「あのこと」(2021仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1960年代のフランス。学業優秀で前途有望な大学生のアンヌは、大事な試験を前に妊娠が発覚する。中絶は違法で大きな罪とされており、激しく動揺するアンヌ。周囲の誰にも相談できず時間ばかりが過ぎていき…。
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(レビュー) 望まぬ妊娠をしてしまった少女が中絶に奔走する姿を緊迫感溢れる演出で綴ったビターな人間ドラマ。
アンヌはたった一度のセックスで妊娠してしまい、堕胎を決心する。しかし、1960年代のフランスでは中絶は違法で、大きな罪とされていた。彼女は成績優秀で周囲からの期待も大きい優等生である。世間体のこともあり家族や友人に相談できず、医者に打ち明けたとしても力になってくれる人は皆無で、どんどん絶望的な状況に追い込まれてしまう。
本作には原作があり(未読)、原作者本人の実体験を元にしているということだ。本作のアンヌのように、原作者もさぞかし苦しい思いをしたのだろう。
物語は非常にシンプルである。過去には
「JUNO/ジュノ」(2007米)や
「4ヶ月、3週と2日」(2007ルーマニア)等、同じテーマを扱った作品があるし、かつての人気ドラマ「金八先生」の中では「15歳の母」という中学生の妊娠を描いたエピソードもあった。こうしてみると題材自体、決して新鮮というわけではない。
ただ、緊張感を持続した演出が素晴らしく、観ているこちらも終始、この息苦しさに押しつぶされそうなってしまった。
劇中には目を覆いたくなるような凄惨なシーンも出てくる。そこもカメラはカットを切らずに彼女の苦痛の表情を生々しく捉えている。特に、終盤はほとんどホラー映画のようなトーンになっていき、この畳みかけるような演出には戦慄を覚えた。
尚、フランスでは現在は中絶は容認されている。日本でも、もちろん認められている。しかし、世界を見渡せば、宗教上の理由から中絶を認めていない地域がまだあり、この手の話は決して過去のものではない。今まさに起こっている現在進行の話でもあるのだ。
もとをただせば、避妊をしてセックスしろという話だが、若さゆえの過ちというのは誰にでもあるわけで、現実問題としてそう単純に割り切れない面がある。それゆえ、この手の作品はいつの世にも通じる普遍性を持っているのだろう。
「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」(2022米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 地球から遠く離れた星パンドラ。元海兵隊員のジェイクはナヴィの女性ネイティリと結ばれ、現在は息子のネテヤムとロアク、娘のトゥク、今は亡きグレイス博士から生まれたキリ、そしてかつて敵だった亡きマイルズ大佐の息子・スパイダーと平和に暮らしていた。そんなある日、人類によるパンドラの襲撃が再び始まり、彼らは住む場所を失ってしまう。
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(レビュー) 2009年に公開され世界的に大ヒットを記録した
「アバター」(2009米)の約13年ぶりとなる続編。惑星パンドラを舞台にした先住民と人類の戦いを、最先端の映像技術で描いた大作である。
前作は3D映画ブームの火付け役というだけあって、その迫力と奥行きのある映像に圧倒されたものである。パンドラのビジュアルも最先端のVFXで美しく表現されており、今まで観たどのSF映画よりもクオリティが高くて驚かされた。
そんな革新的だった「アバター」の続編ということで、あの時の感動をまた味わえるのかという期待を胸に鑑賞した。
結論から言うと、間違いなく前作以上の映像革新になっていると思う。
まず驚かされるのは水の表現である。本作の監督ジェームズ・キャメロンは、かつて「アビス」(1989米)で深海の神秘を最新の映像技術で表現したり、映画「タイタニック」(1997米)の大ヒットを受けて製作されたドキュメンタリー「タイタニックの秘密」(2003米)では独自のカメラシステムを使って海底深く沈むタイタニック号の撮影に成功した過去を持っている。おそらく海に対する思い入れは相当に強いのだろう。そのこだわりが本作からは感じられた。
また、パンドラの景観や様々なクリーチャーのビジュアルも、前作に比べると更に緻密に作られていて感心させられた。まるで本当にそこに存在しているかのようなリアルさに鳥肌が立った。
