豪華なミュージカル大作。
「レ・ミゼラブル」(2012英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ) 19世紀のフランス。1枚のパンを盗んだ罪で投獄されたジャン・バルジャンは、19年間の重労働を終えてようやく仮釈放される。しかし、空腹に耐えかねた彼は、施しをくれた教会で再び盗みを働いてしまった。この時、司祭は彼の罪を許した。その後、心を入れ替えたバルジャンはマドレーヌと名前を変えて、遠くの町で人々から愛される市長になった。そこにかつての自分を知るジャベール警部が赴任してくる。一方その頃、バルジャンが経営する工場をクビになったファンティーヌは、里子に出した娘のために売春婦に成り果てていた。バルジャンは彼女を見かけて救いの手を差し伸べるのだが‥。
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(レビュー) ヴィクトル・ユゴーの原作はこれまでに何度も映画化されているが、今回はミュージカル版の映画化である。ストーリーは一応知っているので、今回は一体どんな風にミュージカルとして料理されているのか?そこを中心に見た。
まず、一番驚かされたのは、全編セリフが歌で表現されていることだ。過去に「シェルブールの雨傘」(1963仏)という作品があったが、あれと同じスタイルである。
監督は
「英国王のスピーチ」(2010英オーストリア)で注目されたT・フーパー。セリフと歌が混在することで起こるミュージカル映画特有の不自然な鑑賞感を、全編歌にしてしまったことで払拭したアイディアは評価したい。この手法で見る者をスパッと割り切らせたフーパーの演出は、力技で持って行った感じもするが見事である。
ただ、撮り方、編集については少々疑問を禁じ得ない。通常の映画のようなカット割りで作り上げてしまっているので、どうにも見ていてミュージカル映画っぽくないのだ。
第一に、この映画はフェイスアングルが異様に多い。歌っている者の顔のアップを多用し、その切り替えでシーンを形成している。しかし、本来ミュージカル映画とは演者の歌唱・演技・運動を漏れなく大局的に捉えることでダイナミックな音と映像的魅力を放つのが本文である。いわゆる群舞などはその最たる例だろう。しかし、これだけフェイスアングルが多用されてしまうとそのカタルシスは失われてしまう。カットが目まぐるしく変わっては、演者の歌唱・演技はじっくりと堪能できない。監督は生音にこだわったそうだが、ならばどうしてそれに被さる映像をぶつ切りに編集してしまったのか?これでは素晴らしい歌唱シーンもせわしなくて見づらいだけである。
全編歌曲で構成された本作は、まぎれもないミュージカル映画である。しかし、俺は今までのミュージカル映画に比べると、撮影や編集が雑で余りミュージカル映画っぽくないような感じがした。
もっとも、全てががそういう撮り方・編集になっているわけではない。中には、幾つかミュージカル映画然とした輝きが感じられるシーンはあった。
一つ目はファンティーヌの慟哭、もう一つは失意のエポニーヌのシーンである。この二つはいかにもミュージカル映画っぽい作りになっている。夫々を演じたA・ハサウェイ、サマンサ・パークスの歌唱が見事という事もあるが、彼女らの熱演を1カットで追った映像が奏功している。心揺さぶられた。
ちなみに、今回初見だったサマンサ・パークスという女優は、元々が舞台版の女優であることが後で調べて分かった。なるほど、それなら堂に入っているのも当然である。脇役ながら見事な存在感を見せつけ「ドリームガールズ」(2006米)で鮮烈なデビューを飾ったジェニファー・ハドソン以来の新星という感じがした。今後は舞台と映画、どちらを活躍の基盤とするのか分からないが頼もしい。
キャストでは他にバルジャンを演じたH・ジャックマンも中々良かったと思う。元々トニー賞で主演男優賞に輝いた経歴もありミュージカルは今回が初めてというわけではない。その経験も生かされているのだろう。特に、神の前で新しい人生を決意する序盤のシーンは素晴らしい。
逆に、限界を感じたのはジャベール役のR・クロウである。この役はストーリー的にかなり重要で出番も多いのだが、他に比べて力不足を感じてしまった。H・ボナム=カーター、サシャ・バロン・コーエンも芸達者にコメディーリリーフに徹した所は見事だが、歌自体は及第点という感じで主要キャストらに比べるとやや落ちてしまう。
話をT・フーパーの演出に戻すが、唯一映画的なカット割りと歌唱が上手く噛み合っているシーンがある。それはいよいよ革命の蜂起が開始されるという直前、夫々が戦地へ向かうシーンだ。個々の顔をカットバックで繋げたダイナミックな映像構成、高らかに盛り上がっていく歌唱。この二つが相乗効果的にボルテージを高めあっていくシークエンスには鳥肌が立った。
同様に、ラストも見事な盛り上がりを見せてくれる。力技で持って行ったという感じもするが、本来ミュージカル映画にはこれくらいのケレンミと大胆さがあっても良いような気がする。正直、ここは涙腺が緩んでしまった。先述のファンティーヌの慟哭、エポニーヌの失意に続く、本作3番目の泣かせ所である。