「高校大パニック」(1978日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 高校3年生の男子がビルの屋上から飛び降り自殺した。担任教師は何事もなかったように授業を始めようとする中、クラスメイトの城野はそれに激昂。自暴自棄になった彼は学校を飛び出し、銃砲店でライフルを強奪しそれを学校で乱射し始める。
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(レビュー) 受験戦争が過熱し始めていた頃の作品で、当時の世相が垣間見れるという意味では面白く観れる映画である。受験ノイローゼなんて言葉もあったくらいで、この頃の若者たちは受験の重圧に苦しんでいたということがよく分かる。
本作は石井聰亙監督が8ミリで自主製作した作品をセリフリメイクした映画である。共同監督という形ではあるが、氏の商業デビュー作ということになる。演出は粗削りな所もあるが、勢いだけで突っ走った所はいかにも石井聰亙らしく、彼のカラーがよく出た1作である。
尚、実際の撮影現場の風景は本作で助監督を務めた金子修介監督が自身のブログで書き綴っているので興味のある方は参照されたし。
ほとんどが、共同監督の澤田幸弘が仕切っていたらしい。石井の原作とは言え、キャリア的に見ればインディー上がりの彼に演出を任せられなかったのであろう。
全体的には軽快に進むので面白く観れたが、籠城物に徹したために、やや単調な作りになってしまった感は否めない。要所で大仰な演出が緊迫感を壊してしまった個所もあり、この辺りはもう少しバランスを取って欲しいところだった。
ただ、デビュー間もない浅野温子が女生徒の一人を演じており、彼女はドラマ後半のキーパーソンになっていく。彼女の妖艶な魅力がドラマを引き立て、その顛末を含め大変印象に残った。いくつかのサービスショットも見られ、彼女のファンであれば見て損がない作品ではないかと思う。
また、音楽はジャパニーズロック界の敏腕プロデューサ岡野ハジメが所属していた、知る人ぞ知るプログレフュージョンバンド、スペース・サーカスが務めている。軽快な旋律で作品を盛り上げており、こちらも聴きごたえがあった。
もっとも、先述の金子監督のブログによれば、石井監督はバウワウを推していたらしく、この起用は意にそぐわないものだったらしい。さすがはパンク、ハードロックの石井聰亙である。
「リバー、流れないでよ」(2023日)
ジャンルコメディ・ジャンルSF
(あらすじ) 京都の貴船にある老舗旅館ふじや。午前中の仕事を終え昼休みに入ろうとした時、仲居のミコトは”ある異変”に気付く。なぜか自分が2分前と同じ場所にいるのだった。他の従業員や宿泊客も同じ状況になり、旅館はたちまちパニックに陥る。
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(レビュー) 冬の京都の老舗旅館を舞台にしたSFコメディ。
昨今はこうしたタイムループ物の作品も色々とあって、どうしても既視感が拭えなくなってきたが、本作はたった2分という限定された時間に目を付けた所が新鮮だ。
延々と繰り返される2分間という時間に閉じ込められた登場人物たちの右往左往が軽快に描かれていて飽きさせない。
原案、脚本を務めたのは劇団ヨーロッパ企画の上田誠。彼は
「四畳半タイムマシンブルース」(2022日)や
「サマータイムマシン・ブルース」(2005日)といったタイムループをネタにした作品で原案、脚本を務めており、この手のジャンルを得意としているのだろう。今回もツボを心得た笑いと軽妙な展開が冴えわたり、十分に楽しめる娯楽作に仕上がっている。
しかも、このタイムループはシチュエーションはリセットされても夫々の意識がリセットされないというのがミソで、それによって妬みや遺恨を募らせたりするから質が悪い。単に同じ時間を繰り返しているわけではなく、ちゃんとその中でドラマが進んでいるあたりが実に上手いのである。
たとえ時間は戻せても人間の感情の移ろいは修復できないという、何だか哲学めいたメッセージも感じられた。
そんな中、本作のメインとなるのは仲居のミコトと料理人見習いのタクのロマンスである。永遠に終わらない2分の中で、二人は普段は口に出来ない思いを言葉にして伝えあう。これが非常にチャーミングな恋愛談になっている。
そして、ラストのミコトの表情が非常に印象的だった。彼女の複雑な胸中を察すると何だか切なくなってしまう。
