「孤狼の血 LEVEL2」(2012日)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 亡き先輩刑事・大上の後を継いだ日岡は、一匹狼となって広島・呉原市の裏社会に安定をもたらすべく奔走していた。そんなある日、五十子会の上林という男が7年の刑期を終えて出所する。彼は自分の服役中に殺された五十子会長の仇をとることに執念を燃やしていた。こうして呉原一帯に再び抗争の嵐が吹き荒れる。
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(レビュー) 2017年に製作された
「孤狼の血」(2017日)の続編。
前作でコンビを組んだ大上が不遇の死を遂げ、たった一人になった新米刑事・日岡のその後を描いた作品である。呉原市一帯に抗争の火種を持ち込む五十子会の若頭・上林との戦いを過激なバイオレンス描写を交えて描いている。
尚、第1作には原作があったが、今回は完全にオリジナルストーリーということである。
製作陣は前作と一緒ということで、前作を楽しめた人なら今作も十分に楽しめるだろう。元々、本シリーズはかつての東映実録ヤクザ路線のオマージュで出来上がっており、そのテイストは今回も引き継がれている。
ただ、前作であれだけ勇ましく成長した日岡が、思ったよりも弱々しくなっていて少し意外であった。大上とはキャリアも年齢も違うのだから比べても仕方がないが、どうしても迫力不足を感じてしまう。ここは大上とは違った形で日岡ならではの強さみたいなものを出しても良かったのではないだろうか。例えば、彼の登場時は頭の切れるエリートという触れ込みだった。その特徴を活かして尾谷組に睨みを利かせるなど、大上とは違った方向性で魅力を引き出して欲しかった。
本作のトピックは何と言っても上林の強烈なキャラクター。これに尽きるだろう。こちらは十分過ぎるくらいの存在感を見せつけている。
演じるのは鈴木亮平。元々、彼は役作りにのめり込むタイプの俳優で、
「HK/変態仮面」((2013日)では徹底した肉体改造に挑み強い印象を残した。今回は一部やりすぎと思えるほどの凶暴性を前面に出しながら、もはやスラッシャー映画の殺人鬼のごとき怪演を見せている。その狂気をじみた演技は凄まじいの一言だ。
例えば、自分を体罰した看守の妻を襲撃する序盤のシーン。嬉々として彼女の両眼を抉り潰すという残虐性を見せつけ度肝を抜かされた。鈴木亮平はもともと体格がいいし、そこに予測不能な凶暴性が加わったとあっては、もはや誰も敵わないと思えてしまう。
余りにも上林のキャラクターが際立っているため、他がかすんでしまうという弊害もあるが、ともかくも彼の存在感でこの映画は持っているという気がした。
物語は、日岡対上林の戦いの他に、上林の組員である通称チンタのドラマ、日岡とコンビを組むことになったベテラン刑事瀬島のドラマも用意されている。
チンタは複雑な家庭環境を背負った出自であり、そこに上林の過去との相関が認められる。その関係から日岡は彼を上林組に潜り込ませてスパイをさせるのだが、その顛末は余りにも非情で何とも居たたまれない気持ちにさせられた。
瀬島は、飄々とした顔とは裏腹に意外な顔を持っており、そのギャップが終盤で明かされることでグンとキャラクターが引き立つ。中村梅雀というキャスティングも奏功しており、いかにも人のよさそうなキャラは適役と言えよう。鈴木亮平共々、本作では美味しい役どころとなっている。
「孤狼の血」(2017日)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 昭和63年。広島の呉原では暴力団尾谷組と五十子会をバックに進出してきた新興組織加古村組が一触即発の状態で睨み合っていた。呉原東署に赴任してきたエリート新人刑事日岡は、暴力団との癒着など黒い噂が絶えないマル暴のベテラン刑事大上の下に配属される。そんな折、加古村組系列の経理担当者が失踪するという事件が発生する。二人はこの事件を担当することになるのだが…。
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(レビュー) ベストセラーの同名原作(未読)を
「凶悪」((2013日)、
「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(2009日)の白石和彌が強烈なバイオレンス描写を交えながら描いた作品。
「仁義なき戦い」シリーズを意識したというだけあって、キャラクター造形や暴力演出が非常に劇画的である。そもそも冒頭の養豚場のシーンからして、いきなり豚の脱糞を真正面から見せるという”荒業”を出しており、本作のリアリティラインを早々に宣言していて潔い。あとはこのテイストに乗っていけるかどうかという問題であるが、個人的にはかなり楽しめた。
もちろん「仁義なき戦い」とは時代背景が異なるので、まったく同じというわけではない。本作は昭和末期のバブル時代で、世相も大分異なる。ただ、所々に入るナレーションや汗臭そうな警察署の雰囲気などは、明らかに「仁義なき戦い」シリーズを彷彿とさせる演出で、一周回って今改めてそれらが新鮮に観れた。
