「オオカミの家」(2018チリ)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンルホラー
(あらすじ) チリ南部にあるドイツ人集落から脱走した少女マリアは、2匹の子豚が住む森の一軒屋に辿り着く。彼女は子豚にアナとペドロと名付けて一緒に暮らし始めるのだが…。
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(レビュー) 家の壁にドローイングされた絵と、紙や粘土で造られた人形などを組み合わせながら、悪夢のような映像世界を追求したストップモーションアニメ。
二次元の絵と三次元の人形をシームレスにつないで見せたテクニカルな表現が白眉の出来栄えで、これまでに見たことがない斬新さに圧倒されてしまった。
こうした映像体験はストップモーションアニメの大家フィル・ティペット作の
「マッドゴッド」(2021米)以来である。両作品のテイストは全く異なるが、刺激度というレベルでは甲乙つけがたい毒とアクの強さで、まったくもって前代未聞の”映像作品”である。
ただし、純粋にアニメーションの動き自体のクオリティは決して繊細とは言い難い。絵や造形物も雑然としていて、何となく前衛っぽさが漂う作りだと思った。
逆に言うと、この洗練さに欠ける作りが、全体の異様な作風に繋がっているとも言え、結果的に他では見たことがないような唯一無二な怪作になっている。
物語自体はシンプルながら、様々なメタファーが込められているため観る人によって如何様にも解釈できそうである。
鑑賞後に調べて分かったが、マリアが脱走した集落はピノチェト軍事独裁政権下に実在した”コロニア・ディグニダ”を元にしているということである。これはある種のカルト集団だったようであるが、当時の政権とも裏では繋がっていたと言われている。
本作は物語の構成も少し変わっていて、その”コロニア”が対外的な宣伝を目的に作った映像作品…という体になっている。ただのダークな御伽噺というより、政治的なプロパガンダになっているあたりが面白い。もちろんそこには皮肉も込めているのだろう。
製作、監督、脚本はチリのアート作家クリスタバル・レオンとホアキン・コシーニャというコンビである。本作が初の長編作品と言うことだが、こんな”ぶっ飛んだ”作品を作ってしまうとは、一体どういう思考をしているのだろうか?常人には全く想像もつかない。
尚、本作は元々は、各地の美術館やギャラリーでインスタレーションとして製作された作品ということである。企画から完成まで5年の歳月を費やしたということであるが、それも納得の力作である。
また、映画上映の際には同監督作の「骨」(2021チリ)という短編が同時上映されるが、こちらも中々の怪作である。
「あの日の声を探して」(2014仏グルジア)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1999年、ロシア軍に侵攻されたチェチェン。9歳のハジは、両親が銃殺されるのを目撃したことからショックで声が出せなくなってしまう。幼い弟を抱きかかえながら命からがら逃げ延びた彼は放浪の旅に出る。一方、ロシア軍に強制徴兵された少年兵コーリャは、過酷な訓練の日々に疲れ果て、徐々に精神が壊れ始めていく。
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(レビュー) 映画はチェチェンの民間人がロシア兵によって無残に殺されるという光景から始まる。昨今のウクライナ情勢を考えるとやるせない気持ちにさせられるが、実際にこういうことがありそうなのが恐ろしい。
映画は、両親を殺されたチェチェンの子供ハジと、強制徴兵でロシア軍に入隊したコーリャ。この二つのエピソードで構成されている。
まず、ハジの方のドラマは、いわゆる戦災孤児が辿る悲劇の物語で、反戦メッセージが強く押し出された作りになっている。彼はまだ幼い弟を抱えて遠くの町に逃げ延び、そこでEUの人権委員会の女性職員キャロルに保護される。最初は心を閉ざすハジだったが、優しいキャロルとの交流に少しずつ心の傷を癒していく。ずっと口を閉ざしていた彼がようやく言葉を発するシーンは実に感動的だった。
