「偶然と想像」(2021日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 偶然をテーマにした3話のオムニバス作品集。
第1話「魔法(よりもっと不確か)」…モデルとヘアメイクの女性が同じ男を介して皮肉的な運命を辿っていく話。
第2話「扉は開けたままで」…芥川賞作家の大学教授と彼を逆恨みするゼミ生、その愛人の話。
第3話「もう一度」…同窓会に出席した女性が過去の想い人に偶然再会する話。
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(レビュー) 偶然の出会いをきっかけに展開される3つの物語をスリリングな会話劇で描いたオムニバス作品集。
監督、脚本は
「ドライブ・マイ・カー」(2021日)の濱口竜介。
「ドライブ~」でカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞。本作でベルリン国際映画祭の銀熊賞(審査員大賞)を受賞。同じ年の三大映画祭で2本が受賞するという快挙を成し遂げ、正に飛ぶ鳥を落とす勢いの濱口監督である。今最も国際的に注目を浴びている日本人映画監督の一人と言って良いだろう。
「ドライブ~」でも脚本のクオリティは素晴らしかったが、今作は3本すべてが会話劇主体な作りのため、濱口監督が書く脚本の巧みさが際立っているように感じられた。生々しいやり取りの中にふと考えさせられるようなセリフが登場してきたり、心理学的な見地から紐解いてみても面白い発見ができそうである。少々頭でっかちな会話劇になっている部分もあるが、色々と深読みしていくと興味が尽きない。
更に、今回は演者の力量が試されるような臨場感あふれるシーンの連続なので、キャスト陣の演技も大いに見応えが感じられた。
尚、濱口監督の演出手法は、前作「ドライブ~」の中でも少し言及されていた。西島秀俊演じる演出家がキャストを集めて読み稽古をする場面がある。実はあれは濱口監督が実際にやっている演出と全く同じということである。
あのシーンでキャスト達は初めは感情を入れないで、できるだけ棒読みでセリフを読むように指示されていた。台本に書かれている言葉の持つ意味を各人に理解させるためにこうしているらしい。そして、ここから徐々に役柄の感情にすり寄ることで、セリフはより自然なものとして発せられる、というのが濱口監督の考えらしい。本作の出演者も、このような演出の元で役作りされたのだろう。
そう考えると、第2話における大学教授役・渋川清彦と女子大生役・森郁月の会話シーンは一層興味深く観ることができる。二人ともフラットなイントネーションで会話をしていた。この時の森郁月にはある魂胆があり、渋川もそれに気付いて彼女のことを警戒していた。ある種騙し合いではないけれども、そんな含みを持った彼らの”澄ました”やり取りは実にスリリングで惹きつけられたが、これは先述した濱口流演出あればこそ成り立ったシーンではないだろうか。必要以上に感情を露わにしてもダメであるし、逆に感情を押し殺し過ぎてもダメである。絶妙な塩梅で本音が見え隠れする所に、言葉が持つ意味を重要視する濱口流演出術の効果が出ているように思った。
個人的には本作で最も面白く観れたのはこの第2話だった。オチも他の2編に比べて少しゾッとするところが印象深かった。
第1話も面白い話である。どこにでもありそうな惚れた腫れたの恋愛談なのだが、これも会話の裏側を想像することで興味深く観れる。また、モデルとヘアメイクの2人が恋バナに花を咲かせる車中のシーン、その会話に出てきた男とモデルの丁々発止のやり取りのシーンは長回しが多用されておりヒリヒリするような緊張感が感じられた。
大胆に捻った結末も良い。それまでフィクスだったカメラが突然ズームアップする所に驚かされたが、実はその恣意的なカメラワークにはきちんと意味があったということが最後に分かり腑に落ちた。
