「ザ・ホエール」(2022米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 恋人を亡くした悲しみから過食症に陥った同性愛者のチャーリーは、今や歩行器なしでは移動できないほどの肥満体になっていた。看護師のリズが身の回りの世話をしていたが、その甲斐なく死期が近づいている。ある日、離婚して疎遠となっていた17歳の娘エリーとの関係を修復したいと願うのだが…。
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(レビュー) 死期を悟った孤独な中年男が疎遠だった娘との関係を修復していく感動ドラマ。
巨漢のチャーリーは自力で動けないほど太っているため、必然的に室内だけで物語は展開されることになるのだが、元々の原作が舞台劇だと知って納得。物語は彼と彼の周辺人物の会話だけで構成されており、一見すると退屈しそうな感じなのだが、示唆に富むセリフや、個性的なキャラクターのおかげで最後まで飽きなく観ることが出来た。
チャーリーと看護師リズの関係、チャーリーと娘エリーの関係、更には映画冒頭で突然宗教の勧誘にやって来た青年トーマスの素性などが、物語の進行とともに徐々に判明していく。
監督は鬼才ダーレン・アロノフスキー。氏の作品は毎回凝りに凝った神経症的な映像演出に度肝を抜かされるのだが、今回はほとんどそういったテイストは見られない。盟友マシュー・リバティークのカメラワークも”お行儀”がよく今一つ覇気が感じられない。原作者が自ら脚本を書いていることもあり、おそらく敢えて映画的ではない作りにしたのかもしれない。
ただ、映像はともかく、死期が迫った男の心の闇に照射したドラマはこれまで一貫してアロノフスキーが描いてきた”孤独”というテーマに相関するもので、そこにはやはり見応えを感じた。
個人的には、チャーリーの過去の悔恨、娘との絆の再生、そしてラストの幕引きの仕方に過去作
「レスラー」(2008米)がダブって見えた。嘘ばかりをついてきた主人公が全てを失い初めて知った大切なもの。それを取り戻すための葛藤は正に「レスラー」のそれと一緒である。エモーショナルさという点では大分趣が異なるが、本作もある種の魂の救済ドラマという気がした。
本作のモチーフになっているメルヴィルの「白鯨」の使い方も、ドラマを深淵にするという意味では実に興味深く考察できた。
”クジラ”のような巨漢のチャーリーと彼を憎むエリーの関係は、「白鯨」におけるモビィ・ディックとエイハブ船長に照らし合わせて考えることが出来る。エリーは当然チャーリーに復讐しようとやって来たのだが、果たしてそれが出来るのどうか?本作は基本的にチャーリーの視点で紡がれる魂の救済ドラマであるが、一方でエリーの視点に立てばこれは「白鯨」になぞらえて観ることも可能である。
あるいは、宣教師トーマスの存在も「白鯨」との関わり合いで言えば興味深く読み解ける。「白鯨」の中には旧約聖書からの引用と思われる固有名詞が複数登場してくる。そういう意味で、この小説には宗教的なメッセージが込められていることは間違いない。それとの絡みで考えれば本作におけるトーマスの存在もかなり大きな意味を持つように思う。宗教によって救われる者、救われずに破滅する者。人間にとっての宗教とは何なのか?改めてそれについて考えさせられる。
キャストでは、何と言ってもチャーリー役を演じたブレンダン・フレイザーのインパクトが強烈である。特殊メイクを施して体重272キロの巨漢に文字通り”変身”し、醜く太った体型を余すところなく披露している。若い頃はアクション大作で主演を張った人気スターも、今ではすっかり影が薄くなってしまったが、本作で見事に第一線にカムバックしオスカーを受賞した。これもまた先述の「レスラー」で華麗な復活を遂げたミッキー・ロークとダブって見える。
尚、フレイザーと言えば、彼が主演した「ゴッド・アンド・モンスター」(1998米)という作品も思い出された。面白いことに彼の役所はその時とは真逆のポジションになっており、時の流れを感じてしまう。まるで狙ったかのようなキャスティングだが、両作品を見比べてみると本作は更に味わい深く鑑賞できるかもしれない。
