西部劇だと思ってい見ていたら意外なメッセージに気付かされる異色作。
「三人の名付親」(1948米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) ボブを中心とした3人の強盗団がある町にやってきた。早速、銀行を襲撃するが、一番若いキッドが銃弾に負傷する。一行は水を求めて砂漠を逃走した。ところが、彼らの行く手にパーリー保安官隊が待ち受けていた。仕方なく3人は進路を変更すると、その先でインディアンの襲撃に遭った帆馬車に出くわす。中には瀕死の身重の女性が乗っていて‥。
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(レビュー) 罪を犯した強盗団が赤ん坊の面倒を見ることで改心していく人情西部劇。
タイトルから察する通り、いたってストレートなドラマだが、そこで繰り広げられる強盗団の葛藤は中々面白い。これまでの罪滅ぼしとばかりに、3人は赤ん坊の面倒を見ることになるのだが、誰一人として育児などしたことがない。赤ん坊の母親が持っていた育児書を読みながら赤ん坊の世話に四苦八苦する姿は見ていて微笑ましい。
後半からパーリー保安官との壮絶なサバイバル劇が繰り広げられ、それまでの安穏としたトーンから一転、シリアスモードに転じていく。
また、赤ん坊の母親が持っていた聖書を元に、少し教示的なセリフ、メタファーが随所に登場してくるようになる。ここが他の西部劇には見られない本作ならではの特異点だろう。
映画を見ていくと、段々この赤ん坊がキリストの暗喩であることが分かってくる。3人の強盗団は聖書に書かれた3人の賢者であるし、彼らが赤ん坊を抱いて目指すニュー・エルサレムという町は聖地エルサレムを意味するものであろう。つまり、後半からこの映画は単なる西部劇ではなく、聖書に書かれた筋書そのもののドラマになっていくのだ。
ただ、個人的には後半からの宗教臭は、少し押しつけがましく感じられてしまった。西部劇にこうしたテーマを持ち込んだ意欲は買いたいが、ここまで強烈に宗教観が顕示されるとしつこく感じる。せっかくの西部劇である。前半で見られたような人情劇を単純に楽しみたかった気がする。
監督は名匠J・フォード。いかにも氏らしいヒューマニズム溢れるドラマになっていて、作りも実に堅実にまとめられている。特に、前半から中盤にかけてのユーモラスなやり取りに彼の真骨頂が伺えた。また、序盤の激しい追跡シーンは自身の「駅馬車」(1939米)を彷彿とさせる迫力が感じられた。3人とパーリー保安官の体面も人を食っていて面白い。
一方、今まで銃しか撃ったことが無い彼らがそう簡単に助産を出来るか‥という疑問は残った。この映画は出産シーンを省略してしまって実際に映像で描いて見せていない。そこを見せることで少しでもこの疑問を払拭されただろう。演出の甘さが感じられる。
また、負傷したキッドが赤ん坊を抱えるのは、どう考えても危険すぎる。普通に考えれば他の誰かが抱くべきであろう。演出上のミス‥というよりも、次の事件を起こす"きっかけ″を無理やり作っているように見えてしまい、ややご都合主義に思えてしまった。