第3話は少しメルヘンチックな物語になっている。3話中で最も幸福な偶然の出会いと言って良いだろう。後味が爽やかで映画を締めくくるという意味では良かったのではなかろうか。
ただ、冒頭のテロップで表示されたコンピューター・ウィルスが蔓延した世界というSF的な設定が余り活かされていないのは残念だった。
「ラストナイト・イン・ソーホー」(2021英)
ジャンルホラー・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) ファッションデザイナーを夢見てデザイン学校に入学したエロイーズ。しかし、憧れのロンドンでの生活に馴染めずソーホー地区で下宿生活を始める。するとその晩、眠りについた彼女は、夢の中で60年代のソーホーに暮らしていた歌手志望の女性サンディとシンクロしてしまう。華やかな60年代のロンドンを味わい楽しい日々を送るようになるエロイーズだったが…。
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(レビュー) 霊感能力を持った少女が夢と現実の狭間で翻弄されていく青春サスペンス・スリラー。
原案、共同脚本、監督は
「ベイビー・ドライバー」(2017米)のエドガー・ライト。映像と音楽のコンビネーションでグイグイと引っ張る演出スタイルは今回も健在で、最後まで飽きることなく観ることができた。「ベイビー・ドライバー」以降、この監督の作風はゴージャス感を増している。良くも悪くもそれまでのB級感は払拭されており少しだけ寂しい感じもするが、これは作家として大きな成長を遂げたことの証明でもある。一線級の監督になったと歓迎すべきだろう。
まず、冒頭のオープニングシーンからして一気に引き込まれた。エロイーズが新聞紙で作ったドレスを着て軽やかなダンスを披露する。実はこれは後の伏線となっているのだが、こうした洒落た映像演出ができる所が今のエドガー監督である。以前では考えられないことだった。
以降も、エドガー監督が作りだす音と映像のハイセンスな融合は頻出する。
例えば、エロイーズが最初に夢の中に入り込むシーンは白眉だ。鏡の中に突如現れたサンディと入れ替わりながらダンスするシークエンスが素晴らしい。CGとアナログを融合させながらトリッキーで幻惑的な世界観が構築されている。正にこれぞ映画ならではの醍醐味と言って良いだろう。
あるいは、サンディと男たちの会話を鏡の向こう側からエロイーズが止めに入るシーンも印象的であった。鏡を割って飛び出したエロイーズがサンディに抱き着くわけだが、ここまでアナログな手法にこだわった演出は実に刺激的である。昨今のハリウッド映画は何でもCGで再現してしまうが、それに感覚麻痺を起こしているとこうした演出にはむしろ新鮮さを覚える。
物語も最後まで上手く構成されていると思った。
最初はオーソドックスな青春ドラマのテイストで始まるが、中盤以降はエロイーズの幻覚体験を前面に出しながらサイコスリラー風のテイストに様変わりしていく。そして、本ドラマのキーマン、エロイーズの周囲に出没する謎の老人の正体が判明してからは、完全にホラー映画のようになっていく。
連想されるのはブライアン・デ・パルマやダリオ・アルジェントの作品だった。特に、後者の影響は強く感じられた。
田舎から都会にやってきたというヒロインの設定。彼女が間借りする下宿にまつわる異様な秘密。サイケデリックな照明効果で彩られた画面。土砂降りの雨や業火、更には同監督作「インフェルノ」(1980伊)と同じ名前を冠したバーまで登場してくる。いやが上にもアルジェントの魔女三部作を想起させる。
テーマは先頃見た
「プロミシング・ヤング・ウーマン」(2020米)然り、女性の性の搾取と捉えた。
