「吐きだめの悪魔」(1986米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) ニューヨークに住む酒屋のエドは、自分の家の地下から、60年前のワインを見つけ、それを1本1ドルで売り出した。ところが、それを飲んだ人は体が溶けて死亡してしまう。この事件を追うことになった警官ビルは、浮浪者のリーダー、ブロンソンに出会い、事態を収めようと奔走するのだが…。
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(レビュー) 汚物まみれのビジュアルと下ネタ満載なギャグが強烈な伝説のカルトムービー。
物語自体はあってないようなもので、とにかくドロドロと溶け出す人体描写を見せ場としたB級ホラーである。
のっけからスゴイことになっているが、その手の物が好きな人にはたまらないものがあるだろう。自分はここまでグチャグチャな物を見せられると、ある意味で潔さを感じてしまうが、観る人が観れば生理的に全く受け付けないという人がいても不思議ではない。思い出されるのはピーター・ジャクソン監督の出世作
「ブレインデッド」(19992ニュージーランド)である。あれもゴア描写のやりすぎで完全に笑うしかなかった。
ただ、くだらない、下世話と一蹴できない見所もある。それは本作で監督を務めたロビー・ミューロの演出手腕である。
彼は本作を自主制作で撮り、これが認められハリウッドの名カメラマンへと昇り詰めていく。そして、ポール・ハギス監督の「クラッシュ」(2004米)で見事に英国アカデミー賞でノミネートされた。その後も「ラッシュアワー3」(2007米)や「PARKER/パーカー」(2013米)といったアクション作品に参加しながら第一線で活躍する撮影監督になっていく。その出自を知るという意味では、本作は大変興味深く観れる作品である。
実際、クライマックスのアクションシーンなどはスローモーションを巧みに操りながら見事な盛り上がりを見せている。また、各所のアクション繋ぎも流麗で、インディペンデントのデビュー作とは思えぬセンスの良さが感じられる。本作の撮影監督は彼がやっているわけではないが、低予算、少人数の自主製作体制ということを鑑みれば、本人がカメラを覗いている可能性は大いにある。
先述したように物語自体はかなりいい加減で、中には不要に思えるエピソードもあり、正直中盤は退屈してしまった。ブロンソンのベトナム帰還兵というバックストーリーも、気を利かせているつもりだろうが、本筋に余り関係がなく、何のために用意したのかサッパリ分からなかった。
尚、最も印象に残ったのは、浮浪者の切断された局部を使ったフットボールのシーンだった。はっきり言って”くだらない”の一言である。しかし、その”くだらなさ”に本気で取り組んでいる所が、いかにもアマチュアらしくてイイ。この”くだらなさ”はメジャーでは再現不可であろう。
「ゴーストシップ」(2002米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 1962年、イタリアの豪華客船が、アメリカに向けて大西洋を航行中に突如消息を絶った。それから40年後、ベーリング海を漂う謎の船が発見される。さっそく調査に向かったサルベージ船のクルーたちは、この船が40年間消息不明となっていた豪華客船であることを知る。さらに、無人の船内で大量の金塊を発見するのだが…。
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(レビュー) いわゆる幽霊船を舞台にしたホラー映画だが、取り立てて目新しいものはなく、こう言っては何だが凡庸な作品である。ただ、演出のテンポが悪くないので最後まで飽きなく観ることが出来た。
物語は40年前の豪華客船で起きた凄惨な事件から始まる。この冒頭のシーンは物凄いインパクトで引き込まれた。ハッタリを利かせたギミックが良い。
但し、その後の展開は少々いただけない。現代に時代を移して、消息不明だった豪華客船の調査に乗り出すサルベージ船のクルーたちのドラマに入っていくのだが、正直キャラクターが魅力に乏しい。一応それなりに個性的に造形されてはいるものの、それが活かされているようなシーンがほとんどないのが観てて歯がゆかった。主人公はクルーの紅一点エップスなのだが、今一つ存在感が弱いのも難である。
