「母という名の女」(2017メキシコ)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 姉クララと妹バレリアは、離婚した両親と離れてメキシコの海辺の別荘に2人だけで暮らしていた。バレリアは同じ年の彼氏との間に子どもを身ごもっていた。そこに疎遠だった母アブリルが突然やって来る。身重のバレリアの世話を焼くアブリルだったが…。
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(レビュー) 一般的に世間では子供に不幸をもたらす親を”毒親”と呼ぶそうだが、本作に登場するアブリルも正にその”毒親”と言えよう。
最初はバレリアに寄り添いながら母親らしく色々と世話をするのだが、ある時からガラリと態度を豹変させ、彼女から赤ん坊を奪い取ってしまうのだ。彼女の常軌を逸した行動はそれだけでは終わらず、更にバレリアを不幸へと追い詰めていく。何と恐ろしい母親だろう…。
まずは何といても、このアブリルという母親のキャラクターが強烈である。
監督、脚本は
「父の秘密」(2012メキシコ)で異常な父性愛を描いたミシェル・フランコ。本作では暴走する母親の愛憎を「父の秘密」同様、ドキュメンタリックなスタイルで撮っている。説明的なセリフを削ぎ落してBGMも一切かからないというミニマルな語り口が徹底されており、一見すると地味だが、つぶさに見て行けば非常にスリリングに楽しめる作品である。
例えば、冒頭の人物紹介のシーン。穏やかな朝の風景の中に全裸のバレリアが登場して大きなお腹を奔放に見せる。かなり衝撃的なオープニングシーンだが、これだけでバレリアの妊娠が一発で分かり、尚且つ彼女の性格も掴めるようになっている。
あるいは、アブリルがバレリアの赤ん坊をレストランに置き去りにする終盤のシーンは、1シーン1カットでじっくりと切り取られている。その場の空気感を生々しく映し出すことで、観る側は否応なくこの現場の”目撃者”にさせられてしまう。おそらくミシェル・フランコ監督は確信犯的に長回しを使っており、この意地の悪さはかなりのものだ。観ているこちらは、非常に居たたまれない気持ちにさせられる。
このようにフランコ監督は一つ一つのシーンをかなり念入りに計算して撮影しており、それらが全てスリリングで、且つじっくりと熟成したような味わいが感じられる。緻密な演出力は「父の秘密」から更に磨きがかかっているという感じがした。
それにしても、アブリルは何を考えて、こうした常軌を逸した行動に出たのだろうか?映画を観ても容易に答えは明示されないので想像するほかないが、自分は長女クララの存在にそのヒントがあるように思った。
クララはバレリアとは対照的に容姿は決して良いとは言えない。また、陽気なバレリアとは正反対で性格も内向的で無口だ。アブリルに対しても常に従順であり、当のアブリルもそんな彼女を可愛がっている。実の娘なのだから当然という気がするが、それにしたってバレリアに対する態度とはまっく違う。
ここから考えるに、アブリルはクララに対しては普通に母親として接することはできるが、バレリアに対してはそれができない。つまり、彼女は母親としてというより、一人の女としてバレリアに嫉妬していたのではないだろうか?
