「サン・ラーのスペース・イン・ザ・プレイス」(1974米)
ジャンルSF・ジャンルコメディ・ジャンル音楽
(あらすじ) 土星から宇宙音楽王サン・ラーが地球にやって来る。彼は平和な惑星に黒人たちを移送する壮大な計画を実行すると宣言した。一方、NASAはその神秘的な技術を狙って彼の居場所を突き止めようとするのだが…。
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(レビュー) フリージャズを中心に活動した音楽家サン・ラーが自ら主演、脚本、音楽を務めて製作したSF作品。
自分はサン・ラーについてまったくの無知で本作を鑑賞した。正直、映画としての出来は余り芳しいものではない。チープな演出と脈絡なく展開される物語に途中で退屈してしまった。
一番意味不明だったのは、1943年のクラブでサン・ラー扮するピアニストと客がカードゲームをするのだが、それが時空を超えて1970年代の物語とリンクする所である。こうしたシュールレアリスム的な作りは決して嫌いではないのだが、どうにも決まりきった展開のオンパレードでアイディア不足に感じられてしまった。
ただ、ブラックスプロイテーション映画として観ればテーマ自体には溜飲が下がるし、サン・ラーが演奏するフリー・スタイルな音楽も独特な魅力で面白かった。
また、映画を観終わってサン・ラーについて興味が出たので調べてみたが、この音楽家がいかに時代を先取りしたアーティストだったかが分かり、本作に対する見方も変わってくる。
センセーショナルなキャラクターを演じることで独自の世界観を築き上げたところは、後のデヴィッド・ボウイのジギー・スターダストを連想させる。しかし、デヴィッド・ボウイと違うのは、彼はこのキャラを音楽活動の中で一貫させたことである。商業的な狙いではなく、一人のアーティストとして最後までキャラクターを”演じきった”ことは凄いことではないだろうか。こうした彼の音楽的な功績や特異な人生を知っている人が見れば、本作の評価はまた変わってくるのかもしれない。
個人的には、彼自身を描いたドキュメンタリーを観てみたい気がした。
「ガンズ・アキンボ」(2019英独ニュージーランド)
ジャンルアクション・ジャンルSF・ジャンルコメディ
(あらすじ) ゲーム会社に勤めるプログラマーのマイルズは、殺し合いを生配信する闇サイト“スキズム”で口汚いコメントを書きまくって憂さを晴らしていた。ある日、運営に居場所を特定され襲撃されたマイルズは気絶してしまう。目を覚ますと、なんと2丁の拳銃がボルトで両手に固定されていた。彼は“スキズム”最凶の殺し屋ニックスのターゲットになってしまう。
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(レビュー) 二丁拳銃を手に固定された男がサバイバルゲームよろしく殺し屋たちと戦っていくSFアクション作品。
マイルズを演じたダニエル・ラドクリフが嬉々として演じているのが、見てて非常に楽しい。かつてのハリー・ポッターのイメージが強かった彼が、キャリアのステップアップのために敢えてこうしたアクの強いキャラクターを演じているのは好感が持てる。
「スイス・アーミー・マン」(2016スウェーデン米)という怪作も大変新鮮だった。
但し、物語は1本調子で特に捻りもなく面白みに欠けるのが残念である。殺し合いを生配信する闇サイト”スキズム”を巡って何かしらストーリー的な仕掛けがあるかと思いきや、そこまでのサプライズもなく、話自体が随分とこじんまりとしている。
唯一、スキズム最強の殺し屋ニックスの過去を巡るミステリが用意されているが、それ以外はいたって平板な展開で脚本自体は余り感心しない出来栄えである。
また、冴えないオタク青年マイルズに理解のあるガールフレンドがいるというのも説得力に欠けてしまう。中二病な冴えないキャラというチャームポイントが、これによって失われてしまい、実に勿体ない造形となってしまった。
ただ、アクションシーンにおけるスタイリッシュな演出に関しては素晴らしいものがある。近未来のサイバーパンク的な世界観も中々魅力的で、映像にはかなりのこだわりが感じられた。
監督、脚本は
「デビルズ・メタル」(2015ニュージーランド)のジェイソン・レイ・ハウデン。
