万人にお勧めできる良作。
「最強のふたり」(2011仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 事故で首から下が麻痺してしまった大富豪フィリップの家に、スラム街に住む黒人青年ドリスが介護人の応募でやって来た。失業手当を貰うために不採用のサインをしてほしいと言うドリスに、フィリップは興味を持ち雇うことにした。こうしてドリスは慣れない手つきでフィリップの身の回りの世話を始めるのだが‥。
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(レビュー) 街の片隅でくすぶっている不良黒人青年と、妻に先立たれ隠匿生活を送っている白人中年男の友情をハートウォーミングに綴った人情ドラマ。実話を元にしている。
性格もバックストーリーも異なる二人が次第に固い友情で結ばれていく姿は見ていて実に気持ちが良い。異人種間で育まれる友情ドラマという点では、以前見た
「扉をたたく人」(2007米)との共通性も感じられるが、今作にはそこまでの社会派的なメッセージは登場してこない。多くの人が入り込める作品ではないだろうか。
フィリップは過去の悲劇や自分が置かれている悲惨な状況から、死んだも同然のような暮らしを送っている。一方のドリスは明るい性格で自分の好きなように生きている。フィリップは裕福だがそれ以外の物は何も持っていない。その持っていないものを全て持っているのがドリスなのだ。
そんな対照的な二人の交流描写は実に面白く見ることが出来た。つまるところ、友情とは互いに無いものを補完し合うことで新しい自分を発見していく喜びだと思う。
例えば、フィリップが持ってなくてドリスが持っているものの一つにユーモアがある。
ドリスは時々失礼なジョークをフィリップに言い放つ。普通なら怒りたくなるところだが、フィリップは皮肉交じりに言い返しながら心のどこかで楽しんでいるようだ。それまで彼は周囲のメイドや医師から大切に扱われ、厳しいリハビリ生活を送ってきた。当然、周囲にジョークを言う者などいない。だから、ドリスの屈託のないジョーク、悪びれない非常識な行動が一々新鮮で刺激的で、こんなこと言う奴は初めて見た‥と許せてしまうのだろう。彼はユーモアに飢えていたのだ。
また、今作では二人の友情形成に"音楽″が重要な役割を果たしている。フィリップはクラシック音楽を好み、ドリスはダンスミュージックを好んで聴く。まったく異なるジャンルだが、それを分かち合うことで彼らは距離を縮めていく。夫々の好きな物を共有することで共同意識が芽生え、そこに友情が形成されるというのはよくあるパターンだが、それを音楽というアイテムを使って上手く表現している。
例えば、フィリップの誕生会での音楽の使い方は白眉ではないだろうか。
また、この時フィリップの耳にいつの間にかドリスと同じピアスがついていることに気付いた人も多いと思う。ここにも友情の証が暗に示されている。さりげない演出だが、二人の絆が確かなものになったようにな感じがして自然と涙腺が緩んでしまった。
また、中盤のダイジェスト風に描かれるシークエンスなどは、まさに友情形成のボルテージが最高潮に達する瞬間であり実に微笑ましく見れた。ドリスがフィリップのために車椅子を改造してやれば、フィリップはドリスのためにスーツを新調してあげる。こうしたやり取りがパノラマ風に綴られている。他に、絵画を巡って価値観を対立させる美術館のシーン、パラグライダーのシーンなども楽しく見れた。
一方、しみじみとさせる交友場面もある。真夜中に薬の副作用で苦しむフィリップをドリスが落ち着かせようと外に連れ出すシーンがあるが、これなどは抒情溢れる名シーンである。
このように本作は実に崇高で普遍的なテーマを持った良作となっている。おそらく多くの人の共感を得られる作品ではないかと思う。
ただし、映画のクオリティという点に関して言うと若干、突っ込みたくなるような箇所が幾つかあり作りの甘さが感じられた。
まず、これは大前提として言っておかなければならないのだが、決して介護の厳しさをシリアスに訴えた作品ではない。それまで一度もやったことのないドリスにマッサージなどそう簡単に習得できるものだろうか?という疑問が起こった。また、下の世話についても正面から描いていないし、先ほど例に挙げた真夜中の発作に対するドリスの対処もどうかすると軽率に見えてしまう。まずはドクターなど然るべき所に連絡するのが筋だろう。
実話が元になっているという一文がオープニングに登場するなら、やはりある程度介護の難しさも描いてあげないと関係者に対する誠意が示されないのではないだろうか。本当にこれではただの美談になってしまう。
また、フィリップの養女のエピソードはあまり必要性が感じられなかった。フィリップとの関係は劇中ではほとんど触れられず、彼女のボーイフレンドを巡る一件もメインのドラマをいたずらに停滞させてしまっているだけである。例えば、ドリスが彼に警告しに行く場面があるが、これによって展開が変に分断されてしまっている。
映画のオチについても、ああいう形に着地するのでればそこに至る伏線は必要だったろう。デートの後、フィリップの元に相手から手紙や電話が一切来なかったとは到底思えない。その描写がないためこのオチがややご都合主義に見えてしまった。
確かに良心に満ちたドラマで感動出来る作品である。しかし、こうした不自然さ、ご都合主義が散見できるところにいささか乗り切れない面があった。