「戦場のおくりびと」(2017米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) マイケル中佐は現場から退き今はデスクワークに勤務していた。ある日、イラク戦争の戦死者リストの中に同郷の見ず知らずの兵士チャンス上等兵の名前を見つける。運命的な物を感じた彼は、遺体をワイオミングの家族の元に送り届ける任務に志願するのだが…。
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(レビュー) 戦死者の棺を故郷へ送り届ける海軍兵士の旅をペーソスを交えて描いたロードムービー。実話の映画化ということである。
アメリカ映画の中で戦死者を弔うシーンは何度も観てきたが、こうした切り口で描いた作品は中々なかったように思う。戦場を描かずして戦争を描くというやり方にこういう方法もあったのか…という新鮮味が感じられた。
また、淡々とした作風が貫かれており、声高らかにメッセージを訴えていないところにも好感が持てた。
さて、アメリカ人の戦死者に対する敬意が相当強いということは知っていたつもりだが、本作を観るとそれが具体的に分かる。
例えば、棺を乗せた車とすれ違う対向車は皆ヘッドライトを付けて哀悼の意を捧げていた。また、棺を乗せた旅客機の機長は、乗客より先に棺を下ろすことで戦死者に対する敬意を表していた。日常の暮らしの中で、ここまで戦争という物が身近に感じられる瞬間は、おそらく日本では中々無いことだろう。いかにもアメリカらしい光景という感じがした。
ただ、犠牲となるのは何もアメリカの兵士ばかりではない。当然、敵国の兵士も同じように戦場で命を落としているわけで、そのことは決して忘れてはならない事のように思う。
したがって、誠意をもって製作された作品であることは間違いないと思うが、一方的に自国の賛辞のみに終始したこの作りにはどこか居心地の悪さも覚えた。
また、本作はHBOで製作されたテレビムービーで、80分弱という小品である。コンパクトな作品故に、ドラマは随分とアッサリとしたものである。
例えば、マイケルが棺を運びながら様々な人と出会うというプロットは、それ自体悪くはないのだが、一つ一つのエピソードが散文的で、何となくあらすじを見せられているような感じで食い足りない。棺を空港まで運ぶドライバー、飛行機で席が隣になる今時の女子、棺の中の兵士の兄弟といったサブキャラは、夫々にじっくりと描けば見応えのあるものとなっただろうが、アッサリとしか描かれていない。
マイケルを演じたケビン・ベーコンの抑制を利かせた演技が渋くて良かっただけに、もう少しじっくりと腰を据えて描けば更に感動的な作品になっただろうと惜しまれる。
「パレードへようこそ」(2014英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1984年、不況に揺れるサッチャー政権下のイギリス。各地で炭坑の閉鎖が決まり、それに抗議するため炭鉱夫はストライキを始めた。ロンドンに暮らすゲイのマークは、そのニュースを見て彼らを支援しようと、仲間たちとゲイのパレードで募金活動を行う。そして、“LGSM(炭坑夫支援レズビアン&ゲイ会)”を立ち上げ、全国炭坑労働組合の活動を支援していく。
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(レビュー) ゲイの炭鉱労働組合支援団体”LGSM”の創設とその活動をユーモアを交えて描いた実話ベースの作品。
当時のイギリスの不況を描いており、一連のケン・ローチの作品や
「THIS IS ENGLAND」(2006英)といった作品が思い出された。これらの作品には、働き口がなく日々、漫然と過ごす人々の鬱積した苛立ちが克明に記されていた。ただ、同じ時代に照射したドラマでも、こちらはハートフルな味付けが施されており大分取っつきやすい作品になっている。誰が観ても楽しめる作品になっているのではないだろうか。
また、当時は同性愛者に対する世間の目も相当厳しく、マーク達が肩身の狭いを思いをしていたことも確かだろう。ただ、これも割とあっさりと炭鉱夫たちに受け入れられる。そこにどうしてもご都合主義を感じてしまうが、そこはそれ。エンタテインメントとして割り切ればストレスなく観れるので、多くの人に共感できるのではないだろうか。