本作はコメディ要素も多く、「デビルズ・メタル」同様かなりブラックなテイストが多い。
また、グロいシーンも出てくるので見る人を選ぶかもしれない。
「ザ・フラッシュ」(2023米)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 地上最速のヒーロー、フラッシュことバリー・アレンは、そのスピードで時間をも超越し、幼いころに亡くした母と無実の罪を着せられた父を救おうと過去に遡る。その結果、バリーは両親と幸せに暮らす世界にたどり着くことに成功する。ところが、その世界にはスーパーマンなどを含むヒーロー集団ジャスティス・リーグが存在しなかった。地球が危機に晒される中、バリーは奔走することになるのだが…。
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(レビュー) DCコミックのスーパーヒーロー、フラッシュの活躍を迫力の映像で描いたアクション大作。
フラッシュはこれまでにドラマ版が製作されたり、「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」(2016米)や「ジャスティス・リーグ」(2017米)にも登場している人気キャラクターである。自分は
「マン・オブ・スティール」(2013米)と「ジャスティス・リーグ」のザック・スナイダー版しか観ていないが、とりあえずそれだけでも十分に楽しむことができた。
基本的に本作はフラッシュのバックグラウンドを一から描いて見せているので、初見の人でも入り込みやすいように上手く作られている。この手のユニバース系は一見さんお断りみたいな作品が多い中、今回はそのあたりは余り心配しなくても良いような気がする。
もちろん 他のDCEU作品や旧作の「スーパーマン」や「バットマン」の映画を観ていれば、色々なオマージュが見つかるので更に楽しめると思う。しかし、基本的には本作単体でも十分に楽しめるだろう。
物語はフラッシュことバリーが両親の悲劇を回避するために奔走する…というタイムリープ物となっている。ただ、それだけだとドラマのスケール感やアクション的な見せ場が足りないということで、バットマンやスーバーガールといった客演を迎えて賑々しく展開されている。
個人的には、中盤のスーパーガールのクダリがやや退屈してしまったのが残念である。フラッシュが過去を変えたことで、この世界では様々な変化が起きている。その一つがスーパーマンがスーパーガールになっているということなのだが、そうであればもう少し彼女の活躍場面は欲しい気がした。せっかくの新キャラなのに、クライマックスの対ゾッド将軍のためだけに用意されたみたいな扱いで味気ない。
バットマンも元の世界とは別人になっているが、こちらにはそれなりにドラマが用意されていたのでまだ良かったが、スーパーガールに関してはもう少しフィーチャーしてあげて欲しかった。
また、このあたりはシナリオの構成的にも難ありと感じた。スーパーガールを探すエピソード、それ自体は良いとしても、その間のゾッド将軍の動向が全く放置されてしまっている。そのため余り危機感が盛り上がらないままクライマックスの最終決戦に突入してしまった印象を持った。
他にも幾つか不満はあって、例えばフラッシュが助けられなかった少年の父親のエピソードはてっきり伏線が回収されるのかと思いきやそのままだったし、雷の衝撃によるパワーの復活は流石に強引な気もする。何よりラストに大きなサプライズが用意されているのだが、これが今後どういう風に繋がるのかと悶々とさせられてしまった。観終わって今一つスッキリしない部分が多く、脚本の練り込み不足という感じがした。
ただ、こうした不満点はあるものの、本作はタイムパラドックス物として大変面白く作られている。過去を書き換えられるか否か?という命題にシビアな回答を下しており、そこに感銘を受けた。
個人的には「バタフライ・エフェクト」(2003米)を連想した。あちらを立てればこちらが立たず…という因果律が大変切ない映画だったが、それがここでもバリーを悩ませる。その葛藤に泣かされた。
そして、スーパーヒーローが戦うのは圧倒的な巨悪ばかりではない…という解釈も新鮮だった。時にそれは自分自身の中にある弱い心だったりする場合もある。この物語はそれを”映像的”に具現化して見せた所が非常に上手いと思った。