「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」(2019仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 妻子に囲まれ幸せな日々を送るアレクサンドルは、幼少時にプレナ神父から受けた性的虐待の記憶を今でも拭いきれずにいた。プレナ神父が今でも平然と子供たちに聖書を教えていることを知った彼は、過去の被害を告発する決意をするのだが…。
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(レビュー) フランス中を震撼させた“プレナ神父事件”を描いた実話の映画化。
こういう問題は非常に難しい。断罪すれば済むというものでもなく、被害にあった当事者は一生そのトラウマを抱えながら生きていけねばならないからだ。主人公アレクサンドルは、多くの被害者が口をつぐみ過去の記憶から逃れようとする中、ただ一人プレナ神父を訴える。世間体や名声、家族のことを考えれば、中々できることではない。実に勇敢な男だと思った。
ところが、プレナ神父当人は罪を認め謝罪するも、教会側は彼を辞職させないどころか匿い続けるのである。組織的な隠ぺいである。これに腹を立てたアレクサンドルは、世間に事件の全容を知らしめるべく告発を決意する。つまりこれは個人的な戦いではなく、腐敗した教会組織を相手取った改革のための戦いなのである。
彼と同じような目にあった被害者は数多くいて、もはや常習的に性的虐待が行われていたことが分かってくる。本作はアレクサンドル以外に複数の被害者が登場して、彼らの戦う姿勢、夫々に抱える事情なども描いている。
例えば、被害者の一人フランソワはマスコミを通じて事件を公表しようとする。そして、ネットを通じて被害者の会を結成する。
報道でそれを知った、やはり被害者であるエマニュエルは、重たい口を開きフランソワたちの行動に参加する。弁護士を交えてプレナ神父と対面することになるが、このシーンは本作で最も印象に残るシーンだった。アレクサンドル同様、神父の口から謝罪の言葉が出るが、エマニュエルは決して赦さないと吐露する。この事件の重さが改めて実感される。
監督、脚本はフランソワ・オゾン。氏にしては珍しい社会派的な作品であるが、おそらく彼自身、この事件に相当の関心を持ったのだろう。作家としての使命感が、本作を撮らせたのかもしれない。
事件そのものをジャーナリスティックに捉えた一方、告発者が抱えるプライベートな問題に照射したあたりは流石にオゾンらしいと感じた。キャラクター造形や交友関係等、一体どこまで真実に沿って描かれているのか分からないが、単調になりがちなこの手の告発ドラマに上手く緩急が付けられている。
プライベートを犠牲にして訴訟の準備に勤しむアレクサンドルたちは、妻や親、家族から理解を得られず、時に家庭の中で孤立してしまう。その葛藤をつぶさに捉えたあたりに人間ドラマとしての見応えを感じた。
それにしても、ラストで裁判の結果が提示されるが、これをどう捉えるべきか。映画を観終えて自分は少し戸惑いを覚えた。詳細は伏せるが、果たしてこれは事件の解決と言えるのかどうか。今回の事件が明るみにされたことは大いに意義のあることだと思うが、教会という巨大組織の改革はまだまだこれからなのかもしれない。
「カルロス」(2010仏独)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派・ジャンルアクション
(あらすじ) 1973年、カルロスはパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のリーダー、ワディ・ハダドに面会する。日本赤軍のフランス大使館襲撃やオルリー空港でのイスラエル機砲撃などに関与し、次々と成果を上げていった彼は組織でのし上がっていく。ところが1975年、ウィーンのOPEC本部を襲撃した際、彼は人質解放の交渉に失敗して窮地に追い込まれてしまう。