アブリルが、クララとバレリアに見せる顔はまったく異なる。その表裏の顔から、彼女がどういう感情で数々の凶行に出たのか、何となく読み解けるような気がした。
「ロスト・バケーション」(2016米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 医学生のナンシーは、病気の母を亡くし医師になる夢を諦めかけていた。ある日、地元のサーファーしか知らない秘密のビーチでサーフィンに興じるナンシー。すると突然、巨大なサメに襲われて脚を負傷してしまう。慌てて近くの岩場に避難したものの孤立無援の状態を余儀なくされてしまう。
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(レビュー) サメ映画の元祖とも言うべきS・スピルバーグ監督の出世作「ジョーズ」(1975米)は、個性的な3人の男たちとサメの戦いを描いた傑作だった。今作はそのスリリングさを全編に渡って再現したかのような作品だ。
誰もいないビーチでサメに襲われたナンシーは足を負傷し、小さな岩場に避難する。助けも呼べず、満潮になれば岩場が水面に沈みサメの餌食になってしまう。孤立無援の状態で、彼女はサメと対決することになる。
ナンシーを医学生とした設定がうまくドラマに面白みを生んでいる。負傷した足を手持ちのピアスとネックレスで応急処置したり、サメに襲われたカモメを手当てしたり。客観的に考えてそんなに容易に対応できるものだろうか?と突っ込みを入れたくなるが、映画=フィクションだと思えばこれくらいのご都合主義には目を瞑れる。
また、ビーチで知り合った地元のサーファーや海岸で泥酔している中年男、ナンシー救出のキーマンとなる少年等、サブキャラの使い方も中々上手く物語の展開を饒舌にしている。
上手いと言えば、先述したカモメや海中に発生するクラゲなど、他の動物も物語をしたたかに盛り上げていた。前者は孤独なドラマにかすかなユーモアと癒しを与え、後者はクライマックスの危機的状況を一層スリリングにしている。
ただ、ラストのオチは釈然としなかった。ああいう経験をしてまだサーフィンを続けるナンシーの神経が理解しがたい。
また、本作はサメと対決することでナンシーが成長する、言わば通過儀礼のドラマでもある。そのキーとなるのが母との関係だ。しかし、本作はそこを彼女のセリフのみでしか説明していない。これは非常に物足りなかった。彼女がいかに母を愛していたかを、もっと丁寧に描写して欲しかった。
監督は衝撃のカルト作
「エスター」(2009米)が評判を呼んだジャウマ=コレット・セラ。活きの良い演出と無駄のない語り口が今回も冴え渡り、相変わらずの職人ぶりを発揮している。
ナンシーを演じたのはブレイク・ライヴリー。今回は、ほぼ一人芝居ということもあり正に独壇場の活躍を見せている。尚、彼女は
「デッドプール」(2016米)や
「フリー・ガイ」(2021米)の人気俳優ライアン・レイノルズの奥さんもである。旦那同様、彼女も俳優として順調な歩みを見せており、今後の更なる活躍が期待される。
「ドランス・ワールド」(2011米)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) ジョディは恋人とガソリンスタンドに強盗に入った。レジから金を巻き上げて逃走しようとした瞬間、突然気を失ってしまう。一方、サマンサは車がガス欠で森の中を彷徨っていた。一軒の山小屋を見つけるがそこにはトムという先客がいて…。
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(レビュー) 深い森の中に閉じ込められた男女4人の恐怖をミステリアスに綴った不条理スリラー。
一見何の繋がりもない人々が山小屋に閉じ込められるという設定が中々ミステリアスで引き込まれた。この異常な状況に戸惑う登場人物たちの不安感がじわりじわりと恐ろしさを盛り上げている。
しかも、ネタが明かされる後半では意外な展開が待ち受けていて、これも上手く考えられていると思った。