リーダーシップを執る熱血漢マークを筆頭に、LGSMのメンバーも個性的に造形されており、彼らのやり取りが物語を飽きなく見せている。ダンスが特異な舞台俳優のジョナサン、ゲイであることを家族に隠しているジョー、レズビアンのステフ等。バラバラな彼らが世間の偏見に晒されながら一体となって結束する所には爽快感が感じられた。
一方の炭鉱労働組合にも個性あふれるキャラクターが揃っている。
中でも、印象に残ったのはビル・ナイ演じる労働組合の書記係クリフだった。大人しい性格の彼は後半、ある大役を任されるのだが、そのプレッシャーに耐えられなくなってしまう。そして、同僚に”ある秘密”を告白をするのだが、このシーンはペーソスに溢れていて良かった。
ただ、これだけ様々な人間ドラマを盛り込んだ結果、映画としては若干まとまりに欠く内容となってしまった感は否めない。内容の詰め込み過ぎで、展開が性急に映る場面も幾つかあった。こういうのはテレビシリーズでじっくりと描いたほうが良いのかもしれない。
「サイの季節」(2012イラントルコ)
ジャンルロマンス・ジャンル社会派
(あらすじ) イランの詩人サヘルは愛する妻ミナと幸せな日々を送っていた。運転手のアクバルは密かにミナに想いを寄せていた。やがてイラン革命が起き、アクバルは新政府の実力者となる。彼はサヘルを投獄しミナを力づくで我が物にするのだが…。
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(レビュー) 動乱に翻弄された夫婦と運転手の愛憎を幻想的な映像を交えて綴ったドラマ。
実在するクルド系イラン人の詩人サデッグ・キャマンガールの体験にもとづいて描かれた物語ということである。自分はこの詩人のことを全く知らなかったのだが、ネットでは中々情報が見つからず、どこまで著名な詩人なのか分からなかった。もしかしたらイランではかなり有名な人物なのかもしれない。
物語は1979年に起こったイラン革命を舞台に展開される。この革命はホメイニーを指導者とするイスラム教勢力が、当時の親欧米専制から政権を奪取した動乱である。これによって当時の社会状況は大きく変わり、中には本作のサヘルのように逮捕拘留者が続出したそうである。そんな歴史的背景を知っていると、本作はより深く理解できると思う。
監督、脚本は「酔っぱらった馬の時間」(2000イラン仏)、
「亀も空を飛ぶ」(2004イラク)のバフマン・ゴバディ。彼自身イランから亡命しながら映像製作をしている作家であり、本作のサヘルに自身を投影しているのかもしれない。
ごくありふれた三角関係を描いたメロドラマは、それ自体、取り立てて新味はないが、現代と過去を交錯させた構成が、ある種の不思議な浮遊感をもたらし味わい深くしている。いかにもゴバディ監督らしい幻想タッチと映像美も、作品に独特の魅力を寄与している。
例えば、中盤で亀が空から降って来るシーンがあるが、これなどはシュールでインパクトがあった。あるいは、サイが突如として現れたり、水中のラブシーン等、非日常的な光景が、通俗的な物語に良い意味でアクセントをつけている。
また、過去編は銀残しのような渋いトーンで撮られており、これも時代の差異を明確化するという点においては上手いやり方だと思った。
キャスト陣では、ミナを演じたモニカ・ベルッチが年を重ねて尚、変わらぬ美貌で画面に圧倒的存在を見せつけている。今回は権力によって理不尽な目に合わされる悲劇のヒロインということで、終始悲哀を滲ませた演技を貫き通しており、芯の強い女性像を熱演している。特に、黒い布袋を被らされてアクバルに犯されるシーンは、体を張った熱演で見応えを感じた。
「別れる決心」(2022韓国)
ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) 殺人課のエリート刑事ヘジュンは、男が山で転落死した事件を捜査する。ヘジュンは夫の死を平然と受け止める妻ソレへの疑いを強めていくのだが…。
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(レビュー) 殺人課のエリート刑事と被疑者の女が、事件捜査の中で徐々に惹かれあっていく様をミステリアスに綴ったサスペンスロマンス。
事件そのものはいたってシンプルなのだが、本作の肝はヘジュン刑事と容疑者ソレのスリリングな心理合戦にあるように思う。
