「スリー・フロム・ヘル」(2019米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) キャプテン・スポールディング、オーティス、ベイビーの殺人一家は警官隊の銃撃を逃れたものの、逮捕され裁判にかけられる。キャプテン・スポールディングは死刑となり、オーティスとベイビーは無期懲役に処された。ところが、腹違いの兄弟フォクシーの協力を得てオーティスが脱獄に成功すると、再び殺戮の饗宴が始まる。
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(レビュー) 殺人一家の逃避行を描いたシリーズ第3弾。「マーダー・ライド・ショー」(2003米)、
「マーダー・ライド・ショー2~デビルズ・リジェクト~」(2005米)から約14年ぶりとなる続編。
監督、共同製作、脚本は引き続きロブ・ゾンビが務めている。これまでのストーリーありきで始まるので、出来れば旧作を観たうえでの鑑賞がお勧めである。本作単体でもそれなりに楽しめるが、それだけだとかなりドラマが味気なく感じられるかもしれない。
さて、スポールディングを演じたシド・ヘイグの怪演が強烈だった前2作だったが、本作では早々に退場してしまい少し残念である。今回は彼の子供達を中心とした物語となっている。
とはいえ、スポールディングほどの強烈さはないものの、オーティス、ベイビー、フォクシーたちの暴れっぷりも中々痛快で、シリーズを観てきた者からするとそこそこ楽しめる。
中でもベイビーの奮闘ぶりは際立っており、厳格な女性看守に対する反抗的な態度やナンパ男に対する無残な仕打ちなど、躊躇なく暴力的行為に及ぶところが他の二人よりも狂気じみている。
ただ、序盤は夫々に刑務所に収監されているため、いわゆる見せ場がほとんどない。本格的にドラマが動き出すのはオーティスが脱獄して以降であり、そこからいよいよ”マーダー・ライド・ショー”らしい殺戮ショーが始まる。そういう意味で、個人的には前半より後半に見応えを感じた。
メキシコに場所を移して展開されるクライマックスシーンで見せるマカロニウェスタン調な演出も中々面白かったと思う。
また、ベイビーが懲罰房で見る幻覚シーンにはデヴィッド・リンチ的なテイストも感じられ、このあたりのシュールでダークな雰囲気は個人的に面白く観れた。
キャスト陣は全てオリジナルの布陣が揃えられている。さすがに14年ぶりとなると、皆老けてしまったという印象である。物語内の時間経過と若干合っていないような印象を持ったが、そこはご愛敬と言った所か。尚、シド・ヘイグは今作の公開後、80歳で亡くなった。本作は彼の遺作となる。
またダニー・トレホがチョイ役で登場してくる。予想通りアッサリと殺されてしまうのだが、それだけで終わらないところがトレホのトレホたる所以であろう。このキャスティングにはニヤリとさせられた。
「ハロウィン」(2007米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 孤独な少年マイケル・マイヤーズは、学校ではイジメられ、家でも家族から冷たくされ鬱屈した日々を送っていた。10月31日のハロウィンの夜、マイケルはかわいがっていた幼い妹をひとりを残し、ついに一家惨殺の凶行に及ぶ。厳重警備の精神病院に収容されたマイケルは、そこでルーミス医師の治療を受け始めるのだが…。
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(レビュー) ジョン・カーペンターが監督したホラー映画「ハロウィン」(1978米)を鬼才ロブ・ゾンビがリブートした作品。
孤独な少年がいかにして連続殺人鬼に変貌したのか。その過程を過激なバイオレンス描写を交えて描いた作品である。オリジナル版を観てなくても楽しめる内容になっているが、できれば観たうえで鑑賞したほうがベターであろう。劇中にはオリジナル版へのオマージュが散りばめられているので、よりいっそう楽しめると思う。
本作で面白いと思ったのは、オリジナル版では描かれなかったマイケルの幼少時代を描いている点だ。この「ハロウィン」という作品は人気を博しシリーズ化され、更には近年、約40年ぶりに続編も製作された人気作である。「13日の金曜日」シリーズと並ぶ長寿シリーズで、稀代の殺人鬼マイケル・マイヤーズはホラー映画界の一つのアイコンとなっている。そんなマイケルの生い立ちに迫った所は面白い。