但し、こうなった原因は不明なままだし、冒頭のガソリンスタンドに一体どんな意味があったのかも不明で、そこは観客が想像してくださいと言わんばかりに終わってしまう。これをどう捉えるかで作品の評価はバッサリ分かれよう。
逆に言うと、いちいち理由を考えても仕方がないので、ここは不条理劇というスタンスで見るのも良かろう。実際、本作はこの異常現象の理屈を抜きにしても十分に楽しめる娯楽作となっている。
主要4人の喧々諤々のやり取りも中々スリリングに描けているし、先の読めない展開は決して飽きさせない。約90分というコンパクトな尺も大変見やすい。
監督はジャック・ヘラー。初見の監督さんだが、フィルモグラフィーを調べてみると基本的にはプロデューサーとしての仕事が多いようである。彼は本作で長編監督デビューを果たし、この後にもう1本日本未公開作品を手掛けている。
今作でも当然プロデューサーを兼ねているが、残念ながら予算は決して潤沢ではなかったらしく、それは画面を観ていれば一目瞭然である。クライマックスのCGもチープで、この辺りはご愛敬。ミニマルな小品として割り切れば致し方なし。
「イット・カムズ・アット・ナイト」(2017米)
ジャンルホラー・ジャンルSF
(あらすじ) 人類は未知の感染症によって絶滅の危機に瀕していた。ポールと妻のサラ、息子のトラヴィスは、森の中でひっそり暮らしていた。ある夜、家にウィルと名乗る男が侵入する。彼は家族を守るために食料を求めて彷徨っていたというのだが…。
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(レビュー) 森の中で決死のサバイバルを繰り広げる家族の恐怖を緊張感あふれるタッチで描いたサスペンス・スリラー。
必要最低限の設定とドラマで描き切った意欲作で、最後まで緊張の糸が途切れることなく面白く観ることができた。
テーマは不審と寛容の狭間で苦悩する家族の物語と解釈した。一見すると低予算のジャンル映画であるが、そこに忍ばされたメッセージは中々鋭い。ましてや未知の感染症が蔓延した世界という設定は、新型コロナで苦しんでいる今のご時世を考えると、俄然リアリティも増してくる。
監督、脚本、編集はトレイ・エドワード・シュルツ。
初見の監督であるが演出のキレや抑揚は洗練されており、安心して観ていることができた。
ただ、画面が暗いので少し分かりづらい場面が多かった。今回は映画館ではなくテレビでの鑑賞だったので仕方がないのかもしれない。
とはいえ、この画面の暗さが本作に異様な禍々しさを与えていることは間違いなく、特に暗闇にぽっかりと浮かぶ赤いドアを捉えた映像などはまさしくホラー映画的な恐ろしさを堪能できた。
緊密な脚本も見事である。情報量を極力抑えた語り口により、非常にスリリングな物語に仕上がっている。そもそもどうして世界が感染症で終末を迎えようとしているのか?その理由がはっきりと明示されていないあたりは恐ろしい。逆に判明しないことが、この映画をより不気味なものにしている。
また、トラヴィスが森の中で何かを目撃したというが、その”何か”もはっきりと説明されない。結局、一家は得体の知れない漠然とした恐怖に怯えるしかないのだが、相手が何か分からないことほど恐ろしいものはない。人は不安になると見えないものを見たりする傾向にある。もしかしたら、その”何か”は彼らが作りだした幻影だったのかもしれない。
更に穿った見方をすれば、これは人間の排他性、所有欲、自己愛を描いた寓話とも取れる。
いずれにせよ、限られたシチュエーションの中に様々なメッセージを詰め込んだ風刺性の高いシナリオは見事である。
もう一つ本作で特筆すべきはラストである。ネタバレはしないが、これほど絶望的なバッドエンドも中々お目にかかれないだろう。普通のハリウッド映画であれば決してこういうエンディングにはしない。このあたりにも監督の気骨が伺えた。
「血を吸うカメラ」(1960英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) カメラマンのマークは密かな快楽を人知れず追及していた。恐怖に怯える女性の表情をカメラに収めることに執着していたのである。ある日、ついに彼は死の間際の表情を撮りたいと熱望するのだが…。