尚、同じジャンルということで、どうしても北野武監督の「アウトレイジ」シリーズと比較してしまいたくなるが、あちらはクールな作りに徹しているのに対して、こちらは非常に泥臭い。外見は何となく同系列の作品に見えるが、テイストは全く異なるので、その点でも興味深く観ることが出来た。
見所となるのはやはり各所の暴力シーンとなる。一部やりすぎとも思える場面もあるが、そこはそれ。「映画」=「見世物」に徹する姿勢が、いかにも昔ながらの活動屋の精神が感じられて嬉しくなった。尚、一番度肝を抜かされたのは”真珠”のシーンだった。画面にドアップで映し出される〇〇は作り物とは分かっていても衝撃的だった。
また、本作はベテラン刑事大上と新人刑事日岡がコンビを組んで事件の捜査に挑むバディ・ムービー的な面白さもある。二人のキャラクターの相違が要所を魅力的に見せており、これも作品の大きな見どころとなっている。
更に、日岡は大上も知らない”ある任務”を請け負っており、それが事件の捜査の”枷”となっていくところもドラマを大いに盛り上げている。「あぶない刑事」のような、よくある仲の良い名コンビというのとはまたちょっと違った危うさがあって非常にスリリングで目が離せなかった。
キャスト陣も多彩な顔触れがそろう。”濃さ”という点で言えば、邦画界の悪面を揃えた「アウトレイジ」には及ばないものの、意外なキャストが入っているところが本作の妙味か。例えば、江口洋介などはスマートな若頭役で中々適役だと思った。
そして、何と言っても日岡を演じた松坂桃李が良い。最初はいかにも頼りなさげな新人刑事という風貌だったのだが、後半にかけて徐々に逞しい面構えになっていく。そのギャップは、日岡という男の人生をドラマチックに体現しており、改めて良い若手俳優だなと思った。最初は大上演じる役所広司に押され気味という印象を持ったが、後半の鬼気迫る演技などは完全にそれを凌駕していた。
「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(2009日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 両親を亡くし、知的障害者の兄・実生と暮らしている営業マン幹生は、自分の性欲を処理できない兄のために、定期的にデリヘル嬢を呼んでいた。ある日、やって来たのは秋葉原で地下アイドルとして活動しながら風俗で働くマリンという女性だった。マリンは幹生の家に出入りするようになり、いつしか奇妙な3人の同居生活が始まる。
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(レビュー) うだつの上がらない営業マンと知的障害者の兄、地下アイドルをしながら風俗嬢として働く女の奇妙な関係をユーモアを交えながら描いたヒューマン・ドラマ。
監督、脚本は
「凶悪」(2013日)や「孤狼の血」(2017日)の白石和彌。若松孝二や行定勲監督の下で経験を積み、今や日本映画界を代表するヒットメーカーとなった氏の長編監督デビュー作である。
尚、脚本には
「ある朝スウプは」(2003日)や
「14歳」(2006日)の高橋泉が参加している。白石作品では後に「凶悪」でもコンビを組んでいる。
インディペンデントの低予算な映画なこともあり、最小限の登場人物で繰り広げられるミニマルな作品である。しかし、そんなチープさを補って余りある、メッセージの力強さ、崇高さには心惹かれるものがあった。
またラストの清々しさも忘れがたい。確かにこのラストにはご都合主義を覚えるのも事実だが、閉塞感漂うドラマをこうも開放的に締めくくった所に白石監督の天賦の才を感じてしまう。低予算のインディペンデント映画であれば、普通はもっとこじんまりとしたオチになっても不思議ではない。それを大胆にもミラクルなオチへ持って行ったところがアッパレである。
また、後年の「凶悪」などのイメージのせいでパワフルな演出のイメージがあるが、このデビュー作にはそこまでの熱量はまだ見られない。唯一あるとすれば、後半のマリンの実家における乱闘シーンだろうか。しかし、そこ以外は3人の微妙な心の揺れを丁寧に描くことに専念しており堅実にまとめられている。
キャラクターもそれぞれに個性的に描けていて面白く観れた。
幹生は実生を介護しながら慣れない営業の仕事にストレスが溜まり精神的に疲弊している。そもそも営業向きではない性格なのに、どうして今までこの仕事を続けているのか不思議でならないのだが、そういう突っ込みはあれ、彼の日常には一切の光が見当たらない。
そこに地下アイドルとデリヘル嬢の二足の草鞋を履く女マリンが現れ、幹生と実生の閉塞感に一寸の灯りをともしていく。正直言って、マリンの造形は他の二人に比べて今一つリアリティに欠ける部分があるのだが、ともかくドラマを引っ掻き回す役回りとしては上手く機能している。
実際、3人の共同生活には温もりとささやかな幸福感に溢れており、観てて心が和んだ。東京の片隅でひっそりと肩を寄せ合いながら暮らす若者たちの苦悩と希望がそこには広がっている。自分はそれを見ながら自然と愛おしさをおぼえた。
唯一残念だったのは、後半のマリンに関する”あるエピソード”に余りリアリティが感じられなかったことである。それによって3人の日常は暗転していくのだが、実際にこんなことが起こり得るだろうか?と少しだけ興が削がれてしまった。詳細を伏せるが、これは倫理的にも問題があると思った。