マイケルの幼少時代は実に悲惨である。ここまで救いがなければ人間不審に陥り、世界から背を向けてしまうのも無理からぬ話であろう。仮面をかぶることで凶悪な殺人鬼を”演じる”ことは、彼の唯一の”逃げ場”だったのかもしれない。一筋の光も見えない暗い幼少時代を見ていると何となく同情心も芽生えてしまった。
本作は映画の約半分を使って、マイケルが殺人鬼になるまでの経過をじっくり描いている。シリーズのレギュラーでマイケルの宿敵となるルーミス医師との邂逅なども描かれており、興味深く観ることが出来た。
そして、後半に入ると物語は一気に15年後に飛んで展開される。成人したマイケルがハロウィンの夜に次々と町の人々を襲う、いわゆるオリジナル版「ハロウィン」の展開に突入する。
個人的にはその空白の期間も観てみたかったのだが、残念ながらそこはスルーされ、原作を再現する形で進行する。
正直、オリジナル版を観ているので後半パートは少々退屈してしまった。多少アレンジされているとはいえ、先の展開を知ってしまっているので緊張感も感じられない。
ただ唯一、前半で生き残った幼い妹の存在は物語の隠し味として面白く観れた。全編ドライな物語に幾ばくかのセンチメンタリズムを持ち込み、マイケル・マイヤーズのモンスターに哀愁を忍ばせることに成功している。
キャスト陣では、ルーミス医師役のM・マクダウェルが中々の存在感を見せつけている。他にダニー・トレホやウド・キアといったこの手のジャンル映画の名バイプレイヤーが脇を固め、更には「ゾンビ」(1978米)でお馴染みケン・フォーリーもチョイ役で登場してくる。ホラー映画ファンには楽しめるキャストが揃えられている。
尚、本作の後に同じロブ・ゾンビ監督、脚本で続編が製作されている。機会があればそちらも観てみたい。
「透明人間」(2020米)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) セシリアは天才科学者の恋人エイドリアンの束縛に恐怖を感じ、ある夜ついに彼の豪邸を抜け出して妹の恋人の家に身を隠した。その後、失意のエイドリアンは自殺し、莫大な財産の一部がセシリアに残される。ところが、安堵したのも束の間、彼女の周りで不可解な現象が起こり始める。
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(レビュー) 透明人間に付きまとわれる女性の恐怖を巧みなストーリテリングと緊張感みなぎるタッチで描いたSFホラー作品。
これまでにも何度も映画化されてきた透明人間だが、それを現代的なアプローチで描いた所が本作の新味である。
一番古い映画化は1933年の
「透明人間」(1933米)だが、それから90年近く経ち、今でもこのネタは古びない。同じユニバーサル映画で言えばドラキュラやフランケンシュタインといったモンスターが連想されるが、透明人間もそれらと並ぶアイコンになっていると言って良いだろう。
ただ、逆に言うと人が透明になるというネタ自体は変えようがないので、どこかに新機軸がないとマンネリ化してしまう。本作はそこのアレンジの仕方がとてもうまくいっていると思う。
その新機軸とは光学迷彩スーツだ。かつては遠い未来の発明品のように思えたが、昨今この技術は現実味を帯びている。そこに着目したのが、これまでの「透明人間」にないリアリティを生み出している。
また、夫のDVに耐えてきたヒロイン像も現代ならではの設定と言えよう。かつて「透明人間」と言えば、男性が主人公というのが相場が決まっていた。透明になって好きな女性を覗き見したり、嫌いな人間に嫌がらせをしたり等々。こうしたお約束は本作でも踏襲されている。しかし、今回は透明人間に襲われるヒロインの方に視座を持たせることによって、また別の角度から恐怖を表現することに成功している。
手垢のついた素材でも工夫を凝らせばまだまだ面白くすることができるということを、この映画は実践して見せてくれている。
監督、原案、脚本は
「アップグレード」(2018米)のリー・ワネル。盟友ジェームズ・ワンと共に手掛けた「ソウ」シリーズのヒットを足掛かりに着実にこの手のジャンル映画界を牽引するヒットメーカーに登り詰めている。
今回も演出は実に手練れていて、例えば序盤のセシリアの脱出シーンのスリリングさには見入ってしまった。無音の演出が素晴らしく、安易なショック音を使用しないのも好感が持てた。
