虚無感漂う反戦映画。ラストが印象的。
「ダンケルク」(1964仏伊)
ジャンル戦争・ジャンルロマンス
(あらすじ) 第二次世界大戦下のフランス。連合軍はドイツ軍の侵攻で撤退を余儀なくされた。フランス軍のマイア曹長は隊からはぐれてダンケルクへ向かう。そこでイギリス軍の艦船に便乗して脱出を試みようとした。ところが、敵の波状攻撃にあい中々出航できなかった。足止めを食らったマイアは、仕方なく仲間たちと脱出の機会を伺う。そんな折、彼は市街地でジャンヌという娘に出会う。
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(レビュー) 戦争の虚しさをシニカルに綴った反戦映画。
ひたすら敗走する連合軍をリアルタイムに描くだけなので、決してスカッとするよう戦争映画ではない。ただ、無数の死体が散乱するダンケルクの浜辺の映像はスペクタクル的には十分であるし、度重なるドイツ軍の空爆にも迫力が感じられた。
尚、ダンケルクと言えば、以前見た
「つぐない」(2007英)の中にも印象的に登場してきた。あの時の混沌とした戦場風景を捉えた長回しは見事だったが、今作もスケール感、迫力では劣っていない。
監督H・ヴェルヌイユの情に堕さない演出も中々味わいがある。
たとえば、爆死した死体をリヤカーに乗せて運ぶ序盤のシークエンス、パラシュートで脱出したドイツ兵めがけてイギリス兵が一斉に発砲するシーン、マイアの代わりに水を汲みに行った兵士の末路等、戦争の"虚無″をヴェルヌイユはひたすらドライなタッチで切り取っている。普通なら尊い生命を重んじて"死″を衝撃的に描こうとするものだが、ヴェルヌイユはシニカルでブラックな悲喜劇として料理しているのだ。この一貫した姿勢は見事である。
ただし、淡々と進むので中には退屈感を覚える人もいるかもしれない。確かにマイアは銃を持って勇ましく戦うタイプの主人公ではなく、どちらかと言うと仕方なく戦争をやっている人間だ。また、彼の周りの兵士たちも絶体絶命のこの状況をどこか達観した眼差しで見つめるだけである。戦争映画の割にシナリオは緊迫感が薄い。
しかし、案外敗走する部隊などという物はそんなものかもしれない。必死になって脱出を試みるも敵の攻撃に阻まれて何度も失敗に終わり、それが繰り返されれば誰だって無気力になってしまうものだ。決して腹を括ったというわけではないのだが、この期に及んでジタバタしたってしょうがない、あとはなるようになれ‥的な境地に達するのも無理もない話である。ある意味で、ダンケルクの浜辺は前進も後退もできない"煉獄″とも言える。そして、マイア達のこの虚無感は戦争の虚しさを見事に表現していると思う。
映画は中盤に入ってくると、マイアの前にジャンヌというヒロインが登場してロマンスドラマが展開される。この顛末も非常に虚無感漂う締め括り方になっていて印象に残った。マイアが見たのは幻想か?それとも現実か?判然としない所が味わい深い。
ただし、彼女のヒロインとしての掴み所の無さは今作の減点である。生家を守るために避難せずに残る‥という心理が理解できない。彼女の言動は浮世離れしすぎていて、どうにも俺にはついて行けなかった。
そもそも、ジャンヌはモラトリアムに生きるマイアを変えるべく登場してきたヒロインである。現に、それまで戦争というシステムの中で無為に殺し合いをしてきたマイアは、彼女が"ある事件″に巻き込まれることで初めて自らの意志で銃を持つようになった。つまり、語弊はあるかもしれないが、彼は戦争によって"殺された人間″から、ジャンヌとの出会いで恋に"生きる人間″になったのだと思う。こうした二人の関係性を、ジャンヌというヒロインを通してもっと濃密に描いて欲しかった。