いわゆるフィルム・ノワールではよくある構図であるが、本作はその過程をじっくりと描いて見せている。この微妙な距離感に見応えが感じられた。
また、ソレは両親を早くに亡くして中国から韓国に渡った女性であり、介護士の仕事をしながらDVの夫に苦しめられているという過去を持っている。これだけの不幸を積み上げられると、どこか同情心も芽生え、単に悪女というカテゴリに収まりきらない魅力を持っている。彼女の存在がこのドラマを支えているような気がした。
製作、監督、脚本はパク・チャヌク。稀代のストーリーテラーらしく、今回も物語は二転三転する内容で最後まで面白く観れた。冒頭の山岳転落事件は中盤で一応の解決を迎えるのだが、ここから更に物語は意外な方向へと向かい、チャヌクらしい捻りの利かせ方でグイグイと引っ張って行ってる。その中でヘジュンとソレの密かな恋慕が切なく静かに盛り上げられていて、観てて胸が苦しくなるほどだった。
また、追う者と追われる者、見る者と見られる者、ヘジュンとソレの立場を巧みに交錯させながらスリリングなメロドラマに仕立てており、このあたりの手捌きも実に堂に入っている。
例えば、”愛”を”崩壊”という言葉で裏読みさせたり、中国語と韓国語のズレの中に二人の心情の揺れを表現してみたり、指輪や靴、スマホ、食べ物、ハンドクリームといったアイテムを用いて互いの心情を繊細に紡ぎ出し、ヘジュンとソレの愛憎をクールに描出している。そのアイディアと手腕には唸らされるばかりである。
また、チャヌク作品と言えば、初期の復讐三部作や
「お嬢さん」(2016韓国)のような、ある種露悪的とも言える見世物演出が特徴であるが、今回はそうした大見えを切るようなシーンは余りない。どちらかと言うと、全体をしっとりとしたトーンで包み込んでおり、作家的にも熟成されてきた感じを受けた。
もう一つ、不意を突くようにユーモラスな演出を入れてくるのもチャヌク作品の特徴かと思う。本作で言えば、スッポン強盗にまつわるシーンがそうである。このエピソードはヘジュンと妻の関係を鑑みると余計に笑える。何かにつけてセックスレスによる夫婦の危機を口にするヘジュンの妻は造形面にこそ甘さを覚えるが、要所でユーモアを演出しており、こうした硬軟織り交ぜたチャヌクの手腕は実にしたたかにして見事である。
ヘジュンの相棒となる刑事が前半と後半で2名登場してくるが、これもシリアスなトーンの中にホッと一息付けるユーモアを演出していて人物配置も冴えている。
このように昨今のパク・チャヌク作品の中では、演出、脚本共にかなり出来が良く、改めて氏の手腕に脱帽してしまった次第である。
「HUNGER/ハンガー」(2008英アイルランド)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1981年、北アイルランドのメイズ刑務所Hブロックには、サッチャー首相により政治犯の権利を剥奪されたIRAの囚人たちが収容されていた。彼らは自らの人権を求めて様々な抵抗を試みたが、看守たちにより制圧されていた。そんな中、IRAメンバーのボビー・サンズはハンガー・ストライキの決行を決意する。
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(レビュー) IRAの囚人たちの決死の抵抗を重厚なタッチで描いた実話の映画化。
まず、物語の背景として、当時の北アイルランドの社会状況を、ある程度把握してから観た方が良いと思う。ボビーたちが住んでいる地域は、カトリックとプロテスタントが複雑に入り組んだ場所で、IRAはカトリック系でアイルランド統合を目指して活動した武装組織である。そのあたりのことは
「ベルファスト」(2021英)や
「ベルファスト71」(2014英)を観るとよく分かる。こうした前知識がないと、どうしてボビーたちが囚人として捕まっているのか、何のために戦っているのかということが良く分からないだろう。
映画は複数の視点で描かれる。囚人たちを束ねてストライキを決行する主人公ボビー・サンズの視点を中心に、看守に暴行される他の囚人。自分たちの糞尿を壁に塗りたくる囚人。彼らを暴行する看守長。凄惨な光景に怯える若い機動隊員等。どこまでも客観性に拠った視点が、この映画をドキュメンタリーのように見せている。
監督、共同脚本は
「それでも夜は明ける」(2013米)のスティーブ・マックィーン。本作は彼の長編監督デビュー作である。
