「マッドゴッド」(2021米)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 孤高の戦士アサシンはある目的を持って荒廃した地下世界に潜りこんだ。そこは不気味なクリーチャーたちが蠢く地獄のような世界だった。アサシンは様々な光景を目撃しながら地底奥深くへと進んでいくのだが…。
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(レビュー) 「スター・ウォーズ」シリーズや「ロボコップ」シリーズ、「スターシップ・トゥルーパーズ」シリーズのストップモーションアニメを手掛けたフィル・ティペットによるダーク・ファンタジー。
めくるめく悪夢的世界に圧倒されてしまった。
物語はあってないようなもので、ある目的を持った一人のアサシンが地下世界に潜り込んでグロテスクな光景を目撃していく…という体で進行する。何の脈絡もなくシュールで意味不明な光景が次々と出てくるので、苦手に思う人は多いだろう。
また、セリフが全くないため、この世界観を把握できないまま観ていくことになり、途中で「ワケ分からん」と放り出してしまう人がいても不思議ではない。自分も早々にストーリーを追いかけることを諦め、この独特な世界観に身を委ねながら、邪悪な映像の数々を「体感する」ことにした。
実際、ここまでぶっ飛んだ世界観というのも中々見たことがない。テイストは全く異なるが「ファンタスティック・プラネット」(1973チェコ仏)以来の衝撃的体験である。
地下に生息するグロテスクな生き物たちの醜悪さや、至る所に死臭と汚物感が漂う光景は、正直見ててキツいものがある。ただ、これがフィル・ティペットの脳内で生成された世界だと言われれば、その圧倒的物量と情報量には素直に首を垂れるしかない。ここまで画面に浩々と己の世界観を再現したこと自体、他の誰にも真似できないのではないだろうか。
本作の製作は元々は30年前に始まったそうである。ところがCG全盛の時代になり、ティペットの創作意欲も意気消沈。それから20年後に、彼のスタジオのクリエイターたちを中心に再び製作が再開されたということだ。実に苦節30年。正に執念の作品と言うことが出来よう。
アニメーションとしてのクオリティも申し分ない。一部でCGや実写映像を使っている個所もあるが、約90分間。ストップモーションアニメらしい面白さが詰まっている。
最も印象に残ったのは、アサシンの解剖シーンだった。腹の中から取り出されたあのクリーチャーは一体何だったのか?デヴィッド・リンチの「イレイザーヘッド」(1993米)を思い出してしまった。しかも、あのような顛末が待ちうけていようとは…。時計の針が再び動き出すという展開に「2001年宇宙の旅」(1968米英)のオマージュも感じられた。
尚、アサシンを地下世界に送り出したマッドサイエンティスト役を映画監督のアレックス・コックスが演じている。これまでフィル・ティペットとの繋がりは、少なくとも作品上では無かったので、意外であった。
「かがみの孤城」(2022日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 学校でイジメにあい不登校になった中学1年生のこころは、ある日、部屋にあった鏡が突然光り、その中に吸い込まれてしまう。鏡の中は御伽話に出てくるようなお城で、そこには狼の仮面をかぶった正体不明の少女オオカミさまと6人の同じ年頃の子供たちがいた。オオカミさまは城に隠された鍵を見つければどんな願いでも1つ叶えてやると告げるのだが…。
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(レビュー) いじめ問題を題材に、少年少女の葛藤と成長をファンタジックに描いた良作である。
学校に限らず、どこにでもいじめは存在するものだが、問題はそうなった場合、どうやって周囲の人間が救いの手を差し伸べてやることができるか…というのが一番重要ではないかと思う。いじめられた本人の気持ちに寄り添いながら、君は一人じゃない、自分は味方だよと伝えることが如何に大切なことか。それを本作は説いているような気がした。
この手の作品は、得てしていじめていた方の改心を描いて、いじめの不毛さを説くような傾向にあるが、本作はそうした安易な解決も描いていない。こころをいじめていた生徒や、いじめを放任していた担任教師が反省するシーンは出てこない。確かに彼らは一時は反省するかもしれないが、また他の誰かをいじめるだろうし、いじめを見て見ぬふりをするだろう。つまり、この世からいじめは決して無くならないというシビアな現実を真摯に提示しているのだ。厳しいかもしれないが、それをきちんと正直に描いている所に自分は好感を持った。