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(レビュー) 1970年代に数々のテロに関与した伝説のテロリスト、イリッチ・ラミレス・サンチェス。コードネーム、カルロスの半生を描いた伝記映画。
元々はフランスのテレビシリーズで製作された作品だが、評判を呼び各国で劇場公開された作品である。全5時間半に及ぶ三部構成の大作である。
監督、脚本は
「クリーン」(2004仏英カナダ)や
「夏時間の庭」(2008仏)、「イルマ・ヴェップ」(1996仏)のオリヴィエ・アサイヤス。ベテラン監督らしいきびきびとした演出が行き届いた快作となっている。TVムービーということを考えれば、おそらく予算もそれほど多くはないだろうが、演者の力演、ドキュメンタルなカメラワークが画面に緊迫感とスピード感、熱度をもたらしている。時間は長いが、まったく飽きなく最後まで面白く観ることが出来た。
日本の連合赤軍やドイツの革命細胞、バグダッドの新派、警察や政府関係者等、登場人物はかなり多いが、カルロスの視座がしっかりと固定されており、複雑な事件の背景を極力省いているのが観やすさに繋がっている。このあたりの構成力は実に手練れていて、時折ニュースフィルムを挿入する小技も真実味を持たせるという意味では上手いやり方に思えた。
物語は軽快に展開されていく。パレスチナ解放人民戦線に参加し、数々のテロ活動をしていきながら組織で頭角を現していく第1部を皮切りに、ウィーンで行われているOPEC本部を襲撃する第2部。そして、フランス、イギリス、オーストリア、イエメン等でテロ活動に参加しながら逃亡者となる第3部。
但し、本作は一応実話をベースに敷いているが、実際にはどこまで史実に忠実かは分からないということだ。本作はあくまでフィクションを謳っており、脚色が多分に入っているらしい。逆に言うと、この割り切りが、作品を良い意味でエンタメに振り切らせている。
革命の野望に撃ち敗れるカルロスの姿も、本来であれば重厚さを前面に出してもおかしくないのだが、軽快な演出と切れのあるアクションが軽く見せてしまった印象だ。
BGMもロック系が多く、このあたりの選曲センスはアサイヤスならではといった所か。流麗な編集と合わせて、どことなくスコセッシの作品のような味付けになっているあたりが興味深い。
キャストではカルロスを演じたエドガー・ラミレスの熱演が素晴らしかった。
躊躇なく犯行を実行に移す大胆不敵なアウトローとしての顔、周囲の誰もが一目置くカリスマ性は、第2部後半から徐々に陰りが見え始め、PFLPを追放されて以降はもはや憐れな逃亡者になり果てていく。クールでマッチョな佇まいは、だらしなく太った中年男に変わり果て、同一人物とは思えぬ役作りに挑んでいる。
「ある人質 生還までの398日」(2019デンマークスウェーデンノルウェー)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 怪我で体操選手の道を諦めたダニエルは、ずっと夢だった写真家になることを決意し、やがて戦時下の日常を世界に伝えたいと内戦中のシリアへと渡る。ところが、非戦闘地域にも関わらず、突然現れた男たちに拘束された彼は監禁されてしまう。家族は人質救出の専門家アートゥアを通じてダニエルの解放を求めるのだが…。
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(レビュー) 実際にシリアで拘束されたカメラマン、ダニエル・リューの実体験を元にした実録サスペンス作品。
過去に日本人ジャーナリストも同じように拉致監禁されたことがあるので、決して異国の地で起きたドラマというふうには観れない。
ダニエルは家族の必死の金策によってどうにか解放されたが、これは運が良かった方だろう。イスラム国の人質になったジャーナリストはそのまま殺害されてしまったか行方不明になった人が大多数であり、それは本作のエンドクレジットで示唆されている。その数字を知ると愕然としてしまう。
ダニエルの祖国デンマークは、国としてテロリストに屈しない姿勢を貫き、政府が身代金を用意することはしなかった。これはアメリカや日本を含め、多くの国が採っている共通姿勢である。かつて「自己責任」という言葉をよく耳にしたが、結局捕まった人を助けるのは、人質の家族しかないのである。それが現実なのである。