「それでも夜は明ける」も奴隷制度に毅然と立ち向かった男の物語だったが、本作もそれに負けず劣らず熱度の高い”反抗”のドラマになっている。
ボビーたちは囚人服の着用を拒否し、房内にシャワーの設置を要求する。また、囚人同士の会話を認めるよう抗議していく。そんな彼らを、看守たちは暴力によって押さえつけていく。
一連の暴行シーンは筆舌に尽くしがたいほど酷いもので、囚人たちは無造作に髪を切られ、警棒で叩かれ、水風呂に沈められ、ホースからの水で体を洗い流される。一応面会は許されているが、刑務所外のIRAメンバーと情報交換を怪しまれればたちまち体中の穴という穴を隅々まで検査される。
こうした目を覆いたくなるような非人道的なシーンの数々を、マックィーン監督は冷徹なタッチで描いている。
また、「それでも夜は明ける」でも印象的に使われていた長回しが、すでにこのデビュー作でも効果的に用いられている。それは後半のボビーと神父の面会シーンだ。本作は基本的にセリフを排した作りになっているが、唯一このシーンだけは長い会話劇になっている。ボビーは神父の引き留めを聞かず、神に対する不審とハンストの決行を決意するに至る。実に緊迫感が持続する会話劇となっていて見応えを感じた。
キャストでは、ボビーを演じたマイケル・ファスベンダーの体を張った熱演に圧倒された。骨と皮だけの身体になるまでの危険な減量を敢行し、その鬼気迫る形相には俳優としての意地が感じられた。
「モリーズ・ゲーム」(2017米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 女子モーグルのトップ選手として活躍していたモリー・ブルームは、五輪目前の大事な国内予選で転倒して重傷を負い夢を諦める。その後、法律の道を進もうと勉学に勤しむが、ひょんなことからハリウッド・セレブやビジネス界の大物たちが集う非合法のポーカー・ゲームでアシスタントをすることになった。そこで違法賭博のイロハを学んだモリーは、自ら地下カジノの運営に乗り出すのだが…。
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(レビュー) トップ・アスリートから違法賭博を経営に乗り出した実在の女性モリー・ブルームの伝記映画。
これが実話とは俄かには信じがたい。それくらいドラマチックな物語である。
事故さえなければモリーはオリンピックに出場していたかもしれない。しかし、不運な事故で選手生命を絶たれた彼女は、軽いノリで地下カジノのアシスタントを務めたことで、違法賭博の世界にドップリと浸かってしまう。
アスリート時代は全て父親の言いなりで、一人では何もできなかった彼女が、賭場場で知り合った人脈を駆使しながら自らの力で会社を立ち上げ魑魅魍魎が集う闇社会でのし上がっていくのだから、人生とは分からないものである。とはいえ、元々法律家を目指していたくらいであるから頭は切れるのだろう。弁護士を味方につけてハリウッセレブをカモにして賭博場を大きくしていく、その手腕は実にしたたかである。
賭博場に集まる客もそれぞれに人生があって面白く観れた。わざとゲームに負けて商売の取引をする経営者、自称投資家の詐欺師、借金まみれで破滅する男等々。彼らの人生が垣間見えてくる所が、本作のもう一つの面白さである。
後半に入ってくると、マフィアとの関係やFBIの捜査が入り、事業は窮地に追い込まれていくようになる。このあたりも予想の範囲内ではあるが、面白く観れた。出る杭は打たれるというのは世の常である。
監督、脚本は
「ソーシャル・ネットワーク」(2010米)や
「マネーボール」(2011米)の脚本家アーロン・ソーキン。本作が彼の長編監督デビュー作である。
モリー自身を語り部にしながら、彼女の波乱に満ちた半生がテンポの良いシークエンスで表現されており、2時間20分という長丁場を飽きなく一気に見せ切った手腕は大したものである。
ただ、あれだけ軋轢のあった父親との和解が、ややアッサリにしか描かれておらず、そこは少し物足りなく感じた。また、クライマックスの法廷シーンも、実際はどうか分からないが、かなり都合よくまとめたなという感じがしてリアリティという点では若干疑念を抱きたくなってしまった。
良く言えば軽快で観やすい。悪く言えばアッサリとしている。ソーキンの初演出はそんな印象である。