その一方で、このタイムループでは恐ろしいことも起こる。締め切りに追われる小説家の苦悩や、山から出られなくなってしまった猟師の絶望、厨房の惨事等。全体的にライトに描かれているが、もし現実にこんなことがあったら、やはり人は狂ってしまうのだろうなぁと思ってしまう。
全編90分弱というコンパクトな作品なので、事件のオチや、要所の問題解決で物足りなさを覚える部分もあるが、サクッと観れてスキっとできる快作である。
尚、個人的に最もツボだったのは風呂場の編集者だった。ずっと髪の毛にシャンプーの泡がついたまま奔走する姿にジワジワと笑いがこみ上げてきてしまった。
「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」(2023米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ベーリング海峡でロシアの原潜セバストポリがシステムのトラブルに見舞われ沈没してしまう。トラブルの元凶となったのは謎のAIシステム、エンティティだった。自我を持ったエンティティは世界を滅ぼす脅威となっていく。IMFのエージェント、イーサンはそれを起動する2本のカギを入手する任務を受けるのだが…。
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(レビュー) もはやトム・クルーズのライフワークとなった感がある人気アクションシリーズ「ミッション:インポッシブル」の第7作。今回は2部作の前編となっている。
物語は消化不良感が残るものの、アクションシーンについてはこれまで以上にサービス精神てんこ盛りである。
何と言っても圧巻はクライマックスシーンである。予告編でも紹介されていたので知っていたが、実際に本編を観てみると、余りにも凄すぎて笑ってしまう程だった。本当にこれをスタントなしでトム本人が演じたのかと思うと物語の内容など、どうでも良くなってしまう。普通にプロのスタントマンでも危険な撮影だろう。CG全盛の時代に敢えて生身のアクションにこだわるトムの姿勢には素直に拍手を送りたい。
その後に続くオリエント急行のアクションシーンも凄まじかった。シチュエーション自体は割とクラシカルなものだが、本物の列車を作って撮影したことによる説得力がハンパない。正に手に汗握る展開の連続に一瞬も目が離せなかった。
アクションシーンの見所は他にもある。
ローマの街を舞台にしたカーチェイスシーンはユーモラスで楽しめたし、空港を舞台にしたスリリングな追跡劇も緊張感タップリに活写されていて面白く観れた。
一方、物語自体はそこまで大きな進展はない。アクションシーンのためのストーリーといった感じでかなり味気なく感じられた。また、今回のミッションにはイーサンの過去も関係しているのだが、そのあたりがどう紐解かれていくのかはPART2に期待ということになろう。
キャストはお馴染みの面々が揃っており、相変わらずいい味を出していた。イーサンのチームは入れ変わり激しいが、サイモン・ペッグ演じるベンジーとヴィング・レイムス演じるルーサーは不動のメンバーである。彼らのやり取りは相変わらず良い。
また、今回の適役はガブリエルという因縁の相手なのだが、個人的にはその部下パリスが印象に残った。演じるのは「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズでマンティスを演じていたポム・クレメンティエフである。個性的な顔立ちなので画面に出てくるだけで強烈な印象を放つ。
スタッフでは監督、脚本のクリストファー・マッカリーが前々作から続投している。トムとは「アウトロー」(2012米)でも組んでおり、相当馬が合うのだろう。どちらかと言うと、このシリーズは長年トムがプロデュースを務めてきたこともあり、トムが主導しているという感じがしなくもないが、息の合ったコンビ振りを今回も発揮している。
「激怒」(2021日)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 怒ると我を忘れてしまう刑事・深間は、度重なる暴力沙汰が問題となり、治療のために海外の医療機関に送られる。数年後、日本に呼び戻されると街の様相は一変していた。自警団による極端な取り締まりが行われており、深間は戸惑いを覚える。
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(レビュー) 架空の町を舞台にしたフィクションであるが、どこか現代社会の合わせ鏡のようなところがあり、中々メッセージ性の強い作品だと思った。