ダニエルの家族は、ネットを使って募金活動を開始するが、それだけでは到底要求額を賄えず、企業や銀行などの融資を頼ることになる。しかし、ある程度裕福な家庭なら融資も受けられるだろうが、普通の一般家庭ではそれすらも断られてしまう。ダニエルの家庭も決して裕福と言うわけではなく、資金繰りに難儀する。
本作の見所は、何と言っても人質として捕らわれたダニエルが体験する凄惨な監禁、拷問シーンの迫力と生々しさであるが、もう一つ。身代金をかき集める家族の懸命の努力も見所である。
監督は
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(2009スウェーデンデンマーク独)のニールス・アルデン・オプレヴ。スピーディーでリアルな演出は本作でも健在で、特にダニエルが人質になって以降の緊迫したトーンの持続には目を見張るものがあった。
また、IS側と交渉するエージェントの活躍や、ダニエルと一緒に人質になったアメリカ人ジャーナリスト、ジェームズのユーモラスな造形など、サブキャラの魅力も印象に残る。
尚、このジェームズも実在の人物をモデルにしているということだ。時に仲間を励まし、鼓舞し、苦しい監禁生活のリーダー的存在になっていく。ダニエルも彼の存在にはかなり救われている様子だった。
脚本はアナス・トマス・イェセン。彼はスザンネ・ビア監督とよくコンビを組んでおり、これまで「ある愛の風景」(2004デンマーク)、
「未来を生きる君たちへ」(2010デンマークスウェーデン)、
「真夜中のゆりかご」(2014デンマーク)といった作品で仕事をしている。シリアスな問題作をスリリングに筆致する手腕は、毎回見事で、本作でもそのあたりの持ち味が十分に発揮されているように思った。
キャストでは、何と言ってもダニエルを演じたエスベン・スメドの熱演に尽きると思う。今回初見の俳優だったが、体重を増減させながら今回の難役に体当たりで挑んでいる。中々の本格派である。
「「僕の戦争」を探して」(2013スペイン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1966年、スペイン。ビートルズの歌詞を使って子供達に英語を教えるビートルズファンの英語教師アントニオは、憧れのジョン・レノンが映画の撮影に来ているということを知り、単身アルメリアを訪れる旅に出る。その道中、ある問題を抱えた若い女性ベレンと、家出をした少年ファンホをヒッチハイクで拾う。3人は一緒に旅をすることになるのだが…。
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(レビュー) ジョン・レノンに憧れる英語教師と訳ありな若者たちの交流を心温まるエピソードを交えて描いたヒューマンドラマ。
後で知ったのだが、本作は実在の教師をモデルにして作られた作品ということである。どこまで事実が入っているのか分からないが、最後のオチなどはよく出来ていると思った。
ちなみに、ジョン・レノンが撮影しに来ていたという話であるが、これは「ジョン・レノンの僕の戦争」(1967英)のことだそうである。
物語は型破りな教師アントニオとヘレンとファンホという問題児のロード・ムービーになっている。このアントニオがかなり妄信的なビートルズファンで、そこに観る側がどれだけフィットできるかが作品に対する入り込み方に大きく関わってくるような気がする。確かにビートルズは全世界に大旋風を巻き起こしたことは事実であるし、当時は彼のような熱狂的なファンがいても当然なのだが、教師としては少しキャラクターが子供じみているような気がしてしまった。
例えば、旅の途中で家出少年ファンホを拾うわけだが、曲がりなりにも教師である以上、少なくとも家族の連絡先くらい尋ねないとダメだろう。教師としてのキャラクターのリアリティに乏しく、最初は余り入り込めなかった。
ただ、そんな不信感も楽しい旅が続いていくと段々と消えていくようになる。ヘレンとファンホの道標を与える頼もしさを徐々に出してきて、最終的には面白く観ることが出来た。
