宮川一夫のキャメラが冴え渡る1本。
「夜の河」(1956日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) きわは父と一緒に家業の京染屋を切り盛りしている独身女性。妹が結婚し周囲の目がきわに注がれる中、彼女は奈良を訪れた時に自分が作ったネクタイを締めた東京の大学教授・竹村と出会う。竹村は高校生の娘と観光に来ていた。きわは、その温かな眼差しに引き付けられながら淡い感情を抱く。その後、きわは東京の品評会に出席するついでに彼の元を訪れる。こうして二人は次第に交友を深めていくのだが‥。
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(レビュー) 染物屋家業に営む独身女性と妻子ある男性の禁断の恋を綴ったメロドラマ。
何と言っても、名カメラマン宮川一夫が作り出した映像の数々に惚れ惚れさせられてしまう。きわの染物屋という設定を活かしながら画面を様々な色彩で彩っている。
特に、中盤の竹村との逢瀬の場面は白眉の出来栄えだ。雨宿りするために二人は旅館に入るのだが、赤黒く染められた不穏で官能的なトーンが、まるでこの世の物とは思えぬ息苦しさ、毒々しさを醸し出している。窓に吊るされたオレンジ色の提燈が薄暗い部屋を照らすライト代わりになり、不倫の背徳感を淫靡に盛り上げている。この時の電気を消す根拠は説得力に乏しかったが、ともかくもこのシーンは本作最大の見せ場であろう。
黄色、緑、赤といった原色を使った強烈な色彩設計も面白かった。宮川のカメラは溝口作品とのコンビでどうしてもモノクロのイメージが強いが、唯一小津安二郎とコンビを組んだ作品
「浮草」(1959日)からも分かる通り、実はカラーでも類まれなるセンスを発揮している。色彩感覚の幅が実に広くて驚かされた。
監督は吉村公三郎。バタ臭いところもあるが、メロドラマとしては要所を得た作りで安心して見れる。きわの手についた染料をアップで捉えたカットが、前半と終盤に2度登場するが、その時の彼女の竹村に対する心情はまるで正反対である。このギャップが味わい深い。
また、花を介した二人のやり取りを描くレストランのシーン、電車のシーンも中々ユーモラスで面白く見れた。後者に関しては花と車窓に映るきわの顔を重ねた所が技アリである。
一方、虹の演出はさすがに強引という気がした。また、先述の雨宿りのシーンに登場する蛾も、やはり電気を消灯する理由づけとしては若干強引過ぎる。
キャストはきわを演じた山本富士子の美しさが際立っていた。設定上、ほとんど和服を着て登場するのだが、その佇まいには日本古来の女性の"美″が体現されている。そして、その外見とは裏腹に彼女には商魂たくましい所があり、この個性も面白いと思った。自分で染めた着物を商店に売り込みに行ったり、竹村を追いかけて職場まで乗り込んで行ったり、かなり活発でしたたかな女性である。相手からしてみれば食えない女と思ってしまうかもしれないが、やはり男であればその美貌には丸め込まれるしかないだろう。
例えば、彼女の虜になってしまう近江屋などはそのいい例である。利用されるだけ利用されて後はポイと捨てられて‥何とも不憫極まりない。ちなみに、これを小沢栄太郎が持ち前の飄々とした演技で妙演している。余り悲壮感を漂わせない所が作品全体の軽やかさに貢献している。
それにしても、改めて考えてみると、このドラマは実に人間のどす黒い欲望を抉り取った作品だと言える。他人を後目に商売を繁盛させながら不倫に溺れるきわ。家族を捨てて愛欲に溺れる竹村。下心丸見えできわに接近する近江屋。そして、きわの親友で旅館を切り盛りするせつ子も、きわと竹村の逢瀬をアシストしたという意味では腹黒い女性と言える。メロドラマというと美しく儚く‥なんてものを想像してしまうが、今作にはそんな見方を逆手に取るかのような"どす黒さ″が蔓延している。いわゆる通常のメロドラマとは一線を画した恐ろしい作品である。