ただし、本作は1960年代に生きたサンディを通してそれが語られており、それが現代に生きるエロイーズの生き方に大きく関わってくることはない。確かにエロイーズは恐ろしい体験をした。しかし、その体験が彼女の人生に何か影響を与えたかと言うとそういうわけではない。そのためテーマが弱く感じられてしまった。過去にこういう悲惨な事件がありました…という<情報>だけに収まってしまった感がある。
キャストではエロイーズを演じたトーマシン・マッケンジーの可憐さが印象に残った。純朴そうな外見から徐々に魔性を忍ばせていく後半の変身ぶりが見ものである。
サンディを演じたアニャ・テイラー=ジョイの小悪魔振りも実に堂々としていて良かった。
「皮膚を売った男」(2020チュニジア仏ベルギースウェーデン独カタールサウジアラビア)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 内戦中のシリアに住むサムはひょんなことから反逆罪で逮捕されてしまう。刑務所を脱獄した彼はレバノンに移住するが、残してきた恋人への想いを断ち切れなかった。そんな時、偶然出会った芸術家から大金と自由が手に入る代わりに背中を提供してほしいと提案される。サムの背中にタトゥーを施して、サム自身をアート作品にして世界中で展示するというのだが…。
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(レビュー) 背中にビザのタトゥーを入れた男の数奇な運命をアイロニーたっぷりに描いた衝撃のヒューマンドラマ。
生きた人間の背中にビザの刺青を施して芸術品に仕立てるという奇抜な発想が出色である。極めて非人間な行為と言えるが、芸術とは時に刺激的で反逆的で、場合によっては禁忌をも恐れない行為の果てに生まれる産物であることもまた確かである。
ただ一見すると突拍子もないと思われる今作のアイディアには元ネタがあるらしい。劇中でテロップで表示されていたが、現代アーティスト、ヴィム・デルボが2006年に発表した「TIM」という作品がそれである。本作のサムと同じように、ある男の背中にタトゥーを施して公の場で展示されたそうである。デルボ自信は本作の製作に大変前向きだったらしく、後で知ったが本人が劇中にチョイ役で登場しているらしい。また、彼のアート作品も本作には提供されているそうだ。
監督、脚本はこれが長編2作目となるカウテール・ベン・ハニアという女流作家である。ユニークな目の付け所もさることながら、演出も大変先鋭化されており画面作りがカッチリと構成されている。
冒頭の真っ白な部屋の幻惑的な空間に始まり、列車内におけるサムと恋人の距離を置いたシンメトリックな構図、鏡や照明を駆使して表現される幻想的なトーン等、極めてグラフィカルな映像が連発する。
そして、この映像作りには撮影監督クリストファー・アウンの貢献も大きいように思った。彼は前作
「存在のない子供たち」(2018レバノン仏)で注目された新鋭のカメラマンである。ただ、前作はドキュメンタリックな作風ゆえカメラも割とラフに傾倒していたが、今回はそれとはまったく異なる画面作りに専念している。監督が変わったことでスタイリッシュな画面作りが徹底されている。
物語も面白く追いかけていくことができた。
難民問題はこれまでにも映画の中で散々扱われてきたテーマだが、そこに現代アートを絡めたのが本作の妙味である。
更に、本作には経済格差、人権問題、芸術投資の闇といった多岐にわたるテーマも盛り込まれている。これらを1本の線で絶妙にまとめ上げたストーリーテリングは見事である。
尚、個人的に最も印象に残ったシーンは、後半のオークション会場のシーンだった。これを観るとハニア監督が現代アートをどのように見ているのかがよく分かる。おそらく彼女は現代アートを取り巻く状況について相当憂いているのではないだろうか?