一方、コーリャのドラマは、スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(1987英)よろしく戦争の狂気を描いたドラマとなっている。臆病で心の優しいコーリャが、過酷な環境に置かれることで徐々に性格が好戦的になっていくあたりが恐ろしい。
チェチェンの子供とロシアの少年。立場が全く異なる二人の視点を交互に描きながら、この二つのドラマはラストで劇的に結びつく。そこから分かってくるのは、戦争に加害者も被害者もないということである。どちらも戦争で運命を狂わされてしまった犠牲者なのである。
監督、脚本は
「アーティスト」(2011仏)のミシェル・アザナヴィシウス。基本的にはエンタテインメントを得意とする監督に思えたが、今回は極めてメッセージ性の強い反戦映画になっている。このような骨太な作品を撮る監督だと思っていなかったので、いい意味で期待を裏切られた。
最も印象に残ったのは先述した冒頭のシーンだが、それ以外にもう一つ、コーリャと一緒に入隊した若い兵士が自殺してしまうシーンも強烈に印象に残った。上官はそれを戦死扱いにしてしまうのだが、コーリャはそれに異議を申し立てる。すると彼はすぐさま激しい暴行で制裁されてしまうのだ。「フルメタル・ジャケット」の中でも通称”微笑みデブ”が自殺してしまうが、それを思い出すようなエピソードである。
キャストでは、ハジ役の少年の造形が印象に残った。悲しそうな瞳が戦争の残酷さを憂いているようであった。
「リフレクション」(2021ウクライナ)
ジャンル戦争
(あらすじ) 医師のセルヒーはウクライナ東部で激化する戦線に従軍医師として参加する。ところが、戦地に赴いた彼は人民共和軍に拘束され、拷問の末、過酷な仕事を強要されることになる。
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(レビュー) ロシアとウクライナの戦争が始まったのは2022年であるが、実はそれ以前から両国は深い因縁関係にあり、実際にはウクライナ東部では親ロシア派との間で小さな戦闘は始まっていた。本作は正にそんな緊張状態にあった当時の東部戦線を舞台にした映画である。
監督、脚本、撮影、編集は
「アトランティス」(2019ウクライナ)のヴァレンチン・ナシャノヴイッチ。前作「アトランティス」に引き続き、再びロシアとウクライナの戦争をテーマにしている。今回はSFではなく現代劇という所がミソで、リアリズムに拠った演出は前作同様、息苦しいほどの緊迫感を生み、戦争の悲惨さを画面にまざまざと焼き付けている。特に、拷問シーンが印象に残った。一部でボカシが入っている。
そして、今回も全てのシーンではないが、1シーン1カットのロングテイクが徹底されている。前作に比べるとスケール感という点では見劣りするものの、カッチリと決められた構図と濃密な陰影が画面を重厚にしたためている。まるで絵画のように完璧にコントロールされた画面設計は今回も健在だ。
尚、今回は画面に奥行きを持たせた構図が目に付いた。冒頭の子供たちのサバイバルゲームのシーンに始まり、病院の手術室、セルヒーの部屋が、1枚のアクリル板、窓ガラスといった”仕切り”を用いて画面の奥と手前に分断されている。極めつけはセルヒーを乗せた車が敵の襲撃を受けるシーンである。カメラは後部座席から彼らの恐怖を捉えるのだが、フロントガラスで画面の奥と手前が仕切られている。
こうした画面構図は明らかに意図して演出されているのだろう。観客は画面の奥で行われている事象から隔たれた場所。つまり、常に画面の手前側に置かれることになる。まるでその現場を目撃する傍観者的な立場に立たされることになるのだ。画面の中に放り込まれる感覚とはまた違った意味での臨場感が味わえた。
映画は、前半は延々とセルヒーの過酷な体験を見せつけられるので、正直かなりしんどいものがあった。
中盤以降は、捕虜交換で故郷に戻ることができた彼のプライベートなドラマに切り替わっていく。戦場体験のPTSDに悩まされ、離れて暮らす妻子との関係がシビアに描かれている。ある種浪花節的とも言えるドラマだが、前作とはガラリと違った作劇で新鮮に観れた。
本作の難は、登場人物の関係性が若干分かりづらいことだろうか…。セルヒーの親友でアンドリーという男が登場してくるのだが、彼についての説明が劇中ではほとんどなく、観ている方としては色々と想像を働かさなければならない。もう少し親切な説明があっても良かったように思った。