「ヘンリー」(1986米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 連続殺人鬼ヘンリーは、その犯行を知られることなく、友人オーティスと共同生活を送っていた。ある日、オーティスの妹ベッキーがやってくる。ベッキーはヘンリーに興味を持ち、その部屋で一緒に住むことになるのだが…。
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(レビュー) 実在した連続殺人犯ヘンリー・リー・ルーカスの実像に迫ったクライム・ドラマ。
アメリカ最大の大量殺人犯として有名で、一説によると被害者は300人以上とまで言われている。但し、この数字は眉唾物で、当時の警察の取り調べがどこまで正当に行われていたのか疑わしい部分もあり、本当の所は分からないようだ。
映画はドキュメンタリータッチでヘンリーの日常を描いており、何とも言えない息苦しく陰鬱な雰囲気が漂っている。
冒頭からヘンリーに殺されたと思われる女性の死体が次々と映し出されていくという強烈さ。その後、カメラは平然とダイナーでコーヒーを飲むヘンリーの素顔を映し出す。部屋に戻ると相棒のオーティスがいて、無為な暮らしぶりが描かれる。そこにオーティスの妹ベッキーがやってきて、奇妙な共同生活が始まる…という流れで物語は淡々と進行していく。
劇中にはヘンリーが直接殺害に及ぶシーンは無い。しかし、ヘンリーの薄気味悪い表情や、ベッキーに告白する凄惨な過去の話などから、どことなく血生臭い男であるということが伝わってくる。このあたりの抑制された演出が秀逸で、安易な見世物映画に堕さない所が、ある種非常に映画的な作りとも言える。
監督、脚本はジョン・マクノートン。本作を自主製作で撮り、その手腕がM・スコセッシの目に留まり、ロバート・デ・ニーロ、ユマ・サーマン共演の「恋に落ちたら…」(1993米)の監督に抜擢された。その後も順調にハリウッドで活躍することになる。そんな名匠がこのようなアンダーグラウンドな作品から出発していたというのは驚きである。
ただ、実際に本作を観ると、スコセッシのおメガネにかなったという演出力には確かに唸らされる物がある。
例えば、ヘンリーとベッキーの初めての会話シーン。母親を殺したと告白するヘンリー。その言葉を興味深く聞き入るベッキー。両者のアップのカットバックで紡ぐ中、オーティスがやってきて会話が寸断される。カメラがアップから下方にパンすると、いつの間にかベッキーがヘンリーの手を握っていたことが分かる。二人が急激に惹かれあっていく瞬間をさりげなく見せるあたりは見事で、こうしたセンスの良い演出が随所にうかがえる。
あるいは、終盤の不意を突いた演出にも息を呑んだ。詳しくは書かないが、自分はまんまと騙されてしまった。
粒子の粗いざらついた映像も、全体のドキュメンタリータッチにマッチしていたと思う。低予算の自主製作作品ということなので、おそらく16ミリで撮影されたと思うが、それがノンフィクションの生々しさを上手く創り出している。
ヘンリーを演じるのはマイケル・ルーカー。今でこそ「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ等で大活躍を果たしているが、本作が彼の映画初主演作である。監督のジョン・マクノートン同様、インディペンデントから出てきた才能の一人で、息の長いキャリアを継続中である。
「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」(2016カナダアイルランド)
ジャンルロマンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 小さな田舎町で叔母と暮らしていたモードは、幼い頃からリウマチを患い手足が不自由なため、一族から厄介者扱いされていた。ある日、彼女は家政婦募集のビラを目にする。早速、募集先の家を訪ねると、理不尽で暴力的な男エベレットが現れ…。
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(レビュー) カナダに住む女性画家モード・ルイスの伝記映画。
自分は彼女のことを全く知らなかったが、カナダでは知らない人がいないほどの人気画家ということである。なんでも、かのリチャード・ニクソン大統領も彼女の絵を注文したということらしい。
彼女は貧しいながらも自分の好きな絵を描きながら、武骨で気難しい夫エベレットと幸福な人生を歩んだそうである。本作はその絆をしっとりとした味わいで描いている。優しさに溢れた作風は、誰が観ても楽しめる作品ではないだろうか。