一方、物語は前作から約10年後を舞台に、ジェイクたちの家族愛を描くドラマになっている。ジェイクたちには3人の子供がいて、更に前作に登場したグレイス博士のDNAを継承した娘キリと、前作の宿敵マイルズ大佐の息子スパイダーが養子として家族の輪に加わっている。彼らは共に過ごし、共に戦い、喜びと悲しみを分かち合いながら、その絆を深めていく。
ただ、この「アバター」シリーズは全5部作が構想されており、本作はまだその前半部である。内容的にはまだ序盤といった感じで、色々と消化不良な部分が多い。そのため、本作1本だけではどうにも評価のしようがない。
また、前作もそうだったが、シナリオ上に色々と突っ込み所が多く、決して完成度が高い作品とは言い難い。
そもそも本作は映像美を堪能するアトラクション的な作品なので、そのあたりは余り気にせずに観るのがベターかもしれない。
尚、本作はキャメロン自身がIMAXなどの大きなスクリーンで鑑賞することを推奨していたので、自分も今回はIMAXの3Dで鑑賞した。昨今映画も配信の時代になってきたが、今作は間違いなく映画館で見るべき映画である。小さなモニターでは決して味わえない感動をもたらしてくれるはずである。
「ケイコ 目を澄ませて」(2022日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) 下町の小さなボクシングジムで黙々とトレーニングに打ち込むケイコは生まれつき両耳が聞こえないというハンデを持ちながら、地道な努力の末にプロボクサーになった。初戦に勝利しプロとしての第一歩を踏み出すケイコだったが…。
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(レビュー) 実在の聴覚障害の女子プロボクサー小笠原恵子の自伝を元にしているということだが、エンドクレジットで本作はフィクションである旨が記される。原作は未読なので分からないが、調べてみると時代背景を含め色々と脚色されているそうである。ただ、そうした映画独自の改変はあれど、ケイコ自身の生き様や彼女が置かれている状況には色々と考えさせられるものがあるし、何よりハンデを負ったままリングに立つ彼女のひたむきな姿には素直に感動を覚えた。
本作は二つの観点から感想を述べてみたい。一つ目はボクシング映画としての観点、二つ目は聴覚障害者を描いた映画としての観点である。
まず、ボクシング映画として見た場合、「ロッキー」シリーズのようなファイトシーンは余りなく、どちらかと言うとケイコの内面に重きを置いたヒューマンドラマ的な作りになっている。ケイコはデビュー戦で初勝利をあげるが、自信を得るどころか逆に不安を感じてしまう。このまま本当にプロとしてやっていけるだろうか?経営が厳しいジムの重荷になっていないか?家族に心配をかけてないか?そうした葛藤がじっくりと描かれている。
考えてみれば、耳が聞こえないということはセコンドのアドバイスやレフェリーの言葉、ゴングの音すら認識でないわけで、そんな状況の中で戦うということは想像を絶するほどの孤独であろう。その苦悩は観ているこちらにも十分に伝わってきた。
また、ケイコの面倒を親身になって見る会長の存在も良かった。言葉を喋らず黙々と練習に励むケイコとは、あまりコミュニケーションを取らないが、一緒にトレーニングをする姿からは確かな絆が感じられた。まるで娘を見守る父親のような優しい眼差しが、会長の人となりをよく表している。個人的には「ミリオンダラー・ベイビー」(2004米)におけるクリント・イーストウッドとヒラリー・スワンクの関係を連想した。
第二の観点は、ケイコの聴覚障害という設定から見る本作の社会派的な意義である。
ケイコの戦いはリング上だけではない。日常の至る場面で彼女は自身のハンデを思い知らされる。例えば、アルバイト先の同僚や同居している弟の恋人は手話ができない。そのため彼等とはほとんどコミュニケーションを取らない。コンビニのレジの店員の言葉も聞こえないので、会計の時には気まずい空気になってしまう。すぐ近くにいるのに意思疎通が取れないということは、普通に考えてかなりのストレスだろう。この映画はそんな聴覚障害者の苦労を、日常の一コマの中に上手く落とし込んでいると思った。
偶然かもしれないが、最近は手話をフォーチャーした映画が多くなってきたような気がする。昨年観た
「ドライブ・マイ・カー」(2021日)、今年のアカデミー賞で作品賞を受賞した
「コーダ あいのうた」(2021米カナダ仏)、先頃観た