一方で、本作はサムと恋人のメロドラマという見方もできる作品である。やや政治色が強い内容のわりに、こうした物語への共感を誘導する”味付け”を絶妙に忍ばせることで、本作は誰が観ても楽しめる作品になっている。このあたりにはアウン監督のシナリオライティングの工夫が感じられた。
ただし、上手くまとめようとして終盤に行くにつれてご都合主義が目立ち始めるのはいただけなかった。
例えば、ラストにかけて大きなどんでん返しが用意されているが、個人的にはこれは少々安易かなと思った。用意に先の展開が想像できてしまう。
また、サムが生ける芸術品として世間を賑わせていたにも関わらず、それを恋人が知らなかったというのはお粗末である。彼女の夫が知っているくらいであるから、普通は知っていてもおかしくないだろう。
「スプリング・フィーバー」(2009仏中国)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 夫ワン・ピンの浮気を疑う女性教師リン・シュエは、探偵ルオ・ハイタオに調査を依頼していた。ほどなくして相手がチェンという青年だと判明すると、リンは激昂し夫婦関係は破綻してしまった。その後、ワン・ピンとチェンも破局を迎える。一方、ハイタオは恋人がいながら調査していたチェンに惹かれていくようになる。
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(レビュー) 5人の男女の複雑な恋模様をシリアスに綴った愛憎劇。
監督は
「ふたりの人魚」(2000中国独日)のロウ・イエ。「ふたりの人魚」に比べると地味な作品であるが、愛に翻弄される男女の姿を乾いたタッチで描いた所に共通性を見出せる。
尚、ロウ・イエは前作「天安門、恋人たち」(2006中国仏)が中国当局から上演禁止を食らい5年間の映画製作禁止処分を受けた。しかし、彼はその処分を無視して家庭用デジタルカメラでゲリラ的に本作を撮り上げたという。
大変苦労して撮影しているということは映像を見るとよく分かる。そこかしこにゲリラ撮影と思しきカットが存在するし、照明もろくに照らされないカットがあり、画面が暗くて何をが映っているのかよく分からない個所もあった。
ただ、こうした逆境の中で撮影されたことを知ると、何とも愛おしく味わいのある映画に見えてくる。たとえ不格好に撮られたとしても、そこに込められた監督の熱意や思いが透けて見えてくることで、どうしてもこの物語を描きたかった…という強い信念が感じられた。
物語は、あるカップルの破綻から始まる。ワン・ビンとチェンは同性愛の関係にあるが、ワン・ビンの妻リンの依頼で探偵ハイタオが二人の関係を暴き離婚に至ってしまう。話はこれで終わりかと思うとさにあらず。今度はハイタオがチェンと同性愛の関係に陥り、更に複雑怪奇な愛憎ドラマへと発展していく。
正直、誰にも感情移入することができないまま作品を観終わってしまった。
誤解を恐れずに言うなら、この複雑怪奇な愛憎劇をどこかコメディのように捉えてしまう自分がいて、まるで昼メロでも見ているような感覚で鑑賞するしかなかった。同性愛、W不倫という題材自体、昨今では特段目新しい物でもなく、若干退屈してしまったのも事実である。
とはいえ、セックス描写はかなり濃厚に描かれており、厳格な規制が敷かれている中国でここまで赤裸々に男性同士の性行為を描いたことは驚きに値する。よくここまで大胆な描写に挑戦したと驚かされてしまった。
中国を舞台にした映画であるが、実際にはフランスと香港の出資を受けて製作された作品である。当然、中国本土では上映されることなく今に至っているが、カンヌ国際映画祭など海外では高い評価を得ている。果たして中国本土で今作が日の目を見る日は来るのだろうか…。
「ふたりの人魚」(2000中国独日)
ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 上海でビデオの出張撮影の仕事をしている男は、ある日、撮影先で人魚のように美しい水中ダンサーのメイメイにひと目ぼれする。ふたりはつきあい始めるが、彼女には謎めいた行動が多かった。そんなある日、彼女を自分の恋人ムーダンだと言い張る男まで現われる。
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(レビュー) 人魚に惹かれた映像作家の切ない恋心をミステリアスに綴ったファンタジー・ロマン。