「PLAN75」(2022日仏フィリピンカタール)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルSF・ジャンル社会派
(あらすじ) 高齢化問題を抱える日本は、75歳になった国民が安楽死を選択できる“プラン75”という制度を施行する。夫に先立たれた78歳の角谷ミチは、ホテルの清掃の仕事をしながら慎ましい暮らしを送っていた。ある日、突然解雇されてしまい路頭に迷うことになるのだが…。
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(レビュー) 高齢化が進んだ日本を舞台にしたディストピア映画。75歳になったら安楽死が選択可能となる”PLAN75”を巡って繰り広げられる人々の苦悩を静謐に綴った問題作である。
ただ、実際にこのような制度が今後日本で成立する可能性はあるのか…というと、自分は少し現実味に欠ける気がした。
確かにかつての日本には”姥捨て山”の伝承が残っており、それを元に「楢山節考」という映画が木下恵介と今村昌平の手によって2度映画化された。しかし、それもはっきりとした史実を元にしているわけではない。今回のPLAN75は正に現代版”姥捨て山”と言える制度である。そういう意味では、ありそうな話に思えるかもしれない。ただ、曲がりなりにも民主主義国家である日本で本当こんな話が成立するだろうか…と思ってしまった。小さな村社会で起こる姥捨て山とは次元が異なる話である。
したがって、本作はある種の寓話として捉えるのが丁度いいのかもしれない。
とはいえ、完全に絵空事の映画かと言えばそうでもなく、劇中には現代の日本で起こっている問題も描かれており、そこについては目を逸らすことを許さない真実味が感じられた。
主人公のミチは、いわゆる独居老人である。頼れる家族もなく、親友と呼べる人間もいない。ある日、突然仕事をクビになり、住んでるアパートも取り壊されることになる。途方に暮れた彼女は不動産屋を巡り、ハローワークに通う。しかし、身寄りのない高齢者にとって現実は余りにも厳しいものだった。生活保護を受けるという選択もあったが、彼女はそれも拒否した。こうして考えあぐねた結果、ミチはPLAN75を利用する決心をする。
この制度に現実味があるかどうかは別として、実際にこうした話は今の日本にもありそうな気がした。人知れず部屋の中で孤独死する者。自らの命を絶ってしまう者。本作はそこにたまたまPLAN75という制度があったら…という話で、実際にはこのように亡くなってしまう人間が結構いるはずである。
ましてや生涯未婚率が増え出生率が減少の一途をたどっている現在の日本を考えると、ミチのような高齢者は今後ますます増えていくような気がした。そう考えると末恐ろしくなる。
監督、脚本は本作が長編監督デビューとなる早川千絵。彼女はこの前に「十年 Ten Yeras Japan」というオムバス作品の中の1本を撮っている。タイトルは本作と同じ「PLAN75」という作品である(未見)。今回はそれを膨らませた形で長編化しているということだ。
扱うテーマがテーマだけに、全体的に重厚な雰囲気が徹底されている。多くを語らず、さりげない形で表現するあたりは、初演出とは思えぬ匠の技が感じられた。
緩急の付け方も手練れていて、例えば凄惨な幕開けからして意表を突かれた。これはおそらく相模原市で起こった障がい者施設大量殺傷事件を元にしているのだろう。その衝撃性に画面に一気に引き込まれてしまった。
あるいは、ミチとコールセンター職員、成宮の交流は心温まる良いシーンもあるが、最後の電話のやり取りに見られるように非情な現実も丁寧に拾い上げており、感傷に流されない聡明な語り口が見事だと思った。
一方、全体のプロットについては残念ながら少し散漫な印象を持ってしまった。
本作にはミチのメインのドラマのほかに2つのドラマが用意されている。一つはPLAN75の申請窓口を担当する職員ヒロムのドラマ。もう一つは難病の幼子のために日本に出稼ぎに来ているマリアという外国人女性のドラマである。夫々にPLAN75を巡ってかすかに交錯するが、濃密に絡み合うことはない。
おそらくPLAN75によって苦悩する人々を群像劇風に描きたかったのだろう。先述した短編を基本形にしつつ、渦中のミチ以外の視点を持ち込むことで多角的にこのドラマを捉えたかったのかもしれない。しかし、ヒロムとマリアのドラマはいずれも中途半端になってしまった印書を受ける。特にマリアに関してはこの映画にどこまで必要だったか疑問に残った。移民就労の問題として別な形で取り上げるべきだったのではないだろうか。
キャストでは、ミチを演じた倍賞千恵子の抑制を利かせた演技が素晴らしかった。苦悩を滲ませながら堅実な演技を崩さなかった所が流石である。
「ニトラム NITRAM」(2021豪)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 青年ニトラムは、幼い頃から落ち着きがなく、たびたび近所でトラブルを起こしていた。世間の目を気にする母親は、そんな息子にどう接していいか分からず戸惑うばかり。ある日、突然サーフィンをやりたくなったニトラムはサーフボードを買うために芝刈りのバイトを思いつく。やがて近所の裕福な独身女性ヘレンと知り合い、次第に心を通わせていくのだが…。