また、別世界に行ったバリーがもう一人の自分と出会う一連のクダリは、かなりコメディライクに料理されていてとても面白く観れた。髪型から性格、境遇まで異なる二人のバリーは、最初はそりが合わないのだが、やがて共に戦う相棒になっていく。ある種凸凹コンビのバディムービーのような楽しさが感じられた。
そんな二人のバリーを演じたエズラ・ミラーの巧演も見事である。プライベートでは色々と騒動を起こしてしまったが、ぜひキャリアを大切にしてほしいものである。現実は映画のように過去に戻ってやり直すことはできないのだから…。
他に、カメオ出演含め豪華なキャスト陣が大いに見応えあった。
「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(2021米)
ジャンルアクション・ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ミステリオとの戦いによってスパイダーマンの正体がバレてしまったピーター・パーカーは、普通の生活を送れなくなってしまい、恋人のMJや親友のネッドにも被害が及び頭を悩ませていた。そこでかつて一緒に戦ったドクター・ストレンジに助けを求める。ドクター・ストレンジはスパイダーマンの正体に関する記憶を全世界から消す呪文を唱えるが、それが失敗に終わりマルチバースの扉が開いてしまう。
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(レビュー) トム・ホランドが演じるスパイダーマン・シリーズの第3弾。
「スパイダーマン:ホーム・カミング」(2017米)、
「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019米)に続く最終章である。
物語は前作の直後から始まるので、これまでのシリーズの履修は必須である。しかも、今回は歴代のスパイダーマンやヴィランも登場するので、トビー・マグワイア版の「スパイダーマン」とアンドリュー・ガーフィールド版の「アメイジング・スパイダーマン」も観ておいた方が良いだろう。
…と言っておいてなんだが、自分はトビー・マグワイアの「スパイダーマン」は観ているが、アンドリュー・ガーフィールドの「アメイジング・スパイダーマン」は未見である。しかしながら、特に観ていなくても十分に面白く観ることが出来た。今回登場するヴィランの中には初見のものもいるが、そういうものだという割り切りさえできれば特に苦にせず観れるのではないだろうか。
それにしても、これだけのオールスター・キャストをよくぞ集めたものだと感心する。前作でも予告されていたマルチバースの世界観が、ここにきて本格的に始動し、3人のスパイダーマンが並び立つ光景は壮観である。このマルチバースというアイディア自体はすでに
「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018米)から見られるもので決して新鮮というわけではないのだが、シリーズを観てきた者としては感慨もひとしおである。ある種お祭り的な意味合いも感じられ、最終章にふさわしい大団円を迎えている。
監督、脚本はこれまでと同じ布陣なので、作品のトーン、物語もしっかりと堅持されている。昨今ではシリーズ物でも途中から監督や脚本家が変わることが多い中、本作は最後まで主要スタッフが変わらないままだったので、統一感のある作りになっている。
シリーズ当初の青春グラフィティのテイストを最後まで崩さず、孤高のヒーローの葛藤を遜色なく描き込んだ手腕は見事である。これまでのスパイダーマンはどうしてもダークな面を出す傾向にあったが、今回はピーターの明るいキャラクターのおかげもあって、彼の苦しみや悲しみも嫌味なく描かれていて好感が持てる。
また、MJとのロマンス、ネッドとの友情もちょっぴり切なく締め括られており、この辺りにはかすかな哀愁も感じられた。
もっとも、今回の騒動は元をただせば自ら蒔いた種であり、どうしても余り同情的には見れないというのはあるかもしれない。
「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」(2015米)もそうだったが、身から出た錆としか言いようがなく、終わってみれば何だか釈然としない思いも残った。