「LOVE LIFE」(2022日)等。立て続けに手話が出てくる映画を観たので、余計にそう思うのかもしれない。最近のLGBTQや多様性にも言えることだが、こうした流れは昨今の潮流なのかもしれない。
監督、脚本は三宅唱。自分は初期作「PlayBack」(2012日)しか観たことがないのだが、その時には少しシュールで独特な演出をする監督だなという印象だった。しかし、今作では現実感を重視した演出が貫かれており、その時の印象とは全く異なり驚かされた。映像もザラついた16ミリ特有の質感で、シーンに生々しい臨場感を生んでいる。デジタルビデオ全盛の現在では余り味わえない映画体験が逆に新鮮だった。
また、縄跳びの音やサンドバッグを叩く音、電車や工事の音といったサウンド面の演出にも監督のこだわりが感じられた。
キャストでは、何と言ってもケイコを演じた岸井ゆきのに尽きると思う。セリフがない難役を眼差しのみで表現しきった所が見事だった。また、冒頭のロッカールームのシーンを見れば分かるが、肉体改造も抜かりはなく、役所としての説得力も十分である。
特に印象深かったのは、試合中に発する彼女の叫び声だった。もちろんこれは対戦相手のダーティーな戦いぶりに対する怒りであることは明白なのだが、自分はそれだけではないように思う。何をやっても思うようにいかない厳しい現実に対する憤り。あるいは、ふがいない自分自身に対する怒りにも聞こえた。正に魂を揺さぶる叫びである。
「THE FIRST SLAM DUNK」(2022日)
ジャンルアニメ・ジャンルスポーツ・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 湘北高校バスケ部はインターハイで強豪・山王工業とぶつかる。湘北のポイントガード宮城リョータにとって、この試合は幼い頃から思い描いていた因縁の対戦であった。試合は白熱した展開を見せながら進んでいくのだが…。
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(レビュー) 1990年代に少年ジャンプで連載されたバスケマンガ「SLAM DUNK」の劇場用アニメ。連載当時はテレビアニメ化もされ一世を風靡した人気作である。今回は原作者である井上雄彦氏が自ら監督、脚本を務めて製作した作品である。
自分は原作とテレビアニメを見ていたこともあり、作品に対する思い入れはそれなりに強い。だからこそ、なぜ今になって劇場用アニメ化?畑違いの井上雄彦にアニメ映画の監督が務まるのか?そうした心配があった。
しかし、結論から言うと、原作でもテレビアニメでもない、新しい「SLAM DUNK」を見せてくれたという意味で大変満足することが出来た。もちろん原作もテレビアニメ版も好きなのであるが、それとは違う新鮮な面白さが感じられた。リメイクとは懐古主義に堕してしまってはダメだと思う。今の観客に向けて作るという所に大きな意義があり、おそらく井上雄彦自身もそういう意図で本作の製作に臨んだのではないだろうか。
物語は、原作でも大きな見せ場となった山王戦をメインに展開される。その中で湘北のメンバーそれぞれに焦点を当てたドラマが語られていく。この構成は試合の緊張感やスピード感が度々寸断されるというデメリットはあるが、個々のキャラを紹介する前段のドラマを手際よく処理できるというメリットもある。功罪あると思うが、この構成自体は上手いやり方だと思った。原作を知っている人にとっては様々な思い出が蘇るし、そうでない「SLAM DUNK」初見の人でも退屈することなくダイレクトに作品に入り込めると思う。
その中でメインとなるのが宮城リョータのドラマである。原作では桜木花道が主役なので、リョータをメインに据えたことに正直なところ驚きがあった。しかし、また違った角度からこの世界観を楽しむことが出来たことは新鮮であったし、何よりリョータが辿ってきた過去が大変ドラマチックなもので、メインのドラマたるに十分の魅力が詰まっている。後で知ったが、彼に関する読み切りマンガがあったらしく、それをベースに敷いているということだ。
さて、公開前に短い予告スポットを小出しにしていた本作であるが、それを見た時点で映像が明らかに3Dアニメと丸分かりで、テレビアニメ版に慣れ親しんだ自分にとっては正直かなりの不安を感じていた。最も違和感を覚えたのは背景のモブなのだが、しかし大画面で見るとそこまでの不自然さは感じなかった。
また、原作マンガを再現したかのような2D的な肌触りは、3D特有の無機質さを打ち消し、なんならマンガの絵に近い感じすらして感動を覚えた。声や音楽、演出の功績も大きい。これらが井上雄彦の”絵”に加わることで、見事にアニメーションならではの躍動感が生まれている。