監督は原恵一。くしくも氏が監督した
「カラフル」(2010日)と同じく、中学生のいじめがテーマになっている。
ただ、物語は多様な問題が含まれていた「カラフル」よりもストレートでよくまとまっている。また、「カラフル」にも天使のキャラクターや輪廻転生といったファンタジックな要素はあったが、ビジュアルを含めた造形面のシリアスさが作品の敷居を少し高く見せていたのに対し、今回は幾分ライトに設定されており広く受け入れやすくなっているような気がする。
また、本作はミステリーとしても中々上手く作られていると思った。
鏡の中のお城の設定、オオカミさまの正体、こころ以外の6人の少年少女たちの秘密。それらが、さりげないミスリードと、したたかな伏線と回収によって見事に解き明かされていく。そこに胸がすくようなカタルシスを覚えた。
欲を言えば、作画がもう少しクオリティが高ければ…と思わなくもない。アニメーションを制作したA-1 Picturesは
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」(2013日)や
「心が叫びたがってるんだ。」(2015日)、「ソードアート・オンライン」シリーズなどを手掛けているスタジオである。昨今のアニメ界ではトップクラスのクオリティを誇る会社であるが、今回は今一つ淡泊で低カロリーな作りに見えてしまった。特に、見せ場となるクライマックスのアクションシーンや鏡の中に入るシーンはもう少し力を入れて表現して欲しかったような気がする。
また、観終わっても腑に落ちなかった点がある。オオカミさまは、何のためにこころたちを鏡の世界に引き入れたのだろうか?本作には原作(未読)があるが、そちらを読めば分かるのだろうか。
「パラレル・マザーズ」(2021スペイン仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 写真家のジャニスは考古学者のアルトゥロと出会い、スペイン内戦で亡くなった親族の遺骨発掘を相談する。これをきっかけに2人は深い仲となり、やがてジャニスは妊娠する。出産を控え入院した病院でジャニスは17歳の妊婦アナと仲良くなる。そして、2人はり同じ日に女の子を出産した。その後、ジャニスはアルトゥロから赤ん坊の肌が浅黒いことを指摘され、自分の子ではないのではないかという不安に駆られる。
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(レビュー) 赤ん坊を取り違えた二人のシングルマザーの数奇な運命をスペイン内乱の歴史を交えて描いた作品。
監督、脚本はペドロ・アルモドヴァル。かつてのキッチュな露悪趣味を封印し、今や完全にベテランの貫禄で堅牢な手腕を発揮している作家だけに今回も安定した力量を見せている。
まず何と言っても、服飾や小物、内装を含め、スタイリッシュにコントロールされた色彩感性は相変わらず素晴らしい。
また、部屋のドアを介した時制の切り替えにも唸らされた。こうした意表を突いたテクニカルな演出は氏の作品では珍しいのではないだろうか。新鮮に思えた。
一方、物語も二人のシングルマザー、ジャニスとアナの関係を軸にスリリングに展開されており、最後まで面白く観ることが出来た。すでに予告編でネタバレされているが、赤ん坊の取り違えを物語のフックにしながら、ジャニスとアナの運命がドラマチックに筆致されている。
ちなみに、赤ん坊の取り違えと言えば、是枝裕和監督の
「そして父になる」(2013日)や、イスラエルを舞台にした
「もうひとりの息子」(2012仏)といった作品が思い出される。現実的にはありえなさそうな話であるが、映画としてみれば非常に面白い”仕掛け”のように思う。この手の問題は夫々の家族がどのように解決していくか…という所が見所なわけだが、今回も正にそこがクライマックスとなっている。
ただ、本作は終盤にかけて物語が若干予想外の方向へと進んでいき、これには正直少し戸惑いを覚えた。
運命に翻弄された女性の悲劇を、過去の<死>と現在の<生>を対比させることによって表現したかったのかもしれない。その作劇的な狙いは理解できるのだが、そうであればこの結末に持って行くための”お膳立て”は周到に積み上げるべきだったのではないだろうか。やや取って付けたように思えてならない。
尚、今回のドラマはスペイン内戦の歴史を知らないとピンと来ない人も多いかもしれない。できれば、そのあたりの歴史的背景を頭に入れてから観た方が理解しやすいだろう。