キャスト陣の好演も素晴らしい。
モードを演じたサリー・ホーキンスは
「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017米)のイメージが強いが、その時の演技との共通性も垣間見れた。今回のような少し伏目がちで内向的な役をやらせると本当に上手くハマる女優だ。
一方で、エベレットを演じたイーサン・ホークも、口数が少ない粗野で昔気質な男という新境地を開き、演技の幅の広さを見せている。
物語は、序盤こそモードの不幸な境遇を紹介する展開が続くため観てて辛いものがあるが、エベレットとの共同生活が徐々にこなれてくるあたりからはユーモアも出てきて面白く観ることが出来た。
モードの絵が人気になって次々と注文が殺到してくると、エベレットの魚売りよりも儲かるようになり、それまでの家政婦と雇い主という主従関係が完全に逆転してしまうところが可笑しい。
例えば、モードが絵を描くのに夢中になると、エベレットは気を利かせて部屋の掃除を始める。ところが、絵の具が乾かないうちから埃を立てるなと締め出しを食らってしまうのだ。今までの傲慢さはどこへ行ったのか、まるで借りてきた猫のようにすごすごと追い出されてしまう姿にクスリとさせられた。
物語が後半に入ってくると、モードも驚く衝撃の事実が判明し、これもドラマを感動的に盛り上げていた。
本作で欲を言えば、肝心のモードの絵をもっと見せて欲しかったか…。彼女が絵を描く姿は頻繁に出てくるが、それがどんな絵だったのかは余り出てこない。
モードはキャンバスだけでなく、板切れや、家の壁、小物など、描けるものなら何にでも描いていた人で、作品数は相当数に上る。それらを映画の中でもっと見てみたかった気がする。
「真夜中のゆりかご」(2014デンマーク)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) アンドレアス刑事は妻アナと赤ん坊と幸せな日々を送っていた。ある日、通報を受けて駆け付けた先で、薬物依存のカップルに育児放棄された乳児を発見する。保護しようにも法律の壁に阻まれ、無力感に苛まれるアンドレアス。そんな中、アンドレアスは思いも寄らぬ悲劇に見舞われる。
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(レビュー) 幸福な夫婦が、ある悲劇によって、残酷な運命に飲み込まれていく様をシリアスに綴ったヒューマン・サスペンス。
アンドレアスが糞尿まみれで放置される赤ん坊を発見する冒頭のシーンからして、相当ショッキングだが、本作はそれだけで終わらない。ある悲劇に見舞われたアンドレアスは、取り返しのつかない行為に及んでしまうのだ。
真面目で良心の人だったアンドレアスが、ほとんどサイコパスのような行動に出るところに多少違和感を持ったが、しかし彼の止むにやまれぬ複雑な心中は理解できなくもない。しかして、彼は更なる不幸な事態に陥ってしまう。
ただ、自分は、当初から妻アナにもどこか様子がおかしい所があり、この結末にさほど驚きはしなかった。よくあるミスリードで、サスペンスとして見た場合、少し物足りなさも感じた。
監督は
「未来を生きる君たちへ」(2010デンマークスウェーデン)のスサンネ・ビア。「未来を生きる君たちへ」も非常に重厚な作品だったが、今作も作品のトーンは終始重苦しい。
特に、取調室でアンドレアスと薬物依存の母親との間で交わされる視線のクローズアップにはドキリとさせられた。まるでアンドレアスの秘密を見透かしたかのような鋭い眼光は、ホラー映画顔負けの恐怖で印象に残った。
脚本はスサンネ・ビアと長年コンビを組み続けているアナス・トマス・イェセン。先述の「未来を生きる君たちへ」も彼の原案脚本である。本作も「未来を~」も、社会問題を題材にしつつ、そこに上手くホームドラマのエッセンスを落とし込んだところが共通している。今回はシンプルなプロットながらエンタテインメント性を弁えた語り口でグイグイと牽引しており、中々引き込まれた。また、どこまでも陰惨なドラマであることは確かなのだが、かすかな救いで締めくくるあたりにこの作家の優しさみたいなものを感じた。
ただし、本作は大きな突っ込み所があり、若干詰めの甘さを感じなくもない。今回の事件はDNA鑑定すれば一発で分かってしまうのではないだろうか?というか、それ以前に普通はバレるような気がするのだが…。