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(レビュー) 1996年にオーストラリアのタスマニア島で起こった銃乱射事件の犯人の実像に迫った映画。
自分は本作を観るまでこの事件のことを知らなかった。ただ、アメリカなどでは今でもこうした発泡事件は頻発しており報道などでよく目にしている。そこには人種偏見や貧富の格差といった社会的構造が大きく関係していると思っていたが、しかしそんな一面的な捉え方をして知った気でいるのは大変な間違いであったということに気付かされた。今回のケースは社会的な要因というより私的な事情から犯行に及んだように見える。
映画はニトラムの荒んだ日常生活を淡々と筆致するシークエンスで構成されている。母親との軋轢、周囲に馴染めない不器用さ。そうした鬱屈した感情が克明に記されている。そして、そんな荒んだ心は近所の裕福な独身女性ヘレンとの親交によって、少しだけ潤いを見せていく。しかし、その幸福も束の間。”ある事”によってニトラムの未来は再び暗く閉ざされてしまう。
映画冒頭でニトラムの幼少時代のニュースフィルムが出てくる。花火で遊んで火傷を負ったということでローカルテレビ局のリポーターが彼にインタビューするのだが、これを見る限りすでに彼はこの頃から問題児だったということがよく分かる。青年に成長してもその性格は変わらず、映画を観る限り自分はADHDのような印象を持った。実際にカウンセリングの治療を受けるシーンも出てくる。
ただし、だからと言って病気のせいだけにして、今回の事件を片付けてはいけないような気がした。
厳格な母親との衝突が彼を追い詰めてしまったのかもしれない。幼い頃から虐められっ子で、その反動が積もり積もって爆発したのかもしれない。あるいは、彼のことを唯一理解しようと努めていた父を襲った”ある悲劇”が関係しているのかもしれない。愛するヘレンの喪失感から自暴自棄になったのかもしれない。
このような様々な問題が複雑に絡み合って今回の事件が起きたように思う。
いずれにせよ、事件で命を落とした犠牲者にとっては正に理不尽以外の何物でもなく、どこかで防ぐことはできなかったのか、と思ってしまう。強制入院させるべきだったのではないか。周囲にもっと手を差し伸べる誰かがいなかったのか。いくらでも方法は思いつくが、現実にはそう簡単にいかないのだろう。
本作を観て一つだけ違和感を持ったことがあった。それはエンドクレジットで流れる銃規制に関するテロップである。その内容についてはまったくその通りだと思うが、ただ犯人の心のうちに迫るという本作の趣旨を考えると、いささか唐突な感は拭えない。どうしてもそれを訴えたいのであれば、また別のアプローチでこのドラマを描くべきだったのではないだろうか。例えば、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002カナダ)のような銃社会に対する徹底したリサーチがあってしかるべきであると思う。
キャストではニトラムを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演が印象に残った。スマートなイケメン俳優として売り出していたが、今回は体重を増やして非モテな自閉症気味なキャラを独特の風貌で作り上げている。時折見せる冷徹な眼差しがシーンに見事な緊張感をもたらしていて目が離せなかった。
尚、実際の事件についてはwikiにも掲載されているので興味のある方は読んでみることをお勧めする。本作とは大分異なる内容で驚くかもしれない。自分も後から調べて分かったのだが、今回の映画は多分にフィクションが混じっていることに驚かされた。エンタテインメントとしてはこういう作り方もありかもしれないが、事件そのものを曲解しかねない危険性もあるので、ある程度は慎重さも必要だった気がする。このあたりは観る側のリテラシーが試される所だ。
また、本作を観てコロンバイン高校で起こった銃乱射事件を描いたガス・V・サントの「エレファント」(2003米)やノルウェーで起こった銃乱射事件を描いた
「ウトヤ島、7月22日」(2018ノルウェー)、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の
「静かなる叫び」(2009カナダ)を連想した。似たような事件を描いていても映画の作り方がまったく違うので見比べてみると興味深いかもしれない。
「JUNK HEAD」(2017日)
ジャンルアニメ・ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 人体を無機物に転化する技術により、人類は生殖機能を代償に不老不死を手に入れた。しかし、新種ウイルスの発生によって人類は存続の危機に陥ってしまう。遥か昔に創造した人工生命体「マリガン」に生殖能力の可能性を見出した人類は調査を開始するのだが…。
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(レビュー) 人類存続の危機を救うために地下世界を調査する旅に出た男の冒険をストップモーション・アニメで描いたSF作品。
スチームパンクとダークファンタジーを掛け合わせたような世界観に圧倒される。どこか既視感が拭えない部分もあるが、しかしこの独自な世界観を貫徹したことで、本作は他に類を見ない独特な作品になっていると思う。