また、ヘレンが抱える秘密、ファンホの孤独をユーモアと愛情を交えて描いている所に、人生賛歌的な趣も感じられ、最後はホロリとさせられてしまった。
中でも、ヘレンとファンホのラブシーンは印象的である。旅を終えた彼らが将来的に結ばれるかどうかは分からないが、少なくとも二人の明るい未来を暗示するかのような締めくくり方には、ある種の青春映画らしい”ひと夏の思い出”のようなノスタルジックな感動を覚えた。
本作はビートルズをモティーフとしていながら、彼らの曲が中々劇中にはかからないというのも面白い。終盤になって初めて「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」がかかるのみである。しかし、この溜めに溜めた演出も作品を上質なものとしている。
アントニオを演じるのはハビエル・カマラ。アルモドヴァルが監督した「トーク・トゥ・ハー」(2002スペイン)で気の弱い看護士役を演じていた頃とは、随分見た目が変わっていて驚いてしまった。観ている最中ずっと顔が少しジョン・レノンに似ているな、と思っていたのだが、ラストの”アレ”でクスリとしてしまった。
尚、映画の最後に、ジョン・レノンが来日してからビートルズのLPに歌詞がつくようになったというテロップが表示される。フランコ政権下だったスペインでは、ビートルズに限らずポップカルチャーは厳しく規制されていたという歴史があるので、さもありなん。
「AIR/エア」(2023米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1984年、シューズメイカーのナイキはバスケットボール界では競合メーカーに大きく水あけられていた。営業担当のソニーはCEOのフィルからバスケットボール部門の立て直しを命じられる。早速、彼はNBAドラフトの注目株マイケル・ジョーダンに目を付け彼とCM契約しようとするのだが…。
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(レビュー) NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンが履いたシューズ”エア・ジョーダン”。誰もが知る世界的に有名なバスケットシューズだが、それが如何にして誕生したか。本作はその経緯を描いた実話の映画化である。
最終的にソニーはジョーダンと契約を締結することになるのだが、その結果が分かっていても面白く観れた。そこに至るまでの関係者の苦難の道のりがドラマチックに描かれているからであろう。そういう意味では、本作に出演もしている監督ベン・アフレックの手腕は見事のように思う。
またソニーを演じたマット・デイモンもいい味を出していた。ジェイソン・ボーンシリーズで一気にアクション俳優に開眼した彼だが、元々はこうした等身大のキャラクターをやらせると大変に上手い俳優である。
見た目はメタボ体型の冴えない中年男だが、”バスケの師”の異名を持つほどの玄人目線でNBAのドラフト候補からマイケル・ジョーダンの才能を見抜き今回のプロジェクトを推進していく。一か八かの大博打にかけるその姿は実に痛快であった。
ただ、本作は基本的に人間ドラマ的な部分は必要最小限にとどめられている。ソニーのバックボーンやCEOフィルとの過去は表面をなぞるのみである。唯一、ソニーの上司ロブが愛する娘について吐露するシーンだけはしみじみと見れたが、それ以外は人間ドラマ的な趣が完全にオミットされている。あくまで”お仕事映画”という括りに徹したスッキリとした構成になっている。
随所にユーモアを挟み込んでくるのも上手いと思った。結果、映画全体に軽妙さが行き届き最後までストレスフルに観ることが出来る。個人的には、ソニーとエージェントの電話の口論に爆笑してしまった。
また、時代に合わせて80年代の楽曲や映画、サブカルをフィーチャーした所も個人的にはツボに入りまくりである。