中盤以降は不気味な少女の幽霊の恐怖を描く、いわゆるお化け屋敷型ホラーになっていく。彼女をミスリードにしてクライマックスのオチへつなげる構成は中々上手く出来ていると思った。冒頭の事件への回答にもなっているし、なるほどと思えるオチである。
尚、本作はロバート・ゼメキスとジョエル・シルバーが共同で設立したダーク・キャッスル・エンターテインメント製作の作品である。ダーク・キャッスル製の作品は小粒なジャンル映画を多数輩出しており、良くも悪くもB級感溢れる作風を特徴としている。ただ、そんな中に
「エスター」(2009米)のような傑作もあるので、中々侮れない製作スタジオであることは間違いない。
この手のジャンル映画では、昨今ではA24やブラムハウスといったスタジオが猛威を振っているが、ダーク・キャッスルもコンスタントに作品を出し続けており、今でも老舗スタジオの一つとして奮闘している。
「シエラ・デ・コブレの幽霊」(1963米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 建築家のオリオンは、心霊調査員というもうひとつの顔を持っていた。ある日、盲目の資産家ヘンリーから死んだはずの母親から毎晩電話がかかってくるので調査して欲しいという依頼が入る。調査のためヘンリーの妻ヴィヴィアと共に母親が眠る納骨堂に行くと、そばには電話が置いてあった。
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(レビュー) 長年幻の映画と言われていた作品で、これまで日本ではテレビ放映されたのみ。本国に至っては劇場未公開で完全にお蔵入りとなっていた映画である。それが先頃、amazonプライムで公開されていたので視聴してみた。
尚、ウィキによれば現存するフィルムは世界でたった2本のみで、そのうちの1本は日本の映画評論家、添野知世氏が保管しているということである。そちらは自主興行という形でこれまで数度上映会が行われたということである。今回の配信はそれとは異なるヴァージョンのようである。
本作は、元々はテレビシリーズのために作られたパイロット・フィルムを元にしており、それを再編集してリリースされたということなので、異なるヴァージョンがあっても何の不思議もない。
さて、そんな曰く付きの作品であるが、実際に観てみたところ、巷で言われているほど怖い映画ではなかった。人によって余りに怖くてお蔵入りになった…なんて言う人もいるが、当時はそうだったとしても今となってはそこまでの怖さはない。
もっとも、幽霊がアップになって迫って来るカットはかなり不気味で、このインパクトは確かに凄まじい。モノクロ反転して合成しただけのように見えるのだが、たったそれだけなのに異様なビジュアルを創出している。また、甲高く泣き叫ぶ幽霊の声が不気味で、これも耳に不快な印象を植え付ける。きっと子供の時に見たらトラウマになっていたかもしれない。
物語はやや複雑で、オリオンがヘンリーの母親の幽霊を突き止める先で、もう一つの過去の凄惨な事件が判明するという謎解き探偵物となっている。それがタイトルにもなっている”シエラ・デ・コブレの幽霊”に結び付くわけだが、全体の構成は中々良く出来ていると思った。
監督、脚本のジョセフ・ステファノはA・ヒッチコックの「サイコ」(1960米)の脚本を手掛けた才人で、その手腕がここでも堅実に出ている。
ただ、ヴィヴィアンと彼女の母親の目的に今一つ釈然としないものを感じたり、オリオンとの因縁めいた関係がご都合主義に見えなくもない。また、オリオンが海岸でナンパする美女が物語に何の関係もないのもただの尺稼ぎにしか思えなかった。
陰影を凝らした撮影は見事だったと思う。本作には二人のカメラマンがクレジットされている。ウィリアム・A・フレイカーとコンラッド・L・ホールである。前者は「ミスタ・グッドバーを探して」(1977米)や「ローズマリーの赤ちゃん」(1968米)、「ブリット」(1968米)等を手掛けた名手である。後者も「アメリカン・ビューティー」(1999米)や「イナゴの日」(1975米)、「明日に向かって撃て!」(1967米)等を手掛けた名カメラマンである。二人とも後年のフィルモグラフィーは錚々たるもので、その出自が確認できるという意味でも一見の価値がある作品ではないかと思う。