また、ネッドが終盤でマルチバースの扉を開く呪文を習得できてしまうのもご都合主義的であるし、ドクター・オクトパスの扱いが他のヴィランに比べると多少突っ込みを入れたくなるところがあったのは残念だった。
こうした不満点、突っ込み処がなくはない作品ではある。
しかし、これまで積み重ねられてきたシリーズの集大成として考えた場合、クライマックスの戦いなどは見事な盛り上げ方であるし、ラストの締めくくり方にも十分なカタルシスを覚えた。
尚、今回は「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム THE MORE FUN STUFF VERSION」での鑑賞だった。初映版に新規映像11分を加えたヴァージョンとなっている。
「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019米)
ジャンルアクション・ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) サノスとの戦いの後、ピーターは大きな喪失感に捕らわれながら、スパイダーマンとしてニューヨークの市民を守る戦いを続けていた。そんな中、学校の仲間とヨーロッパ旅行に出かけ、徐々に昔の明るさを取り戻していく。そこに元S.H.I.E.L.D.の長官ニック・フューリーから新たな指令が下る。異次元から来たというミステリオに引き合わされ、ピーターは彼と共闘して新たなる敵に立ち向かっていくことになるのだが…。
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(レビュー) 「スパイダーマン:ホーム・カミング」(2017米)の続編にして「アベンジャーズ/エンド・ゲーム」(2019米)の直後の話ということである。尚、自分は「アベンジャーズ」シリーズは第2作で止まったままである。しかし、観ていなくても、ある程度の設定は分かっていたのでスンナリと入りこむことができた。少なくとも前作の「ホーム・カミング」を観ておけば、最低限内容は理解できるようになっている。
本シリーズのスパイダーマンは、明るくポップな学園生活を基調としたジュブナイル感が一つの特徴だと思うのだが、それがここでもしっかりと継承されている。恋あり、友情あり、戦う宿命を背負ったヒーローとしての成長が漏れなく描かれており実に周到に作られていると感じた。
物語はストレートで大変明快で親しみやすい。学校の仲間たちもそれぞれに魅力的に造形されていると思った。
また、今回の適役もトリッキーな役回りを持たされていて、物語を上手く盛り上げていたように思う。
見所は前半のベニス、それとクライマックスのロンドンを舞台にした戦闘シーンである。前者はベニスの美しいロケーションをバックに水の怪物との大立ち回りが展開される。後者は更に大掛かりな戦闘シーンでスペクタクル感抜群の盛り上がりを見せている。
そこではドローンが大活躍するのが一つの特徴で、これも時代の流れか。中々面白いギミックになっている。
今回のラスボスはそのドローンが創り出す”幻影”である。これも中々ユニークだった。目に見える物よりも見えない物にこそ真実が宿るというのは本作のテーマを象徴していると思った。この視認の不確実性は、正体を隠して戦うピーターの宿命、孤独を見事に表現している。今回はある意味で自分との戦い、スパイダーマンとして戦うことの意味が追求されているような気がした。
ただし、余りにもアクションシーンに比重を置きすぎたため、ドラマの上積みがそれほど無かったのは惜しまれる。
また、突っ込み所も散見される。例えば、旅行の最中にたびたび抜け出すピーターを教師が不審に思わないのはどう考えても不自然で、途中からは完全にピーターだけが別行動になってしまう。本当にそれでいいのか?と突っ込みを入れたくなってしまった。
野暮とは分かっていても、こういうのが一旦気になってしまうと、鑑賞する目も冷めてしまうものである。
尚、エンドクレジット後には次回に繋がるオマケがついていてるので最後まで見届けよう。