映像作家の「僕」はナイトクラブでメイメイというダンサーに一目ぼれする。しかし、ある日メイメイのことをムーダンと呼ぶマーダーという男が現れて奇妙な三角関係が形成される。果たしてメイメイはムーダンなのか?「僕」はカメラを回しながら彼女の秘密を捉えていく…というのが話の大筋である。
その合間にマーダーの過去や、彼とムーダンの関係が明かされ、やがて「僕」とマーダーは同じ容姿の女性を愛した者同士、友情めいた関係で結ばれていく。
本作で面白いと思ったのは、メイメイとムーダンの正体を最後まで伏せて、あくまで謎の存在として描いた点である。もしかしたら本当に人魚だったのかもしれないし、メイメイとムーダンは別人だったのかもしれない。二人の男が彼女に惹かれ翻弄されていく所に、ファンタジックな趣が加わり独特の鑑賞感が残り、観終わった後には、まるで狐につままれたような、そんな不思議な余韻に浸ることができた。
監督、脚本は中国の俊英ロウ・イエ。本作は彼の長編第3作となる。残念ながら自分はこの監督の他の作品を観てないので、一体どういった資質の作家なのか分からない。ただ、本作を観る限り、映像のセンスや物語の巧みな語り口に魅了されっぱなしだった。
まず映像的には、非常にスタイリッシュでケレンに満ちたカットが多い。とりわけ上海の夜の街はカラフルなネオンに彩られ、ちょっと異世界を思わせるような幻想的な空間で惹きつけられた。
また、主人公が映像作家ということでPOV形式のカットが幾度か登場してくるが、これも生々しい臨場感をもたらしていて面白いと思った。
メイメイとムーダンを捉えたフォトジェニックな映像の数々も、まるでアイドル映画よろしく女優の魅力を存分に引き出していると思った。
そして、本作を観終わって思ったことは、監督のロウ・イエは主人公の「僕」に自身を投影していたのではないか…ということである。
監督によるかもしれないが、世の中で名匠、巨匠と呼ばれる人たちには大概、お抱えの女優が存在するものである。ゴダールにはアンナ・カリーナというミューズがいたし、増村保造には若尾文子というミューズがいた。新たな女優を見出して撮り続けるという監督もいるが、基本的には決まった女優とコンビを組んで映画を撮る方が仕事はやり易いだろうし、自分の思い描いた”絵”を再現しやすいのかもしれない。だから、映画監督というのは常に自分の作品世界に合致した”ミューズ”を探し求めている。
これは映画監督という職業の”性”なのかもしれない。そして、不確かで神秘的になればなるほど、それは魅力的な物に思えてくる。
おそらくロウ・イエ自身も映画監督である以上、作品の”ミューズ”を常に探し求めているに違いない。その思いを本作を通じて表現したかったのではないだろうか?
キャストでは、メイメイとムーダンの二役を演じたジョウ・シュンの魅力に尽きると思う。難しい役どころを難なく演じきっていて素晴らしい。鑑賞順は前後してしまったが、彼女はこの後に「小さな中国のお針子」(2002仏)という作品にも出演していた。その時は瑞々しい魅力を放っていたが、本作ではまた違った雰囲気で別人のような演技を披露している。
「ゆれる人魚」(2015ポーランド)
ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 1980年代のポーランド、ワルシャワ。美しい人魚の姉妹シルバーとゴールデンはある日、ビーチに遊びに来ていたバンドマンたちを目撃し、彼らを追って陸に上がる。そしてナイトクラブへとたどり着くと、姉妹はステージで歌や踊りを披露し、たちまち人気者になっていった。そんな中、姉のシルバーはバンドメンバーの青年ミーテクと恋に落ちる。
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(レビュー) 人魚伝説をモチーフにしたファンタジー・ロマンス。
姉妹の人魚が人間界にやってきて、夫々の生き方を模索しながら、やがて悲劇的な結末を迎えるという物語である。
誰もが知ってる有名な人魚伝説だが、そこにタイプの異なる姉妹の愛憎劇を持ち込んだのが新味のように思う。それによって姉妹、夫々が選択する未来。つまり人間になるのか?それとも人魚のままでいるのか?という人魚伝説のクリシェが描かれる。