「ボイリング・ポイント/沸騰」(2021英)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 人気高級レストランのオーナーシェフ、アンディは、別居中の妻子との関係がうまくいかず疲れ切っていた。一年で最もにぎわうクリスマスの夜、そんなアンディを待っていたのは衛生管理検査だった。レストランの評価を下げられ、スタッフ全員が神経をピリピリさせる中、店がオープンする。
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(レビュー) レストランで起こる悲喜こもごもを1カット90分で描いたシチュエーション・ドラマ。
こうした全編1カット映画は、最近では
「1917命をかけた伝令」(2019米)や
「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014米)が印象深い。ただ、これらの作品は要所でCGを駆使しており、純粋に全編1カットで撮られたというわけではなく、そのように見せた”疑似1カット”映画だった。唯一、
「ヴィクトリア」(2015独)という作品はトリックなしの全編1カット映画だったが、約140分間ベルリンの街をカメラが縦横無尽に動き続ける中々の労作だったと記憶している。
本作も紛れもなくトリックなしの全編1カット映画である。レストランという限られた空間でありながら、多種多様な人物が交錯する複雑な人間模様をエキサイティングに捉えた所は見事である。ドキュメンタリーのような臨場感、緊迫感も持続し、最後まで目が離せなかった。
登場人物もそれぞれに個性的で面白く観れた。
主人公のアンディは家庭の問題を抱える悩める中年シェフ。酒を片時も離さず、最近は仕事も疎かでスタッフに傲慢な態度ばかりとっている。他に、客から人種差別を受ける黒人ウェイトレス。暗い過去を持つ青年シェフ。ヤクの常習者でサボり癖のある皿洗い。父親から譲り受けたレストランを引き継いだもののスタッフから全く信頼されていないオーナー等々。様々なストレスを抱えた人々が登場してくる。
レストランを訪れる客も多種多様で、中には困った客も当然いる。アンディの元ライバルや、自称SNSのインフルエンサー、プロポーズを予定している恋人たち等々。レストランのスタッフは彼らに手を焼かされることになる。
更に、この日は過剰予約で目が回るような忙しさと来ている。こんな夜に何かが起こらないわけがない。そして、クライマックスで、その”何か”が起こってしまう…。
セリフも多いしカメラも目まぐるしく動くので、90分強という尺でも、それなりに入り込んで観ると結構疲れる映画かもしれない。それでもこの緊迫感と臨場感は、やはり他では得難い”体験”だった。こういう映画は、集中力を要する映画館でこそ味わいたいものである。
ただ、映画だからいいものの、実際にはいくら有名レストランでもこんなに騒がしい場所では余り食事をしたくないと思ってしまった。全体的に映像がロウキーなせいか、せっかくの料理がそれほど美味しそうに見えなかったのも少し勿体なく感じられた。
「幸福路のチー」(2017台湾)
ジャンルアニメ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 台湾に生まれたチーは、大人になった現在は故郷を離れ、アメリカで暮らしていた。ある日、祖母の訃報が届き久しぶりに帰郷する。すっかり変わってしまった景色に戸惑いつつ、ふと子供の頃の夢に思いを馳せるチーだったが…。
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(レビュー) 郷愁に満ちたドラマで、誰もが感情移入できるハートウォーミングなアニメーション作品になっていると思う。
まず、映像面で言えば、チーの夢想シーンがまるで絵本のような手書き風のタッチで描かれ、どことなくNHKの「みんなのうた」を連想させられた。ややぶっ飛んだトリップ感もあるが、アニメらしいファンタジックな描写は映像としては中々のインパクトがある。
また、フリーハンドで描いたような背景美術も独特で、全体的に温もりに満ちた画面設計になっている。色彩も暖色トーンで統一されており、大変観やすいと思った。
作品から受ける印象は「ちびまる子ちゃん」や「三丁目の夕日」といった日本の昭和テイストである。台北を舞台にした物語であるが、きっと日本人でも親近感が湧くのではないだろうか。