例えば、自警団による行き過ぎた取り締まりには、SNSにおける”叩き”の風潮を想像させる。あるいは、町長と警察組織の癒着には官僚社会の闇を感じさせるし、冒頭に出てきた引きこもり青年の事件などには現代人の孤独が投影されているような気がした。
こうした社会派的な眼差しを物語の至る所に落とし込んだところが本作の妙味だろう。
ただ、演出にリアルさがほとんどないため、どこまで行っても寓話の域を出ない。登場人物もカリカチュアされ、シナリオも過剰に映る部分があった。
監督、共同製作、脚本は映画ライターの高橋ヨシキ氏。映画製作の仕事としては、これまでに園子音監督の
「冷たい熱帯魚」(2010日)の脚本に参加しているが、監督としては今回が初作品となる。
ビジュアルアートとしての仕事もしているだけあって、所々の映像センスに目を見張るものが見つかる。特に、深間が引きこもり青年の事件に急行するシークエンスは、CGも使用しているのだろうが異様な夕焼け、シュールな俯瞰ショットが印象に残った。
また、深間と彼の母親のシーンは本作で唯一ミステリアスに紐解ける部分であり、終盤のセリフ「お前は誰と喋ってんだ?」に上手くかかっていたように思う。このあたりの脚本の構成は中々上手いと思った。
但し、予算の少なさもあろう。敢えてB級風なチープさも散見され、それが狙ったものだとしても、演出自体は余りこなれていないという印象を持った。
クライマックスのアクションシーンなどは、氏のジャンル映画嗜好を考えれば、もっと大胆で過激に表現しても良いと思ったが、終始1対1の格闘に甘んじており爆発力に欠ける。
初監督作でほとんど自主製作に近い形で撮りあげた作品なので、この辺りは仕方がないという言い方もできるが、たとえ粗削りでも自身の嗜好や、これを見てくれ!という情熱を画面に叩きつけて欲しかった。
尚、本作にはアメリカロケを敢行しているが、ドラマ上、アメリカである必然性が余り感じられなかった。海外ロケするくらいなら、他に予算をかけるべきではないだろうか。もしかしたら、コロナ渦の影響で構想通りにいかなかったのかもしれないが、どうにも中途半端である。
「君たちはどう生きるか」(2023日)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 太平洋戦争真っ只中の1944年、東京大空襲で母を亡くした少年・眞人は父の戦闘機工場とともに郊外に疎開する。そこで眞人は父の再婚相手・夏子を紹介される。母の面影を引きづる眞人は彼女に中々馴染めなかった。そんなある日、彼は不思議なアオサギを追いかけて近くに建つ古い塔を見つける。そこは不思議な世界に通じる秘密の場所だった。
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(レビュー) 宮崎駿監督が
「風立ちぬ」(2013日)の後に作り上げた10年ぶりの新作。一度は引退宣言をしたが、その言葉を撤回して完成させた作品である。
本作は元々は同名の小説からインスパイアされたということだが、基本的には宮崎駿の完全オリジナル作品となっている。
ただ、後で調べて分かったが、元となった小説(未読)は主人公の少年と叔父さんのやり取りを中心とした青春ドラマということである。本作にも主人公・眞人の大叔父がキーマンとして登場してくるが、おそらくこのあたりは小説からの引用なのだろう。眞人は大叔父から”ある選択”を迫られるが、これなどは非常に重要なシーンで、正に本作のテーマを表しているように思った。穿って見れば、それは宮崎監督自身から観客に向けられたメッセージのようにも受け止められる。「君たちはどう生きるか?」と問いかけられているような気がした。
映画は東京大空襲のシーンから始まり、眞人の疎開先での暮らし、家庭や学校の日々がスケッチ風に綴られていく。不思議なアオサギが度々登場して眞人をからかったりするのだが、それ以外は極めて現実的なシーンが続く。
映画は中盤からいよいよファンタジックな世界に入り込んでいく。眞人の不思議な冒険の旅は先の読めない展開の連続でグイグイと惹きつけられた。
ただ、ここ最近の宮崎作品は、前作「風立ちぬ」は例外として、理屈では説明のつかないエクストリームな世界観が突き詰められており、本作も例にもれず。宮崎駿の脳内が生み出した摩訶不思議なテイストが前面に出た作品となっている。そこが人によっては難解で取っ付きにくいと思われるかもしれない。