本作を手掛けたのは堀貴秀。監督、脚本、編集、撮影、美術、音楽、キャスト等、ほとんどを一人で兼務し、約7年という歳月をかけて完成させたということである。ここまでの情熱と時間をかけたことは驚異的としか言いようがない。真の意味での自主製作作品ということが出来よう。
尚、元々は30分の短編作品で、それをボリュームアップして1時間40分の長編作品にしたということである。その際、数名のスタッフが手伝ったということである。
ただ、正直に言うと、アニメーション自体は決してクオリティが高いというわけではない。世界を見渡せばアードマンやライカといった大手スタジオが製作した作品が存在する。「ウォレスとグルミット」シリーズや「チキンラン」(2000英)、
「コララインとボタンの魔女」(2009米)や
「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」(2016米)等、それらの流麗なアニメーションに比べるとさすがに作りが粗い。
ただ、逆にこの粗さがかえって”手作り感”を醸し出していて、自分には親近感が持てた。例えるなら、レイ・ハリーハウゼンのような朴訥さと言えばいいだろうか。製作上の制限が関係しているのかもしれないが、それがかえって本作にアニメーションの原初的な魅力をもたらしているような気がした。
物語も面白く追いかけていくことが出来た。
頭部だけになってしまった主人公が、行く先々で様々なパーツで身体を手に入れていくという、死と再生を繰り返すプロットは神話的である。実際に主人公は地下に住む人口生命体「マリガン」たちから「神サマ」と呼ばれ、さながらイエスキリスト(救世主)のような存在になっていく。これはマリガンが人間そっくりの姿で作られていることを併せ考えてみても、「人間」=「神」と解釈できよう。もっとも、その割にぞんざいな扱いを受けている所がシニカルで面白いのだが、いずれにせよ物語はシンプルでありながら人間と神、生と死といった哲学的な深みを感じさせる内容となっている。
要所の伏線も実に周到に張り巡らされていて感心させられた。実に気が利いた作劇になっている。
また、地下世界に住むキャラクターたちも非常にユニークで面白かった。ただし、少し不気味なクリーチャーが多いので好みは分かれると思う。個人的には「エイリアン」(1979米)の影響を強く感じた。
そんな異形のモンスターが多い中、赤いコートを着た少女型マリガンは抜群のインプレッションを残す。彼女の存在は、ある種ロマンスとまではないかないが、ドラマに膨らみを持たせるという意味でも貴重である。尚、本作は三部作になる構想があるということらしいが、仮にそうなるとしたらこの少女型マリガンはそのキーパーソンになるかもしれない。それほど魅力的なキャラクターだった。
他に、いつも一緒に行動する”三バカ兄弟”も良い味を出していた。
映像演出も素晴らしい。ハリウッド張りなアクションは単純に痛快であるし、地下世界の広大さを実感させるスケール感のあるショットも映画的魅力に溢れている。
キャストも堀監督がほとんど一人で何役もこなしている。実際にはない架空の言語が使用されており、全ての会話に字幕がついている。敢えて人種や国を超えた無国籍風な作りに徹した所も大変ユニークである。
「音楽」(2019日)
ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 悪名高い不良高校生研二は、不良仲間である太田・朝倉と共に目的もない日々を送っていた。ある日、ひったくり犯を追いかけるバンドマンから預かったベースを勝手に持ち帰った事がきっかけで、太田と朝倉とバンドを始めることにするのだが…。
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(レビュー) 不良高校生のバンド活動をユーモラスに描いた音楽青春映画。伝説的なカルトマンガ「音楽と漫画」(未読)のアニメ化である。
原作は未読だが、昨今の描き込まれた美麗なマンガと比べると驚くほど淡泊な絵柄でクセも強い。今回のアニメもそのあたりを踏襲している。
ただ、クライマックスのライブシーンになると、それまでの淡泊さが一変し徐々に熱気を帯び始め、実に興奮させられた。このライブシーンは実際に映画のために撮影が敢行され、それをロトスコープで再現したということである。その甲斐あって臨場感溢れるシーンとなっている。アニメで音楽の演奏シーンを再現するのは、音と動きをシンクロさせる難しさもあり、かなりハードルが高い。しかし、それが見事に再現出来ていて感心させられた。おそらくこのライブシーンだけで相当の時間と労力がかかったと思われる。
監督、脚本、作画、美術、編集を務めたのはアニメーション作家、岩井澤健治。本作を観るまで彼のことをまったく知らなかったが、元々は石井輝男監督の下で録音技師等の仕事をしていたそうである。石井監督が急逝した後は本格的にアニメーションの世界に入り、これまでに短編アニメを数本製作している。それらはyoutubeでも観れるので、興味のある方は観てみるといいだろう。独特の世界観が構築されていて、その素養は今作にも受け継がれているように思った。