尚、後から知ったが、本作は同監督が製作した短編アニメが元になっているということである。台湾では長編アニメを製作する体制がなく、監督自ら製作スタジオを立ち上げ4年かけて本作を完成させたそうだ。正直、アニメーションその物のクオリティは決して目を見張るような出来栄えではないが、そういった事情を鑑みれば、それも止む無し。むしろ、よくここまでの作品を作り上げたと感心させられる。
物語もシンプルながら、一人の女性の生き方を真摯に語っていると思った。キャリアと結婚に悩むチーの葛藤は、きっと同じ境遇に立たされている人が観たら共感を覚えるだろう。
ただ、チーの親友でベティという女の子が出てきて、二人の友情が現在と過去にまたいで描かれるのだが、そこに少しの視座のブレを感じてしまった。それまでチーのモノローグで統一されていたドラマが、急にベティのモノローグに切り替わりストーリーが二つに分岐してしまう。そのため観てて若干の戸惑いを覚えた。
個人的には回想パートの方に面白さを感じたが、中でもチーとベティとウェンの3人の交友が実に活き活きと描写されており終始微笑ましく観れた。3人が屋根に上がって夕日に向かって日本のアニメ「ガッチャマン」の主題歌を歌うシーンが良い。台湾では「ガッチャマン」がそんなに人気があったとは知らなかった。
「豚の王」(2011韓国)
ジャンルアニメ・ジャンル青春ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 衝動的に妻を殺害したギョンミンは、ある決意を胸に中学時代の同級生ジョンソクを訪ねる。久しぶりの再会にジョンソクは当惑するが、酒を飲み交わしながら中学時代に思いを巡らす。共に虐められっ子だったあの頃、同級生のチョルは彼らにとって頼もしい英雄だった。
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(レビュー) 傑作
「新感染 ファイナル・エクスプレス」(2016韓国)のヨン・サンホ監督のデビュー作ということだったので興味があって鑑賞した。
いわゆるスクールカーストを題材にした物語であるが、本質的には底辺社会に生きる人々の友情と決別のドラマであり、陰鬱でダークなトーンを貫いた作りに見応えを感じた。
また、本作はアニメーション作品であるが、実写でも可能な作品のように思った。一部で心霊的な現象が出てくるが、基本的にはリアリティ重視な演出が貫通されており、いわゆるアニメっぽい作風とは一線を画す内容である。
尚、あとで知ったが、本作を原作とした実写ドラマシリーズが韓国で製作されたそうである(未見)。あらすじを、かいつまんで読んでみたが、話は大分異なるようだ。
さて、正直映像的なクオリティはお世辞にも高いとは言えない。普段見慣れている日本のアニメやディズニー作品と比べると、作画面では数段落ちる。ただ、映像面のクオリティの低さを補って有り余るストーリーテリングの上手さは特筆すべきで、特に後半からはグイグイと引き込まれた。
ギョンミンとジョンソクは共に虐められっ子ということで仲が良い。しかし、一方は金持ちの息子でもう一方は貧しい家庭の子。夫々に出自が異なるので、同じ虐められっ子でも微妙に立場が異なる。それが大人になった現在でも続いているという所が面白い。
そして、そんな二人の関係を決定的に断絶してしまったのが、”豚の王”チョルだ。”豚の王”とは中々意味深なネーミングだが、なるほど。劇中でも語られているが、その意味は実に哲学的でもある。
但し、チョルに関して一つだけどうしても納得できなかったことがある。それは、彼が途中からすっかり”王”の威厳を無くしてしまったことである。何が原因でそうなってしまったのか。劇中では、その理由が明確に描かれておらず、何だか釈然としなかった。
ともあれ、チョルを巡って語られる終盤の展開には、アッと驚く意外性もあり、大変面白く観ることが出来た。
ラストも実にやるせないが、ギョンミンとジョンソクの元々の立場を考えれば、こうなることは必然だったのかもしれないと思えた。
そもそもギョンミンは裕福な家庭に育った身なので本当の”豚”にはなれなかったということなのだろう。だから、彼は自分が虐められなければそれでよく、チョルのカリスマ性はその免罪符として利用しただけだった。
一方で、ジョンソクは幼い頃から荒んだ家庭に育った生来の”豚”である。だからこそ、彼はチョルのカリスマ性を信奉し最後まで”豚の王”であって欲しいと願ったのだろう。
同じカーストに属していた二人だが本質的には立場が異なっていた…という所に、友情の儚さ、残酷さが垣間見えて何だか切なくさせられた。
「神々の山嶺」(2021仏ルクセンブルグ)