キャスト陣は、テレビアニメ版から一新されているが、同じ世界観でも別角度から捉えた本作にあっては、それもまた良し。むしろ同じではテレビアニメ版から離れられなくなってしまうので、これで正解だったように思う。
少し気になったのはエピローグだろうか。おそらくここに持って行くために途中で山王のエピソードを入れたのだろう。ファンサービスとしてはいいかもしれないが、個人的には少し戸惑いを覚えた。もっとすっきりとした構成、終わり方でも良かったような気がする。
「ある男」(2021日)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 夫と別れて文房具店を切り盛りするシングルマザー里枝は、ある雨の日、ふらりとやって来た大祐という青年と親しくなる。それから二人は再婚し、娘にも恵まれ幸せな日々を送った。ところが、大祐が不慮の事故で死んでしまう。そして、葬儀に訪れた大祐の兄から衝撃の告白が…。大祐だと思っていた夫が全くの別人だと言うのだ。里枝は、かつて離婚調停を担当してもらった弁護士・城戸に身元調査を依頼する。
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(レビュー) 何ともシュールで不気味な絵画を捉えたオープニングショットから引き込まれる。男が鏡を見つめているのだが、そこに映るのは彼の正面ではなく後姿なのだ。これは一体何を意味しているのか?映画を観進めていくうちに、それが徐々に分かってくる。つまり、人は誰でも秘密を抱えて生きている、二つの側面を持っている…ということを暗に示しているのだろう。
大祐を名乗った”ある男”もそうであるし、彼の身元を調査する弁護士・城戸もそうであった。そして、服役中の戸籍ブローカー小宮浦、城戸の妻も然り。見えているものばかりが真実とは限らない。実は見えてない面にこそ真実がある…ということを本作を観て教わったような気がする。
物語は里枝の視点で開幕する。大祐との出会い、再婚、娘の出産、大祐の死までが軽快に綴られ、やや駆け足気味な印象を持ったが、それもそのはずで物語はここから本格化する。城戸の視点に切り替わり、大祐を名乗った”ある男”の素性を、つまり裏の顔を探るミステリーになっていくのだ。
キーマンとなるキャラクターが複数人登場して、彼らから城戸は様々な情報を得ながら”ある男”の正体に近づいていく。構成自体はオーソドックスながらよく出来ていて、グイグイと引き込まれた。
そして、この物語は城戸自身のアイデンティティを巡るドラマにもなっている点に注目したい。
実は、城戸は在日三世であり、そのことに少なからずコンプレックスを持っている。義父の差別的な発言やヘイトスピーチのニュース映像を見て、城戸は度々それを実感するが、この消せない血筋とどう折り合いをつけていくか?という、ある種社会派的なテーマが、ここからは感じられた。
在日三世の出自を隠して生きる城戸。凄惨な過去を捨てて大祐として生きた”ある男”。二人は過去から逃れようとする者同士、ある意味で似ている。やがて、城戸は”ある男”にどこかシンパシーを覚えていくが、これはごく自然のことのように思えた。
このあたりの城戸の心情変化を、説得力のある展開の中で表現した所が本作の優れている点である。その葛藤にしっかりと焦点を当てたドラマ作りに観応えが感じられた。
ただし、厳しい目で見てしまうと、幾つか演出と展開に「?」となる部分があり、少し勿体なく感じた個所もある。
本作は同名ベストセラーの映画化で、自分は原作未読なのだが、このあたりがどう処理されていたのか気になる。
例えば、最も引っかりを覚えたのは、城戸と妻の夫婦関係に関する顛末である。一連の捜査が一段落した後で語られるのだが、わざわざこれを付け足す必要があったかどうかというと疑問が残る。印象的だった映画のオープニングに呼応する形に持って行きたかったのだろう。それはよく分かるのだが、個人的には城戸の心理に余り納得できなかった。
他に、大祐の事故死のシーンは演出が淡泊なせいもあろう。どうしても不自然でわざとらしく感じてしまった。遺影の前で里枝と大祐の兄が「じゃあ誰?」と同時に呟くのも不自然に感じた。
キャスト陣は芸達者な布陣で組まれていたので安心して観ることが出来た。
安藤サクラは相変わらず巧演であるし、妻夫木聡も今回は抑制を利かせた演技で好印象。そして窪田正孝が意外に肉体派であったことに驚かされた。一方で、コメディリリーフ担当としてタレントを起用しているが、こちらはどうしても普段のイメージがあるせいで作中から浮いて見えてしまったのが残念である。