そして、特筆すべきは、本作も含めすべての作品が自主制作という点である。今回は約4万枚という膨大な作画枚数を少人数のスタッフで約7年もの歳月をかけて描き上げたということである。正にこれは一個人から始まった壮大なプロジェクトと言える。これほどの熱意をもって作品を創り上げる作家が、この日本にどれほどいるだろうか?世界を見渡してもそういない。
「君の名は。」(2016日)や
「天気の子」(2019日)の新海誠監督もかつて「ほしのこえ」(2002日)をほぼ一人で作り上げ、それをきっかけに本格的に世に知れ渡ることになった。世の中には、そうした情熱を持った人がいるのである。インディペンデントから現れる新たな才能。それをこの「音楽」からも感じられた。
物語は予定調和な感じも受けたが、シンプルにまとめられている。クライマックスへの一点集中な作りが潔い。約70分の中編ということを考えれば、欲張ってあれこれ詰め込むより、このくらいに収めるのが丁度いいだろう。研二たちの音楽にかける情熱にスポットを当てたことでテーマはより際立つことになった。
そんな中、研二たちのバンド”古武術”の盟友となるバンド”古美術”のリーダー森田の活躍は目覚ましいものがあった。サブキャラでありながらその存在感は圧倒的で、彼の意外な活躍なくしてこのクライマックスの盛り上がりはなかっただろう。自分は完全に裏をかかれてしまった。
オフビートな演出も作品に独特の空気感を与えていて面白かった。基本的に研二はほとんど表情を変えない仏頂面キャラクターである。しかも劇中で太田が語っているように、かなりの気分屋で、バンド活動も特に理由があって始めたわけではない。要するに行動が読めないキャラなのである。それがこのキャラクターの魅力の一つとなっているのだが、そんな彼と周囲のギクシャクしたやり取りが一々クスリとさせて可笑しかった。特に、研二のクラスメイトであるヒロイン亜矢との交流は微笑ましく観れた。
キャストはメイン所を含め、いわゆるプロの声優を起用していない。研二役はロックバンド、ゆらゆら帝国の元ボーカルということである。他のキャストも俳優で固められている。元々セリフが少ないうえにオフビートな作風なせいもあり、それほど違和感なく聴けた。
「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」(2022日)
ジャンルアニメ・ジャンルSF・ジャンル戦争
(あらすじ) 残敵掃討任務に就いたアムロたち地球連邦軍ホワイトベースのクルーは、”帰らずの島”と呼ばれる無人島に上陸し一機のザクと交戦する。激しい戦いの果てにガンダムを失ったアムロは、元ジオン軍の脱走兵ククルス・ドアンと彼が保護する子供たちと共同生活をすることになるのだが…。
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(レビュー) 1979年にテレビ放映された「機動戦士ガンダム」の第15話「ククルス・ドアンの島」をリメイクした長編アニメーション。
基本的にはオリジナル版と同じ内容だが、元々が30分のアニメなので、それを2時間弱にボリュームアップするために設定とエピソードが幾つか追加されている。そのため、予めオリジナル版を観ている層でも色々と違いを比較しながら新鮮に楽しめると思う。
ただ、舞台設定や各キャラクターの説明などは一切省いているので一見さんにとってはやや厳しい内容かもしれない。アムロの回想で過去が一瞬だけフラッシュバックされるが、初見の人にはこれだけでは分かりづらいだろう。
監督はテレビシリーズのキャラクターデザインを手掛けた安彦良和。氏はそのテレビシリーズをリメイクした「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の総監督も務めており、本作はその流れから製作された作品と考えられる。
とはいえ、何故に「ククルス・ドアンの島」をリメイクすることになったのか。観る前はそこが非常に不思議だった。
オリジナル版は本筋とは余り関係のない話で、こう言っては何だが当時でもファンの間では余り話題にならなかった番外編的な作品である。作画的にも粗が目立ち黒歴史扱いされており、ガンダムシリーズでも決して人気が高いエピソードとは言い難い。それを改めて現代に蘇らせた意味とは何なのか?それが最大の謎だった。
しかし、映画を観終わってその疑問は解消された。今回の映画版「ククルス・ドアンの島」には安彦監督の強い思いが込められているような気がした。
まず、本作はいわゆる戦災孤児の話でもある。
ドアンと共同生活をする子供たちが置かれている状況は実に悲惨的なものである。しかし、そんな悲しみを感じさせないほど、彼らは慎ましやかな暮らしの中で夫々に助け合いながら活き活きとした表情を見せる。子供たちの数はオリジナル版よりも大幅に増やされており、彼らが強く生きる姿は安彦監督が今作で描きたかった最大のポイントだったのではなかろうか。
今作で強く感じたトピックはもう一つある。それは脱走兵であるククルス・ドアンの過去を大きくクローズアップした点である。彼はジオン軍のサザンクロス隊の元隊長で、戦災に晒される市民の姿を目にして戦場から遠ざかる決心をした。そのサザンクロス隊が彼を追いかけて島に上陸してくる。サザンクロス隊は今回の映画のために新しく作られた設定で、それによってドアンの過去に具体的な奥行きが生まれることとなった。そんなドアンが子供たちを守るためとはいえ再び戦いに身を投じていくのは、一度血塗られた過去は決して消すことが出来ないということを如実に物語っている。