ジャンルアニメ・ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) エベレスト登山隊を取材するためネパールに来ていた山岳カメラマン深町は、何年も消息を絶っていた孤高の天才クライマー羽生を目撃する。彼は英国の登山家マロリーの遺品であるカメラを手にしていた。登山史上最大の謎の答えが見つかるかもしれないそのカメラを追う深町は、羽生の過去を探っていくのだが…。
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(レビュー) 夢枕獏の小説を谷口ジローが漫画化し、それをフランスでアニメーション映画にしたという、ちょっと変わった作品である。
谷口ジローの作品はフランスでは絶大な人気があるので、その関係から本作も製作されたのだろう。緻密でリアルな描写が持ち味の氏の漫画は、日本はもとより海外でも評価が高い。
登山の際によく言われる「なぜ山に登るのか?そこに山があるからだ。」とは本作にも登場するジョージ・マロリーの有名な言葉である。本作を観終わった感想も正にこれに尽きるかもしれない。
正直な所、私のような登山に何の興味もない人間からすれば、どうしてそこまでして危険な山に登りたがるのか理解できない。しかし、羽生もマロリーも、そして羽生のライバル長谷も、山の魅力に取りつかれた彼等からすれば、それこそが”生きがい”であり”人生”なのだろう。だから、「どうして山に登りたがるのか?」と問われれば「そこに山があるからだ。」としか答えようがないのだと思う。「あなたはどうして生きるのか?」と聞かれるのと一緒なのかもしれない。
物語は二つのミステリーで構成されている。一つは行方不明になった羽生の足取りを探るミステリー。もう一つはマロリーのカメラに残された写真を巡るミステリーである。
本作でメインとなるのは前者の方で、深町が羽生の足跡を追いながら、彼の登山にかけるストイックな思いが解き明かされていく。そこには壮絶な過去があり、羽生がどうしてエベレスト登頂に挑むのか?その理由も分かってくる。
後者に関しては、深町と羽生の登山に対する見解の相違を表しており、そこについては終盤でなるほどと思える回答が示されていた。
ただ、最後は今一つ釈然としない終わり方で、個人的には随分とあっさりとした印象を持ってしまった。深町は羽生の登山に対する考え方を一生理解できないものとばかり思っていたので、このラストは少し意外であった。
アニメーションとしてのクオリティは中々のものである。
中でも見所となるのは、やはりスリリングでリアルな登山描写である。おそらく実写ではここまでの臨場感溢れるシーンは表現できなかったのではないだろうか。天候が急変する雪山の怖さも、アニメーションならではの大胆な演出で表現されていて非常にエキサイティングだった。
また、ダイナミックな雪山風景は、スクリーンでこそ味わいたい迫力に満ちている。
聞けば、製作期間7年ということだから、堂々たる大作と言えよう。これだけの時間と手間暇をかけて作られた作品というのも中々にないように思う。そういう意味でも、作り手たちの執念と創意には感服するしかない。
「FLEE フリー」(2011デンマークスウェーデンノルウェー仏)
ジャンルアニメ・ジャンルドキュメンタリー・ジャンル戦争
(あらすじ) アフガニスタンに生まれ育ち、幼くして自分がゲイであることを自覚した少年アミン。内戦真っ只中の状況下、父が当局に連行され、残された家族は命がけで祖国を脱出した。しかし、アミンと家族にはさらなる過酷な運命が待ち受けていた。
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(レビュー) 1980年代にソ連の介入により戦火が拡大していったアフガニスタン紛争。多くの市民が犠牲になったこの戦争は、何となく現在起こっているロシア軍のウクライナ侵攻を連想させる。戦争は破壊するだけで何も生まないことは、これまでの歴史で散々証明されてきたはずなのに、いまだに人は戦争を止められない。人間は歴史から何も学ばないのか…と暗澹たる気持ちにさせられてしまう。
本作はそんなアフガニスタンの内戦で焼け出されたアミンの生い立ちに迫ったドキュメンタリー映画である。
但し、実写ではなくアニメーションで表現した所が野心的で、製作サイドは出演者のプライバシーを守るために、敢えて名前と地名を変えてアニメーションで表現することにしたという。