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(レビュー) 特異な性癖を持った青年が狂気に飲み込まれていく様をスリリングに描いたサイコ・スリラー。
マークがどうしてこのような性癖を持つに至ったのかは、後半に明かされるが、それを知ると一定の憐憫の情を禁じ得ない。それは心理学者だった父親に関する過去のトラウマに起因している。ある意味で、マークは父親によって創られた”モンスター”だったのではなかろうか…。
普段は人当たりの良い好青年なのに、いざカメラを持つと殺人鬼に豹変するという所に、何とも言えぬ哀しみがこみ上げてくる。
監督は「赤い靴」(1948英)、「黒水仙」(1946英)の名匠マイケル・パウエル。それまでコンスタントに作品を作ってきていたが、本作以降、フィルモグラフィーが途絶えることとなる。その原因は、本作の性的、暴力的内容が批評家たちから大バッシングを受けたからだ。これによって、パウエルの名声は一気に失墜し、映画界から追放されてしまったのだ。
今観るとそれほど過激とは思えないが、当時としてはかなり刺激的だったのだろう。そもそも変態異常者を主人公にした映画自体が珍しかったのだと思う。しかも、父親によってトラウマを植え付けられた悲劇の被害者のように描いてしまったことで余計に批判されたのだろう。
しかし、こうした曰く付きの作品であるが、主人公の葛藤は実に濃密に描かれており、中々見ごたえのある傑作になっていると思う。何よりマークの写真に対する偏執的なこだわりに映画監督パウエル自身の”自己投影”が感じられて興味深い。
マークは初めは単に女性の顔を撮ることにこだわりを持っていたが、最終的に最も美しいのは”死に顔”だということで、それを撮ることに執念を燃やすようになる。
映画監督も一緒で、彼らは大概カメラの中の女優を美しく撮りたいという意識をもって撮影に臨んでいる。まったく同じとまでは言わないが、本作のマークにも”映像作家”としての性(さが)が感じられる。
本作は画面作りもユニークで面白い。中でも独特の色彩トーンは印象に残る。
例えば、マークがビビアンという女優と映画スタジオで会うシーンがある。ここでの原色を基調とした異様で幻惑的な色彩トーンは、マークの異常心理の再現とも取れる。彼には世界がこういう風に見えているのか、ということが分かるようで面白く観れた。
一方で、物語はシンプル且つ軽快に展開されている。ただ、幾つか突っ込みたくなる部分もあり、そこは残念だった。
例えば、マークが住むアパートの階下の女性がヒロインとして登場してくるが、彼女がマークに近づく動機が今一つ弱い。もっと段階を踏んで丁寧に二人の関係を築いてあげる必要があったのではないだろうか。かなり強引に映る。
また、マークは自分が殺した遺体を隠さずそのまま放置しているが、証拠をわざと残すような真似を何故したのだろうか?完全犯罪を目論むなら当然死体も見えない場所に隠すだろう。今一つ理解できなかった。
キャストではマークを演じたカール=ハイツ・ベームの抑制を利かせた演技が素晴らしかった。どことなく「コレクター」(1965米)のT・スタンプを想起させる神経質でオタク気質な青年役である。
「ショック集団」(1963米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 新聞記者ジョニーは、精神病院内で起きた殺人事件を追って、患者を装い潜入ルポを開始する。ところが、周囲の環境に耐えられず、彼は徐々に精神が不安定になっていき…。
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(レビュー) 精神病院に潜入した新聞記者の体験を異様なタッチで描いたスリラー作品。
精神病というアンタッチャブルな題材をここまで堂々と扱ったことは、かなりスキャンダラスである。病院内の患者たちの奇行は、ある種見世物映画的にカリカチュアされているが、果たして映画が公開された当時、こうした描写が問題にならなかったのだろうか?それとも映画=エンタメということで割り切って捉えられたのだろうか?