あるいは、無人のキッチンを長々と映すショットも秀逸である。もしかしたらそこに透明人間がいるかもしれない…と思わせる不穏さが感じられ、ついつい画面に引き込まれてしまう。
全体的に低予算の映画なので派手なSFXは登場しない。しかし、そこを退屈させることなく見せきったリー・ワネルの手腕は見事と言えよう。
キャストの熱演も見逃せない。セシリアを演じたエリザベス・モスの神経症的な表情、終盤の勇ましい表情への変化も良かった。
製作には昨今この手のジャンル映画でヒットを連発しているジェイソン・ブラムが関わっている。もはや彼の名前は一種のブランド力になっていると言っていいだろう。
「ゴーストランドの惨劇」(2018仏カナダ)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) シングルマザーのポリーンは叔母の家を相続し、2人の娘ヴェラとベスを連れてそこに引っ越した。しかしその直後、一家は2人組の暴漢に襲われてしまう。それから16年後、小説家として成功したベスは独立し、幸せな家庭に恵まれて充実した暮らしを送っていた。ある日、ヴェラからただならぬ電話がかかってくる。心配したベスは彼女の元に駆け付けるのだが…。
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(レビュー) 過去の惨劇に捕らわれた一家の恐怖をトリッキーな構成で描いたサスペンス・ホラー。
序盤は余りのめり込むことができなかったが、中盤で予想外の展開が待ち受けていて、それ以降は面白く観れた。
この物語のキーは妄想癖がある作家ベスの設定にあると思う。最初はベスの夢落ちの連続で辟易するのだが、中盤でそれが思わぬ効果を出し始める。どこまでがベスの妄想なのか。どこまでが現実なのか。観る方としては色々と想像しながら観て行くことになるのだ。敢えて惑わすような演出も効果的で、良く考えられた構成だと思う。
監督、脚本は
「マーターズ」(2007仏カナダ)のパスカル・ロジェ。フレンチ・ホラーの新鋭として登場し、昨今のホラーマニアの間で評判になっている作家である。「マーターズ」同様、今回もストーリーテリングと演出の妙に光るものがあり、改めてその力量が再認識される。
もっとも、クライマックスにかけて、いわゆる「悪魔のいけにえ」(1974米)的な展開に終始してしまったのは、それまでの期待値からすると、いささか凡庸な感が否めない。しかも、「マーターズ」ほどのパワフルな演出もなく、この系統の作品は数多あるため他との差別化ができていない所が苦しい。結局、サイコパスな暴漢に追われる恐怖というホラー映画の定域を抜け出せなかったのは残念だ。
また、ホラーとコメディは紙一重ということも本作を観て思い知らされた。映画で描かれる暴漢はサイコパスになればなるほど常人には理解しがたい異物となり、その結果、画面上で繰り広げられる凄惨なシチュエーションは”痛み”としてのリアリティからかけ離れてしまう。それをカバーするのは監督の演出になるのだが、本作はそこがうまくいっていないと感じてしまった。
キャスト陣は奮闘している。ヴェラ役とベス約は少女時代と成人時代で別のキャストが用意されているが、特に成人時代を演じた二人の女優の体を張った熱演は見応えがあった。
特殊メイクもリアリティがあって良かったと思う。
「マーターズ」(2007仏カナダ)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1970年初頭のフランス。行方不明になっていた少女リュシーが監禁場所から命からがら脱出して保護される。養護施設に収容されたリュシーは、同じ年頃の少女アンナの献身的な支えによって少しずつ心身の傷を癒していった。それから15年後、リュシーは過去の復讐を果たすために、ある平穏な一家の元を訪ねる。
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(レビュー) 監禁虐待のトラウマを抱える少女の復讐劇を壮絶な暴力描写を交えて描いたサイコホラー。
序盤のリュシーの凶行に圧倒されてしまうが、物語は中盤で思いもよらぬ展開に突入し、最後まで面白く観ることが出来た。単なるホラー物と思っていると足元をすくわれる快作である。