ダリル・ハンナ、トム・ハンクス主演の「スプラッシュ」(1984米)などは、人魚伝説を上手く物語のモチーフに組み込んだ好例のように思うが、本作もそれと同様、最後には切ないロマンスで盛り上げられている。ラストの姉シルバーの葛藤には切なくさせられた。
一方、妹のゴールデンの魔性性は無垢なシルバーとはまた違った魅力で、こちらも良かったと思う。
本作は、彼女たちの周縁に集う人物も中々魅力的に描けている。
ナイトクラブの花形シンガー、クリシャは実に頼もしい姉御肌で姉妹の保護者的な役回りを務めている。ナイトクラブの支配人の人間臭さもコメディライクに料理されていて親近感がわいた。シルバーが恋焦がれるミーテクは如何にも女癖の悪いバンドマンという役どころで、悪役としてまずまずの造形となっている。
そして、忘れてならないのは本作品の最大の特徴、ミュージカルシーンである。実は本作は要所でミュージカル仕立てになる。これが始まると画面いっぱいにポップなテイストが横溢し楽しい雰囲気に切り替わる。姉妹が勤め先がナイトクラブのステージということもあって、このミュージカル演出は実によくハマっていた。
また、物語の舞台は1980年代のポーランドである。この頃のポーランドは共産主義国で政府は財政難に貧していた。社会全体が陰鬱としたトーンに覆われ、その重苦しい空気から解放されたいと願う市井の姿が、この活力あふれるミュージカル・シーンに投影されていると思うと、一連の歌とダンスは更に興味深く観ることができる。
尚、画面全体には海中を意識させるようなダーク・グリーンが強く主張されており、これが明らかに本作のキー・カラーになっている。少し隠微でお洒落な雰囲気が漂い、他の作品にはない独特のセンスが面白かった。
「続・ボラット 栄光ナル国家だったカザフスタンのためのアメリカ貢ぎ物計画」(2018米)
ジャンルコメディ・ジャンル社会派
(あらすじ) ジャーナリストのボラットは国家反逆の刑で収監されたが、このたび新大統領の恩赦のおかげで出所することができた。そんな彼に再びアメリカ渡航の命が下る。それは文化大臣のおサルのジョニーをトランプ大統領に貢物として贈るというものだった。早速アメリカに乗り込むボラットだったが、着いて早々に重大なトラブルに見舞われ…。
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(レビュー) カザフスタンの名物男ボラットがアメリカに渡ってハチャメチャな騒動を巻き起こすフェイク・ドキュメンタリー第2弾。2006年に製作された「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」(2006米)の続編。
前作は製作、原案、脚本、主演を兼ねたサシャ・バロン・コーエンを一躍有名にしたが、今回も前作同様、彼が独壇場の活躍を見せている。毒を利かせた笑いと痛烈な社会風刺。そしてお下劣なギャグ。全方向にケンカを売っているとしか言いようがない、その独特のスタイルは誰にも真似できない強烈な個性を放っている。本シリーズは正に彼ありきで作られた作品と言っていいだろう。
さて、前作ではアメリカの文化、社会通念をおちょくりながら痛烈な批判を浴びせていたサシャだが、今回はそこからさらに一歩進んで、なんと政治の世界にまで足を踏み入れていく。フェイク・ドキュメンタリーとはいえ、登場してくるのはマイク・ペンス前副大統領や元ニューヨーク市長でトランプ元大統領の顧問弁護士を務めたルドルフ・ジュリアーニといった本人たちである。ボラットは彼らの前でほくそ笑みながら毒をまき散らし、コケにしまくる。これはもう危険度極まりない体を張った演技と言えよう。
特にクライマックスとなるジュリアーニに仕掛けたドッキリ撮影は白眉だ。当然本人の許可なく上映に至ったわけであるから、よく裁判沙汰にならなかったなと思った。
一方で、本作はボラットと実娘トゥーターの父娘愛を描くハートウォーミングなドラマにもなっている。これは前作にはないサプライズで意外だった。実に浪花節的な展開でドラマに1本の幹を通している。
もっとも、相変わらず”常識”という名のネジが外れっぱなしなボラットであるから、この父娘愛も一筋縄ではいかない。ちょっとブラックで刺激が強い笑いもあり中々楽しむことができた。