製作、監督、脚本は孤高の作家サミュエル・フラー。元々一癖も二癖もある作品を撮る作家なので、今回の際どい内容もいかにも氏らしい題材だ。
物語は一本調子ながら、フラーの幻惑的で悪魔的な映像演出が非常にパワフルで、そこに魅了される。
例えば、ジョニーの夢のシーンは強烈な印象を残す。ダンサーの恋人の姿をオーバーラップで表現しながら悪夢のような不安感を創出している。例えるならD・リンチ作品を彷彿とさせる異様な雰囲気に溢れている。
映像は全編モノクロで、シャープなコントラストで表現された印影がどこかフィルムノワールのタッチを思わせる。これも大変に魅力的だった。
そして、何と言っても患者たちの奇行の数々。これが画面に奇妙でシュールな味わいをもたらしている。中には、かなり吹っ切れた演技をする者たちもいて、そこが恐ろしくもあり、滑稽にも感じたり…。
中でも、KKKを崇拝する黒人男性のハイテンションな演技には参ってしまった。モラルを重視する人が観れば噴飯ものであろう。
尚、精神病院を舞台にした映画と言えば「カッコーの巣の上で」(1975米)が思い出される。あれはヒューマニズムなメッセージが込められた作品だったが、それと本作はまったく正反対な立ち位置を示している。フラーの演出が徹底してドライなため、どこか寓話のようにも見え、ある種終末感溢れる異世界のようにも感じられた。同じ舞台を映画にしながらまったく異なるアプローチをしている所が面白い。
また、主人公が徐々に狂気に蝕まれていく過程は、S・キューブリック監督の「シャイニング」(1980英)も連想させられた。今作のジョニーを演じたピーター・ブレッコは、あの時のJ・ニコルソンの鬼気迫る怪演に勝るとも劣らない演技を披露している。
「007 スペクター」(2015英米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ジェームズ・ボンドは“死者の日”の祭りでにぎわうメキシコシティで凶悪犯スキアラと大立ち回りを演じ、街中を混乱に陥れてMから職務停止を言い渡されてしまう。折しもMI6はその存在意義を疑問視されMI5に吸収されようとしていた。そんな中、ボンドは名誉挽回を目指してローマへと飛び、そこで事件の落とし前を付けようとするのだが…。
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(レビュー) シリーズ第24作。ボンド役がダニエル・クレイグになってからは4作目となる本作。監督は前作
「007/スカイフォール」(2012英米)でシリーズの新境地を開いて見せたS・メンデスが引き続き登板している。
「スカイフォール」はシリーズの常道を外した異色作で、正に一発勝負の禁じ手的な作品だった。そこをメンデス監督はどう切り替してくるのか?今回はそこに注目して観た。
結果、実にオーソドックスな007になっていると感じた。同じ監督でもこうもテイストが変わるのか、と驚かされる。それくらい今回は前作と打って変わって娯楽色に寄った作りになっている。
今回のボンドの敵となるのは、シリーズではお馴染みの”スペクター”である。組織の首領プロフェルドは、これまでにも何度か登場しており、色々な俳優が演じてきた。個人的には「007は二度死ぬ」(1967英米)のD・プレザンス版が最も印象に残っている。その人気の高さは後に「オースティン・パワーズ」(1997米)でM・マイヤーズがドクター・イーブルとしてパロディ化したことからも伺える。それを今回はオスカー俳優クリストフ・ヴァルツが演じている。さすがの存在感を見せつけ健闘していると思った。
また、本作にはプロフェルドの部下で巨漢の殺し屋が登場してくる。こちらは元プロレスラーで
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」((2014米)等で筋肉系俳優として活躍するD・バウティスタが演じている。この役などはその不死身さからR・ムーア版ボンドの宿敵”ジョーズ”を連想させられた。
このように本作は過去作のオマージュがあちこちに散りばめられており、ある種原点回帰的な狙いで製作された作品であることがよく分かる。
アクションの切れも前作とは打って変わってかなり洗練されている。