ただ、正直なところ前半のリュシーが見る”幻覚”にそれほど驚きはなかった。ホラー映画では、よくある仕掛けて余り新味は感じられない。
ところが、本作は中盤で物語の視座の転換が起こり、意外な展開に突入していくのだ。ここから薄気味悪い社会派スリラーのようになっていき、ある種
「ホステル」(2005米)のような見世物小屋的なきな臭さも加わり、ますます緊張感が増していくようになる。
更に、ラストでは驚愕の結末が待ち受けている。果たしてアンナの最後の言葉は噓だったのかどうか?そして、その言葉の受けた老女は何を思ってああいう行動に出たのか?単純にスッキリとしない終わり方に、色々と想像してしまいたくなる。
監督、脚本は新鋭のパスカル・ロジェ。ジャンル映画を主に撮っている作家だが、今作を見る限り単純にそうとは思えない資質を感じさせる。
演出は非常に粘着的で、特に後半の拷問シーンにおける容赦のなさは筆舌に尽くしがたいものがる。直接的な表現は案外控えめで、それなのにここまで人間の残酷性を引き出せるというのは、やはり監督の力量なのだろう。ここまでくると、ある種の性癖を穿ってしまうのだが、それもまたこの監督の作家性なのかもしれない。
リュシーとアンナを演じた女優たちの熱演も本作の大きな見どころの一つである。体当たりの演技とは正にこういうことを言うのではないだろうか。
尚、エンドクレジットでダリオ・アルジェントに捧ぐと出てくるのだが、その意味についてはまったく分からなかった。特にアルジェント作品との共通性は感じられないのだが…。
「アネット」(2021仏独ベルギー)
ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 挑発的なスタイルのスタンダップ・コメディアン、ヘンリーは、国際的な人気オペラ歌手アンと情熱的な恋に落ち結婚した。しかし、2人の間に娘アネットが誕生すると結婚生活は徐々に狂い始めていく。
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(レビュー) フランスの鬼才レオス・カラックスの
「ホーリー・モータズ」(2012仏)以来、約9年ぶりとなる新作。アメリカの兄弟バンド、スパークスの原案を華麗な映像と寓話的なタッチで描いたロックオペラ・ミュージカルである。
カラックスがミュージカルを撮るというと少し意外な感じがするが、「ホーリー・モーターズ」ではカイリー・ミノーグを迎えて短いミュージカル・シーンを撮っていたし、「汚れた血」(1986仏)ではデヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」をバックに多分にミュージカル映画的な疾走シーンを描出していた。そこから考えると、今回のミュージカル映画は決して意外ではない気がする。
ただ、期待が大きかったのだろう。結論から言うと、今回の映画は余り満足のいくものではなかった。ミュージカルならではのカタルシスがあまりなく、これならば普通にドラマとして撮った方が見応えのあるものになったのではないか…という気がしてしまった。
現実から虚構への鮮やかな導入部は確かに素晴らしいものがあった。アンの公演からバイクのタンデムに繋がるシークエンスにも興奮させられた。しかし、以降はこれらを超えるミュージカルならではのカタルシスが感じられなかった。映画のポスターにもなっている嵐のヨットのシーンも、寓話性を強調した実験志向の強い演出で面白かったが、どうせやるのであれば更なるダイナミズムを追求してほしかった。
カラックスの作家的資質を考えれば、ミュージカル映画は合っているような気がするのだが、現実にはそうとも言えないようだ。確かに他とは一味違った独特の作品になっているが、過去の傑作と呼ばれるミュージカル映画を観ている自分からすると、どうにも中途半端に感じられてしまう。
音楽を担当したスパークスの楽曲が余り耳に入ってこないというのも残念である。長い間カルト的な支持を得ているバンドであることは承知している。近年の彼らのサウンドはポップスの中にバロック風味が加味されることで一種独特な世界観が構築されている。その独特のサウンドが映像に合わさることで相乗効果的に盛り上がればいいのだが、残念ながらそこまでの高揚感は得られなかった。
このようにミュージカル映画として見た場合、色々と物足りなさを感じてしまう作品だった。