「ザ・レッスン 女教師の返済」(2014ブルガリアギリシャ)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 小学校教師ナデのクラスで盗難事件が起こる。盗んだ生徒に申し出るよう促すが犯人は名乗り出なかった。その日、帰宅すると家のローンを夫が使い込んで借金していたことが発覚する。期日までに返済しないと家は競売にかけられ小さな娘とともに路頭に迷うことになってしまう。ナデは金策に奔走するのだが…。
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(レビュー) 借金の返済に奔走する女性教師の受難を静謐なタッチで描いたサスペンス作品。
甲斐性無しの旦那のせいで窮地に追い込まれていくナデの姿を冷徹に描いているので、観てて実に居たたまれない気持ちにさせられた。基本的にドキュメンタリータッチが貫かれており、終始ヒリつくような緊張感が味わえた。連想させられるのはダルデンヌ兄弟の作品である。この監督の作品は初見であるが、独特のタッチを持った作家性で面白いと思った。
また、途中でナデが銀行に振り込みに行くシーンがあるが、ここはタイムリミット感を持たせた演出でかなりハラハラさせられた。こうしたサスペンスフルなシーンも中々上手くできている。
そんな不幸な境遇に追い込まれるナデを観てるとついつい同情してしまいたくなる。ただ、同時に頑なに自らの正義とプライドを貫く姿には、もう少し肩の力を抜いて生きればいいのに…という感想も持った。
不仲な父と折り合いをつければ金を借りることが出来ただろう。悩み事を相談できるような友達がいれば助けてもらうことだって出来たかもしれない。しかし、彼女はいわゆる優等生タイプで、これまですべて自分一人の力で解決してきたのだろう。周囲に相談できず、その結果どんどんドツボにハマってしまう。
ラストは賛否あるような終わり方になっている。いわゆる観客に想像を委ねるようなエンディングになっている。個人的にはバッドエンドを想像した。
さて、改めて考えてみると本作は実に皮肉的な物語だと言える。冒頭で生徒の窃盗を糾弾したナデ自身が、最後はああいう”選択”をしてしまうとは想像できなかったからだ。
果たして彼女は、これからどんな顔をして子供たちに授業をするのだろう?それを考えると、これほど意地が悪い顛末もない。
「ドッグマン」(2018伊仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) マルチェロは妻子と別れて静かな海辺の町で犬のトリミングサロンを営んでいた。時々娘と面会できることが彼にとっての唯一の楽しみだった。そんなある日、地元の厄介者シモーネに目を付けられ、彼の悪事を手伝わされることになる。二人はやがて取り返しのつかない事件を起こしてしまい…。
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(レビュー) 粗暴なチンピラに付きまとわれた小心者の男が辿る悲惨な運命を冷徹な眼差しで描いたクライム・ドラマ。
マルチェロは人の良い平凡な男である。犬が大好きで、別れた娘との関係も良好。そんな彼が、シモーネというヤンキーに絡まれて、一緒に行動を共にするうちに重大な犯罪に巻き込まれてしまう。
普通に考えればシモーネとの関係をさっさと断ち切ればいいと思うのだが、元来臆病なマルチェロにはそれが出来ない。嫌と断ることが出来ず、どんどん関係を深めていってしまうのだ。その結果、後戻りできないところまで自分を追い込んで行ってしまう。
もし自分がマルチェロの立場だったら、どうだろう?と考えてしまった。果たしてシモーネの誘いを断れただろうか…と。
監督、脚本は
「ゴモラ」(2008伊)のマッテオ・ガローネ。「ゴモラ」は現代マフィアにまつわる群像劇だったが、今回もそれに近い犯罪と暴力の世界を描いている。ただ、「ゴモラ」ほど複雑な物語ではないので、取っつきやすい印象を持った。
ガローネ監督の演出は非常に淡々としているが決してそれが退屈するということはなく、マルチェロとシモーネの関係、マルチェロと町の人々の微妙な距離感を非常にスリリングに捉えていると思った。
唯一、微笑ましく観れるのがマルチェロと娘の交流で、ドライな作風が貫かれる中、ホッと一息付けるシーンとなっている。