そんな中、個人的に印象に残ったのは、ポスターにもなっているアオサギのユーモラスな造形だった。鳥のようでもあり人のようでもあり、得体のしれない不気味さも相まって強烈な存在感を放っている。最初は眞人と対立しているのだが、一緒に冒険をするうちに徐々に相棒のようになっていく所が面白い。
また、終盤の大叔父との邂逅シーンには、「2001年宇宙の旅」(1968米英)のような超然とした魅力を感じた。宇宙の誕生と終焉を思わせるビジュアルも凄まじいが、何より”あの石”に”モノリス”的な何かが想起されてしまい圧倒された。
他に、魂と思しき不思議な形をしたクリーチャーが天に向かって飛んでいくシーンの美しさも印象に残った。しかも、ただ美しいだけでなく、魂たちの向かう先には過酷なサバイバルが待ち受けている。これを輪廻転生のメタファーと捉えれば、生まれ変われぬまま朽ち果てていく魂もいるというわけで、その哀れさには切なさを禁じ得ない。
このように本作はファンタジックな世界に入る中盤あたりから、常識の範疇では理解できないような現象やビジュアルが頻出するので、ついていけない人にはまったくついていけないだろう。
なぜトリなのか?なぜ女中と亡き母親の容姿が変わったのか?なぜ積木なのか?等々。挙げたらきりがないくらい多くの謎が残る。
しかし、だからと言って本作がつまらないとは言いたくない。個人的には、その謎めいた所も含めて大変刺激的な2時間を過ごすことができた。
ちなみに、もう一つ本作を観て連想したものがある、それはバーネットの児童小説「秘密の花園」である。これも何度か映画化されており、自分は1993年に製作された作品を観たことがあるが、本作との共通点が幾つか見られて興味深かった。例えば、主人公が親を災害で亡くしたこと。トリに導かれて秘密の場所へ引き寄せられる展開。大叔父もとい叔父がキーマンになっていること等、共通する点が幾つか見つかった。
キャストについては概ね好演していたように思う。ただ、一部で違和感を持った人がいたのは残念である。ジブリはこれまでも俳優や歌手、タレントを積極的に起用し上手くハマるパターンもあったが、今回はそうとも言い切れない。
尚、本作は公開前に宣伝をまったくしなかったことでも話題になった。ジブリともなればタイアップやCMは引く手数多だろうが、敢えてそれをしなかった鈴木敏夫プロデューサーの手腕は大胆にもほどがある。もちろん宮崎駿のネームバリューのなせる業なのだが、この逆転の発想は革新的と言えるのではないだろうか。今の時代、全く情報なしで映画を観る機会はそうそう無いわけで、貴重な映画体験をさせてもらった。
「ヘル・レイザー」(1987米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) フランクは究極の性的官能を体験できるという謎のパズルボックスを手に入れる。早速、彼はそのパズルを解くことに成功するが、その瞬間、彼の肉体は消失してしまった。数年後、フランクの弟ラリーが妻子を連れてフランクの家に越して来た。ある日、ラリーの妻ジュリアは屋根裏に不可解な物体を目撃する。それは死んだはずのフランクの変わり果てた姿だった。
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(レビュー) ホラー作家クライヴ・バーカーが自らの原作を映像化した作品。
物語はパズルボックスを手にしたフランクの体がバラバラになるというショッキングなシーンから始まる。その後、フランクの弟夫婦がやって来て、パズルボックスの謎を巡るサスペンスへと移行する。ジュリアとフランクがかつて愛し合う仲だったという過去が、この物語を面白く見せている。
後半に入ってくると、ラリーの娘カースティーがパズルボックスを手にしてしまい、魔界の魔導士たちに狙われるという展開になっていく。但し、前半と後半で若干物語の繋がりが悪い感じがしてしまった。もう少し前半でカースティーの存在をフィーチャーすることで自然に移行できたのではないかと思う。
クライヴ・バーカーの演出は、見世物映画としてのツボをしっかりと抑えており、特殊効果もかなり健闘している。とりわけ冒頭のフランク粉砕シーンと、彼の肉体が徐々に再生されていくシーンは見応えがあった。また、クライマックスシーンも夢に出てきそうな強烈さで、今見ても全く古さを感じさせない。CGでは味わえないアナログ時代の特殊メイクは、今となっては新鮮に観れるのではないだろうか。
また、魔導士たちのおぞましい姿も強烈で、一度観たら忘れられないインパクトである。顔中にピンが刺さったスキンヘッドの魔導士は、今や作品を飛び出して様々な場面で引用され、もはやホラー映画における一つのアイコンとなった感じがする。