キャストでは、ジャニスを演じたペネロペ・クルスの好演が素晴らしかった。特に、終盤の憔悴の表情に見応えを感じた。
また、アナ役の女優も独特の中性的なルックスが上手くハマっていたように思う。
「チキン・オブ・ザ・デッド/悪魔の毒々バリューセット」(2008米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) ニュージャージーのトロマヴィル郊外。先住民の墓地跡に、フライドチキンの人気チェーン店がオープンする。恋人に振られたばかりのボンクラ青年アービーはそこで働き始める。ところが、先住民の呪いによってチキンを食べた客たちが次々とモンスターと化し人々を襲い始め、店は大パニックに陥ってしまう。
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(レビュー) B級映画専門のトロマ・エンターテインメント製作によるエログロナンセンスなホラー・コメディ。
汚らしさで言えば当代随一と言えよう。かのピーター・ジャクソンの出世作
「ブレインデッド」(1992ニュージーランド)を凌駕するお下劣&残酷なスプラッター描写は、この手の映画のファンには一見の価値があり。
例えば、元大食いチャンピオンが大量の液体をひりだすトイレのシーンは、筆舌に尽くしがたい汚らしさで愕然としてしまった。自主規制のテロップで画面にモザイクがかかるが、さもありなん。
更に、店員がミンチになったり、生肉チキンに局部を食いちぎられたり、顔面の皮を剥がされたり等、人体破壊描写は容赦がなく、それはもう酷い有様である。
物語はこの手の作品によくある単純明快なサバイバル物で、取り立てて新味はない。一応アービーと元恋人ウェンディのロマンスというドラマは用意されているが、肝心のギャグが今一つツボに入りきらず、正直前半は退屈してしまった。どうにかエロティックなシーンを強引に入れ込むことで場を持たせているという感じで、余り感心しない作りである。
面白く観れるようになるのは、チキン・モンスターが大量発生して店内がパニックに陥る中盤からで、ここからスラップスティックでブラックな笑いが炸裂し始める。この露悪趣味は、この手の作品では頭一つ抜きん出てる感じがする。
また、本作は基本的にはコメディ・ホラーであるが、時々ミュージカル映画にもなる。主に前半がそうした作りになっているが、残念ながらこちらは曲も演出にも余り惹かれるものがなかった。
ラストは、意外な結末で締めくくられ、これぞトロマ魂としか言いようがない。何と酷いオチだろう…。というかこのラストはジェームズ・ガンの長編デビュー作「トロメオ&ジュリエット」(1996米)のシーンの流用ではないだろうか?こういうのを臆面もなくやってしまうのもトロマらしいと言えばトロマらしい。
「悪魔の毒々モンスター東京へ行く」(1988米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 平和が戻ったトロマヴィルの町で毒々モンスターは恋人と幸せに暮らしていた。そこに土地の強奪を目論むアポカリプス化学社の刺客が現れる。モンスターはこれを難なく返り討ちにするが、アポカリプス社は次なる策略を張り巡らしモンスターを東京へとおびき寄せよるのだった。
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(レビュー) カルト的人気作
「悪魔の毒々モンスター」(1984米)の続編。
今回はアメリカを抜け出してモンスターが日本で大暴れ…という内容である。日本に来る理由が、どうにも取ってつけたようで苦しいが、そこはそれ。自分にとっても馴染みのある日本が舞台ということで中々楽しめた。
忍者や赤鬼&青鬼、歌舞伎役者の殺し屋、セーラー服を着た髭のオジサン、ちょんまげをしたサラリーマン等。明らかにおかしな日本の風景がたくさん出てきて、バカ映画然とした作りが楽しい。
但し、日本を舞台にした中盤は楽しめるのだが、アメリカを舞台にした序盤は前作に比べるとテンポが悪く、正直退屈してしまった。
ロケ地は浅草、銀座、築地、竹下通り、東京タワー、原宿といった、いわゆる観光ガイドに載っていそうな場所ばかりで、中には銭湯やパチンコ屋といった日本特有の光景も出てきてクスリとさせられる。低予算な作品なので、きっと撮影許可は撮っていないと思われる。明らかにゲリラ撮影にしか見えない。おそらく急いで撮って、急いで撤収。そんな感じだったのではないだろうか?