キャストでは、マイケルの母親デロリス・ジョーダンを演じたヴィオラ・デイヴィスの存在感が印象に残る。実は今回の最大の敵はアディダスやコンバースといった大手競合会社ではなく彼女だったのではないかと思う。最後に見せた彼女のしたたかさは、劇中に出てくるセリフ「黒人の家族は女が仕切っている」を地で行くようであった。
「ボーンズ アンド オール」(2022伊米)
ジャンルロマンス・ジャンルホラー
(あらすじ) 生まれながらに人を喰べる衝動を抑えられない18歳の少女マレンは、新しい学校に転入して早々、友達の指を食いちぎり父親に見捨てられてしまう。たった一人になってしまったマレンは出生証明書を手掛かりに行方知れずになった母を探す旅に出る。その先で彼女は自分と同じ衝動を抱えた若者リーと出会うのだが…。
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(レビュー) 人喰い族というホラー映画然とした要素が売りの作品であるが、本作はただそれだけの作品ではないように思う。そこにはマイノリティの苦悩が隠されているような気がした。
マレンやリーのカニバリズムの衝動がどこから来るものなのか。それは映画を観終わっても良く分からなかった。ただ、遺伝が関係していることは明確に示唆されており、そこには抑圧されながら生きる被差別民の姿が投影されているような気がする。
また、食人の衝動はここでは恋愛の衝動に似た意味で語られているような気がした。
例えば、それは同族を匂いで感知するという彼らに特有の本能からもよく分かる。これはオスとメスが放つ”フェロモン”に近い生理的現象なのかもしれない。
また、彼らは生きていくために我々と同じように普通に食事をするが、人肉を喰うと特別な興奮と快感が得られるということだ。これはセックスの快感に割と近いものなのかもしれない。
こうしたことを併せ考えると、マレンとリーが惹かれあっていく今回の物語には”性的少数者”の苦悩が何となく透けて見えてくる。
人種差別やLGBTQ等、本作は深読みしようとすればいくらでもできる作品であり、単にホラー映画という外見だけで捉えてしまうには惜しい作品のように思う。物語の根底に忍ばされたメッセージを汲み取りながら観ていくと大変歯ごたえが感じられる作品である。
ただ、寓話としては面白く読み解ける作品なのだが、このカニバリズムという設定はやはり余りにもインパクトが大きい。それゆえ、どうしてもその意味については解明を試みたくなる。
しかして、本作はその本質に迫れているか?と言えば、自分はそこまでの深淵さが感じられなかった。どうしてカニバリズムなのか?その真意が読み解けなかった。
本作にはヤングアダルト小説の原作があるようだが(未読)、そちらにはマレンたちが食人になった経緯などは書かれているのだろうか?
監督はルカ・グァダニーノ。展開で首を傾げたくなる個所が幾つかあったのと、マレンの父親が残したカセットテープが余り上手く活用されていないことに不満を持ったが、演出は概ね安定しているように思った。リメイク版
「サスペリア」(2018伊米)に続き奇しくもホラー付いているが、見せ場となるようなビジュアル・シーンは前作ほどの刺激性はないものの、作品のテーマとしては十分に野心的で先鋭的で、改めてこの監督の独特な作家性には魅力されてしまう。
キャスト陣では、どうしてもリーを演じたティモシー・シャラメに目が行ってしまうが、サブキャラにも魅力的な俳優が揃っている。
特に、マレンが最初に遭遇する同族のサリーを演じたマーク・ライランスは印象に残った。自己の中に人喰いの自分とそうでない自分を抱えた精神分裂症気味な怪演がインパクト大である。
また、マレンたちに骨まで喰う恍惚感を嬉々として語るマイケル・スタールバーグ、マレンの母親を演じたクロエ・セヴィニーも少ない登場ながら印象に残る演技を見せている。
「静かな雨」(2019日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 大学の研究室で働く行助は、片足に障害があり足を引き摺って歩いている。ある日、彼はたいやき屋を営む女性こよみと出会い、少しずつ距離を縮めていく。ところが、幸せも束の間、こよみが事故に遭ってしまう。