ラストは、はっきりと明示されないまま観客の想像に託すような終わり方になっている。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、まるでこの世から取り残されたかのような虚無感に憎しみあうことの滑稽さ、醜悪さが感じられた。マルチェロの顛末を”世界”が嘲笑っているかのようでもある。
「ドッグマン」というタイトルの意味も観終わった後に色々と想像できた。犬は人間に従順に使えるペットにもなるし、牙をむき出しにして襲い掛かる獣にもなる。シモーネにとってのマルチェロとは、つまるところそういう存在だったのかもしれない。
尚、劇中でワンシーンだけ小さなチワワがひどい目に合うので、愛犬家の人は注意されたし。このチワワは今作でカンヌ国際映画祭のパルム・ドッグ賞を受賞している。
「恐怖のセンセイ」(2019米)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 小心者のケイシーは、ある夜強盗に襲われ負傷してしまう。職場から治療のための休暇を与えられた彼は、同じような目にまた遭うのではないかという不安におびえる日々を送った。そして、ひょんなことから空手道場の入門を決心するのだが、そこには生徒たちから厚い信頼を受けているセンセイがいて…。
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(レビュー) どこか怪しい空手の先生に気に入られた青年が、やがてとんでもない事態に巻き込まれてしまうブラックコメディ。
気の弱いケイシーが徐々に暴力に支配されていく様にクスリとさせられるが、同時に何とも言えない不気味さも覚えた。言ってしまえばケイシーはセンセイに導かれながら
「ファイト・クラブ」(1999米)のような悪夢に引きづり込まれてしまうのだが、こちらは割とコメディライクな所があり屈託なく観れるところが違う。
実際、映画前半はオフビート色の強いコメディトーンで、ケイシーの健気な奮闘が微笑ましく描かれている。自分も観ていて何だか応援してしまいたくなった。
ところが、後半から徐々にブラックなトーンに傾倒していく。センセイの道場は昼の部と夜の部があって、ケイシーは夜の部に転入するのだが、そこでは昼よりもハードなトレーニングをしていて、時には重傷者まで出る。ケイシーはそこで徐々に内なる凶暴性を露わにしていくのだが…と完全に「ファイト・クラブ」のような展開になっていくのだ。
更に、クライマックスにかけて、ほとんどサイコ・サスペンスのような様相を呈し、最後まで先の読めない展開で面白く観れた。
何と言っても本作の面白さを支えているのはセンセイのキャラクターだろう。一見すると誠実で人望の厚い指導者に見えるが、裏では生徒たちを危険な思想で染め上げている。道場の中には女性の生徒もいて後半のキーパーソンになっていくのだが、彼女に対する性的差別も酷いもので、完全なるマチズモの権化である。センセイのエキセントリックな”本性”が徐々に露わになっていくことで、物語は終盤にかけてスリリングに盛り上げられている。
ただ、オチに関してはやや安易さを覚えてしまった。歯切れの良さは感じるものの、後半のシリアス方面への舵取りを考えれば、全てを描かず想像させるくらいのオチでも良かったのではないだろうか。
監督、脚本は初見の監督だが、緩急をつけた演出でユニークな題材を見事にエンタテインメントに昇華していると思った。特に、時折見せるブラックなトーンに魅了された。
キャストでは、ケイシーを演じたジェシー・アイゼンバーグがハマリ役だった。
「ブリムストーン」(2016オランダ仏独ベルギースウェーデン英米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 西部開拓時代。小さな村で夫と2人の子どもと暮らすリズは、言葉を発することのできなかったが、助産師として村人に必要とされ、慎ましくも幸せな日々を送っていた。そんなある日、村に顔に傷のある牧師がやって来る。実は、リズと牧師の間には凄惨な過去があった。
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(レビュー) 男たちに虐げられる女性の痛みや苦しみを異様な雰囲気の中で描いた異色の西部劇。
信仰を盾に人々を支配する牧師が化物級のサイコパスで、彼にどこまでも追い詰められるリズの不幸は観ててひたすら可哀そうであった。
この時代における女性の地位が低かったことは確かだが、それにしても映画の作りとしてはやや狭量な感は否めない。リズは娼婦に身を落とし、その界隈を中心に物語が進行するため、どうしても世界観が小さくなってしまっている。約2時間半の作品であるが、その割にストーリーの底が浅く、正直物足りなく感じた。