「アトランティス」(2019ウクライナ)
ジャンル戦争・ジャンルSF
(あらすじ) ロシアとの戦争が終結してから1年後、退役軍人のセルギーは戦友イヴァンと製錬所で働いていた。ところが、PTSDにかかっていたイヴァンは自死し、工場も閉鎖されてしまう。セルキーは、トラックで各地に給水活動をする仕事を始めるのだが…。
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(レビュー) ロシアのウクライナ侵攻が始まる以前に製作された近未来SF作品。戦後の焼け野原を舞台に、元軍人の苦悩を1カット1シーンで紡いだ重厚な作品である。
ロシアとウクライナの戦争を知る今でこそ現実感のあるドラマに思えるが、製作された当時はそこまでの緊張感を世界の人々は感じていなかったのではないだろうか。しかし、両国の因縁には長い歴史があり、ソ連崩壊後に独立したウクライナでは、ずっとロシアと緊張状態が続いていたのである。それが一気に噴出したのが現在の戦争なわけで、そのことを知っていると本作が製作された意味というのも自ずと分かってこよう。SFだからと一蹴できないリアリティが感じられる。
監督、脚本、撮影、編集はヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ。初見の監督さんだが、全編静謐なトーンに包まれた風格のある作品である。1カット1シーンのスタイルがシーンに臨場感と緊迫感をもたらしており、とりわけイヴァンが溶鉱炉の中に身を投げるシーンなどは大変衝撃的で思わず声が出てしまった。
戦争の悲惨さ、無為さもじっくりと表現されている。
例えば、戦死者の検死シーンは、淡々としているがゆえに、余計に居たたまれない気持ちにさせられる。
また、地雷除去は10年から20年、汚染水が元に戻るには何十年もかかるという劇中のセリフも印象に残った。勝っても負けても、こうした負の遺産は後世に渡ってのしかかる。何となく東日本大震災の原発事故を連想してしまった。
撮影はカッチリとした構図の連続で端正にまとめられており、中には目を見張るようなカットもあった。美しいネオンに彩られた夜の工場、溶鉱炉を屋外に排出する容器、人間の身の丈以上のタイヤを持ち上げるブルドーザー等、巨大なオブジェが人間のちっぽけさを強調し、これらダイナミズム溢れる映像の数々に驚かされる。
ラストシーンも印象に残った。雨が降りしきる中、トラックに乗るセルギーとカティンにカメラがゆっくりと近づいていき、そのまま二人のラブシーンに繋がっていくという演出。しかし、実はそこは…というオチが、死と生の相克、ささやかな未来への希望を感じさせる。
尚、本作でよく分からなかった場面が2点あった。一つは、映画の冒頭とラストを赤外線カメラの映像にした意味である。この演出の狙いが今一つ分からない。人間の体温を感知する部分は当然赤色に反応するのだが、これは戦場という死の世界における生命の崇高さを表したかったのだろうか?
もう一つは、巨大なショベルに水を張って浴槽にするシーンである。微笑ましく観れて割と好きなシーンなのだが、全体の重苦しいトーンからすると少し異質に感じた。
「ドンバス」(2018独ウクライナ仏オランダルーマニアポーランド)
ジャンル戦争
(あらすじ) ウクライナ東部ドンバス地方。ここでは2014年以降、ロシアの支援を受けている分離派とウクライナ義勇軍が激しい武力衝突を起こしていた。フェイクニュースを撮影する役者たち、医療物資を横流しする役人、検問所で取り調べを受けるドイツ人ジャーナリスト等々。緊張した風景をカメラは捉えていく。
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(レビュー) 2014年にウクライナの東部で始まったドンバス戦争を描いた作品。
親ロシア派、いわゆる分離派が多く住んでいるこの地域では長年にわたりウクライナ政府との対立が続いており、やがてその軋轢は武力衝突へと発展していった。そして、その内戦が現在行われているロシアとウクライナの戦争に繋がっているわけである。そのあたりの背景を知っていると、本作の内容は理解しやすいだろう。ある程度予備知識を持ったうえで観ることをお勧めする。
監督、脚本は
「国葬」(2019オランダリトアリア)、
