監督、脚本はジョルジュ・シュルイツァー。本作が評判を呼び、後にハリウッドに招かれで同作のリメイクの監督を自ら務めることになった。そちらは未見であるが、いずれ機会があれば観てみたいものである。
「アイダよ、何処へ?」(2020ボスニアヘルツェゴビナオーストリアルーマニアオランダ独仏ノルウェートルコ)
ジャンル戦争・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ボスニア紛争末期の1995年7月、ムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力が、国連が安全地帯に指定していたスレブレニツァへの侵攻を開始した。街を脱出した2万人の市民が国連施設に殺到する中、国連保護軍の通訳として働くアイダは夫と2人の息子を施設に避難させるために奔走する。
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(レビュー) ボスニア紛争で起こった”スレプレニツァ虐殺事件”を描いた実録戦争映画。
恥ずかしながらこの映画を観るまで今回の事件のことをまったく知らなかった。無論ボスニア紛争自体は色々な映画を観て知っていたが、その中でこうした蛮行が行われていたことを初めて知った。
ボスニア紛争はこれまでも何本か映画の題材になっている。ダニス・ダノヴィッチ監督作「ノーマンズ・ランド」(2001仏伊ベルギー英スロヴェニア)、マイケル・ウィンターボトム監督作「ウェルカム・トゥ・サラエボ」(1997英)。そして、本作の監督ヤスミラ・ジュバニッチの長編処女作
「サラエボの花」(2006ボスニアヘルツェゴビナオーストリア独クロアチア)。いずれもこの内戦の理不尽さと悲惨さを訴えかけた問題意識の高い傑作だった。中でも、やはり「サラエボの花」は同じ監督という事でどうしても比較してしまいたくなる。
「サラエボの花」は紛争後における戦災者たちの日常を哀切極まる、ある種人情話的なタッチで描いた佳作だった。戦場そのものを描かずに十分にその悲劇が伝わってくる作りは見事というほかなかったが、今回は戦場そのものに目を向けてこの紛争の実態に迫ろうとしている。
街を追われた市民の必死のサバイバル、彼らを守ろうとする国連保護軍の立ち回り、傍若無人に振る舞うセルビア軍の侵攻。そういったものが現場目線で生々しく描かれている。「サラエボの花」とは違ったアプローチでこの紛争を描こうというシュバニッチ監督の意欲が画面からひしひしと伝わってきた。映画序盤から緊迫感溢れるタッチが持続し、最後まで息を呑む展開が続くので、観割った後には疲労感に襲われた。
特に、ムラディッチ将軍率いるセルビア軍が国連施設に押し寄せてくる後半以降の展開は白眉である。窮地に立たされたアイダと家族たちの悲惨な姿に目が離せなかった。
個人的にはルワンダの大量虐殺事件を描いた「ホテル・ルワンダ」(2004英伊南アフリカ)や
「ルワンダの涙」(2005英独)を連想させられた。あの絶望感、切迫感に似た印象を持っ。
ラストもズシリと心に響く幕引きとなっている。事件を生き延びた当事者の笑顔にホッと安堵する一方で、ふと伏せ目がちになる人々もいる。やはり心のどこかであの事件を忘れられずにいるのだろう。歴史は決して消すことができないと実感される。
自分を含めこの虐殺事件を知らなかった人は多いと思う。遠く離れた国の出来事ゆえ、マスコミもそれほど大きく取り上げなかったので仕方がないことだと思う。しかし、本作を観て少しでも関心を寄せられたら、それはそれで本作が作られた意義もあろう。
オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を描いたアトム・エゴヤン監督作「アララトの聖母」(2002カナダ)、インドネシアにおける共産党員虐殺事件を追ったドキュメンタリー
「アクト・オブ・キリング」(2012デンマークインドネシア英ノルウェー)等、知られざる戦災は世界中にまだまだ存在する。それを世に知らしめたという意味でも、本作は価値ある1本だと思う。
一方、少し気になる点もあったので少し書き記しておきたい。
映画のテーマそのものに直結するようなことはないのだが、幾つかの描写について若干の物足りなさを覚えた。
まず、国連保護軍の描き方である。先に挙げた「ホテル・ルワンダ」や「ノーマンズ・ランド」然り。ここでも国連軍が余りにも情けない描かれ方をしている。こうしたことは今に始まったことではないのだが、ドラマとして見た場合、現場を監督する責任者である大佐に関してはもう少し人としての情けや葛藤があっても良かったのではないだろうか。確かに彼の苦しい胸の内は分かるが、サラリーマン的な対応に追われるばかりでキャラクター的な面白みが不足しているように感じた。
もう一つはアイダの夫の描き方である。アイダが子供たちを守るために獅子奮迅の奔走を試みている間、彼は何一つ父親としての責を全うしようとしていない。確かに臆病な男だと自認しているくらいだから、この混乱した状況では何もできなかったのかもしれない。であるならば、父親としての情けなさを表すような内面描写は欲しい所である。彼に関するドラマが描写不足に思えてならなかったのは残念である。