ただ、随所に毒気とユーモア、皮肉が込められており、カラックスにしか撮れない作品になっていることは確かである。その意味ではまずまず楽しめた。
例えば、アネットを人形にしたギミックは面白い。彼女の存在はビジュアル的にもドラマ的にも大変ミステリアスで、そこに込められた意味については深く考察できる。自分が想像するに、それはアネットの神童性、更に言えばヘンリーとアンにとっての実在感の薄さ、不完全な親愛を表現しているのだと思う。ラストの人形の変容に鳥肌が立ってしまった。
また、凋落していくヘンリーと成功を収めていくアンの対比にはショウビズ界の残酷性が感じられた。この図式自体、決して目新しいものではないが手堅く描かれている。
アンの辿る顛末にもドラマチックさが感じられた。すでに舞台上でそのことが示唆されていたことに気付かされ運命の皮肉を感じずにいられない。
キャスト陣では、ヘンリーを演じたアダム・ドライヴァーの力演が印象に残った。挑発的なスタイルのスタンダップ・コメディアンということで、何かと聴衆の攻撃に晒されやすいのだが、表舞台での笑いと裏での苦悩。その狭間で疲弊していく姿に引き込まれた。
とりわけその巧演振りが光っていたのは中盤。ステージ上でアンをくすぐり殺したと息巻いて観客から非難の嵐を受けるシーンである。ここで彼は独壇場の一人芝居を見せており、改めてその芸達者ぶりに感服してしまった。
「心の指紋」(1996米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 妻子と幸せな生活を送る医師マイケルは、末期ガンを宣告された強盗殺人犯の少年ブルーの診察にあたる。ところが、ブルーはマイケルを人質に取って脱走する。インディアンに伝わる伝説の聖なる山にはどんな病気でも治せる湖があるという。それを信じるブルーはマイケルを連れて逃亡の旅に出るのだが…。
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(レビュー) 真面目な医師と継父殺しの少年の奇妙な友情を広大なロケーションと共に描いたロード・ムービー。
「ディア・ハンター」(1978米)、「サンダーボルト」(1984米)等で知られるマイケル・チミノ監督の遺作。
どちらかと言うと大作志向の強い作家であるが、本作は珍しく小規模な作品となっている。他の作品に比べると地味な印象は拭えないが中々の佳作になっていると思う。
まずマイケルとブルーのキャラクターギャップが物語を面白く見せている。裕福な白人医師と貧乏な先住民の混血少年、命を救う者と命を奪った者。年齢も出自も異なる二人の旅が味わい深く描かれている。
その中で、マイケルはブルーに感化される形で徐々に本人の中に眠る暴力性を目覚めさせていく。一方のブルーはマイケルの看護を受けながら徐々にそれまでの凶暴性を沈めていくようになる。夫々の内面の変化が非常に面白く観れる。
また、一見すると殺伐としたロード・ムービーに思えるが、二人のやり取りは時にユーモアを交えながら描かれており、最後まで飽きなく観ることが出来た。例えば、赤ん坊の前で平気でタバコを吸う女との口論、ブルーのためにマイケルがドラッグストアで強盗するシーンなどは大変可笑しかった。
ただ、所々で強引な展開も目につく。
例えば、末期がん患者であるブルーが元気に駆け回るのは流石に無理があるし、そもそも伝説の聖なる山があるという噂を簡単に信じ込んでしまうのは普通の感覚とは思えない。二人の逃亡をマスコミが大騒ぎで報道する割に警察の追跡がほとんど出てこないのも不自然に思えた。後半はかなりスピリチュアルな展開に没入していくのも、この物語をどこまで信用して観ていいのか分からない部分がある。
マイケル・チミノの演出も今回は少々雑である。
例えば、バーで地元客と喧嘩になるシーンがある。マイケルが袋叩きにあうのだが、それを一旦見捨てたはずのブルーが戻って救出する。一体なぜ戻ったのか?その心境変化が今一つ理解できなかった。ここは最初から二人一緒に逃げても良かったのではないだろうか。
ブルーの鼻血がカットによって出ていたり出ていなかったりするのも明らかな編集ミスである。
他に、鷹のアニメーションの合成がチープだったり、BGMが映像に合ってるとは言い難い個所があったり、諸々乗れない部分があった。
ドラマ自体はとても良質だと思うが、演出やシナリオの細かな部分で作品としての完成度を下げてしまった感じがする。