「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」(2022米)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) スパイダーマンとして街の平和を守る高校生マイルスの元に、久しぶりにグウェンがやって来る。彼女は父親との確執から元の世界を捨て、現在はマルチバースのスパイダーマンが集うチームの一員として、新たなヴィラン”スポット”を倒す任務を任されていた。
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(レビュー) 「スパイダーマン」の世界を最新鋭のデジタル技術で映像化した3DCGアニメーション
「スパイダーマン:スパイダーバース」(2019米)の続編。
前作は様々なスパイダーマンが登場するというマルチバースという設定が斬新だったわけだが、今回はそれが更にスケールアップし、登場してくるスパイダーマンは実に240体にもおよぶというから、もはやカオスである。
映像はポップで鮮烈。タッチの異なるビジュアルを同一画面に混在させながら、更に刺激的で実験志向の強いアーティスティックな映像が突き詰められている。前作でも凄まじい映像の洪水に驚かされものだが、それを軽々と越えてくる情報量の多さには、ただただ圧倒されるばかりである。
まず、グウェンのパートを描くアバンタイトルからして、月並みな言い方になるが”物凄い”映像である。一気に画面に引き込まれた。
そこから物語はマイルスのヒーローとしての葛藤を描くドラマに入っていく。
前作がヒーローとしての”使命”に芽生えるドラマだとしたら、今回はそこから更に一歩ステップアップし、ヒーローとしての”覚悟”を持つに至るドラマとなっている。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というベンおじさんの言葉は余りにも有名であるが、ここにきてその意味が本格的に問われ始めるのだ。
但し、本作は前後編2部作の前編である。マイルスの戦いは後編へ持ち越され、どうしても物語としての締まりは今一つ弱い。この辺りは致し方なしという所か…。色々と問題が山積みになっているので、次回でこれらがスッキリと解消されることを願うばかりである。
尚、当然のことながら前作から物語がそのまま続いているので、前作の鑑賞は必須である。
また、画面の端々にイースター・エッグが仕込まれているので、他のスパイダーマンの映像作品やコミックを知っていると更に楽しめるだろう。そういう意味では、何度観ても新しい発見が得られそうである。
「ミスミソウ」(2017日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 東京から田舎町に引っ越してきた中学生、野咲春花は、転校早々、壮絶なイジメを受ける。両親の心配もあり登校を取りやめた結果、再び元の明るい少女に戻っていった。しかし、今度は春花が来る前に虐められていた流美がイジメの対象になってしまう。そんなある日、春花の家が何者かに放火されてしまう。
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(レビュー) 虐められていた少女の壮絶な復讐劇を過激なバイオレンス描写で描いた作品。
虐めが収まらない場合にどうすればいいのか。これは中々難しい問題だと思う。例えば、本作の春花のように学校に行かないというのは一つの手だと思う。それを”逃げ”と言う人もいるかもしれないが、自分の身が危険になったら、その場から避難するのは当たり前であろう。
一方、春花が来る前に虐められていた流美は、虐めグループのリーダー妙子に同性愛的な感情を抱いていたこともあり、彼女の傍にいたくて、一緒になって春花の虐めに加担した。その後、春花が登校しなくなり再び虐めの対象になってしまうが、これは妙子との関係を断つことが出来なかった彼女自身が呼び込んだ結果とも取れる。
虐められていた側が、ある日突然虐める側になるというのは、よく起こる話で、本作は正にそうなってしまったケースのように思う。
映画は中盤から家を放火された春花の復讐劇が始まる。彼女の悲しみを考えると実に不憫でならないが、それにしてもその復讐のやり方は壮絶だ。