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(レビュー) 事故の後遺症で記憶が一日しか持たなくなってしまったヒロインと、彼女を支える青年の愛を静謐なタッチで描いたロマンス作品。同名小説(未読)の映画化である。
監督、共同脚本は
「愛の小さな歴史」(2014日)、
「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(2015日)、
「四月の永い夢」(2018日)の中川龍太郎。
短期記憶喪失障害に陥ったヒロインを主人公が献身的に支えるというプロットは、
「50回目のファースト・キス」(2004米)を連想させる。あちらは完全にウェルメイドな作りのラブコメなので、本作とはテイストは全く異なるが、基本的なプロットはほぼ一緒と言って良いだろう。
今時珍しいくらいの純愛で観ててこそばゆくなってしまった。このあたりは原作に準拠した作りなのかもしれないが、「四月の永い夢」を観ていると中川龍太郎の作家性も多分に入っているような気がする。感情を決して前面に出すわけではないが、登場人物の感傷に引きづられた行動に、正直余りリアリティは感じられない。
ただ、「四月の永い夢」ほどヘビーなテーマではない分、ドラマと演出トーンの乖離はさほど気にはならなかった。
最も印象的だったのはブロッコリーのクダリである。行助はブロッコリーが苦手で、記憶を保てないこよみはブロッコリーを使った料理を毎晩のように出してしまう。しかし、それはこよみなりの別の意図があって…という所が中々泣かせる。
本作はこうした”小技”がとてもうまく行っていて、他にも行助とこよみが同じ挨拶を毎朝反復するシークエンスも巧妙な演出だと思った。ある時から二人の挨拶に少しずつ変化が訪れる。その変化に二人の距離が透けて見えて興味深い。
町の人々に愛されるたいやき屋という設定も、物語に牧歌的な親しみを与えていて◎。河瀨直美監督がチョイ役で出てくるので、その関係からどうしても彼女の
「あん」(2015日仏独)を連想してしまうが、常連客とこよみの関係を通して上手く彼女のキャラクターが醸造できていると思った。
物語の終盤に入ってくると、こよみの過去に焦点を当てた展開に入っていく。実は、彼女には他人には打ち明けられない過去があり、そのあたりの謎解きと、それを知った行助の葛藤が一つの見所となっている。
古い過去は覚えていても昨日のことは忘れてしまうこよみに対する行助の胸中は如何ばかりか。それを察すると終盤の展開は切なくさせる。
愛があればどんな障害も乗り越えられる…と言うと少しカッコつけた言い方になってしまうが、要するにそういうことでしか、こういう問題は解決できないだろう。映画はそのあたりのことを敢えてぼかした表現にとどめているが、この殊勝さは本作の美点かと思う。
観てて一点だけ気になったのは、行助の片足が不自由というハンデである。その設定が、この物語にどれほど必要だったか疑問に残った。そもそも彼自身の口からそこについての言及は成されておらず、この辺りは観終わって悶々とさせられた。
「四月の永い夢」(2018日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) そば屋でバイトしている元音楽教師の初海は、ある日、亡き恋人の母親から一通の手紙を受け取る。それは彼が初海に宛てた最後の手紙だった。やがて、そば屋の常連で染物工場で働く青年から初美は思いがけない告白をされ…。
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(レビュー) 元恋人の死を引きずる女性の再生を、繊細な演出と、多彩な周縁人物を交えて描いた作品。
初海と死んだ恋人がどういった関係を辿り、どういう経緯で亡くなったのか?そのあたりは一切描かれていない。ただ、映画終盤で明かされる恋人の最後の手紙から、二人の破局の背景には、それなりの深刻な問題があったことは想像できる。初海は愛嬌の良いそば屋の看板娘として常に明るく振る舞っている。しかし、その裏側では他人に言えぬ、こうした悔恨の念をいつも抱えていたのか…と思うと切なくさせる。
監督、脚本は