本作は全米でヒットを飛ばしてシリーズ化されたが、このキャラクターは以後も作品の顔となっていく。他にも様々なユニークな造形をした魔導士が登場してくる。ビジュアルだけでも一見の価値がある作品であることは間違いない。
「ポゼッサー」(2020英カナダ)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) 愛する家族と暮らす平凡な主婦タシャは、実は殺人を請け負う企業で働くベテラン暗殺者だった。彼女は特殊な装置でターゲットの身近な人間の脳内に入り込み、意識をコントロールして暗殺を繰り返していたのだ。しかし、他人の意識に入り込みすぎるあまり自らのアイデンティティに混乱をきたしていくようになる。
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(レビュー) 他人の意識の中に入り込んで暗殺を実行するというSFガジェットが面白い。この手の設定は決して斬新というわけではないが、今回は平凡な主婦が主役ということで、そこに新味を覚えた。
彼女タシャは、表向きは平凡な主婦であるが、裏では冷酷な暗殺者であり、家族にもそのことは内緒にしている(あるいは夫だけは知っていたかもしれないが)。このギャップがドラマを面白く見せている。
暗殺の方法も捻りが加えられていて面白い。
タシャはターゲットの身近な人間の意識に潜り込んで暗殺を実行するのだが、その際、証拠を残さないために、最後は自殺をして完了するのだ。そうすることによってタシャの意識は自分の肉体に戻れるようになる。
しかし、いくら他人の身体とはいえ、自殺をするのは決して気分が良いものではない。タシャはどうしてもそれが出来ず、ある日とうとう彼女は自分の身体に戻れなくなってしまうのだ。
ここで気になるのは、本当に怖いという理由だけで自殺が出来なかったのか?という点である。
主婦という”現実”と暗殺者という”非現実”。この二つに引き裂かれる彼女の葛藤は実に面白く読み解ける。これは想像だが、彼女は暗殺を実行するために他人の身体に入り込むうちに、様々な”自分”になる喜びに目覚めたのではないだろうか。今の主婦ではない自分。別な人生に対する夢想と欲望が、彼女の意識を他者にとどまらせたのではないか…ということである。
例えば、巨大企業のCEOを暗殺するエピソードが出てくる。彼女はCEOの娘婿の脳内入りこむのだが、そこで男の肉体を通してセックスを体験し今までに感じたことのない新鮮な快楽を得る。
自分ではない誰かの人生を追体験できるバーチャル・リアリティの世界と同じで、性別や年齢といった壁を越えて、別の自分になれるという快感。それに溺れてしまったために、彼女は自殺できなくなってしまったのではないか…と想像できる。
ちなみに、タシャは時々、家族を殺害するフラッシュバックを見る。これも、彼女の現実逃避の表れなのかもしれない。
こう考えると、この物語は日常からの解放に魅せられた一人の女性の葛藤を描いたドラマ…と言えなくもない。
監督、脚本はブランドン・クローネンバーグ。かのデビッド・クローネバーグの息子である。長編デビュー作「アンチヴァイラル」(2012米)からして、父親譲りの独特の世界観が横溢し魅了されたが、本作で更にそのセンスに磨きがかかったような感じがする。
空虚で無機質なトーンは前作から継続されており、バイオレンスシーンにおける毒々しいタッチも健在である。
ただし、全体的にフラッシュバックが多用され過ぎている感じがした。観る方としては、そのたびに注意が削がれてしまうので、このあたりはもう少し抑制しても良かったように思う。
「EO イーオー」(2022ポーランド伊)
ジャンルファンタジー
(あらすじ) サーカス団で心優しいカサンドラの相棒として人気を博していたロバのEOは、ある日、動物愛護を理由にサーカス団から引き離されてしまう。その後、牧場に引き取られたEOは、カサンドラが恋しくなり脱走する。様々な人々との出会いを通してEOの過酷な旅は続いていく。
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(レビュー) ロバの目線を通して人間の愚かさ、優しさを綴った異色のロードムービー。
ロバのEOのつぶらな瞳が非常に印象的な映画である。果たしてその瞳には、人間の醜い争いや理不尽な行為がどのように映ったのだろうか?物言わぬ動物ゆえに澄んだその瞳が雄弁に語る。鏡が人の心を映すが如く、そこにはきっと人と世界の真実の姿があったのだろう。