「突然の訪問者」(1972米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ベトナム帰還兵のビルは、内縁の妻マーサと生まれたばかりの息子ハルと、マーサの父親で売れっ子作家ハリーが所有する田舎のコテージで暮らしていた。ある日、ビルのベトナム時代の戦友だったマイクとトニーが訪ねてくる。 マーサは2人を招き入れるが…。
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(レビュー) ベトナム帰還兵とその家族が体験する恐怖の一夜を異様な雰囲気で描いたサスペンス映画。
「波止場」(1954米)、「エデンの東」(1955米)、「欲望という名の電車」(1951米)、
「革命児サパタ」(1952米)等で知られる名匠エリア・カサンによる晩年のサスペンス作品である。
カザンは一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで精力的に傑作を輩出した名匠だが、晩年は必ずしも順風満帆だったわけではない。彼は赤狩りの時代に権力側に加担したおかげで映画作りを自由にできる”通行手形”を手にした。しかし、結果的にそれは彼に「裏切者」というレッテルを張ることになり、冷戦後はハリウッドから遠ざかるようになってしまう。この「突然の訪問者」はその渦中にあったカザンが、小さなバジェットの中で自主製作に近い形で製作した小品である。
尚、脚本は彼の息子であるクリス・カザンが務めている。彼もまた父親同様、業界では思うように仕事ができず、結果的に本作を含め2本しか脚本を書けなかった。
こうした色々な事情のうえで成り立っている作品なので、映画の作りはお世辞にも上手く出来ているとは言い難い。主な舞台は田舎のコテージに限定され、キャストも最小限しか登場せず、上映時間も90分弱しかない。カメラのピントが時々合ってない個所もある。低予算で少人数のスタッフで製作されたことは映像を見ると一目瞭然で、そこにかつての名匠の影はない。
しかし、カザンの演出自体はまだまだ衰えておらず、ビルとマーサ、そこに訪れた二人の元戦友の間で交わされる不穏な空気はゾクゾクするような緊張感を創出し、そこに氏の手練が感じられる。
ある程度予想できるとはいえ、ビルの過去にまつわる”秘密”も、製作された時代を考えれば相当衝撃的だったのではないだろうか?ベトナム戦争でアメリカ軍が起こした歴史的”恥部”を果敢に照射したことは意義深い。
キャストではビル役を演じたジェームズ・ウッズが本作で映画デビューを果たしている。いきなりの主演だが、まだ線の細いナイーブな青年役で、その存在感は中々のものである。彼のファンならば押さえておいた方が良い作品である。
「ロッジ -白い惨劇-」(2019英米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 母の突然の自殺で深い悲しみに暮れる幼い子供エイダンとミア。数か月後、父が新しい恋人グレイスを連れてきて二人の心はますます荒んでいった。ある日、彼女と一緒に田舎町のコテージで休暇を過ごすことになる。父が仕事で一旦帰ることになり、残されたグレイスと子供たちの間には気まずい雰囲気が漂い…。
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(レビュー) 雪に閉ざされた山荘で起こる惨劇を緊張感みなぎるタッチで描いたサスペンス作品。
母を失った幼い兄妹と父の新しい恋人のギクシャクした関係は、よくあるドラマで取り立てて新味はない。しかし、全体を覆う何とも言えぬ不穏な空気、緊迫感溢れる登場人物たちの対峙にはゾクゾクするような興奮が味わえ、最後まで面白く観ることができた。
グレイスは別荘の中で様々な不気味な体験をしていく。どこからともなく不気味な物音が聞こえたり、あるはずの物が突然無くなっていたり等、ほとんどオカルト映画のようなテイストで物語は進行していく。ただ、本作は単純にオカルトとして片付けられない面白さも持っており、そこを読み込んでいけば中々見ごたえのある作品になっていく。
その肝となるのはグレイスのバックストーリーである。
彼女はかつて新興宗教団体の盲信的な信者だった。神に対する絶対的な崇拝を、未だに心のどこかに持っている。なので、彼女が体験する不思議な事象が、信心深い彼女が見た幻覚なのではないか?彼女の信仰心の裏返しなのではないか?と思えてくるのである。実際に劇中には十字架や廃教会、宗教画といったアイテムが複数登場してくる。
もちろん、グレイスの中ではエイダンとミアから父親を奪ったという負い目を感じている。その罪の意識が彼女にこうした思い込みとも言える数々の幻覚的現象を見せている、という解釈もできる。
いずれにせよ、グレイスは非常に信心深い女性であり、その性格がこの恐怖を形成していることは間違いない。彼女が恐怖に絡めとられていく様は、信仰に翻弄される人間の愚かさを痛烈に皮肉っているとも言える。
物語は中盤であるどんでん返しがあり、クライマックスでもう1度サプライズが用意されている。よくよく考えてみれば、当たり前のオチではあるのだが、それでもオカルトなのかどうなのか。最後まで観る側を惑わせる作劇はよく考えられていると思った。
ラストは大変シビアな結末となっている。これをどうとるかは観た人それぞれだろうが、少なくともこの救いのなさは自分的には大変腑に落ちる終わり方だった。安易に救いを提示しなかったことは、本作のテーマからすれば至極当然という感じもした。