スプラッタ描写満載のバイオレンスシーンの連続で、それまでの沈んだトーンを一気に破壊してしまうほどの過剰さで、少々やり過ぎな感じがしなくもない。シリアスに虐めの問題を説いているのであれば、ここまでの見世物めいた描写はかえって現実味がなくて逆効果になるのではないかという気がしてしまった。
原作は同名コミックということである。おそらくこれらのリアリティを欠いたバイオレンス描写は原作準拠なのかもしれない。もはや
「バトル・ロワイアル」(2000日)も真っ青な殺し合いは、見世物として割り切ればブラックなユーモアも感じられて決して悪くはない。…が、社会派的なテーマを追求するのであれば、このあたりのさじ加減は完全に見誤っているように思う。
監督は内藤瑛亮。初見の監督だが、フィルモグラフィーを見ると主にホラー映画を撮ってきた作家ということなので、今回の過激なスプラッタ描写の数々には、この監督の趣向が多分に反映されているのだろう。
ただ、物語自体はストレートな復讐物だけで終わらず、その中に妙子、春花、流美の複雑に絡み合った愛憎ドラマが盛り込まれており最後まで面白く観ることが出来た。今回のイジメの原因には相場という男子生徒が絡んでおり、これが上手く物語のミスリードになっている。終盤には意外な展開も待ち受けていて、このあたりのストーリーテリングには感心させられた。
それと、物語の舞台は雪が降り積もる山奥ということで、全編に渡って白い景色が作品のイメージカラーになっている。その中で赤い服を着た春花が血みどろの復讐劇を果たすという絵面は鮮烈な印象を残す。特に、クライマックスのアクションシーンは実にスタイリッシュである。
「ひとよ」(2019日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) タクシー会社を営む稲村家の母・こはるは、3人の子どもたちの幸せのために、家庭内で激しい暴力を繰り返す夫を殺害する。15年後、長男の大樹は地元の電気店の婿養子になり、次男・雄二は東京でうだつの上がらないフリーライターとして働き、長女・園子は美容師の夢を諦め地元の寂れたスナックで働いていた。そんな3人の前に、出所したこはるが突然姿を現わす。
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(レビュー) 凄惨な過去を引きずる一家の悲喜こもごもを描いた、同名の戯曲(未見)の映画化。監督は
「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(2010日)、
「凶悪」(2013日)、
「孤狼の血」(2018日)、
「止められるか、俺たちを」(2018日)の白石和彌監督。
大変シビアな物語だが、3人の子供達が置かれている状況や、彼らのために夫を殺害した母の複雑な心情を考えると、切っても切れない血縁の呪縛、同じ家族の元に生まれた運命の皮肉というものを痛感させられる。
大樹と園子は、自分たちのために罪を背負った母・こはるに引け目を感じている。しかし、上京した雄二は、自分の人生を狂わせたという思いから母に煮え切らぬ感情を抱いている。そんな彼が”ある目的”を持って帰郷してくることから物語は動き出すのだが、その”目的”というのが本ドラマのミソである。3人の兄弟の対立、愛憎がスリリングに描かれていて面白く観ることが出来た。
ドラマ自体は大変ヘビーな内容であるが、時折ユーモアを入れてくるあたりが硬軟自在な白石演出という感じがした。
エロ本の万引きのクダリは本作で最も微笑ましく観れるエピソードで印象に残る。罪は繰り返されるというシニカルなユーモアだが、同時にそこには母子の愛がしみじみと語られ一定の情緒も感じられた。
タクシー会社社長のキャラクターもユーモラスに造形されており、周囲の神妙な面持ちの中にあって、唯一の明朗さを放っている。
そして、稲村家が経営するタクシー会社。この舞台設定が絶妙で、要所にエモーショナルな演出を発揮している。
例えば、大樹と妻が無線を通して口論する場面などは大変ユニークで、今までこういうやり方でタクシー無線を使った演出を自分は見たことがなかった。そういう意味で、新鮮に観れた。
また、クライマックスにはカーアクションも用意されていて、ドラマを上手く盛り上げていたように思う。
尚、本作には稲村家以外に、二つの家族のドラマがサブエピソードとして登場してくる。これもメインのドラマに巧みに相関されていたように思う。