キャストではやはりボラットを演じたサシャ・バロン・コーエンの怪演が印象に残るが、トゥーターを演じたマリア・バカローヴァの妙演も光っている。彼女の前半と後半の造形のギャップは見物である。
「SF核戦争後の未来・スレッズ」(1984英)
ジャンルSF・ジャンル戦争・ジャンル社会派
(あらすじ) 東西冷戦の真っただ中、イギリスのシェフィールドに住む若いカップル、ルースとジミーは結婚を控え幸福の最中に居た。ある日、ペルシア湾でアメリカの原潜が行方不明になる。その後、同海域で米ソ両軍艦の衝突事故が起こり、両国の武力行使が現実味を帯びたものになっていく。
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(レビュー) イギリスのBBC製作による冷戦時代を証憑した核戦争シミュレーション作品。
同じ題材を扱った作品で、アメリカでは「ザ・デイ・アフター」(1984米)というテレビムービーが製作されている。当時はそういった不安が社会全般に漂っていたのだろう。ただ「ザ・デイ・アフター」に比べると、こちらの方が断然リアリティがあるし恐ろしい。
物語は一組の若いカップルとその家族の目線で進行する。ルースとジミーは、ルースの妊娠をきっかけに結婚を決意する。新居も決まり両家の挨拶も済ませ、いよいよ結婚という時になって、アメリカとソ連の全面戦争が始まってしまう。
この作品で巧妙だと思うのは、開戦に至る経緯を実に細かく段階を踏んで描いている点だ。実際の戦場は一切出てこない代わりに、テレビやラジオ、新聞といったメディアから両国間の軍事衝突、外交戦略が事細かく説明される。
なんでも本作を製作するにあたり、BBCは軍事専門家やアナリストなど50名以上の助言を受けたそうである(
wiki参照)。そのかいあって本作は真に迫ったリアリズムが感じられる。
両国の全面戦争が始まると、当然アメリカの同盟国であるイギリスも無事では済まされない。国中がパニックに陥り、人々は自宅にシェルターを作り、田舎に疎開する。そして街からは物資が消え、道路は公用車優先のために封鎖され、公的機関ではストライキが始まる。更に、銀行は閉鎖され、美術館からは粛々と美術品が安全な場所へと移動させられる。
そして、ついに恐れていた最悪の事態が起こってしまう。NATOの軍事基地にソ連の核爆弾が投下されてしまうのだ。すぐ近くに住んでいるルースたちも、当然甚大な被害を受けてしまう。
恐ろしいことに、最初の米軍原潜沈没からここに至るまでたったの2カ月である。
ここから映画はルースたち市井の視線を離れて、支庁の地下シェルターに集まった対策本部の人々の視線も交えて描かれていく。更にナレーションも交えながら、より一層ドキュメンタリー風味を増した形で焼け野原になった街の風景や焼け焦げた死体などが映し出されていく。
我が国は世界で唯一の被爆国である。広島と長崎に投下された原爆の被害は、我々日本人からしてみれば身近な悲劇として受け止められるが、その悲劇を海外でここまで詳細に描いた作品は中々ないのではないだろうか。
ひたすら残酷な映像と陰鬱な展開が続くし、ラストも救いがないまま終わるので、好き嫌いがハッキリと別れる作品だと思う。しかし、ここまで真に迫ったシミュレーション作品もそうそうないと思う。一見の価値がある作品であることは間違いない。
「懲罰大陸★USA」(1971米)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1970年、ベトナム反戦運動の盛り上がりに危機感を覚えたニクソン大統領は、新たな治安維持法を発令する。これにより反政府的な若者たちが次々とカリフォルニアの荒野へと連行されてくる。そこは危険分子への見せしめを目的とした人間狩りの場、“懲罰公園”だった。
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(レビュー) いわゆる嘘のドキュメンタリー”モキュメンタリー”である。実際にはこのようなことは行われなかったし、観ている方としてもこれは毒を利かせたブラック・ジョークとして受け止めることができよう。
ただ、作品に忍ばされた風刺は中々鋭いものがある。今となっては完全に作りものだと分かった上で観ることができるが、製作された当時はどのように受け止められたのであろう?