とはいえ、言葉を喋れないリズと権力を笠に着る牧師の関係は、今もってなくなることのない女性に対するセクハラ、パワハラの問題を象徴していると言える。西部劇というジャンルを借りながら、現代にも通じる社会派的なメッセージを持った作品として受け止めることができ、そういう意味では一見の価値がある作品のように思う。
映画は、リズと牧師の因縁を時世を前後させながらミステリアスに紐解いていく。リズが口をきけなくなった理由、リズと牧師の出会いといった様々な過去が明らかになっていくのだが、中でも牧師のキャラクターが不気味で印象に残る。バックストーリーが一切不明な所も含めて、ほとんどホラー映画におけるモンスターのようであり、おそらくこれは作り手側の狙いなのでもあろう。つまり、彼は神の名を語って人々を惑わす”悪魔”であることを暗に示しているのだと思う。
宗教によって救われる人がいることは確かだが、それが盲信の域まで達すればその人の精神を殺しかねない。何についてもそうだが、ハマり過ぎるのはよくない。
キャスト陣では、牧師役を演じたガイ・ピアースの造形がひたすら不気味で恐ろしかった。リズ役はダコタ・ファニングが演じている。こちらは抑制を利かせた演技で、ガイ・ピアースとのコントラストから上手く引き立っていたと思う。また、リズの娘役をエミリア・ジョーンズが演じており、その凛とした佇まいはダークな雰囲気の中で一服の清涼となっている。
ロケーションの見事さと、物語のトーンを意識した寒色系の映像も作品に一定の風格を与えており、撮影の素晴らしさも特筆すべきものがある。
「ウェイティング・バーバリアンズ 帝国の黄昏」(2019伊米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 砂漠の辺境にある小さな町。そこは帝国の支配下にあり、心優しい民政官の下で人々は平穏に暮らしていた。ある日、そこにジョル大佐が赴任してくる。彼は砂漠の蛮族が攻めてくるという噂を信じ込み、何も知らない人々を次々と投獄・拷問していくのだが…。
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(レビュー) ノーベル賞受賞作家J・M・クッツェーの小説「夷狄を待ちながら」(未読)の映画化。原作者自らが脚色を手がけ、
「彷徨える河」(2015コロンビアベネズエラアルゼンチン)のシーロ・ゲーラ監督がメガホンをとった作品である。
19世紀の帝国主義時代を舞台にした物語と思われるが、具体的な町の名前や組織名は記されず、ある種架空の物語という捉え方ができよう。敢えてそうした情報を伏せたことで、物語の普遍性を狙ったような節もある。
いずれにせよ、ゲーラ監督の前作「彷徨える河」同様、寓話的な世界観が構築されていて、独特の雰囲気が味わえた。
テーマも「先住民」対「入植民」、「自然」対「文明」という前作からの継承が感じられる。
今作は何と言っても、広大な砂漠を捉えた映像美が素晴らしい。撮影監督は
「愛を読むひと」(2008米独)や
「ミッション」(1986英)で知られるクリス・メンゲス。もはや数々の作品でその名手ぶりを発揮している大ベテランだが、今回もその手腕は見事に作品に重厚な品格を与えている。
ゲーラ監督の演出も、浮遊感を漂わせたロングテイクを多用しながら、白人たちに蹂躙される先住民の悲劇をシリアスに捉えている。本来であればバイオレンスシーンをダイレクトに描くことでドラマチックにしたいところだろうが、敢えてそこを封印し、身体中に刻まれた傷跡だけで蛮行の数々を提示して見せている。このあたりは公開時のレーティングを意識してのことなのか、それともゲーラ監督の作家としての品性なのか分からないが、大変スマートな演出と言える。
ただ、ドラマ自体は存外シンプルで、ゲーラ監督のミニマルな演出スタイルのせいもあろう。少し退屈してしまった。キーパーソンとして、ジョル大佐の拷問にあった女性が登場して民政官との間にかすかな情愛が育まれていくが、これもそれほど大きくクローズアップされるわけではない。
キャスト陣では、主人公の民政官役をマーク・ライランス、ジョル大佐役をジョニー・デップが演じている。他にロバート・パティンソンも出演し、顔触れだけ見ればハリウッド大作のようでもある。「彷徨える河」で注目されたゲーラ監督にとっての初めての英語作品ということで、期待値の高さがうかがえる。
中でも、マーク・ライランスの熱演は見事であった。また、ジョニー・デップは憎々しい悪役を冷徹に演じており、こういう役は大変珍しい気がした。