本作はロベール・ブレッソンの
「バルタザールどこへいく」(1964仏スウェーデン)をモティーフに、ポーランドの鬼才イェジー・スコリモフスキが製作、監督、共同脚本を務めて撮り上げた作品である。
確かに「バルタザール~」の影響をかなり受けているように見えるが、ミニマリストの作家ブレッソンに比べるとスコリモフスキはどちらかと言うと映像派作家である。所々に幻想的な映像やシュールなシーン、人間の目線では決して捉えることができないような大自然の神秘的な美しさを配しながら寓話性に満ちたドラマに仕立てている。
例えば、真っ赤なトーンが横溢するオープニングシーンからして一種異様な禍々しさを感じるのだが、以降も”赤”は様々な場面で印象的な使われ方をしている。
カサンドラとの再会シーンでは、彼女の顔をバイクのテールランプが真っ赤に染め上げ、かつての純粋さが失われてしまったことを鮮烈に表現している。中盤の森、風車等を捉えた空撮映像、4本足のロボットの悪夢。後半では家畜を運ぶトラックの内装が真っ赤な照明で染め上げられていた。
他にも、本作で面白いと思った映像は幾つもある。
森の中に迷い込んだEOを狙う狩猟者のレーザー照射には不気味な怖さを覚えるし、古い建造物の地下に突如として現れる長い通路、豪水が滝のように流れるダムのシーンなんかも超然としたシーンで印象に残った。
こうしたシュールで禍々しいトーンが横溢する本作は、セリフが少ないからこそ余計に寓話性が際立ち、結果として独特な作風の作品になっている。
一方、物語も軽快に展開され最後まで面白く観れた。
「バルタザール~」はどちらかと言うと善人と悪人がはっきりとしていたが、この「EO イーオー」は人間の善と悪の二面性を強調した作りになっている所が面白い。
優しかったカサンドラはサーカス団を辞めてすっかり変わってしまったし、家畜を運ぶトラックドライバー、若いイタリア人司祭も善良な一面を見せる一方で下心や放蕩癖があったりする。こうした二面性は動物にはない人間特有の物だろう。EOがどこまでそれを理解し得たかは謎だが、しかし彼らを見つめるつぶらな瞳はすべてを見透かしているように気がしてならなかった。
それにしても、あのままサーカス団にいればEOは幸せだったのかもしれない…と思うと、このラストは何とも皮肉的である。彼がサーカス団を追われた原因は、動物愛護団体の批判を受けてのことである。それが結果的に彼を追い詰めてしまったのであるから、何とも居たたまれない話である。
現実世界に目を向けてみれば、環境保護団体や人権団体等、良かれと思って声を上げる人々がたくさんいる。しかし、彼らの運動が必ずしも世界を正しい方向へ導くとは限らない。作中ではそのあたりの矛盾を明確に提示しているわけではないが、そんなことも考えさせられた。直接関係はないが、昨今の小人プレレスやF1のグリッドガールの件を連想してしまった。
「CURED キュアード」(2017アイルランド仏)
ジャンルSF・ジャンルホラー
(あらすじ) 人を凶暴化させるウイルスが蔓延した近未来。治療法がようやく見つかり、感染者は“回復者”と認定されて少しずつ社会復帰を果たしていた。セナンもその一人である。彼は亡き兄の妻アビーのもとに身を寄せていた。アビーは幼い息子キリアンを抱えながら、セナンとの交流に癒しを覚えていった。そんなある日、回復者に対する差別が市民の中で激化し始める。
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(レビュー) ゾンビ映画の一種であるが、感染者と回復者、感染しなかった人間という三つ巴の対立が、偏見と差別に満ちた現代社会の痛烈な風刺となっている所が面白い。
そもそもゾンビ映画にはどこか風刺性が入っているものだが、描き方次第ではこうした硬派な社会派作品のような映画にもできる…という所に新味を覚えた。エンタメとして見てしまうと、やや物足りなさを感じてしまうが、作り手側の狙いが明確に伝わってくる分、下手なゾンビ物よりも真摯に観れる。この手のジャンルもやりようによってはまだまだ新機軸を打ち出せるという好例である。
演出は非常に淡々としていて、観る人によっては退屈に感じるかもしれない。特に、前半は状況説明が続くため、観る方としても根気が試される。
中盤以降は、差別を受ける回復者たちが結成した”回復者同盟”なる組織が登場して、一般市民との対立が激化していく。組織の中には穏健派と過激派がいて、その中で主人公セナンの葛藤がクローズアップされていく。彼自身、差別を受けながら、社会復帰の道を模索していくのだが、組織に都合よく利用されまいか…と心配になってしまった。それくらいセナンは純粋な青年である。