このように、この「ククルス・ドアンの島」という作品には、テレビ番組の1話分だけでは描き切れない普遍的で重厚なメッセージが隠されているのだ。安彦監督はそれをリメイクという形でブラッシュアップしたかったのではないだろうか。そう考えると、本作が製作された意図も理解できる。
映像についても、もちろん大幅にクオリティアップされている。先述したように、オリジナル版は作画に粗があったが、それを逆手に取ってドアンが搭乗するザクのデザインがオマージュされていたのは秀逸だった。3Dで表現された戦闘シーンは迫力と重々しさが感じられ、2Dで描かれたキャラクターは安彦良和らしい温もりが感じられた。この二つが違和感なく融合していたところは感心するばかりである。
ヘビーなテーマながら、かなりユーモアを配した作りになっている点も今回のリメイクの特徴だろう。島での日常シーンには、ある種児童映画的なテイストも感じられ、おそらく子供が観ても親しみやすいように敢えて確信犯的にやっているのだろう。
但し、クライマックスの戦闘シーンに一部ユーモアを取り入れた点はいささか戸惑いもあった。
キャストはオリジナル版の声優が少なくなってきており、かなり刷新されている。主人公のアムロ役の古谷徹やホワイトベースのクルー、カイ役の古川登志夫は当時と変わらず馴染んでいた。そのほかの新キャストも概ね違和感なく聴けた。
音楽も刷新されているが、一部で当時のものをアレンジしたものが流れてきて懐かしく感じられた。
「犬王」(2021日)
ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 室町時代、壇ノ浦の漁村に生まれた友魚は、謎の男たちの依頼で海に沈んだ神器を見つけ出す。ところが、その際に父を失い自らも失明してしまった。謎の男たちを探し出す旅に出た友魚は、その先で琵琶法師になる。そして、猿楽の一座である比叡座に生まれた犬王という謎の少年に出会う。
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(レビュー) 室町時代に実在した謎多き能楽師“犬王”と盲目の琵琶法師・友魚がコンビを組んで音楽と舞で人々を熱狂させていくアニメーション作品。
この頃の能楽師と言うと観阿弥、世阿弥が有名だが、この犬王に関しては資料がほとんど残っていないらしい。そこは想像を交えながら創り上げていったということだ。
原作は「平家物語」の現代語全訳を手がけた古川日出男による小説「平家物語 犬王の巻」(未読)。それを
「夜は短し歩けよ乙女」(2017日)、
「夜明け告げるルーのうた」(2017日)、
「きみと、波にのれたら」(2019日)の湯浅政明が監督した作品である。
湯浅監督と言えば、独特の世界観を持った鬼才で、今回もその資質は画面全体から感じられた。デフォルメされた表現、ダイナミックな演出、ヴィヴィッドな色彩感覚。物語自体のテイストは夫々違うが、どの作品を観ても湯浅作品だと一目で分かる。
尚、本作を製作したスタジオ、サイエンスSARUは湯浅監督が創業した会社である。同社は同じ古川原作の「平家物語」のテレビアニメ版も製作しており、昨年FODで先行配信され、今年の初頭からテレビ放映された。自分はそちらのテレビシリーズも観ていた。物語の時代設定は異なるものの、両作品が同一の世界観にあることが良く分かる。本作単体でも十分に楽しめるが、観ておくとより深くこの世界観を楽しむことが出来るのではないだろうか。
見所は何と言っても、犬王と友魚が奏でる歌とダンスのシーンである。もはやロックコンサートと言わんばかりの盛り上がり方で、その熱気は時代劇であることを忘れさせるほどだ。アニメーションでしか表現しえない斬新なステージパフォーマンスは、単純に観ていて気持ちがいい。エレキギターの音がするのはおかしい、他の楽器メンバーはどこから集まったのか、大掛かりなステージ照明はどうやって調達しているのか。そうした突っ込みは、ここまで振り切った演出を見せつけられると、もはや野暮に思えてしまう。それくらいこのライブシーンは面白く観れた。
ただし、演奏される音楽のバリエーションについてはもう少し増やして欲しいと思った。最初の数分は確かに圧倒されるのだが、延々と同じリズムと音階で歌われてしまうと途中で飽きてしまう。
湯浅監督は過去にもミュージカル的な演出を自作の中で度々取り入れてきた。おそらく、こういうのが相当好きなのだろう。しかし、今回は1シーンだけ実験的にやるわけではない。尺から言えば全体のおよそ1/4ほどが歌とダンスのシーンだ。それだけ長時間の”間”を持たせるためには、やはり音楽自体にもう少し変化が欲しい。
物語は中々面白く追いかけていくことが出来た。異形の犬王にかけられた呪い、友魚の運命を紐解いていくシンプルな構成は大変観やすい。彼らの音楽が朝廷の怒りを買うというのも、ある種本作をロック映画と捉えれば実に分かりやすい構図である。
アメリカン・ニュー・シネマよろしく凄惨な結末が待ち受けているが、ラストでその悲劇を少しだけ和らげてくれるのもロマンチズムの境地という感じがしてよかった。犬王と友魚の友情を永遠のものとすることで、まるでお伽噺のような不滅性が感じられた。