特に、オープニングのメキシコシティを舞台にしたド派手なアクションには見入ってしまった。オープニングから1カット1シーンの技巧的なカメラワークが秀逸だ。O・ウェルズ監督、主演の
「黒い罠」(1958米)のオープニングシーンを彷彿とさせる刺激的な幕開けとなっている。
撮影監督は技巧派ホイテ・ヴァン・ホイテマ。
「インターステラー」(2014米)、
「ダンケルク」(2017米)、
「TENET テネット」(2020米)等、主にC・ノーラン監督とのコンビが多いが、前作「スカイフォール」のR・ディーキンスとはまた違った意味でのこだわりが感じられた。
アクション的な見所としては、他にカーアクションや雪山を舞台にした追跡劇なども用意されている。ハリウッド大作らしいボリューミーな内容は十分に満足のいくものなっている。
そして、シリーズのもう一つのお楽しみと言えばボンドガールである。今回は二人登場してくる。一人目は冒頭に登場した凶悪犯スキアラの未亡人ルチアを演じるM・ベルッチ。もう一人はプロフェルドを敵とする美女マドレーヌを演じるレア・セデゥである。両者ともそれぞれに個性を出しながら魅力的なヒロインを演じている。
このように前作「スカイフォール」とはかなり毛色の違った作品に仕上がっているが、ただ一つだけ共通するテーマがあって自分はそこに注目した。それはジェームズ・ボンドの出自である。
「スカイフォール」は彼の母親の秘密に迫ったドラマだった。そこが良くも悪くも異色作にしている最大の要因になっていたが、今回はボンドの父親の秘密を描くドラマになっている。ネタバレになるので詳しくは書かないが、おそらくこのアイディアは最初からあったのだろう。S・メンデス監督の中には、この両作品を姉妹作のような位置づけにすることで、ある種ボンドというキャラクターの掘り下げを試みたかったのではないかと想像する。
「エターナルズ」(2021米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) はるか昔から地球に存在し、7000年もの長きにわたって人知れず人類を見守ってきた不死の宇宙種族“エターナルズ”。現在は夫々に人間社会に溶け込みながら平和な日常を送っていた。その中の一人セルシはロンドンで高校教師をしていた。ある日、巨大地震が発生し、一度は殲滅したはずの敵ディヴィアンツの襲撃を受ける。かつての仲間イカリスが救援に駆け付けどうにか危機を乗り越えるが…。
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(レビュー) マーベルコミックの同名原作(未読)を映像化したSFアクション大作。製作会社マーベル・スタジオによれば「アベンジャーズ/エンドゲーム」(2019米)の直後の話で、彼らが考えるMCUシリーズのフェーズ4の始まりという位置づけになっている。
そもそも自分は「アベンジャーズ」シリーズは
第1作(2012米)と第2作
「エイジ・オブ・ウルトロン」(2015米)しか観ておらず「エンドゲーム」と「インフィニティ・ウォー」(2018米)は未見である。幾つか繋がりに不明な点はあったが、物語自体はこれまでの作品と関連性は少なく、エターナルズという新ヒーローが織りなす全くの新しいドラマになっている。MCUにドップリではない自分でも特に支障なく楽しむことができた。
それにしても今回の物語はかなり壮大である。映画冒頭でエターナルズの成り立ちが説明されるが、宇宙黎明の時代にまで遡るスケールのデカさに圧倒される。今回のヒーローチーム”エターナルズ”を作ったのはアリシェムと呼ばれる創造主で、これが物語の大きなカギを握っている。
物語は紀元前5000年と現代を股にかけた一大叙事詩で、時世のカットバックを駆使しながら流麗に展開されている。エターナルズのメンバーは10名で夫々に個性的な特殊能力を持っており、且つ性格もかなり色濃く味付けされていて造形がしっかりと確立されていて大変観やすかった。
先頃見た
「ザ・スーサイド・スクワッド”極”悪党、集結」(2021米)も大所帯のスーパーヒーロー物だったが、群像劇という観点でみれば今作の方が巧妙に作られていると思った。友情、衝突、恋愛を通じて固い絆で結ばれていくという所は一緒なのだが、本作は個々のキャラクターの掘り下げがうまくいっている。逆に言うと、人物描写に重きを置いたせいで、アクションシーンは必要最小限に抑えられている。無論一つ一つのアクションシーンは天下のマーベル・スタジオなので期待を裏切らない出来である。しかし、これまでのMCU作品とは鑑賞感はやや異なるものとなっている。