「アウステルリッツ」(2016独)のセルゲイ・ロズニッツァ。ドキュメンタリーを主に撮っている監督であるが、今回は実話を元にした劇映画である。
大きな物語はなく、幾つかのシチュエーションをリレー方式で紡いで見せるオムニバス風な作劇になっている。ただ、オープニングとエンディングが結びつく円環構造がとられており、それが永遠に無くならない無益な戦争の悲劇性を雄弁に語っている。
描かれるシーンも観てて非常に居たたまれない気持ちにさせられるものばかりだ。
医療物資を横流しして私腹を肥やす医師と政治家。避難民を乗せたバスに対する非情な取り調べ。野盗と化した兵士に所持品を奪われ、警察にマイカーを没収されたあげく罰金まで徴収される市民。砲弾がどこからともなく飛んでくる恐怖に怯えながら不衛生な地下室で身を寄せて暮らす人々。分離派とウクライナ側に分断された母娘の喧嘩。
最も強烈だったのは、捕縛されたウクライナ兵が町中で親ロシア派の市民たちからリンチされるシーンだった。初めは軽いノリでからかわれていたのだが、徐々に野次馬が増えていき最後はヒステリックな暴動へ発展していく。その光景は余りにも恐ろしく、犠牲となる兵士が気の毒に思えた。
また、取材しに来たドイツ人ジャーナリストに対する検問所の兵士のセリフも印象に残った。彼は「お前はファシストでなくてもお前の祖父はファシストだろ?」と言い放つ。こうした憎しみの不溶性が戦争を失くさないのだろう。
いずれもリアリティを重視した演出が貫かれており、このあたりは長年ドキュメンタリーを撮ってきたロズニッツァ監督の手腕だろう。
一方で、シニカルなユーモアが時折配されており、そこには劇作家としての妙技も感じる。
例えば、マイカーを没収された男のエピソード、フェイクニュースの俳優たちのエピソードは、かなりブラックに料理されている。観てて非常に居たたまれない気持ちにさせられるが、同時に愚かな人間に対する嘲笑の意味も込められているような気がした。ドキュメンタリーでは表現しえない劇映画ならではの演出のように思う。
尚、1点だけ解釈を迷うシーンがあり、そこはもう少し分かりやすくしてほしかった。それは結婚式の後に出てくる爆撃シーンである。車中から捉えたPOV撮影で1カット1シーンで撮られているのだが、誰の主観なのか分からなかった。
このシーンに限らず、本作は基本的に余り説明をしない作品である。人によっては難解と思うかもしれない。頭を空っぽにして観れるエンタメ作品とは違い、観客が能動的に解釈を試みる必要がある。
そして、本作を鑑賞する上で注意をしておきたい点がもう1点ある。
ロズニッツァ監督はこれまでのフィルモグラフィーを見る限り反ロシア派の立場をとっており、その姿勢は本作でも貫かれている。しかし、戦争は双方に深い傷跡を残すという意味において、自分はどちらにも正義など無いと思っている。
本作は親ロシア派=悪として描いているが、見方を変えれば逆もまた真なりで、過去に映画がプロパガンダとして利用されてきた歴史を鑑みれば、それは自明の理である。
したがって、鑑賞する側もそれ相応の冷静な視点が必要とされる。本作を観て、ただちに善悪を線引きしてしまうのは少々危険な気がした。
「アウステルリッツ」(2016独)
ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) 第二次世界大戦中に多くのユダヤ人が虐殺されたザクセンハウゼン強制収容所。そこを訪れる観光客の様子を記録したドキュメンタリー。
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(レビュー) 自分は知らなかったのだが、ベルリン郊外にあるこの元強制収容所は、戦争の歴史的遺産として多くの観光客が訪れる場所になっているということだ。
注意したいのは、本作はアラン・レネ監督の
「夜と霧」(1955仏)のように過去の歴史についての作品ではないという点だ。本作はガイドに連れられた旅行者がぞろぞろと歩く光景が延々と映し出されるだけで、そこで行われた虐殺についてのドキュメンタリーではない。
本作のユニークな所は正にここで、過去に凄惨な行為が行われた場所を前にして人は如何なる反応を見せるのか?それをつぶさに観察したという点にあるように思う。