作画は所々に実験的な手法を取り入れながら、湯浅監督らしいデフォルメされた世界観を魅力的に構築している。特に、中盤のくじらの歌のシーンは圧巻の作画である。
惜しむらくは、クライマックスのライブシーンはもう少し爆発力が欲しかったか…。湯浅作品のクライマックスはダイナミックな祝祭感で盛り上げるられることが多いが、今回は過去作と比べると幾分大人しく感じられてしまった。むしろ中盤のクジラの歌のシーンの方が熱度が高いくらいで、ここから更に吹っ切れた音と映像のコンビネーションを見せて欲しかった。
キャストに関しては素晴らしいと思った。犬王を演じたのはロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。本業が歌手なのでその実力は存分に発揮されていたと思う。友魚を演じた森山未來の表現力豊かな歌唱も良かった。
「トップガン マーヴェリック」(2022米)
ジャンルアクション
(あらすじ) アメリカのエリート・パイロット・チーム“トップガン”の伝説的パイロット、マーヴェリックは、規律に縛られない型破りな性格ゆえに昇進とは無縁の海軍人生を送っていた。そんなマーヴェリックに命令が下される。それは新たなトップガン・チームによる敵地攻撃作戦の教官指導をするというものだった。そこには亡き親友グースの息子ルースターもいた。
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(レビュー) アメリカのエリート・パイロット・チーム”トップガン”に集う若者たちの青春を迫力の戦闘シーンを交えて描いた大ヒット作「トップガン」(1986米)の続編。
なんと36年ぶりの続編である。主役のマーヴェリックを演じたトム・クルーズは相変わらずの格好良さで、伝説のパイロットとしてのカリスマ性を存分に見せつけている。普通これだけの年月が経つと主役を次世代にバトンタッチして本人は後ろで引き立て役に回るものだが、現役アスリート俳優でもある彼にそんなセオリーは通用しないようだ。
「ハスラー」(1961米)の25年後に製作された続編「ハスラー2」(1986米)と比べてみるとよく分かる。「ハスラー」で主役を演じたポール・ニューマンは、続編では若きトム・クルーズにかつての自分を重ねて一流のハスラーに育て上げようと熱血指導していた。その姿には老いによる衰えという哀愁が漂っていた。それと比べると本作のトム・クルーズの若々しさと言ったらない。映画冒頭から早々に”現役続行”を宣言してやる気満々である。しまいには上官から諫められる始末である。ポール・ニューマンも本作のトム・クルーズも年齢は60歳前後とほとんど変わらない。それなのにこの差である。
これは正にトム・クルーズだからこそ成り立つドラマだろう。「ミッションインポッシブル」シリーズで本気の肉体アクションを見せる彼にしか、この説得力は生み出せない。そういう意味では、正にトム様のトム様によるトム様のため映画と言えよう。スター映画然とした作りが実に潔い。
物語は、マーヴェリックと新人パイロット、ルースターの確執を軸に、かつて交際していたシングルマザー、ペニーとのロマンス、かつてのライバル、アイスマンとの友情などが流麗に語られている。
中でも、ルースターとの確執は中々ドラマチックで感動させる。前作を観た人なら分かると思うが、ルースターの父親は、マーヴェリックの親友グースである。彼は訓練中の事故で亡くなってしまった。その遺児であるルースターとのやり取りは、前作を観ていると感慨深いものがある。
この他に、前作の名シーンが幾つか再現されており、オリジナルに対するオマージュがふんだんに盛り込まれている。そういう意味では、予め前作を観てから鑑賞するのが吉だろう。その方が何倍も楽しめると思う。
懐かしいと言えば、前作の劇伴やケニー・ロギンスが歌う「デンジャー・ゾーン」といった楽曲も流れてくる。ファンであれば感涙ものであろう。前作のサントラはリリース当時、映画共々大ヒットを飛ばした。
アクションシーンにも大いに興奮させられた。今回のミッションは、タイムリミット感を持たせた高難易度作戦で、それを若いチームでどう攻略するか…というのが見どころとなる。任務達成までには幾つもの難関が待ち受けており、それが訓練のシミュレーションを用いて周到に説明されている。結果、作戦の流れが理解しやすく感情移入もしやすくなっている。
加えて、実戦になると訓練では予想できなかったようなアクシデントが発生し、観客は更にハラハラドキドキするという仕掛けになっている。アクションシーンとして実に申し分ない盛り上がりを見せてくれる。
ただ、さすがに終盤の展開はいくら何でも雑すぎるという気がした。エンタテインメントとして割り切ればご愛敬と言えるかもしれないが、引っ掛かりを覚える人がいても不思議ではない。
また、ルースターを含めた新米パイロットたちの成長が今一つ分かりづらいという側面もある。これはドラマをマーヴェリック近辺に集中し過ぎた弊害であろう。そこはスター映画のドラマ作りの宿命とも言える。
キャストでは、久しぶりにアイスマン役のヴァル・キルマーを観れて嬉しかった。彼はここ数年、咽頭がんに悩まされて病に伏していたということである。決して万全の体調ではなかったと思うが、再びこうしてトムと共演したことに胸が熱くなってしまった。