映画は、ヨーロッパのドキュメンタリー番組が懲罰公園の取材をするという体で進行する。カメラに収められるのは、テントの中に連行された若者たちを被告とした公開裁判、広大な砂漠の中で繰り広げられる人間狩り。この二つのカットバックで進行する。
正直、作品としての出来はそれほど高くなく、低予算のチープな小品といった感じである。ただ先述したように、当時の反戦運動、泥沼化していくベトナム戦争を反映させた風刺は中々興味深く受け止められる。実際に米軍がベトナムから撤退するのは1973年であり、本作が製作された当時は戦線は拡大の一途をたどっていた。おそらく製作陣も反ニクソン主義という観点から、このモキュメンタリーを作ったのであろう。
監督はこの手のモキュメンタリーを得意とするピーター・ワトキンス。核戦争の恐怖をシミュレートした「THE WAR GAME」(1965英)で一躍世界中にその名を轟かせた作家である。「THE WAR GAME」もかなり趣向を凝らした作りだったが、その演出はここでも徹底されている。ただ、「THE WAR GAME」もそうだったが、どこかでやはり噓臭さは感じられ、真に迫るというほどではない。
特に、人間狩りのパートはアクション映画よろしくエンタメ的な演出が若干感じられた。撮影クルーが追いかけられる若者たちを先回りして捉えていたり、激しい銃撃戦を割と冷静なカメラワークで捉えていたり等。自分はユーモアとして捉えたが、そうであるなら本作の反権力、反ニクソン的なメッセージは薄まってしまうように思った。
このあたりはエンタメ性との兼ね合いから難しい問題である。
「コレクティブ 国家の嘘」(2019ルーマニアルクセンブルグ独)
ジャンル社会派・ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) 2015年10月30日、ルーマニアのライブハウス“コレクティブ”で火災が発生し、死者27名、負傷者180名を出す大惨事となる。その後、入院した患者が次々と命を落とし更に37名の生命が失われた。不審に思った新聞記者トロンタンが調査を開始する。
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(レビュー) 政府と医療機関の腐敗を暴いた社会派ドキュメンタリー。
どこの国でもこうした権力機構の腐敗はあると思う。要はそれが表に出るか出ないかだけであって、報道する側の姿勢がいかに重要であるか…ということが痛感させられる。
本作に登場する地元スポーツ紙の記者トロンタンが実に頼もしく感じられた。権力を恐れず果敢に事件の真相を追求していく姿を見ると、果たして我が国には彼ほど情熱に満ちたジャーナリストはどれほどいるだろうか…と思ってしまう。
映画前半はトロンタンの取材活動を追いながら、なぜ入院患者が次々と亡くならなければならなかったのか。その原因が追究されていく。
後半からは視点をガラリと変え、事件を調査する保健相の新人大臣ヴラドを中心に描かれていく。事件を引き起こしたのは腐敗した医療制度と汚職にまみれた政治にあると確信した彼は、政府内部から改善を訴える。しかし、官僚の厚い壁に阻まれて中々思うようにいかない。
個人的には、製薬会社社長の謎の事故死を含め、前半の方がサスペンスフルで面白く観れた。語弊はあるかもしれないがエンタテインメント性に溢れている。
一方、後半はひたすら歯がゆい展開が続くためやや退屈してしまった。
ただ、今回の事件を捉える上で、報道記者という外部からの視点と政治家という内部からの視点、この二つの視点を交錯させたやり方は中々面白い試みだと思った。結果、作品の視野は広がったように思う。
ラストの何ともやりきれないオチが印象に残った。
結局、腐敗した政治を正すのは選挙権を持つ我々国民だけである。そんなメッセージが感じ取れた。
至極当たり前のことを言っているように思えるが、しかしそれを分かっていない人がなんと多いことか。それは選挙民の投票率の低さにも表れている。わが国同様、ルーマニアでもこのことは問題になっているらしい。これは極めて嘆かわしい状況だ。
どうせ誰が政治をしても変わらないという人々の無関心。今回のような悲劇的事件が起きても所詮は他人事でしかないという無頓着さ。まずはそうした意識から変えなければダメだろう。
再三途中で挿入される火傷を負った女性ダンサーの姿も印象に残った。特にこれがなくても映画としてはきちんと成立させることができるのだが、彼女の姿が硬派な作風に一種独特のアーティスティックな風情を持ち込んでおり中々面白いアクセントになっている。彼女の活動は、悲壮感に満ちた状況の中でほのかな希望に感じられた。