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桐島、部活やめるってよ

あとからジワジワ来る青春映画の傑作。
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「桐島、部活やめるってよ」(2012日)星5
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ)
 成績優秀でバレー部のキャプテン桐島が突然部活を辞めてしまった。これが彼の周囲に様々な波紋を起こす。桐島の恋人・梨沙は当惑し、友人で同じ塾に通う宏樹も不安になった。一方、吹奏楽部の沢島はそんな宏樹に人知れず思いを寄せていた。その頃、映画部の前田は新作の準備に取り掛かっていた。顧問の先生に言われたとおりに作った前作はコンクールで落選してしまった。その苦い経験から今度は自分たちが撮りたいゾンビ映画を作ろうということになる。
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(レビュー)
 学園のスター桐島の突然の退部を巡って繰り広げられる青春群像劇。

 自分は高校時代に映画研究部に入っていたことがあったので、何だか本作の前田たちを他人事のように見れなかった。かなりイタタ‥な作品であるが、どこか懐かしさも覚えてしまう。特に、前田が妄想するゾンビ映画のくだりにはホロリとさせられてしまった。

 この映画には様々な高校生が登場してくる。そして、彼らは概ね3つのグループに分類できるような気がする。
 まず、前田たち映画部の連中は地味で冴えない、言わばイケてない連中である。宏樹に恋い焦がれる吹奏楽部の沢島も、真面目で目立たない存在でこのグループに分類出来よう。また、バレー部の補欠、野球部のキャプテンも桐島のようなスター性を持たない浮かばれぬ者たちで、やはりこのグループに入れることが出来ると思う。

 一方、桐島とつるむイケメンたちは、活発でクラスの女子とも気さくに話す人気者である。梨沙と沙奈も夫々に桐島、宏樹という恋人がいるイケてる女子たちである。

 そして、今作にはもう一つ、イケてる者とイケてない者の中間に位置するキャラクターが登場してくる。バドミントン部のかすみがそうだ。彼女は梨沙達のグループに所属しているが、イケてない組を見下す彼女等を快く思っていない。心のどこかでイケてない者たちと通じる物を持っている。
 更に、かすみと同じバドミントン部員・実果もこの中間層に位置するキャラと言える。ただし、彼女はレギュラーであるかすみに劣等感を持っていることから、かすみよりも更に"持たざる者″に近い存在かもしれない。それはバレー部の補欠部員に自分と同じ"持たざる者″としてのシンパシーを感じていることからもよく分かる。

 このように本作の主要キャラはイケてる組、イケてない組、その中間という風に区分することができる。こうした学園内ヒエラルキーはアメリカの学園ドラマなどではよく目にするが、日本映画でこれを扱った作品は珍しいのではないだろうか。むろんドラマの設定として無かったわけではないが、今回はそれがテーマに深く関わっている。これは実に新鮮なテーマ選びだと思った。

 そして、考えてみるとこのヒエラルキーは何も特別なものではなく、どこにでも起こりうる普遍的な物ではないか‥という気がした。人と人が関係しあうのだから、当然そこには優劣関係が生じる。会社でも町内会の寄合でも、どこにでもヒエラルキーは存在する。
 そして、この優劣関係は決して絶対的なものではないとも思う。今作のように桐島という支柱的存在がいなくなれば、このヒエラルキーはいとも簡単に崩壊してしまう。
 現に、今作では桐島がいなくなったことで、彼の周囲は右往左往する。それまで自分がで拠り所としてきた世界の核=桐島を失ったからだ。そんなに慌てふためくなら教師や家族に尋ねればよいではないか?という気もするが、このドラマが描こうとしている問題はそこではない。桐島という核を失ってしまった世界の秩序の崩壊。それを描いているのだ。
 要するに、これはどういうことかと言うと、その社会を支配しているヒエラルキーは、実際には相対的な価値しか持っていないということである。桐島のような支柱的存在がいなくなれば、いとも簡単に崩壊してしまうほど脆いものである‥ということである。

 ところで、この映画は桐島が何故部活を辞めたのか?その理由をはっきりさせないまま終わっている。見ていて悶々とするが、しかしよくよく考えて見れば何となく一つの想像もできる。

 結局、桐島は余りにも高みに達してしまい、現状が陳腐に見えてしまったのではないだろうか。自分の能力に適した新しい世界へ羽ばたいていった‥。そう想像できた。

 実は、桐島に近い存在として宏樹というキャラクターがこの映画には登場してくる。彼も桐島に似た万能選手でバスケ、サッカー、野球、何でも出来てしまう少年である。そして、桐島に梨沙という恋人がいるように、彼にも恋人がいる。更には沢島というファンもいる。こうした共通点を考えれば、宏樹は桐島に最も近い存在と言えよう。しかし、そんな彼でさえも、桐島がいなくなったことで自分自身を見失ってしまう。もしかしたら、桐島に一番近い存在であるがゆえに、最も寂しい思いをしたのは彼だったのかもしれない。
 ラストで前田が向けたカメラに向かって宏樹は寂しげな表情を見せる。そこには桐島という精神的支柱を失った情けない顔があった。桐島という友人、ライバルを失った喪失感が感じられる。

 一方、自分らしくどっしり構えている者にとっては桐島の失踪など何の関係もない。それが映画研究部の連中だ。前田たちは、桐島の不在などどこ吹く風で自分たちの撮りたいゾンビ映画を黙々と撮っていく。彼らは最初から自分自身の中に精神的支柱を持っている。だから、こういう時に強いのである。他者との関係から成り立つヒエラルキーを拠り所にする宏樹たちとは違う。信じる者は自分自身なのだ。
 その証拠に、ラストの前田の表情が全てを物語っている。宏樹とは対照的にとても輝いた表情をしている。

 監督・共同脚本は「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(2007日)で長編デビューを果たした吉田大八。前半は人物の視点を変えるトリッキーな構成で、キャラクターの相関、事件の成り行きを軽快に説明している。中々上手い構成だと思った。クライマックスも、吹奏楽部の音楽を効果的に使いながら上手く盛り上げている。

 ただし、一つだけ釈然としない箇所があった。クライマックスのかすみの怒りは、その後にどうなったのだろう?まるで何もなかったかのように終わってしまったのだが、気になってしまう。そこを処理しなかったのは残念だった。

 ちなみに、多種多様なキャラが登場してくるが、キャラクター的に一番お気に入りだったのは映画部の副部長だった。何かにつけて物事を斜に見る映画マニアで、顧問に「ゾンビがリアリティあるか?」と尋ねられて「ハイ」と答えた時には思わず吹き出してしまった。彼を見ていると微笑ましい。
 今作はビターな青春映画であるが、こうしたサブカル・ネタが幾つか笑い所として用意されている。マニア向けの笑いだが個人的にはそこもツボだった。
[ 2012/10/11 01:40 ] ジャンル青春ドラマ | TB(0) | CM(0)

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