一つは、タクシー会社に勤務する筒井真理子演じる女子事務員のエピソードである。認知症の母を抱えて働く中年女性というキャラクターである。これは、暴力夫に耐えながら子供たちの面倒を見ていた過去のこはるとよく似た境遇にある。二人を並べてみると、色々と興味深く考察できるかもしれない。
もう一つは、後半から大きくクローズアップされる佐々木蔵之介演じるタクシー運転手のエピソードである。離れて暮らす息子を心配する親心は、これまた、こはるとシンクロする役柄と言えよう。
こうした多層的な捉え方ができるのが本作の面白い所で、物語の構成自体はよく練られていると思った。
キャストでは、鈴木亮平が真面目で少し頼りのない長兄・大樹を演じている。これまではどちらかと言うと強直なイメージだったが、今回はそれとかけ離れた役所に挑戦しており新鮮に観れた。また、こはる演じた田中裕子は、もはや貫禄の演技と言って良いだろう。今回も見事な巧演を披露している。
一方、多少大仰な演技も目に付き、このあたりは邦画の悪い所が出てしまったかな…という印象を持った。特に、全員でハイテンションで喚き散らすクライマックスは、観てて引いてしまった。酒のボトルをガブ飲みして酔っぱらった佐々木蔵之介が、急にシラフに戻ってしまったのにも苦笑するしかなかった。このギャップをどう捉えたらいいのか…。シリアスな場面なので笑うわけにもいかず大変困ってしまった。
おそらくこうした違和感はちょっとした演出の抑制でかなり解消されるように思うのだが、どうもそのあたりのさじ加減が本作では余り上手くいってないように思った。
「あのこは貴族」(2020日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 榛原華子は東京生まれの箱入り娘。20代後半になり恋人に振られたことで焦り始め、婚活に奔走する。そして、ついに良家の生まれである弁護士の青木幸一郎と出会い婚約する。一方、地方から名門大学に進学した時岡美紀は、学費が続かず中退しOLとして働きながら今も東京でがんばっていた。そんな二人がひょんなことから知り合い…。
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(レビュー) 東京と地方出身の同世代の女性の生き方を繊細なタッチで描いた作品。
華子と美紀の関係を時世を交錯させながら紐解いていく構成が中々良く出来ている。彼女たちが仕事や恋、女性としての幸せを追い求めながら葛藤する姿を丁寧に描いており、最後まで面白く観ることが出来た。
但し、都会と地方の格差描写が紋切的過ぎるきらいがあり、若干リアリティに欠くドラマだと思った。
例えば、冒頭の会食のシーンからして会話が漫画的で違和感を覚えた。
華子が婚活で出会う男たちも、絵に描いたようなオタクだったり、ダメ男だったり、現実にこんなに分かりやすいキャラクターはそうそういないだろう…と苦笑せずにいられなかった。
本作には原作がある(未読)。小説すばるで連載されていた小説ということだが、果たして対象年齢はどのあたりを設定しているのだろうか?アダルト層というよりも、本作の華子たちと同じ20代を想定しているのだとしたら、それも止む無し。
もっとも、全編通して、こうした”軽さ”が作品の観やすさに繋がっていることは確かだと思う。結婚できない、仕事が上手くいかないといった悩みをストレスフルに見せることで、作品に対する敷居は随分と低く設定されている。そういう意味では、多くの観客に受け入れやすい作品なのではないだろうか。
また、所々にハッとさせるようなセリフが出てきて、そこは素直に魅力を覚えた。
「女は場を和ませるサーキュレーターじゃない」
「私たちって東京の養分だね」
誰もが心の底に思っていることを、アイロニカルなセンテンスで包み込んで表したあたりが秀逸である。
また、美紀と里英は地方から出てきた者同士、固い友情で結ばれているのだが、彼女たちの会話もユーモアに溢れていて面白かった。例えば、喫茶店で脱毛をネタに談笑するシーンは実に新鮮だ。男子高校生であれば当たり前すぎて面白くないが、それを30代の女性二人が話すというのが良い。
物語は後半から徐々にシリアスモードに入っていく。ただ、最終的には前向きなメッセージが投げかけられており鑑賞感は清々しい。結婚や仕事ばかりが人生ではない。30代になった彼女たちが今後どんな未来を切り開いていくのか?その可能性を示した終わり方は優しさに満ちている。