ガイドの説明に耳を傾け険しい表情を浮かべる者。カジュアルに笑みを交えながら家族と記念撮影をする者。自撮りをしてSNSに投稿する者。人々の反応は様々で、それをカメラは淡々と切り取っている。
これを見て不謹慎と思う人もいるかもしれない。しかし、果たして自分だったらどうだろう?ということを考えさせられてしまう。少なくとも笑いながら記念撮影を撮ったりはしないと思うが、珍しくて歴史的価値がある場所だからといことであちこち写真は撮りそうである。
監督は
「国葬」(2015オランダリトアニア)のセルゲイ・ロズニッツァ。
「国葬」もそうだったが、ナレーションやBGMを一切入れず淡々と記録映像を積み上げていく手法がここでも採られている。観る側の感情を誘導するのではなく、あくまで自主的に感じ取って欲しいという狙いが感じられた。見ようによっては抑揚にかける作品かもしれない。しかし、個人的には極めてフラットな創作姿勢に好感が持てた。
「国葬」(2019オランダリトアニア)
ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) 1953年に行われたスターリンの国葬を捉えたドキュメンタリー映画。
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(レビュー) 最近日本でも話題になった国葬だが、これについては個人的に色々と思う所がある。国民の税金を使う以上、賛否が巻き起こるのは当然だと思う。また、かつてならいざ知らず21世紀になった今、改めて国葬が持つ意味というものを問い直すきっかけになったのではないかと思う。
一つ確かなこと言えば、今回は国民と政府の間に大きなズレを感じたことである。今後はそのあたりを含めて慎重に議論する必要があるのではないだろうか。
本作は棺桶に入ったスターリンの姿から始まる。自分はスターリンのことを教科書くらいでしか知らない世代なので、同時代に生きた人たちが彼をどう思っていたのか詳しくは知らない。ただ、今のプーチン大統領同様、強大な権力を持った政治家だったことは間違いない。そんな彼の葬式となると、それはもう国の威信をかけた盛大なキャンペーンになってしまう。
彼の訃報は全国民に一斉に知らされる。その中には当時はまだソ連の一部だったウクライナ、タジキスタンといった国々が含まれていることに時代を感じてしまう。
一方、首都モスクワには国葬に参列するために友好国の要人が次々と来訪してくる。その顔触れも今となっては時代を感じてしまう。東西冷戦の真っただ中ということで、当時は共産主義だった東ドイツ、ルーマニア、ポーランドといった国々もやって来る。
そして、スターリンの亡骸を一目見ようと集まってきた大群衆の圧倒的スケール感。よくぞこれほど集まってきたものだと感心してしまうが、同時に自分はその光景に全体主義の恐ろしさも感じてしまった。神妙な面持ちで現実を受け入れる者、涙を流して悲しむ者。偉大なスターリンの死を厳粛に受け止める彼らの気持ちは、果たしてどこまで本物なのか?その心中は探っていくと興味が尽きない。
映画はカラーフィルムとモノクロフィルムで構成されている。メリハリを利かせた編集が奏功し、延々と続く国葬の風景も退屈することなく観ることが出来た。
そして、本作の肝は何と言ってもラストだろう。最後の最後に衝撃的なオチが待ち受けていて驚かされた。
監督はセルゲイ・ロズニツァ。初見の監督だが、これまでドキュメンタリー映画を数多く撮ってきた作家ということである。wikiによればウクライナ育ちということなので、現在も続く戦争には反プーチンの姿勢を貫いているそうだ。本作のラストにもそうした体制批判の思想が込められているような気がした。
「CLOSE/クロース」(2022ベルギーオランダ仏)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 13歳のレオとレミは、小さい頃からいつも一緒に過ごしてきた幼馴染。ところが、中学校に入学すると仲が良すぎる2人はクラスメイトから奇異の目で見られるようになる。それを気にしたレオはレミと距離を置くようになるのだが…。
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(レビュー) 思春期の少年たちの心の揺れを繊細に綴った青春映画。