「愛の小さな歴史」(2014日)、
「走れ、、絶望に追いつかれない速さで」(2015日)の中川龍太郎。「愛の小さな~」は大変ハードコアな作品だったが、それと比べると本作はまるで別人が撮ったような安らぎを覚える作風である。
但し、そのテイストが物語のヘビーさを相殺してしまい、全体的にチグハグな印象を受けた。
美しい映像と、静かでキャッチ―なメロディーの劇伴、そして初海を演じた朝倉あきの可憐さを追求した役作りは、本来ヘビーであって然るべき喪の仕事というテーマを全て打ち消してしまっている。
唯一、終盤の手紙のインサートは素晴らしいと思ったが、全体的には余り乗れない作品だった。
尚、セリフの中にはいくつか良いものも見つかる。亡き恋人の母親が言う「人生とは失うことの方が多い」という言葉は、ラストの初海の表情の”問いかけ”になっていたことが映画を観終わって反芻される。ラストの初海の表情は正にこの言葉の”答え”に思えた。
「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(2015日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 漣は1年前に自死した親友・薫のことを、いまだに受け入れることができずにいた。ある日、薫が描き遺した絵を見つける。そこには、中学時代の同級生の女の子が描かれていた。漣は彼女にその死を知らせなければと思い立ち、薫の恋人だった理沙子とともに彼の故郷へ向かうのだが…。
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(レビュー) 親友の死から立ち直れずにいる青年の再生を繊細なタッチで描いた人間ドラマ。
シンプルなドラマながら、非常に力強いメッセージを発している作品だと思う。時世を前後させた構成がドラマをミステリアスに見せており、セリフに極力頼らない語り口も物語に上手く抒情性を生んでいるように思った。
ただ、情報が少ない分、どうしても漣の心理に迫る描写が不足しており、そこはもう一工夫欲しいという気がした。そもそも死んだ親友の初恋の女性に会うために遠路はるばる訪れるだろうか?電話やメールで知らせるのではなく、わざわざ直接会いに行く動機が今一つ映像からは伝わってこなかった。初恋の女性のリアクションもそうりゃそうだろうという感じで、漣の行動には正直、余り感情移入することはできなかった。
とはいえ、本作は終盤の展開が見事で、そこだけでかなりの満足感がある。それまで過去に捕らわれ続けていた漣の”解放”への道程に清々しくい感動を覚えた。
また、薫の自死の原因を明確に示唆しなかったのも、映画を観終わって様々な余韻を残し、このドラマを印象深いものとしている。
薫は画家志望の青年で夢を追いかけて東京に出てきた。しかし、結局芽が出ないまま田舎に戻ることになる。理沙子との破局、夢の挫折等、様々なことが組み合わさっての自死だったと想像できる。しかし、漣はそれが信じられない…というよりも信じたくなかったのだろう。親友であれば相談してほしかった。彼を勇気づけられたかもしれない。そんな後悔が薫の死を受け入れることを拒んでいるように見えた。
監督、脚本は
「愛の小さな歴史」(2014日)の中川龍太郎。本作は氏の自伝的な内容を反映させた作品ということである。それを知ると、漣の悲しみにひとかたならぬ思いが込められているものと想像される。
演出は先述したようにセリフや独白に頼らない手法をとっており、それが最後まで貫通されている。
例えば、食事のシーンは本作にはよく出てくるが、これもよく計算されていると感心した。漣が職場の先輩と食堂で食べるシーンが前半と終盤で2度登場してくる。この二つから漣の心情変化は自然と読み取れ、ドラマも見事に帰結するに至っている。
また、漣がすき焼きを黙々と食べる後半のシーンも印象深い。親友の死から徐々に立ち直っていく漣の心情変化が、食という行動の中だけで見事に表現されていると思った。
キャストでは漣を演じた太賀(仲野太賀)の自然体な演技が良かった。将来の夢を見つけられないでいるモラトリアムな青年という役所を素直に演じていて好感が持てる。