本作のもう一つの見所は、セナンと義姉アビーの関係である。セナンには”ある秘密”があり、それが明かされることで、この関係には大きな溝が生まれてしまう。ゾンビ映画ではよくある展開と言えばそれまでだが、やはりこういう話には何とも言えない悲しみが沸き起こる。
悲しいと言えば、感染者の治療法を確立しようとする女性医師のエピソードも印象に残った。実は感染者の中には治療が成功して回復する者とそうでない者がいる。セナンのように運よく回復した者は社会復帰を果たせるが、回復できなかった者は拘束され監禁されてしまう。やがて政府は感染者の安楽死を決定するのだが、そんな中で彼女は未だ回復していない感染者の命を救うために研究に勤しんでいる。そこには彼女の人には言えぬプライベートな”ある思い”が隠されているのだが、それがクライマックスで明かされて実に切なくさせれた。
監督、脚本は本作が長編初作品の新鋭ということだ。ジャンル映画というスタイルを借りながら、実社会を鋭く投影した所に新人らしからぬ大胆さを覚える。
キャストではアビーを演じたエレン・ペイジの熱演が素晴らしかった。童顔の彼女も母親役をやるようになったのかと思うと、時の流れを感じてしまう。
「JUNO/ジュノ」(2007米)で10代の母親を演じた頃がついこの間のようである。
「ディストピア パンドラの少女」(2016米英)
ジャンルSF・ジャンルサスペンス・ジャンルホラー
(あらすじ) ロンドン郊外にある軍事基地で秘密裏に人体実験が行われてた。厳重な監視の元、科学者たちが拘束された子供たちに教育を施していたのだ。高いIQを持った少女メラニーは教師のヘレンから目をかけられていた。そんなある日、突然、異常事態を知らせる警告が鳴り響き、施設は大パニックに陥ってしまう。命からがら逃げ延びるメラニーだったが…。
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(レビュー) なるべく前情報なしに観た方が楽しめる作品だと思うので、極力ネタバレを避けたいと思う。
まず、何と言っても不穏でシュールな雰囲気に包まれた序盤に惹きつけられた。何の説明もないまま話が進んでいくので、一体これは何についての映画なのか分からず観ていくと、突然基地内がパニックが起こる。ここから映画はある種のジャンル映画へと転換していくのだが、この大胆な語り口が秀逸だと思った。
以降はよくあるサバイバル・ロード・ムービーになっていく。旅をするのは5人のキャラクターで、物語のカギを握る少女メラニー、彼女の教育係ヘレン、事態の全容を知っている科学者コールドウェル博士、そして特殊任務を課せられた2名の軍人である。夫々の造形がしっかりと確立されていることもあり、行き当たりばったりな展開が少なく、最後まで面白く観ることが出来た。また、メラニーを巡る周囲の対立と葛藤に個々の心理が透けて見えくる所もシナリオは巧みに掬い上げており、中々の完成度である。
ただ、確かにこじんまりとした内容で、規模が大きい話のわりに世界観が狭い感じがした。予算の問題もあろうが、この辺りは仕方なしである。しかし、必要最低限の情報量だけで物語を構成したことで、かえって緊張感が生まれドラマも引き締まったように思う。
ラストのオチには、なるほどと溜飲が下がった。ディストピア物としては正攻法な結末と言える。閉塞的だったドラマが、ラストで一気に大きな広がりを見せる。決して救いがあるとは言えないが、不思議と感動を覚えた。
尚、本作には原作がある(未読)。後から知ったが、映画製作とほぼ同じ時期に刊行された小説らしく、原作者自身が映画の脚色も担当しているということだ。ドラマに一貫性があるのは、原作者がしっかりと作品をコントロールできていたからなのかもしれない。
昨今、この手のジャンル映画も大量に作られており、どれを観ても既視感を覚えてしまうが、本作にはそこにちょっとしたアイディアを盛り込んだことによって上手く新味を出すことに成功している。まだまだこの手のジャンルもやり方次第では面白いものが作れるということを証明している。
監督は長年TVドラマを手掛けてきたベテランらしく、劇場用作品は今回が2作目ということである。
演出で特に印象に残ったのは、中盤の脱出劇だった。物音ひとつ出せない状況で、必死の逃走をはかるシチュエーションにハラハラさせられた。
キャストでは、コールドウェル博士役のグレン・クローズが中々に良かった。こうした厳格な役柄をやらせるとさすがに上手い。