ドキュメンタリー作家は、被写体を傷つけ、加害者になり得ることを、覚悟する必要がある。ドキュメンタリー作家の相田和弘は、かつてそう語った。本作の監督もアミン(仮名)の身バレの危険性を排除するためにアニメーションによる表現を英断したのだろう。
もっとも、この表現方法には功罪あるように思う。というのも、事実を記録した映像ならともかく、再現映像になると、そこに”創作”というフィルターがかかってしまうので、どうしても疑いの目で見てしまいたくなるのだ。これはアニメ、実写に関わらず思う所である。
そもそもの話をしてしまうと、作り手の主観が介在する以上、ドキュメンタリーは本当の意味で真実を写しているとは言えないのかもしれない。いずれにせよ、観客としてそのあたりの判断は慎重に見極めなければならないところだろう。
アニメーションでドキュメンタリーを製作した例は過去にもある。レバノン内戦を描いた
「戦場でワルツを」(2008イスラエル仏米独)という作品がそうだ。そちらはPTSDにかかった兵士の記憶を探っていく、ある種戦場追体験のような映画だった。戦場シーンが非常にシュールで幻想的で、PTSD患者が見る記憶の断片とはこういうものなのかもしれない…と鑑賞時には驚かされたものである。ドキュメンタリーというジャンルに新たな表現方法がまた一つ加わったという感じがした。
本作も「戦場でワルツ」に通じる表現方法のドキュメンタリー映画である。ただ、演出は基本的にリアリズム主体で、戦争の犠牲となる市井の人々の悲しみと恐怖、苦しみを生々しく表現しており、手法は一緒でも演出は大分異なる。
例えば、アミンたち難民がソ連から亡命しようと密航船で渡航するシーンの緊張感と恐怖と言ったらない。見つかれば当然、連れ戻されて投獄されてしまう。仮に運良く外国に辿り着いたとしても、難民として受け入れてくれる保証もない。そんな生死の狭間に漂う彼らの運命に目が離せなかった。
また、アミンの生い立ちを回想する一方で、本作は現在の彼の私生活についても描いている。こちらはLGBTQをテーマにしているが、より普遍的に捉えるならば、キャリアと結婚の岐路に立たされた人生の選択のドラマというふうに解釈できる。
同性愛に厳しいイスラム社会での不自由な暮らしぶりから考えると、現在のアミンは大変恵まれた状況にある。世界は多様性を認める方向へ確実に変わっているのだ。なのに、いまだに古い因習に縛られ戦争を繰り返している国々がある。アミンの人生の選択は、そんな古い世界に少しだけ明るい希望を灯しているように感じられた。
「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」(1976仏)
ジャンルロマンス
(あらすじ) クラスキーはパドヴァンとゴミ回収の仕事をしながら熱い友情で結ばれていた。ある日、2人はカフェでボーイッシュな女性、ジョニーと出会う。クラスキーはゲイだったが彼女に惹かれていく。パドヴァンはそんな二人を見て嫉妬するのだが…。
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(レビュー) ゲイのカップルとボーイッシュな女性の三角関係をスタイリッシュに綴った恋愛映画。
監督、脚本、音楽はセルジュ・ゲンズブール。ヒロインのジョニー役はジェーン・バーキン。二人は1969年に本作と同じタイトルの曲「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」をデュエットソングとしてリリースしている。自分はこの曲のことを全く知らなかったのだが、wikiによれば男女の性交について描いた歌ということで一部の国では放送禁止になったくらい卑猥な内容ということである。残念ながら本編中にこの曲は流れないが、歌詞の内容に近いセクシャルなシーンは出てくる。そういう観点でみると、本作はセルジュのセルフ・オマージュと言えるのかもしれない。
それにしても、本作はジェーン・バーキンの体を張った演技が凄まじい。製作当時、セルジュとは交際中だったと思うが、ここまで大胆なヌードシーンを撮影していることに驚きを禁じ得ない。演じさせる方も演じさせる方だが、それに応える方も応える方だ。
一番衝撃的だったのは、バーキンが野原で小便をするシーンを真後ろから写したショットである。カメラから見たら丸見えである。正直、この演出は物語上、特段必要というわけではない。一体セルジュとバーキンはどういった気持ちでこれを撮影したのだろうか?