いわゆるLGBTQをモティーフにした作品であるが、それ以上に普遍的なメロドラマとして興味深く鑑賞することができた。
この年頃の子供たちは、社会や学校といった周囲の環境にどうコミットし、そこでどうやって自己を確立させていくか、悩んだり戸惑ったりする大変難しい時期にいるように思う。本作はそのあたりの当事者の心理をよく捉えていると思った。
レオとレミは幼い頃から本当の兄弟のように一緒に過ごしてきた仲の良い幼馴染である。そんな二人は、中学に入ると周囲から奇異の目で見られるようになる。レオはそれを気にして次第にレミとの間に距離を置くようになってしまう。その結果、悲劇的な事件が起きてしまう。
よくある話といえばそうなのだが、それをここまで深く掘り下げて描いて見せた所に脱帽してしまう。
映画を観る限り、二人が実際にゲイだったとは言い難い。確かに毎晩のように同じベッドに寝ていたが、まだ二次性徴が始まるか始まらないかの年頃ということもあり、互いに性的な目では見ていなかったように思う。しかし、当事者はそうでも、周囲は色々と邪推してしまう。
もう少し周囲の家族や教師がケアしてあげれば…という気がした。本作はレオとレミの閉じた世界の中でドラマが展開されるため、そのあたりがどうだったのかよく分からないが、おそらく誰かに相談していれば”ああいう悲劇”は起こらなかったかもしれない。
尚、タイトルの「CLOSE」は”関係や距離が近い”という意味もあるが、”閉じた”という意味もある。前者はもちろんレオとレミの関係を示しているが、後者は彼らの狭い閉じた世界を意味しているような気がした。
映画は中盤の”悲劇”を起点にして、レミを遠ざけてしまったレオの後悔と罪の意識に焦点が当てられていくようになる。悲しい現実を受け入れられないレオの心情を大変丁寧に描写していて見応えを感じた。ただ、この丁寧さがテンポを若干鈍らせてしまったという印象も持った。重苦しいトーンが続くので、この辺りは致し方なしか…。
演出は基本的に手持ちカメラによるドキュメンタリータッチが貫かれ、アンビバレントな少年たちの心の機微を臨場感たっぷりに捉えている。どことなくダルデンヌ兄弟の作品を彷彿とさせた。
ただし、レオが演奏会を見に行くシーンは固定カメラで統一されている。レオがレミの母親を直視するカットがロングテイクのズーミングで捉えられており、かなり意味深に編集されていて印象に残った。”見る側”と”見られ側”のスリリングな関係にゾクゾクするような興奮を覚えた。
他にも、本作にはこうした”見る側”と”見られる側”を意識させるカメラワークが頻出する。その極めつけはラストカットである。レオの視線の先には我々観客がいる…という実に大胆且つ挑発的な幕引きが強烈なインパクトを残す。観終わった後に色々と考えさせられた。
サスペンスやロマンス、エロティズム、様々なドラマを誘発させる、こうした視覚演出も本作はかなり計算されていて感心させられた。
また、冒頭の花畑を走る疾走感溢れるカットを筆頭に、本作は横移動のカメラワークも実に素晴らしい。二人並んで自転車を走らせるカット等、画面に程よいメリハリをつけていると思った。
キャストでは、何と言ってもレオを演じた新人エデン・ダンブリンの佇まいが印象に残った。繊細さをにじませた哀愁漂う面持ちにスターの資質を予感させる。
レミの母親を演じたエミリー・ドゥケンヌは、ダルデンヌ兄弟の「ロゼッタ」(1999ベルギー)のヒロイン役だったということを後で知って驚いた。今やすっかり母親役を演じるようになったことに時代の流れを感じる。こちらも好演である。
「イースタン・プロミス」(2007英カナダ米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 助産婦のアンナが働く病院に、10代の幼い妊婦が運び込まれる。少女は女の子を産んだ直後、息を引き取った。少女のバッグからロシア語で書かれた日記を見つけたアンナは、そこに挟まれていたカードを頼りにロシア料理店を訪ねるのだが、そこはロシアン・マフィアのアジトだった。
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(レビュー) 闇の人身売買に巻き込まれた助産婦の恐怖をスリリングに描いたサスペンス作品。
