現実と虚構の判別がつかなくなる不思議な映画。
「塀の中のジュリアス・シーザー」(2012伊)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ローマ郊外にあるレビッビア刑務所では、毎年囚人達による演劇会が催されていた。今年の演目はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に決まった。オーディションで選ばれた囚人たちは早速、演技の練習に励む。ところが、ブルータス役の囚人が次第に現実と役柄を混同していくようになり‥。
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(レビュー) 実際の刑務所を舞台に、実際の囚人達を使って撮影された異色の演劇ドラマ。
監督・脚本はイタリアの巨匠タヴィアーニ兄弟。個人的には初期作品が好きで最近の作品は余り追いかけてないのだが、今回は特異な題材が目を引き久しぶりに彼らの作品を見たいという気になった。
昨今、文芸映画などの大作趣向が強かった彼らだが、今回はミニマルに徹している。上映時間も80分足らずという短さで非常にコンパクトにまとめられている。
物語は実にシンプルだ。囚人達の稽古風景を綴りながら、その合間に時々日常風景が挟まるといった構成で、正直ドラマの動きは少ない。役柄に入り込み過ぎて現実との区別がつかなくなってしまう者。過去のトラウマを思い出して上手く演じられなくなる者。そういった囚人達の葛藤はごくわずかに描かれるが、基本的には練習風景を延々と写すだけである。
このシンプルさはタヴィアーニ兄弟の計算なのだろう。「ジュリアス・シーザー」のリハーサル風景はまるでドキュメンタリーのようでもあり劇映画的でもあり‥。自分は今までに感じたことが無い不思議な感覚にとらわれた。つまり、複雑なドラマ、人物の葛藤を必要以上にしたためなかった彼らの演出意図が、見事に本作をドキュメンタリーなのかフィクションなのか分からなくしてしまっているのだ。
尚、自分は見ている最中、囚人達たちは全員プロの俳優だと思っていたのだが、最後に本物の囚人だということが判明し驚いた。実際に彼らは刑務所で「ジュリアス・シーザー」の公演をしているのである。別に騙しの映画ではないのだが、もうこの時点で俺はタヴィアーニ兄弟の仕掛ける策にまんまとはまったというわけである。
映画が進んでいくと、リハーサルは刑務所の至る所で繰り広げられていくようになる。屋内から屋外へ飛び出し、ある者は消灯後もベッドの中でセリフを練習し、ある者は休み時間でも役柄になり切って練習をする。囚人達の日常生活(現実)とリハーサル(虚構)が段々不明瞭になっていく。
これはストーリーを語る映画ではない。現実と虚構の曖昧さを描こうという、野心溢れた実験的な作品なのだと思う。
ところで、今作を見て羽仁進監督の
「不良少年」(1961日)を思い出した。あの映画も実際の不良少年を使って実際の刑務所で撮影された半ドキュメンタリーな作品だった。今回も実際の囚人が演じているという点では共通しているように思う。
ただ、ドラマがあった「不良少年」に比べると、本作にはそれが無いのが物足りなかった。タヴィアーニ兄弟の実験精神溢れる挑戦は大いに評価したいが、やはり映画を見る以上何らかドラマも見てみたい‥というのが率直な感想である。