物語の内容は、取り留めもない三角関係の恋愛劇である。ただ、カフェの店主のパワハラや退屈な田舎暮らしに疲弊したジョニーのストレスがじっくりと描かれているので、ドラマの軸はしっかりと感じられた。本気度が感じられる赤裸々なヌードシーンの甲斐もあって、決して浮ついた恋愛談になっていない。
セルジュ・ゲンズブールの演出も非常にクールで、カットによってはヌーヴェルヴァーグ的なセンスも感じられる。
例えば、カフェのカウンターを正面から捉えたロングショットなどは構図と空間、インテリアの色彩もバッチリ決まっており、中々抜け目のない画面作りをしていると思った。
また、物語の主な舞台は広大な荒野にポツンと立つカフェであり、どこかアメリカン・ニューシネマのような雰囲気が感じられるのも面白い。全編フランス語による作品であるにもかかわらず、不思議とアメリカンな空気が感じられる所がユニークである。
尚、本作はセルジュ・ゲンズブールの初監督作品となる。その後、数本長編映画を撮っているが、歌手活動の方が忙しいせいか、監督作は決して多くはない。彼の作品は初見であるが、本作を観る限り中々の演出センスを感じさせるので、機会があれば他の作品も追いかけてみたい。
「オフィサー・アンド・スパイ」(2019仏伊)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1894年のフランス。ユダヤ系の陸軍大尉ドレフュスがドイツに機密情報を流したスパイ容疑で終身刑を言い渡される。その後、ドレフュスと浅からぬ因縁にあるピカール中佐が陸軍情報部長に就任する。彼はドレフュスの無実を示す決定的証拠を発見するのだが…。
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(レビュー) 己の正義を貫き通すことの難しさと尊さを真摯に訴えた力作だと思う。
ここで描かれているドレフュス事件は、フランスでは大変有名で、世界史的に見ても国家的冤罪事件としていまだに語り継がれている出来事である。
自分は、本編にも登場する作家エミール・ゾラの半生を描いた伝記映画「ゾラの生涯」を観ていたので、この事件のことは知っていた。ただ、
「ゾラの生涯」(1937仏)はゾラの視点で描かれた物語だったこともあり、事件の経緯や内情については詳しく語られていなかった。本作ではそのあたりが事件の当時者を含め詳細に語られている。改めてこの事件を別の角度から知ることができ、冤罪の恐ろしさを思い知らされた。
そして、本作で忘れてならないことはもう一つあるように思う。それは事件の背景にユダヤ人差別があったということだ。ドレフュスに容疑がかけられた理由の一つに、彼がユダヤ人だったということがある。軍内部はもちろん、主人公のピカールさえ反ユダヤ主義であり、おそらく当時のフランスではこうした風潮が相当に強かっただろうと想像できる。後にナチスの台頭でユダヤ人の弾圧が強まっていくが、その片鱗はすでにこの頃から欧州全体にあったということがよく分かる。
冤罪、人種差別、体制の隠蔽体質等、この映画には様々な問題を見出すことが出来る。そして、これらは何もこの事件に特有のものではなく、現代にも通じるものであると気付かされる。本作をただの史劇と一蹴できない理由はそこにある。実に普遍性を持った作品だと言える。
監督、脚本を務めたロマン・ポランスキーは、自身もホロコーストの犠牲者であった過去を持っている。それだけにユダヤ人として差別されたドレフュスの悲劇には一方ならぬ思いがあったのだろう。
と同時に、彼はアメリカ在住時に少女への淫行容疑で逮捕されたことがある。本人は冤罪を主張し、アメリカを追われ、いまだに入国できないでいる。自己弁護ではないが自らの黒歴史を清算すべく本作を撮った…と捉える人もいるだろう。
こうしたスキャンダラスな意見が出てきてしまうのは仕方のないことだが、作品そのものの出来について言えば、映像、演出、ともに完成度が高く、改めてポランスキーの熟練した手腕には唸らされる。
ただし唯一、終盤が性急で今一つキレが感じられなかった点は惜しまれた。このあたりは物語のバランスの問題だと思うが、ピカールの捜査に重きを置いた結果という感じがした。
ともあれ、製作当時ポランスキーは86歳。この年でこれだけパッションの詰まった作品を撮り上げるとは、正直驚きである。残りの人生であと何本撮れるか分からないが、いまだに衰え知らずといった感じで頼もしい限りである。