ただ、これらの不満を凌駕してしまうシーンも確実にあって、それがあることで本作はどうしても捨て置けない作品になっている。
それはマイケルの幼い頃のトラウマが明らかにされる中盤のシーンである。そのトラウマはブルーと一緒に旅をすることで払拭されていくのだが、これが実に良い。本作はブルーの魂の救済のドラマであると同時に、実はマイケルの心の咎を浄化するドラマでもあった…ということに気付かされ、そこには感動してしまう。
キャストでは、マイケルを演じたウディ・ハレルソン、ブルーを演じたジョン・セダ、共に見事な熱演を披露している。
「最後のサムライ/ザ・ チャレンジ」(1983米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) アマチュアボクサーのリックは、ある日、車椅子の日本人から曰く付きの日本刀を運ぶ仕事を依頼される。不審に思いつつも京都の空港に降り立ったリックを待っていたのはヤクザのような男たちの襲撃だった。車椅子の日本人は無惨に殺され刀も奪われてしまう。こうしてリックは日本刀を巡る”ある兄弟”の争いに巻き込まれてゆくようになる。
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(レビュー) ボクサー崩れのアメリカ人が曰く付きの日本刀を巡る争いに巻き込まれていくアクションサスペンス作品。
全編ほぼ京都ロケが敢行されたアメリカ映画だが、奇妙な日本文化の描写は少なく意外にしっかりと作られている。
ただ、件の日本刀にまつわる歴史や、それを巡って繰り広げられる抗争理由は結構いい加減にしか描写されていない。実は、今回の兄弟間の抗争は戦前の先祖の御家騒動にまで遡る。これを冒頭のシーンで簡単に説明しているのだが、問題はその刀がどれほど価値がある物なのかさっぱり分からない点である。これでは一体何のために刀の奪い合いをしているのか、観ている方としても感情移入ができない。
また、どうしてリックに日本刀を運ぶ仕事を依頼したのか?その理由も最後まで分からずじまいである。シナリオは随分といい加減だなと思った。多少の突っ込み処は気にせず受け流すというくらいのスタンスで観るのがよかろう。
監督は骨太な作品を撮ることに定評があるJ・フランケンハイマー。アクションシーンの演出は、フランケンハイマーらしい豪快さで描かれており中々楽しめた。特に、クライマックスの決戦シーンは、チャンバラあり、忍者顔負けの秘密道具あり、果てはマシンガンを乱射する派手なドンパチもあり大変楽しめた。
音楽を務めたジェリー・ゴールドスミスのスコアもアクションシーンを猛々しく盛り上げていて良い。
キャスト陣も豪華である。刀を巡って争いを繰り返す兄弟役に三船敏郎と中村敦夫が扮している。当然クライマックスでは両者の戦いも用意されており、これはくしくも「用心棒」(三船)対「木枯し紋次郎」(中村)ということになる。これには自然と胸が躍ってしまった。また、三船側には宮口精二と稲葉義男がキャスティングされており、これは黒澤明監督の名作「七人の侍」(1954日)オマージュとも取れる。
主人公リックを演じるのは若きスコット・グレンである。最初は日和見な軽薄な青年だったが、抗争に巻き込まれる中で徐々にサムライ魂を持った気骨ある青年に成長していく様を好演している。
尚、今作はスタッフもキャストも豪華ながらVHSでしかソフト化されておらず、残念ながら今では配信か放送で観るしかない。知名度は今一つだが、色々と見所のある作品なので、ぜひ再販して欲しいものである。
「白い牛のバラッド」(2020イラン仏)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 殺人罪で夫を死刑に処せれたミナは幼い娘ビタを抱えて悲しみに暮れていた。そんなある日、裁判所から真犯人は別にいたことが判明したと告げられる。絶望と無力感に打ちひしがれるミナ。そんな彼女の前に、夫の旧友だという男レザが現れる。
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(レビュー) 夫を冤罪で失ったシングルマザーが非情な現実に立ち向かっていく様を緊張感みなぎるタッチで描いた社会派サスペンスドラマ。
イスラム社会における理不尽さをまざまざと見せつけられる105分だった。