監督、共同脚本は前作
「ノマドランド」(2020米)で一躍その名を世界中に轟かせたクロエ・ジャオ。この特異な作りは明らかに彼女の作家性からきているものだと思う。一人一人のキャラクターに見せ場を用意しつつ、それがアクションシーンのみならずドラマそのものを牽引するという、いわゆる大味な作品とは一線を画す非常に丁寧な作りになっていて感心させられた。
基本的に物語は人類を救済するかどうかという一点で進行するのだが、その傍らではセルシとイカリスの恋愛が語られ、それ以外にも数本のドラマが並列されている。
例えば、セルシとイカリスの関係に絡んで描かれるスプライトの葛藤は中々面白い。見ようによっては単純な嫉妬とも取れるが、しかしそれは表面的なことに過ぎず本当は彼女は人間という存在その物に嫉妬していたのかもしれない。劇中にチラッとできてきた”ピーターパン”の物語になぞらえてみると面白く読み解ける。
また、ドルイグとファストス、マッカリたちの人類に対する考え方は夫々に微妙に異なる。これも注意深く観ていると面白い。
セナとギルガメッシュの関係は、言ってしまえば非常に浪花節的なのだが中々泣かせるものがあった。
本作は2時間半強という長尺だが、その長さを感じさせないで観れたのは、こうした各キャラの心情を丁寧に救い上げた脚本のおかげだろう。本作におけるクロエ・ジャオの功績は大きいように思う。
もっとも、終盤に行くにつれて展開が性急になってしまった感は否めず、そこは心残りだった。各キャラが戦いの中で心情を変化させていくのだが、それらがすべからく軽く映ってしまった。特に、最後のイカリスの心変わりは今一つ納得できない。もっとじっくりと描いて欲しい気がした。
他にも気になる点があった。ネタバレを避けるが、ファストスの悔恨を描くシーンは日本人としては非常に重要なシーンで、これを堂々と描いたことは称賛したい。しかし、あのシチュエーションはやはりどうしても解せないものがある。
キャスト陣は夫々に個性的な布陣で固められており良かったと思う。白人だけでなく多彩な有色人種を配することでバラエティに富んだキャスティングとなっている。最近のハリウッドは多様性を尊重する傾向にある。そのことが本作からも伺えた。
尚、エンドロール後におまけが付いているので最後まで席を立たずに鑑賞しよう。続編の可能性が示唆されている。
「悪女/AKUJO」(2017韓国)
ジャンルアクション
(あらすじ) 幼い頃に父を殺されたスクヒはマフィアの男ジュンサンに引き取られ、殺し屋として育てられる。やがてジュンサンと恋に落ち結婚するが、その直後、ジュンサンは敵対する組織に殺されてしまう。激しい怒りを胸に敵を殲滅したスクヒだったが…。
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(レビュー) 殺し屋として育てられた女性の壮絶な運命をスタイリッシュな映像をで描いたアクション作品。
冒頭のFPS仕様なアクションシーンからして度肝を抜かされたが、本作の売りは何と言ってもこのアクションシーンである。
中盤のバイクチェイス、クライマックスの格闘アクションシーンも凄まじく、一体どうやって撮ったのか分からないような映像が次々と出てくる。おそらくCGを駆使している部分もあろうが、それを意識させないほどのリアリティと、スピードとパワーが感じられた。
以前観た作品でPOV形式のアクション映画
「ハードコア」(2016ロシア米)という作品があったが、あれを連想した。「ハードコア」もかなり革新的な映像作品で驚かされたものである。
一方、物語もシンプルながら中々良く出来ていると思った。
スクヒが無敵の殺し屋になるまでの過程がやや安易に映るが、そこはそれ。バックストーリーを全て回想形式で表現することで、ドラマの停滞感を取り除いている。この構成は観る側にとってはストレスフリーになるので上手いやり方だった。
だからと言って、スクヒのドラマが空疎になっているわけでもなく、そこは現在の彼女の殺し屋として、母親として、そして恋する女としての葛藤が深く掘り下げられているので十分の見応えを感じる。