「イニェリン島の精霊」(2022英米アイルランド)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1923年、アイルランドの孤島“イニシェリン島”に純朴な男パードリックと飲み仲間のコルムが住んでいた。ある日、いつものように飲みに誘いに行ったパードリックだったが、突然コルムから一方的に絶縁されてしまう。訳が分からず困惑するパードリック。そんな彼にコルムは更に衝撃の宣告をし…。
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(レビュー) アイルランドの孤島を舞台にした二人の中年男の愛憎ドラマ。
イニシェリン島というのは架空の島で実際には存在しないということである。島の対岸ではアイルランド人同士で内戦が行われており、島の人々はそれと全く無縁な平和な暮らしを送っている。どこか朴訥とした安らぎを覚えるが、同時に世界から見放されてしまった絶望感、寂寥感も感じた。まずはこの特異な舞台設定がユニークで、作品に寓意性をもたらしていると思った。
そして、その寓意性を最も象徴的に体現しているのが、突然姿を現して予言をほのめかす老婆の存在である。その超然とした佇まいは、明らかにこの世のものとは思えず、個人的にはベルイマンの
「第七の封印」(1956スウェーデン)の死神を連想した。実は、彼女は物語終盤のキーパーソンになっている。
作品のテイストは、前半は割とコメディライクに傾倒しており、クスリとする場面も多い。しかし、後半のコルムの常軌を逸した行動あたりから徐々にサイコスリラーのようなテイストに切り替わっていく。この独特なタッチは確かに面白い。また、先の読めない展開も魅力的で最後までスリリングに楽しむことが出来た。
監督、脚本は
「スリー・ビルボード」(2017米)で注目されたマーティン・マクドナー。本作は元々は彼が劇作家時代に書いた戯曲を元にしているそうである。彼はアイルランドのアラン諸島を舞台にした三部作を構想し、そのうちの2本を舞台で上演、残りの1本を今回映画化したということである。
それを知るとなるほど、本作は確かに舞台劇っぽい作りに思える。必要最小限の登場人物で進行する会話劇主体の作りは、映画というよりも舞台劇に近い感じがした。おそらく舞台として上演しても成立しそうな作品かもしれない。
しかし、だからと言って本作が映画的ではないと言うとそういうわけではない。島の美観には魅了されるし、マリア像や十字架が画面に映り込む風土にどこか神々しさも覚えた。こうした丁寧なショットの積み重ねに確かな映画的な魅力が感じられた。
物語はパードリックとコルムの対立を軸にしながら、パードリックの妹の自律、村の若者ドミニクのドラマなどが語られていく。夫々に上手くラストで着地点を見出しており、脚本自体はかなり良く出来ていると感心させられた。
また、パードリックとコルムの隣人同士の不毛な争いには、当時のアイルランドの内戦が暗喩されていることは確かで、そこにマクドナー監督のメッセージも感じ取れた。氏はアイルランド人の両親から生まれたという出自を持っているので、今回の物語に一方ならぬ思い入れがあるのだろう。
それにしても、昨日まで仲の良かった友人同士が、ここまで憎しみあうとは、傍から見ると実に滑稽極まりない。
確かにコルムの気持ちも分からないではない。しかし、物事には順序という物がある。何も告げずに突然絶交するとは、大人のやることではない。ことの発端は彼にあり、その後も自傷行為で嫌がらせとは大概である。
パードリックも決して悪い人間ではないのだが、コルムの言うとおり退屈な男であることは間違いない。しかも、かなりの依存体質で同居する妹がいないと一人では何もできない有様である。基本的に幼稚な男で、そんな彼が暴走するとどうなるか…。昨今の自暴自棄的な事件を連想せずにいられない。
キャスト陣は皆、好演していて見応えがあった。パードリック役のコリン・ファレルはいよいよ深みのある演技が板についてきた感じで、ここにきて最高のパフォーマンスを見せている。
妹役のケリー・コンドンはマクドナー作品では「スリー・ビルボード」に続いての出演になるが、今回はかなり重要な役所を貰っていて大変魅力的であった。
また、ドミニク役のバリー・キオガンは知的障害という難役であるが上手く存在感を出していたように思う。