その証拠に、路面が雨で濡れていた次のカットでは濡れてなかったというのはザラであり、短い撮影期間での”やっつけ”感が凄まじい。
終盤は再びアメリカに戻ってアポカリプス社との戦いになる。前作もそうだったが、ここでのカーチェイスシーンは中々頑張っていると思った。
キャストでは、関根勤が随所に出てきて活躍するほか、安岡力也が持ち前の強面でヤクザ役を妙演している。更に「デビルマン」等の生みの親・永井豪が佃煮屋のおやじとして登場してくるというサプライズ。キャスティング的にも中々楽しめた。
「悪魔の毒々モンスター」(1984米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) トレーニングジムで働くいじめられっ子のメルヴィンは、不良グループに騙されて有毒廃棄物が入ったドラム缶に飛び込んでしまう。化学反応によって体はみるみるうちに変異し醜悪な”毒々モンスター”へと変身を遂げてしまう。
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(レビュー) B級映画専門の製作会社トロマ・エンターテインメントを一躍世に広めたホラーコメディ。本作は一部でカルト的な人気を博し、その後シリーズ化もされた。
くだらない、チープと一蹴することもできるが、余りのバカバカしさにある種の愛着も覚えてしまう迷作である。
ストーリーは非常にストレートながら、コメディ要素を多分に盛り込んだ内容は悪くない。ひ弱なメルヴィンがモンスター化することで、それまで自分をバカにしてきた連中をバッタバッタと殺していく様には妙なカタルシスも覚えた。
更に、盲目の女性サラと育まれるロマンスも微笑ましく観れて◎。誰もが気味悪がる中、目の見えない彼女だけは毒々モンスターの醜悪な容姿に関係なく愛してくれる。中々ハートウォーミングに出来ていて良い。
毒々モンスターのコミカルなキャラクター造形も秀逸で、困っている子供や老人の味方という、案外ヒロイックな姿勢に親近感を覚えてしまう。その代わり、悪人にはめっぽう厳しく、その殺し方も非常に残忍で、このギャップも魅力的と言える。
演出は非常に軽妙でユーモアに満ちている。
但し、容赦のないゴアシーンは好みの分かれるところかもしれない。ヴィヴィットな分、気色悪さよりも痛快さが勝っており、逆にこのあたりは好事家には賛否あるかもしれない。
また、この手のB級映画にはお約束のお色気シーンも抜かりはなく、何だかんだと言って手堅く作られている。確かに無駄に長いと思えるシーンもあるが、そこはそれ。サービスシーンということで明らかに狙ってやっているのだろう。
一方、本作にはアクションシーンもある。例えば、中盤のカーチェイスシーンは、B級映画とは思えぬ中々の迫力で痛快であった。また、終盤には戦車まで出撃するという大盤振る舞いで、観ているこちらのテンションも自然と上がってしまった。
確かに、背景のモブの無駄におどけた演技など、内輪ウケ、悪ノリとも思える個所もあるにはあるが、楽しんで作っているということがよく伝わってくる。そこに何となく製作サイドの映画愛も感じられた。
「ルクス・エテルナ 永遠の光」(2019仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 女優ベアトリス・ダルの監督デビュー作の撮影が始まる。魔女狩りが主題の映画で主演を務めるのはシャルロット・ゲンズブール。この日は磔のシーンが撮影される予定だったが現場は混乱続きで中々思うようにはいかなかった。
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(レビュー) 「CLIMAX クライマックス」(2018仏ベルギー)、
「エンター・ザ・ボイド」(2009仏)の鬼才ギャスパー・ノエ監督が描くシュールでカオスな中編作品。世界的ブランド”イヴ・サンローラン”とのコラボ作品で、劇場公開もされた。
尚、ウォン・カーウァイともコラボしており、そちらはyoutubeで見れる。「NIGHT IN SHANGHAI」という作品で、カーウァイ自身が監督しているわけではないが、キュレートという形で関わっているので、興味のある方は検索してみるといいだろう。
さて、今回もかなり強烈な映像作品になっている。
序盤から二分割画面で進行するという実験色の強い作り。ベアトリス・ダルとシャルロット・ゲンズブールの動と静のキャラクターを対比させる構図になっているが、画面分割に特に法則性はなく、時に撮影現場を記録するスタッフのカメラだったり、プロデューサーや撮影監督、雑誌記者、スタイリスト等の表情を捉える映像だったりする。縦横無尽に切り替わる画面が、トラブル続きで混乱する撮影現場をシニカルに表現している。