特に、一般社会に溶け込もうとする彼女の人知れぬ苦悩は抒情性も感じられて面白く観れた。同じアパートの隣人に対する複雑な感情が一定の味わいをもたらしている。
強いて不満を挙げるなら、スクヒが参入される暗殺組織がかなり突拍子もないアイディアである点である。国家の秘密組織という設定なのだが、実際にそうした組織があるのかどうか分からないが、リアリティという点で疑問を持ってしまう。全編リアリティが薄みな物語ではあるのだが、最低限このあたりの設定くらいはもう少し詳細な解説が欲しかった。
また、スクヒが暗殺を実行するシーンが、もろにL・ベッソン監督&A・パリロー主演の「ニキータ」(1999仏)の物真似になってしまっているのもクリエイティビティ―という点からすると、どうかと思う。先述したように他のアクション・シーンがいずれも新鮮だったので残念である。
スクヒを演じるのは
「渇き」(2009韓国)のキム・オクビン。「渇き」でも様々な表情を見せることでキャラクターに厚みを持たせることに成功した彼女が、ここでは大胆なアクションを披露しており、今後の飛躍が一層期待できそうである。
「お嬢さん」(2016韓国)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1939年の朝鮮半島。貧民街で泥棒一家に拾われ、スリの腕を磨いて育った孤児の少女スッキ。ある日、“伯爵”と呼ばれる詐欺師にスカウトされ、彼の計画を手伝うことになる。ターゲットは日本の華族の令嬢・秀子。伯爵は秀子を誘惑して結婚し、財産をまるまる奪い取ってしまおうとしていた。スッキはメイドとして屋敷に入り込み、秀子を巧みに操りながら結婚へと誘導していくのだが…。
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(レビュー) サラ・ウォーターズの傑作ミステリー「荊の城」(未読)を
「JSA」(2000韓国)、「オールド・ボーイ」(2003韓国)、
「渇き」(2009韓国)の鬼才パク・チチャヌクが映像化した作品。
詐欺を働くために豪邸にメイドとして忍び込んだ女性が数奇な運命に飲み込まれていく様を官能的な描写を交えて描いたサスペンス作品。舞台を日本統治下の朝鮮半島に変えているのが物語のスパイスとなっている。
物語は3部構成になっている。
それぞれスッキ、秀子、伯爵と視点を切り替えて展開される。基本的には同じシーンの反復で、それを3者の視点で描くという構成になっているのだが、伏線の張り方と回収に見応えを感じた。あのシーンの裏ではこうだったのか。あの時の心情はこうだったのか。そうした発見があるので、同じシチュエーションが繰り返されても飽きなく観れる。
だた、最も面白く観れたのはやはり第1部で、それ以降は繰り返しの展開になってしまうのでどうしても興味が薄れてしまう。色々と変化を加えて工夫は凝らされていると思うが、こればかりは如何ともしがたい。
演出は、とにかく大仰でコメディチック見えてしまう個所もあるのだが、おそらくそれは敢えてやっているのだろう。CGのはめ込み映像にしてもそうだが、どこか寓話性を演出しようという狙いが感じられた。
映像についてはさすがの完成度を見せつけている。とにかく画面の隅々まで情報量が詰まっており見ごたえが感じられた。ただ序盤は大林宣彦作品よろしく怒涛の激しいカッティングで責めてこられるので若干ついて行けない部分があった。
また、本作はプロダクション・デザインも画面のクオリティを格段に上げている。特に、朗読会の舞台装置のシュールさと絢爛さは特筆ものである。
そして、やはり最もインパクトが大きいのはスッキと秀子のラブシーンの数々だった。ベッドシーンも官能的でいいのだが、個人的には入浴時における歯磨きのシーンに隠微さを感じた。スッキがやすりで秀子の奥歯を磨くのだが、これでもかというくらい執拗に撮られており、肌が露出しているわけでもないのに妙に艶めかしかった。
キャストについては、日本語のセリフを話さなければならない関係で、いささか不自然に思う俳優がいたのが残念である。主役のスッキは自然なセリフ回しで良い。問題は秀子と伯爵で、こちらはどうしても片言な日本語に聞こえてしまう。特に、秀子は日本人という設定なので尚更違和感を持ってしまった。