ミナは夫の死刑が納得できず担当判事の謝罪を求める。しかし、まったく取り合ってもらえないどころか、死刑は神の御導きだから諦めるしかないと一蹴されてしまうのだ。仕方なくミナは法的手段に出ようとするがそれも門前払いされてしまう。日本に住んでいる我々からすれば考えられないことであるが、それがまかり通ってしまう所に愕然としてしまった。
映画冒頭で出てくるが、牛はコーランにおいては神に捧げられる生贄ということだ。その意味では、正にミナの夫はその生贄=犠牲者になったというわけである。
そんなミナの前に亡き夫の友人を名乗るレザが現れる。昔の借金を返済に来たという彼は、不幸のどん底で悲しみに暮れる母子を不憫に思いながら色々と世話を焼くようになる。ところが、実は彼には”ある思惑”があり、そのためにミナたちに近づいてきたのだ。物語はそれを徐々に解き明かしながら、やがて彼らに訪れる残酷な運命を描いていく。最後は実にやるせない思いにさせられた。
神に捧げられる生贄=死ということで言うと、本作ではもう一つ重要な死が中盤で描かれる。それはレザのプライベートにまつわるエピソードなのだが、これはちょうどミナの夫の死と”対”になるエピソードとなっている所に注目したい。これもまた神の御導きと解釈すれば、実に皮肉的な運命と言わざるを得ないだろう。
本作は、このほかにビタの親権を巡って争われるミナと義父の軋轢、法曹界の裏で横行する不正等、様々な問題が取り上げられている。一見すると散漫になりそうなのだが、最終的にこれらはラストのミナの悲劇に結実するため、そこまでバラバラな印象は受けなかった。むしろコンパクトにまとめられている分、鑑賞感は濃密で、よく練られている脚本だと思った。
唯一腑に落ちなかったのは、ビタの親権を巡る裁判の決着のつけ方である。詳細は伏せるが、どのようにして義父サイドは裁判の裏情報を知り得たのだろうか?そのあたりのことが全く描かれていないので今一つ釈然としなかった。
監督、脚本は本作でミナ役も演じたマリヤム・モガッダムとベタシュ・サナイハという人が共同で務めている。それぞれ初見の監督だが、緊張感を漂わせた演出が続き中々の技量を感じさせる。例えば、終盤の車中のシーンは白眉の出来で、1カット1シーンの臨場感あふれる演出は忘れがたい。
そして、主演も兼任したマリヤム・モガッダムの本作における貢献度は相当なものだと思う。愛する夫を失った喪失感、娘を思う母としての愛、レザとの間で見せる女性としての変容を、実にしたたかに表現し物語に十分の説得力を与えている。イラン社会でシングルマザーが生きることが如何に厳しいことか…。そのことがよく伝わってきた。
イラン映画と言えば、昨今はアスガー・ファルハディ監督が世界的に注目を浴びている。自国に根付いた創作を通じて数々の社会問題を取り上げている作家の一人であるが、とりわけ厳然と蔓延する女性の地位の問題を常に重要なテーマとしている。そのことは本作からも伺える。
例えば、ミナがアパートを追い出される理由一つ取ってみてもそうだ。おそらくこれが男性だったら特に問題にはならなかっただろう。
こうしたイスラム社会の風潮は、ビタの聾唖者という設定にも表れている。監督の弁によれば、彼女は社会に対して声を発せられない、あるいは発したとしても誰にも聞いてもらえないイランの女性のメタファーだということだ。こうした鋭い示唆が込められていることに気付けるかどうかは観た人それぞれの感受性に委ねられる問題である。しかし、声を高らかにして訴える作品よりも真摯に心に響いてくるものがある。
尚、個人的に最も印象に残ったのは、ミナが口紅をつけるシーンだった。劇中で彼女は2度口紅をつけるが、1度目と2度目ではその意味合いは全く異なる。1度目は誘惑を意味し、2度目は復讐を意味している。この演出の妙には痺れてしまった。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(2021米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1925年のモンタナ州。粗野で威圧的なフィルは、地味で繊細な弟ジョージと牧場を経営していた。ある日、ジョージが未亡人のローズと結婚したことで兄弟の関係に歪みが生じる。フィルはローズに冷酷な敵意をむき出しにしていくのだが…。