ただ、魔女狩りをテーマにした撮影現場であるが、特にそれについての映画と言うわけでもない。そのためドラマ性もあまり見いだせないのだが、強いて挙げれば映画を撮ることの苦労が偲ばれるということは良く分かる。
ドストエフスキーやドライヤー、ファスビンダーの言葉が時折クレジットされるが、それらとの相関も理解しきれず。ただ、実験映画という括りで捉えれば、確かに面白い試みではある。
映画のクライマックスは光が延々と点滅するというノエらしい挑発的でエキセントリックな演出が続く。画面を観続けていると目がおかしくなりそうであるが、以前からこうしたトリップ疑似体験はノエ作品における大きな特徴でもあった。そういう意味では、いかにもノエにしか作れない作品になっている。
「クー!キン・ザ・ザ」(2013ロシア)
ジャンルアニメ・ジャンルSF・ジャンルコメディ
(あらすじ) 世界的に著名なチェリストのウラジーミルとDJ志望の青年トリクは、モスクワの街角で異星人と遭遇する。トリクが異星人の持っていた空間移動装置を迂闊にいじってしまい、2人はキン・ザ・ザ星雲の惑星プリュクにワープしてしまう。そこには「クー!」と奇妙な挨拶をする異星人が住んでいた。2人は、そんなプリュク星人に翻弄されながら地球に戻るべく旅を始めるのだが…。
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(レビュー) 1986年に製作されたSF映画
「不思議惑星キン・ザ・ザ」(1986ソ連)の監督ゲオルギー・ダネリアが自らリメイクしたアニメ作品。
オリジナル版は独特なオフビートなタッチとシュールな世界観が唯一無二の魅力を醸し出しており、カルト的な人気を誇っている作品である。また、当時の社会事情などを併せ考えると冷戦時代の風刺として捉えることも可能で、ジャンル映画という枠組みを超えた奥深さを持った作品としていまだに語り継がれている。
それを改めてリメイクしたというからには、おそらくダネリア監督の中に何か狙いがあるのだろうと思った。ただ、一部設定が変更になっていることを除けば、物語自体はオリジナル版をほぼ踏襲しており、時代の変化とともに何か別のメッセージが発せられているわけではない。どうせリメイクするのであれば、今の時代ならではの新解釈を見せて欲しい気もしたが、最初からそういうつもりはなかったのだろう。
ただ、オリジナル版が持つ普遍的なメッセージは現代でも十分に通用する力強さを持っている。プリュク星の貧富の格差は現代の格差社会を照らし合わせて見ることもできるし、砂漠と化した惑星に地球温暖化の問題を見ることもできよう。
また、アニメーションとして表現されたSFガジェットの数々は、イマジネーション豊かに再現されており、オリジナル版よりも先鋭化されている。プリュク星の住人も大変奇抜な造形にリニューアルされており、このあたりはアニメならではの表現力と感じた。
オリジナル版は大分前に観たので、ストーリー自体は所々忘れていたのだが、今作を観ることで色々なシーンがよみがえり懐かしい思いにもさせられた。
尚、ダネリア監督にとってはこれが遺作となってしまった。実は、本国では大変人気の高い映画監督であるが、残念ながら日本では「不思議惑星キン・ザ・ザ」の他に数本しか紹介されていない。いつの日か日本でも再評価される日が来て欲しいものである。
「ムタフカズ」(2017日仏)
ジャンルアニメ・ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) ボロアパートに暮らす若者リノはガイコツ頭の同居人ヴィンスと臆病な友だちのウィリーと無為な日々を送っていた。ある日、道ですれ違った美少女ルナに一目惚れしたリノは、その直後に交通事故に遭ってしまう。それ以来、リノは他人に奇怪な影を見るようになってしまう。
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(レビュー) スラム街に住む冴えない青年が巨大な陰謀に戦いを挑んでいく日仏合作のバイオレンスSFアニメ。
アニメーション制作を「マインド・ゲーム」(2004日)や「鉄コン筋クリート」(2006日)等で知られるスタジオ4℃が手掛けているとあって、エッジの利いた映像が横溢し大変面白く観ることが出来た。
独特なタッチのキャラクターは好みが分かれる所かもしれないが、スピード感あふれるアクション・シーンはカタルシス満点でアーティスティックな感性もそこかしこに見られ、目で見て楽しむというアニメーション本来の魅力が味わえた。