「怪物」(2023日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) シングルマザーの早織は小学生の息子、湊と平穏な暮らしを送っていた。ある日、湊の様子に不審なものを感じた早織は問い詰める。すると、担任教師の保利から暴力を振るわれたと告白する。早織は学校へ事情を聞きに行くが、校長や教師たちの対応に納得できず…。
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(レビュー) 学校の虐めに隠された謎をミステリアスに紐解きながら、その犠牲となる子供たちの心の内を繊細に綴ったヒューマンドラマ。
最初はよくある虐め問題かと思って観ていたら、途中から事件の真相が徐々に明るみになっていくことで予想外の方向へドラマが展開され、最後までグイグイと画面に引き込まれた。
脚本を担当したのは坂元裕二。前作の「花束みたいな恋をした」(2020日)が評判になっていたことは知っていたのだが未だに観ておらず、その才能や如何に?と思いながらのぞんだ。結果から言うと、その手腕には脱帽してしまった。
時制と視点を交錯させながら謎が解明されていくという構成自体はよくある手法で特段驚きはないのだが、それにしても伏線と回収がよく計算されている。あのシーンの裏側ではこういうことがあったということが分かり、そのたびに一体誰が悪なのか?誰が怪物なのか?ということを常に自問しながら、気がつけば画面を注視していた。
特に、校長室のフォトフレームのクダリ、湊が車から飛び降りるクダリには唸らされた。
湊、母の早織、教師の保利、友人の星川、校長といったキャラクターたちが、夫々に心に傷を負った者として魅力的に造形されている点も特筆に値する。彼らの心中を察すると、今回の事件が辿る結末には悲しみを禁じ得ない。
但し、決して分かりやすい映画にはなっていない。こうなった原因はどこにあったのか?果たして誰が怪物だったのか?そうした単純なドラマではないからだ。むしろ、誰でも怪物になり得る、本作のメインキャラはすべて怪物だった…という言い方もできる。
湊の嘘は保利を傷つけ、早織は湊の苦しみを理解できなかった。校長も倫理に反する嘘をついていた。保利は学校の虐めに気付きながら無力だった。星川も重大な罪を犯していた。このように人は誰でも悪心を抱え、嘘をついたり、周囲を傷つけるエゴを持っている。人間とはそうした業を抱えた生き物なのだ…ということを暗に言われているような気がした。
ラストの意味を考えてみると、劇中にたびたび登場する”生まれ変わり”というフレーズが反芻される。果たしてこれをハッピーエンドと捉えていいのかどうか…。人が業から逃れられるとしたら、それは”生まれ変わり”しかないのか?だとしたらひどくネガティブな結末ではないか。そんな風に思った。
監督は
「ベイビー・ブローカー」(2022韓国)、
「万引き家族」(2018日)等の是枝裕和。
子役の起用に定評がある氏だけに、今回も湊と星川を演じた二人の子役が実に活き活きと活写されている。前半は鬱々としたダークなトーンが支配し同監督作「誰も知らない」(2004日)を想起させられたが、後半から
「奇跡」(2011日)のような甘酸っぱく微笑ましいトーンが混入され、二人の絆を情緒豊かに綴っている。意外だったのはその関係に、これまで是枝監督が描いてこなかった要素を持ち込んだ点である。これも時流の流れだと思うが、良い意味で驚かされた。
それと、本作のクライマックスには同氏の
「海よりもまだ深く」(2016日)も連想させられた。風雲急を告げるとは正にこのこと。映像面から物語をドラマチックに盛り上げている。
キャスト陣はメイン所含め芸達者が揃っているので安心して観れた。ただ、校長役の田中裕子がやや作りすぎという気がしなくもない。もう少し自然体な方が、深みが出ると思った。
また、保利役の永山瑛太は、序盤と中盤の演技に少しチグハグな印象を持った。早織の前で初めて謝罪するシーンで彼は無作法な態度を取っていたが、あそこは今一つ理解できない。確かに少し変わった所がある男だが、そこを踏まえてもあの場面だけは浮いてしまっている。