伝説の将棋名人の半生を綴った人間ドラマ。阪妻の佇まいが良い。
「王将」(1948日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 明治39年、大阪下町。将棋好きな男・坂田三吉は草履作りをする傍ら、方々の将棋大会で賞金稼ぎをする将棋狂だった。その日も仏壇を質に入れて参加費を捻出し、近所で行われる大会に出場した。そこで三吉は関根金次郎という強敵と対局し、特別ルールを知らなかったため反則負けを喫してしまう。落ち込んで帰ってくる三吉を待っていたのは、子供を連れて今にも出て行こうとする妻・お春の姿だった。お春は三吉の将棋好きにほとほと困り果て今度こそ家を出て行くと言う。三吉をお春を説得して名人なることを誓う。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 実在した将棋界の奇才、坂田三吉の波乱万丈の半生を綴った感動ドラマ。
三吉役の阪東妻三郎の熱演。これに尽きる作品だと思う。阪東妻三郎と言えば、「阪妻」の愛称で慕われたサイレントからトーキーにかけて活躍した大衆スターである。その端正な顔立ち、情熱的な演技、時折見せるコミカルな演技、全ての魅力が本作には詰め込まれている。彼がスターたる所以が窺い知れるという意味では正にうってつけの作品と言えよう。
本作は何度も映画になっているほどの人気作で、元々は戯曲である。
三吉の名人を目指す戦いを軸に、その犠牲となる妻、娘との関係も描かれ、実に感動的に盛り上げられている。人情物が好きな人にはたまらないものがあるだろう。
監督・脚本は伊藤大輔。約20年弱に渡る大河ドラマを約90分という短い尺に収めた手腕は見事である。ただ、コンパクトにまとめてしまった功罪はあるように思う。軽快で見やすい反面、所々で舌っ足らずな展開が見受けられる。
一番不自然に感じたのは中盤の父娘喧嘩である。勝利の美酒に酔いしれる三吉に向かって、娘は「当てずっぽうに打った一手で勝っただけだ」と非難する。痛い所を突かれて三吉は怒りだすのだが、果たして素人目から見てそれが勘で打った一手と分かるものだろうか?どうにも釈然としないやり取りであった。
それに、ここは父娘の決定的断絶を描く重要な場面である。おそらく、娘は日頃から将棋しか頭にない三吉に対して憤りを感じていたのだろう。それがついにここで爆発したのだと思う。しかし、映画はそこに至るまでの時間の流れを完全に省略してしまっている。彼女の三吉に対する憎しみはプレマイズされていないのだ。したがって、このシーンにおける彼女の怒りの裏側には一体どんな思いがあるのかが分からない。
また、二男の死亡がセリフだけで片づけられてしまったのも手落ちと言わざるを得ない。重要な事件だけにもっと重きを置いて描くべきであろう。同様にお春が三吉を後押しする心境変化にも裏付けが欲しい所だ。
逆に、省略作劇が上手く機能している例もある。南無妙法蓮華経の祈祷で10数年間という時間の流れを一気に駆け巡らせた演出は見事であった。
ところで、この映画での阪妻の存在感は圧倒的であるが、その影で泣きながら耐え忍ぶ妻・お春の賢母振りは実に逞しく美しいものがある。彼女のヒロインとしての存在感には目を見張るものがあり、そこに着目すれば夫を健気に支える良妻物語という別のドラマも見えてくる。
現に、終盤にかけてこの映画は夫婦愛のドラマへと昇華されていく。自分はそこに涙させられた。
ちなみに、この映画を見て、大阪名物、通天閣が明治時代から存在していたことを初めて知った。現在の通天閣は2代目で昭和に入ってから建造されたものだそうである。初代通天閣には「日立」ではなく「ライオン」の広告がライトアップされており、夜になると三吉が住む長屋からそれが一望できる。この下町のセットが中々素晴らしい出来栄えで感心させられた。長屋の下には蒸気機関車が走り、その煙がモクモクと立ち上がり、奥に見える通天閣と合わさると実に奥行きを感じさせるセットになっているのだ。決して美観と言うわけではないのだが、庶民の生活を様々に想像してしまいたくなる風景である。