特に、中盤のカーチェイスは、音楽と映像が一体となった痛快無比なシーンに仕上がっており興奮させられた。リノが運転するアイスキャンディーの車から流れる音楽をアクションシーンの中に取り入れたアイディアとセンスが抜群である。
また、リノたちが暮らす”DMC”は一昔前の荒れたロサンゼルスよろしく、銃を携帯したギャングが横行する腐敗した街である。犯罪の匂いが漂う雑多な感じが中々面白い。しかも、そこに住む住人はヒスパニック系、アジア系、アフリカ系といった有色人種が多く、SFファンタジーでありながら、どこか現実世界を意識したユニークな世界観になっている。
もっともリノは真っ黒な姿だし、ヴィンスはガイコツで、ウィリーは犬に似た容姿ということで、主要キャラ3人についてはファンタジックな造形になっている。
一方、物語はリノが背負う宿命を巡る壮大な陰謀のドラマとなっている。しかし、この陰謀自体が尻切れトンボというのはいただけなかった。リノとルナのロマンスも中途半端なまま放出されたままで完全に消化しきれていないのも残念だった。
本作には原作(未読)のバンド・デシネがあるようだが、もしかしたら今回は途中までの映画化だったのかもしれない。
尚、本作の監督は、日本人の西見祥示郎と原作者のギョーム・”RUN”・ルナールという人である。西見氏はスタジオ4℃の作品に携わっているほか、「下妻物語」(2004日)のアニメーションパートも手がているベテランアニメーターである。
ギョーム氏は原作のほかに本作の元となったフラッシュアニメを自主製作しており、中々多才な人物である。映画の序盤でボロアパートを舞台にしたアクションシーンが登場するが、それをパイロット版のような形で作成している。youtubeなどで見れるので興味のある方はmutafukazで検索してみるといいだろう。
「神風」(1986仏)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) 長年勤めていた会社を、ある日突然解雇されてしまった中年科学者アルベール。家に閉じこもり鬱屈した感情を抱えながら彼はテレビの出演者に対して激しい怒りを示すようになる。そして、テレビの受信アンテナを改造して機関銃のような機械を開発し、次々とテレビに映ったニュースキャスターを殺害していくのだった。
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(レビュー) 何とも突拍子のない設定に最初は戸惑いを覚えたが、不況に喘ぐ社会やインターネットが普及する情報化社会を先読みしたかのような内容に不思議な魅力を覚える作品である。
製作がL・ベッソンということでハリウッド作品張りにしっかりエンタメに振り切った所が潔い。監督は、彼の「最後の戦い」(1983仏)や「サブウェイ」(1984仏)で助監督を務めた人物ということである。ベッソンほどの切れはないものの、過激な行動をエスカレートさせていく中年男の暴走を時にブラックに、時にシニカルに描いた所に中々の才気が感じられる。また、決してハッピーエンドとは言い難いオチもフランス映画らしいエスプリが効いていて印象的だった。
L・ベッソンと言えば、今や自身のプロダクションを率いて多数の作品をプロデュースしており、その先駆け的な作品という言い方ができるかもしれない。氏のプロデューサーとしての才能が、すでにこの頃からあったということがよく分かる。
個人的には、前半はやや退屈してしまったが、中盤で刑事がアルベールに罠にかけるあたりから一気に面白く観ることができた。刑事とアルベールがブラウン管を通じて対峙するシーンは、さながら「デスノート」を想起させるシチュエーションである。
ラストの手前で交わされるアルベールと刑事のやり取りも味わい深い。アルベールが犯した罪は許されるべきものではないが、彼にもこうなる様々な事情があったということが分かり、何だか憐れに見えてしまった。
ちなみに、映画を観終わっても、タイトルの「神風」には今一つピンとこなかった。アルベールが日の丸の鉢巻をして顔を白塗りにして夜の街に出るのだが、彼が新日家であるならこのタイトルも納得だが、別にそういうわけでもなさそうである。どうして「神風」などというタイトルになったのか不思議でならない。
キャストでは、アルベールを追い詰める刑事役でフランスの名優リシャール・ボーランジェが出演している。事件捜査の絡みで少しばかりロマンス要素が芽生えるが、これは今一つ中途半端で残念である。しかし、ストイックに犯人を追い詰める姿勢は悪くはなく、中々渋い演技を見せてくれる。
音楽はベッソン作品の常連エリック・セラが担当している。軽快な音楽が如何にも80年代的テイストで良い。