題材が題材だけに非常に重苦しい作品であるが、マフィアの運転手ニコライと助産婦アンナの淡いロマンスを描きながら、最終的に人情味あふれる結末に持って行ったところが中々心憎い。気が滅入りそうで、そうはならない手捌きに職人技的な上手さを感じた。
監督は鬼才デヴィッド・クローネンバーグである。癖の強いテーマとビジュアルでカルト的な人気を誇る作家であるが、今回は意外にもそつなく作られたエンタメとなっている。逆に言うと、クローネンバーグらしさは余り感じられない作品と言えるかもしれない。前作
「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(2005米カナダ)に近い感じの作品で、こういう表現の仕方もどうかと思うが、実に正統派な作りになっていると思った。
ただ、人身売買問題を取り上げておきながら、社会派へ振り切るわけでもなく、やや中途半端になってしまった感は否めない。ロマンスの要素やマフィア絡みの抗争等、上映時間100分ということを考えれば、余り風呂敷を広げられなかったのかもしれない。本作をガッツリ描くのであれば、個々のエピソードの比重をもう少し効率よくバランスをとるべきだったように思う。
例えば、ニコライの目的が明らかにされる所は中々ドラマチックで見応えがあったので、それ以降はそこにドラマを集中させても良かったかもしれない。
キャストでは、ニコライを演じたヴィゴ・モーテンセンの好演に見応えを感じた。クローネンバーグとは「ヒストリー・オブ・バイオレンス」に続いてのコンビになるが、前作同様、渋い演技に魅せられた。組織の中でのし上がっていく非情なヤクザという役どころに、かすかに人情味を忍ばせたところが味わい深い。
また、サウナ室での全裸の格闘シーンでは体を張ったアクションも見せている。鍛え抜かれた肉体をこれでもかと披露しインパクト大である。
キリルを演じたヴァンサン・カッセルは、ひたすら情けない役所で、今回は余り良い所がない。この大仰な稚拙さは少しやり過ぎという気がしないでもない。果たしてこれが演出に即した芝居だったのか、それとも本人の造形なのか分からないが、やりようによってはもっと懐の深いキャラクターに出来たと思うので少し残念である。
「RUN/ラン」(2020米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 郊外の一軒家に暮らすシングルマザーのダイアンと娘のクロエ。生まれつき体が弱く車椅子生活を余儀なくされていたクロエは、ある日母親が新たに用意してくれた薬に疑問を抱き調べてみる。すると、恐ろしい事実が判明し…。
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(レビュー) 車椅子の少女を溺愛する母親の狂気をスリリングに描いたサスペンス作品。
どうしてダイアンが狂気に駆られたのかは、後半に判明するのだが、そのネタ明かしも含め、中々面白く観ることができる作品だった。決してお金がかかっているわけではない小品だが、コンパクトにまとめられたシナリオと演者の好演が奏功し、中々の快作となっている。
監督、脚本は前作
「search/サーチ」(2018米)で注目されたアニーシュ・チャガンティ。流石に前作のインパクトには負けるものの、今回も卓越したストーリーテリングにグイグイと引き込まれた。
ダイアンは本当に鬼母なのか?それとも単にクロエの被害妄想なのか?そのあたりを迷わせる展開、演出が中々上手い。アルフレッド・ヒッチコックの「疑惑の影」(1943米)のような、サイコサスペンス的な作りの作品に仕立てたのが成功している。
ただし、幾つか突っ込み処も見つかり、そのあたりが心残りである。
例えば、クロエがダイアンの秘密を知るきっかけとなった”写真”や大学の合否通知のぞんざいな扱いが気になった。あるいは、クロエが屋敷から脱出を試みるシーンもご都合主義な感が否めない。アイディア自体は面白いと思うのだが、展開に無理を感じてしまった。
終盤になると更に粗が目立ってくる。病院で一命をとりとめたクロエを再びダイアンがつけ狙うという展開だが、病院のセキュリティはどうなっているのかというのが気になってしまい、せっかくスリリングに盛り上がるクライマックスも今一つ集中できなかった。
キャスト陣ではクロエを演じたキーラ・アレンの熱演が印象に残った。本作が映画初出演と言うことだが、堂々とした演技を披露しているので、今後も期待したい。