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(レビュー) 同名原作(未読)を「エンジェル・アット・マイ・テーブル」(1990ニュージーランド)や「ピアノ・レッスン」(1993豪)のジェーン・カンピオンが監督と脚本を兼ねて撮り上げたミステリアスな愛憎ドラマ。
本作はNetflix作品であるが、本年度のアカデミー賞で11部門にノミネートされ、見事に監督賞に輝いた作品である。
フィルのマチズモは一見すると昭和オヤジの典型のような古臭さを感じるが、しかしよくよく考えてみれば強権によって他者を支配するという行為自体は現代でも身近に目にするものである。例えば、昨今のMeToo問題やパワハラ問題然り。世界に目を向ければ、一部の超大国による搾取や圧力が横行している。そう考えると、本作は普遍的なテーマを描いているという見方もできる。
本作で面白いと思ったことは2点ある。
まず、1点目はフィルの造形である。
フィルのバックボーンには幼い頃に師事したブロンコ・ヘンリーという男が存在している。このブロンコは劇中には登場してこないが、今でも彼愛用の鞍を大切に保管していたり、彼の思い出を度々反芻することから、相当フィルは彼に信奉していることが分かる。きっと現在のフィルのようにさぞかし厳格な西部の男だったのだろう。
ところが、映画の後半に入ってから、ブロンコには”ある秘密”があったことが分かってくる。それは男らしさとは程遠い、全く意外な秘密である。フィル自身もそのことは理解していて、そこも含めて彼を信奉していたということが分かる。こうなってくると、途端にそれまでのマチズモが滑稽で憐れに見えてくるようになる。フィルの強さの裏側には、他人には言えない弱さがあったのだ。
この表裏のギャップが自分にとっては意外であったし、フィルという人物の深層を探る上ではとても興味深く観ることが出来た。
2点目は、ローズの連れ子ピーターのミステリアスさ、そして彼をキーマンに仕立てた脚本の巧みさである。
本作は全5章から構成されており、フィルとジョージ、ジョージとローズ、フィルとローズ、フィルとピーターの関係に注視しながら端正に紡がれている。個々のキャラの立ち回りは終始揺るぎなく一貫しており、その甲斐あって、彼らの愛憎劇には説得力が感じられた。
そして、前段でしっかりとフィルの独善的なキャラクターを積み上げた先で、いよいよフィルの適役(?)とも言うべきピーターの登場と相成る。マチズモの権化フィルと花を愛する心優しい青年ピーター。二人はまったく正反対なキャラクターであり、その対峙は非常にスリリングに観れた。この”したたか”な脚本には唸らされてしまう。
ピーターの造形も大変ミステリアスで面白い。
初めこそ純真無垢な、か弱き青年として登場してくるのだが、実はフィルと同じように彼にも表と裏の顔があるということが徐々に分かってくる。
最初にその片鱗を見せるのは中盤のウサギにまつわるシーンだ。ここではピーターに潜む魔性がショッキングに開示されている。その後も彼の言動などから彼の中に眠る”怪物性”は次第に頭角を現す。そして、クライマックスとなる第5章で、いよいよその本性は露わになる。その瞬間、自分は思わず息を呑んでしまった。
ジェーン・カンピオン監督の演出も今回はギリギリまで攻めていると感じた。特に、フィルの隠された”秘密”に迫る描写はかなり際どい所まで描ていて驚かされた。カンピオンというとここ最近の作品は未見で今一つパッとしない印象を持っていたのだが、それは全くの見当違いだったと反省するしかない。「ピアノ・レッスン」の頃を彷彿とさせる不穏さと緊張感に溢れたタッチに最後まで目を離すことができなかった。非常に熱度が高い。
キャストではフィルを演じたベネディクト・カンバーバッチの好演が印象に残った。最初は彼が西部の男を演じるということに今一つピンとこなかったのだが、実際に観てみると上手くハマっていて驚かされた。厳格さの裏側に見せる一抹の孤独と哀愁。そこに人間臭さが垣間見えて、どこか不憫さを覚えた。
また、ピーターを演じたコディ・スミット=マクフィーは、ビジュアルからして強烈な印象を残し圧倒的な存在感を見せつけている。これまでも彼の出演作は何本か観ているはずなのだが、正直全く記憶に残っておらず、今作でようやくその存在を知った次第である。まさか「X-MEN」シリーズのナイトクローラーだったとは…特殊メイクをしているので分るはずもない。